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[24] 殺人アクアリウム
日時: 2012/12/14 20:54
名前: エシラ ID:Vbgk9Dfs

これまでのあらすじ。


友達(笑)が何者かに殺され、臨時休校。

私はカラオケに行きました。

おしまい。







それでも、君の所為で物語は続くのでした。







1.Hello >>1-8
2.Helter Skelter >>9-13
3.Twenty First Century Schizoid Man >>14-15
4.Jane Doe >>16-20
5.Paranoid Android >>21-25
6.The Aquarium Of Murder >>26-28
メンテ

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Re: 殺人アクアリウム ( No.24 )
日時: 2012/11/15 21:15
名前: エシラ ID:eADqlp3o


 耳に押し当てられたのは携帯電話だったようで、今度はラジオを録音していたようだ。私はあまり気力もないまま泉くんを静かに見つめた。泉くんは携帯電話を閉じ、私を見下ろす。その瞳はいつもの泉くんだ。なのに、昨日にまして少しばかり覇気のようなものがある。静かな、見つめているだけで威圧されてしまうような凄み。私は何も言えず、耳を傾ける。まだ喉は痛い。全身が痛い。頭も痛くなってきた。
「さすがに大人の男を殺すのは大変だったなあ」
「……」
「お、だんまり? だんだん反抗的になってきたね。やっぱり僕に怒ってるんじゃないの?」
「……怒ってないよ」
「ふーん。この担任の先生にはお世話になったのかい」
 山本先生には、お世話になった記憶はない。記憶なんてないけど、担任だし数学を教えてもらっていたんだ、もしかしたら忘れただけでどこかでお世話になったかもしれない。好きではなかった。しかし嫌いじゃなかった。普通の人。私にとってはよく言う『どうでもいい人』の域だった。しかし彼も殺された。泉くんによって肉の塊にされたのだ。そんな先生の破片はふわふわと水槽を漂っている。水槽の水が他のものに比べて少しだけ濁っているのは、脚や腕、首などよりも範囲の広い肩から胸にかけての部位だからだろうか。心臓もあるだろうし、血を吐き出したのだろう。それでもやはり色は水色で、この水族館を不気味に照らし続けている。その中央に座って拘束される私。そして私を見下ろす泉くん。この構図に何の意味がある。いつまでも答えてはくれない。答えはいずれわかる? わかるわけがない。圧倒的な理不尽は時間の経過で解決する問題ではないというのに。
「……まさか、毎日誰かを、殺しているの……?」
「ああ、そうさ。最近はなかなか皆外を出歩かないから大変なんだよね」
「……目的は、何」
「君に話したところでどうしようもないだろう。自分で気付かなきゃね」
 泉くんは私の鼻に人差し指をピンと一瞬だけ押し当て笑い、水族館から出て行った。
 ……気付く?
 この状態で気付けることがあるのだろうか。私は拘束されているんだ、外部のことは何もわからない。わかることと言えば、毎日目覚めたら増えている誰かの体の部位。そして泉くんが見せてきたり聴かせてくるニュースやラジオ。『パーツ』の持ち主――つまり、誰が殺されたかということだけだ。その程度の情報で私に何を気付くことができる? 腕は縛られ喉も掠れている。頭も痛いしろくに思考を回転させることはできない。そんな私が何に気付くことが出来るっていうの。自分で気付かなきゃね……? ということは、私は、自分で気付く要素を――泉くんの目的を、自分で気付くことが出来る状態ということなのだろうか。
 わからない。
 今まで、考えることを放棄してきた罰か。
「……ざまあないよ、ばーか」
 私は俯いて、自分を罵った。





 次の日は、東側の水槽にお母さんの首が入れられていた。
「…………」
 なぜ、お母さんが。
 私の疲労困憊の瞳が捉えた母の首は、姉さんのように美しくなく、反吐が出るような醜いものであった。もし美術品であるとするならばそれはタイトルとして『恐怖』と名がつくだろう。それほどまでに眼球は飛び出し、口はひん曲がり頬はすり減ったように皺を見せている。元は美人だと言われていたのに死に顔と言ったら本当に醜いものだ。姉さんの安らかな眠り姫のような顔立ちとはまるで違う。私は自分の前髪の隙間からお母さんを見つめた。だけどそれは見るに堪えない。何も感じない私が見るに堪えないということは、それはまさに見つめるに値しない下賤なものだということだ。あんなものを見ているともっと精神がやられる。私にそんな余裕はないというのに。
「とうとうお母さんが殺されちゃいました、ちゃんちゃん」
 後ろから声がする。
 私は顔を上げずに床を見つめたまま、唸るように声を絞る。
「……どうして、母さんなの」
「まだわからないのか? 君は学力の高い人間が集まるA組の生徒なんだぜ。そろそろわかってほしいところなんだけどなあ……ところで」
 泉くんが私の視界に入るように携帯電話を差し出してきた。
 その画面には、アドレス帳が映っており、カーソルは「岬さん」に向いていた。
 岬、さん。
 頭上から泉くんの声が降ってくる。
「岬さんを殺したいと思ってるんだけどさあ、彼女、今行方不明なんだよねえ。君が監禁されたのとほぼ同時に行方不明になっちゃってね。君の携帯から一度電話を掛けたんだけど、僕だってわかるとすぐに切っちゃうんだよ。だから」
「……だから?」
「君の声を聞かせて、取引をしようと思ってね。君の声で電話してほしいんだ」
 私はそこでやっと顔を上げる。
 気色の悪いほどの笑顔だった。
 こんなにも能面のような笑顔は見たことがない。優しすぎる。裏がなさすぎる。真っ白だ。笑顔。それだけで全てを形容し終えるその表情に私は言葉を失った。つまりそれは何も感じていない。岬さんを殺すために私に電話しろと言っているというのに、その表情はまるで何も意に介していないかのようだった。
「今からコールするよ。出たら、とりあえずは今どこにいるのか訊いてほしい。まあ岬さん相手だから一筋縄にはいかないだろうけど」
「……」
 泉くんが私の携帯電話のボタンを押すと、スピーカーから番号を読み込む音が流れ――泉くんは私の耳にそれを押し当てる。私は腕を縛られている。泉くんにそうしてもらわなければ通話はできない。私はなすがままにそれを受け入れ、コールに意識を集中させる。しかし出るのだろうか。一度泉くんは私の携帯電話を使って岬さんに電話をかけ、切られている。だったら岬さんが出る確率はそれなりに低いんじゃ。私はなるべく出ないことを願った。
 ……なぜ。
 なぜ、出ないことを願った?
 どうして?
 岬さんは、どうでもいい人のはずだろうに。
 友達じゃない。あんな人は私の本質に触れてなんかいないだろう。私が死に関していつも嘲笑うように他人事でよかったーなんて笑ってる奴だなんて知らない。私の本質を知らない、勝手に友達になってくれやがったような人だ。私なんかとは友達じゃないし、関係ない。どうでもいい人のはずなのに。
 なんで、なんで出るなって、思っちゃったの。私は。
 ……。
 ……――。
「はい」
 出た。
「……もしもし」
「――氷室さん、ですか?」
 最初の言葉はすごく低い口調であったのに、私の声だと気付くと急に驚いたようにトーンが跳ね上がった。
「……ご無事でしたか」
「……うん」
「以前あなたの携帯から泉さんが掛けてきました。そして今、あなたの携帯からあなたが掛けている。ということは……あなたと泉さんは拠点を共有している。そうですね」
 私はちらっと上を見、泉くんの表情を伺った。私は監禁されている身だ。泉くんにとって不都合な質問に答えるべきかどうかは判断が難しい。泉くんは何も言わないで笑顔でいる。どうして笑顔でいるのか、そこが分からないから不気味なのだ。私に彼の気持ちを推し量れる何かはない。何か答えの指示をするならしてほしいが、岬さんの声はスピーカーで泉くんにもきちんと聞こえているはず。それなのに何も指示がないということは……正直に答えていいのだろうか。
「そう、だよ」
「……当然場所は言えないのでしょうね。恐らくこの電話を掛けているあなたの傍に泉さんがいる。そうですよね、泉さん」
 岬さんが電話を通して泉くんに声を掛ける。すると泉くんは電話を取り上げ、自分の耳に押し当てた。どうも私に所在地を尋ねさせるのは失敗だと踏んだのだろう。以前電話したのなら失敗するに決まっている。だがそんなのは泉くんもわかっていただろう。私の声を岬さんに聴かせて、心理的な揺さぶりを掛けるつもりだったのだろうか。
「そうさ。氷室さんは今、縛られて動けない状態だ。僕が彼女に電話を掛けさせた」
「……それで、何の意味があると?」
「当然あるに決まっている――岬さん、取引をしよう」
「……取引?」
「僕はね、岬さん。君を殺したくて仕方がないんだよ。だからさあ、そろそろ出てきてくれないかな。君が大人しく僕に殺されてくれれば、氷室さんは解放しよう。どう? 君の命と引き換えに氷室さんを解放する。なかなかいい取引だとは思わないか?」
 泉くんは電話をしながら私に目配せする。その瞳はどうしようもなく軽やかで爽やかで、好青年としか形容のしようがない一般的に見れば好感触なもの。しかし私にとってそれは気持ちの悪いものでしかない。これほどのことをやっておきながら、それほどの残虐な取引を持ちかけながらどうしてそこまで優しい目をしているのか。いつまでもその瞳のままでいられるのか。不明だ。何もかも不明なままだ。私も泉くんと同類だけど、私は残念ながら自分の外見や普段の素行を外側から見ることはできない。だから今までの私も今の泉くんと同じように、どんな状況でも何事も感じないかのようにあんな瞳をしていたのかもしれない。だけどそんなのは今は関係ない。泉くんは六人を殺し、さらに次のターゲットであるという岬さんに殺すとまで言っている。それなのに、どうしてそんな表情のままでいられるのか。
 スピーカーONの携帯からは、向こう側の岬さんの声も私に聞こえてくる。
「……待ってください。それは取引ではありませんね」
「どこが? 君の命と氷室さんの身柄。これは対等な取引さ」
 どう考えても対等とは言えないが、岬さんがどう出るのか私には測りかねる。岬さんは私を友達だと思っているのだ。私は彼女を友達だとは思っていないけど、向こうは……だからこそ出方がわからない。私の身柄を引き換えに岬さんが死ぬ? オッケイ、それでいこう……と以前の私なら考えていたかもしれない。だけど私は――……私は今、自分のことがどうしようもなく大事だとは思えていない。他の人が死んでも私が助かってよかった、なんて思えないのだ。別に他の人が死んでも確かに悲しんだりはしない。だけど……姉さんが死んで、その死に悲しめない私なんてクズでしかないって気づいて。だからこそ、今は私は死にたい。死にたいって、拘束されてずっと考えている。
 だから、この取引はするべきではない。
「対等ではありません。私にリスクが存在しません」
 岬さんの冷静な声が響き渡る。
「私が持っている物は、私の命。そして泉さんが持っている物は、氷室さんの身柄です。これを互いに交換します。これは確かに表面上は『取引』であると言えましょう。しかしこの交換は、一般的な『誘拐犯と人質、それに対する身代金』とは違います。なぜなら私には『拒否権』が存在し、私があなたに従わなければどうするか、という部分が提示されていないからです」
 項垂れながら私は考える。なるほど、例えば今の場合、誘拐犯=泉くん、私=人質、岬さん=私の親族、身代金=岬さんの命、という構図になる。一般的なものであれば、もし岬さんが自分の命を差し出さなければ私は殺される。犯人が『○円用意しろ、さもなくば人質を殺す』と宣言するのが定石だからだ。だけど泉くんはそれをはっきりと明示していない。岬さんが自分の命を差し出さなかった場合の処置について触れていないのだ。ただなんとなく『私の命が危ない』と勘違いしそうなことではある。実際先ほどの泉くんの言葉だけであれば、岬さんが命を差し出さないと私が殺されてしまいそうな言い方だ。だけど、殺すなんて言っていない。私を殺すなど泉くんは一言も言っていない。そこを岬さんは引き合いに出したんだ。
 泉くんはあまり間髪入れず、手をひらひらさせながら返答した。
「さすがだね、探偵さん。できればそこには気付かないでほしかったけど……確かに、君の命を差し出さなかったら僕がどうするかということには触れていない。というよりも、できれば触れたくなかったんだ。でもまさか気付いちゃうなんてねえ……今のもそうだが、君の所為で僕の計画はいろいろと台無しだ」
「いろいろ?」
「僕はね、本当はもっといろんな人を殺そうと思ってたんだ。氷室さんのお姉さんを殺すのはこんなに早い段階じゃなかったはずなんだよ。でも、君が変な罠みたいなの仕掛けるから僕の計画は前倒し。まだ二人しか殺してなかったのに氷室さんのお姉さんを殺さなきゃいけなくなった。それだけのことさ」
「……その計画とは、なんなのです? なぜそこまで残虐を尽くし人を殺すのですか?」
「そんなことは君が知る必要はない。君の質問に答えよう。岬さん。君が僕に大人しく殺されてくれるのであれば僕は氷室さんを解放しよう。しかしもし君が僕に殺されないというのであれば、僕は氷室さんを拘束したまま、殺人をさらに続けていく。どうだい? これで取引になるのかな?」
 これは岬さんにとって悩む問題だろう。
 岬さんの信条は『私の嫌いな人・悪人が殺されれば動かない。私の好きな人・無関係な人が殺されれば動く』というものである。であれば、次に殺されるのが誰かによっては岬さんは動かない。例えば次に泉くんが殺そうと狙っているのが岬さんの嫌いな人であったなら、岬さんは命を差し出さないだろう。しかしその次が――例えば岬さんの家族であったとしたら、岬さんは悔いる羽目になる。泉くんの尺度がわからないけど、岬さんがどう出るのか。私は首をだらりと下げたまま二人のやり取りに意識を向け続ける。
「……しかしそんなものは取引になりません」
「何がだい」
「私の命を差し出した後、氷室さんの身柄は解放する――しかし殺人をやめるということは宣言してませんね」
「……つくづく鋭いな。そうだね、僕は君を殺して氷室さんを解放しても殺人をやめるつもりはない」
「であれば、私の命を差し出す差し出さないが平等ではありません。こう直してください。『岬さんが命を差し出せば僕は氷室さんを解放し殺人を止める。岬さんが命を差し出さないのであれば僕は氷室さんを解放せず殺人を続ける』……どうでしょうか」
 その時だった。
 舌打ちをした。
 私は、はっと顔を上げる。
 泉くんが苛立ったように口元を曲げていたのだ。
 今まで笑っていたのに。
 何か差し障りがあるのだろうか。私は泉くんの表情の変化に驚く。しかし泉くんはそのまま、言葉を続ける。私が表情の変化に気付いたことには気付いていない。電話の向こうに集中しているようだ。
「それはできない相談だな。僕には僕なりの信念に基づいて人を殺している。ここで殺人を止めることはできない」
「では質問を変えましょうか。なぜ、氷室さんの命はここで議題に上がらないのです? 普通誘拐犯というのは身代金の交換に人質を使用します。であればこう取引を持ちかけるべきでしょう。『岬さんを殺したいので命を差し出してほしい。でなければ氷室さんを殺す』――しかしなぜそう持ちかけないのです?」
 それは確かに不思議だ。
 私の中にある疑問はいくつかある。
 なぜ姉さんを殺したのか――というよりか、溝井さん→滝さん→姉さん→野上さん→先生→お母さん、という順で殺しているけど、その順番に法則性があるのか、ということ。そして二番目に、なぜ泉くんは殺人を犯しているのかということ。先ほど信念があると言っていたけど、それはなんなのか。そして、どうして私がこうやって監禁されているのか。水族館に皆のパーツを切り取って水槽に入れておくのもわからない。とにかく謎が多すぎる。そして今浮上してきた疑問、なぜ私の命が交換にめり込まないのか。
「……岬さん、君は本当に頭がいい。もしかしたら探偵になることも可能かもしれない」
「心はすでに探偵ですが」
「確かに言う通りだ。僕の行う一連の殺人には氷室さんが生きていることが前提なんだよ」
「それはなぜです?」
「それは教えられないね」
「となると、私側に何のメリットも存在しないことになります。私が命を差し出しても、氷室さんが解放されるだけで殺人が続く。監禁されていても監禁されていなくても氷室さんが『生きている』という状態が泉さんにとって重要なものであるのなら、やはり私の殺され損です」
「ふむ。しかしどうすればいいのかな。君は僕と同じように行方をくらませている。どうしても君を殺したいのに見つけられないんだ」
「そりゃ、あなたに殺されないように逃げているわけですからね」
 岬さんがいなくなったのは、私が岬さんに指摘したようにいつでも岬さんが被害者になる恐れがあったからだろう。だから姉さんが殺され私が監禁されたと知ると、泉くんの動向のために行方をくらませた。私はこの水族館でどれだけ過ごしたかあまり理解できないけど、どうやら外では随分と動いているみたいだ。
「しかしまあ、あなたは殺人を辞めたくないし氷室さんは生かしていたい。取引と呼べるような私との交換条件がないではありませんか。だからこの取引は、成立しませんよ」
 岬さんの声が言い切る。
 私は思考に意識を沈めた。
 ……私が生きていることが前提? なぜ。先ほども私の疑問を羅列した際に考えたけど、どうして私は監禁されているのか。そして新たな疑問。なぜ生かしたままでなければいけないのか。わからない。何もわからない。とにかく酷く窮屈だということはわかる。疑問が一つも解決されないのも焦燥を煽るだけだ。泉くんがいつまでも余裕そう――先ほど表情を崩したにせよ今は前の余裕の笑みに戻っている――のも気に掛かる。私には圧倒的に情報が足りない。
「……じゃあ君は、氷室さんがこれからも監禁され続け、僕が殺人を続けることを許容するというのか? 君は探偵だというのに」
「だから、今あなたと氷室さんがいる場所を教えてもらえませんか」
「それは駄目だね。ここは僕と氷室さんの神聖な場所さ。他人の介入は避けたい。それに、君が警察に報告するというのも考えられる」
「ではどうするのです」
「交渉決裂だ。僕は殺人を続けるよ。氷室さんもこのまま監禁だ」
「……いいでしょう。私はあなた方の場所を突き止めて見せます。あなたの殺人を止め、氷室さんを助け出して見せます」
「それは楽しみだ。頑張れ探偵さん」





