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[4669] Hearts――哀の章「鬩ぐ意志の行方」
   
日時: 2018/12/02 13:33
名前: If◆rf3Ncl3QUs ID:RP98IVk6

 耳元に残る囁き。逃げていく温度。遠ざかっていく背中。伸ばした指の間を抜けて、ただただ駆けて行くあなたの姿。そして。
 あのときのあの瞬間のことは、ひとつ残らず記憶に焼きついています。毎晩意識を闇に埋めるたびに、眼裏で絶えず繰り返されます。二度と目にしたくない光景であるはずなのに、そのたび心のどこかでひっそり安堵するのです。あなたを忘却の海に沈めてしまうほうが、何千倍も恐ろしいのです。
 許して、とあなたは言いました。私をそっと抱きしめて、その耳元で。懇願でした。聞いた私のほうが心を締めつけられるくらい、切なく辛い懇願でした。理解はしているのです。あなたが私にどうして欲しかったか、それをどれだけ願ったか。けれど、私にはできませんでした。すべてを懸けて私を守ってくれたあなたの願いに、応えることができなかった。私は私を恥じました。呪いました。恨みました。それでも、どうしてもできなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。
 私は誓いました。それならば、あなたがくれたすべてをそのままあなたに返そうと。私があなたのためにできることは、もうそれだけしかありません。あなたが私と係わることで失ったすべてのものを、全部返します。ひとつ残らず、すべて。
 幾年でも、あなたを待ちます。あなたが私を忘れても、私はあなたを忘れない。あなたを元に戻せるそのときまで、数百年でも数千年でも、あなたを待ち続けます。ずっと。

 ――でも、本当は、私は。
 あなたにもう一度逢いたいだけなのかも、しれません。



 【Hearts】



The Story of Pleasure――『喜』の章
[1:ふたつの邂逅]
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The Story of Wrath――『怒』の章
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The Story of Sorrow――『哀』の章
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[4:鬩ぐ意志の行方]
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>>208- 【U】

The Story of Treat――『楽』の章

The Story of Beginning――『序』の章(スピンオフ)
 (side Yuura)
>>065 [1-1:いざなう風]
>>086 [1-2:握った槍] Recent update:20th.Aug.2011
 (side Deliya)
>>113 [2:不可解な繋がり] Recent update:24th.Dec.2011
 (side Seto)
>>157>>201 [3-1:天恵か呪縛か] Recent update:31th.Dec.2014

――――――――――――――――――――――――――――――

Preface――ご挨拶
こんにちは、初めまして。Ifと申します。ストテラには五年ほど前からお世話になっております。
以前はゲーム二次創作版に棲息しておりましたが、一次創作に挑戦したくなってやってまいりました。
心機一転、初心に帰るつもりでHNを変えてがんばっております。
プロットがあるにはある、という状態から書き始めているので、
作者自身もどれだけ長い話になるのかは予想がつきません。
書きたいことを書きたいだけ書いてやろうと思っています。
ずいぶん長くなるような気がしますが、気長にお付き合いいただければなあと思っております。
改行等、読みにくいと思います。ごめんなさい。
こんな作品ですが、読んでくださると大変嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

 Nov.2010. If

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For Beginners――初めてお越しの方へ
お越しいただいてありがとうございます。本作は異世界シリアスファンタジー(たぶん)となっております。よろしければ読んでくださると光栄です。
レス数も増え、文字数もとんでもないことになっておりますので、よろしければ以下のものをご利用ください。
今回以降もお越しいただけるようになれば、これ以上幸せなことはありません。
疑問点等ございましたら、いつでもどのようなことでもお答えさせていただきます。お手数おかけしますが、スレかもしくはブログに書き込んでいただければと思います。

>>24 【登場人物&用語集】 Recent update:29th.Oct.2012
>>106 【あらすじ】 Recent update:29th.Oct.2012
ブログ 【裏設定まとめ】 Recent update:20th.Nov.2012

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Recent Conditions――近況
少し遅れてしまいました。次は年内になるべく更新したいと思います。
これからせめて一か月に一回くらいは本当に更新したい……相も変わらず忙しいのですが、頑張ります。

最新話:>>208
現在のストック量:0回分(次回更新予定:12月中にできれば、駄目なら1月)

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Link――リンク
GloriA -青の誓い-(リレー小説)
Eneさんとご一緒させていただいているリレー小説です。こちらも異世界シリアスファンタジー。自分たちの最高傑作目指して頑張っております。お読みいただければ幸いです。
はてなしの空(短編作品置き場)
消えてしまったもの以外、今までに書いた全ての短編を残してあります。拙作ばかりですが、よろしければおいでください。
The Unfulfilled Dream(Blog)
連載裏話ばかりやっています。ロクでもないことしか書いていませんが、ご愛読してくださってる方々にはぜひご覧になって欲しいな、なんて思ったりもします。お越しいただければ幸いです。

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Present――いただきもの
<小説>
 『ユウラサイドストーリー・闇組織を叩け!』(作者:伊達サクットさん)
 第一話「北と西」(2012.4.30/Thanks!!!)
 第二話「ありふれた通常任務の風景の中を」(2012.5.2/Thanks!!!)
 第三話「港町ウォールリバー」(2012.5.13/Thanks!!!)
 第四話「ダーク・ファング」(2012.6.11/Thanks!!!)
 第五話「大規模作戦発動!」(2012.6.24/Thanks!!!)
 第六話「乱戦」(2013.1.2/Thanks!!!)
 『黒を宿す者』(作者:Eneさん)
 1.(2013.1.14/Thanks!!!)
 2.(2013.1.15/Thanks!!!)
 3.(2013.1.17/Thanks!!!)
 4.(2013.1.26/Thanks!!!)


