夜の底から脱け出せばいい ( No.6 )
日時: 2015/09/06 00:04
名前: バーニング ID:U59xlT2.

 なんともやりきれない一日だった。やれやれ、という言葉はこういうときのためにとっておくべきなのだろう。完璧な休日など存在しない。けれど、やることなすことが空回りし続ける一日も、なかなかあったもんじゃない。
「で、結局何があったの?」
 ダブルベッドの隣で下着をつけながら彼女は言う。そう言ったあと、すぐそばにあるメンソーレに手を伸ばし、火をつけて吸い始める。タバコを吸う女はセクシーだと思っていた時期があったような気がするが、事後に決まってタバコを吸いたがる彼女を見ていると、セクシーだと感じるよりはああ、いつもの通りだという安心のほうが先に立つ。
 安心。それを求めて一緒になったわけではないのだが、最近は何かと安心を求めすぎているきらいがあるのではないか。だから、たった一日の後悔が大きなため息に変わっていく。ばかばかしい、と思えるくらいの余裕と、ばかばかしいとは思えない不安をぬぐう場所を、いつのまにか求めてしまうようになった。
「結局、自分でコントロールできないことにくよくよしているほうがばかなんじゃないの。ばか、ばーか」
 さすがにタバコの煙をよこすことはしないまでも、いさかかサディスティックに見返してくる彼女の目線に軽く嫉妬を覚える。なぜそうも余裕を見せつけられるのか、と。
「いいことを教えてあげようか。寝ろ。とにかく寝ろ。寝ちまいな。人間はたいてい、寝てしまえばめんどうなことなんて忘れられるものだよ」
 さすがにいらっとしたので反論する。
「……簡単に言うんじゃねえよ」
 そう返したのもつかの間、彼女はあきれたような顔をして大きな煙を吐き出す。
「くよくよしている男なんて大っ嫌いだね」
 ただでさえ弱っているところに、こうも強気でまくしたてられてはたまらない。ああ、分かったよ、寝るよ。寝りゃいいんだろ。
「そう、寝りゃいいんだよ。寝てしまえばやがて朝がくる。夜の底から脱け出せばいいんだ。おやすみ。またな」
 朝になったら即座にチェックしてからホテルを後にした。夜を終えたばかりの朝日が、静かになった繁華街に降り注いでいた。あまりにもまぶしかった。夏はまだ続くのだろうか。

 始発を何本か過ぎたあとの電車で最寄り駅に帰ったあと、朝ご飯を軽く食べてからもう少しだけ寝返すことにした。今日が日曜日でよかったというべきか。
 トーストを一枚、トースターにつっこみ、ホットコーヒーを入れる準備をする。作り置きしているレタスサラダの入ったタッパーを冷蔵庫から取り出し、皿に取り出していく。3日前くらいにタッパーに入れたはずだが、案の定そろそろレタスの色が変わりはじめている。今日明日中にはすべて食べきったほうがいいだろう。
 焼き上がったトーストにはマーガリンをつけ、レタスには塩とごま油を振りかける。朝食というものは一日のルーティンなので、ほぼ毎日こういう形を維持している。変わるとすればコーヒーがホットかアイスかくらいだろう。野球選手がバッターボックスに入るときと同じで、一日の最初のリズムをあえて崩す必要なんてない。
 そういう思いが強すぎるのだろうか。
 コーヒーを飲み干したあと、トイレに行き、そのままシャツを脱いでベッドになだれこんで、再び寝た。
 起きたころには時計は正午を過ぎつつあった。予定よりずっと長く寝てしまっている。帰ってからシャワーを浴びてなかったことを思い出したので、服をすべて脱いでシャワーを浴びにいった。
 シャワーを浴び終えたあと、服を着替えて気持ちを切り替える。まあ、実際はこんなことで簡単には切り替わらない。気持ちというよりは気分の問題だ。あとは、あいつに会いにいけばいい。
 家を出て何時間かぶりの最寄り駅に向かう。ここから池袋までは一本で行けるので楽だ。
 いつのまにか電車の中でも寝ていて、気づけば電車は池袋駅のホームへと入っていった。慌てて荷物を確認して、電車を降りる。昨日よりはよほどマシだが、今日は今日で少し慌ただしい一日だ。
 奈月とはジュンク堂で待ち合わせることにしている。きっと少し前までならリブロだったはずだが、あれだけの面積を占めていた書店もあっけなくなくなってしまった。じゃあ、リブロの後釜に入った三省堂でいいじゃん、と聞いたことがあったが、返って来た返事はあっけなかった。三省堂ではhontoカードが使えないでしょう、と。
 奈月の気に入ったジュンク堂、というよりはポイントサービスの効能を確認しながらジュンク堂へと足を運ぶ。休みの日にこの店にくるとレジ前が非常に混み合っていて人を探しにくい。
「ジュンク堂ついた。いま、どのへんにいる?」
 というメッセージをとりあえずLINEで送っておいた。奈月がいま画面で何を見ているかわからないので、ついでにswarmでジュンク堂にチェックインもしておく。
「りょーかい。4階の喫茶コーナー」
 いつもなら1階で雑誌をふらふらと読んでいた気がするが、喫茶コーナーにいるということはずいぶんと早く着いたのだろうか。とりあえず、エスカレーターで4階まで向かうことにした。
 4階についてから喫茶コーナーに向かうと、奈月の姿をすぐ見つけた。
「遅いね。待ちくたびれたよ」て
「いや、そっちが早いんじゃないか。だって今日は13時の待ち合わせで」
「あれ、そうだっけ。12時だと思ってた」
「えっ」
「いや、たぶん12時で合ってると思うよ。12時に待ち合わせて、適当なところでラーメンを食べて、そのあとシネリーブルで映画って流れじゃなかったっけ」
 だめだ、あまりにも思い出せない。13時に奈月と会う、そのことだけがかろうじて覚えている内容だった。
「……ごめん、申し訳ない。ちょっと昨日から気分がよくなくて、どうかしていたよ」
 奈月はじっとこっちを見つめる。読んでいた本をぱたんと閉じて、一言。
「今日見る映画のこと、思い出せない?」
「映画? なんの話だったっけ?」
「心が叫びたがってるんだ。だよ」
 ああ、そういえば。近いうちに絶対に見に行こうと約束していたはずだ。
「公開は確か」
「昨日からだね。今日はまだ二日目。早いうちに確実に行こうってことで、珍しくネットで席もおさえてたよね」
 そう、だった気がする。気がするが、はっきりと思い出せない。昨日意識が落ちる前に彼女から聞いた言葉を思い出す。
 夜の底から抜け出せばいい。ああ、でも、いまの状況ではどうやら、まだ意識は夜の闇に落ちたままだ。
「さあ、そろそろ時間だし、見に行こうか」
 彼女が席を立つ。朝ごはんを軽くとっただけの身には、少し空腹がつらい。
「ああ、行こう」
 むしろ俺の心が叫びたい、なんてことはいまは言えない。映画を見てからすべてのことを思いだそう。せめて、せめて今日がやりきれない一日にならないように。
 
(終)