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[7] ランジェの恋心
日時: 2012/04/02 10:51
名前: 春姫 ID:sSQUMmrA

 パティスリー・ランジェで巻き起こる小さな物語。



目次

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Re: ランジェの恋心 ( No.8 )
日時: 2011/06/22 11:28
名前: 春姫 ID:yRqgJdq6

――.8 背伸びしてるのはお互い様




 休日だというのに客足の少ない、パティスリー・ランジェの厨房では、シノがメグを手伝う姿があった。
 といっても簡単な作業だけだが、次に行う作業の下準備、フルーツカット、シューにクリームを入れたりとそれなりに仕事量が多い。
 今は溜まった洗い物を片付けているところだ。
 スポンジを片手に持ちながら大きなボウルと戦っているシノの髪には、あのバレッタがある。
(つけてる)
 そのことに気づきながらも、メグは上手いアクションが思いつかないままだった。
 今までさらりとシノのウィークポイントをついてきたくせに、こういうところで躓くのだからヘタレといわれるのも分かる。

「あのメグさん、洗い物終りました。次はなにかありますか?」
「――――っ。あ、ああじゃあ……もうお昼も近いからなにか食べようか」
「はいっ、じゃあ今日は私が作りますね。前にメグさんに作ってもらったオムライスには負けるかもしれないですけど」 
 一人、店に住んでいるメグは普段から自炊をしている。プロ並とまでは言えないが、人並以上には料理の腕がある。
 普段のお昼はメグが率先して調理しているのだが、今日はシノが名乗りを上げる。
「いや、そんなことないよ。じゃあ、お願いしようかな」
 既に浮かびかけていた献立を引っ込めて、メグは椅子を引っ張り出す。
 シノは自分で言い出した事ながら、今更緊張感に顔を引きつらせる。相手は好きな人、少しでも美味しい料理を振舞って喜んでもらいたい。
 強張った肩から力を抜くために小さく息を吐き出す。

 調理中に何人か客が顔を出したが、全部メグが受け持ってくれた。
 シノは有難いやら申し訳ないやらで、余計失敗できない気持ちを膨らませてしまっていた。
 そのせいか、包丁を握る手が震えている。せっかく力を抜いたはずの肩も強張ってしまっていた。
「どう、調子は」
「は、はいっ」
 メグがなんの気なしに声をかけた瞬間、シノの肩が跳ね上がる。その後すぐにシノは目を細める。
 人差し指から赤い血がぷくりと浮き出てきた。
「ったあ。だめだなあ、私」
 うな垂れるシノと、反対にメグはみるからに慌てたように従業員室に駆け込んでいく。数秒経たずでてくる腕には、救急箱があった。
「指だして」
「え、あの。これくらい、だいじょぶです」
 手を振ってやんわり否定するシノに、メグは語気を強めて同じ言葉を吐く。シノは諦めて指をおず、と差し出す。

「よし。……後は俺がやる」
 シノの指に巻いた絆創膏を撫でて、メグは息を吐くように言う。
「ごめんなさい」
 座った状態で浮いた足をふらつかせながら、シノは唇を尖らせる。幼い子供のような仕草に、メグは首をかしげる。
 普段のシノとは違う子供っぽさに、反応が遅れたメグにシノは更にうな垂れてしまう。
「結局、迷惑かけました。料理に夢中で、仕事もちゃんとできてないし、こんなんじゃだめですよね」
「そんなこと」
「あるんですっ」
 顔を上げたシノの目には涙がたまっている。それでも零さないようにシノは目に力を入れている。
「……」

