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[4993] 【2016年度】お題小説スレッド【お題「去る」作品投稿期間】
   
日時: 2016/01/12 23:57
名前: 企画運営委員 ID:7PNV346o



『お題小説スレッド』へようこそ。こちらはあるお題に沿って読みきり小説を書き、その作品をみんなで批評し合う場です。
 初心者も上級者も関係ありません。うまくなりたいとお思いの方であれば、だれでも自由に参加することができます。一生懸命執筆し、一生懸命批評して、小説の技術を高め合いましょう。
 皆様のご参加をお待ちしております。

――――――――――――――――――――

>>002 【ルール説明】:必ず熟読して下さい。(※内容、一言の箇所を訂正しました。ご確認ください)
>>003 【批評のポイント】:批評をする際のポイントをまとめたものです。
>>004 【イベントルール説明】:イベントに関するルールです。必ず熟読してください





▼お題:第32回のお題は「種」です。
 二月に種をまくのか? と思いましたが、調べてみるとじゃがいもは二月にまくそうですね。……さらに調べてみると一年中、なにかしらの種をまいてるみたいです。
 そんなことは置いといて。「種」というお題には「たね」以外にも色々な解釈があると思います。みなさんがどのような作品を投稿してくるのか、楽しみにしております。
※第30回の作品投稿期間は2月1日(土)からです


▼お題:第33回のお題は「姫」です。
 三月なので(笑)
 というのはよくわかりませんが(ひなまつりだから?)「ひめ」というのは可愛らしい語感ですよね。私は緑の黒髪をした和服姿が思い浮かびます。桃色が似合いますよね。桃色……やはりひなまつりでしょうか。それでは、みなさんの作品お待ちしております。
 
※第31回の作品投稿期間は3月1日(土)からです


▼お題:第34回のお題は「嘘」です。
 嘘でした。


▼お題:最終回のお題は「魔法」です。
 奮ってご参加ください。


▼お題:第36回のお題は「友情」です。
 ネタでした。


▼お題:第37回のお題は「音」です。
 奮ってご参加ください。



▼日程(第32回)

1月1日       :お題発表
2月1日〜15日   :作品投稿期間
2月16日〜28日  :批評提出期間


▼日程(第33回) 

2月1日     :お題発表
3月1日〜1月15日 :作品投稿期間
3月16日〜30日 :批評提出期間


▼日程(第35回) 

6月1日     :お題発表
6月1日〜7月31日 :作品投稿期間
8月1日〜   :批評提出期間



▼注意もしくは削除対象となるお書きこみ
・荒らし
・荒らしへの反応
・自分や他人の小説の宣伝
・雑談、チャット化
・ルールに反するもの
・管理人が不適切と判断したもの

――――――――――――――――――――

>目次 >>001


>第32回 お題『種』参加作品(敬称略)

>>404 sakana:シロハの辻褄
>>405 伊達サクット:赤い種、青い種

================================================================================

▼リンク
小説講座/雑談所』(お礼や言い訳等はこちらへ)
旧お題小説スレッド』(前スレはこちらから)
ツイッター』(朔乱のアカウントです。お題の告知などをしています)

管理人:If 空人 朔乱  補佐:伊達サクット
メンテ

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【死兵達の舞踏曲】 ( No.70 )
   
日時: 2012/01/22 14:49
名前: 天パ◆5eZxhLkUFE ID:XW8nIQww

「……始まったな」

「……ああ」

 腕時計を一瞥して俺は言う。隣の鈴木がそれに応じる。
 『KTセンサー』を取り付けられた二十代から三十代の『非リア充』が己の命と金、来年からのクリスマス中止を賭けて諸外国から迫りくるサンタと戦う、史上最悪最低の屑企画、『サンタ狩り』。それが今――西暦二〇二〇年十二月二十三日零時零分に――幕を開けた。
 今俺達がいるのはジャポン最北端の地、ソーヤミサキ。
 『ジャポン最北端の地』と書かれた石碑の前で、俺達はサンタ達の到来を待っていた。寒さに震えながら座して待つこと三分後。俺は水平線の向こうに、暗がりでもハッキリと捉えることの出来る赤い船団を発見した。
 恐怖に戦慄しながら、俺は隣で寝かけていた鈴木の肩を揺らす。鈴木は細い目を擦りながら遠くに目を凝らした。次の瞬間にはその顔は絶望に染まっていった。

「ほん……とに来たのかよ……」

「……俺達は覚悟を決めていたはずだ。ほら、立て」

 俺は恐怖を紛らわすために膝小僧を叩いて立ち上がった。
 三週間前、俺は『ルールブック』に記されていた『あなたの近くの参加者名簿』を見て驚愕した。こんな辺境の地であるが故に俺の仲間はたった一人。俺含めても参加者の頭数は二人。この圧倒的少なさ。おまけにこのホッカイドー地区は地理的に見てもサンタ達が最も集いやすいという最悪の土地。そんな中で俺達は戦い抜く。ハッキリ言って無理。言わば死ぬことを前提に戦う死兵のようなもの。
 だが、俺達は決して希望を捨てることはなかった。何故ならば――