「うーん、上手く丸め込まれちゃったなあ。やっぱり岬さんと口で戦うのは辛いよ。彼女は探偵だ。口論や口喧嘩、論破しようにもなかなか隙もないし、重箱の隅をつつくようにやたらと人の言葉一つ一つ揚げ足を取る。そんな岬さんと電話で取引なんて無理だったか。結局岬さんの居場所もわからなかったし」
 泉くんは私の正面に立ち、電話をぷらぷらさせて溜め息を吐いた。しかし状況は何も変わっていない。岬さんの言葉は何も泉くんに影響を与えていないのだ。結局私はこのまま監禁され、泉くんは殺人を続ける。そこに岬さんが何かした形跡もないし、心をそれほど動かした感じは見てとれない。先ほど少しだけ泉くんの表情は揺らいだようだけど、今はすっかりいつもの泉くんだ。
「……次は、誰を殺す、の?」
「さあねえ。それは君の気にするところじゃない。『誰が殺されたか』。そこに着目だけしてればいいんだよ氷室さん。そういえば何も食べてないよね。何か買ってこようか?」
「……別に、お腹はすいてないけど」
「何? 元気ないなあ。もっとハイにならなきゃ。学園祭になってはしゃぐカップルみたく」
 こんな状態でハイもロウもあるわけがない。監禁されてるんだ。しかも声も出ないし体を気だるいし、食欲なんてあるわけもない。しかも私を苛むように水槽から被害者たちのパーツが私を見つめているのだ。特に姉さんの首は私の真正面に据えられている。こんな状態でどうしてポジティブになれようか。無理な話だ。死体やグロテスクな体のパーツなど気色悪さを助長するだけ。泉くんのように笑えるはずもない。それが例え、家族や愛していたはずの姉さんの安らかな死に顔であろうと。
「しかしさっきの様子じゃあ、岬さんはそうそう殺せそうにないな」
「……」
「ま、いっか。別の誰かを殺せばいいんだからね。岬さんはまた、いつかでいいや」





 監禁というのはまさしく生々しくて、私はまるで囚人のようだった。私は自分が裁判の中央に立たされ、周りを取り囲む水槽の中の死体たちにその罪を告発されている気分だったのである。お前は私たちの死に何も感じない生きる価値のない哀れで無頓着で一般人以下で何の影響力もなく、お前の中を流れる赤い血が可哀想、同じ息を吸わされている周りの人間が可哀想、と大声で罵ってくるのだった。わかってるよそんなことは。わかってるんだ。気付いたんだよ。姉さんの死で気付いてしまった。私は、何にも感じなくて、姉さんの死にも何も思えない。こんな人間は人間じゃない。人外か妖怪だ。こんなの気持ちが悪い。自分が自分で気持ち悪くて仕方がないんだ。だからわかってるよ。こういうのを罪悪感って言うの? それしかないよ。それしかないから、だから許してなんて願えないけど、だけど本当に本当に気持ち悪くて、吐き気がして、もうこんなの嫌だと何度も心で訴えているのに。
 だけど、岬さんが電話に出ないことを願っている私もいた。なぜだ。私は友達なんていらなくて、溝井さんや滝さんや野上さんの死にもそれほど悲しむことができなかった。だけど、岬さんが電話に出ることだけは少しだけ違った。出るなって。出たら駄目だって、思ってしまった。そう祈ってしまった。なんで。こんな風に誰かの保身を願うことは、ほとんどなかったのに。
 それに、岬さんは私を助けようとしている。
 私はあなたを友達だと思っていないのに。
 あなたはまだ、私を友達だと思ってるの?
 ……。
 わからない。
 わからないことが多すぎる。
 気持ちが悪い。
 だから、早く解放してほしい。
 こんなのは、痛くて痛くて溜まらない。







「……誰の、腕」
「これは沢田さんの物だよ」
 沢田さん……私と同じグループの子か。野上さんと私、沢田さんと清水さんの四人でいつも行動していたし、お昼休みも弁当を一緒に食べていた。泉くんが私に携帯電話の映像でニュースを見せる。これで七人目。今日は私が監禁され始めて何日目なのだろう。もう長い間日付を知らないし、というか日を跨いだのかどうかもわからない。泉くんも毎日毎日殺しているわけじゃないみたいで、私に殺人の報告をしに来る間隔はバラバラだ。やはり時間を空けつつ殺しているのだろうか。しかしすぐに謎は解ける。なんとニュースで、私と泉くんと岬さんが失踪してもう一週間と五日目らしい。随分と長い間私は監禁されているのだなと思った。どうやら三日に一度くらいのペースか。私が監禁されてからの被害者は野上さんと先生とお母さんと……沢田さん。沢田さんの腕は野上さんの横の水槽で、またしても無造作に揺れている。しかし私はどうとも感じず、どちらかといえば長い時間拘束されているというものが物理的に確認できてしまったので疲れが出てきていた。こんな時でも、自分>友人の死かよ。クズが。死ね。
 ただ……少しわかってきた。
 どうも殺されているのは――私の知り合いだけのようだ。知人、家族。溝井さんと滝さんはグループは違ったけどそれなりに交流あったし、姉さんは当然だ。野上さんは同じグループでよく一緒にいたし、先生は担任。そしてお母さんは言わずもがな。全て私の知り合いだ。これはかなり偏った見方で、当然誰かにとっての知り合いの可能性もある。だけど法則性や共通点を考えると……どうもそうだとしか思えない。
「ねえ、泉くん……」
「何かな」
「これは、私の……知り合い、を狙ってるの?」
 泉くんはニタァと笑った。ここに来て最上級の笑顔だった。
「やっと気付いたのか。やれやれ遅すぎるね」
「……早ければ、よかったの?」
「ま、そんなことはないけどね。でも気付いてくれてよかった」
 泉くんは私の前にしゃがみ込むと私の頬にそっと手を添わせ、頬を支えるように顔を持ち上げる。そして私を見つめ、ゆっくりと顔を近づけてきた。眼前に擦り寄ってきたその深すぎて深い瞳に吸い込まれそうになる。そしてまたケラケラ笑い、私の頬に生気のないような冷たい指を当てたまま言葉を続けるのだ。
「今まで殺したのは、全部君の知り合いだよ」
「……」
 取り込まれる、声色。
「教えてあげようか」
「……何を」
「この一連の殺人はね、君の所為なんだよ」





 それだけ言って、泉くんは部屋を出て行った。
 頬に添えられた生々しい指先の感覚がへばりつき、同様に泉くんの言葉も心の中に液体みたいにじわじわと沁み渡って心地の悪い感触を残す。私は首をガクリと下げながら、全身に伝わる言葉の衝撃に静かに耐えた。耳に反響する泉くんの言葉たち。そして、今までのことが様々にめぐりくる。
 私の所為。
 今までの殺人が、全部私の所為?
 どういうこと?
 なぜ、私が。
 中心に据えられている?
 溝井さんも滝さんも、先生も、野上さんも、沢田さんも、お母さんも。
 ……姉さんも。
 皆、私のために殺された?
 理由はわからない。
 私の所為って、なんだよ。
 肝心なところを教えてくれない。
 だけど、そんなところが余計に頭を悩ませる。
 私の「所為」……。
 私は息を吐く。
 考えられるのは……怨恨か。泉くんが私になんらかの恨みを持っていて、そのために私の関係者を次々に殺し、私に苦痛を与えている。それは確かに考えられるけど……でも、私は誰かの死に意外なほどに無頓着で、死に関してそれほど何も感じない。他人の死に、特に姉さんの死に何も感じられないから、今私は自分をこれでもかというほど嫌悪しているというのに。そんな私の性格を知っている泉くんが、私の関係者を殺して苦痛を与えようとするだろうか? そんなことでは苦痛を感じないと知っているはずなのに。
 しかし、私の「所為」という言い方ならば……私に対して報復のためだとしか考えられない。私が悪い、私のために被害者たちは殺されたのだと言いたそうな言葉。意味がわからない。私が何かしただろうか。泉くんに何か、私の知り合いたちを殺させるような酷いことをしたのだろうか。
 わからない。
 この数日間で、私は何回わからないって使ったんだ。
 本当にわからない。
 わからないから、こんなにも変な感じなんだ。
 どうして教えないんだ。
 教えない意味があるのか。
 わからない。
 わからないから、頭が痛い。





 水槽の中に、指が入っていた。
 手の指が十本、足の指が十本。
 水の底にぽつんと置かれたそれらは何も表現してこないのに、そこにあるだけで私をじっと見つめているようである。指。指指指指。それはある意味で恐怖だった。手の甲や手のひらはない。完全に指だけ。指だけなのに、そこにある雰囲気は恐ろしく猟奇的だ。
「お父さんのなれの果てだよ、氷室さん」
 泉くんが耳元でそう囁いた。
 お父さん。
 ……あれがお父さんか。
 しかし私はお母さんもお父さんもそれほど好きではなかったので、大したことではない。別に死んでも差し支えはなかった。だけど、姉さんがいたから。姉さんは父母どちらも好きだった。だから、両親が死んでもいいなんて思わなかった。両親が死んだら姉さんが悲しむ。だから生きていて。その程度だったのだ。今は、姉さんも死んでいる……今更両親が死んでも構うものか。
「そろそろお疲れかな」
「……何十日も監禁されて、疲れないわけが……ない、でしょ」
「それもそうか」
 泉くんは、いつものように笑った。