 そのまま黙ってしまったシノの頭に、メグの手がそっとのせられる。

「前も言ったよね。俺は、君に救われてるって」

 メグの言葉にシノは無言で返す。

「昔の俺は、とんでもない完璧主義者だった。たった一つの過ちも、不手際も認められない、そんな人間だった」

 だから逃げられたんだけどね、とメグはぽつりと呟く。

「修行時代って言うの? 師匠に当たる人に言われたよ、いくらてめえの作る菓子が美味くても誰も幸せにはなれねえって」

 ゆっくりとメグの手がシノの頭を撫でる。

「俺は分からなかったよ。美味しいのになにが悪いんだ、なにが間違ってるんだ。
 なんで菓子を作ってるんだったのか、忘れちゃってたんだ」
「……メグさんは、どうしてお菓子屋をやってるんですか?」
 俯いたシノが問いかけると、メグは呆けた顔をしてから小さく笑う。
「俺の作った菓子を食べて幸せになってもらいたい人がいるから、かな。
 そう思えるようになったのは君がいたからなんだ。信じないかもしれないけど、本当に救われてるんだ」

 それは、メグの心からの言葉だった。
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Re: ランジェの恋心 ( No.9 )
日時: 2011/07/03 20:14
名前: 春姫 ID:UeDtOhT.

 お湯の沸ける音が聞こえて、のそのそと立ち上がる。
 すでにふたを開けて準備万端のカップ麺に熱湯をかけていく。シノの目はパティスリー・ランジェにいるときとはまるで違う、深淵を覗き込んだように黒ずんでいた。
 傍らにあるタイマーのスタートを押して、結っていない髪を手で弄る。

「早く……明日にならないかな」



――9. 言葉にしたくない



「すいません、待たせちゃいましたかっ」
「いや、まだ五分前」

 息を切らせながらも謝るシノはいつもより女の子らしい服装に包まれている。
 いつも二つに結わいている髪は下ろされ、全体的に白でまとめられた服装にメグは思わず視線を横に流す。
 定番の待ち合わせ場所の時計台の前になぜ二人がいるのか、それは一昨日にまで遡る必要がある。

「今度のお休みですか?」

 帰り道でシノが驚いた声を上げる。
 人のいない、夜の道にその声はよく響いた。

「うん。近場だけど、美味しいケーキショップがあるんだ」
「あのそれって」
「よかったら、同行お願いしようかなって」

 シノは赤くなる顔を隠すのも忘れて、メグを凝視する。
 メグはメグで、言い終わったと同時に視線をあらぬ方向に彷徨わせている。
 耐え切れなくなったメグが思わず「嫌だったらいい」と言おうとしたところで、シノが声を出す。

「嬉しいです。何時にどこにいけばいいんですか」

 薄ピンクに染め上げた頬を持ち上げて微笑むシノに、メグは眩暈を覚えた。
 それがほんの一昨日の話だ。

「早いね」
「あ、その、服が昨日決めれなくて、今日の朝早くに起きても決まらなくて、もう適当になっちゃいました。
 髪もセットしたんですけど、あれ、走っちゃってぐちゃぐちゃに……あ、そんなことどうでもよくて。
 メグさんを待たせるのが申し訳なかっただけです、はい」

 手を大きくばたつかせたり、困ったように首を振ったり、大げさな動作を繰り返すシノに思わずメグは噴出す。
 シノは子供っぽい自分に落ち込んだのか、がっくりと腰を折ってしまう。
 それがどれだけ、メグのウィークポイントを狙い撃ちしてるかも知らずにだ。

「えらいね。可愛い」
「―――へっ!? いや、全然です。かわっ、可愛いなんて……あ、服がですよね、あはは」
「いや、君が」

 さらっと言うメグだが内心大変なことになっている。
 慣れない事はするもんじゃないな、メグは今は感情を表に出せない自分に感謝した。
 それなりに人通りのある場所だ、二人に少しずつ視線が集まる。

「行こうか」 

 自然に差し出される手に、勘違いしてしまいそうな自分をシノは叱責してから、自分の手を重ねた。
 年の差が、メグの愛情表現を優しさに置き換えてしまう。
 今はまだ妹扱いでもいい、なんて見当違いな思いを抱いてしまう。

 それなりに人の多い道を二人で歩いていく。途中、人にぶつかりそうになるたびに、メグはそれとなくシノを自分のほうに引き寄せる。
 通行人より頭一つ飛び出ているメグに、人の背中しか見えないシノは引かれる腕に従うしかない。
 喧騒が二人の心臓の音をかき消す。なのにつないだ手から伝わってしまいそうで、少し怖い。
 言葉が出てこないのに、シノは満たされた気持ちだった。それは多分、メグも同じだろう。