「よし、やるぞ」

 鈴木が手袋を外し、手のひらで頬をバチーンと叩いた。それと同時に切れ長の目が闘志に燃える。どうやら準備は出来たようだ。
 そして鈴木は石碑の裏に回り、自らの武装を取り出した。
 ころのついた木の台の上に、片端に投擲物を乗せる皿がくっついた棒が乗っている。
 梃子の原理を利用して物を飛ばして攻撃する武具。紀元前五世紀頃には既に古代中国で使われたという投石機を更に小型化して俺らのような人間にも使いやすくした物。俗にカタパルトと呼ばれる武器、それが鈴木の武装。
 勿論、これ単体では効果を発揮することは出来ない。この武器で何かを投擲し、初めて効果が発揮される。
 じゃあ何を投擲するのか、という話になる。
 大昔の第一次世界大戦では、手榴弾をカタパルトで投げつけて攻撃したという記録が残っている。
 俺達もそれを模倣すればいいだけだ。幸いにも、双方が与えられた武器は正に状況と一致している。
 俺はダウンコートのポケットに手を突っ込み、自分の武装を取り出した。手榴弾(コートのポケットだけでなく、背負っているリュックサックにも五十発ほど入っている)である。
 俺はそれの安全ピンを抜いてカタパルトの皿に乗せ、安全レバーを掴んだ(こうすることで安全ピンを抜いた状態でも爆発するのを防ぐことが出来る)。
 鈴木はそれを見届けると、皿とは反対側に手を掛けた。やがて、鈴木の投擲までのカウントダウンが始まる。

「行くぞ……三……二……いち――――」

 俺は安全レバーを手放し、後ろに飛び退いた。
 それと同時に、鈴木が全体重を掛けてカタパルトを押す。
 梃子の原理で手榴弾は遠く彼方に飛んでいき、五秒後に海上で爆発した。
 船団には遠く届かなかったものの、動揺は与えられたようだ。船上から微かに叫び声が聞こえてくる。
 良いスタートだ。うまく相手の士気を落とすことが出来ている。この調子で行けば。
 俺の頭に勝利という二文字が浮かび上がる。
 俺達は様子見のためにもう一発、手榴弾を投擲した。
 空中で手榴弾が爆発した後、遂に船団は動きを止めた。

「よっしゃあッ!」

 俺と鈴木ははしゃぎながらハイタッチをした。
 未だ一隻も艦船を落とせていないが、それでも相手のペースを乱すことには成功している。向こうに見える、止まった船団がその証拠だ。
 俺達はそのまま、石碑の前に座りながら船団の動きを窺っていた。
 そして動くことのない景色を眺めながら早十五分。欠伸を噛み殺して腕時計とにらめっこしながら待っているとようやく船団に動きがあった。
 おかしい。先ほどとは比較もできない異常なスピードでこちらへと近づいてきている。俺の脳裏に投げられた手榴弾の軌道が過ぎる。このままでは――上陸どうこうの前に手榴弾の当たらない位置に来られてしまう。
 俺は焦りながらも冷静に鈴木に指示を出した。

「カタパルトを……右に向けてくれ」

「オッケー」

 右手に見える、ここから一番近いと思われる一つの艦船。
 あれを爆破して、先制攻撃を決める!
 俺は右向きになったカタパルトの皿に、先ほどと同じように手榴弾を乗せた。
 そして先ほどと同じように鈴木のカウントダウンが始まる。

「三……二……いち――――」

 俺は手榴弾の安全装置を手放した。鈴木は全体重を下方に向けた。
 船団にも負けず劣らずのスピードで、手榴弾は風を切って飛んで行った。
 それは山なりの軌道を描き、着実に、右の船へと近づいていく。手榴弾が近づくにつれて、船団のざわめきも大きくなる。次の瞬間、手榴弾はふっと見えなくなった。
 刹那。船が爆ぜた。真っ赤な火柱を次々に上げて、船は大破してゆく。中から、丸焦げのサンタと思われしき人間達が次々に海に飛び込んでいった。
 最終的に船は木の骨組みを晒しながら、大海原へと沈んでいった。
 辺りに一時の静寂が走り、次の瞬間には船団から「ウオオオオオオオ!」という言葉にならない自身鼓舞の叫びが聞こえてきた。
 それを皮切りに、船団のスピードは更に増した。
 俺達は猛スピードで迫りくる船団を、次々に落としていった。最早作業的に。周りの気温と同じく、恐ろしく冷めた心で。目と鼻の先に見えるサンタ達を絶え間なく爆殺していった。
 ――――が、快進撃も長くは続かなかった。

「くッ…………」

 鈴木が遂にカタパルトを動かすことを諦めた。理由は簡単だ。手榴弾が船の上を通り過ぎてしまうほどに、船が近づいてしまったからだ。
 しかしそれも当たり前。初めに見た船団の数は両手の指では数え切れないレベル。それらを全て撃墜できる訳がない。連続的に続いた爆発の嵐を切り抜けて、現れた船団は、手榴弾の当たらない安全ゾーンへと入ってしまった。
 俺は目前に迫った船団を前に、歯軋りした。
 このまま、野垂れ死ぬ運命なのか? 俺達に最初から勝ち目は無かったのか? 俺達はやはり死兵なのか? だとしたら、俺達の存在意義って、一体――――!
 ――いや、これで終わる訳がない。まだ、チャンスはある!

