宝物、魔王、爆発 : 壁の中の楽園 ( No.191 )
日時: 2012/08/15 23:47
名前: brain◆P3Wb.oVPT6 ID:pBkMVxRQ


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 ジュナは とてもまずしいかていに うまれそだちました。
 いえは きれいではないし まいにちの たべものも まんぞくにないけれど いっしょうけんめいはたらくおとうさんと やさしいおかあさんといっしょに しあわせにくらしていました。
 
 ジュナはうまれつきからだがよわく すぐにかぜをひいたり びょうきにかかったりしました。
 だからジュナは、あまりそとであそびませんでした。
 
 でも おかあさんがおうちでしごとをしているときには ジュナはそとへでました。
 そんなときにはいつも ジュナは だれもいないきょうかいにあそびにいきました。
 そこには ジュナのひみつのともだちがいたからです。
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 しんと静まり返った教会に、サンダルの足音が響く。
 白いワンピースの少女がひとり、教会に入ってきたのだ。

 無断で立ち入っても、咎める者も、迎える者もいない。この教会にいた神父やシスターたちは、戦争の煽りでみなこの街を逃げ出していたのだ。
 いまやこの空間は、白い少女、ジュナひとりのものだった。

 
 ジュナがこの教会に遊びに来たとき、決まって向かうのは、聖堂のすぐ隣にある展示室だった。
 ここには、教会が所有する多くの書物や絵画が展示されている。多くは宗教の教えを説くような説教くさいものばかりだったが、ジュナにとっては、そんなものは価値がなかった。
 ジュナはまだ難しい言葉や文章が読めないし、絵画に記されている宗教の意味も分からない。彼女はただ、そこに展示されている絵たちを見て、大人たちが想像しえないことを思い描き、楽しんでいた。

 ジュナのお気に入りの絵は、展示室の中でもいちばん端に追いやられるように展示されている大きな絵だった。
 背景は赤と黒の渦が禍々しく描かれ、無数の悪魔がとりまく中央に、悪魔の統領が君臨している。恐ろしい形相の銀色の仮面をかぶった騎士が、黒い悪魔の馬に跨っている様だ。
 ジュナはなぜか、無数の絵に描かれた天使や女神よりも、この絵のまえにやってくることが多かった。
 この絵画のタイトルは「Inferno」、破戒者が堕とされる恐るべき地獄を描いた作品だった。
 しかし、ジュナは恐れはしなかった。絵画のタイトルの単語の意味を知らないのだ。そのために彼女は、この絵と、その中央に描かれている魔王を「インフェルノ」と呼び、妙に親しんだ。

 ジュナは素直な子だった。母親が内職に勤しむ間は邪魔にならないように家を出る癖をつけていた。
 そしてきまってやってくるのが、この教会の、この絵画の前なのだ。
「インフェルノ、今日もお母さんは忙しいの。ここで遊ぼう」
 絵画に語りかける少女。もちろん、ただの絵画は返事など返すわけがない。
 しかし、彼女はそんなことを気にもかけずに、肩にかけていたバッグをひっくり返した。
 その中からは、どこから拾ってきたのかぼろぼろの紙と、小さくなったいくつかのクレヨンが転がり落ちる。
 ジュナはそれを拾い上げると、インフェルノの前で、一人静かに絵を描きはじめるのだ。 

 ジュナの紙に、次々と絵が描き上がっていく。

 彼女は手早く書き上げた一番最初の絵を、インフェルノに差し出した。
 黄色いシャツを着た青年の絵だ。
「この人はね、ファトにいさんっていうの。わたしのうちの近くに住んでいて、井戸の水汲みを手伝ってくれるの。だけどね」
 ジュナがちょっと肩を落とす。
「昨日、死んじゃったの。とっても悪い病気にかかったんだって、お母さんがいってた。ファトにいさんも、びょういんにいけなかったんだって、ジュナと同じだね」
 ジュナはインフェルノにしばらく絵を見せつけてから、その絵を傍に置いて、またクレヨンを手に取った。
 
