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[21] 黒き使い
   
日時: 2011/12/17 04:12
名前: 甘李忍 ID:0GsSxQCM

初投稿です。

ルールとかイマイチ把握しきれてないので、何かおかしな点に気付いたら方いましたらぜひ教えてください。

何でもいいんで感想頂けると嬉しいです。


全部で3、4回の予定です。サブタイトルとかは特にありません。

読みづらいとは思いますが、最期まで目を通していただけたら光栄です。



ではどうぞ
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黒き使い1 ( No.1 )
   
日時: 2011/12/16 04:11
名前: 甘李忍 ID:IQMMzTxg



ひとつの作品には、必ず何か物語が秘められている。

それはどのような低俗で下らない作品であっても共通して言えることだ。

こんな馬鹿馬鹿しい物、と思っても、元を辿ってみると案外作者の並々ならぬ労苦が隠されていたりするのである。

当然大して悩みもせずに、あっさり作品を生み出してしまう人もいる。

そのような人にとっての創作は、友人と挨拶を交わしたり、気楽に鼻歌を歌ったりする程度の労力しか要さない。

しかし、作品にはそれが現われる。

目に見えずとも人生の軌跡が映し出される。

人はそれを無意識に、しかし敏感に感じ取る。

例え作品を表面的な部分でしか読みとれない人にも、目に見えないその何かは伝わっているのである。

ある程度の良作が、正確な知識をもたない民衆の名声をも勝ち取れる要因のひとつが、ここにある。



人は共感を求める生き物である。

それ故に、自身の声を代弁してくれるような作品を求める。

しかし作品とは、作り手の心が現れるもの。

人間が皆心を持つ以上、究極的には共感できない作品などないといっても過言ではない。

そのために、人はときに誤解してしまう。

作品への共感が、作り手と受け手の心が重なり合ったのではなく、単に肩が触れ合っただけ、などという理由から生じることも、十分にありうる話なのである。



*****



人は長い人生において数度、もしくは一度きり自分という存在に揺さぶりをかける何かに出会うものだ。

そしてそのような人生の転機といえるほどの大事件に限って、大した理由もなく、「何となく」から始まったりするのものなのである。

この男についても、それは例外ではなかった。



男はある日、急激に目覚めた。

いや、目覚めさせられた、といったほうがいいかもしれない。



*****



男は日々当てもなく街をぶらつき、青春の貴重な時間をただ無駄にすることばかりに労力を注いでいた。

特にしたいことがあるわけではなかった、やるべきこともないではなかった。

しかしそうと認識していたところで、理にかなった行動には所詮結びつかなかった。

男には、したくないことは山ほどあった。

そのひとつが、暇な時を過ごすことだった。

外出せず、何をするでもなく家でだらけているのは、男には耐えられない。

そのため、半年以上前から続く、男の当てもなく彷徨する癖は、暇を持て余した末の行動であるには違いなかった。

しかし少し考えれば分かることなのだが、男は本来の暇から逃れれば暇を克服できると思い込んでいたのだ。

また男にとって、全身を支配する空虚感を放置することは、同様に耐え難かった。

それを何かで埋めようとしても、その何かが分からなかった。

何をすれば充足するのかが分からなかったために、この男がよく多くの人がするように、物や贅沢などに頼るようになったのは、自然な流れだったのかもしれない。

男は親からもらった金にバイトで稼いだ小遣い程度の金を足して、娯楽三昧の毎日を送った。

しかし近頃はこの行為もすでに常習化しており、本人もさすがに倦怠感を感じ始めている事に気付きつつあった。

うまいものを食べたり、気に病まない程度に高価な品に手を伸ばすが、もう満足どころか苛立ちすら覚えてしまう。

しかし熱しやすく冷めやすい男の気まぐれさが、また娯楽といっても法に触れるようなことは出来ない臆病さが、極めつけに偏見に満ちた狭く侘しい世界観が、男のあらゆる可能性を奪ってしまっていた。

