たまくずれ ( No.276 )
日時: 2013/02/15 23:30
名前: sakana◆092jpOU0d. ID:67ct02nE

「そこだけじゃなく、考え方まで機械になっちゃったの?」
 目の前に位置する小太郎の左胸を指さし、晃子は言った。
「なにおまえ」
「晃子よ。知ってるでしょ」
 こてん、と首を肩の上に落とす、その巨体にそぐわない動作のあと。晃子はできるだけ言葉に感情を乗せないよう言い放ち、自分より頭一つ分上にある小太郎の顔を見上げた。
 百八十センチ以上あるんじゃないだろうか、というほど長身の小太郎。名前に似合わず大きいのは身長だけではなく、体型もまたそうで、大層たくましい。中学、高校、大学、そのとき、小太郎はなんのスポーツをしていたんだっけと、晃子は記憶を手繰る。それでも晃子の思い出にいる小太郎よりどこか、そう、貧相で、なにかがその身に降り掛かってしまったその後なのだと、久しぶりに相まみえる小太郎の姿を目に映す。
 よく街で見る、どこかのイメージキャラクターがプリントされたシャツと、皺のない真新しいジーパンを身につけ、あとは見慣れない無愛想に仏頂面を重ねて掲げていた。
 今までなにをしていたの、どうしてこんなところにいるの、なぜそんなふうになったの、心配したんだから、ともかく一緒に帰るよ。
 もっと、もっと、たくさん言いたいことがあるはずなのに、いざ小太郎を目の前にすると言葉が出てこない。そもそも、小太郎は晃子のことを認識しているのだろうかと思う。
 晃子がここを訪れるきっかけを与えられたように、小太郎もまた、晃子が来ると事前に説明でもされていたのかもしれない。いきなり手を握っても、じっと凝視されるだけで他の反応を示さない小太郎をいいことに、晃子は前方から小太郎をひっぱるような形で歩き出す。それでもやはり抵抗せず大人しく歩き出した小太郎をちらりと見て、自分のことを覚えていてくれたらどんなに良いだろう、と心の中で淡い希望を抱いた。
 おおよそ一年と半年前。桜の季節に高校へと進学した晃子は、同時期大学を中退した兄の行方を見失った。家にも帰らない、電話もかかってこない、手紙は言わずもがな。小太郎の友人宅に連絡を寄越しても、知らないという一言しか帰ってこない。父と母は現状に混乱していた晃子を見てもなおただ口を閉ざし、警察を呼ぼうとした晃子をなだめることも、止めることもしなかった。小太郎が見つかるはずがないと知っていて、気の済むまで好きなようにやらせておこうという意図がはたらいていたのかもしれない。結局警察は、呼んだ。けれども彼等はなけなしの聞き込みをしただけで、小太郎の失踪は家出と名付けられた。特に仲が良い兄妹だったわけでも、険悪だったわけでもない。父母と同様に、何気ないことを頼み頼まれ、たわいもない話を時にはする、そんな普通の兄妹。
 それでも十六年近くも共にいた家族が、なんの連絡も寄越さずに失踪したことはーー父母がどうであれーー少なくとも晃子にとって大事件だったのだ。事件に巻き込まれたのかもしれない、もしかしたら大怪我をして動けないのかもしれない、それでもしかしたら、いつか家族で訪れたスキー場にでも、また行っているのかもしれない。
 悔しいと、歯がゆいと拳を握りしめた。なにもしてくれない両親はもちろんのこと、家にいてただ待っていることしかできない自分に。
 だから晃子は小太郎を待っていた。
 兄はいつしかきっと帰ってきてくれるだろうと信じ込み、兄の身に起きているなにかが全て無事に済むことだけを願い、待つことだけを徹底した。
 進学する大学は、この家から通えるところにしよう。もし手の付けられないほど小太郎の身体が破損していたーー日本の医師が最も得意とする、機械仕掛けの人工心臓が代用として使えないーーのであれば外国に渡れるように。たくさんお金を貯めて、たくさん彼を待って。そうして、再び暖かくこの家に向かい入れられるように。
 けれども、そういった決心を嘲笑うかのように、欠けた部品をすでに取り戻したという小太郎が姿を現した。
 夏の暑さが収拾しようという、そんな少し前のこと。季節の変わり目のように見えない慌ただしさがある、そんな今から数日前のこと。
 中途半端に吹き出す汗を、夏と同じよう拭い物足りなさを感じた昼日中。その違和感をふるい落とすかのように顔を上げると、晃子は庭先の垣根の向こう側で、見慣れぬ四輪車が止まっていることに気がついた。そちらに向かおうと、その落下地点を目視する間もなく、晃子は無意識の内に手にしていた本を投げ捨てる。縁側でぶらつかせていた足を急いで汲み上げ、玄関に向かって短い廊下を駆けだした。そうして裸足で玄関の扉を開けその奥の道を見るために顔を上げると、見知らぬ三人の大人がすぐそこに。今まさに、相手も握りに手を掛けようとしている態勢で、もう少しタイミングが遅かったら戸を人にぶつけてしまっていたかもしれない、なんて晃子は思ったりした。