「おい、立て!」

 完全に塞ぎ込んでしまった鈴木に、俺は一喝した。鈴木はビクッと肩を震わすと、ゆっくりと俺を見上げた。
 俺は矢継ぎ早に開口する。

「サンタ達の船は、ここまで近づいてきてるんだ。だったら……まだ間に合うはずだ。手榴弾を投げつければ、まだ勝機はあるはずだ」

 鈴木は何も言わずこくりと頷くと、俺の背中のリュックから手榴弾を二、三個取り出した。
 俺達は二人、手榴弾を握り締め、凄まじい速さで近づいてくる船団を見据えていた。
 ……勝つ。俺達は。勝つんだ。迫り来るサンタ達を押しのけて、勝利を掴むんだ。大金と、クリスマス中止を賭けて。
 
「うあああああああああああああっ!」

 槍投げの要領で、俺達は渾身の力を込めて手榴弾を投げつけた。
 山なりの軌跡を描いて飛ぶ二発の弾丸は、船に着弾する前に空中で爆発した。
 鈴木が「何で」と呟いた。
 俺は目をよく凝らして船上にいる人影を捉えた。それは、長い得物を肩に構えて俺達を見下ろすように甲板で腹ばいになっている――スナイパーだった。勿論サンタ服を着た。

「Merry Christmas」

 暗い中でも、スナイパーサンタの口が、そう動いたのを俺は見逃さなかった。
 俺達を死へと誘う呪文。俺達が今まで憎んで憎んで仕方の無かったあの言葉。
 唐突に鳴り響く銃声。
 隣の鈴木が、胸に小さな穴を穿って倒れた。胸に開いた風穴から、鮮血がどくどくと溢れ出る。
 俺はリアルな死を実感した。そして次の瞬間には怒りをぶちまけるように叫んでいた。

「あああああああああああああああああああああああああっ!」

 船上のスナイパーサンタはそんな俺の姿を指差して、嘲笑っていた。
 いいさ。ここで死ぬ運命だったとしても。
 俺達が生きて――――こうして数々の艦隊を墜落させた事実は、サンタ達の記憶の中に死ぬまで留まるだろう。
 俺達が死んでも、俺達の存在は――誰にも忘れさせない。
 俺はライフルのスコープを覗くスナイパーサンタに向かって、微笑した。
 次の瞬間、銃弾が俺の胸を貫通した。

  ◆   ◆

「サンタ狩りの始まり……か」

 四十七つのモニターの前の椅子に深く腰掛けたビジネススーツの男がそう呟いた。
 モニターには各都道府県の『サンタ狩り』参加者の様子が映し出されている。その中の一番上の映像を見て、男は更に呟く。
 一番上のモニターには、既に絶命している二人の参加者を踏みつけながら、北の地ホッカイドーに上陸するサンタ達が映りこんでいた。サンタ達は白い服を纏った者と赤い服を纏った者が混在し、全体である意味カラフルな模様を作り出していた。

「これが……ジャポン最北端チームの惨劇だ……始まって早々、悪い意味でも良い意味でもやってくれた……なあ?」

 男は椅子を回転させて自分の真後ろに立っているタキシードという出で立ちの執事風の男に賛同を求めた。
 タキシードの男は「はい」と静かに返事すると更に続けた。

「白服サンタ、赤服サンタが混合して乗船している艦隊を何隻も堕としたのはサンタの数を著しく減らすことに大きく貢献しています。これからの活躍に期待していたコンビでしたが……さすがにあの数には勝つことは難しいようですね、会長様」

 『会長様』と呼ばれたビジネススーツの男は、口に微笑を称えながら答えた。

「そういえば……この男達と同じように、たった一人で例の『デコピンで鉄に穴を開けられる』白服サンタを倒した男がいるとか聞いたが」

「はい。午前零時十二分四十三秒一四、トーキョー都の131108の3、xが4、yが3、zが2です」

「zの2ということは――まさか集合住宅内で倒したのか」

「そのようです。映しますか?」

「いや、いい」

 『会長』は椅子を回転させて元の位置に戻ると、再びモニターを舐めるように見始めた。
 執事風の男はその様子を表情一つ変えずに見守っていた。
 かくして、『魔女狩り』にも匹敵するほどの愚法、『サンタ狩り』は始まった。

