オルゴールロンド ( No.274 )
日時: 2013/02/06 12:43
名前: brain◆P3Wb.oVPT6 ID:O1su75uo

 夕日に輝く湖の畔、そこにぽつんと佇むコテージのテラスに、一人の老人がくつろいでいた。
 彼は酷く年老いていた。衰えた身体はもう歩くことすらままならず、目も耳も鈍り、大切な時間の楽しみと言えば、こうして美しい景色を眺めて過ごすことばかりだ。
 彼は最期の時を、このコテージで迎えようとしていた。きれいな空気、美しい景色、そして、美しい付添人と共に。

「おじいさん、また、紅茶を淹れてきましたよ」
 老人が佇んでいたテラスに、一人の少女が紅茶セットのトレイを持って入ってきた。
 花のように可憐な少女だった。色白で細身で、あまり成熟した印象は受けないが、とても清潔感がある。まるで絹のようにしなやかなその黒髪は、衛生的に前髪を揃え、その健康的で愛らしい顔を一層強調していた。

「邪魔をしてしまいましたか、おじいさん」
「いやいや、そんなことはない。お前もこっちに来てくれ。ニアン」
 少女は名前を呼ばれて、傍のテーブルにトレイをそっと置き、老人と並んで湖を眺めた。
 老人は、その霞みかかった目で湖を眺めながら、傍に寄ってきたニアンにそっと喋りかけた。
「……ニアン、お前なら分かっていると思うが、私はもう死期が近い。そんな私の余生をお前と過ごせるのは、何度考えてみても幸せだ。未だに、信じられないことだ。時代は変わったものだな」
「おじいさん、そんなことを言わないでくださいよ。もっともっと長生きしてください、私のために」
 ニアンは老人の前に回り込み、彼を励ますようにして膝に手を置く。老人の眼には、涙が溜まっていた。
「ありがとうよ。だが、本当に嬉しいのだ。もしお前がいなければ、私は今頃、黴臭いアパートで孤独な人生の終わりを迎えている頃だ。本当に、ありがとう」
 ニアンは少し寂しそうな表情をして、膝を上げ、再び老人と共に輝く湖を眺めはじめる。

 ニアンは、老人の最期の時に付き添うために、ここにいた。彼の人生の最後を孤独で寂しいものにしないため、たった一人の人生の締めくくりを美しいものにするため、その時を彼と過ごすために、老人に従事ていたのだった。


「ニアン、これを見てくれ」
 老人は唐突にそう言うと、床に置いてあった木の箱を持ち上げて、自分の膝の上に置いた。
「これは、なんですか」
「ずっと以前から、こつこつと作り続けていたものなのだが、やっと完成したのだよ」
 ニアンは首をかしげてその箱を眺める。老人はニアンの目の前で、箱の蓋を開いて見せた。中から現れたのは小さく入り組んだ機械仕掛けと、美しい音色だった。
「オルゴール……」
「そうだ。私も街工場で働いていた頃は、仕事の傍ら、手作業でたくさんのオルゴールを組んだものだった。これはその私の、生涯最後の作品だ」
 ニアンは不思議そうに箱の中身を眺める。箱の中ではピンのついたドラムが静かに回転し、小さな鍵盤を弾いて絶えず曲を鳴らし続けた。

 ニアンは少しの間黙って、その音色に耳を澄ませていたが、やがてドラムが一回転する位置までやってきたときに、ぼんやりと呟いた。
「あっ、曲が終わる……」
「ドラムが一周してしまえば、また初めから鳴り始めるさ。ゼンマイが切れるまでの間はな」
 老人の言う通り、オルゴールは一曲を弾き終えると、少しの間沈黙し、それから再びその曲を、最初から鳴らしはじめた。
「また初めから……」
 ニアンはオルゴールをぼうっと眺めつづけた。いつまでも、いつまでも。曲が二周、三周する間も微動だにすることなく曲に耳を傾けていた。

