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[19] 俳句幻形
   
日時: 2011/12/30 17:43
名前: 攝津◆Z7SAVP2Jpk ID:Fc2UuV2g

読んで、いいな、としみじみ感じるような俳句、短歌、その他短詩をモチーフに、小品をちらほらと書き留めたいと思い立ちました。
ノーマル板でやるにはいささかアブノーマルだと思うし、プラコンでやるようなことでもないと思われるので、とりあえず純文学板にやってきました。

スレッドのタイトルは阿部完市という俳人の評論集からです。未読です。でもいいタイトルだと思うんです。

何はともあれ、不束者ですがよろしくお願い致します。

追記:作者が行き詰ったら消します。そのときはすぐ別の作品を書いているはずです。迷惑な作者です。すいません。
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時間 (富澤赤黄男:草二本だけ生えてゐる 時間) ( No.1 )
   
日時: 2011/11/14 17:40
名前: 攝津◆Z7SAVP2Jpk ID:2HSZpHpk

 あっ、と息を呑む。クラクション。車のタイヤが擦れる。うっ、と誰かが後ろで呻いた。そんな中、空中の猫だけはとても静かだ。
 猫はこちらからだと顔がよく見えないけど、ヒゲをピンと張っていて、車との衝突の影響なのかどうか、硬直しているみたいだった。彫刻みたいなんだな。凛々しい。運慶がやってきて空中から掘り起こしたんだ(あの通りの猫が空中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでなんだ)と言われたらさすがに趣味が悪いなとしか思えないけど、仁王像が大地に足を踏みしめるぐらいに、毅然として猫は空中に浮かんでいた。
 猫の背が反って、そこから向こうの景色が意識に昇ってきた。街路樹のイチョウが黄色い葉を落として、風がこの間を通り抜けていた。
 ぴくり、と体が震えたかと思うと、前足で空中を掻いて、わずかに頭をゆっくりもたげる。そうやって少しだけ辛そうなそぶりを見せると、急に体が柔らかくなった。
 座布団が横綱に跳ぶぐらいの勢いでアスファルトの上を転がって、対向車線の軽自動車に猛烈に跳ね飛ばされた。うっ、と誰かがまた後ろで呻いた。
 僕はしばらく立ってさっきのイチョウの葉を探したけど見つからなかった。猫が跳ねられたのは風が吹いていたからかもしれないな、と考えたりもした。

  冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものにあらわれているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位の時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間というものなのである。(吉田健一『時間』)

 夜、眠っているときに猫のことを考えてみた。僕は眠っているから当然何も考えられないのだけど。

 月の灯りだ。縁側に座る。素足を投げ出すと靴石が冷たい。
 遠くから、まだ夕暮れを惜しむ人もいるほど遠くから、鐘の声が聞こえてくる。
 なぜかはわからないけど三味線を抱えて琵琶法師が歩いている。鐘の声が聞こえてくるのも、あるいはそのせいかもしれないな、と思う。
 僕は静かに座り込んで、緊張に体を固めている。猫のことを考えているためだろう。
 庭を眺めると、暗くしだれた柳の根元に、猫が一匹、真っ直ぐこちらを見ているのに気付く。僕はますます緊張に体を固める。
 猫は体も軽く、体重を忘れたかのようにふらふらと近付く。庭は尻尾の先から暗くなっていく。
 僕はただ眺めることしかできない。猫は既に五、六歩のところまで来ている。鐘の声がいっそう哀しく聞こえた。
 足下に、草が生えている。僕はそれを最後に眺める。猫の前足が草に差し掛かる。
 僕はただ眺めることしかできないけれど、猫のために墓を作ってやることにした。この、もう草二本だけしか生えていない庭に、イチョウの葉を添えて、鐘の声が聞こえてくるのと、月の灯りが差すのを期待して、立派な彫像のような墓を作ってやることにした。もしもそれが僕に可能ならば。


後書き
最初から難しいのを選んでしまいましたが、私が俳句というものに興味を抱いたきっかけになった句です。
富澤赤黄男:草二本だけ生えてゐる 時間
なんか旧劇場版エヴァのラストシーンみたいな感じじゃないですか?