<イラスト>
 残念クオリティの地図ですが、色んな地名が出てきて分かりにくくなってきたと思うので、載せておきます。もっと綺麗に描けたらいいんですが、残念ながらスキルが足りません!
 『ルノア』(絵師:黒衣さん/2011.9.16/Thanks!!!)
 『ユウラ』(絵師:黒衣さん/2011.9.18/Thanks!!!)
 『ランテ&ルノア&セト&ユウラ&テイト』(絵師:茶野さん/2011.11.25/Thanks!!!)
 『ユウラ』(絵師:空人さん/2012.2.18/Thanks!!!)
 『ルノア』(絵師:希者さん/2012.2.22/Thanks!!!)
 『ルノア』(絵師:かなちゃん王女さん/2012.2.23/Thanks!!!)
 『ユウラ(ドレス)』(絵師:空人さん/2012.3.23/Thanks!!!)
◇『ルノア』(絵師:空人さん/2013.2.19/Thanks!!!)
◇『ユウラ(20000hit)』(絵師:空人さん/29013.5.25/Thanks!!!)

 ※いただきものが2つを超えてしまったので、定期的に貼りかえることにします!
メンテ

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Re: Hearts ( No.204 )
   
日時: 2016/01/10 01:17
名前: If◆rf3Ncl3QUs ID:N.6GIoGk

 最後の光速の光が消え入ったとき、ランテは噴水広場の入り口に立っていた。叩き付けるように激しい雨が降り、ひっきりなしに雷は鳴り、吹き付けるすさまじい風がランテを阻もうとするが、一歩ずつ大地を踏みしめるように足を動かして、広場の中へと踏み入る。今となっては、ミゼがこの先にいることは疑いようがないと思った。
「ミゼ、どこにいる? ミゼ!」
 声を張り上げてみても、雨と風と雷が妨げになってちっとも響かない。すぐ傍にいるはずなのに、視界も悪く、ミゼの姿はなかなか見つからない。今自分がどちらへ向かってるのかも分からないまま、ランテは己の中の感覚だけを頼りに進んだ。もう少し。もう少しのはずだ。
 足が芝生を踏む。始まりの女神出生の地として伝えられている、小高くなった、始まりの丘と呼ばれる場所まで来たらしい。この先に、ミゼはいる。姿勢を低くして風雨に耐えながら、ランテはさらに先へ行く。
 一番最初に見えたのは、星の色で輝く銀髪だった。風に弄られてなお、目を見張るほどに美しい。
「ミゼ!」
 呼べば、彼女はゆるりとこちらを振り返った。その目が大きく、こぼれ落ちそうなほどに見開かれる。
「ランテ……? え? ランテ……なの?」
 彼女はランテの存在を確かめるように、何度も瞬いた。そうして幻影でないことを確かめると、すぐにランテのもとへ駆け寄ってこようとする。だがその望みは叶わなかった。後ろに立っていたクレイドが、彼女を後ろから羽交い絞めにしたのだ。もがいても、か弱いミゼの身体では王国一の剣士に抗えるわけがない。
「呆れた生命力だ」
 彼らにとっては思わしくない状況であったはずだが、クレイドは確かに笑んだ。ちらりと歯が覗くほどにだ。ベイデルハルクの方もランテを関心を含んだ目で見つめる。おそらくは、初めてだった。それまでは虫けらとでも思われていたのだろう。
「ランテ、無事なの? ランテ!」
 無事ではないだろう。でも、分かっている。ここでどう答えるのが一番正しいかなんて。微笑んでしっかりと頷けば、ミゼは唇を震わせながら涙を溢れさせた。
「……逃げて。お願い。もう、傷つかないで。お願い。お願いよランテ」
 切願だった、が、その願いを聞き入れることはできない。首を横に振ることだけで応じて、ランテはまたしても剣を握った。もう、今日で何度目か分からない。何度握っても、馴染んだ剣は己を奮い立たせてくれる。
「ミゼリローザ」
 ベイデルハルクが、ミゼの名を重々しく呼んだ。腹の奥が煮えたぎる。お前に、ミゼは好きにさせない。噛みしめた歯が、きりきりと痛む。
「街が傷んでいく。このまま精霊たちを野放しにすればどうなるか、聡明なあなたならお分かりだろう? 今ここでどうするべきか、私が助言するまでもなかろう」
 迷いに揺れる瞳で、ミゼは崩壊していく街を見下ろした。精霊たちは暴れ回り、瞬きひとつの間にも街は変貌していく。
 何と言えば良いのか、ランテには分からなかった。本当は、あんなにも凶暴な精霊をミゼの身体の中に封じるなど、危険だ、反対したい。だが、今それができるのはミゼしかいなかった。どんなに代わりたくても、ランテにはできない。そして誰もそれをしなければ、この街は。
 どうして、ミゼでなくてはならなかったのだろう。どうして。
 そんな疑問が繰り返されるばかりで、何もできなかった。言葉を発そうとして開いた口は、結局、何も音にすることができない。
 しかし、ミゼは違った。彼女はすっかり心を決めてしまうと、両手を軽く広げて瞳を閉じた。その瞬間、始まりの丘にミゼの力が満ちる。優しく澄んでいて、でも、少し寂しく儚げな。
「……ミゼ!」
 ミゼの身体が、柔らかな夜の色の光を纏う。彼女の足もとに複雑な文様が浮かび上がった。猛る風が吹き荒れる中、ミゼの周りだけは穏やかな空気に包まれ、彼女の美しい髪がふわりと舞い遊ぶ。その隣で、母親のルテルアーノも輝き始めた。
 薄く開いた瞳に己が生み出す光を映しながら、ミゼは、その凛とした声で、己の身体を精霊の器にするための言葉を、紡いでいく。
「我が名はミゼリローザ、始まりの女神ラフェンティアルンの血を引く者。今こそこの身を精霊の器とし、王国の安寧のため永劫に捧げん」
