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[14] 路上ファンタジア
   
日時: 2011/09/01 23:36
名前: かに ID:ELRoTFzI

 ――すべての表現者に捧ぐ



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メンテ

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2−2 ( No.5 )
   
日時: 2011/06/10 21:39
名前: かに ID:fZ.D.DjY

 マサルの家を出たときには、視界が暗転していた。見上げても月はなく、辺りの住居の光を頼りに右の路肩を進んでいく。いつも背負うヴァイオリンケースが心なしか今日は軽い。二十歳を過ぎると体力が落ちると世間で言われているのはデマだと改めて思うようになる。青春を謳歌するのはこれからだ。
 駅前の地下通路を横切るときに、ナイロン弦が弾ける音と掠れ気味の男性の声が反響して耳に入る。

 僕たちは人生のみなしご
 足元の見えない道を歩く
 踏むたびに割れる音がして
 駆け出したい衝動を抑え
 じっと待って動かないで
 君が手を伸ばしてくる

 十人がギター青年を囲んでいる。バラードだが、歌詞に似合わず明るい感じの曲調だ。チェック柄のよれよれのシャツにアコースティックギターを抱え、リズミカルに手首を上下させている。アゲハはふと足を止めて周囲の様子を窺った。聴き入っている若いカップル、離れていくサラリーマン、東口から来る学生は歩調を遅めて通過したあと再び速度を上げて歩く。入れ替わりは激しいようだ。
「ストリートか」
 アゲハは歌う青年よりも場に興味を示していた。それぞれが好きな姿勢で聴いている。人を選ばず人を引きこみ想像を与えていくのはいい。
 歌い終わったタイミングで、アゲハは青年に近づいた。
「こんばんは。あなたの予定が聞きたいですね。明日もここでやるのですか?」
 自己紹介をしなかったが、アゲハの持つヴァイオリンケースは同業者を匂わせるのに十分な効果を発揮していた。
 青年の声が強張った。
「明日もやるよ。明後日も」
「時間は? 昼ごろなら空いていますか?」
「……まあ、昼は。でも五時からは譲って欲しい」
 縄張りだと言わんばかりに青年は場所に固持している。インディースで生活をしている彼らにしては機会を失いたくはない。青年もまた音楽を本気で取り組む人間だ。ジャンルは違え、アゲハの心に響くものがないとはいえど。
「それがマナーというものですね。わかりました。邪魔はしません」
 アゲハは青年に礼を言って地下通路を抜けていく。駅前の雑踏を歩きながら時計塔の時間を見る。七時十分。弟のライブがはじまっているころだ。ギターは果たして予定通りに鳴らすことができるだろうか。
「悪い癖、治っているといいんだけど」
 今回もおそらく駄目だろうなと期待はあまりしていない。
 ライブから帰った顔は落胆に満ちているだろう。そんなときは蹴ってやろう。
メンテ
3−1 ( No.6 )
   