男にはすでに、自分自身でこの世を生ききるための力が残されていなかった。

そんなときに事件は起きた。



その日、男は大型デパートのモールでいつも通り面白くもないことに金をつぎ込んだあと、次は何をしようかとやはり時間も体も持て余していた。

そんな時ふと、出た店の反対の通りにポツンと立つ看板が目に入った。

そこには、モール内の一角にて美術品の展示が行われているとの旨が記されていた。

男は美術には大して興味なかったが、こんな真昼から美術展を物憂げそうに眺めていれば、その道に通じた知的な人間に見られるかもしれない、と虚栄心がふつふつと湧き上がってきて、また丁度することもなかったために、その美術展に足を運ぶことを決めた。

目的地に着くと、時間帯のせいなのか、それとも元から大して人気がないのか、入口から見た限りでは中には受付嬢を除いて人ひとり見当たらなかった。

男はその動機故に失望し、来た道をかえそうとした。

しかしすぐに、優しい橙色の電光に照らされた展示場の、一握りの階級にだけ許されるような豪奢さと、それでいて素朴さを兼ね備えた、その高尚な雰囲気にのまれ、何となく中に足を踏み入れてみたい衝動にかられた。

彼にとって、美術などの自分には理解できない芸術といった類のものは、人が印象をよくするために身につける知性の装飾品か何かだと考えていただけに、こういった感情を抱くことは珍しかった。

実のところ、雰囲気がいいから、などといった言葉だけでは説明しきれない胸の高揚があった。

心臓が脈打つたびにぐいぐいと内部に体を引っ張られるような異常な感覚に、焦りすら感じてしまうほどであった。

それは、彼が子供のころ、毎日が初めての経験で、何もかもが光り輝いて見えたあのときの、もう二度と味わえないと思っていたあのときの経験に良く似ていた。

しかしそういった考えに及ぶまでもなく、男の感情の高ぶりは、俗世的な思考によって治まってしまった。

たまにはこういうところに入るのも悪くない、つまらなくなったら出ればいいだけだ。

それにあの受付嬢に惚れられてしまうということもあり得ない話ではない。

などと一度も経験したこともない癖に、現実味のない妄想に取りつかれ、軽い気持ちで中へと足を踏み入れた。
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黒き使い2 ( No.2 )
   
日時: 2011/12/22 20:46
名前: 甘李忍 ID:C9VkACPE

受付嬢から挨拶をされると、人見知りの激しい男は上擦った声で返事をした。

ごゆっくり、と優しい、少なくとも男には恋人か何かにかけるかのように甘く優しく聞こえた声を、自然に聞き流すふりをし、渡されたパンフレットに真剣に目を通しているがために嬢のことを全然意識していないかのように装った。

そういった不純な感情に支配されていたため、壁に並ぶ絵画やいくつかの彫刻などに目を通しても、男には芸術品に触れたことで起こるような新たな感情が生まれる余裕はないようであった。

所詮この男には、異性どころか他者と挨拶以上の会話を続けられるような、いわゆる普通の要領のよさというものが備わっておらず、むしろそういった性質がおよそ役にも立たないような妄想癖を助長させてしまったのかもしれなかった。

そうして男は頭の中で様々な嬢とのやり取りを思い描き、その誇大な空想が、当初意識していたはずの視線も届かない世界に男を連れ去りかけたとき、男は自然とある一枚の絵画の前で足を止めていた。

男は見てるふりをしても焦点はその対象に定まっていなかったのだが、黒を基調とした濃い色使いが特徴的だったためか、気付けば不思議と焦点はその絵に定まっていた。

するとこれまた不思議なことに、男はみるみるうちにその絵に意識を吸い込まれてしまった。

何だろうこの感じは、何だかわからないけど今無償に感動を覚えている、これはなんだ、記憶の奥底をぐわんぐわんと揺さぶられるような懐かしさと、それでいてどこかさみしい感じもする、何より生まれてこのかた、こんなすばらしい絵は目にしたこともない。