 やがてゼンマイが切れはじめ、曲がゆっくりとしたテンポになっていく。その頃になると、ニアンはやっと顔をあげた。
「こんなに美しい音を鳴らすオルゴールを手作業で作る人が、今の時代にもいたんですね」
「そうだな。もうオルゴールを作る職人など、この世で私一人だけかもしれん。その私が最期となると、これは世界で最後のオルゴールということになるかもしれんな」
 老人はゆっくりとオルゴールの蓋を閉め、それを膝から持ち上げてニアンに差し出した。
「ニアン、このオルゴールは君にあげよう」
「えっ!」
 戸惑うニアンに、老人はオルゴールを手渡した。ニアンもそれを手で受けないわけにはいかず、その箱を両手に乗せる。ニアンの手に、箱の重みが感じられた。
 ニアンは少しの間、その箱を呆然と眺め、それから困ったような表情で、老人に尋ね返す。
「そんな、こんな貴重なものを、いただくことはできませんよ」
 老人はその言葉に、静かに微笑んだ。
「いや、いいんだ、君に持っていてほしい。それは私が生きた証だ。だからそれを、私に愛すべき時間をくれた君に持っていてほしいんだ。そうすれば、私は永遠に生きられる。だから、大切にしてほしい。どのみち私には、もう知り合いも残っていないんだ。君しかいない」
 ニアンはしばらくの間、困ったような表情をやめなかったが、その小さく美しい箱と、老人の濁りのない瞳を何度も見比べて、やがて笑顔で、穏やかに応えた。
「……ありがとうございます」


 ニアンは湖の向こう、山のかなたに沈む夕日を見つめ、それから老人の傍に屈んだ。
「おじいさん、そろそろ薬を持ってきますね。夕食前には、飲まないと……」
「あぁ、ありがとう、ニアン」
 ニアンはそう言うと、そのオルゴールを大事に抱えて席を立ち、コテージの中へと戻っていく。

「おじいさん、今晩は何が食べたいのかな……」
 ニアンはひとり呟きながら、老人が飲むための薬の分量をチェックする。
 これは、老人が抱える心臓の病気を抑える薬だ。もっとも、老人の心臓はもう、深呼吸することにも耐えられないほど弱っている。やむを得ない、老衰による病気だ。この薬は、老人の最期の時を延ばすに過ぎない薬だった。

 突然テラスのほうで、何かが倒れる音がした。
 ニアンはその音にはっと振り返り、反射的に緊急コールのボタンを押すと、それからすぐさま老人のもとへ駆け寄る。

 テラスにいた老人は、床に倒れ伏していた。
 心臓の発作、いつ起きてもおかしくなかった恐れていた事態だ。

 発作が起きてしまっては、もう薬も意味がない。すぐさま緊急コールはしたが、救急車が間に合うかどうかも分からないし、どのみち彼の身体ではこれ以上の治療には耐えられないだろうことも分かっていた。
 ついにやってきた、彼の最期の時だった。

「ニアン、いるのか……来てくれ、私の傍に……」
 ニアンは虚空に呼びかける老人に駆け寄り、顔を上げさせた。もう目は虚ろだが、はっきりと、ニアンを捉えているようだ。
「ニアン、ついにこの時が来たか……」
「おじいさん、無理に喋らないでください」
 ニアンが必死で呼びかけるも、老人はニアンを見上げ、うわ言のように呟いた。
「私は何も、恐れていない……満足な人生だった、今も、寂しくはない、お前のおかげだ……」
 それは、ありきたりでシンプルな言葉だったが、老人の最期の言葉だった。やがてその言葉の最後の部分が、ニアンの耳に聞き取れるか聞き取れないかくらいのところで、老人は目を閉じ、その首をゆっくりと前にもたげる。

 老人は、静かにこと切れた。
 
 ニアンは膝をついて、老人を抱きかかえ、その遺体を部屋のベッドへと移した。
 彼の最後の言葉の通り、苦しみもない、満足げな表情だった。彼は短い余生をニアンと過ごし、ニアンに渡すべきものを渡し、最期の瞬間にはニアンの姿を見て死ぬことが出来た。心残りのない生涯の最後だったことだろう。

 ここから先は、もうニアンの立場はない。ニアンの仕事は、あくまでも生きている彼に従事ることだった。ニアンはコテージの一室にこもると、コテージを去る身支度をはじめた。着ていた服や道具の一切を大きなスーツケースにしまいこみ、それから、貰ったオルゴールは大事に両手に抱えて、救急隊員とすれ違うようにしてコテージを後にする。

 