日時: 2011/09/01 23:36
名前: かに ID:ELRoTFzI

「自信」
「え?」
「自信だよ自信。たくさん練習してたらさ、失敗するわけないじゃない」
 アゲハはさも当然そうに、正座するホタルを見下している。左手には音叉を持ち、ホタルの耳の近くで鳴らした。金属の硬い波が耳小骨を揺らしていく。正方形の置時計はちょうど十時を示していた。
「気持ちがたるんでいるんだよ。わかるかね、弟よ」
「姉さんにはわからないよ。どんなに練習しても、百パーセント完璧にできても、ステージの上ではその確率が狂うんだ。十パーセントもできなくなる。全然違う」
 ホタルは歯を食いしばった。膝に乗せた指が震える。まるで呪いをかけられたように、歓声を聞くと手が固まる。繋ぎとめようと思っても、脳の信号は届かない。
「人前に出るのが苦手なんだ。昔から僕はそうだった」
「僕? そんな弟知らないけど」
「俺、です。ごめんなさい」
「謝るな」
 ごめんなさ……と言いかけて、ホタルは慌てて口をつぐむ。アゲハなりの思いやりだ。言葉遣いを変えることから自信をつけさせようとした。中身は外から干渉できると姉はいつも言っている。だから派手な服を着ている。
「努力しようか。明日の昼は空いてるかい?」
「昼? 姉さんがレッスンしてくれるの?」
「まあね。とっておきのを」
 アゲハの目が銀の光に輝いた。なんだかんだで世話好きで、多少割には合わない額でも家庭教師をするほどだ。ホタルは薄々気づいている。アゲハの今の職業が、本当は誰のためにあるかを。
「姉さん……」
「腹が減った。料理作ってくんないかな」
 ライブから帰ったばかりなのに容赦のない姉である。ホタルは深く溜息をついて、
「わかったよ」
 とキッチン台の前に立つ。これも罰ゲームなのか。
 今日はエビチリにした。冷凍庫に剥きエビが用意されていた。片栗粉で衣をつけて中華鍋に置いていく。切り刻んだ玉葱とチリソースを混ぜて炒める。艶のいい橙色をスープ皿に流し込む。
「まあまあね」
 アゲハはいつもホタルの料理をこの一言で片付ける。腹に入ればどんな味でもいいらしい。そのくせアゲハは手間をかけて料理を作っているものだから、自分のことより他人に何かを振舞うのが好きなのだろう。
 ヴァイオリンもまた然り。奏でる音は色取り取りに皿に盛られて差し置かれる。届けられた御馳走からはビブラートの香りがする。ホタルはアゲハの奏法を頭の中で繰り返しながらエビのスープを口にする。眉をしかめて姉との違いを咀嚼しながら検討した。
「ごちそうさま」
 アゲハは立って自分の皿を洗いはじめた。
メンテ
3−2 ( No.7 )
   
日時: 2012/01/13 18:43
名前: かに ID:Jv4K.d5U

 翌朝。ホタルは眠い目を擦り、音楽とは程遠い教育学の授業を受ける。親の期待は姉が常に背負っていたので、ホタル自身は音楽を専攻するのを避けていた。姉とは違う音楽の道、ハードロック/ヘヴィメタルを志向したのもその表れといってもいい。
 ユージたちとは大学が違うので、校舎内で会うことはない。ほっとしつつも胸に隙間風が吹く。千切れた弦。同じ波をもう共有はできないのだ。自分だけが切り離され、日常の場に取り残される。自業自得とわかってはいても。
「姉さんは何をする気だろう」
 円グラフのスクリーンを見つめ、講師の声に耳を傾け、作業としてメモを取る。頭の中の空想は昨日のライブと姉のことでいっぱいだ。自信をつけろとアゲハは言った。午後から特訓をはじめると。
 本当に弱点は克服できるのか。
 喉を鳴らして唾を呑みこむ。
メンテ
3−3 ( No.8 )
   
