螺旋れた心臓 ( No.273 )
日時: 2013/02/03 21:35
名前: にゃんて猫 ID:yuNxBr2M


オハヨウゴザイマス。オハヨウゴザイマス。
私ノ名前ワ、ディーニーデス。
今日モ、ガンバッテ、仕事ヲシマス。
オハヨウゴザイマス。オハヨウゴザイマス。


「ああ、ようやく終わった」
 少年はひとつ大きく伸びをして、それから、ひとつ大きな欠伸をして立ち上がった。
 少年は大きな服を着ている。少年の体よりも、ずっと大きな服だ。
 少年は銀色の髪をしている。陽の光を受けてとても綺麗だ。
 少年は淀んだ瞳をしている。朝日を見ても少年は目を閉じない。
 少年は白い肌をしている。どこへ行ってもそれは輝いて見えた。
「今日はどこへ行こうか」
 少年は、誰言うことなくそう呟いて、ゆっくりと歩き出した。
 少年の歩く地は、とても硬く、凸凹している。
 少年の行く先は、遠くに聳え立っている。
 少年の頭の上は、透き通った赤褐色の空だ。
 少年の周りには、錆びたモノ達がたくさん積まれている。
 少年は、キリキリ五月蠅い螺旋を巻く音に足を止めた。耳の後ろで、声がした。
「何をしているんだい」
 少年は振り返って声をかけた。
「仕事デス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタはキイキイ五月蠅い音を出しながら、少年に答える。
「そんなことはしなくていい。もう終わったんだ」
 少年は右手の一番短い指の隣の指を、空に向かって立てた。
「空は赤い、地は黒い、君が仕事をしなくても、誰も何も言いやしないさ」
 ガラクタは折れた金属の棒で地面を引っ掻き回し、泥に埋まった螺旋を拾い上げようとする。
「仕事デス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタはピンとかシャンとか喧しい音を出しながら、少年に答える。
「もう仕事なんかしなくていい。君は自由だ。もう―――はどこにもいない。君は自由だ」
 少年は灰色の砂の積もった地面を蹴った。その下から、どろりとした黒い沼が顔を覗く。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
「それは―――が終わる前の仕事さ。今はもう、君に仕事はない」
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタは少年がどんな言葉を紡いでも、まったく振り向こうとしなかった。
「誰のために仕事をしているんだい」
「ソレワ、―――ノタメデス」
 ガラクタは、頭に刺さった大きな螺旋をギリギリと巻いた。螺旋が震え頭でっかちな体が大きく前に傾いた。
「じゃあ、やっぱり君の仕事はない。もう―――はいないんだ」
 少年はガラクタに後ろからそっと近づいた。ガラクタはまだ、沼にはまった螺旋を先の折れた腕で取ろうとしている。
「イイエ」
 ガラクタの発条の心臓が脈打ったように、少年は感じた。
「アナタガ居マス」
 少年はじっとガラクタを見つめていた。
 しばらくして、少年はガラクタの体をそっと両手で持ち上げた。中でカラカラと何かが鳴っている。少年はそれを肩に背負って歩き始めた。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタは少年の肩の上でずっと、五月蠅い音を出し続けていた。