習作にもなっていませんが、一晩置くとどのような文章も恥ずかしくなって投稿できなくなるので、今投稿しておきます。
メンテ
(阿部完市:林火先生純白諸事言う村咲く) ( No.2 )
   
日時: 2011/12/30 21:00
名前: 攝津◆Z7SAVP2Jpk ID:.DioQinc

 ふと町の中心にぶらぶらふらつきたくなることがある。ただ通りだけが見知っていて、店は壁の如く私に無縁に立っている。その中で、私が入れるのは本屋だけである。なので、私は本屋の中でふらついて数時間過ごすこともある。店員に迷惑なので、そういうときには必ず何か千円以上の買い物はするようにしている。しかし考えてみれば店の売り上げに店員の気持ちがそう左右されるものであろうか? 違う、と思う。どちらにせよ私は店からしてみると至極鬱陶しい存在であろう。
 そういう風に、また本屋の中でぶらりとして、普段足を運ばない、新館の最上階にまで上ってみると、主に並んでいるのは医学書だが、その隅にまとめて50パーセント引きやら80パーセント引きやらの文句を張られてある本棚がある。50パーセント引きのほうは全て洋書であり、80パーセント引きのほうは種々ある。一人の女性が洋書のほうを眺めているだけで、他に客はいなかった。私もなんとなく、折角だから眺めていた。
「あのう……」
「はい?」
 と言ったのは私ではなく店員のほうであった。
「『モモ』はありませんか? ペーパーバックの」
「あー……洋販はあそこに出ているので全部ですから……」
 と言いつつも店員はMichael Ende(ははぁ、ミヒャエルは英語読みでマイケルになるのか)の名前をとりあえず探してみて、そして児童書がかたまっているほうにも手を伸ばし、いじくり、一通りのデモンストレーションを終えた後で、残念そうな声で(表情は見ていないのでわからない)こう告げた。
「ここで全部ですので、ここになかったらないということになります」
「あら……ちょっと前まであったのに」
 女性はそれだけ言うと、少し息をついてから、
「ありがとうございます」
 とだけ告げて、また何かを探し始めた。『モモ』の代わりになるようなものであろう。
「洋販自体、もう取り寄せていないので」
「えっ?」
「二、三年前に潰れてしまったので」
 私は、それが初耳だったので驚いた。店員の唐突な申告に何の意味があるのかいぶかることも忘れた。
 洋販が!
 あの、ペーパーバックのほとんどが洋販経由であったというのに、あの洋販が!?
 と狂おしく思うほどではなかったが、どちらを買うか迷っていた"The Spy Who Came in from the Cold"と"Slaughterhouse-Five"の、ペーパーバック特有の軽さが身に染みた。
「洋販が……そうですか」
 私はスパイにもう少し我慢するよう告げ、ヴォネガットを買うことに決めてしまっていた。

 その後も女性は洋書のほうで何かを探している風でいて、私は隣の棚に移っていった。
 洋販が潰れたのなら、この割引も納得がいく。要するに、もう返品さえもできないのだ。裁断するのにも手間がかかる。出来る限り売り払ってしまいたいのだ。
 であるならば、この80パーセント引きのほうも既に潰れた出版社のものだろう……。そう気付いたのは帰り道のことであったが。
 80パーセント引きの棚で、私は有精堂『宇野浩二と牧野信一 夢と語り』を見つけたので、それは買うことにした。荻生徂徠や高野蘭亭の文集にも心惹かれたが、これらは80パーセント引きにせよ何にせよ高いものは高いのである。
 そして、『大野林火全句集』があった。定価12000円従って2400円で買えることになる。私は、迷った。
 私は林火の句は一句として知らない。何度か見たことはあるかもしれないが、諳んじることのできるものは一つとしてない。それでもなお、私は林火の名前には見覚えがあった。それが、悩ませた。
 もしかしたら、何かで気を留めたことのある俳人かもしれぬ。あまり俳句に詳しくもない私だ、もしかしたらこれは大俳人かもしれぬ。しかし、興味ある範囲の人間は調べた心積もりでもある。……2400円!
 私は、ひとしきり頭を悩ませ、踵を返した。女性はいつの間にかもういなかった。ただ1400円ほど払うだけであった。

 大野林火の名は、思ったほど心の中に残りはしなかった。ただ、『阿部完市全句集』を(長い間放置していた小説をなんとか書き終えるために)読んでいると、その名が出てきた。
  林火先生純白諸事言う村咲く
 『純白諸事』は阿部の第五番目の句集で、当時(『全句集』刊行当時)の最新句集だった。
 林火は、阿部たち現代俳句協会が中国を訪問したとき、その会長であった。
  花匂ふべしこどもらも能を舞ふ(中国訪問で林火の詠んだ一句)
 だから阿部が林火の名を取り上げるのは変なことではない。

 林火……大野林火。「大野林」ときて「火」と来るのは偶然ではないはずである。林火は俳号なのだから。
 リンカ……燐、凛、鈴。この軽すぎず、ミドルな感じの、リンカ。林火。
 純白諸事とは何ぞや!? と、この句の前では叫びだしたくなるが、その前に、これは林火が言ったのである。それを見たかった。
 そして、村咲く。
  椿散るああなまぬるき昼の火事 富澤赤黄男
 丁度これと対を為す句と捉えたく思った。
  林火先生純白諸事言う村咲く