メンテ
Re: 殺人アクアリウム ( No.25 )
日時: 2012/11/30 16:56
名前: エシラ ID:31InWHPM

「それにしても岬さんは何をやってるんだろうねえ。僕の殺人を止めるだなんて言っておきながら、結局のところそれ以降何人殺した? 君を助けにくる気配もないし、このままだといつまでも止まらないね」
 泉くんは姉さんの水槽の前に立ち、表面を撫でるような素振りを見せながらそう言った。もう私が監禁されて何日目だろうか。私はこの水色を、姉さんの首を常に真正面に据えながら静かに息をしている。もういっそ殺せ、とそこまで追い詰められているわけじゃないけれど、姉さんの首が私を責めているようだった。なぜ私の死に悲しまない? 家族なのに、いつも一緒にいたのに。そう主張する姉さんの言葉を頭の中で思い浮かべるだけで、私は死にたくて死にたくて溜まらなくなる。舌を噛んで死のうかと思った。だけど私の体はもう力が入らない。何も食べていないし、痺れている。喋る程度の力しか残っていない。顔を上げたり項垂れたりする動作しかせず、縛られた腕や足が少しずつ感覚を失くしていったように思えた。
「……止めてほしいわけじゃ、ないんでしょ」
「そうだよ。殺人は終わりが来るまで続けたい。だけどね、岬さんが抵抗すればするほどに僕の目的は達成される可能性が高いって気付いたのさ。だから岬さんには抵抗してほしいし、僕に何か接触してもらいたい。岬さんを殺すのはもうちょっと後だ。早い段階で殺すつもりだったけど、予定は変更ってわけさ」
「いつまで、殺すの?」
「わからない。今は誰を殺したっけ? 溝井さん、滝さん、お姉さん、野上さん、先生、お母さん、沢田さん、お父さんか。結構殺したなあ。どう、悲しいかい?」
 泉くんが問う。
 悲しくない。
 全然悲しくない。
 ここにあるのは、死んでも悲しめない自分への嫌悪感だけだ。姉さんだけ、姉さんの死だけは確かにすこしだけ空虚な感覚はある。それでも、姉さんの死にまったく悲しめない。泣けない。こんな自分が嫌だ。気持ちが悪い。死にたい。もし皆私の所為で殺されたというのならなおさらだ。私は生きる価値がない。私が生きるより、死んだ皆の方がまだ善良で人間らしかったんだ。私なんかが、私なんかが生き残って。
「……悲しく、ない」
「悲しくないの?」
「悲しくない」
「悲しくないんだ」
 泉くんは笑った。ちょっと私から目を逸らして。
「……泉くん、私の所為ってどういう意味なの」
「そのままの意味だよ。君の所為。君が原因」
「どういう意味って、聞いてるんだよ。私の所為って、何。私が泉くんに何か、したの……? 恨まれるようなこと? 私の知り合いを殺していくほどのこと、なの?」
「……恨み、か。そんなものじゃあないよね」

 泉くんは以前言っていた。


『僕はこの人たちの言うような、猟奇的なことをすることに快楽を感じているわけじゃないんだよ。それに、殺した溝井さんと滝さんには何の恨みもない。このテレビの人たちは、快楽殺人だとか被害者に対して相当な恨みを持った者の犯行なんて言うけれど、まったく違うんだ』
『僕は個人的な恨みや理由で彼女たちを殺したわけじゃない。いや、ある意味個人的ともとれるけど、まあ恨みとか快楽とか、『僕だけの利益』のために殺人を犯したわけじゃないんだよ』


 ……恨みではない。個人的な理由ではないって言ってたじゃない。泉くんはいつもいつも笑っている。だけどそれは能面のような笑顔で、笑っているのか笑っていないのかわからない表情だった。いつもそうだ。真意が推し量れない。幼い頃からいろいろと人の心を察したり、表情から「こう思ってるんだろうな」って考えて考えて、浅はかなやり取りや交流を積み重ねてきた私。そんな私でも、泉くんの心はわからない。だけどわかるわけがないんだ。わかってはいけない。私はおかしい。頭がおかしいし狂ってる。だけど泉くんは、私とは別のベクトルで狂っている。
 泉くん自身の利益のために殺人を犯しているわけではない。私に対しては恨みとも取れる感情がある……? 一連の殺人は、私の所為。私が原因。復讐だろうか。だけど、私の知り合いを何人も殺していくという復讐手段を思い浮かぶほど、私は泉くんに何かしたのだろうか。泉くんのことは、殺人事件が始まって知り合ったというのに。遠回しに私が泉くんを知らないまま、泉くんに恨まれるようなことを? だけど、恨みではないと言ってた。もうわけがわからない。恨みじゃないのに、私に対してこんなことをする理由が浮かばない。
「うん、やっぱりこれは恨みじゃない。ちなみに復讐でもない」
「……なら、何が『私の所為』なの」
「こんなことになったのは、君がいるからさ。君を監禁し、君の知り合いを一人ひとり殺している。その意味に自分で気付いて欲しいね」
「もう、わけがわかんないよ」
「いいね、悩んでる顔」
「からかわないで」
 私は吐き捨てた。泉くんへの苛立ちが湧き立って仕方がないのに、声を荒げることができない。それほどに気持ちが萎えきって、心もいつもより穏やかじゃなくて、もっと深いところに沈んでしまったようだった。わからないことが多すぎる。知らなさすぎる。それが恐ろしいのだった。もう抵抗も無駄。声を出すだけ無駄なんじゃないかって、この泉くんには何を言っても何を叫んでも通用しないし、明確なところを教えてはくれない。そんなところが、嫌いだ。私は、私はもう、何も望んでいないのに。
「まあいいさ。僕を嫌いなら嫌いになるといい」
「もう、嫌いだよ」
 私は言った。
 そっか。
 私、泉くんのこと、大嫌いだ。
 言葉に出すと実感できる。この気持ちは――お前なんかと関わりたくなんかないと、こんな風にしてくれて本当に迷惑だと思える心は、泉くんに対する嫌悪なのだ。私は物語を好まない。平凡な毎日であり続けたかった。それをぶち壊した。殺して壊して、砕いて、また殺して。それを繰り返す泉くんは、たとえ同類でも……『友達』だとしても、私は大嫌いだ。
 私がそう言うと、泉くんは少しだけ押し黙った。
 床を見つめて、もう顔も見たくないと意思表示をする私。
 息を吐いた音が聞こえると、泉くんの声が頭上から響く。
「そうか。それは結構なことだな。それが『普通』だ」
「……」
「じゃあ僕は、また行ってくるよ。何か買ってこようか」
「要らない、よ」
「まったく困った人質さんだな。じゃあね」
 泉くんは水族館を出て行った。
 私はまた首を垂れるようにして俯く。
 真実は、まだ教えてもらえないんだね。







「今日は清水さんだね。これで君の友達グループは全滅だ」
 空っぽだった水の中に浮かぶ両足。足首から切り取られたようなそれは水槽の中で鮮烈に光る。私はもはやぼんやりとした頭を支えるのが精一杯で、それに対して恐怖も怯えもなかった。いや、そんなものは最初からなかった。あるのは、ああ、また死んだ――それだけだ。私の所為、私が原因だと断定したこの一連の殺人。私なんかのために殺されていく人たち。野上さんも沢田さんも清水さんも死んだ。確か一緒に修学旅行も行った。一緒にお弁当も食べてたし、いつもいつも一緒のグループで。だけど顔が曖昧で、頭の中に入っている写真や映像たちを必死に必死に繰ってみるのに、そこに浮かぶ人たちの表情や行動はモザイクが掛かっていたりノイズが入っていたりしている。最悪だ。別に私はあなたたちのことを友達だと思ったことなんてなかった。それでも私なんかのためにいつも笑ってくれていてごめんなさい。気持ち悪かったね。こんなのといつもいつも一緒にいてくれて、なんて気持ちの悪い思いをさせちゃったんだろう。最低だ。こっちはあなたたちの死をまったく悼むことのできない頭のおかしい女だよ。なのに、あなたたちはいつも私の傍にいたんだよね。だから、だからそうやって死にながら私を罵倒してほしい。このまま許されたら私はいつまでも自分が許せない。吐き気がして仕方がない。あなたたちの死を泣けなかった。あなたたちの体のパーツを見ても何も思えない。思えなかったんだ。だから、私は死にたいって思うのに。
 姉さんの首はいつも私の方を見ている気がして、罪悪感に駆られる。
 姉さんだけだ。
 私の心に迫ってくるのは。
 それは、肉親だから。誰よりも長い時間を過ごしたし、もしかしたら私が本当に愛していた人かもしれないんだ。誰よりも、何よりも。私は姉さんに抱きしめられたのを覚えている。泉くんが殺人を犯した夜、一人で帰ってきた時、心配したんだよと抱きしめられた。他の人たちのことはほとんど覚えていないのに、私は姉さんのことはよく覚えていた。あの温もりも、笑顔も、一緒にいた日々も。
 なのに、どうして悲しめないのだろう。
 ここにあるのは、悲しめない自分への嫌悪感と吐き気。
 泉くんに対する苛立ちと、忌避。
 私は項垂れたまま、ほとんど喋らなくなっていた。
 何日目? 元からカウントしていないのに、そんなものに意味はない。泉くんが垂れ流す誰かを殺した報告も、もう半ば投げやりに聴いていた。こんなの、もう意味がない。私の所為、私が原因。だからってどうしてこんなことになったの。こんなことをして何の意味があるの。私がすべき罪滅ぼしがあるのなら教えてよ。知り合いの死に様と向き合うことで、自分の愚かさを自覚しろとでも? だったらもうしてるよ。殺してほしいほどに、もう憎たらしいほどに自分が嫌いだ。こんなの、これ以上無理だ。
「……次は、誰を殺すの」
「そうだねえ。もう君の知り合いはほとんど殺しちゃったしなあ……」
「……岬、さんは?」
「ああ、彼女? まったく彼女にはガッカリだ。ここにやってきて殺人を止め、氷室さんを助けるなんて豪語しておいてまったく気配がない。止める気なんてないのかもねえ」
 確かにそうだ。
 でも、別に良かった。
 助けてほしいなんて思ってない。こんなのは窮屈だけど、助けてほしいわけじゃない。誰かが殺されていいわけでもない。殺されてほしいわけじゃない。もしこの状態が私への罰なら、仕方がない。泉くんの目的もわからない。でも、訳があって私はここに捕まり、死人のパーツに取り囲まれている。岬さんは無関係なんだ。ここに来るべきじゃない。私と関わるべきじゃない。泉くんと関わるべきじゃない。私なんかを友達だと思わないで。私なんかとは友達じゃないと、離れて行った方がいいんだ。その方がいいんだ。私なんかのことを考えるのは、やめて。
 私は、あなたまで失って、悲しめなかったらと思うと嫌だ。


 ……嫌だ?