 声が響いた瞬間だった。街が音を失う。女神の制御を外れて暴れ回っていた精霊たちが、次の器の声に鎮められたのだ。
「精霊よ、集え。我が身に宿り鎮まれ」
 それから後の言葉は、ランテには分からない。不思議な響きの言葉が連なっていく。呼び寄せられて、濃密な光の集合体――精霊が、四方八方から集い始める。それはさながら光の奔流だった。七色……いや、もっとたくさん。この世のすべての色を集めたような輝きが、一つの渦を成して、ミゼとルテルアーノを囲うように巡り始める。
 夢よりもずっと夢らしい光景だった。何もかも忘れてしばらくの間惚けてしまうほどに、美しく、そして壮大な。
「っ、う……」
 ランテを引き戻したのは、ミゼの苦しげな声だった。濃厚な光は凝縮し、女神から力が解放されたあのときのように、輝く柱になってミゼとルテルアーノをそれぞれ貫いている。
「う、あ、ああっ」
「ミゼ……ミゼっ!」
 ミゼの苦悶の声は止まらない。か細い身体はよじられて震えているようだ。それでも光の奔流は、彼女に容赦なく襲い掛かってくる。このままでは、あの華奢な身体が耐えきれずに……どうなってしまうのだろう。ミゼが壊れてしまう? そんなことはさせない。そんなことは、絶対に、させない。ランテは無我夢中で飛び出した。
 そのときだ。
 視界の隅でベイデルハルクが高らかに笑うのを見た。狂気に満ちた声が、耳に突き刺さるようにして響いてくる。踊るようにして持ち上げられた腕に、殺意に満ちた光が、灯る。
「え?」
 てっきり自分に向けられたものだと思っていたランテだったが、違った。ベイデルハルクは、両手から生み出した光を、あろうことかミゼに向けて放とうとしているのだ。もちろん、今ミゼにそれを避けられる余力はなくて。
 危ない。
 全ての力を足に結集して、ランテは駆けた。ミゼを守るためにここにいるのだ。守れなくては意味がない。走る、走る、走る。ただひたすらに走って、最後には強く地面を蹴って跳んだ。両手を大きく開いて、ミゼを抱き留める。そのまま彼女と一緒に、勢いのまま地面に転がった。
 ランテの背を、あらゆる負の感情を内包した光が掠め走る。痛みはなかった。そんなことより、腕の中に抱きしめた温かさの方が、ランテにとっては重要だった。
「平気?」
 二つの光から解放されたミゼは、まだ、何が起こったのか分かっていないという顔をしていた。何度見ても心を奪われる美しい瞳は、二度の瞬きを経て、ようやく感情を映していく。どこまでも透き通って、星のごとくきらきら煌めく綺麗な涙が浮かんでくる。
「ランテ……」
 そのとき、ミゼがどんな想いで名を呼んだのか、ランテには理解しきれなかった。震える腕が、指が、ランテの胸元を握りしめる。涙は後から後から溢れて、やがてミゼの唇からは小さく嗚咽が漏れ出した。
 ミゼが縋りつくその腕に、右手を重ねる。本当はこの手を握って、もっと早くにどこかへ逃げ出すべきだったのかもしれない。そうすれば、ミゼはこうして泣かずに済んだのだろうか。
「オレ、ミゼには笑っててほしかった」
 すぐ傍に、ベイデルハルクが迫っているのを、ランテは背中で感じ取っていた。おそらくその手の中に、悪意に染まった光がまたも生まれ始めているのだろう。
「そうしてあげられなくて、ごめん」
 ミゼと出会わなければ、自分は死ななかっただろうか。こんな風に苦しむことも、痛い思いをすることも、必死になることも、なかっただろうか。それでも、あの日、仰ぐほどに高い窓からランテを見下ろしたミゼと出会えたことを、ランテはどうしても後悔できない。
 出会えて、よかった。
「ミゼ」
 呼んで、微笑んで、抱き締めた。光をまとったミゼは、とても温かくて、そしてやはり、儚かった。
「…………」
 何か言いたいのに、こんなときになると、さっぱり言葉が出てこない。止め処なく溢れる心を、代わりに腕に乗せて、今一度ミゼを強く抱き締めた。
「許して」
 結局、出てきたのはそれだけだった。ランテ自身も、なぜ自分がこの言葉を選んだのか、分からない。ありったけの懺悔と、ありったけの願いと、ありったけの決意を込めて。短い言葉は、それで、ミゼに伝えてくれるだろうか。
 答えを知れるだけの時間なんて、もう、なかった。
 それ以上何かを思考することはなく、ランテは心と身体に任せるままに、足を動かした。目標を捉えた瞬間、一気に燃え上がった感情に、身体の芯まで焦がされる。自分の怒りなのか、始まりの女神の怒りなのか、どちらともつかない。きっと両方だった。
 許さない。止めてやる。オレにしかできない。終わらせる。そして、一番は。
 守りたい。
 いつの間にか握っていた剣で、主を守らんと飛び込んできたクレイドを切り裂いた。けれども、ランテの関心は、そんなところにはなかった。
 ベイデルハルクを、仕留めるのだ。
 最後にやるべきことを見つけたランテの耳に、女神の声が囁く。
 ――解き放て。
 自分が夜明けの色に包まれるのを、ランテはしかと認識した。その刹那に、己の使命のすべてを理解する。このために、生かされたのだと。だから、やり遂げねばならぬのだと。
 ベイデルハルクが掲げていた腕を、力任せに捕まえた。逃がさない。握っていた剣を、逆手に持ち変える。
「うああああああああっ!」
 残った力の全部を振り絞るように声を上げて、ランテはその剣を、深々と己の胸へ突き立てた。そこから溢れるはずの命の雫は最早なく、代わりに迸った曙の光が、ベイデルハルクを幾度も幾度も貫いた。
 何もかも失くして倒れていくベイデルハルクの前で、ランテもまた、己が残らず失せていくのを感じていた。手にしていた剣が、支えを失って、ゆっくり落ちていく。
 最後に、一度だけ。
 愛した人を振り返ろうとしたランテには、もう、それが叶う身体はなかった。