サンタ狩り
メンテ
『始まりは思い出日和』 ( No.71 )
   
日時: 2012/01/17 03:48
名前: 空人 ID:ecW/iNTg

「見て」

 促すようにモノが空を仰ぎ見ると、ジルはつられて顔を上に向ける。
 空はどこまでも青く澄んでいて、太陽のまぶしさに二人は目を細めた。

「ねっ? 『晴れの日は召喚日和』だよ!」

 師匠の口癖だった台詞を口にしたモノを見つめると、なんとも言えぬ感慨が湧いてくる。
 その自信有りげな笑顔を見て、ジルは安心したのか小さく笑い返すと、翼を広げ彼女の肩から近くにあった木の枝へと飛び移った。

「解りました、もう何も言いますまい。お行きなさい。御武運を」

 彼女が不意に頼もしく見えたのは、ジルの親心から来る贔屓目だけではないだろう。
 優しく見守るジルに力強くうなずき返すと、モノは地下室の――自分の今の実力を審議されるその扉を――開いた。

 石造りの扉に入っていくモノを見送って、ジルは一人になった空間を見回した。
 彼らが住処としている家は、モノの師匠でジルの元の主でもあるトリコが用意した研究実験に適した住まいである。今は主無きその家屋を振り返ると、楽しい思い出ばかりがよみがえる。自分がこんな事では現主であるモノを元気付けるなどおこがましいのではないか。そんな考えがジルの頭をよぎり、慌てて首を振る。
 モノを信じたのは自分なのだ。それに彼女はトリコが逝った後、本当に努力を惜しまなかった。敬愛する師匠の安らかな眠りを妨げるわけにはいかないと。そんな彼女を支える存在になりたいとジルは心に誓ったのだ。それに先ほどの彼女は本当にたくましく成長して見えた。

 思い起こされるのは、彼女とのはじめての出会い。そして――。




「明日から一年くらい家を空けるから、留守番よろしくー」
「は? あの、私がついて行ってはいけないのですか?」

 稀代の魔導師であるトリコ=ロールに仕えるようになって以来、ジルは彼女の側を大きく離れる事は無かった。それは、彼女が魔術の研究に没頭すると家事や、ともすれば自身の食事でさえ疎かにする性質があったからで、彼女に快適な環境を用意する事が自分の役目で有ると自負していたからでもある。

「ご、ご命令ならばそうしますが、一体どちらへ、どのようなご用件なのでしょうか」

 少々女々しいなとは思ったが、この人間界に呼んだのが彼女である以上ジルが彼女を守る事は当然で、契約の一部でもある。

「そうねー、東の実験塔が良いかしら。あそこなら地表まで距離があるし、多少の被害も許容範囲でしょ?」
「被害……やはり私もついて行ったほうが」

 自分の主が優秀な魔導師である事は自他共に認めるところであるが、同じように彼女の魔術実験による被害が小さなものではない事もまた周知の事実なのである。

「ダメよ。今度の魔術実験はちょっと大掛かりな召喚と還元になるから。私の召喚獣であるアナタも余波に巻き込まれる恐れがあるのー。だからごめんなさいね」

 聞けば、納得せざるを得ない理由が飛んできた。謝罪を受けるまでも無く、ジルは大人しく引き下がるよりほか無い。

「……では、どのような実験をするのかだけでもお教え願います」

 それでも、彼女の一の従者として引き下がれない一線もある。ジルは恭しく首を垂れ、主の答えと許諾を待つのだった。

「ふふふ……」

 そんなジルを見て、トリコは笑みを漏らす。もとより隠すつもりなど無かったのだ。己が従者の生真面目さを好ましく思うが故の、そして秘密を打ち明けた後のリアクションに期待しての可憐なる微笑であった。

「実はね、ついに例の古き神々へのアクセスを試みようと思うのよー」

 両腕を振り上げ、ファンファーレが聞こえてきそうなほどの勢いの笑顔で、トリコは宣言した。

「ふ、古き神というと、いにしえの神界大戦に敗れ、現主神に封印されたというあの?」
「そう、それ」

 ビシッという効果音付きで人差し指を向ける主にジルは冷や汗を禁じえない。

「それは、もしかしなくとも危険なのではないですか?」
「あらー、心配? 私の事が?」
「いえ……そうですね。どちらかと言えば、周囲の町が、ですが。そこまで言うからには、何か秘策がお有りなのでしょう?」

 溜息混じりにそう答える。どんなに危険な魔術でも、彼女は自分の身を危険にさらさない。必ず安全圏に居て、結果だけを掠め取る。トリコが魔女といわれる所以はそんなところにもあるのだ。