などと、次から次へと考えが脳裏を駆け巡り、ついには脳内でも黙りこくって、ぽつねんと絵画の前で立ち尽くしてしまった。

気が付くと男は小1時間ほど立ち尽くしていた。他人の目なんかはすっかり忘れてしまっていた。

ただずっとこの絵を見続けていたいという衝動から逃れることが出来なかった。



「あの…」

すると突然声がかけられた。

男が振り向くとあの受付嬢であった。

急な事態に、男はとっさに反応できず、あの、えと、など呟くように繰り返しては動揺していた。

しかしそれを遮るように受付嬢が続けた。

「すみませんが、今日は夕方までの展示となっておりますので、このくらいで…」

男は惨めなほどに慌てふためいた。

またもや先程までの感情は消え去ってしまい、慌ててぺこぺこと頭を下げては何事もなかったかのように展示場を後にした。

男には友人も恋人も話相手が全然いない、あるのは家にいる口うるさい両親くらいである。

そのため、このような一方的な会話ともいえぬコミュニケーションだけで、些細ながらも幸せを感じられるほど単純な性質の持ち主でもあった。

そして特にもうすることはない、それにやけに疲れてしまった、こういうときはすぐ帰って泥のように眠るに限る、とまた本来の気ままさを取り戻して、鼻歌など歌いながらぶらぶらと帰途に着いた。

そして家で布団にごろりと寝転がると、先ほどとは打って変わって、再びあの絵の事が思い返されてきた。

黒い犬のような動物が、水彩画の背景の上に殴りつけるように描かれていた、変わった絵だった。

あれは何だったのか、まるで魔法か何かかけられていたかのように神秘的だった。

本当に吸い込まれてしまうのではないかと思うほどに、自分をひきつける力が秘められていた。

考えれば考えるほど尾を引き、あの一枚の絵画のせいで、今日一日が狐に化かされて見た夢だったのではないかとも思えてきた。

しかしすぐに疲れから来る眠気が思考を妨げ、男は眠りの淵に落ちていってしまった。



*****




目が覚めてすぐ浮かんだ感情は、あの絵がもう一度見たい、との想いであった。

昨日は何故あんなにあっさりと帰ってきてしまったのか。

あの絵には確かに何か不思議な力が秘められていた。

それはおそらく言葉では説明しきれない類のものだ。

駄目だ、どうかしてる、あの絵を再び目にしないと抑えられそうにない。

男はいてもたってもいられず、出掛けようとして時計に目をやった。

時刻は午前4時、半端な時間に起きたものだ、展示場がもう開いているとは到底思えない。

しかたなく諦めて気持ちを鎮めようとするが、しかしどうにも落ち着けそうにない。

男は理性を失ったかのように盲目的にあの絵を求めていた。

その様子はまるで霊か何かに感情ごと乗っ取られたかのように異常なものであった。

男は考えた挙句、ネットであの絵を検索して見ることにした。

あれほどの衝撃的な絵だ、きっと大変有名な作品に違いない、と考えたのだ。

帰り際にちらと作品名が見た気がする。たしか『黒き使い』とか何とか…

さっそくその名で検索してみるも、昨日見たあれとは無関係そうなものばかりがひっかかる。

あまり知名度のないものなのか、それとも名前を間違えているのか、と考え、男はあることを思い出した。

昨日受付嬢にパンフレットをもらっていたではないか、あれに作品名がのっていたはずだ。

コートをまさぐって、何とか昨日もらったそれを見つけ出すと、一覧に目を通して、男は仰天した。

あの作品名が記されていないのである。

見間違ったといっても、確か黒という字が入っていたは確実に見たはず。

しかし一覧には漢字を使った題のものは、花、器、などの文字を含む明らかに異なるものばかりだ。

もしかして英語やカタカナでルビでもふられていたのかもしれない、そう考えて一覧を何度も見返すも、それらしいものはまるで見つかりそうにもない。

この事が更に男を悩ませた。

男はついには、あの絵は本当に魔法か何かがかけられていて、本来普通の人には見れないものを、特別な才能を持った自分には見えてしまったのではないか、などと飛躍した考えに到達した。

ははん、なるほど、どうりであんなにも惹き付けられたわけだ。

どうやら俺はとんでもないものに出会ってしまったらしい。

男は得意になると、まるで世界がひたむきに隠そうとしている秘密のしっぽを自分だけが掴んだような気がして、昨日までの無気力はどこやら、生き甲斐を見出したような心地になり、興奮を募らせるばかりであった。

ならばこそ、なおさらもう一度あの場所にいって、まだあの絵があるかどうか確かめたい。

男には朝が待ち遠しくて、待ち遠しくて、仕様がなかった。
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Re: 黒き使い ( No.3 )
   