 メグと二人でいるとき、シノはいつも一人の部屋を思い出す。暗い、薄暗い、ほの暗い、家を思い出す。
 その後はパティスリー・ランジェの外観が思い浮かび、幸せな気持ちになる。
 メグと二人のときだけだった。
 シノが幸せだと感じれるのは、メグといるときだけだった。
 幸せを逃がさないようにか、シノはメグの手を強く握り締めた。その方法以外に、この気持ちの伝え方が思いつかなかった。
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Re: ランジェの恋心 ( No.10 )
日時: 2011/08/21 19:58
名前: 春姫 ID:bfle72gQ


――10. 金の獅子


 5mmにスポンジをスライスし、半径5mmのセルクルで抜いていく。
 それをシートのひいたばんじゅうに並べていく。
 指定された分を終えて、次の仕事に取り掛かる。すぐ側ではメグがホールケーキのナッペを真剣にやっているのが見えた。
 最初の頃よりもシノが手伝う仕事が増えていった。
 その事実が嬉しくて、シノは個人的にお菓子の勉強も進めていた。その甲斐あってか、メグに褒められることも増えてきている。

 シノはメグには伝えていないが、卒業後はメグの店で働かせてもらいたいと考えていた。
 そのためにも早く仕事を覚えようと奮起しているのだ。

「終わった?」

「は、はい! 次はどうしましょうか」

 隣に立つメグに思わず、一緒に出かけた日のことを思い出してしまう。
 自分よりも高い背に引かれる腕の強さがいまだにシノに色濃く残っている。

「悪いけど、お使い頼んでもいいかな。コーヒーのミルクと砂糖が切れちゃって、お願いできる?」

「分かりました。行ってきますね」

「気をつけてね」

「はい! すぐに帰って来ますからね」

 メグに渡されたお金をポーチに入れて、裏口から店を出る。近くにコンビニがあったので、そこで済ませてしまおう。
 そう思って歩き出すと、一人の男性がシノに近づいてきた。
 メグとは違う眼が痛いほどの金髪に、顔を隠すようなサングラスとごちゃごちゃとした装飾品が男の近寄りがたさをより一層際立てた。
 思わずシノは男を避けるように道を明けてしまったが、男は気にせず歩き続けている。
 しかし、すれ違った瞬間に男は強くシノの腕を掴んだ。遠慮のないそれに、シノは痛みに顔をしかめる。

「な、なんですかっ」

「君さあ、今このお店から出てきたよね、従業員?」

 サングラスを外した男の赤い瞳が、品定めでするようにシノを見つめている。

「私は……っ」

 元々異性に不慣れなシノにとって、強引な男の口調は恐怖でしかなかった。震える腕を誤魔化しきれず、喉は意味もない音ばかりを発する。
 男はそんなシノを物珍しそうに見るだけで他に何も言わない。
 シノは混乱した頭で懸命に言葉を探すが、恐怖でひきつった口は思うように動いてくれない。

「……メグ、さ……」

「その子から手を離せ」

 作業着のままのメグが、シノの腕を握っていた男の手を無理やり放す。そして、さきほどの男とは似ても似つかぬ力加減で、そっとシノを引き寄せた。
 背中に隠されてしまったシノにメグの表情は伺えなかったが、雰囲気だけでもメグが怒っていることが分かった。
 先ほどまでの恐怖が、今はメグに対する思いにかき消されるのが分かる。

「よお、西木。まだこんなしけた店を続けてたんだな、とっくに諦めたかと思ってたぜ」

「……なんの用だ」

「別に用なんてねえよ。んー……ひやかし?」

 笑う男――――轟は獰猛な表情でメグを挑発する。

「俺の誘いを断って、こんな辺ぴな場所で埋もれてるお前を笑いに来てやったんだよ」

「それは暇で羨ましいな。うちの従業員にこれ以上の手出しはやめろ」

 普段は口数の少なく感情をあまり露にしないメグが、ここまで剥き出しにするのはシノにとって初めてだった。
 それほど目の前にいる轟との関係が深いのかもしれない。
 シノは思わずメグの服を強く握り締める。恐怖もあったが、メグがどこかに行ってしまうような気持ちを抱いたのだ。