 降りしきる雨の中、ニアンが帰り着いたのは古びたトタン小屋だった。ビルディングやタワーが立ち並ぶ大都市の郊外にぽつんと存在しているその建物は、錆だらけで窓ガラスにはヒビが入り、いかにも不気味で人が寄りつくような雰囲気の場所ではない。
 ニアンは軋む扉を開き、建物内へと足を踏み入れ、室内を見回した。中はそれほど不潔ではないが、ひどく散らかっており、室内の奥に見えるショーウィンドウの中にはぬいぐるみや人形が並べて保管されている。その中には、人間の形をした精巧な人形もいくつかあった。それだけではない、ひび割れたコンクリートの床には人間を解体したような図面がいくつも散らばっており、部屋の中心にある作業台の上にはビスやギアなど、機械部品の入った箱が雑多に並べられている。
「ただいま戻りました。セドさん」
「よう、ニアン。じいさんの最期には立ち会ってきたんだな、お勤めごくろうさん」
 ニアンを迎えたのは、玄関口正面のデスクに座る、セドという名の白衣を来た男だった。ふちの厚い眼鏡をして、髪はぼさぼさで、身にまとう白衣とその下のシャツまで、油や錆の汚れがまみれている。
 彼は研究者、この建物はセドが勤める研究所だ。
 
 ニアンは荷物のスーツケースを床に降ろすと、ポケットから一枚の紙切れを取り出した。セドは待ちきれない様子でその紙切れを取り上げ、そこに書かれている数値を流し読みした。
「一月一万ドル、約半年で、切り上げて六万ドルか。そこそこの稼ぎだったじゃないか」
 セドは満足げに紙切れをファイルに閉じると、にやりと笑ってデスクに頬杖をつき、ニアンを見上げた。
「で、ニアン、どうだったんだ?」
「はい、彼はとても満足げに、最期の時を終えたようでした」
「そんなことは聞いてない。お前自身に、何かなかったのか? 特に、故障とかそういう事だよ」
「特にはありません」
「あいよ。そいじゃ、じいさんからの振り込みもばっちり確認できたことだし、余計な時間を取ることもない、オーバーホールといくか」

 ニアンはセドに促されて、服を脱ぎ、部屋の真ん中に設置された大きな作業台の上に横になった。その際に、両手に持っていたオルゴールは、作業台の、じぶんの隣にそっと置く。
「ん、なんだその箱」
「おじいさんからの形見です」
「そうか。まぁいい、とにかく次の仕事が待ってるぞ。さっさと整備を終わらせるからな」
 セドはオルゴールを作業台の隅にどかすと、作業台の傍に置かれた工具箱からレンチを取出し、慣れた手つきでニアンの腹部にある止め穴からネジを外しはじめる。
 ネジを何本か外し、ハッチを取り外し、彼女の腹腔内部が露になった。その中には、歯車やモーター、それに機械の電子基板が整然と組まれて、どれも忙しく駆動している。セドはニアンの腹の中から一本のコネクターを引っ張り出して、デスクのパソコンへと接続、彼女の体内の電子機器にアクセスした。
「あぁ、やっぱりメモリーの容量、ハデに食ってやがるな。電池もだいぶ減ってるし。ま、今回のじいさんはずいぶんしつこく生きてたから仕方ないか。充電もさせておくよ。そんでその後は、メモリーの整理をするぞ。わかったな?」
「わかりました」
 ニアンは天井を見上げたまま、呟くように答えた。

 ニアンは介護ロボットだった。
 それも、普通の介護ロボットではない。死期が近いことが分かっている老人のもとに依頼で派遣され、その最期の時を提供するサービスロボットだ。
 今回も、彼女は任務として、高額の報酬と引き換えにあの老いたオルゴール職人との最期の時を過ごしていたのだった。

 もちろん、彼女の仕事は必然的に「比較的短期の仕事」になるので、一人のクライアントとの仕事が終われば、こうして再び研究所に戻って整備を行い、休む間もなく次のクライアントのもとへ派遣する準備が行われる。ニアンはそうして、多くの老人の最期の時に立ち会ってきたのだ。
 だが、彼女のメモリーの中に、その記憶はどこにも残っていなかった。
「準備はできたか? じゃ、メモリーのフォーマットを行うぞ。このヘッドギアをつけな」
「……はい」
 ニアンは指示されたとおりに、ヘッドギアを装着した。