「――……」
 嫌なのかな。
 岬さんに、死んでほしくないのかな。
 別に驚くことじゃないのかな。
 姉さんにだって、死んでほしくなかった。
 だけど、私の心は……姉さんが死んで、今までのものではなくなった。不安定になって、信念も価値観も何もなくなった。混沌で、ぐちゃぐちゃで、わけがわからなくなった。だから私は自分がわからなくて、だけどそんな自分がどうしようもなく嫌で、嫌いで、気持ち悪くて、醜くて。死にたいと思ったことも何度もあるのに。どうしてそう思うかって、誰かの死に何も感じないからで。
 だけど。
 今、確かに私は。
 岬さんに、生きていてほしいと願っている。
 死んでほしくないって、思ってる……?
 それは、私みたいな気持ちの悪い奴のために殺されるのは後味悪いからとか、岬さんが可哀想だからだ……。こんな奴のために死に、こんな奴のために頑張ったことなんて、岬さんが、可哀想だ。そんなの、嫌だ。岬さんが、岬さんが死んだら、何も残らないよ。私は、そんなの嫌だ。悲しめなかったら? また一つ、私を苛むパーツが増えるの? そんなの、そんなのは。岬さんが、可哀想。
 だからきっと、生きていて『ほしい』んだ……。
「……泉くん」
「何」
「岬さんは……殺さないで」
 自分の声が掠れていて、喉が痛かった。お腹の中に鉛が叩き込まれているような重さも感じ、水族館の中の香りも相まって口の中に変な液体が溜まった気もした。それでもなんとか堪えて呑み込み、息も絶え絶えに告げる。泉くんは姉さんの水槽の前で、私を見ていた。私は睨み返すように彼を見つめ返す。もう見たくないと思って俯き続けていたのに、そこにある顔をとにかく正視する。泉くんは笑っていなかった。この監禁の中で見せ続けていた、あの憎たらしいように透かした、嫌味なほどに爽やかな笑顔を失っていたのだ。そこにあるのは、無表情。完全な無表情で、無干渉を貫いたような横一文字の唇。
「どうして殺してほしくないの?」
「……わかんない。わかんないよ、そんなの――」
 頭がもう、自分では制御が効かなかった。
 もう、感じるままに、出てくるままに言葉をぶつけるしかなかったのだ。
「だけど、岬さんには……死んでほしくない。もし悲しめなかったら嫌だ。岬さんが死んで、また泣けなかったら――そう思うと、怖い。私なんかのために、もう誰かが殺されるのは嫌だ。岬さんは、もう最後なんだ。私の、私の親しい人で……最後の人。岬さんが死んで悲しめなかったら、どうするの。岬さんは私を助けようとしていたのに、それで悲しめなかったら。岬さんは死に損だ。私なんかのために、死んだのなら。悲しんであげられない。その死に涙してあげられない……だから……岬さんを殺すんだったら、私を……私を殺して」
 自分の言葉がひどく折れ曲がり、一貫性もなく、意味不明なことは気付いていた。
 だけど、私の願いは、それだけだ。
 ああ、もう岬さんなんて関係ない。
 ここは元々泉くんと私だけの世界だったんだから。
 だから、終わらせてよ。
「殺して。バラバラでもいいよ。なんでもいいよ。痛くても、惨たらしくても、首でも腕でも脚でもなんでも切断していいから。君の満足のいくように、殺して……殺してよ、ねえ!」
 私は訴えた。
 ここにやってきて、初めて声を張った。
 なのに。
 泉くんは何も言わなかった。
 殺してと、言っているのに。
 泉くんは、いつまでも黙っている。
「なんで、なんで何も言わないの……いっつもいっつも、へらへら笑ってたくせにっ……いつも私の神経逆撫でるようなことばっかり言って、私の知り合い殺しまくって、私をこんな風に追い込んでたくせに……なんで、今は何も言わないのっ……何か言ってよ。ねえ、泉くん……泉くん……」
 叫びみたいだった。自分が自分じゃないみたいで、ここにはもう私なんかいなくて、言葉と心が完全に離れて行ったみたいで。だけど曝け出された言葉が一緒に耳に入ってくる時、すっと私の中に染み込んでくるようで。そこでやっと、ああこれは私の本心だと思った。言ってることは意味不明だった。殺して殺してと叫ぶ私は頭がおかしくなったように見えるだろう。泉くんは笑わない。どうしていつも通り、何か言ってくれないのか。私は、私を曝け出したのだ。そこに空虚で、反応もなくて、完全に独りよがりの演劇のような言葉だけが響いたのなら、私は、どうやって物語を終えることができるのか。
 私は俯いて、叫び続けたために疲れた心臓を諌める息を吐く。呼吸の音がうるさくて、叫んだ声が未だに耳奥で反響する。慣れないことはしたくない。だけど、しなきゃいけなかった。岬さんを、殺されたくない。そして、私を殺してほしい。それは私の、確かな願いだったのだ。
「……氷室さん、僕は君を殺さないよ」
 ハッとして顔を上げた。
 泉くんは先ほどまでの無表情を微かに綻ばせ、ふっと微笑んでいた。
 柔らかな表情だった。
 だけど、彼の言葉は私の心に適うものではなかった。
「僕は君を殺さない。それは最初から決まっていたことだ。君を生かしたまま、君の親しい人、関係者、知り合いを片っ端から殺していく。それが僕の望んだことなんだよ」
「……なにそれ。わけわかんない……もう、はっきりしてよ」
 心に適うものでなかったから、私は、自分の気持ちを爆発させた。すでに私は私じゃない。思ったことを言えばいい。さっきだって言い切ったのだ。殺せと。だったら今更、泉くんなんて気遣う必要なんてない。こんな奴は大嫌いだ。だったらその大嫌いを、思いきりぶつけてやればいいんだ。
「いっつも、嫌いだった。そんな風に、遠回しな言葉ばっかりで……私のことも考えてよ。意味が分からないよ……何が私の所為なの……なんで、なんで皆死んだの。どうしてこんなことをしたの。どうして、どうして私は殺してくれないのっ……全部、教えてよ。もうわからないのは、嫌。こんなの、もう嫌なの。わからないままなのが、嫌……っ」
「ああ、もっと言いなよ。何が嫌なのか、言ってみなよ。僕への嫌悪感も、とにかく言ってみて」
 まただ。
 まだそんな風に笑えるのか。もううんざりだ。私はそんな泉くんの態度が苛立ち、鼻につき、叫んだ。私が叫び続けるのに、泉くんはまるで何も感じないかのように受け入れる。私は罵倒した。お前なんかと罵倒し続けた。泉くんに声が届いていないようで、それが嫌で、無理やりにでも私のこの叫びが届いて欲しいと思った。この薄気味悪く笑ってばかりの殺人鬼に、声を聴いて欲しくて。
「っ……――泉くんなんか、嫌いだ。嫌いだ、大嫌いだ。最初から気持ち悪かったんだ。人も殺すし、いっつも薄気味悪い笑顔をばっかりで……その癖、私と同類で、私のこともわかってて……なのに、私を巻き込もうとする。私は、私はこんなの要らなかったんだよ。平凡で、平穏で、何の咎めもなく……静かに生活してたかっただけなのに。君が、こんな風に……っ……君が、泉くんが私を……私と出会うからっ……出会ってしまったから……こんなにも、嫌な思いをしなきゃいけなくなったんだよ。最悪だっ……君なんか……嫌いだ……大っ嫌いだっ……」
「それで? 大嫌いな僕に、どうしてほしいの?」
「だから……殺して。こんなの、もう嫌だから。私なんか……姉さんの死にも、誰の死にも泣けない私に価値なんてない。恥ずかしいよ。人間じゃない……もう、生きる意味も何も、ない。元々ない。こんな奴のために死んだ人たちが……可哀想。姉さんも、可哀想だよ……。辛いだけ。何もかも、嫌……こんな想いするくらいなら、死んだ方がいい。岬さんも、私なんかのために命を落としてほしくない」
「岬さんは、『友達』じゃないのに?」
「……向こうは、私を『友達』だと思ってくれてるんだよ。こんな奴の、友達だと思ってる。それなのに、そのために死ぬなんて……岬さんが、浮かばれない。それに、さっきも……言ったでしょ。岬さんが死んで、また私が悲しくなれなかったら、それこそもっと嫌な気持ちになる。そんなの、嫌なの」
「本当に、それだけ?」
「…………」
 それだけなんだろうか。
 私と関係があるから死んでいく人たちが可哀想なだけなのか。
 誰かが死んで悲しめない自分を直視するのが嫌なのか。
 それだけ。
 それだけのはず。
 なのに。
 なんで、胸が、少しだけ。
「……」
 黙っていると、泉くんがポケットから携帯電話を取り出した。私のだ。何か番号を押し、それを私の前の床に置く。画面に映っていたコール先は――岬さんだった。私は驚きで声も出せず、何か心に浮かべるまでにコールが終わってしまう。画面に出ていた待機のアイコンが消滅し、『通話中』の文字。スピーカーから、澄んだ声が響く。
「泉さんですか?」
「……」
 私は泉くんに目を向ける。彼は小さく口元を釣り上げて笑っており、話せとでも言うように顎で携帯電話を差した。私は真意を測りかねたし、頭の中が揺れていることもあって話したくなんかなかった。岬さんと話したら、また私がおかしくなってしまうような気がしたからだ。すでにおかしいけれど、これから殺されるかもしれない人と会話なんて。それでもどうしようもなく、泉くんと私の名前を交互に告げる彼女の声を黙って聞いていられなくて、とうとう私は返事をしてしまった。
「……岬さん」
「氷室さんですか!?」
 驚いたような声が返ってくる。その素っ頓狂な声が普段の氷室さんらしくなかった。
 普段って……たった数日しか過ごしてないくせに。
 私は、氷室さんの事を何も知らないくせに。
 知ろうとすら、しなかったくせに。
 自分への嫌味を連ね、電話へ応答する。
「うん……」
「ご無事ですか?」
「なんとか……」
「よかった……」
 息を吐くような、安堵の声が漏れるのが聞こえた。
 よかった。
 ……よかったんだ。私なんかが無事で。



『よかった。同級生が殺されたんでしょう。私心配したのよ』



 ……姉さん。
 姉さんの声が、頭の中で再生される。
 なんで、今姉さんが出てくるんだ。 
 泣けなかったくせに。悲しめなかったくせに。姉さんのことを、今でもはっきりと覚えているのに。なのにあんなにも無表情で、何にも思えなくて……最低だって自分を罵らなければやっていかにほどに自分が恥ずかしかった。どうして姉さんの死を、重く受け止められないのか。わからない。でも、姉さんの死は私の心を確かにかき乱した。
 ああ、そうか。
 姉さんの死が、私を壊したんだ。
 そして、少しずつ少しずつ。
 私は変わってしまったんだ。
 だから……こんな風に……。
 

「……岬さん、もう私は放っておいて」
「……氷室さん?」
「私を助けようとしたら、岬さん、殺されちゃうよ。私なんかのために、頑張る必要なんてない」
「何を言ってるんです」
「私……もう、死にたいの。生きたくない」
 言っていいのか。
 私は、私は――。
「悲しめなかったっ……皆、皆死んだのに、殺されたのに……私、悲しめなかったんだ。泣けなかった。何にも感じなかったんだ。姉さんでも……あんなに大好きだった姉さんが死んでも、何にも思わなかったんだよっ……」
「氷室さん……」
「気持ち悪いでしょ。ねえ、岬さん……姉さんは家族だったのに、大事だったのに! 死んでも、殺されても、あんな死体を見ても、何も――何も感じなかったんだっ……」
 岬さんに、告白している。
 どうかしている。
 以前の私なら、こんなことは誰にも言わなかったのに。言いたくなんかなかった。きっと誰にも理解されたいなんて思わなくて、理解してほしくなんかなくて、きっと理解できる人なんているとは思わなかった。それを話すことは私の日常を壊すことだったから。それを望まなくて、いっつも誰かを見下して、冷めたふりして、温もりなんか要らないと、そんなものは私に似合わないなんて誇らしげに騙ってたんだ。気持ち悪い。私は私が、もうわからない。もうどうとでもなれという投げやりな感覚ではない。私の命は投げやりでもいい。それでもこの気持ち悪さと吐き気は拭えない。自分の低俗で下劣な感情たちは、もう捨ててしまって構わない。
 それでも、岬さんには生きていてもらわなきゃいけない。
 私のこと。
 私のことを話せば、岬さんだって。
 私を嫌ってくれる。
「……岬さん、こんな私なんて、放っておいて。岬さんが死んでも、私は悲しめないかもしれない。そんな薄情な奴に、命を賭す必要なんてない。頑張る意味なんてない。放っておいて。忘れて。あなたは、友達なんかじゃない。私は、岬さんを友達だなんて思ってない……だから、だからもう私なんかを助けようだなんて思わないで」
 嫌ってくれなきゃ。
 嫌ってくれなきゃ、岬さんは。
 私なんかのために。
 殺されてしまう。
 死んでほしくない。
 死んでほしくないよ……。
 私の言葉が虚しく反響し、床に投げ出されたままの携帯電話が沈黙する。
「――だからって、はいはいと諦めるわけがないじゃないですか」
 岬さんの声が聞こえる。
「友達っていうのはですね、一方的でも構わないのですよ。あなたが私を友達と思っていなくても、私があなたを友達と思っていればそれでいいのです。相互に認証するのが友達ではないんですから。あなたが何と言おうと、私はあなたを助けます。どうやら泉さんはいろいろとやってたみたいで……今までずっと、あなたたちの場所がわかりませんでした。それで、被害者が増えてしまって……ごめんなさい。でも、ようやく場所がわかりそうなんです。迎えに行きますね」
 私は奥歯を噛みしめた。
 なんで。
 どうして、そんなこと。
 私を、なんで私なんかを、友達だなんて。
「どうして、そんなこと言えるの!? 私、私は……いろんな人のこと馬鹿にして生きてきたのにっ……誰かの死も、私の知り合いの死も全部台無しにしてきてるのに! なんで、岬さんは、そんなことが言えるの! 気持ち悪いって思わないの!? 嫌いにならないの!? こんな、こんなのって……」
 電話に叫ぼうとして前のめりになった時、椅子から転げ落ちて顎を打つ。
 体を打った痛みと顎の衝撃がじんわりと広がり、自分の言葉の途中での衝撃に喉が詰まる。みっともなく咳き込んで息を吸ったところで、自分の額に汗が浮かんでいたことに気付いた。両手足は縛られていて心地が悪いことに慣れていたはずなのに、こんなのは窮屈じゃなかったはずなのに。
「おかしいよ……岬さんは……どうして、そんなこと言えるの」
 床に顔をべったりと引っ付けたまま、目の前の携帯電話に声を掛ける。ひんやりとした床に密着し、横向きになったがために押し付けられた右耳が音を遮断する。私の声が内側から響いて、自分じゃなくなったようだった。水族館の中は今も、私なんかの心とは無関係に静かに青色を揺らす。息も絶え絶えに声を絞り出すことにしかできないような私の喉は、限界だ限界だと監禁生活の疲労を訴えている。それでも私は問わずにはいられない。私のような、私みたいなのを求める人の声を。
「どうして……」
「『どうして』なんていうのは、まったく意味のないことですよ氷室さん。お姉さんの死に何も感じることが出来ない。確かに、私には理解できるかわかりません」
 岬さんの声は、酷く優しかった。
「それでも、悲しく思えないから自分を卑下するあなたは、とても綺麗だと思います。何も感じないなんて嘘です。悲しくないなんて嘘です。あなたは悲しんでいます。自分を憐れみ、自分を悲しみ、自分を愛してます。そして、同じように私の保身を考えてくれるあなたは、十分に何かを感じて、感じるようになっているのではありませんか?」
 感じる?
 私が、悲しみを。
 憐れみを。
 愛を?
 感じるように、なっている?
「ですから、そんなに自分を責めないでください。死にたいなんて言わないでください。私はあなたに死んでほしくありません。だって、友達ですからね」
「…………」
「それではまた。お話したいこともたくさんあるので」
「……岬さん」
「はい?」
「…………私――」


 瞬間、泉くんが携帯電話をすっとかっさらい、持ち上げてしまった。私の言葉は柔らかな糸のように細く弱いものだったのに、それをなんとか言葉に出そうと心を震わせたのに、それは簡単に泉くんの手によって切られてしまった。持ち上げた携帯電話を耳に当てた泉くんは微笑み、向こう側の岬さんの告げる。
「と、いうわけで岬さん。そろそろ会おうじゃないか」
 泉くんは上機嫌なようで、言葉からも表情からも陽気なところが見え隠れする。私は床に転がったまま首を無理やり起こして泉くんを睨みつける。泉くんも私を見下ろし、白い歯を見せて笑う。私は悔しかった。こんな奴に、言葉を遮られた。こんな奴に、姉さんは殺されて。岬さんも殺されそうになっている。
 悔しい。
 苛立たしい。
 怒り。
 悲しみ。
 叫び。
 全部全部、泉くんが起こしたものだ。
 私の変化は、私のこんな感情たちは――全部、泉くんの所為で。
 私は歯を食いしばって、自分の惨めさと情けなさを悔やむ。
 何をやってるんだ私は。
 床に転がって、はいつくばって、打ちひしがれて。
 今更。
 本当に今更な想いたちを……。
 電話の向こうの岬さんが、私の時とは打って変わった低調な声で返答する。
「……いいでしょう。私としてはあなたと氷室さんがいる拠点に乗り込んでやろうぐらいの気持ちではありましたが」
「ほう。ここが何処かほとんどわかっているようだね。できれば警察には伝えてほしくないな」
「あなたを捕まえたら、通報しますよ」
「いいね。やっとこれで最後というわけだ。君はここを目指すといい。だけど、そうそう簡単には行かせないよ」
「……わかりました、受けて立ちます。あなたに今度こそ勝利してみせます」
「あはは。それじゃ、後でね」
 泉くんは電話を切り、床に落として脚で踏み砕いた。
 その大きな衝撃音が私の耳を劈き、瞬きする。
 泉くんは、まだ笑っていた。
 ただの笑顔ではなく、幸せそうな……優しい表情だった。