「んー、秘策というか、準備が万全に近い状態で揃っちゃったからっていうのが実際のところねー」
「準備、ですか?」
「ええ」

 大きく頷いた後、トリコは後ろの戸棚から二つの品物を順に取り出しテーブルの上に置いて見せた。

「魔界図書館で見つけた古き神々に関する真書の写本と、天界から持ってきた神を許容できるだけの器。後は私の時空間魔法があれば、失敗する理由が見つからないわー」

 トリコは自信たっぷりに分厚いハードカバーの本と卵型の器二つの品物について説明するが、その聞き手は嘴と三つの目を見開いたまま、あげるべき声を失っている。
 ジルが声を取り戻したのは、動き出さない彼をそろそろ心配になってきたトリコが首を傾げ始めた頃だった。

「ト、トリコ様っ! 古き神々に関する書物は確か持ち出し厳禁のはずですぞ! それに、そちらの器はも、もしや『世界の卵』ではっ!? それは貴女の施術の失敗で全て破壊されたはずではないですかっ! その所為で貴女は天界への出入り禁止の上、『破界の魔女』とかいう不名誉な二つ名まで授かる事になったのですぞっ!?」

 人間界では目にする事すら無いはずの二つのレアアイテムは、彼女が天界と魔界を渡った唯一の魔女である証しでもあった。
 鬼の形相でまくしたてる従者をトリコは涼しい顔でやり過ごし、その鬼が淹れたハーブティーに口を付ける。

「大丈夫よー。写本の方はテトラくんに許可をもらったし、天界みたいな窮屈なところにもう一度行きたいなんて思わないしねー。それに『破界の魔女』って格好良くないかしら?」
「くぅ、あの新米魔王め、事ある毎にトリコ様に色目を使いよって! 己のやっている事の重大さに気が付いておるのか、そろそろ心配になるぞ。……まぁ、天界の方は貴女がそれで良いなら許容しましょう。しかしバレると厄介な事になりますな」
「大丈夫でしょー、ジルか私が口を滑らさない限りバレたりしないわよ。それにそもそも『新世界の卵計画』は現主神様の発案じゃなかったのよー、天使長の独断でっ」
「……」

 魔王や天使の長をも手玉にとるような魔女を、その使い魔風情が言って聞かせる口を持っているわけも無く、ジルは静かに溜め息だけを吐き出した。

「解りました、もう何も言いますまい。お行きなさい。御武運を」

 トリコが満足そうに頷くのを見て、ジルは再び溜め込んでいた言葉を無音に返すのを禁じえなかったのである。



 それからおおよそ一年の時がすぎた頃、ジルの耳に東の実験塔が崩壊したとの知らせが届く。高層の部位が崩れ落ち、周辺の町に被害は無いものの塔はもう修復不可能だろう、と。しかし慌てる事は無い。その知らせは彼にとって、程なくして主が帰ってくるのだろうというだけの事だ。久しぶりに主を家に迎えられる事に喜びを感じながら、ジルは彼女がいつ帰ってきても良いように準備を始めるのだった。
 そしてトリコは帰って来る。傍らに小さな少女を伴って。

「ただいまー」
「お帰りなさいませ、トリコ様。お変わりないようで……そちらのお嬢様は?」
「ジルも元気そうね。この子はモノちゃん、今日からここで一緒に暮らすから、よろしくねー」
「は……はぁ」

 思わず気の無い返事を返してしまいながら、ジルがトリコに手を引かれた少女を嘗めるように観察すると、幼き少女は無遠慮に自分を見つめる三つ目の鳥を不思議そうに見つめ返す。
 その何かを見通すような澄んだ瞳を覗き込むと、ジルの脳裏にはある考えが浮かんできてしまうのだった。

「も、もしや……。い、いったいいつの間に産んだのですか!? 父親はっ!? まさかあの出来損ない魔王ではないでしょうな! あの三下め、なんという事を……っ!」
「落ち着きなさいジル。テトラ君は好みじゃないってば。そうじゃなくて、この子は私が産んだんじゃないのよー、残念ながら。でもそうね、ここで暮らすのだから私の子供って事にした方が都合が良いのかしら?」
「……どこぞからさらって来たのではありませんよね?」
「ちゃんと親の了解はとってますー」

 なにやら騒ぎ始めた二人が自分の話題で盛り上がっているという事を考えもせず、幼き瞳は部屋の中をキョロキョロと観察しているのだった。

「とにかく、モノちゃんと両親は離れて暮らす事になっちゃって一人で放っておけないから、今日からこの子は私の家族になります。そのつもりで対応してねー」
「かしこまりました。ところで、実験の方はいかがでした?」

 質問は確認の為だけだと認識していた。塔が崩れたという事は、塔の体積を超える何者かが呼び出されたという事で、実験の成功を裏付けるものだったからだ。
 しかし、トリコは困ったように眉をひそめる。

「んー、半分成功かな?」
「半分は失敗したのですか? 珍しい事で」
「それは褒めてくれているのかしらねー。まぁ良いわ、古き神の一柱を召喚する事には成功したのだけれど、契約は出来なかったのよー」