「君ってどんなものを食べてるの? それともお腹、すかないのか」
 少年はガラクタに話しかける。右手に小麦の稲穂の塊を持って。
 少年はガラクタをじっと見る。左手に葉緑体の集合を持って。
 少年はガラクタを知らなかった。口に小麦を放り込みながら、そう思考している。
「ディーニーワ食事ヲシマセン。ディーニーワ呼吸ヲシテイマス」
「呼吸?」
 ガラクタのビービー喧しい音声を聞いて、少年はおうむ返しに尋ねた。
「ディーニーワ空気中ノ毒素ヲ分解シテエネルギーヲツクッテイマス。ディーニーワソレヲ電気エネルギーニシテ体内ニ蓄電シテイマス。ディーニーワ空気モ掃除シテイマス」
 ガラクタは自慢げにガラガラの音声を鳴らし、少年はまた呆れた様子で空を見ていた。
「無駄だよ。空はもう青くない、どこまでも腐った色が広がっているだけだ。君が全部を綺麗にできるはずがない」
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ空気モ掃除シテイマス」
「その口ぶりだと、さっきまでしていたのは地上のゴミ拾いか何かかな」
 少年が尋ねると、ガラクタはそのドラム缶みたいな胴体の上に付いた不格好なバケツ型の頭をギリギリ音を立てて横に振った。何度も何度も横に振り、途中で何かがバキリバキリと音を立てて折れ曲がった。
「イイエ、イイエ、違イマス」
「じゃあ何を」
「ディーニーワ、ディーニーワ、ディーニーワ……――――」
 ガラクタはしばらくその場でぐるぐる回転し、るぐるぐと旋回し、ぐるぐると転がった。そして、ズタボロになったスピーカーから、言葉らしきものを紡いだ。
「ディーニーワ―――ヲ探シテイマシタ。ディーニーノ仕事ワ―――ヲ探スコトデス」
「へえ」
 少年は急に興味を失ったように、冷めた口調でそう言った。
「シカシ、イエ、デモ、デスカラ、オソラク、イイエ、シカシ」
 ガラクタは言葉を選ぶように意味の無い逆接的な単語を並べるだけ並べて、くるくると空回った。
「デモ、アナタガ居マシタ。アナタワ―――デス」
「そうかい」
「アナタワ―――デス」
「うん」
「アナタワ―――デス」
「…………」
 少年はそれ以上何も応えずに立ち上がり、ガラクタを脇に抱えて歩き出した。
「ディーニーワ―――ヲ見ツケマシタ。ディーニーニワモウ仕事ガアリマセン。ディーニーニワモウ仕事ガアリマセン。ディーニーワ仕事ヲシテイマセン。ディーニーワ仕事ヲシテイマセン」
 ガラクタはその間ずっと、訳の分からない言い訳をするようにずっと怒鳴り続けていた。


「……さっき言ったことの続きだけど」
 何のきっかけもなく、少年が突然口に突いて言い出した。
「君の言うことを総合すると、君は―――のために―――を捜す仕事をしているのかい? それって不自然じゃないか?」
 ガラクタの音声発生器が一時停止し、再び動き出す。キリキリと何かが螺旋を巻いた。
「不自然、デワ、アリマセン。ディーニーワ―――ヲ探スノガ仕事デス」
「君に仕事を与えた―――がいるなら、―――を捜す必要はない。違うかい?」
 少年の問いに、ガラクタはガタガタカタカタと震えた。それピピピピッピピピかピピッピらピピピピピッピピピピッピと変ピピピピなピッピ音を発し始め、少年の発し終えたことによって発生した矛盾の穴を埋めるべく、あーだーこーだーそーこー言ってキィキィ言ってみるが、すべて錆びきった体の中で反響するばかりで、外にはひとつとして漏れ出なかった。
「チガイマス、チガイマス、チガイマス、チガイマス、チガイマス、ディーニーワ、ディーニーワ、ディーニーワ、チガイマス、チガイマス、ディーニーワ―――ヲ探スノガ仕事デス。ディーニーワディーニーワディーニーワ……」
 ガラクタの荒唐無稽な戯れ言に少年はひっそり湿った洞窟に吹くすきま風みたいに息を吐き出して、いつの間にか止まっていた両足を再び動かして歩き始めた。


 少年は、眼前に聳え立つ塔を見据えた。
 少年は、横目でガラクタを見た。
 少年は、左手で濁った水を飲んだ。
 少年は、右手でガラクタを支えた。
 少年は、頭で考えるより先にその一歩を踏み出した。
 少年は、体が動くより先ににガラクタのことを想った。
「君はここにいるんだ。絶対についてくるなよ」
 そう言って少年はガラクタを散乱した部品の庭の軒先に置いた。ガラクタはボルトを口の中でカラカラ転がして言った。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
「そうだ、ここで掃除でもしていればいい。絶対に上には行くな」
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
「うん、それでいい。僕はすぐ帰ってくるから、それまでここで待っていろ」
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ―――ヲ探シテイマス」
「ここにいてくれ。そうすれば君の仕事は達成される」
 少年がそう告げると、ガラクタは急にガタガタになった首を跳ね飛ばしそうな勢いで立ち上がり、それから不自由な腕を可能な限り大きく振って飛び跳ねてみせた。
「本当ニ? 本当ニ?」
「本当だとも。ああ、きっとね」
「ディーニーノ仕事ワ達成サレマス! ディーニーノ仕事ワ達成サレマス!」
「そうとも、君の仕事はこれで終わる」
「本当ニ? 本当ニ?」
「本当だとも。それじゃ、行ってくる」
 少年はガラクタを残して、煉瓦造りの塔へ入っていった。
 ガラクタは呼吸をしていた。