 内側の握りに手を掛けたまま少し腰を屈ませた状態で、彼等ーーおそらくあの四輪車の持ち主だーーがこの家に用があったなんて思いもせず、少しだけ呆気にとられながらも相手の面を見上げる。
 小太郎さんについて、お話良いですか。
 晃子の手から奪い去るように玄関の戸を開ききった男の傍らで、その女性は、表情はともかく淡泊に言葉を発した。
 その問いは、晃子の行方知れずになった兄の、その後の存在を示すもの。全てがいきなりで、晃子はその迫力に気圧されるように少しだけ顎を引いた。
 現に女性の声色には、他に聞かないという選択肢がないという意味合いを暗にほのめかしーーもちろん晃子は兄の所在に関して訊かなければならないというある種の使命感を抱いていたがーーそれこそ晃子と同様で、この家を訪れた彼等の責任感の成れの果てだったのかもしれないと、晃子は後に思う。
 晃子の兄である小太郎は、そうして一年と半年ぶりに存在を露わにした。
 始終困ったように眉を下げ、聞き慣れないカタカナの羅列を決まり事のように述べる女性の話に。威張り散らし、聞き取りづらい命令形か体言止めで話すサングラス男の行く先に。全身が機械で、衣類から剥き出しの部分だけひとと同じ肌触りがするという百六十センチの男児が生まれた病院に。
 なにがなんだか分からないまま、この一年と半年、小太郎の身に起こったことを捲し立てられ、そうして心臓が。心臓が、とても精巧な機械になってしまったのだと知った。
 なにも理解できずとも、そうですかとだけ相づちを打つ。
 納得したふりをして、玄関先に駐まっている黒塗りの四輪車の持ち主たちをもう一度見返した。不在の両親は小太郎のことを、そして彼等のことを知っていたのだろうか。そんなことを考えて、なにもかも隠されていたであろうことに、それでもなお怒りが湧いてこないことに驚き、ほう、と息を吐いた。
 けれどもその理由は、次の瞬間知れる。ただ単に今の現状を受け入れられず、感情の全てがどこか遠くに置き去りにされていただけなのだと。ぶくぶくと浮き立つどろりとした暗い感情は、黒になりきる前に白へ打って変わり、むしろ全身に広がる静けさばかりが目立ち、目眩を誘発する。
 そう、機械。小太郎の心臓が機械にとって換わられた。
 妙に乾いた唇で小さく呼吸する。晃子が分かったことは、それだけ。その先の話を聞くに当たって、一番踏まえておかないといけないことも、きっとそれだ。
 おそらく、小太郎さんは記憶を失っているでしょう。
 なにかの続けざまに女性の口から繋がれた言葉で、辛うじて積み重ねていた思考は吹き飛び、ぎょっと目を剥く。
 負傷したのは心臓なのに、なぜ記憶が。
 咄嗟に口をついた言葉に、違う、違う。本当はそんなことを知りたいんじゃないと、心の中で静かに重ねる。
 話を遮られることをひどく嫌う人だったのだろうか。女性の、下がっていた眉は不快げに寄せられ、この時ばかりは吐き捨てるかのようにそう言った。
 さあ、私が知っているわけないでしょう。少なくともこちらのドクターはショックからだとおっしゃっていました。
 それでも丁寧な口調は崩さない女性に、なんだかひどく悪いことをしてしまったように思えて、晃子は身を縮こまらせた。
 小太郎の身に何かがあったのだという予感は、あながち間違いではない。ただそれが、晃子や家族が一般人である限り、無関係であったはずのなにかに兄は巻き込まれたということ。それも、適切な後処理をしてくれるほどひどい事件が起こっていたらしいことまでは想像もつかなかった。
 他人の臓器の移植、自らの細胞を使用し代わりの臓器を作り上げる。そんな工程が追いつかないほどの危機が小太郎を襲ったという。臓器の機械化。それに伴う尋常ではない痛みや苦しみと、小太郎はもしかしたら、この先ずっと付き合っていかなくてはならないのかもしれない。
 身体の義体化。臓器の機械化。
 それらは何十年も前に発生した、それこそ天地をひっくり返すような《災害》の産物。地上に動物性の金属が姿を現したことによる恩恵。災害により一部を失い、災害により損なわれた部分を取り戻す。そんな皮肉を理解することは出来ても、晃子はちっとも笑えなかった。
 更には莫大なお金が掛かるという、死にかけた臓器との交換作業は様々な過程をすっとばしての全額免除。あの女性はそう言った。晃子はなんだか素直に喜ぶこともできず、代償は疾うの昔に、小太郎が払わされたものかもしれないなんて、あれこれ想像するのだ。
 そして晃子は病院を訪れた。
 小太郎の事情を知っていた彼等が指定した日付、時間に。
 はたして、一年と半年ぶりに晃子は小太郎と再会したのだった。