 でもね。と前置きをしておいて、トリコはそろそろ退屈になってきて部屋の中をうろつき始めた少女を捕まえる。何も知らない素人が触ると危険な魔道具がこの家には何の配慮も無く置いてあったりするのだ。
 そのまま幼いモノを抱えあげたトリコは、愛し子にそうするように頬を寄せる。

「この子に出会えた。それはこの上ない成功だわー」

 二人がひたいを押し付け微笑み合う姿は、本物の母子を思わせた。ジルは自分が目を細めてその光景を見つめている事に気が付いていたが、それを隠そうとする気は起こらなかった。それは、平凡とは言い難い人生を送ってきたトリコが久しぶりに見せた、人間らしい表情だったのだ。




 あれから十数年。伝承に詠われるまでになった魔女は数々の偉業と共に眠りについた。そして、唯一の弟子として育てられた少女は、今旅立ちの時を迎えようとしている。彼女の成長を一番側で見守ってきたジルにとってそれは嬉しい事であり、少しだけ寂しい事でもあるのだった。
 ふと、モノが入っていった石室から騒がしい声が聞こえてくる。おそらく彼女の魔法が発動したのだろう。ジルは自分の新しき主がその扉を開き外へ出てくるのを胸を張って迎えようと思っていた。
 扉から漏れいずる空気はどこか懐かしく、けれど新しい物語の始まりを予感させるもので――――。





>>本編へ続く
メンテ
DEPARTURE 〜始まりの軌跡〜 ( No.72 )
   
日時: 2012/03/01 10:15
名前: 月音◆aGDHPkqUjg ID:MIB7lyFk

 日野神太陽。当時十三歳。
 自分と兄――青空以外の人間を亡くし、親を亡くし、絶望の淵にいた所を伯父だった鯵本に拾われる。
 鯵本が連れたのは瑠王学院。父親晴天も出た学舎。鯵本の伝手で入学させられた太陽は、一時は親を殺した復習の為にと人間不信に陥ったが、後に出逢った鳶と零土に諭され、少しずつ人の心を取り戻すようになる。
 これはそんな太陽が、自分にとって守るべきものを見つけたきっかけとなった物語――。












「お、お腹が減った〜」

 腹の虫が鳴り止まないでいる太陽。ポケットに入っている所持金はたった一〇レアルだけ。苺ジャムパンを買うにはあと半分必要だった。
 太陽達瑠王学院生には、給料と称して学院から生活費一〇〇〇レアルを支給される。だがその金も素は税金。大人達が収めてきたものを支給されているのだから皮肉としか思えないだろう。
 ……話を戻すが。
 購買部で買えるパンはどれも二〇レアルとお安い。自分用に学生寮も用意されている。公共料金も国が援助してくれている。その等価交換に、学院生は――将来命を代償に国の為に戦うという誓いを立てられる。
 国軍という仕事は生半可じゃない。自身の活躍に応じ見返りで金銭が貰えるが、その分危険も伴う。
 自分達は警察組織。卒業すれば、待っているのはいつ死ぬかも分からない鏡面。そして反政府組織に対する心構え。それら全てが待ち構えている。太陽もまたその坩堝(るつぼ)の中にいた。
 実際卒業出来ぬままはぐれ――主人の元を離れた人間と召喚獣に殺された院生もいたぐらいだ。

 また水飲み場で腹膨らまさなきゃなんないのかよ……。まともな物食べてないから調子悪くなる。しまいには入院する。
 どこかに金でも落ちていないものか……。一レアルでも五レアルでもいい。俺に慈悲を……。
 そう願う太陽だが、そうそう思い通りに落ちているわけもなく、ただただ空腹が増す一方。

 バタンッ!

 とうとう耐え切れず、太陽は白目を向きながら前のめりにつんのめった。
 今にも天使が降りてきそうだ。此処に犬でもいたらあいつの名前でも呼んで、このまま天国に行けるのになぁ。
 嗚呼、お迎えが来そうだ……。
 父さん。
 母さん。
 今そっちに行くよ。

 青空兄ちゃん。
 先立つ弟の不幸をお許し下さい。



「あっ、霜月さんだ」「明日菜さんだ、今こっちを見たぞ!」「バカヤロー! 俺の方を向いたんだ!」「違う! あの聖女のような笑みは僕にこそ向けたんだ!」

 教室を出ると同時にざわつく廊下。男女みなが憧れの目で彼女を見る。
 苺の如く純粋な赤い色の長髪に澄んだ水色の瞳。そして男は誰もが落ちるだろう童顔の美貌にほっそりした体躯。
 この少女こそ太陽がのちに出逢う――霜月明日菜。
 明日菜は廊下を抜けて、いつも食事している校舎の裏庭で一人、木の椅子に座って机にバスケットと紅茶の入った水筒を置く。