 記憶の最後で、ミゼが、泣いた。
 幻なのに、泣いていた。
メンテ
Re: Hearts ( No.205 )
   
日時: 2016/11/10 23:21
名前: If◆rf3Ncl3QUs ID:XeT81ZmI

[4:鬩ぐ意志の行方]

【T】

 手を、伸ばしていた。
 これまで何一つ掴めなかった手は、今度こそ、何かを握りしめていた。その何かが何なのかは、分からない。けれども、握り締めたそれには、確かな感触と存在感がある。
「あれ……」
 ここは、どこだろう。覚束ない頭を無理に動かして、ランテはじっくりと時間をかけながら己の意識を覚醒させていく。随分長い間、思考の淵に沈みこんでいたような気がする。いや、多分それは気のせいではなかった。
「え……えっ!?」
 だが、結局落ち着いて己の意識を揺り起こすことはできない。目の前に広がっていた光景を視認して、その刹那、身体の全機能が停止したかのような錯覚に陥った。
 何だ、これは。
 己の双眸に映るもののすべてを、何もかも全て拒みたかった。だが、何度瞬いても、結果は変わらない。
 灰だ。灰一色。
 記憶がようやく追いついてくる。ランテとデリヤ、そしてルノアは大聖堂に忍び込んだはずだ。計画は上手くいっていた。そのはずだった。だが、ならばこれは何だ? ここは大聖堂ではないのか? 二人は?
「デリヤ! ミ……ルノアっ!」
 大声で叫んだ瞬間に硬直した。ふと目を遣った先に、瓦礫に埋もれるようにして横たわるデリヤの姿があったのだ。
「デリヤ、デリヤっ! 返事して! デリヤ!」
 近づこうと踏み出した瞬間、身体が傾いだ。思わず手をつく。足場が不安定らしい。見れば、残らず瓦礫で埋め尽くされていた。灰に見えたそれは塵や芥に埋もれているだけで、よく見れば瓦礫たちは暁色をしていた。大聖堂の残骸か? あの大きな建物が倒壊したのか? なぜ?
 今はそれどころではない。彼の無事を確かめなければ。
「デリヤ! あっ」
 五度目に名前を呼んで手を差し伸べかけたその瞬間、彼はぴくりと身じろいだ。唐突にやってきた安堵がランテの胸中を満たす。しかし、息を付けたのは瞬き一つ分の間だけだった。弾かれたように身体を起こしたデリヤの、ランテを見上げた瞳。造形品と見紛うほどに形が整っているそれに、ありありと浮かべられた感情がある。
 畏怖。
「え?」
「……馬鹿みたいに何度も呼ばないでくれるかい」
 似たような状況があったのを、覚えている。激戦地で、ベイデルハルクと交戦した直後のことだ。記憶を飛ばしたランテがこちらに戻ってきてから、セトを呼んだ。あのとき、緊張したセトの背中を覚えている。
 今度も、か?
「デリヤ、オレ……ごめん、覚えてないんだ」
「だろうね」
「オレ、何をした?」
「見て分からないかい?」
 生唾を飲み下そうとして、それが喉に引っかかる。息苦しさを覚えた。
「……これ、オレがやったの?」
「君以外に誰がやるんだい?」
「どうしよう」
 デリヤが、仰々しくため息をついた。努めて平静を装おうとしているのが伝わってくる。彼なりの優しさなのかもしれない。
「今はそんなことを気にしている場合じゃない。君の足りない頭で考えてみなよ。この事態を中央が野放しにしておくとでも? 悟られたのは間違いないんだから、今は時間を惜しむべきだ。とにかく、急いで地下通路を抜けるよ」
 彼は、足場の悪い中を器用に歩いて、瓦礫を蹴とばし始める。地下通路への入り口を探しているのだろう。
「デリヤ、待って。ルノアは?」
「君を止めて、僕に【加護】を使って、他の……神僕の連中は多分遠くへ避難させていたみたいだ。戻ってくるまでにはきっと時間がかかる。待てない」
「でも」
「元はと言えば君が蒔いた種だ。それでこうなってる。つべこべ言わずに従ってもらうよ。事態をもっと悪化させたいのかい?」