「はあん」

 轟は何を感じたのか、納得したように嫌らしい笑みを浮かべる。
 そこで後から見慣れたトラックが現れた。トラックには大きく「林果物店」と書かれている。


「やっほー二人ともそんなとこでどうしたのー?」

 間の抜けた光の声が、今だけは救いの声に聞こえた。
メンテ
Re: ランジェの恋心 ( No.11 )
日時: 2011/12/15 12:37
名前: 春姫 ID:u5aRmloI

――11. 意外性の重要性




 光さんは、いつものような優しい笑顔で笑っている、けど、目の前の怖い人に向ける笑みは、いつもと違った。
 自分の真意を探らせないような、薄い膜を張った笑みを浮かべ、男の人と対峙している光さんは、怖いながらも頼もしく思える。
 三人とも知り合いのようだけど、関係は良いとは決して言えない様な物らしく、更に男の人の言葉を聞く限り、男の人はメグさんを引き抜き? しようとして失敗しているようだ。
 光さんは、メグさんのことをいつも気にかけているから、メグさんの邪魔になる人に対して、きっと容赦はない。


「轟くんじゃない、いつ振りかなあ、メグちゃんの入院以来? 相変わらず警戒心バリバリの服装だね」

「そういうお前は、西木の金魚の糞の、なんだったか、一々下々の名前を覚えてやるほど、暇じゃないんでな」

「光くんのことを忘れるなんて、轟くんったら、老化? 高認知障害? ワーカーホリックもほどほどにね」

「光、ああ、そんな名前だったな、あんまり本質と正反対だったもんでさっぱり出てこなかった、お前には根暗、なんかがお似合いじゃないか?」

「あはは、笑えない冗談は相変わらず健在のようで安心したよ、轟豪くん、GOGOってまさしく君のためにある名前だよね」


 目の前で繰り広げられる、収拾不可の言葉のやり取りに、目が回ってしまう。
 メグさんは、既に二人の事は意識から外してしまったのか、私の体をじーと見ている、恥ずかしくて身を捩ると、メグさんは安心したような息を吐いた。
 どうやらメグさんは、私に外傷がないか見てたらしい、つかまれた腕はまだ少し痛むけど、他には何もされていない。
 どうしてこうなったのか、聞きたい気持ちはあるけど、今はそれよりも――――おつかいを再開しなければいけない!


「あ、あの、メグさん、私おつかい行って来ます」

「ん、ああそうだね、お願い、俺も店戻るけど、気をつけてね」

「はい!」


 優しいメグさんに頭を撫でられて、ほんわりとした気分になってしまう、いけないいけない、しっかりと気を引き締めないと駄目だ。
 そうそう轟、さん? みたいな人はいないだろうけど、心構えは重要だ。
 頼まれた品物はミルクとシュガー、お客様は早々来ないけど、来てからでは遅いのだ、タイムロスしてしまった分を取り替えそうと、足早にコンビニに向かう。
 その後では、未だに光さんと轟さんが言い合いをしている、その所為か、彼らの周りにドス暗いオーラのような物が見える気がする。
 買い物が終わる頃には終わってますように、そう祈った。


      *


 おつかいは安心に終わり、足早に店を目指す途中で、普段は決してないであろう人だかりが視界に入った。
 絶対あの二人だ、思わず足を止めたくなるけど、行かないわけにはいかない。
 店の前まで行くと、どうやら人だかりは女性が中心の物らしい、いつかも、光さんがそこに立っているだけで、女性の人だかりが出来た事がある。
 そこに轟さんのような、威圧的だけど男らしい人がセットでいれば、うん、出来ちゃうだろうな、人だかり。
 なんとかそれを避けるようにして、裏口から店に入って一息つく、やっぱりここが一番安心できる場所だ。