「さぁ、今日は何が入っているのかなぁ! えいっ♪」

 明日菜が楽しそうに蓋を開ける。
 バスケットの中には今朝コックに作ってもらったサンドイッチがびっしり入っている。色取り取りのサンドイッチを前にじゅるりと涎を垂らしている明日菜。
 どーれーにーしーよーうーかーなー、天ーのー神ー様ーのー言ーうーとーおーり……。
 食べる順番を決めれず、明日菜はリズムに合わせ人差し指で選んでいく。指が止まった先は――カツサンド。
 カツサンドを手に取り、明日菜は大きな口を開けてそれを食べようとした、その時。

「ヘ……ヘルプミイィー……っ」
「――っ!? うわあぁっ!」

 サンドイッチを食べようとした明日菜が見た先は――うつ伏せになって倒れ伏している太陽だった。
 それを見た明日菜も、手を止めざるを得なかった。
 苦笑いしながら明日菜はサンドイッチを一つ取り出して太陽に差し出して言う。

「あの、良かったらこれ食べる?」





 明日菜から貰ったサンドイッチ――カツサンド、シューサンド、ツナサンドを頬張る太陽。余程腹が空いていたのだろうと悟った明日菜も、特別に数個ほど分ける。
 バスケットの中のサンドイッチはまだ残っている。それらも明日菜が日頃食べる量だ。

「いやぁ、誰か知らないけど助かった。これで昼の授業ももつよ」
「良かった。……そうだ。名前は何て言うの?」
「んあぁっ。俺は『日野神太陽』。Bクラス」
「――っ! わ、私『霜月明日菜』! 一緒のBクラス!」

 偶然ってあるものなんだな。
 そう言い、手渡されたストロベリーティーを飲んで太陽は言葉を紡いだ。

「お前、いつも此処で飯食ってんの?」
「うん……。私、他の人と違うから学校じゃ一緒にご飯食べれなくて……」
「仲間外れか?」
「否、私がそうしてるだけ」
「教室行って一緒に食べればいいじゃないか」
「私にはそういう相手がいない。だから食べない」
「じゃあ、毎日俺と一緒に食べよう。それくらいなら良いよな?」

 太陽のそんな一言を聞き、明日菜は突然手を止めだす。お金持ちの明日菜にとって、今までそんな言葉を吐いてくれる者はいなかったからだろう。きっと嬉しいのに違いない。ささやかに太陽は悟る。

 キーンコーンカーンコーン♪

 言葉を終えた直後、校庭へ鳴り響く昼休み終了のチャイム。授業が始まる二分前の予鈴のチャイム。
 急いで弁当箱をしまい、明日菜は一人でに太陽の手を握って走る。

「いけない! もう五時限目始まっちゃう! 急ごう! ソルっ!」
「ソ、ソルって何? 俺太陽だよ?」
「太陽だからソル! だから私、あなたのことソルって言う!」
「すげぇ! てかそれ恰好良い!」

 なんて話し合いながら、太陽と明日菜は廊下を駆け、鯵本が入って来る一分前に無事に教室に着くことが出来た。



「霜月のこと、何か知ってる?」
「え、明日菜ちゃんの事? 急にどうしたの?」
「昼飯でちょっとな……。俺、女子と喋ったことないから……」

 五時限目終了後の休み時間。太陽は自分の後ろの列にいる少女の事を、零土と鳶に訊いてみた。
 教科書を纏めながら零土は少女を見遣り、頷いて太陽に話した。

「僕が知ってることといったら……僕達が入学した頃に鳶君と一緒に特待生で祝辞を読んでたって位しか……」
「ああ読んだ読んだ。知ってるぜ零ちゃん。霜月って言ったらさ、此処――瑠王学院の資金出すほどメッチャ大富豪なんだろう?」
「明日菜ちゃんのお家、凄いお金持ちらしいから、他の男女は身分が違うからって遠くから見てるみたいだよ。嗚呼、避けてるって意味じゃなくて、近寄れないって事」
「……なんかそれ、おかしいよな」
「本当だよなたっちゃん。金持ちも貧乏人も平等に話せたら良いのにな。まぁそれでも、俺達は隔てなく喋ればいいだけさ。ダチに身分関係ねーしな」

 そうだ、鳶の言うとおりだ。友達に身分も関係ない。だが。
 金持ちと貧乏人。それは当然明日菜と太陽を指している。今でこそ普通に話しているが、妙な誤解を生んでしまったらどうなるのだろうと、鳶の話を通して少々不安になる太陽。

「何にせよ、彼女にはあまり関らない方が良いと僕は思うけどね」

 零土は少々反対だった。明日菜に関わるという事は彼女を通して他の貴族達にも目をつけられる事になる。当然、明日菜の親族にも。下手をすれば命を狙われるなどの問題も出てくる。
 言うことも一理ある。けど、彼女は自分の立場上で気軽に話し合える友達もいなければ相談できる仲間もいない。
 自分が明日菜の友達になろう。
 今日初めて会ったばかりの明日菜に、太陽はそんな感情が芽生えつつあった。