日時: 2012/06/05 14:29
名前: かに ID:eW/cfSOw

「じゃじゃーん」
 家に帰って見せられたのは、プラスチックのお面だった。祭の屋台に置いてある、眼部に無数の穴が開いた特撮ヒーローのあのお面。それをマジックで塗りたくり、模様をつけて妖怪にした。無駄に凝った塗装なので子供が見たら怖がるだろう。アゲハの手芸工作は日を重ねていくに連れてクオリティも上がっていた。音大を卒業するまでは全く関心がなかったのに、どういった風の吹きまわしなのか。
 けれど姉は楽しそうだ。昔よりも笑うようになっていた。
「被ってみろ。アゲハ様のお手製だぞ」
 《アゲハ》という名は姉が同人音楽で使用しているクレジットだ。動画サイトやCDでは作曲者、編曲者として名を連ねている。そのほとんどが版権ものでアレンジ曲ばかりだが、一割程度はオリジナルの楽曲だ。売れ行きや評判は版権ものには及ばないものの、ホタルはアゲハの作る曲に強い感銘を受けている。クラシックを基調をしつつ様々なジャンルを取りこんで幻想世界を表現している。時には激しく目まぐるしく、時には静かにゆったりと、細部を隅まで構築させて空間に行き渡らせる。瞼を閉じれば草原の匂い、風の音、星空までも見えてくる。まるで自分が登場人物になったように音符たちは語りかけて世界のダンスへ巻きこませる。物語の渦の中へと心と体を踊らせる。ホタルははじめて聴いたとき、高揚感が頭に抜けずしばらく宙を見つめていた。楽曲が終わったあとも残滓をこの身に感じていた。姉の才能はヴァイオリンだけに留まらず作曲までにも及ぶものだと、喜びと嫉妬に満ち溢れた。
 そんなアゲハは仮面を持ってホタルの顔に押しつける。ゴムを頭の後ろに回し、顔面へと固定させた。
「ほほう、いい感じじゃないか。前は見えるかい」
「ね、姉さん」
「鏡で自分の姿を見ろ。凶悪そうに見えるだろう?」
 そう言ってアゲハは手鏡をホタルの前に突きつけた。あるはずだった自分の顔が別の顔に取り変えられ、ホタルはつい両手で面の頬に触れる。マジックのべとついた油分が指の腹に付着する。
「あんまり触んな。塗装が落ちる」
 注意されてホタルは慌てて手を放す。正面の鏡を右から左に覗きこみ、自分ではない感覚にホタルは浸りはじめていた。
「へーえ、これが俺」
「そう。これがあんた。弾けそうかい」
 ホタルの両手にアゲハはギターを持たせた。「スリップノットみたいだね」と照れ笑いを呼吸口に漏らしながら、ピックを手にして弦を弾く。素早く上下にギターリフ。腕を下ろしてストローク。
「……どう?」
「どう、って」
「外で弾けそうかい?」
「外で!」
 姉は何を考えているんだ。外でなんてとんでもない。ホタルは素早く首を振って「無理無理無理」と叫び続けた。しかしアゲハは聞く耳持たない。
「そうか、賛成してくれるか。あんたも一応男だもんな。それくらいの度胸はなきゃ」
「ええ? そんなこと言ってないし」
「あんたのメタル魂を愚民どもに見せつけろ。この世を恐怖で染めちまえ。あはははは」
 ヘヴィメタルのジャケットに描かれる悪魔のような笑顔を浮かべて、アゲハはホタルの腕を引っ張り無理やり外へと連れ出した。妖怪のお面はホタルの顔に貼りつけたまま。
メンテ
3−4 ( No.9 )
   
日時: 2012/12/03 11:18
名前: かに ID:P4hGuEcs

 道を歩けば誰もがホタルに振り向いた。痛い視線が突き刺さり、お面の中で赤面した。
「姉さん、やめようよぅ」
 しかしアゲハは正面を見据えて地下通路に入っていく。ホタルの腕を引っ張りながら。
「さあ着いたぞ」
 ヴァイオリンケースを床に置いて、演奏の準備をする。そんな姉を横目で見ながら、ええいままよと唇を結んでギターのベルトを肩に掛けた。人差し指で弦を弾く。左手でネジを回し、音階を調節する。ベストな音を出すために。入念に。丹念に。アゲハもまたヴァイオリンを構え、弦の張りを整えた。その間の二十分、彼らの前を歩く人の三割が振り向き、一割が足を止めた。
 紺のジャンパーを着た老人がキャップ帽に手を掛けながら二人にちょっかいを出してきたが、ホタルは唇を結んだまま、ひたすらに指を動かしていた。前もってアゲハから無視するように指示されている。会話が苦手なホタルにとってもそのほうが都合がよい。
「さあて、はじめますかね」
 準備万端。アゲハのヴァイオリンケースには一枚のプレートが立て掛けられている。モノトーンで描かれた鎖のような蝶の羽に、ゴシック体を少し歪めた赤い太字で《DOUBLE FLY》――アゲハとホタルのバンド名だ。アゲハが勝手に名付けたもので、ホタルは現地ではじめて聞かされて驚いた。
メンテ

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