「もう終わりだね」
 終わり。
 何が終わり、なのだろう。
 私の知り合いが、あと岬さんだけで。
 その岬さんが、この場所を突き止めた。
 そしてその岬さんを、泉くんが殺しに行く。
 だから、終わり、なのかな。
 もう、わかんないよ。
「……氷室さん、茶番に付き合ってくれてありがとう」
「……茶番だって、自覚があるなら……最初からやめてよ」
「はは、最後まで手厳しいね。だけど、そういうところも君らしいよ」
「……?」
 

 泉くんは意味深な言葉を残して、私の傍から離れて行った。
 私は縛られたまま倒れ、身動きも取れない。
 恐らく水族館の入り口まで移動した泉くんの足音が止まり、扉を少しだけ開く音が響く。
 そして。


「どんな結末になろうと、君は受け入れるんだよ。それが僕の望んだことだからね」


 泉くんは出て行った。
 私は電話を聴いて落ち着いてしまったけど、喉に熱がこもりはじめ、嫌な予感が差し込む。
 外に出て行ってしまった泉くんに、届くかわからなかった。だけど私は叫んだ。今まで生きてきた中で、ずっとずっと出さなかったはずの大声を出した。泉くんに聞こえるように。必死に必死に叫んだ。
「やめて! 岬さんは、殺さないで! 殺さないでよっ! 嫌だ、そんなのっ! 泉くん!」
 岬さんが、殺される。
 殺されてしまう。
「泉くんっ! 泉――……」
 届くわけがない。
 私の言葉なんか、泉くんが聞くわけが。
 聞くわけないのに。
 私は声を出し続けたけれど、泉くんは結局戻ってこなかった。
 動けなくて、そんな力もなくて、声も無力で。
 倒れたまま、倒れたままで、泉くんと岬さんのことを考え続けた。







 それから帰ってきたのは、岬さんだった。
 私はその姿に一瞬声を高らかに上げようとした。
「み――――――――さ、きさん…………?」
 けれど。
 岬さんは、













 泉くんの首を持っていた。

「かくして、本物の殺人鬼の登場ですよ」
 岬さんは、血に濡れたナイフを光らせて、笑った。
メンテ
Re: 殺人アクアリウム ( No.26 )
日時: 2012/12/14 20:43
名前: エシラ ID:Vbgk9Dfs

「えっ――――――……」
 私は寝転び右半身を床に押し付けたまま、目の前に転がってきたそれを見つめた。
 泉くんの首。
 顔、目、耳、口、鼻、髪。
 血みどろの切断面。
「なっ、あ、えっ、……えっ――――」
 自分の口から漏れる声だと信じたくない、気持ちの悪い喘ぎのような小さな声が私の喉から溢れ出た。私は小さく笑っていた。その強烈な血の匂いが鼻を突くより先に、よくわからない鋭い何かが目と頬の間の空間にすっかり差し込まれたみたいな気持ちになって、私は息を忘れてしまった。
「何、これ――」
「泉さんの首ですよ」
 入り口に立っていた岬さんはゆっくりと歩み出し、私のすぐ傍にやってきた。椅子から転げ落ちてすっかり横になっていた私を抱き起こすと、片手で私の頬を、まるで汚れを拭うかのように撫でた。岬さんの綺麗な顔がキスしてしまいそうなほど目の前にあって、息が鼻先に触れる。私は笑っていたのに、いつのまにかガチガチと歯を鳴らすようになって、体を捻るようにして仰け反ることで岬さんの手を払った。拘束されているままの足首でも、どうにか後ずさるだけの動きができることを知り、かかとで床を蹴って、岬さんから距離を取る。岬さんは笑顔のまま目を細め、私の頬を撫でた手ではない方の手のナイフを見せつけるように光らす。水族館は依然として眩いほどに水色を瞬かせ、その妖艶な雰囲気が静かに岬さんの表情を色濃く映えさせた。その表情は、私がここで見続けてきた、泉くんのものとそっくりだった。
 岬さんはその場にある泉くんの首に手のひらを当てながら、私に声を掛けた。後ずさりを続けた私は、一番奥の――姉さんの水槽の台座に背中を押し当てていた。その間もずっと私は岬さんから目を離すことができなかった。岬さんの小さな機微の一つ一つが、この局面でひどく気色が悪く思えた。
「どうしてそう、逃げるのです?」
「み、岬さん、えっ? 嘘、何――こ、れ……」
「何って? 何のことです?」
「そ、それは、何って、訊いてるの」
「ああ。見ての通り――泉さんの首です」
「えっ、あ、な、なんでそれを、っ、岬さんが、?」
「どうしてって」
 岬さんは、言うまでもないでしょう、と呆れたように笑う。
「私が、殺したからに決まってるじゃないですか」
「え、嘘、そんな、え? なっ、あ、な、んで?」
「呂律が回っていませんよ。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。あなたを監禁していた泉さんは、私が殺しました。こうして、無事にあなたは解放されました。めでたしめでたし」
「な、なんでっ、っ、あ、え、? あ、あなたはっ」
「ふふふ、可愛い。その怯えた顔。いいですね、とても満たされた気持ちになります」
「岬さん、あ、あなたっ、うあああ、あ」
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
 岬さんは笑った。
 狂気に笑った。嫌悪感をまったく隠すことなく、その気持ち悪さをまったく恐れることなく、普段の優しく上品な笑いなど忘れてしまったかのように、ただひらすらに、その暗く陰の籠った色のない瞳で、白い歯を見せながら、狂おしく、ずっとずっとずっとずっと笑って、笑って笑って笑って笑って、私を、私をその双眸でひらすらに貫き続けた。時折光るナイフがすっと私の頭の奥を撫でる度に、ゾクリと心臓が跳ね上がって、その向こう側に見える「死」が私の肩に手を置いてちらつかせるようで、私の言葉がいつまでもいつまでも定まらなくて、頭の中はぐちゃぐちゃになって、頭の中が映画館だったのなら、上映時間中ずっと、泉くんのちぎれた首と岬さんの笑みが交互に延々と流され続けているみたいで、私は、私は。
「お察しの通り、私が犯人でした」
「は、ん、にん……?」
「ええ。溝井さん、滝さん、お姉様、野上さん、先生、お母様、沢田さん、お父様、清水さん。みんなみんな、私がこの手で殺しました。泉さんではなく、この私が、このナイフで、じっくりじっくり殺しました。ふふふ、驚きました? さすがに探偵と二役とは思わなかったですか? ふふふふふふ」
 私の中にあった沼や海や湖のような深く深く潜り込めるような液体たちが、「どうしてどうして」と疑問符を抱えながら噴出した。それは悲鳴のように私の心臓と手足と喉を引き裂くように響いて、それがこんがらがるから私の頭と言葉が上手く動かなくなって。それでもいつまでも溢れ続ける疑問たちは、塞き止める防波堤がないことなど一切構わず叫びとなって表れてくる。
「あ、うっ、ああああああああっ、あ、あああああああ」
「ふふふ、怖いんですか? 私が。怖いですよね、ナイフですもんね。人が死んだんですからねえ。泉さんが死にました。みんなみんな死んでしまいました。もしかしてもしかして氷室さん、私を信頼していましたか? 電話の内容で、私を信じるようになったのですか? ふふふ、光栄ですねえ。でも残念、私はこのようにあなたを裏切り、このようにあなたの目の前に恐怖を持ってきた、悪い悪い殺人鬼なのです。ふふふふ、ふふふふ」
「嘘、嘘嘘、そんなっ嘘、っわたしは、私、私はっ」
 岬さんのことを。
 生きててほしい人だって、思ったのに。
 それは、私が初めて誰かに抱いた願いだったのに。
 それは、私が岬さんを認めたことなのに。
 友達でもなんでもいいから。
 私が誰かに何かを望んだことなのに。
 私は。
 岬さんはゆっくりと私に近づき、怯える私の前にしゃがみ込んで、うっとりとした瞳で私の顔を覗き込んだ。私はもっともっと後ずさろうと思ったのに、水槽の硬質な台座が邪魔して後ろには下がれず、またしても岬さんの恐ろしく恍惚とした表情の接近を許してしまう。
「ああ、可愛い。可愛いですよ、氷室さん。そうやって怯える顔、とてもとても可愛いです。くすくすくす。ねえ、氷室さん。怖いですか? 恐怖を感じていますか? いつもいつも上から見下ろして、何も感じないんだーっていろんなものを嘲笑っていましたね。どうですか? 怖いですか? 怖いですよね? ふふふふ」
「やめて、っ、ああ、言わ、言わないで、言わないでっ、そんなこと、あなたの口から言わ、ないで」
「あなたの口から? ふふふ、嬉しいです。私のこと、とても信頼してくれるようになったんですね」
「いっ、泉くんは、泉くんは、なんで、っ、なんで、こんなっ」
「泉さん? ふふ、焦らなくたって、きちんと教えてあげますよ。私は真実をあなたに教えてあげるためにここに来てあげたのですから」
 岬さんは立ち上がり、まるで演劇の舞台に立ったかのように両腕を広げ、笑いながら私と距離を取った。くるくると回りながら、時折嬉しそうに体を震わせ、部屋の中央に舞い戻る。私が転んだ時に一緒に転がった椅子が、虚しく横倒しになっているその横で、岬さんはもう一度私に向き直った。
「私はですね、人の嫌がることを進んでしたいタイプなんですよ」
 岬さんは、言った。
「嘘を吐くのも大好きで、いつも嘘ばかり吐いていました。だけどそれは、自分の保身のための嘘ではありません。誰かを傷つける嘘、誰かを不安にさせる嘘です。そうやって虚構を組み上げ、その向こう側にある『絶望』とか『不安』とか、『嫌悪』とか……そういったものを誰かに与えること。それだけが私の生きがいで、本当に楽しみなことでした」
 頭の中にあった、いろいろな岬さんの表情が大きな音を立てて崩れ落ちた。パズルのピースは砕けて、枠が残ったままで、今目の前にいる岬さんの狂気な言葉と表情たちが、先ほど崩れ落ちて行った岬さんという人間の側面が埋めていたはずの部分部分に、まるで水が染みわたるかのように入り込んでくる。
「私はある時、『同類』がいることに気付きました。生きることを諦観し、生きることに無頓着で、誰かの死に酷く無関心。普段はとても優しい目をしているのに、ふとした時に、底なし沼のような気色の悪い黒い瞳を見せる人。それが、あなたです。氷室さん」
 私は口を、死の危機に瀕した魚みたいにみっともなくパクパクさせて、手首と足首を縛る縄を引き千切ろうと必死だった。その縄が肌にめり込む痛みは、岬さんの言葉と一緒になって私を苛む。それでも岬さんは私を嬉しそうに見下ろし、言葉を続ける。