日時: 2012/01/08 00:48
名前: 甘李忍 ID:1Jm7NHRc

ない。

あの絵画がないのだ。

いや、それだけならまだしも、展示場自体がもぬけの殻だった。

内部の壁は鼠色のコンクリで敷き詰められており、展示品どころか先の優雅さは見る影もなかった。

展示会は昨日が最終日だった、そう考えるのが自然な流れだろうか。

しかし、あの絵の名前は展示場の冊子にはのってなかった。

そしてこれである。

何かある、と思わないほうがおかしい。

男は考えに考えた、といっても、この男は一人でいることが多かったために、かなり偏った思考回路を有していた。

そうして考えて至った結論はやはり、常識では計り知れない何かを目の当たりにしていたのではないか、といったものだった。

空想は広がるばかりだった。男はいてもたってもいられず、再び走り出した。



*****



家に直帰するなり、店に電話で尋ね、展覧会の主催者と連絡をとった。

展覧会は昨日が最終日なのは確かだった。

しかし、やはりというか、そのような題名の絵は知らないと言われた。

男は尚興奮し、好奇心から来る歓喜が全身を駆け巡った。

しかし同時に手がかりを失い、途方に暮れた。

だがここで諦めては、何もかもなかったことになる。

絶対に見つけ出してやる、アレには何かが秘められているに違いないのだから。

男は何とかしてあの絵を見つけ出そうとして、ネットを再度徹底的に調べた。

その最中に見かけた日本画やそのサイトなどから、あの絵がめずらしい技法を用いていたことが分かった。

特徴的な絵だとは思っていたが、前例はあるとはいえ、あまり使われていないらしい。

何点か魅力的な絵画はあったものの、あの時の衝撃とは遠く及ばなかった。

同じような描き方をした絵でも普通の感情しか抱けない、しかしあれは違った!

男の興奮はいよいよ増して、更には、他の場所で再び展示されていないかとネットで展示場を探し出しては、片っ端から回り始めた。

ろくな仕事に就いていないだけに、時間は余るほどにあった。

あの絵画はすでに、男の生き甲斐にすらなりかけていた。

しかし探してもさがしても、どうにも見つかりそうにもない。

最初こそあった情熱は次第に冷め始め、みるみるうちに熱気を失っていった。

しかし男は弱い自分の意志に従いたくはなかった。

何が男をここまで動かしたのだろうか、倦怠からの逃避か、それとも人間に本質的に備わった探究心か。

おそらく最初は純粋な好奇心であっただろう。

しかしすでに、ちょっとやそっとでは動かせない、覚悟の執念へと変化を遂げていた。

男はあの絵との再会、もしくはその書き手との接触が、自分の人生の重要な転機だと考えた。

いや、むしろ、あのときすでに転機は訪れていたのだ。

毎日がくだらない退屈しのぎの繰り返し。

俺は気付いていたんだ、あんな怠惰に満ちた習慣には何の意味もないということに。

しかし今なら分かる、すべてはこのときのために。

男の情熱は蘇った、信念がある限りその闘志は燃え続けるに違いない。

男は先までの弱りかけた自分に、厳しく喝を入れ、新たな誓いを立てた。

それは「あの絵を自分の力で再現する」ということだった。

子供の頃見えた妖精が、大人になると見えなくなるどころか、存在すら信じられなくなってしまった、という話が童話などでよくあるではないか。

あれが真実だとすれば、俺のこの情熱が枯れ果てたとき、俺の中からもあの絵は消え去る。

それだけは許せない、俺は、忘れたくない。

あの絵は腐敗しきっていた俺に与えられた、最期のチャンスなのかもしれない。

なればなおさら、あの絵を、自らの手で!