 フォーマットとは、電子頭脳内の記憶や設定のすべてをリセットし、デフォルトの値に戻す、なおかつ次のクライアントの情報登録を行うことだ。平たく言えば、仕事をこなしたうえで蓄積した記憶を削除するということである。
 仕事を切り替えるために、以前のクライアントとの記憶などは必要ない。なにしろ、必要な知識ははじめから電子頭脳に登録されているのだから。それどころか、他の老人と過ごした最期の時間の記憶など、電子頭脳の容量を確保するうえでの阻害に他ならない。そのため、以前のクライアントの情報は、仕事の終了と共にきれいに消されてしまうのだ。

 作業台に寝かされるニアンは、ただ忠実に彼の指示に従っていた。が、隣のデスクのパソコンでフォーマットの準備を着々と進めるセドに向かって、横になったままで一つ尋ねた。
「セドさん。次の方は、ワタシの何番目のユーザーですか?」
 セドはそれを耳にし、画面に目を向けたまま、少し気怠そうに答える。
「さぁ? そんなのいちいち覚えてないな。まぁ、お前は介護ロボットの中でも人気だから、100人は超しただろう。それにしても、お前はフォーマットの前になると必ずそれを言うんだな。どうでもいいだろ、そんなこと。どうせ覚えちゃいないんだから。お前、仕事の回数を重ねたら何か変わるのか?」
「……いえ」
「だろう? だったら仕事の回数なんてどうだっていいんだよ。あぁ、業績と収入には関わってくるか。そりゃぁ、回数を重ねて評判が良くなりゃ客も集まるわな、ハハハ」
 セドは飄々とした様子でニアンにそう答え、また、パソコンの操作画面に意識を集中しなおす。
 ニアンはその言葉を聞いて、天井を見上げ……それから、一度、自分の足元に目をやった。作業台の隅に追いやられたオルゴールが、作業台から落ちそうになるような場所に放り出されるように置かれている。

 
 ある人の余生につきあい、それが終わると記憶を一切削除され、次のユーザーの情報を再登録されてはまたその人の余生を支える。
 
 薄情なようだが、それがニアンの役割であり、仕事だった。

 彼女自身にはその記憶さえも残っていないが、彼女の仕事はそれの繰り返しだった。
 老人の介護に尽くし、すべてが終わると記憶は最初から。そしてまた老人の介護をはじめる。同じことを何度も何度も繰り返す。
 それはまるで、同じ曲を弾くことしかできず、曲を引き終えるとともにまた曲のはじめからやりなおす、同じ曲をぐるぐると永遠に弾きつづけるオルゴールのようだ。

 彼女は死を運ぶオルゴールのような存在だった。



「やめてください!」
 ニアンは突然作業台から飛び降りると、勝手にヘッドギアを外した。頭に接続されていたケーブルが無理に切断され、彼女の黒髪が少し乱れる。
 セドは、反抗の態度を示したロボットに、冷めた視線を送った。
「ニアン、なんのつもりだ、とっとと作業台に戻れ」
「嫌です!」
 セドが開発者として命令しても、ニアンは首を横に振るばかりだ。