「あなたを見つけた時、私は天にも昇る思いでした。普通の人たちは、呆れるほどに簡単に砕けてしまいます。生きることに精一杯で、社会的にも心理的にも確かな何かであろうと必死で、その必死さが仇となって簡単に割れてしまう。嘘を吐いたり、心を攻撃すれば簡単に崩れてしまう。泣いてしまう。叫んでしまう。殺すことも容易い。ふふふ、面白くないですよねえ。私たち人間が、いくら蟻の巣に水を流し込んでもなんとも思わないのと同じなんです。どこにでもいる普通の人たちを殺したり、嫌な思いをさせたってちっともつまらない。だからあなたのような人を見つけた時、私はとても嬉しかったんです。ああ、私が真に絶望させるべき相手は、この人だ。この人はとても手強い。少しの事では簡単に終わることはない! 簡単に死んだりしない、簡単に泣き顔を見せたり、死への恐怖に戸惑ったりしない! ラスボスを前にする男の子のように熱が籠りましたよ。滾りました。氷室さんの冷たい心を溶かして、跪かせること。泣かせること、絶望させること! そうすることが、私の計画だったんですよ」
 少しずつ言葉に覇気が籠り出し、大げさな身振り手振りが岬さんの狂った感性と思考に磨きをかけた。意味が解らなかった。私は、私は、私は私はと私はを繰り返す心臓の唸りが喉と骨を伝わって、絶叫のように波立てる。息切れが収まらなくて、肌がひりひりと痛くて、空気が痛くて、重くて、汗が額から流れ落ちてきて、私の頬と唇の上に滴った。
「だから全て、この瞬間のために組み上げました。氷室さんを、決定的にどん底まで突き落とすためには何をすればいいのか。どんなシチュエーションと物語に迷い込んだら、氷室さんは絶望してくれるのか。どんなどんでん返しと裏切りを構築すれば、氷室さんは大声で悲鳴を上げて、絶叫して、苦痛に歪んで痛々しい涙を流すのか。ふふふふ、あなたのようないつもクールで、世の中を見下していたような人が、可愛らしい悲鳴を上げて泣き叫ぶ……最高ですよね。今でもゾクゾクして、指先が落ち着かないんですよ」
 裏切り。
 裏切り……。
 私は、裏切られ、た? 
 裏切られた? 
 岬さんに? 
 泉くんに? 
 わからない、何もわかんないよ。
「時に人は、信じていた人に裏切られるのがとても苦しいことだと聞きます。人は何かを支えに立ち、それを土台にするから生きていられる。心の拠り所とか、信念と言ってもよいでしょう。家族に裏切られる。親に裏切られる。親友に、恋人に裏切られる。それはそれは辛いことです。だって、信じていたんですから。そこには無償の愛と見返りのない信頼が築かれているものだと信じている。それを心に抱いているから、人は笑っていられる。そういうものだと思いませんか?
 ですが、氷室さんにはそういったものがほとんど無さそうでした。お姉さんがそれに最も近い存在だったのでしょうけれど、お姉さんを最後に殺すのは『裏切り』ではなく、ただの『剥奪』です。お姉さんはあなたを愛していたんですから。そんなお姉さんを殺すだけでは、裏切りにはならない。それでは氷室さんにダメージなど与えられないでしょう。そこで思いつきました。
 信頼できるものがなければ、作ってあげればいいじゃないですか、と。
 あなたは自分の身の回りの人たちの死を身近に体験し――特にお姉さんの死に触れ、その死体と体の部分に囲まれた生活によって、少しずつ感情を掻き乱されていく。あなたはとても強い。だけれど、それは死に対する敏感さがないからなのですよ。しかしながら、死に実際に触れる体験は、そういった仮面たちを少しずつ崩していくでしょう。あなたは少しずつ、弱くなる。お姉さんの死に、自己嫌悪に、狂っていく。あなたは特別な人ですが、やはり身近な人の死は人の心を狂わせる、惑わせる、砕かせる。
 あなたは弱くなりました。
 少しずつ少しずつ……『人間らしい』感情を取り戻しつつあったんです。
 するとあなたは後悔するでしょう。すでに亡くなった友人たちへの自分の行動であったり、そういった周りの人たちへ、自分ができなかった、向けることのできなかった気持ちたちに。そうやって弱くなり、周りの人たちへの気持ちも少しずつ自覚したあなた。そこに残ったのは、誰でしょう?
 そうです、私、岬です。
 今までの行動や気持ちを悔い改め、自己嫌悪する氷室さん。だけどそこに、たった一人だけ友達だと言ってくれる生き残り! ふふふ、素晴らしいですね。ですが、それは虚構でした。単純に、弱くなったあなたが最後の希望と思えるような誰かを演出しただけなのです。私が殺されることを嫌がったり、私のことを考えてくれる氷室さん。それはどうもありがとうございました。しかし残念、そうやって生きていてほしいと願った私が、実は黒幕でした! 全部全部、あなたとの交流も、あなたに話した泉さんが犯人だという推理も、思わせぶりに助けに行くと宣言した泉さんとの電話も全部、茶番なのでした!」
 長い長い言葉が、言葉が言葉が、私を何度も何度も嬲った。髪の毛を掴まれて引っ掻き回して、喉に手を入れられ、耳を切断され、指を切断されるようなイメージが、意志のない冷徹な機械のように私を殺していく。嘘だ、そんなの。何度も頭で否定した。だけど、否定が、それよりももっと大きくて、固くて、鋭い岬さんの言葉が打ち砕いて、もっともっと痛くなって。痛い痛いと転げまわって、だけど実際の私は水槽の台座に背中を押しつけて、震えるだけだった。
 全部、嘘だった……?
 私が岬さんに、今までの誰かとも違う感情を抱きつつあったのは気付いていた。姉さんが死んでから、私は心が自分でも制御できなくなって、客観視できなくなって。人の死には無関心だった。だけど、姉さんには生きていてほしかった。生きていてほしかった、は過去形で、すでに死んでしまっていた。後悔したのかもしれない。そんなことはわからない。気持ちが、私は自分が一番わからなかった。わからなくて。だけど、だけど岬さんには生きていてほしかった。それは、私と関わったために死んでしまったら岬さんが可哀想だからだと思っていたけれど、私は……私は気付いてしまったんだ。そんな損得ではなく、単純に、素直に岬さんに死んでほしくないと思う私がいることに。だから柄にもなく叫んだし、泉くんにも懇願した。殺さないでと。
 その結果が、これ……――。
 私は、何かを願った人に、裏切られたのだ。
 全部全部嘘だったんだ。嫌いな人が殺されたから捕まえないだとか、探偵だとか、必ず捕まえるだとか、私を助けるだとか。そんな言葉も全部、嘘で、茶番で、演技だったんだ。いつまで経っても私のところに助けに来ないのも当たり前だ。恐らく泉くんを通報したというのも嘘だ。何もかも嘘だ。今まで岬さんについて手に入れた情報は、全部全部嘘なんだ。嘘、で、全部崩れて行ったんだ。
「じ、じゃあっ、いず、泉くん……は?」
「ああ、泉さん? 彼は、私の協力者です。共犯と言ってもいいかもしれませんが、殺したのは全員私ですからね、協力者でいいと思います。彼はよく働いてくれました。私がこうしてあなたにお見せする最後のどんでん返しのために、せっせせっせと働いてくれたのです。どこからどこまでも、全て自分が殺人を犯したと見せかける行動を取るように仕向けると、彼は簡単に従ってくれました。まあそれは、ある条件を私が提示したからなのですが……とにかく、泉さんは私の従順な協力者だったわけです」
「きょう、りょく……」
「私はあなたの友人を殺し、その死体の一部を切り取り、泉さんと一緒に運びました。当然この水族館の存在は前々から知っていましたよ。元々ここは私の縄張りですからね。協力のために鍵を泉さんに渡しましたが……ふふ、今はとっても綺麗ですね。いろんな人のパーツがいっぱいでとても楽しい場所じゃないですか。
 思い出してください。あなたが泉さんと出会った路地裏を。全てはあそこから始まりましたね。しかしあれは、私が殺した溝井さんの処理をする泉さんだったのですよ。あなたはそれを、泉さんの嘘によって騙され、殺人犯だと思い込んだのです。本当は私が全ての元凶であるというのに、です」
 岬さんはいつまでも怪しく妖艶に、見えない影がひたひたと足音を鳴らすかのように、迫真的な一息一息を生み続けた。私は混乱していた。そうやって体をよじらせているのは、どうしてかはよくわからなかった。だけどそうやって動いている時に、私はスカートのポケットに固い何かが入っていることに気付いた。手首は縛られていても、指は使える。岬さんの狂おしい演説の狭間で、私は震えながらゆっくりとそれをポケットから取り出した。腕を捻って、変な角度にすれば、なんとか届いた。
 それは、鞘に納まったナイフだった。
 どうして、私のポケットにナイフ、が。
 そう考えて驚くよりも先に、私の中の逃げ出したいという本能が指を動かした。縛られた手首の窮屈さを堪えて、指を必死に動かして鞘からそれを抜き取り、ゆっくりと紐を切断する。するりと風の動きを感じて、手首は充血した赤みを見せびらかしながら解放された。私は次いで、足首と足首の間のちょうどピンと張った部分の縄を切断した。
「なにしてるんですか」
 岬さんがそれを見咎め、急激に冷えた口調へと移行する。私はお構いなしに足首を縛っていた縄を完全に外し、自由となった。それだけの行為なのに、私は息が上がり、腕と首をだらりと下げて俯く。長くなった前髪の隙間から、岬さんの揃った足が見える。それはピクリとも動かないまま、頭上から声が注がれる。
「まあいいでしょう。今更拘束が解けたところで、何にもなりませんよ。みんな死んじゃったんです。ふふふ、あなたのそうやって打ちひしがれている姿を見るために頑張ったので、もう目標は完遂しちゃったわけです」
 完遂?
 目標?
 これが?
 こんなのが?
 こんなことが、こんなことが、私の、岬さんの、泉くんの、最後で、いいの?
 死んだ。
 皆、死んだんだ。
 私は、私は。
 私のために。
 私の所為で?
 私が岬さんに興味をもたれたから。
 そのために、皆死んでいった。
 姉さんも、
 泉くんも?
 私はふらふらと立ち上がった。
 何日何十時間も縛られていた腕や体や足たちは簡単には言うことを聞かなかったけれど、それ以上の何かがとにかく動き出そうと必死で、それにきちんと体は従ってくれていた。私はそんな一つ一つの動作の中に、大きな何かが籠っていることを悟っていた。
 私は姉さんの水槽を支えにしながら立ち上がり。
 ナイフを右手に構え、切っ先を岬さんに向けた。
 岬さんの言葉が、煩わしい。
 岬さんが。
 憎たらしい。
 誰かを疎むことはあった。
 憎んだり、嫌ったりすることも、些細だけれどあった。
 それは、泉くんに対してだった。
 私はきっとこの水族館で、泉くんと死体たちとの交流を繰り返して、怒るということを知った。
 それでも、今ここにあるのは。
 殺意だった。
 これもまた、一連の計画によって崩れたために生まれた、私の感情なんだ。
 私は。
 岬さんを。
「あらら、もしかして?」
 岬さんはナイフの煌めく側面を、ゆっくりと舌で舐めた。
「ふふふ、やるんですか? 私と」