 ジュナが次に書いた絵は、いくつかのチューリップの絵だった。
「これは、ジュナの家の前に植えていたお花。きれいでしょう。でも、ぜんぶ枯れちゃったの。わるい兵隊さんが、毒をまいたっていってた」
 ジュナの絵の中には、きれいな自然や、花や草木が描かれているものが多い。
 しかし、窓の外を見てみれば、荒廃した大地に灰色の空、ジュナの絵の中に描かれている美しさなど影も形もない。
 ジュナは書き終わった花の絵を傍にどけて、また次々に絵を描いていく。

 ジュナはクレヨンを操り、カラフルで楽しい、いろいろな絵を描いてはインフェルノに見せていった。

 一匹も見かけなくなった虫の絵も描いた。
 どこへ行っても鳴き声の聞こえない鳥の絵も描いた。
 青かった頃の海の絵も描いたし、木々が生い茂っていた森の絵も描いた。

 それは、絵の中にしかない世界だった。
 ジュナの描くものは、もうこの世界のどこにもないものばかりだった。


 いつしかジュナの周りにはたくさんの絵が散らばっており、ジュナのもつ白紙は最後の一枚になっていた。
 ジュナはその最後の絵に、たくましい男性の絵を描いた。
「おとうさんだよ」
 ジュナが両手に紙を持ち、インフェルノによく見えるように絵を掲げた。
 その絵の中の男性は、軍服に身を包み、突撃銃を手にしていた。
「おとうさんは、もうずっとお仕事から帰ってこないの。まえはときどき帰ってきてくれたのにね。でも、ずっと帰ってこない。お母さんに聞いても、何も教えてくれないんだよ」
 それが意味しているところを、ジュナはまだ知らない。

 ジュナはその絵を傍に置いて、今まで書いた絵を見回してから、急に大声で泣き出した。
 泣き声は、教会中に虚しく響き渡る。その声を聞き届ける者は誰もおらず、慰める者もいない。


 ジュナが立ち上がり、描いた絵を踏みながら絵画に歩み寄って、絵画の中の魔王を見上げた。
「ねぇ、わたしのたからものは、みんななくなっちゃったの。インフェルノはどこかにいったりしないよね? ずっとここにいるでしょう?」
 ジュナは何度も、絵の中にそう問いかける。魔王はただただ絵画の中で、天に向けて矛を掲げるばかりだった。
 返事をしてくれない絵画にがっくりと肩を落とし、ジュナは描いた絵をそのままに、クレヨンだけを片付けて去っていく。

 残されたジュナの絵は、壊れた窓から吹き込む風に飛ばされて、部屋の隅へと固まっていく。
 その場所には、もう既に、数えきれないほどの絵たちが山のようになっていた。


 時間が経つにつれて、ジュナの姿はますますみじめになっていった。
 食べ物が手に入らず、ジュナはいつも空腹だったが、母親の仕事が忙しくなり、度々絵画の前に訪れるようになった。
 どこから拾っているのか汚い紙だけは、あいかわらず持ち合わせているようで、絵画の前で絵を描く習慣はかわりない。ただし、彼女のクレヨンは次第に短くなっていき、とうとう、彼女のお気に入りの緑のクレヨンがちいさくなって、なくなってしまった。
 彼女はその日までに、他にも何色かの色をなくしていた。色がなくなったせいで、彼女は、花や草木を描かなくなった。

 そんなことを延々と繰り返すジュナとインフェルノの遊びは、ジュナが七つになるまで続いていた。
 そんな頃までに、残っているクレヨンはめったに使わない紫だけになってしまい、ジュナは絵を、線だけで描くようになってしまった。
 ジュナの絵が変わり、ジュナの世界が変わっていっても、教会の外の世界だけは、相変わらず荒廃の色を消すことはなかった。 








 

 その日、絵画の魔王はいつものように絵画のなかに佇んで、唯一の客人が来ないかと待っていた。
 教会の外は花火の音が鳴り響き、窓の外は絶え間なく閃光が行き来して騒がしい。魔王はこんな外の光景を百年も前に伺ったことがあった。村をあげての祝祭の時だった。
 しかし、今の外の様子は、きっとそうではないだろう。
 魔王はこの教会に途方もなく長い時間飾られており、外の様子というものを知らなかった。しかし、ある日突然この場所にやってきて、以降すっかり常連となった小さな女の子が、長い時間をかけて外の世界のことを教えてくれたのだ。