「そういうわけじゃないけど……」
「だったら、急いで入り口を探しなよ。この辺りなんだ。力仕事は君の方が得意だろう?」
 ここに居た人たちは、皆無事なのだろうか。ルノアに大変な苦労をかけたようだが、彼女は平気だろうか。それに、身体の奥底で蠢くような、この得体の知れない何かは何だろう? 手についている無数の切り傷はなぜ?
 酷く、落ち着かない。
 考えるべきことは山ほどあった。しかし、デリヤの言う通り歩みを止めている場合でないのも事実だった。目的を忘れてはいけない。成すべきことを、為さなければならない。
「……うん、ごめん」
 胸中で渦巻くこの暗い感情は、何と名付ければ良いのかすら分からない。しかし、ひとまずのところ、それには蓋をしておくことにする。考えるな、動け。己に言い聞かせるように、ランテは小声で口にした。
「この辺り?」
 デリヤがいる辺りまで、何度か転びかけてたどり着く。それからは、返事を待たずに瓦礫をどかし始めた。よく見れば瓦礫はところどころ焦げ付いている。ランテの良く知る、光呪を使った時の痕跡とよく似ていた。
 丁寧に触れて、眉を上げる。そこから感じられるのは、ランテの呪力の残滓ではなかった。しかし、知らないとも言えないような――
「僕は急げと言ったはずだけど」
 デリヤに呆れた声で言われて、ランテはでたらめに首を振った。考えるなと自分に言い聞かせたところではなかったか。作業に集中しようと半ばがむしゃらに瓦礫をかき分けたところで、床とは違う感触の何かが手に触れた。
「あっ、これかも!」
 周辺の瓦礫を幾らかどけてみて、確信する。その部分だけ、何やら四角い板のようなものが埋め込まれている。蓋型の扉になっているようだ。
「君が障害物を吹き飛ばしたお蔭で、探しやすくなったらしいね」
 デリヤが皮肉なのかどうか分からない言葉を寄越して、ランテのところへやってくる。床の方は被害がさほどなかったらしく、扉はいとも簡単に開けられた。
「急ぐよ。呪は居場所を悟られないために避けるべきだったけど、ここがこうなった時点で、僕たちの目論見なんてばれてる。光速は使えそうかい?」
「大丈夫」
「距離は……エルティで言えば、門から中央広場までくらいだ」
「了解、ちょっと誤差はあるかもしれないけど、なるべく調整できるようにする」
「行き過ぎるくらいなら手前で止めてくれるかい? 自ら敵に近づくような馬鹿にはなりたくないからね」
「気を付けはするけど、ごめん!」
 やはりまだ精度には自信がない。己の内側に、得体の知れない何かの存在を感じるからなおさらだ。デリヤの腕を掴んで、光を纏う。いつものように自分が呪を使えたことに少し安堵した、が、それも一瞬だった。
「えっ?」
 自分から溢れ出してきた呪力が、いつものそれとかけ離れていたことに戸惑う。それは先程触れた瓦礫に残っていたものと、同じ力だった。
「あ、やばっ」
 その瞬間、ランテは確かに動揺で光速の制御を失った。あらぬ方向に飛び出しかけたランテとデリヤの身体を、何かが押し留める。
「へ?」
 思わず素っ頓狂な声が出る。ランテの足元に刻まれた補助の呪の紋を見た。デリヤの呪力ではない。ルノアのものでもなければ、セトでも、ユウラでも、テイトでもなかった。知らない人物の呪力だ。どこかの誰かが、ランテに力を貸してくれている?
 その補助の呪は、至極丁寧だった。ランテの乱れた呪力を調律し、誤った方向に放出されかけた力を正しい方向に導き、柔らかく背を押してまでくれる。
「……ありがとう」
 届くか分からない礼を述べて、その補助の呪に甘える。暗澹とした地下通路を光で満たし、切り裂くように飛び出した。
 感じた優しく寂しげな力は、ルノアの呪力と少し似ていた。
メンテ
Re: Hearts ( No.206 )
   