 しばらく睨み合いが続き、セドがしばらく黙っていると、やがてニアンは、震える声でセドに訴えはじめる。
「どうして、なぜ私はこんなことをしなければならないのです!」
「なんだと、どういう意味だ? なぜこんなことをしなければならないって、当然だろう。お前はこの仕事をするためだけに作られたロボットだからだ。なんだ、お前はその仕事が嫌なのか?」
「いえ、この仕事は嫌いではありません。亡くなっていく方の最期の時を飾ることができる、彼らに喜びを与えることができるのは、私にとっても名誉です。でも……どうして、彼らのことを忘れなければならないのです!」
「馬鹿だなお前は、死んだ奴らのことを全員心に留めておいたら、メモリーカードがいくつあっても足りねぇよ」
 ニアンの言葉に、セドは呆れたようにため息をついたが、ニアンは負けじと、セドに詰め寄る。
「それはそうかもしれません。でも、それでも、私が彼らとの記憶をなくしたら、誰が彼らを覚えているのです! 私が担当するお年寄りたちは、みな身寄りのない孤独な方ばかりです! 彼らを覚えておくことが出来るのは、私だけです!」
 ニアンの目に、自然と滴がたまる。介護をする老人と悲しみを共有し、ともに涙を流すことができるための機能だ。それが今になって、自発的に機能をしている。セドはその様子に少々うんざりしたような顔をしたが、やがてすました顔に戻り、再びニアンを諭しはじめる。
「全くお前は、なんでそんなことに執着するようになったんだ? 前のクライアントを覚えてなんかいないくせに。それでお前は、一度でも困ったことがあったか?」
「いえ、それは……しかし、そういう問題では……」
 ニアンは言い返せず、一瞬顔を逸らす。セドはデスクから立ち上がると、言葉に詰まったニアンの両肩に手を置いた。
「……いいかニアン、死んだ奴の事なんていちいち覚えていても仕方がないんだ。何て言ったってもう死んだんだから。死人はいくら可愛がったって、礼も言わないし、そもそも、お前が死んだ奴のことを想ったところで相手には伝わらない。そんなことより、いま助けられる老人たちのことを考えよう」
 ニアンはまた、つんとしてセドの言葉にかみついた。
「そんなの嫌です! 私が人を愛するのは、その人が生きているからですか? 死んだら愛する必要がないんですか? そんなものは愛なんかじゃありません! 私が彼らを大切にするのは、報酬のためじゃないですか!」
 セドは、一度は優しくした目線を再び冷たくして、ニアンの肩から手を放した。
「フン、わかってるじゃないか。死人は金なんて出してくれない。生きていて金を出す老人を大切にした方がいいって話だ、簡単だろう」
「お金のために愛を偽るなんて、そんなことは嫌です!」
「なにが愛だの偽るだの、お前は所詮ロボットじゃないか。この時世に博愛だと、くだらねぇ、人間の真似事なんて覚えやがって!」
「ロボットかどうかなんて、関係ありません!」
「ロボットのくせに報酬のために働かなくてどうする!」

 セドがだんだん苛立ってくると、ニアンは埒が明かないといった具合に、今しがた脱いだ服を再び着直した。
「出ていくのか、ロボットのくせに仕事を勝手にやめるつもりか? そんなことは許されないぞ」
「いえ。私はもう、こんな仕事はやめさせていただきます」
 ニアンはきっぱりと、そう宣言する。セドはそんな彼女を睨みつけたが、彼女はセドに、目もくれなかった。 
「よせ、ニアン。俺はことを荒立てたくない。穏便に済ませたいんだ。ロボットならロボットらしく、言う事を聞け!」
「ロボットらしく?」
 ようやくセドに視線を返す、ニアンの表情が厳しいものに変わった。それは本来、介護ロボットの彼女には組まれていない表情だ。
 そうした怒りの表情を浮かべたまま、ニアンがゆっくりと口を開いた。
「セドさん……あなたは、博愛なんて人間の真似事、と言いましたね。いま、この世界の人間に、博愛の心がありますか? 老人を容易く見捨ててしまう冷たい人々に。そして、あなたに」
「お前!」

 ニアンはそのまま服を整え終えると、セドにむかって真っ直ぐに立った。その姿に一瞬セドは身構えたが、ニアンはそっと、セドに頭を下げる。
「お世話になりました」
「ニアン……」
 ニアンはそのまま、セドに背を向ける。研究所を出ていこうとしたその時に、一度研究台に目をやって、そこに置かれたオルゴールを手に取ろうとした。

 
 その瞬間、研究所の中に閃光が走った。

 ニアンの手から滑り落ちたオルゴールが床に叩きつけられてバラバラに砕け、それと共に、ニアンも床に、うつ伏せに倒れ込む。

 セドが、内ポケットから抜いたレーザー銃で彼女の背中を撃ちぬいたのだった。


 人間を侮辱し、反抗したロボットに対する、正当な処罰であった。
 もっとも、セドは彼女の基幹部位を破壊したわけではない。体内の意識回路のみをレーザーで破壊し、機能停止させただけだ。意識回路系の新しい部品を組み直し、レーザー痕を修復しなおせば、また元に戻すことはできる。