*****



絵画道具一式を買いそろえると、すぐさま男は筆をとった。

記憶に埋まった絵の模写といえど、絵を描いたのは小学生以来、自分でも到底上手くかけるなどとは思ってもいない。

しかし大事なのは心、小手先などに頼る必要はない。

男は自らにそう言い聞かせ、また実際にそう信じた。

記憶の奥底に蓄積した泥濘を掻き分けるように、男はがむしゃらに筆をふるった。

朝は筆をとり、夕は手がかりを探しに各地の展覧会を巡り、家に帰っても再び心身を酷使し続けた。

電車での移動中も、メモ帳にひたすら記憶の片鱗を描き続けた。

一秒一秒が充実していた、生きていることを実感した。

ふとしたことで数日前までの自分を顧みたとき、涙が出るほどであった。



そして約二か月ほど過ぎようとしていたある日の事。

男は都心部のある展示場に足を運んでいた。

男はすでに自身の絵画を仕上げることに夢中で、この習慣はあくまで自らの精神に磨きをかけ、より創作に積極的になるための訓練か何かと考えていた。

それに、こうした習慣のおかげで、素人なりにも芸術作品に対する鑑識眼は多少なりとも養われてきていたのも確かだった。

もちろん、あの絵の存在は信じていた。

しかし男は、何となくではあるが、自分があの絵を完全に再現できるようになったとき、そのときやっとあの絵に巡り合えるのではないか、と物語のような未来を思い描いていたのだ。

展示場に着いて、ゆっくりと一つひとつ作品を見てまわった。

男からは気品ある風格が漂い、芸術家らしく見えるように装おう、といったあの頃の軽薄さは失われていた。

そして、今日もまた勉強になった、と通路半ば辺りですでに満足しかけていたとき。

ふと、ある一枚の絵の前で足をとめた。

荒々しい筆遣いが、どこか見覚えがある。

男はすぐさま、あの絵を思い出した。

同一人物の手がけた作品だろうか、しかし、どこか違和感がある。

もしあの絵と同じ書き手ものならば、もっと衝撃を受けてもよさそうなものなのだが…

別人物の描いた作品ではなかろうか。頭ではそう思えども、男には何かひっかかるところがあり、受付にこの絵のことを聞いてみることにした。

しかし話をするも、受付はバイトで、座って資料を配ることだけが仕事、それ以外は分からないという。

追求しようにも、態度は悪く、面倒くさそうにしているのがあからさまで、どうもそんな気も起きない。

男は何だかやりきれなって、自分から話を切ると再び絵の前へ向かった。

やはり、どことなく似ている。しかしやはり…

男はどうも積極的になれず、後で電話して聞くことにしてその場を後にしようとした。

「おい、きみ」

すると、男は展示場から少し離れたところで、肩を叩かれた。

先程の受付の声とは明らかに違う低い声、男は不思議に思って振り返った。

見ると、目の前に自分より少し背が高いくらいの中年の男が立っていた。

頭はぼさぼさで雑草のように四方に生え伸びていて、とてもじゃないが清潔とは言い難く、ぶかぶかのシャツに黒のコートを羽織った、見るからに怪しげな恰好をしている。

「何ですか」

男はあやしむような口調で尋ねた。

「なぁに、そんな軽快しないどくれよ」

中年は、にこりと笑って歯を剥き出しにした。

色は黄ばんでいて、何年も磨いていないと言われても納得してしまうほどに汚かった。

何の用かは分からないが、男はさっさと終わらして欲しい気持ちでいっぱいになった。

「きみ、さっきあの絵を見ていたね」

「はい」

「あの絵、気にいったかい」

男はこの中年が何故このようなことをきくのか気がかりではあったが、とっさに嘘をつくほどの要領も持ち合わせてはいなかった。

「えっと、そうですね、気になりました」

「気にいったと、気になったでは大分違うと思うがね」

中年は笑いながらいった。

「まぁいいさ。それよりさっき、キミが『黒き使い』という言葉を口にしたのを聞いていたのだが…」

「知ってるんですか!?」

男は間髪いれずに応えた。

今まで、例の展示場以外では、自分の頭の中でしか聞かなかった言葉だ。

男の興奮も無理はない。

「ああ、やけに嬉しそうだな、きみ。ところでどうだった、あれ、『黒き使い』は気にいったかい?」

「ええ、気にいったなんて言葉では表せません、あれは自分の全てです、あの絵について何か知ってるんですか、ぜひ教えて下さい!」

男の勢いある返答に、中年もたじたじであったが、それでもどこか嬉しそうだった。

「いやぁ、そうか、そんなに良かったか、そうか、そうか」

中年が嬉しそうに頷く様子に、男は何か知っていると考え、更に問い詰めた。

すると、中年の口からは予期せぬ答えが返ってきた。

「いやぁ、あれはな、実は俺が描いたものなんだよ。しかしなんだ、こうまで喜ばれるとは思ってなかったなぁ。いやぁ、散歩がてらに顔をのぞかせただけなのに、こんな嬉しいことが起こるとは。いやぁ、まいった、まいった」