日時: 2017/08/15 18:40
名前: If◆rf3Ncl3QUs ID:iw7dj5xs

「今、どの辺りかな?」
 着地した地点がどこに当たるのか、ランテには感覚的な物しか分からない。首を傾げたランテを横目で見て、デリヤは小さく溜息をついた。
「扱い方がなってないね」
「距離には自信があるんだけど」
「君って本当、力馬鹿だな」
 もう一度溜息を大仰について、デリヤは踵を返した。幾らか行き過ぎてしまったらしい。
「ごめん、行き過ぎた?」
「君にしては上出来だよ。誤差の範囲だ」
 ランテが微かに笑うと、デリヤはすぐに眉を上げた。
「何だい」
「褒めてくれた」
「君ってすがすがしいほどに単純だね」
 デリヤはさらに溜息を零すが、余り不快げな表情には見えない。デリヤはいつでも不機嫌そうな顔をしているが、それらにも少しずつ違いがあって、本当に不機嫌なときとそうでないときの表情の差は、ランテにも分かるようになってきた。
「ここだよ」
 少し戻れば、何やら梯子が下りている箇所に出た。頭上を仰いで見れば、確かに、開閉できそうな蓋のようなものの存在が分かる。
「急いで上がりなよ。追手だ」
 デリヤの声がやや緊張の色を帯びた。視線が奥へと向けられる。
「うん」
「ここから先は光速は使わないこと」
「分かった。外に出たらどうする?」
「僕が先導する」
 頷きを返して、デリヤに先に上がってもらうことにする。かつかつと梯子を上る足音は、地下道にけたたましいほどに木霊した。追手に気づかれないかな。尋ねかけた言葉を飲み込む。気づかれようと気づかれなかろうと、ランテたちのやることは変わらない。
 梯子を上り切って、デリヤが慎重に外を窺ってから先に出る。ランテも続いて外に出た。薄暗いところだ。辺りを確認して、どうやら路地裏のような場所に出たらしいことを知る。見上げた建物は、この薄暗さの中で見ても確かに立派で瀟洒だ。ただ、貧民街のあの有様を見てから眺めると、その美しさがどうにも張りぼてのように見えてしまう。競り上がった不快感を、知らぬ振りはできない。
「中央の人間は暗闇を嫌う。そう教育されているからね。こういう場所に入り口を置いておけば、中々見つからないんだ」
 デリヤが蓋を足で閉め直しながら言った。中央の都合の良いように全てが作られている。歴史は捻じ曲げられ、人の思考は操作され。正さなければならない。
「…………」
 黙ってデリヤが自分の服とランテの服とに視線を注いだ。
「どうしたの?」
「この格好だと目立ちすぎる」
 ランテもデリヤも、先程の大聖堂での一件で傷み汚れてしまった服を着ている。貴族の居住地をこのような姿で歩き回れば、確かに不審に思われてしまうだろう。
「服、買う?」
「ここは貴族層の西の端だ。買うにしても店までが遠すぎる。店の傍には特に、警備の白軍も多いだろうしね」
「じゃあ、どうしよう」
「…………」
 デリヤは無言になって暫く考えた後に、路地を進み始めた。慌ててランテもそれを追う。
「デリヤ? 当てでもある?」
「うるさいな。少しは黙ってついて来たらどうだい」
「でもほら、気になるし。デリヤも一言くれてもいいと思う」
 溜息が一つ返ってくるが、次いで返事が来た。
「知り合いの家が近いんだ。そこに寄る」
「どんな知り合い?」
「執事の家だよ。この時間は留守だろうけどね」
 デリヤの表情を見ていると、その人を信頼しているらしいことはすぐに知れた。デリヤはいつでも澄ましていて、一見表情変化に乏しいように見えるが、目を見ていればわずかな感情の変化は見て取れる。
「良い人なんだ?」
 口に出して聞いてみれば、ちらりと視線を寄越してから返事をくれた。
「それなりにはね」
「でも、留守って大丈夫?」
「留守だから行くんだ」
「え?」
「お喋りはここまでだ。これから少し通りを歩く。人目につかないように気をつけなよ」
「……う、うん」
 躊躇いながらの頷きを返して、歩き始めたデリヤを追い始める。留守だから良い、とはどういうことだろうか。ただ、これ以上ここに留まっていると危険なのもそうだろう。意図は後から聞けば良い。
 白み始めた空を見上げる。もう朝が来る。決行は三日後。準備のために使える日は、残り二日だ。この二日で、どう白軍本部を攻略するか考えなくてはならない。
 皆について分かっていることは、セトとユウラが外門警備をしているらしいこと、テイトが牢に繋がれているらしいこと、この二つだけだ。セトとユウラに何か不穏な動きがあれば、恐らくテイトの命はない。ならば、先にテイトを救い出すことが優先事項になるだろうか。
 ランテの読みが当たっているならば、中央は白獣を呼び出すつもりだ。こちらの対処も必要になる。それをデリヤに任せるのだとしても、彼一人というわけにもいかない。
 それに……先ほど呪を使おうとしたときの違和感。ランテはこれに対しても解決しなければならなかった。恐らく大聖堂で記憶を失ったのも、これのせいなのだろう。呪を使おうとするたびにああして暴走するようでは敵わない。
 考えるべきこと、収拾すべき情報、それらは山のようにある。どこか潜伏場所を作って、そこを拠点にしながら策を練らねばならない。デリヤの執事の家が、その拠点になればよいのだが……
 悩みや疲労が、進む足を鈍らせる。それでもランテたちは、行かねばならなかった。
メンテ
Re: Hearts ( No.207 )
   