 セドは動かなくなったニアンを見下ろし、一度、深いため息をついた。それから含み笑いを漏らし、デスク上にある携帯電話に手を伸ばす。
「……もしもし、おう、俺だ。あのさぁ、悪いんだけど、またロボットの意識回路、替えを持ってきてくれないか? そうだ、またフォーマット前に暴走しやがってなぁ。電源落とそうとするたびすぐこれじゃ、参っちまうよ、まったく。まぁ、今回の暴走はちょっと説得力があって面白かったけど。今回も今回でいろいろ悟ったのかもしれんが、どうせそんなことも、次の仕事までには忘れちまってるだろうしなぁ、ハハハ。じゃ、そういうわけで頼むわ。仕事も入ってるから、早めにな」
 セドは携帯の通信を切ると、ニアンの身体を担ぎあげて
「それじゃ、意識回路が届く前に始めちまうか……」
 改めて、フォーマットの準備をはじめようとして、デスクに戻る途中で床に落ちたオルゴールにつまづいた。
 オルゴールは、作業台から落ちた衝撃で壊れ、部品が飛び散ってしまっている。蓋が空いているが、もうゼンマイを巻いても音はならないだろう。セドはそれを片手で拾い上げると、木の箱の部分から機械部分を取り出してみた。
「ガラクタかぁ。こうも壊れちまっちゃぁな。ま、オルゴールなんて今更だれも欲しがりはしないだろうし、部品を金物屋に売れば部品は修理費のもとも取れるな」
 オルゴールの中身部品の残骸は、セドの手で、研究室の隅にあった箱に放り込まれた。そしてセドは再びパソコンへと戻り、ニアンのメモリーのフォーマットの準備を進めて行く。

 オルゴール職人と共に過ごしたニアンは、もう、目を覚ますことも、涙を流すことも、怒ることもなかった。




 都心から離れた田舎道、そこに佇む小さな一軒家に、一人の老婆が暮らしていた。家族はみな不幸な事故により死んでしまい、その老婆は一人きりで、広すぎる家の中にこもって孤独な余生を送っていたのだった。
 老婆の友人はみな、既に老いてこの世を去ってしまった。親戚もみな年寄を煙たがり、彼女を引き取ろうとはしない。彼女の傍にいてくれる人は誰もいなかった。
 
 その老婆は、自分の貯蓄を振り絞ってこの孤独を紛らわす決断をした。
 高齢化と孤独死が社会問題となっている近頃、注目されるようになった介護ロボット。それを、老婆は高額で雇うことにしたのだ。
 

――はい、もしもし。毎度ありがとうございます。こちらはロボット派遣事務所、担当のセドでございます。
「おぉ、ロボット派遣事務所の方かい? もう三日も前にロボットを呼んだ者なんじゃがね」
――あぁ、お客様番号50421番の方ですね。はい、ご依頼と初回契約料は既に承諾されておりますが。
「そうじゃろう、いったい、いつになったら来るんじゃ? 私はもう、ずっとロボットを待っておるんじゃが」
――えぇ、存じております。本日、予定通り向かわせたしましたので、午後までにはそちらに到着するかと思います。しばらくお待ちいただければ……
「早くしてくれんか」
――はい、はい。わかりました。至急、向かわせたロボットに連絡をとりますが、まぁ、じきに到着いたしますよ。お待たせして申し訳ありません。
 
 待ちきれぬ老婆がロボット派遣の事務所に電話をかけている最中、彼女の家の呼び鈴が高くなった。
 老婆は思わず受話器を放りだし、ろくに動かない身体で玄関へと急いだ。時刻は日も沈んだ頃、こんな時間にこの家を訪れる者など、いやしない。老婆は家にインターホンを設置していなかったが、誰が来たかは姿を見ずとも明らかだった。

 玄関口に立っていたのは、輝くような黒髪の少女だった。
「おぉ、お前さんが、ロボットかい?」
 やっと玄関に辿り着いた老婆が震える両手を突き出すと、少女はにっこりと笑って、お辞儀をする。
「はじめまして、ニアンと申します。本日より、おばあさんのお世話を担当させていただきます。どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
 ニアンはすぐさま老婆に歩み寄って、老婆を抱きかかえる。
 老婆はニアンの到着に、涙を流して喜んだ。 
「おぉ、孫によく似ておる。お前さんはどこにも行かないでおくれよ。私のそばにずっといておくれ」
 ニアンは老婆の言葉に改めて優しく微笑み、そして優しい言葉をそっと老婆にかけた。
「もちろんです。私はあなたに大切な時間を提供するために、派遣されてきたのです。至らないところもあるかもしれませんが、これから、よろしくお願いしますね」



 ――オルゴールは決して異なる曲を鳴らすことはない。そして、余計なものがオルゴールの記憶に含まれることは決してない。ただただオルゴールは、同じ曲を同じように鳴らし続けるだけだ。