 魔王は外の事をすっかり察していた。この世界は泥沼の宗教戦争に侵されている。しょうもない科学力などというものを身につけながら、未だに神などという馬鹿げた思想を掲げて、殺し合いをしているのだ。
 健気に生きるジュナの話を聞くのはあまりに胸が痛いことだった。しかし、自分はただの絵画。話を聞いてやれるというならそれも自分の役割だろうと、魔王は常に、ジュナの言葉に耳を傾けていたのだ。

 ジュナはどうしているだろうか、こんなにも戦火がすぐそばまできていて、果たして無事なのだろうか。
 魔王はだんだん不安になって、ジュナがはやく無事な姿で絵画の前に来てくれないかと気を揉んだ。


 翌日も、その翌日も外の戦争は続き、ジュナは現れなかった。しかし、四日目の夜に、ようやくジュナが教会にやってきた。


 ジュナはふらふらだった。白いワンピースの脇腹が、赤い血で濡れている。そんな有様で、絵画の前までよろよろと歩み寄ってきて、しゃがみこんでしまったのだ。
 ジュナは目にいっぱい涙をうかべて、魔王を見上げてきた。

「インフェルノ、お母さんも死んじゃったよ」

 ジュナ自身、もう立ち上がる体力も気力もないのか、しゃがみこんだまま動こうとしない。

「インフェルノ、痛いよ。怪我したの。でも、治してくれる人はもう誰もいないの」

 ジュナの周囲に広がる血だまりが、絵画の下まで迫ってきた。ジュナはそれでも、青ざめた顔をあげて絵画を見上げてくるのだ。

「インフェルノ、もうなんにもなくなっちゃったよ。家もないし、クレヨンもなくしたの。わたしはどうすればいいの、これから、どこへいけばいいの?」

 ジュナが最後の力を振り絞って、絵画にしがみつく。絵画にジュナの血がいっぱいにこびりついた。ジュナはそのまま、絵画に訴えかけるように激しく揺すり

「インフェルノ、インフェルノがいるところは安全なの? ねぇ、わたしもそこへ連れて行って。ジュナ、こんな世界は嫌い。たすけて……イン、フェルノ」

 その言葉を最期に、ジュナは大きな咳をして、その場に倒れ、もう動かなくなった。



 ジュナは死んだ。まるで小動物か何かのように、あまりにあっけなく、死んでいった。
 何の罪もない一人の少女が、教会の中で、何一つとして救いもないまま命を落としていった。
 魔王が愛した少女が、神々のくだらない争いのおかげで、いなくなってしまった。 

 あんまりにも、残酷すぎる。

 絵画の中の魔王の仮面の目のところから、いっぱいに水が零れ落ちてきた。





 夜が明け、教会に冷たい風が吹き込む、そして、教会の中に響き渡る、悲しい咆哮。

 どこからか現れた黒い甲冑をまとった魔王が、教会の展示室に佇んでいた。
 血で濡れた足元には冷たくなった少女が倒れたまま。壁の隅には、彼女が思い描いた世界が埃をかぶっていた。


 魔王の咆哮が、再び教会に響き渡る。そして唐突に腰から剣を抜くと、室内にある展示物を次々に破壊していった。
 慈悲などと笑わせる、何の役にも立たない天使や女神の像を次々に斬り壊していき、剣が放つ業火が書物や絵画を焼き払っていった。
 展示室はすっかり炎に包まれた。少女の亡骸と彼女の絵はそれに焼かれ、その煙は静かに天へと昇っていく。
 
 
 魔王は教会の外に踏み出した。
 教会の外ではどこの国の兵士かもわからぬ者たちが、銃や大砲や、よく分からない火器を肩に下げ、防毒のマスクをして戦いあっていた。
 それらが一斉に、魔王の方に注目したのだ。魔王は三度吠え、愚か者たちに剣を振りかざした。