中年は年甲斐もなく顔を赤らめて、何日も洗ってなさそうな髪をぼさぼさと掻き毟った。

一方、男はというと、もう想像だにもしなかった出来ごとに、一度に様々な考えが頭の中を巡り、収集がつかないようすだったが、しかし動揺した末に、突然こんな質問をした。

「あの、あの絵は一体何なんですか」

中年は男の言葉の真意を汲み取れずにいる様子だった。

「何って、えーと、ああ、技法の事かな。あれは素人には分からないかもしれないが、ちょっと独特の技法を用いていてね…」

「いや、そうではなくてですね、もっと根本的な、その、作品のもつ力の、源といいますか、何と言いますか…」

男は自分でも何を言っているのか、よく分からなかった。

男が見ていたものは、言葉には表せない何かだったのだ。

「ああ、そうか、動機のことか。やっぱり、芸術家としての成功かな、俺の描く動機といえば」

「いえ、そうではなくてですね…」

男は自分の伝えたいことが伝わっていないことに慌てた。

そして、少しずつ、何か全身で耳鳴りを経験するような、途方もない不安がぐいぐいと押し寄せてくるのを感じずにはいられなかった。

「その、何と言ったらいいか、こんなこと口にするのも憚られるのですが、その、あなたの絵にかけられている、魔法といいますか、なんといいますか、人間の常識では計り知れない何かを感じるのですが、その秘密を教えて欲しいのです…」

この言葉に中年はひどく心を動かされた。

それは男の気持ちが伝わったからではなく、名を馳せる芸術作品などに宿る霊的な力が、自分の作品にも宿っているのだと思いこんでしまったからであった。

「いやぁ、ほんとにうれしいなぁ、そんな風に言われるとは、描いたかいがあったというものだよ」

「あの…」

「うん、まぁあれは結構いい出来だったしな。そういわれると、改心の出来だったような気もするな。ああ、秘密かい? まぁあるといえばあるが、ないといえばないかな。秘密といってもそんな仰々しいものじゃないよ、やっぱ努力だね。絵だろうがなんだろうが、苦労する以外に道はないよ」

中年は鼻高々と言い放った。

誉められることが滅多にないせいなのか、やたらと饒舌であった。

人には誉められた時の態度が、見ていて気持ちのいい人と、他者の気分を害する人とがいるが、この中年は後者であった。

男はすでに苛立ちを感じ始めていた。

直観的に、またどう考えてみても、この中年が自分の求めている何かを秘めているようには思えなかったのだ。

しかし、それではあのときの感情の説明がつかない。しかし、男にはその矛盾を解き明かすことが出来ない。

「そういう意味で聞いてるのではないのです、あれは何なんですか、何か隠しているんでしょう、答えて下さい!」

男はもうヤケだった。不測の事態に混乱していて、またあの時と今の気持ちの比較をどう説明していいのかわからなかったのだ。

さすがに中年も、この態度から称賛とは別の感情を読みとり、狼狽を隠せなかった。

「ええとだね、きみは芸術についてあまりよく知らないようだな。芸術活動とはその人の魂を込める仕事だ、だからきみは僕の作品から僕の魂を、いやそんな褒められるほどのものでもないが、まぁそういったものを感じ取ったのかもしれないね」

この後も何度も二人のやり取りが続いたが、中年の返答は男の納得のいくようなものではなかった。

男の苛立ちはつのり、頂点に達した。

そしてついに男は分別もなく激情してしまった。

「あの絵は本当にあんたが描いたのか? だったら何故俺はあんたの前に立っているのに特別な感情どころか、こうやって話していて苛立ちを覚えるばかりなんだ、お前に秘密が隠されていたんじゃないことがよくわかった、模写した対象に何か特別な力が秘められていたに違いないんだ、あの絵は何を描いたんだ、さあ、こたえろ!」

