あかり、時間、さくら : 散らない桜 ( No.188 )
日時: 2012/08/15 15:27
名前: 鳳◆MebFSLR8nQ ID:wWGEUahs


 小規模ながら素晴らしい出来だと話題の桜園。今まで作られることのなかった、移ろう春の象徴。それがようやくどこぞの技術者連中によって作り出された。桜を見ることができなくなり五十年余り経ってのことだった。
 味気無いまやかしを映し出し、殺伐とした真実を締め出す天蓋の下。死んだ風趣に毒されること無いよう、蓋され封印された箱庭。ここへと収監される最後の年までの通り、日が落ちてから園庭に赴く。そして今、その入口で私は立ち尽くしていた。元々、百と見られないということもあって、格別な情感を持ってこの場へと足を運んだわけだが……一目触れた、それだけで、“物”を見る俗な心持ちになってしまった。それでも、永く目にすることさえ叶わなかった桜のため、すぐ帰るという気にもなれない。仕方なく、心動かされることの無い虚像を見て回る。心に残ることすらも無いと知りながら。

 一瞥して把握できてしまうほどの統一感。混沌の中に宿る対称性など、月夜を映す天蓋の外へと置き忘れたようだ。情趣ある流麗な桜などは何処にも見られず、一様に輝くほど明瞭な鮮やかさを振り撒く薄紅色で、一様に派手な呈色をしている。
 月明かりの中歩く群衆は異人邦人問わず皆若い。心躍るその気持ちをはしゃぎまわって表現する子供がいれば、感銘を受けたような視線を送る若人もいる。それらのほとんどが、桜を目にした事が無かったのだから、無理も無い。
 紛い物の土の上に作り上げられた虚像。手を伸ばそうとも“物”に触れることはなく、何一つ感じることなく空を切る手と揺らぐ素子が見えるだけ。形だけは完全な出来であり、記憶に焼きついた実像と同じく美しい。しかし、記憶の中に残る精悍な輝きは目の前にはない。代わりに見受けられるは紅玉のような冷たい輝きだった。
 桜を囲む群衆のほとんどは手を伸ばすことなどない。影に慣れきって、物質を意識することすらないからだろう。稀に子供が情報を乱す他は、一歩引いたところで見上げている。作り上げられた偶像しか知らないその目には一体何が映し出されているのか、私には知る由もない。
 人の群れに釣られてゆっくりと歩く。変わり映えしないどころか、一片の変化もない景観に包み込まれ流され続けた。しばらく進むと、流れが塞き止められ横へ広がっていく。何か、余程の物を囲って眺めているのか、口汚い耳障りな歓声が所々で上がる。背伸びをして視線の集まる先を見てみると、そこには下方から光を受けて照り返す桜があった。あざとく照らされたそれを眺めて喜ぶ人集りに紛れて一人溜息を吐く。無粋だ。発案者の即物的な視野が容易に思い浮かぶ程に。
 すぐにその場を離れた。幻像の上にわざとらしい余計な装飾をくっつけたところで、ただ見苦しいだけ。擬似の桜に空疎な装飾を施すなど、虚ろなことこの上ない。紛い物一つで崩れ去る情趣が、虚飾を重ねた塊に宿るはずもない。

 失望と諦めを胸に、出口へと足を向ける。歩みを進める道中、常に満開の桜が私を取り囲む。萎むことも、落ちることも、散ることもなく、全てが全て満開で鮮やかで、一転の曇りもない。何処に目を向けようとも、幻像の桜は風にたなびくこともない。雲があろうとも隠れることのない天蓋の月のように。見れば見るほど思い知らされる記憶と現実の乖離。実像と虚像の埋めようのない隔絶。
 出口を潜り抜けて来た道を顧みる。月明かりに照らされる空想であり幻像の桜、そして群がる人々が目に留まる。過去は欠けない月を持った空だった天蓋のように、この桜にも変化は望めるのだろうか。