 殺したい。



メンテ
Re: 殺人アクアリウム ( No.27 )
日時: 2012/12/16 03:05
名前: エシラ ID:4i30KdJI

 私は叫んで、ナイフを岬さんに向かって突き出すように走り出した。
 自分の体は、意外にも言うことを聞いてくれた。疲れていたり痺れたりしているはずなのに、私の怒りや憎しみや殺意が、そういったものをきちんと忘れさせてくれたようだった。私の斬撃を軽々交わした岬さんはすっと左に避け、脚を差し出して私を転ばした。私の叫びが途切れ、顔面から床に叩きつけられる。それでも私は止まらなかった。転んでも、地面に手を突いても、すぐに立ち上がって、岬さんに斬りかかった。岬さんは私にナイフで斬りかかることはなく、ただ常に突進する私を面白がるように、笑いながら避けては逃げた。
 私の頭は真っ白だった。
 ただ、後悔のような、切ないような気持ちは込み上げていた。
 岬さんは、私の心を砕いて、悲しませ、苦しませることが目的だった。
 そのために、岬さんは皆を殺した。
 泉くんに殺人鬼を演じさせ、殺し続けた。
 私のために。
 泉くんが何かの条件を出されて、従わされていたのなら、泉くんにとってはこれまでの殺人は、紛れもなく私の所為だったんだ。全部全部、彼女が悪いんだ。何もかも嘘を吐いて、騙して、私なんかの心を苦しみに溢れさせるために。私を悲しませるために、ただの彼女の楽しみのために。
「あああああああああああああああああああああああああああああ」
 私は何度も斬りかかった。
 このナイフは、いったい誰のものかもわかっていた。
 鞘にも見覚えがあった。
 これはきっと、泉くんがポケットに入れておいたんだ。
 それは、私へ託したという意味なのかもしれない。
 もう、そんなの関係なかった。
 私には、もう何もなくて。
 ただ、岬さんを殺してやりたかった。感情に原因なんてあるのかは知らない。だけど、私のナイフを持つ手がその動きを止めない。握る力は解ける様子もなくて、私の視線はずっとずっと岬さんの薄らとした怪しい表情へと向き続けていた。ああ、殺したい。彼女にこのナイフを突き刺して、苦しませたい。私を、皆を、泉くんをこんなにした彼女を、殺してやりたいよ。そんなのは願いと呼べないかもしれないけれど、それだけを願い続けて、私は走り回った。円形の部屋の中を、とにかく駆けた。
「ふふふふ、さあさあ、どうしたんですか? 来てくださいよ、殺してみてくださいよ、氷室さん」
 私は勢い余って水槽に全身をぶつけ、割ってしまった。何個も何個も、水槽を砕いた。頭突きをしたりしたために、頭からねっとりとした何かが滴っていて、汗を拭うように触れると、指先が真っ赤に染まった。血だった。水がなだらかに浸していく床を、岬さんに駆け寄ろうと動き回っては滑って転び、ふと目を開けたら、すぐ傍に指や脚や腕、心臓が転がっている。私はそれを見るたびに、水浸しの体をゆっくりと立ち直らせる感情をすぐに呼び戻していた。そのグロテスクなパーツたちへの気持ちは、拘束されていた少し前までは何とも思わなかったのに、今は申し訳なくて、悲しくて、奥歯を噛みしめるしかなくて。床に雪崩れ込んだ大量の水は水溜りとなって、この部屋の床を湿らせる。私はその床に何度も転んだ所為で、髪は濡れ、着ていた制服も濡れ、ナイフの先端から水がひたひたと滴っていた。汗も掻いているようで、前髪や後ろ髪が肌に張り付き、気色が悪い。それでも睨みつけた岬さんは、いつまでも口元を三日月みたいに曲げて、笑っている。笑い続けている。私はナイフを強く握りしめた。そうやって、いつも笑っていたのか。騙して、嘘を吐いて、探偵だとか、変な心情を持ち出して、私の前で言葉を紡いだ時も、私をそんな風に笑っていたんだ。
 私はその憎たらしいほどに綺麗な顔に、ナイフを叩き込んでやりたかった。だけど、私の体は少しずつ言うことを聞かなくなって、脚が解れ、滑り、岬さんに届かなくなった。体中が軋んで、私は水槽に手を預けてしか立ち上がれなくなって、肩を上下させながら息をした。岬さんの声はそれでも止まない。
「いいですね、何度も転んでも立ち上がる姿。感動的です! 苦しそうな顔! たまらないですね」
「……」
 私が手を当てていた水槽は、まだ壊されていなかった水槽で。
 姉さんの首が入っていた。
「ねえ、さん……――」
 悲しめなかった、はずなのに。
 今は、悲しかった。
 悲しいって思ったことはなかったから、この湧き上がる気持ちが本当に悲しいものなのかはわからない。だけど、目が熱くなって、胸が痛くて仕方がなくて、水槽に当てた指が震えて、声を上げたくなった。
「あらら、今更悲しんでるんですか? お姉さんに? 申し訳ないですね。私が殺してしまいました」
 私は、姉さんの安らかな顔を見つめた。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい……。
 姉さん、ごめんなさい。
 私は、私は姉さんのこと大好きだったのに。
 こんなこと、今更だよね。
 姉さん。
 姉さん……。
「皆殺しました、私が。ふふふふふ、やっぱり殺すのは楽しかったです」
 私は、姉さんから目を離して、岬さんを睨みつけた。
「私を殺したいですか?」
「……」
「やった! だったら、氷室さんは感情を取り戻して、もっと悲しい顔ができるんですね!」
「…………」
「だったら、殺すしかないですね」
「……私を殺すの?」
「殺させて、くれるんですか?」
「……――」
 ずっとずっと、死にたかった。
 こんな命に価値はなくて、誰かを見下す時も嘲笑う時も、私にそんな権利はないと自分が嫌になって、いつでも死にたいと思っていた。だけど死ぬのは怖いんだと笑った。笑っていることが出来た。そうやっているうちはきっと、とても幸せだったのかもいれない。日曜日の朝のぬくぬくとした布団にくるまっているように、穏やかでいられたのかもしれない。だけど、それはもう『私』ではない。
 私はここで、心を砕かれて、仮面を砕かれて、命を知って、感情を知ってしまった。
 生きることや死ぬこと。
 そんなに難しいことはわからない。だけど、私は確かに、岬さんに生きていてほしかった。泉くんが大嫌いだった。私が大嫌いで、大嫌いで大嫌いで、死にたかった。姉さんや知り合いの皆に申し訳なくて、罪悪感で一杯で、ただ私自身が憎くて、泉くんも憎たらしくて、心はこれ以上ないというほどに揺れ動いて、その振動に耐えきれなくなって、壊れてしまった。
 だけど、私の心はガラスのように、割れて終わりではなかった。私の心はガラスの仮面に覆われていただけで、それが砕けて、本当の心が顔を覗かせた。それは今までの私ではありえなかった、人間の心だった。
 私は、とても悲しかった。
 悔しい。
 悲しい。
 切ない。
 憎たらしい。
 泣きたい。
 叫びたい。
 死にたい。
 生きたい。
 いろんな感情が、ここに甦った。
 それはこの岬さんが、最後の最後に私を絶望させるために復活させたものだけど。
 だからこそ。
「……私は、あなたにだけは殺されたくない」
「ふふふ」
 ここに甦ったのは、綺麗な感情だけじゃなかった。
 いつものように空虚な嫌悪じゃない。
 岬さんに対する、吐き気だ。
 こんな奴に、殺されたくない。
「いい目です。生き抜く目ですね! とても強い意志の籠った……信念のある目です」
「だから、何?」
「そういう綺麗な目を濁らすのは――楽しいってことですよ!」
 岬さんは天使みたいな微笑みで、悪魔のように私に駆け寄り、ナイフで私の左肩を突き刺した。
「っあ!」
 情けない声が漏れて、突き刺された勢いのまま姉さんの水槽に押し付けられた。私は右手に持っていたナイフですかさず反抗しようとしたけれど、いくら意志があっても何日も動かなず放っておいた腕の反応は、岬さんの左手に勝つことはできない。岬さんは素早く私の右腕を取り、身動きを封じた。その力は女の子のものなのにひどく強く、完全に制せられてしまう。私の左肩に刺したナイフをぐりぐりと捻じ込むように揺らす岬さんは、先ほどのように私の眼前に顔を寄せた。
「さあ、どうします? 殺されたくないのでしょう?」
「っ痛……う……く」
「痛いですか? ふふふふふふ、可愛い、可愛いですね氷室さん」
「っ……あ」
 痛い――。
 痛い。
 痛くてたまらない。
 だけど、きっと皆はもっと痛かったんだ。
 肩を刺されて、水槽に押し付けられて、ただ肉を抉るように揺らされているだけだ。それだけなんだ。私のために殺された人たちは、もっと痛かった。腕を切られ、脚を切られ、心臓を抉られ、首を斬られた。それだけのために、生きている事を終わらせられたんだ。生きているだけでよかったのに、そこにいるだけでよかったのに、きっとこうやって、私なんかよりもずっとずっと痛いところにいて、泣いたんだ。悲しんだんだ。
 痛かったんだろうなあ……。
 私は肩の痛みに、小さく笑った。
 今更だよ、本当に。
「何を笑ってるんです?」
「……岬さんはっ、殺すことに、……何とも思わない、の?」
「楽しいぐらいには」
「っ……そっか」
「嬉しそうですね」
「嬉しくなんか、ない、よ……でも、今は、いろんなことがわかる。皆、痛かったことも、悲しかったことも、もっと生きたかったんだって、ことも……」
「それが、なんだというんです?」
「……わかるだけで、いいんだよ。私には、わからなかったことなんだから……っつ」
 岬さんは、さらに深く私の肩にナイフを突き入れた。私は痛みに思わず目を閉じ、小さな声を漏らしてしまう。痛い、痛い、痛くて溜まらない。だけど、だけど。私は、こんなことで。わからない。何も、今はいろいろなことがわかるけれど、その所為で何もわからないから。だけど、痛みがあることはわかる。死んでいった人たちの痛みもわかる。下らない上から目線じゃない。そこに私を投影させることができて、頭の中にいろいろな人の顔が浮かんだ。ごめんなさい。私は、覚えていたいのに、今まで覚えようとしなかったから、思い出せないよ。姉さん、ごめんなさい……ごめんなさい。
「……だから、あなたが、憎いよ」
 私は目を開けて、岬さんを目の前で見据えた。
 深い闇、呑み込まれそうな、夜の海のような黒。
 その向こう側にある岬さんの心に、訴えるように声を張る。
「あなたを、殺したい。殺してやりたい。仇を打ちたい、皆の無念を晴らしたい。私は……私は、岬さんのこと、殺したいよっ……」
「あらあら、汚い感情ですね」
「汚い……けど、っ……あなたが、憎たらしくてたまらない……けど」
 けど。
 だけど。
 私は力を振り絞って、右足で岬さんの左足を滑らせるように蹴った。岬さんは呆気にとられ、思った通りに横から転倒する。私は肩に刺さったナイフを抜くこともなく、痛みに耐えながら、倒れた岬さんのお腹の上に跨った。両腕を足で押さえつけ、動きを拘束する。それなのに、取り乱すことなく冷静に笑ったままの岬さん。私はナイフを岬さんの首に突き付けた。刃の切っ先を、柔らかな白い肌の寸前で止める。水族館の青は、私と岬さんの間を流れる長い長い沈黙を微かに綺麗に染め上げていた。私は大きく息をしながら、ナイフを突きつけたままに岬さんを見つめる。
「……はあっ…………っ、は……」
「あらら、一本取られちゃいましたか」
「…………」
「どうしたんです。殺さないんですか?」
 殺したい。
 殺してやりたい。
 殺したい。
 のに
 殺したかったはず、なのに。
 ナイフを突き立てたのに。
 その向こうに、行くことが出来なかった。
「……私は、私は――っ……」
 岬さんの顔は、美しかった。
 私はこの水族館で、確かに岬さんを、愛おしく思ったんだ。生きていてほしいと願ったんだ。同類だとか生きることとか死ぬこととか、そんなことを取り除いたって、友達でいてもいいって思ったんだ。それなのに、こんな形で私たちは切り裂かれ、私は裏切られて、こんな風に、私は彼女にナイフを突き立てている。それは、殺したかったからだ。殺されたくなかったからだ。こんな奴に、皆を殺して、私を、私をこんな風にした彼女を、殺してやりたかったからだ。それなのに、そのはず、なのに……。
「なんで、殺せないの、……」
 殺したいのに、この喉にナイフを突き入れて、私の中の悲しみや苦しみや痛みを、何度も何度も嬲るように岬さんに押し付けてやりたいのに。そうすることで、無念も心も晴らせるかもしれないのに。やり場のない気持ちも、死んでいった人たちの憎しみも、全部この――泉くんのナイフで、岬さんに報いることができるかもしれないのに。なのに、その白い喉を前にして、刃はカタカタと震え、私の指先は動かなかった。どうしてと理由を問いただすのに、できなかった。
 怖い。
 殺すのが、怖い。
 怖い怖い怖い怖い。
 殺すことが、できない。
 怖い。
 死ぬことが、どんなことか、わかってしまったから?
 一度信じてしまったから?
 震えるのは、どうして。
 怖いよ。
 姉さん。
 泉くん。
 怖い。
 わからなくて、怖い。
 私は、私の心が、わかんないよ……。
「うっ……っ、くっ……ひっく、…………」
 泣いた。
 泣いたのは、とても久しぶりだった。
 泣き真似でもなんでもなくて。
 自分の意志なんかじゃ抑えられない、よくわからない何かが、本当に胸から出たがっていて、それを受け入れてしまったのだ。岬さんの顔が滲んで、見えなくなる。ナイフの位置はずらさないで、私は、喘ぐように泣いた。わからないから、わかってしまったから、泣いた。悲しくて泣いた、悔しくて泣いた。
 ぐちゃぐちゃだったのだ。ここにあったものが甦ったから、人ごみに紛れて迷子になったみたいに、どうしようもなくなって。だけど、確かにあった憎しみや殺意が、どうしてこんなところまで来て消えてしまったのかわからなくて。切なくて、悔しくて、悲しくて、泣いた。どれもこれも、一気になだれ込んでくるから、掴みどころもなくなって。でも、もう、一つ一つを受け入れる器もなくて。ナイフに添えた指の震えは止まらなくて、岬さんの白い喉が輝いていて。そんなものすら、もう滲んでいて見えにくくて。
「悲しくて泣いてるんですか?」
「わかんないよ、っ……そんなの、そんなのわからない……っ」
「…………」
 私が駄々をこねるように泣き続けていると、岬さんはずっと見せていた愉悦の笑顔を消した。
「……残念」







「……みさ、きさん?」
「どうしてそんな綺麗な涙流すんですか……もっと汚い泣き方が私は好きなんですけど」
 岬さんは身動きが取れないまま、溜め息を吐く。
「これじゃあ失敗ですね……」
「……っ、きれい……?」
「嬉しそうな泣き方ですね。幸せそう。吐き気がします」
「……」
「そんな涙が見たくて、ここまでやってきたわけじゃないのに……」
 彼女はいじける子供のように、苛立つ大人のように、私から目を逸らした。
「岬、さん……?」
「あーあ、残念ですよ。こんなに頑張ったのに、あなたを絶望させることが出来なかった……残念です」
 岬さんは力を振り絞るようにして上半身を起こし、その勢いで私を突き飛ばした。私は水溜りに尻餅をついて、岬さんの体から離れてしまう。岬さんはびっしょりと濡れた制服や髪を気にせず、立ち上がった。私はもうどうすることもできなくて、脱力して、涙がまださめざめと流れたままで、岬さんを見上げることしかできなかった。痛む左肩を撫でるためには、右手のナイフを手放さなければいけない。だけど、右手のナイフを手放したくなくて、私は流血を受け入れ、そのままにする。岬さんは私を見下ろし、言い放った。
「期待はしましたが……結局あなたは、そこらにいる普通の人間だったんですね。仮面を崩してみれば、そんなに美しく泣けるんですか……残念、本当に残念です……あなたが惨めになって、汚い感情に支配されて、追い詰められて、狂っていくのが見たかったのに……叶わないみたいです」
「……」
 充分に惨めだ。
 とても汚い。
 私は、とても汚いよ。
「……どうして、そんな、そんなこと、言うの……私は、わたし……」
 幸せ。
 綺麗。
 そんなこと、ない。
 そんな言葉は使わないで。
 私は、そんな風に許されたら駄目なのに。
「こんなに、こんなにも、自分が嫌なのに! 汚いよ、気持ち悪いよ、狂ってるんだよ! ……こんなの、わたし、私は、おかしいよ。岬さんの言う通り、惨めだよ……気持ち悪いよ。私は、綺麗なんかじゃない。褒められたくない、許されたくない。そんなこと、言わないでよ」
 岬さんにまで許されたら、私は、もう誰にも裁かれない。
 誰かに、言われたい。お前は汚いんだってことを。頭がおかしいって、狂ってるんだってことを。もう自分だけで完結させたくなんかない。自分なんかじゃわからないよ。こんなにも、まるで崩れたブロックが散乱している子供部屋のような心じゃ扱いきれない。誰かの言葉が欲しいよ。表情が欲しい。私を、私を許さないと言ってくれる言葉が欲しい。私は、綺麗なんかじゃない。正常なんかじゃない、美しくなんかない。それを、そんなことを岬さんにまで言われたら、私は、どうすればいいの。この気持ちを、どうしたら、どうしたら私は謝れるの。嫌だ、もう嫌だ。誰かに、言われたい。そうしなきゃ、私は。
「……そんなこと言えるから、もうあなたは私の望む私じゃないんです」
 岬さんは身を翻して歩き出し、水族館の入り口の扉に手を掛けて立ち止まった。
「あなたが狂ってしまわないのなら、私が望む人なんて、この世にいなかったのかもしれませんね」
「…………」
 岬さんの後ろ姿はそれだけを囁き、水族館を出て行った。

 
 転がっていた泉くんの眠った様な表情の首を、抱きしめて泣いた。
 今度は誰も聞いていなかったから、声を上げて、悲鳴のように、叫ぶように、泣いた。
 水族館はまだ、水色のまま、怪しく、ひたひたと滴る水音が響かせていた。
 
 