 今、晃子は小太郎の手を握りしめている。
 その形を確認するように握る力を強めたり弱めたり、終いには手を離し、指でそっと輪郭をなぞったりする。何年ぶりかに触る小太郎の手はどこか硬く、そして暖かく、ひどく心地が良くて、交互に繋いだ指にぎゅっと力を入れた。
 晃子の視線は曇り空を気にしながらも、されるがままに歩き続ける小太郎へ意識をそっと向ける。
 そうすると、妙に逸らしたりやったりする視線に気がづいたのか目をぱちくりさせ、なにかを考えるような仕草をした後、小太郎は続いていた沈黙を破った。
「晃子は妹?」
「うん」
「ふーん、先生の言ったとおりだ」
 せんせい、という言葉を聞いて、晃子はつい先ほど小太郎のいた病院を連想する。それにつられて、敷地内にある木陰のベンチの前に佇んでいた小太郎が、自身に覚え込ますように口ずさんでいた内容を流れるように思い出し、そこで回想は止まった。
 晃子は試しに「機械」と言うと、反射的に「無自我の金属塊」と小太郎は割って入る。
 もうひとつ「災害」と言ってみると、「悪」と小太郎は考えることもなく言い放つ。
 病院で、なにかの復習のように何度も口ずさんでいた答えとなんの変わりもない。
 晃子が聞き取れたその二つだけでも、ひとりの思考の結論だけを妄信的に覚え込まされているようで、得体の知れない不安に眉をひそめる。
 記憶がないと、あの女性は言っていた。ここにいる晃子を妹だと認識してつれられていることも、仏頂面だけれども自然体で、その他周りに存在する様々なものに驚く気配を見せないことも、あの場にいた女性や男性、男児、そして病院の人によって周囲の事柄を教えられた成果なのだと思う。
 確かに小太郎は手厚く介抱されていたのだろう。家族として、健康体で帰ってきた小太郎の状況は喜ばしいものだ。けれども晃子は、そんなふうになった小太郎は、以前持っていたものをなくしてしまったのだと思う。
 小太郎は考えることが好きだった。
 嫌になったときには体を動かし、それでも凛とした眼差しを真っ直ぐ前に向けていた。
 両親がいて、兄がいて、友達がいて、学校に行って、そんな日常はちょっとしたことでがらりと表情を変えることを晃子は知った。あたりまえで、なんの変哲もない毎日がとても掛け替えのないものだとも知っている。けれどもそこに感情が伴わないものを晃子は認めない。今の小太郎はまさしくそれだった。
 一緒に育った家族であるからこそ、晃子にとってなおさら容認できない事実。感じる悔しさを噛みしめるように、空いている手で衣服の裾を掌で握りしめると、小太郎との出会い頭に、無意識を言葉に転じたときの理由を思い出した。
「そこだけじゃなく、考え方まで機械になっちゃったの?」
 晃子の顔を覚えていないという顔つき。覚え込まされたように洗礼された疑問の動作。独特の自らの反応を持たないと暗に言っている。
 表情に不安を滲ませることも、記憶が欠けたという状況に臆することも、焦燥に駆られることも、ない。
 隠しているわけではなくて、たぶんきっと、本当に小太郎はなにも考えてはいないのだと思う。
 心臓だけじゃなくて、考え方まで機械になっちゃったの。過程もいらない、間違いもしない、自らを省みない、結果だけが全て、計算ロボットと同じ。
 これでは兄が無事帰ってきたことにならないと晃子は思った。けれども否定する気にもならない。だって、だって小太郎はここにいる。
 頭の中を空っぽにする意味合いを込めて、晃子は自らが掴んでいた小太郎の手をふりほどき、両腕をばたばたと上げたり下げたりして気分転換を試みる。そんな行動をしてみると、なんとなく鳥になった気分になった。
 立ち止まった晃子は、背後でつっかえるように止まった小太郎を振り返り見上げ、くあ、とそれこそなんとなく鳥の声を真似た。 
 こてん、とまた首を肩に落とす仕草を行う小太郎。
 小太郎の表情を窺いながら、頭の上に掌を立て何度か折り曲げる。今度はうさぎの真似だとあらかじめイメージしていた。
 晃子は薄く口を開いたままなにも言わないし、小太郎も言葉は発しない。
 他にはパンダや招きネコ、天狗のものまねをしてみると、小太郎が覚えた事柄から弾きだすのは、不必要だという、そういう類の一言だったらしい。理解できない、とでもいうように小太郎の眉間に皺が寄ってくる。
 晃子は動作をとめ、皺を凝視した。初めて知らない事柄に直撃したとでもいうような困った顔は、次第に熱っぽさを持ち赤み帯びる。そうして言い表せない微妙な表情を見せ始める小太郎を、晃子は呆気にとられながらもしっかりと見つめ返した。
 導き出した結論に納得していないからこそ、小太郎は不可解に思う。
 本質は変わっていない。そういうことなのだと思い至った晃子は、無性に嬉しくなって、それで笑った。