突然の男の暴力にも似た怒声に、中年は気後れしつつも答えた。

「な、何を怒っているんだ、きみ。あまり教えたくはなかったのだが仕様がないな…実はあれは、あるゲームに出てくるモンスターなんだよ」

「ゲーム? まさか、そんなわけない、じゃああのとき感じたものは何だったんだ、嘘をついているのだろう、本当のことを言え!」

「いや、ほんとうだ、きみの考えているような不思議なものじゃない、ただすごく魅力的なデザインだったし、マイナーな作品だったから、上手くいじれば俺が描いたものとして評価されるんじゃないかと思ったんだ、勝手に使ったことは悪かったと思ってるよ」

中年は今にも泣き出してもおかしくないほどたじたじだった。先程までの堂々とした様子はもう見受けらなかった。

この言葉に、男は自分でもわけがわからぬまま、中年の襟首をつかみ上げた。

中年は、そのまま殴られるのではないかと考え、慌てて弁明した。

「い、い、いけないとは思ってたけど、でも画家として生計をたてなくちゃなんないし…俺も芸術家なんていえるほど大層なもんじゃないけど、俺だって人間だ、誉められたいし、認められたいし、でも自慢じゃないがそんないセンスはないし…人の作品を真似でもしない限りどうしようもなかったんだ、わるかったよ、でももう勘弁してくれ!」

中年の崇高さの欠片もない返答に、男は愕然とした。

男が感じていた漠然とした不安はより増大し、今にも押しつぶされそうであった。

男はあのとき抱いた感情すら疑い始めていた。

しかし男にはもうひとつ根拠があった。

「じゃあ何であのとき冊子にのってなかったんだ。『黒き使い』なんてどこにも書かれてなかった」

「さ、冊子? あぁ、作品の一欄がのっていたやつか。実は直前で俺から頼んで変えてもらった。後で思い返してみて、さすがに元の通りの名前じゃまずいだろうと思ったんだ。多分冊子は変え忘れたんだと思う。本当の名前は『ヘルファミリア』といって…」

男の不安はどんどん高まってきていたが、中年が全てを言い終わらないうちに、ついにそれは確信へと変わった。

その名前は、男が昔好きだったゲームの中で、一番好きなモンスターだったのだ。

まるで立っていた地面が足元から崩れ去って落ちてしまった気持ちだった。

感じていた不安も、あのときの感動もその正体をあらわにすると、男にはもう何もかもどうでもよく感じられてしまった。

中年が「このことは誰にもいわないでくれ」と懇願しているのをよそに、男は何もかもどうでもよさそうにふらふらとその場をあとにした。



*****



男は帰りの道程の間、終始虚ろな顔をしていた。

何かを考えているようで、何も考えていないようにも見えた。

男はふと気が付くとすでに自宅にいた。

両足を引き摺るようにして自室に辿り着くと、電灯を点けぬままベットに投げ捨てるように体を横たえた。

くだらない、くだらない、全部勘違いだったのだ、本当に自分は馬鹿だ、所詮馬鹿の妄想に過ぎなかったのだ。

不可思議なものに根拠のない信頼を寄せていたこと、あのようなくだらないものにうつつをぬかしたこと、全てがくだらなく感じられてきて、何度も後悔しては愚痴をこぼした。

全ては、意味などなかったのだ。所詮自分はクズでしかなかったのだ。

寝返りを打つと、月明かりにぼんやりと照らされた室内の、イーゼルの上の描きかけのキャンバスが目に入った。

描く、悩む、展示場に行く、記憶を探る、描き直す、絵を見に行く、考える…

あの日から休むことなく続けられた習慣を、男は鮮明に思い返していた。

あの堕落した日々を送っていた自分が、何故毎日あんなに頑張ることができたのだろうか。

何もかもがむしゃらであった、見栄も外聞もない美しい感情に、常に満たされていた。

男の両目から、ふいに涙がこぼれた。

月光を受けて、二筋の涙の跡がきらきらと輝いた。

男は体をゆっくりと持ち上げると、這いずるようにしてベットを降り、キャンバスの前の椅子に腰を下ろした。

慣れた手つきで筆をとると、透き通った水でその汚れを洗い落とす。

新しい絵具を取り出して、パレットに絞り出す。ほの暗い部屋の中、それが何色かは判別できなかった。

男は滑らかな動作でゆっくりとそれをすくうと、描きかけのキャンバスの上に、そっと筆をなぞらせた。

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