メンテ
Re: 殺人アクアリウム ( No.28 )
日時: 2012/12/14 20:55
名前: エシラ ID:Vbgk9Dfs

 事件は、岬さんの自首によって幕が下りた。
 私は岬さんが出て行った後しばらく泣き続け、肩の出血のために気を失い、次に気付いた時には病院にいた。目に馴染んだ青色が消え、真っ白に包まれていた私の傍には、警察の人やいろんな人がいた。病院にやってきた人たちに、いろいろなことを聞かされ、事件の顛末を詳しく教えてもらった。
 私の身の回りの人たちが次々と殺され、私も行方不明になり、世間は大騒ぎになったようだった。
 被害者たちの接点を洗い出すと私に行き着いたため、どうやら私が犯人だと思われていたらしい。けれど、結局は岬さんの犯行として事件は終わった。学校は何日も休校になり、私の住んでいた街は騒然となったようだ。それでも私がいない間、世界はゆるりとでも動いていて、私が目を覚ました頃には、いろんなことが元に戻り始めていた。
 私の病室には、意外にもいろんな人がやってきた。それは、私の友達と名乗る人たちで、確かに見覚えのある人たちだった。どうやら『私』は、あんな当たり障りのない笑顔を振りまいていたのに、それなりに交友関係を築いていたそうだから、こうして誰かがやってくるのだろうな、と呆れた。今思えば、私はそういうものに、きちんと向き合うことをしないで、笑ってた。言葉の後ろにカッコ笑いを付ければ、それで傍観者のフリができると思ってたんだ。水族館以来、ベッドの横のテーブルにやってくるお見舞いや、花束に、私はどうしてか小さく微笑むことができるようになっていて、やってくる人たちの笑顔や心配そうな表情が、溜まらなく切なくて、申し訳なくて、そして嬉しいのかもしれないと思うようになっていた。
「倫、大丈夫?」
「大変だったね……」
「何かしてほしいことがあったら、なんでもするよ」
 やってきた友達の名前を、ほとんど覚えていなかった。覚える努力をほとんどして来なかったからだ。それが私は嫌で溜まらなくなって、以前の『私』はとんでもない奴だったんだなと思った。
 こうやって私のことを心配したり、声を掛けてくる友達。
 以前だったら、こんなことに、何にも思わなかった。
 どうせ私のことを友達と思っていないんだとか、表面上だけとか、そんな風に、ちょっと悟ったような言葉で目を逸らしていたんだと思う。そんなことどうせ思っていないくせに、だなんて。そうやって逃げていたのは、私なのかもしれないのに。だけど、今は、そんな裏のことなんてどうでもよかった。声を掛けてもらうことが、とても嬉しくて、私は彼女たちに自然と笑みを返すことができた。作り笑いなんかじゃなかった。
「ありがとう」
 私が返すと、やってくる人たちは皆驚いた。
「なんだか倫、前と変わったね」
「そう?」
「うん。柔らかくなったし、優しい目をしてる」
「……そっか」
 私は病院の窓辺から、空だったり、街並みだったりを見下ろす。そこには気持ちの良い風が流れていて、あの薄暗くて、ただ綺麗な青だけが支配していた水族館との差にしばらく慣れることができなかった。あの水族館の何もかもが脳裏と目にしっかりと刻まれてしまっていて、それを忘れてしまうことはできなくて、きっと忘れてはいけないとどこかで思っているんじゃないかと勝手に思うことにした。私は自分のモノローグの中に、意味のない語りや揶揄が消えたことを知った。あれだけ見下したり、笑ったりしていた外の世界を、私はもうからかったり、変な言葉でごまかしたりできなくなっていた。それもやっぱり、私が一つ階段を上ったからなのかもしれなかった。とはいっても、私は最初から階段を一段下りていた状態で、やっと横並びに来ることができただけなのだろうけれど。
 






 私の家には、伯母がやってきて、一緒に住むことになった。彼女とは正月やお盆でしか会う機会がなく、特に親しい人ではなかった。けれど今度のことがあって、私には家族が一切死んでしまい、私を引き取ることになったのだ。だけど私は彼女の家に行くことを拒んだ。どうしてと問われて、私は、ここを離れたくないのだと答えた。伯母は、死んでいった人たちを思い出すここにはいたくないと思っているのだと考えていたそうで、私の答えにはひどく驚いた様子だった。結局私の強い要望で、彼女の方が私の家に住むことになった。
「どうして離れたくないの?」
「……忘れたくないから、です」
「強いんだね、倫ちゃんは」
 伯母は言った。
 強い、のだろうか。
 めっきり弱くなってしまった気がする。
 心が強いとか弱いとか、きっとそういう物差しで言ったら、以前の『私』の方が強くて、何に対しても変な姿勢で向き合うことができたんだと思う。あの『私』は、とても強かった。何事にも無神経だったけれど、何事にも揺るがない冷徹さがあった。だけど今は、いろいろなものを失った代わりに、何かを感じ、何かを想い、何かを抱きしめる心を手に入れた。きちんとした涙も、笑顔も手に入れた。それはガラス細工のように、ちょっとだけコツンと叩けば壊れてしまうものだと思う。だからきっと、私は弱くなった。そう思っていた。
「強いですか」
「だって、普通はそういうものから目を逸らしたいと思うでしょう?」
「……そうですね」
 目を逸らさないから、強いのか。
 確かにそう思われるのかもしれない。悲しみから目を逸らす選択肢に進むことや、忌まわしい過去が満ち溢れた場所から離れることもできるのに、あえてそうしなかった私。忘れたくないからとここを選んだ私は、きっと強く見えるのかも。でも、私はそうは思わない。私は弱くしてもらったのだ。たくさんの人の死を引き返えに、私は、何かを大切に守ることで、弱くなったんだ。
「やっぱり、憶えておかなきゃって思うんです」
 私は、家族の写真を見つめた。







 岬さんは、法によって裁かれることになった。あれだけの人数を殺した岬さんに下される審判が一体何なのか、私には予想はついていたけれど、私は岬さんを肯定も否定もしなかった。というよりも、岬さんがどちら側であるかなんてことは、私には決めることも認めることもできなかったのだ。今回の殺人によって、私は心を取り戻して、泣いたり笑ったりできるようになった。それはいいことかもしれないけれど、そのために払った代償が大きすぎて、時間が経っても涙は消えなかった。岬さんは確実なまでに否定されなければいけないのだ。徹底的に、その行為を断罪されなければならない。それだけ、彼女が行ったことは大きかった。
 それでも、私の中には、彼女を友達として信頼した私も確かにいた。
 あの私は、本物だった。
 岬さんは悪だけど。あの優しく私に擦り寄ってきた岬さんは幻だったけれど。それでも、彼女がいたから、私はこうして泣けているし、笑うことや、そういった殺人が悪だと言うことが出来る。だから、私は彼女を完全に否定することができなくて。幻でも、その幻が本当だったらと思うこともあって、だけどそれはやっぱり幻のままなんだと自分に言い聞かせることもあって。そんな板挟みの中で曖昧な線引きすらできない私には、岬さんのことをただ憶えていることしかできなかった。どうしても、嫌いになれなかったのだ。それはきっと、今も私の中に、あの時の岬さんが息づいているからかもしれなかった。






 
 私は長く休校することにした。
 退院してから約二か月ちょっとの間で、その間は心のケアに努めるようにと言われた。カウンセリングの人と話をしたり、病院に行ったり、警察に行ったり。学校がないと、私は家でのんびりすることしかできなかった。伯母は仕事に行っていて、家はとても静かだった。
 そんな時、手紙が来た。
 こんな時代に手紙か、と思ったけれど、差出人は泉くんだった。
 私は大急ぎで部屋に駆け込み、それを開封した。泉くんのことは、ずっとわからないままだった。どうして泉くんが、岬さんの計画に乗ったのか。どうして騙したのか。泉くんは、私にとってなんだったのか。泉くんは、殺された。確かに死んでしまったのだ。だから、わからないままだった。
 でも、わからないままだったけど、いつまでも泉くんのことは憶えていようと思ったから、こういった何かの手がかりは嬉しかった。死んでしまっていることを自覚するだけで、ワイヤーで縛られたみたいに心臓が痛くなる自分もいる。頭には、水族館で交わしたやり取りがずっと残っている。
 私はベッドに座り、手紙を開いた。とても長い文章だった。




 この手紙は、恐らく僕が死んだ後に君の元へ届いていると思う。これを日付指定ができるなんて便利だね。
 これを書いているのは君を監禁し始める前日で、先ほど君のお姉さんは岬さんに殺された。この手紙を書いている時点では、全ての糸を引いていたのが岬さんだということを君は知らない。けれど、岬さんは最後には全てを明かすと約束しているので、この手紙が読まれているのであれば、君は事件の大抵の部分を知っているはずだ。
 事件の結末に、とても驚いていると思う。
 勝手に死んで、驚かしたのかもしれないね。
 もしかしたら、僕がみっともなく死んだと思っているのかもしれない。
 けれど僕は、それで良かったんだ。
 僕は溝井さんが殺される前に、岬さんに話を持ちかけられたんだ。氷室さんをこれ以上ないほど絶望させたいから、協力してくれないかとね。もし協力しないのであれば最後に氷室さんを殺す、なんて条件を付けてね。困ったものだと思わないか。僕たちのような類の人間は、そういった劇的なことを望まない。それなのに、岬さんはそれをぶち壊そうとしたんだ。
 でも、僕は断らなかった。
 どうしてだと思う?
 恐らく君は気付かなかったのだと思うけど。
 僕は君のことが、好きだった。
 とても好きだった。柄にもなく、大好きだったよ。
 だから、君のような人が感情をそんな風に粗末に扱うことが、もったいないと思った。もっと素晴らしい道を歩める人だと思ったし、可愛らしいし、どこか優しい人だとも思った。まあそんなのは僕の勘でしかないし、ただ恋愛感情からの贔屓目かもしれないんだけど。でも、絶対そうなんじゃないかなって思ったんだ。傍観者のままじゃもったいない。幸せになるべきだと思ったんだ。
 だから、岬さんに協力した。岬さんは、君に絶対の絶望とか挫折とか悲しみとか、そういうものを与えるために動いたみたいだけど、僕はその向こう側を見ていた。悲しむことができたら、君は感情を得ることができる。悲しめないのは、悲しいことだと僕は思っているから。だから、岬さんの計画が成功したら、晴れて君は感情を取り戻して、普通の人になれると思った。泣いたり笑ったりできる心を持てると思ったんだ。だから岬さんを利用することで、君を普通の人にしたかった。感情があるとかないとか、死に無頓着だとか、そういう仮面を被って生きている君に、光を当ててあげたかったんだ。好きな人に、笑ってほしかった。それだけなんだよ。自分で書いてて、とても恥ずかしいけれど。
 ごめんね。
 僕はそのために、最後に岬さんに殺されることを選ぶよ。
 多分、首を切ってもらう。
 惨めな方が、君は悲しむかもしれないし、何かしら心を呼び起こすきっかけになるかもしれないし。
 なんにせよ、僕の死で君が何か感じればいいと思ったんだ。
 とても迷惑な話だよね。僕は君の心のために、君の知り合いや家族は死んでもいいと思った。僕のこの判断や選択が間違っているというのなら、それでも構わない。どっちにしろ岬さんは君の知り合いや家族を殺して回ったはずだ。僕がどんな選択をしたとしても、岬さんは殺人に踏み切った。だったら、一番最後に僕が死ぬことで、無意味な殺人ではなく、意味のある殺人のすべきだと思った。君が心の底から泣いたり笑ったりできるように、君の心を甦らせることに利用させようと思ったんだ。都合のいい考え方かな? ごめんね、自分勝手でさ。非難してくれて構わない。僕はそうしたかった。それだけだ。君の知り合いや家族のみなさん、ごめんなさい。
 もしこの手紙を読んでいる君が、泣いてたら嬉しい。
 嘘泣きじゃなくて、本当の意味で泣いているのなら、僕は嬉しいよ。
 自己中心的でごめん。
 だけど、君のことが、好きだったから。
 もし君が、泣くことができていたら嬉しい。
 その涙の後で、笑うことができるようになっていたら嬉しい。
 僕は死んだけれど、君が泣くことで、笑うことで、君は幸せになれるんだ。
 それはとてもいいことだと僕は思う。

 長々と読んでくれてありがとう。
 さようなら。



 手紙の文字が、私の涙で読めなくなってしまった。

 泣いてるよ、泉くん。
 私、泣けるようになったよ。








 私は一緒にいた友達を失ったけれど、学校に通い出して、新しい友達が何人もできた。というよりも、向こうは私を友達だと思ってくれていて、私がそれを勝手に忘れていただけの人たちだったけれど。私の記憶にないのだから、それは新しい関係だと言っても差し支えがないだろう。
 変わったね。
 そんな声をよく聴くようになった。
 自分の柔らかさとか、優しさとか、何人もの人に言われた時には自分でも可笑しくなってしまう。そして、そんな声を掛けてくれた人たちと一緒に笑いあった後、ふっと死んでいった人たちを思い出すのだった。皆が死んで、私はこうしていろんな人たちと再び手を取り合うことが出来るようになり、笑ったり、楽しむことができるようになった。たくさんの死の上に生まれた幸せは、幸せと呼ぶことができるのかはわからなかったけど、泉くんの言葉を借りるなら、私はきっと、幸せになれたと言えるのかもしれない。私は、心を手に入れて、誰かと笑って、泣いたりできる。
 それは幸せなのかな。
 わからない。
 でも。
 ずっと憶えていようと思う。
 私のために死んだ人たちのことを、何度も思い返して、その度に泣こうと思う。そして、また笑って、自分には心があることを精一杯贅沢に思うことにしよう。それは私のために死んだ人たちへの罪滅ぼしであり、最低限の懺悔なのかもしれない。だけどそうすることで、私はここに在ることを忘れないでいられる。この心をくれた人たちのことを、大切に思っていられるのだ。
 今まで私は、あらすじばかりを横からなぞってばかりいた。前回のあらすじを語るように、次回予告を語る様に、私自身を脇によけて、ひたすらに傍観していた。けれど、私はそんな自分を過去にした。いろいろな人への気持ちを抱えて、いろいろなことを噛みしめて、いろいろなことを感じている。泣いている。笑っている。誰かに名前を呼んでもらって、私も誰かの名前を呼ぶ。それだけで、私は傍観者を捨てて、きっと物語の中に生きていくことができるようになったんだと思う。私なんかが何言ってんだって感じだけど、でも、私は……いろんな人の手を借りて、物語の続きを描くことを許されたんだ。







 もう、これまでのあらすじを嘲笑交じりに囁く『私』は、いない。
 けれど、そんな私の延長線上に私がいることを忘れない。
 『君』や『あなた』がくれた心を、『あなたたち』から受け取ったものを、私は忘れない。
 だから、物語は続くのでした。



 
メンテ

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