「おかえり、外騒がしかったけど、平気?」

「はい、大丈夫です……光さん目立つから」

「あれは学生の頃から変わらない、どうせなら客として店に連れてくればいいものを」

「ふふ、そうですよね」


 メグさんの言葉に、無意識に入れていた力が、抜けていくのを感じる。
 私も仕事に戻ろうかな、服を着替えるために別室に移動しようとしたところで、裏口の扉が大きく開いた。
 入ってきたのは光さんだったけど、後から追うように轟さんまで入り込んでくる。


「ど、どうしたんですか!?」

「……一時休戦だ」

「女の人って、集まると無敵だよね、ほんと」


 何かあったというのは一目瞭然だった、二人の服が何故か乱れているし、顔色も悪い、何をされたまでは分からないけど。
 メグさんは疲れたのか、もう二人を見ようともしない、私はそんなメグさんの代わりに、二人のために珈琲を入れることにした。
 轟さんに淹れる必要は無いけど、酷く青ざめた顔を見ていると、少し不憫になってくる。
 まずは慣れている所為か、既に回復している光さんに、次にまだ震えの残す轟さんにカップを渡す。


「ありがとーシノちん、大好きー」

「いったい何があったんですか? 服も、あ、ちょっと破けちゃってますよ」

「うーん、最初は俺たちの会話を、遠巻きに見てるだけだったんだけど」


 話を聞くと、どうやら轟さんと光さんの関係を問いただされたらしい、よく分からないけど、友達、とか友達以上? とか、問い詰められた、と、光さんは言う。
 普段なら、光さんの職業とか、彼女の有無を聞かれるらしいけど、今日は違ったらしい。
 轟さんは轟さんで、最初は威圧的に女性たちを蹴散らそうとしたんだけど、様子を見る限り上手くいかなかったんだろう。


「よく分かりませんけど、当分外に出られませんね」

「俺はいいけどね、慣れてるから、でも轟くんって意外と女の人慣れしてないからさ」


 意外なのはそっちです、と思わずツッコミたくなる、轟さんが女性慣れしてない、というのは些か疑問が残る。
 確かにメグさんのようなエスコートは無理だろう、光さんのように上手くあしらうのも得意には見えない、でも意外な事に変わりはない。
 思わず轟さんのほうを見ると、可愛らしく両手でカップをもって、湯気をぼんやりと見ている、この人何しに来たんだろう。
 更に見ていると、カップに口をつけて、ちびちびと舌で舐めるように珈琲を飲んでいる、見た目とのギャップが大きい人だ。


「苦い」

「あ、ごめんなさい、今ミルクとシュガー持ってきますね」


 第一印象から、勝手に珈琲はブラックだと思っていたので、慌てて買ってきたばかりの袋を開ける。
 差し出されるカップに、戸惑いながらそれらを入れてティースプーンで混ぜてあげると、表情にあまり変化は無かったけど、幾分和らいで見える。
 きゅん――――これは、今まで警戒心バリバリの野良猫が、ふと気を許してくれた時のような、そんな胸の高鳴りによく似ている。
 さっきまでの獰猛さはなりを静めてしまったし、本来はこういう人なのかもしれない。
 そう思うと、三人の関係は存外悪くないのかもしれない。
 だってメグさんの入院以来ということは、この人はもしかしなくても、きっとメグさんのお見舞いに行ったんだろう、憎まれ口を携えながら。
 その光景は、まるで見てきたかのように鮮明に思い描ける。
 最初に感じた恐怖は、もう微塵も残っていない、むしろ轟さんのことがもっと知りたくなったくらいだ。
メンテ
Re: ランジェの恋心 ( No.12 )
日時: 2012/04/05 23:23
名前: 春姫 ID:m5sEFxvw