日時: 2018/10/18 18:55
名前: If◆rf3Ncl3QUs ID:MQf7Rwzc

「思ったより物分かりがいいじゃないか」
 デリヤの執事宅から貴族層の住民として違和感なく歩き回れるような服を拝借して、しばらく進んだ頃だった。その間ずっと黙って従っていたランテに、デリヤの方から声を掛けてきた。
「思ったよりって?」
「君のことだから、盗みは良くないとか言ってごねだすと思ってた」
「後で返せば、盗んだことにはならないかなと思って。それに」
 留守だから行く。デリヤの言ったことの意味は、後からランテにも理解できた。ランテは指名手配犯であり、デリヤだって中央から狙われる身だ。服を貸すだけだったとしても、そんな人間に手を貸したとなれば、中央は黙っていないかもしれない。デリヤは執事に中央の手がかからないように、あえて留守中を選んで向かったのだろう。
「執事の人に迷惑かける訳にもいかないって、オレにも分かったから」
「……やっと頭を使うことを覚えたのかい?」
「うん」
 気遣いに気づかれたことの照れ隠しに使った皮肉だと分かったが、ランテはそのまま素直に返答した。デリヤはちらりと視線を寄越して、一度口を閉ざすことにしたようだ。返答に困ったらしかった。
「デリヤ、これから二日間、どうする?」
 少しの間黙ったまま歩を進めたが、迷いなく道を選んでどこかへ向かっているらしいデリヤの行き先が気になって、今度はランテから話しかけることにする。デリヤからの返答は早かった。やはり目的地は既に決めていたらしい。
「中流貴族の庭ででも過ごそうと思ってる」
「え、庭?」
 思わぬ答えが返ってきて、ランテは目を丸くした。もっとどこかで身を潜めなくて良いのだろうか。
「貴族の屋敷の大きさは、家の財力を示すようなものだ。だから貴族たちは、見栄を張って競って大きな屋敷を作る。ほとんど使いもしないのにね。馬鹿馬鹿しい限りだけど、それを利用しようって訳だよ」
「でも手入れとかで誰かが通るんじゃ」
「上流貴族の庭は手入れも行き届いているし、ほとんどが結界で侵入を感知するようになってるから不可能だけど、中流はそうでもない。奴らは屋敷を大きくすることに必死で、案外隅の方には手を回していないんだよ」
「そしたら、その隅の方に隠れていればってことか」
「入る屋敷は選んだ方がいいけど」
 早朝の街はちらほらと人が通るだけで、今ならばまだ人目が少ない。デリヤの言う通りどこかの屋敷の敷地に侵入するならば、早い方がよさそうだ。
「あ」
 その時だった。進行方向に、朝日を受けて鋭く煌めく白い鎧をランテは見た。はたと足を止めたランテを少し振り返って、デリヤは溜息を寄越す。
「前言を撤回するよ。まだ君には使う頭がなかったみたいだ」
「でも、兵が」
「証持ちだ。問題ない。そうやって不審な動きをする方が注意網に掛かるよ。馬鹿なのかい?」
 見れば、確かに兜の側面に黄色い証がつけられてある。
「証持ちなら何で問題ないの?」
「僕たちは光速で飛んできた。騒ぎは起こしたけど、証持ちを集めて指示を出し直す時間はまだ取れていないはずだ。だから、今の間に潜伏する。急ぎなよ」
 速足になったデリヤを追いかけながら、立派で洒落た建物の並ぶ街を行く。家を成す煉瓦や木などに光の永続呪がかけられているのだろう、それ一つ一つは淡く輝いている。中央部に近づいているのか、歩けば歩くほどに建物は豪華になっていくようだ。敷地も広くなり、よく見れば確かに、目立ちにくいところで草が伸び放題になったような庭も散見された。

 エルティを横断できるくらいの距離は歩いたように、ランテには感じられた。その間、証持ちの兵たちには両の手では数えきれないほど出会ったが、いずれもランテとデリヤに反応は示さなかった。執事宅で得たもので簡単な変装をしているから対応しきれていないのか、それとも貴族層まで入り込まれることは予想していなかったのか。何にせよ、ランテとデリヤが大聖堂の抜け道を使って貴族層に侵入したという続報と、侵入者を捕縛せよという命令が伝えられるまでは、通行人の目さえ気にしていれば良さそうだ。
「あの家がいいな」
 それからしばらく同じ道を行き来して、デリヤがとある一軒の前で立ち止まった。敷地の広さは周囲と同じくらいで北支部の半分ほどあり、屋敷と庭とで二等分されている。どうやらそれなりに年季の入った建物らしく、屋敷を構成する煉瓦にはやはり光呪の永続呪がかけられているものの、他のものと並ぶと光に強さを感じない。煉瓦が汚れているのか、それとも永続呪が効果を失いつつあるのか。庭は門付近の一角のみ見事な薔薇庭園となっているが、それ以外は大して手を入れられているようには見えず、植木が伸び放題になっており、雑草と思しき草で埋められた箇所もあった。
「人は住んでるけど、庭に関心がないらしいね。使用人の数も少なそうだ。倉庫でも探して潜伏しようか」
「敷地は広いけど、あまりお金がないのかな? 他と比べると、何か没落した感じというか」
「そうでもないらしいよ。さっき家紋を見つけた。デワーヌ家の関係者だ。長兄が有能で随分出世してたはずだけど。むしろ中流の中では勢いのあった方だよ。資金力がないとは思えないな」
「そっか。それじゃ……あれ?」
「何だい?」
「デワーヌ家って、どこかで聞いた気が」
 ――あんたの妹は今はデワーヌ家の次男の妾として囲われてる。
 デリヤとの会話の最中、ランテの脳内に電撃が走ったような衝撃が生じた。思わず声を張り上げる。
「ユイカさんだ!」
「は?」
「ユウラの妹だよ! デワーヌ家の人に囲われてるって、確か」
 聞いて、デリヤは少しの間押し黙った。視線を低く彷徨させてから、それをランテに戻して告げる。
「声が大きいよ。だから何だって言うんだい? 今はどうにもできないことだ」
「だけど」
「いいかい? 今は僕と君、二人だ。時間もない。妹を助けてもユウラが手遅れになったんじゃ、何にもならないだろう」
「それは……そう、だけど」
「分かったらさっさと行くよ。流石に黙っていた方がいい。気づかれたら終わりだからね」
 言い残してひらりと壁を乗り越えたデリヤを見送って、ランテはその場に立ち尽くしていた。屋敷に目を向ける。もしかしたら、このたくさんの部屋のどこかに、ユイカがいるかもしれない。
 そのとき、偶々目を向けた窓の一つに、人影が映り込んだ。それは一瞬のことではあったが、その人影が赤髪の女性に見えた気がして、ランテはますます居ても立ってもいられないような気持ちになる。
 ただ、だ。
 デリヤの言ったことは、紛れもない正論だった。今助け出したとして、行動を共にするわけにもいかないだろう。その方が危険だ。分かる。今は、ちゃんと、それが分からなくてはならない。
 迷いを振り切るように、ランテは首を振った。地面を蹴り出して宙を舞う。それでも迷いを全部捨てられた訳ではない。視界の隅に移った赤に思わず視線を走らせれば、それは、風で舞い上がったらしい薔薇の小さなひとひらだった。
メンテ
Re: Hearts ( No.208 )
   