 少年は悔いていた。―――を置いてきたことを。
 少年は恨んでいた。―――を残してきた自分を。
 少年は泣いていた。―――を独りにしたことを。
 少年は前を向いた。―――は、もう決して後戻りできない。ここまで来てしまったから。
 少年がぐるりぐるぐるぐるりと巡る螺旋階段を駆け上がると、小さな小さな鉄の扉が待っていた。
 扉はギシギシと軋んでいて、誰も垢ひとつ付いていないノブに触れていない。
 少年はノブを掴んで手首を回し、それからぐいっと前に押した。ドアは耳障りな音とともに、呆気なく開いた。
「やあ」
 少年はノブから手を離し、椅子に腰掛けた人形の兎に話しかける。
「相変わらずだね、元気にしてたかい?」
 人形の兎は作り物の毛をからだに生やしていた。
 人形の兎は縫い物の鈍色の服を着せられていた。
 人形の兎は紛い物の耳を立てて息を潜めていた。
 人形の兎は本物の赤い瞳をこちらに向けていた。
「おお恐い恐い。そんなに怒るなよ」
 少年が戯けた道化のように空回った調子でへらへらと笑う。人形の兎はぴくりとも動かない。
「いったい、どうしたって言うんだい。僕はいつも通りさ」
 少年がそう言うと、椅子の向こうで黒い塊がパックリ開いた。三本脚の木製の獣が、白黒の歯を並べてこちらを見据える。
「そうかい、そうかい。僕のことが嫌いかい」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「そいつに食われろって言うのか。そいつは嫌だね。真っ平御免だ」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕の血を見ろ。青いだろ。僕の肌を見ろ。白いだろ」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕の髪を見ろ。世にも稀な銀色だ。僕の眼を見ろ。瞬き一つしていない」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕の体を見ろ。光っていてとても綺麗だ。僕の動きを見ろ。精密に刻まれていて、すごく滑らかに見える」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕の心臓の音を聞け。何も聞こえない。何も響かない。何も騒がない。何も起こらない」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕の心を見透かせ。何も見えない。何も感じない。何も掴めない。何も存在しない」
 人形の兎はぴくりとも動かない。
「僕は存在しない」
 人形の兎がぎょろりと眼を剥いた。
 黒い三本脚の獣が迫り、不協和音を孕んだ轟音で少年を外へ突き飛ばす。
 塔の小さな窓から解き放たれた白い鳥は、ひらひらと空を舞って落ちていく。
 人形の兎が、血を垂らして笑った。口元を吊り上げて笑った。落ちていく鳥を見て笑った。ずっと、笑っていた。


「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタは空から落ちてきた鳥を見た。鳥はガラクタの手前に落ちた。
 大きく伸びた両翼は白い腕で、大きく伸びた後ろ羽は白い脚だ。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタが鳥の上に乗っかり、その首を二本指の手で押さえる。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタの粗末な蓄電器が電流を送った。腕から、首筋から、全身へと。
「ディーニーワ仕事ヲシテイマス。ディーニーワ仕事ヲシテイマス」
 ガラクタの首がカクンと折れる。ガラクタはもう考えられない。
「デ ーニ ワ……」
 ガラクタの足がバタンと取れる。ガラクタはもう歩けない。
「…………」
 ガラクタの手がトタンと切れる。ガラクタはもう触れない。

 ガラクタの心臓がカチリと途切れた。ガラクタはもう心を持たない。

 ガラクタは死んだ。




















「ああ、ようやく終わった」