 今日は帰る――――それだけ残して轟さんは、パティスリー・ランジェを後にした。様々な意味で印象に残る出会いだった、と、私は後で思う。メグさんは、もう来なくていい、なんて言っていたけど、私は是非もう一度会いたい。
 メグさんが学生の頃ってどんな感じだったんだろう。ふと想像してみる。今と少しも変わらないのだろうか、それとも今よりもっと子供っぽかったのかな、私と同じように、ちょっとのことで落ち込んだり舞い上がったりしたのかな。どんな想像もしっくりこなくて、そもそも学生服を着たメグさんなんて思いもよらない。だって、私にとってのメグさんはこのパティスリー・ランジェで、白い作業服で、金髪で、煙草で……大人なんだ。
 自室のベットで膝を抱える。私がメグさんと同じ大人だったら、メグさんと同じ目線で隣に立てたのかな。もし、メグさんが私と同じ学生だったら、私たち出会えたのかな。

「ケーキ食べよっと」

 かぱっと開いた冷蔵庫の中らから白い冷気が流れ出てくる。空っぽの冷蔵庫の真ん中に、お店で余ったケーキが入った紙ケースがどん、と構えている。電気ケトルがお湯が沸いた事を知らせる。紙パックの紅茶はお手軽で重宝する。あっという間にティータイムだ。
 お皿に乗せたケーキはまるで宝物みたいに輝いて見える。フォークで一口サイズにして口に運ぶ、それだけで私は幸せになれる。一個のケーキがお腹に入ると、もうそれだけで満足だ。
 一息ついて時計を見る。もう遅い時間だ、明日も早いんだからもう寝ないといけない。

「お母さん、今日も帰ってこなかったな」

 随分聞かない「ただいま」を私は後何日待てばいいんだろう。


――――12.私がパティスリー・ランジェを好きな理由


 初めて食べたケーキの味を、私は今でも覚えている。
 ありふれたショートケーキだった。生クリームと苺、それを挟むスポンジ、とてもシンプルで決して凝ったお菓子じゃないけど、涙が零れるほど美味しかった。それはお母さんがお誕生日に買ってきてくれたケーキだった。確か七歳の誕生日だったと思う。ワンホールまるまるをプレゼントされた私は、その大きさに圧倒された。一人じゃとても食べきれない、私がそう言うと、お母さんが笑って、じゃあお母さんと一緒に食べようねって、言ってくれた。
 あのケーキの味を私は忘れたことは無い。あれは紛れも無く“幸せの味”だった。口の周りを生クリームで汚しながら笑った、あの日で時が止まってしまえばよかったのに、私はよくそう思う。
 でも、メグさんが時を進めてくれた。
 パティスリー・ランジェは、たまたま見つけたケーキ屋さんだった。その頃はとにかくいろんなお店でスイーツを買っていた。どんな名店も、コンビニスイーツも私を満足はさせてくれなかった。なのに、パティスリー・ランジェのショートケーキは、こじんまりとした外観を覆すほどの衝撃を私に与えた。

 幸せの味だ。

 私は一口食べた瞬間にそう思った。ずっとずっと探していた物を見つけた私は、次の日もパティスリー・ランジェを訪れた。けれど店は閉じていた。あの無愛想なお兄さんもいなかった。まるで白昼夢のようだった。
 諦められずに何度も通った。あのケーキをもう一度食べたかった。一口でいい、ほんの一欠けらでいい、またあの味を味わいたかった。

「……従業員募集……」

 ドアの張り紙と、OPENの看板を見つけた時、私はもう無我夢中で店に飛び込んだ。もう幻にしたくなかった。この手で捕まえて、どこにも逃がしはしない、そんな思いだった。
 夕暮れの淡い光の中にいるメグさんは、その時も今も私の心の支えだ。





「おはようございますメグさん!」

「……おはよう」

「今日も一日頑張りましょうね!」

 私はパティスリー・ランジェが大好きだ。そこの店主であるメグさんも大好きだ。そのメグさんが作り出すスイーツも大好きだ。
 例えメグさんと同じ目線じゃなくても、同じ立場になれなくても、私はずっとメグさんの隣にいたい。それが、私の今の夢だから。
メンテ

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