日時: 2018/12/02 13:37
名前: If(12/2)◆rf3Ncl3QUs ID:RP98IVk6

【U】

 庭の隅に見つけた倉庫の中は、古びた外観から想像していたのとは違って、案外整理されていた。用具、土、肥料、種と、種類ごとに綺麗に分けて保管されている。土の匂いが蔓延しているが、風雨をしのぐには十分で、一日半程度の潜伏であれば贅沢なほどとも言えた。
「少なくとも三部隊は必要になるだろうね」
 倉庫の奥まったところに二人向き合って腰を下ろしてから、デリヤが切り出し、続ける。
「本部を攻める本隊、召喚士を潰す遊撃隊、人質の解放を狙う救出隊」
「デリヤは遊撃隊で決定として……ほとんどは本隊になるのかな? でもデリヤ、オレは救出隊に入りたい」
「救出隊は当然敵陣の奥へ入ることになる。狙われている君をそこに放り込むのは愚策だ」
「だったらどうすれば?」
「重要なのは本隊と遊撃隊だ。敵の余裕を奪ってしまえば、人質をどうこうする余力もなくなるよ。総力戦になるならね。あまりこっちが有利すぎるのもよくない。腹いせに殺される可能性がある」
「それじゃあ、敵と一進一退の攻防をしながら、その間にテイトを救い出すってことになるのかな」
「中央本部は広い。テイトの居場所も分からないんじゃ、効率が悪すぎる。準備が整うまでは均衡を保っておいて、それが済んだら一気に畳みかけて門を攻め落とす。そして、一番詳しそうなのから話を聞くのがいいんじゃないかい?」
「詳しそうなの……セトとユウラか」
「問題は、本体の指揮を誰が執るかってことだね。セトが得意としている少数精鋭の部隊じゃないにしても、やっぱり副長は副長だからね。北支部の人間なら、支部長以外じゃセトに勝てない。東ならフィレネ副長でどうにかってところじゃないかい? そういえば、東には軍師もいたかな。その人でもいいけどね」
「誰が来るか分からないんだ。ルノアが帰ってきたら、事前に調べることもできるかもしれないけど」
「不確定要素は当てにしない。戦術の基本だよ」
「うん……」
 張り合わせた板の隙間から、光がかすかに射し込んでくる。ふと見下ろした掌にまだ生々しさを残した切り傷が見えた。
「デリヤ、聞きたいことがあるんだ」
「何だい」
「大聖堂でのこと。これから大事な時になるから、もうああなりたくなくて。だから、知りたい」
 薄闇の向こうから、デリヤがじっくりと視線を注いでくるのが分かった。
「知ってどうにかできるものでもないと思うけどね」
 そう前置きしてから、彼は静かな口調で一部始終を語り始めた。
 大聖堂の扉をくぐった直後のことだった。ランテはいきなり光速を使ったらしい。
「ルノアも僕も当然制止した。君は聞く耳持たなかったけど」
 ランテは強引に扉や壁を破りながら進み、一直線に神光の間へと向かったそうだ。その際止めに入った神僕をなぎ倒しながら、なりふり構わずに。
「神光の間に辿り着いた君は、神光を手に取ったんだ。最初はそれを眺めているように見えた。だんだん両腕に力が加わっていって……それを見たルノアが君を止めようとしたんだ。後ろから抱き留めるようにして彼女は君に語り掛けたけど、君は」
 そんなルノアを力任せに振り払った。さらに片手を振り回して、彼女を突き飛ばし、転ばせたらしい。
「彼女の方も、いつもの様子とは違ったね。叫んでたよ。『やめて』って、何度もね」
 ルノアの渾身の制止を古きったランテは、神光――丸いガラス玉のようなものだったらしいが――を両手で潰すように砕いた。その瞬間、大聖堂中に曙色の光が燦然と溢れ、同時に光を受けた建物が、形を崩すように破壊されていったという。
「高笑いしていたよ。最初は君の声だったけど、だんだん誰の声か分からなくなっていった。ルノアが光呪と闇呪で僕らを助けて……でも衝撃が大きくて僕はそこで気を失った。だから、僕の記憶はここまでだ」
 デリヤの話は、真実だろう。手の傷はその神光を砕いたときのものだろうし、彼に嘘をつく理由もない。何より、己の中に、今までは感じなかった力の存在があるのが分かる。
「オレは、神光の力を取り込もうとしたのかな。……オレというより、始まりの女神が、だろうけど」
「始まりの女神?」
「昔の記憶を思い出したんだ。オレは一度死んで、そのときラフェンティアルンが力を貸してくれた。オレの記憶が時々飛ぶのは、身体の主導権をラフェンティアルンに奪われているのかも」
「……突拍子もない話だね。何を思い出したのか、順を追って話してくれるかい?」
 デリヤの立場からランテの話を聞けば、確かに、彼の言うよう突拍子もない話に聞こえるだろう。暗さのせいで表情はよく見えなかったが、それでも彼は、それなりに信じてくれているらしかった。だからランテも、すべて話そうと決めた。一から順に、王国の最期の一日になっただろう日のことまで、ゆっくりと語り始めた。
メンテ

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