 『大野林火全句集』は、確認していないが、今もまだ新刊最上階にある。私は、丸善がレモンで吹き飛ぶかのように、あの本屋が焼けてゆくのを夢想した。


後書き
私小説(笑)。エッセイにならないように最初フィクションを織り交ぜていましたが、全句集の話題に移ったあたりからもうなんか……やっぱ後藤明生っぽい気がしないでもない。ゴンブローヴィチは自分の好きな作家の取った方法に反発して小説を書いていたそうですが、それってもうメチャクチャ凄いことだと思います。今『フェルディドゥルケ』を読んでいます、メチャクチャ凄い本です。年が明けるまでに読み終えたい。よいお年を。
メンテ
きんもくせい(尾崎翠『神々に捧ぐる詩』) ( No.3 )
   
日時: 2012/02/05 15:05
名前: 摂津◆Z7SAVP2Jpk ID:q1ufaNfg

1.

 金木星という星があった。僕が小学二年生ぐらいの頃、それを知った。金木星はその名の通り金星と木星の間にある。なので同じように金星と木星の間にある地球にとても近く、その香りが地球に降りてくるときもあるほどだ。僕はその香りが好きだ。祖母の庭が、よく降りてくるスポットだった。小学校の帰り、ふと降りてくるときもあった。それによって、僕は太陽の光がまぶしいだけで、昼間でも空には星があるのだということに気付いていた。
 金木星の香りが飛んでくるのは季節による。それは太陽風によって運ばれてくるから、つまり、太陽-金木星-地球という順番の位置にならなければならないから、金木星は地球と金星の間ということになる。スイキンチカモクドテンカイメイにキンモクがないのは、スイキンキンモクチカモクとなると言いづらいからである。金星の次は金木星だと覚えていれば、何の問題もないし、もしわからなくなっても、金木星の名前の由来と、太陽風と香りの関係を考えればすぐに順番なんかは思いつくのだから問題はない。

 小学四年生の頃、金木犀という植物があると言われた。とうぜん、これはでたらめだ。なぜなら、金木犀の「犀」とは動物の犀のことだからだ。このことは、ウジェーヌ・イヨネスコという戯曲家の作品からもわかるし、デューラーの版画からもわかる。サルスベリはサルを滑らせるという成り立ちだから、植物でよい。サルノコシカケもサルのコシカケという意味だから、植物でよい。しかし、金木犀は犀に他ならない。
 つまり、金木犀は金木星に住む犀なのだ。
 僕は衝撃を受けた。金木星に生物はいないと考えていたからだ。近くの火星には生物がいないし、金星にも生物はいないのだ。
 しかし、金星に生物ができなかった理由は、非常に細やかなものだった。金星は、太陽に近すぎたのだ。地球とほぼ同じような原始星の状態から、今の金星が昼も夜も問わず460℃という灼熱の星になってしまったのは、雨が地上に達する前に太陽の熱によって蒸発してしまい、地上を冷やせなかったからだ。
 つまり、その金星よりも遠いところにある金木星の上に雨が降ることは不可能ではない。雨が降れば、金木星には生命が育まれる。金木星は地球にとても近いところにあるのだろう。しかし月よりは遠いのだろう。それは、潮流に影響がないことからわかる。もしかしたら、金木星はとても小さな、小惑星のようなものなのかもしれないとも考え始めていた。『全天恒星図』には載っていないし、図鑑の最後によくついてあるような「星の等級一覧」にも載っていないからだ。
 しかし、僕はそんな小さな金木星に気付いている自分に、誇りも抱いていた。

 ◆

  行き過ぎて金木犀は風の花 木村敏男

 これは金木星に住む金木犀が通り過ぎた後に、太陽風によって金木星の花が揺れてこの地上にまで漂ってくる様子を詠んだ句。

 「神を信じた者も/信じなかった者も」で始まる、ルイ・アラゴンの有名な詩の『薔薇と木犀草』にはこうある。

  (前略)
  語れ フリュートよ セロよ
  雲雀と燕とを
  薔薇と木犀草とを
  ともに燃えたたせた あの愛を

 少なくとも(もしかしたら雲雀も燕も)薔薇も金木星に生えていると推察できる。あるいは大雑把なくくりとしてバラ科のものを指すのかもしれない。
 ただ、僕はこれを優美な外観を備えた柔らかな薔薇と、ただ宇宙から香りを降らしてくる金木星の金木草との間に生まれた、わかりあえぬ(はず)もの同士の愛を詠んだものだと捉えたい。その点で評価はするが、どちらにせよ「神を信じた者も/信じなかった者も」というのは対句の関係によって、薔薇と金木草に宗教的な関係を結び付けていることが見受けられるから、そこはあまり好みじゃない。金木星に地球上の宗教観念を押し付けるべきではないと、僕は思う。
メンテ

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