 それから四日後。
 いつもどおり明日菜と食事していた太陽は、突然クリームパンを半分割って明日菜に差し出す。

「はい」
「これ……あなたのパンじゃ……? 貰えないよ。お腹空いちゃうよ?」
「メロンパンがあるから六時限までもつ。メロンパンって意外と腹膨れるんだ。昨日の礼ってことで受け取って?」

 有難う。笑顔でそう言うと、明日菜は太陽からクリームパンを受け取って、バスケットの中のスコーンと水筒に入ったキャラメルティーとともに食事する。
 太陽がメロンパンを千切って口に含んでいた時だった。明日菜の顔がどこか浮かないのを悟る。先生に怒られたのか? 誰かにイジメられたのか?
 心配して太陽は声をかけてみる。

「元気ないよ? 誰かと喧嘩したの?」
「私……結婚させられそうになってるの……」
「? 俺たちまだ13だよ?」

 明日菜は首を横に振って言の葉を紡ぐ。

「13歳でも結婚出来るの、私の場合。相手のお父さんが『政略結婚』っていうのをお父さんに言ってきて……」

 通常、ここパンゲアの法では男性が満18歳、女性が満16歳でなければ結婚は認められない。
だが彼女は太陽達とは違う身分の人間。過去に10歳未満の少女が嫁に出されることも珍しいケースではなかった。

「じゃあ、結婚したらお前どうするんだよ?」
「……学校をすぐに卒業させてもらえる。国軍にも籍を入れてくれる」
「卒業できるの!? スッゲェ!」
「……」
「?」

 太陽達にとって12歳から4年で卒業出来るものは羨ましいものである。明日菜も例外じゃない。
 だが。明日菜は嬉しい様子ではなかった。
 どうしたんだ?
 太陽が一声かける。

「私、まだ結婚したくない。みんなと一緒に卒業したい。せっかく話し合える人に会えたのにすぐお別れするの、嫌……」

 明日菜のその声は震えていた。同時に体も。太陽はそれを見て悟る。
 この子は、本当は好きな人と結婚がしたいんだ。けど、大人達の勝手な都合で好きでもない相手と……。
 それでも明日菜にとってこうして話せる相手は自分しかいなくって……。

「分かった。俺がお前を守る。そんなやつと結婚なんかさせないよ」
「けど相手は貴族だよ? ソルより強いよ?」
「それがどうした? お前まだ結婚したくないんだろう? 俺たちと一緒に普通に卒業したいんだろう? だったら信じてくれ。俺が無理にでもそうする」
「私たちまだ四日しか会ってないのに、どうしてそこまでしてくれるの?」
「お前、あん時俺を助けてくれたじゃん。サンドイッチをくれた。めっちゃ美味かったし、感謝もしてる。だから、今度はお前を助ける」

 ふいに明日菜の手を取って太陽が言い切る。
 そうだ。この子は俺が守ってあげなきゃ。どうしてか分からないけど、体がそうしろと独りでに動いて、口も動いて……。
 やっぱり俺は父さんの子だ。こういう子ほど見ていて放っておけないんだと思う。それに、独りぼっちだったっていうのは、少なからず俺も共感できたから……。
 約束にと、明日菜と指切りする太陽。明日菜も約束してくれると信じ、話して良かったと太陽に言った。





 だが。
 二人のそれは単に口約束で、絵空事だった。



「先生、今日明日菜は来てないんですか?」
「んおぉう。なんか明日菜、結婚するらしいな。見合い結婚? 政略結婚? よくわかんねーが」
「え……?」
「そういや厳道も見合い結婚だったな。あいつ正座しすぎで変顔作ってたって女房も酒の席で言ってたっけな――って、おい太陽! 何所行く!?」
「先生すんません! 教科書家に忘れたんで取りに帰ります!」
「家じゃなくってもちゃんと俺が用意してあるって、ほら! おぉい、戻れってええぇぇ!」





 六月五日。曇り後晴れ。
 最悪だ。よりにもよって今日がその結婚式だったのかよ……! どうりで顔色が浮かなかった筈だ……!
 明日菜の事に気づけなかった後悔が太陽の胸の中をよぎる。
 場所は何所だった……!? 嗚呼そうだ! 確か『瑠王講道館』でやるって言ってた!
 いや落ち着け! まだ家を出てないかもしれない! その前に一目だけでも会わなきゃ!

 家の門前へ辿り着く太陽。とても大きな家だ。庭も学院並みに広い。野球球場並みに広いだろう。流石は瑠王学院を支える柱と言うべきか。
 此処に明日菜が……。もう此処を発ったのだろうか……?
 そう思うといても立ってもいられず、太陽が一歩踏み出したその時だった。

「何者だ貴様! 此処は霜月家の敷居だぞ! 平民が立ち入る場ではない! さぁ帰れ帰れ!」

 門前に立っていた番兵が太陽を乱暴に突き飛ばし追い返そうとする。負けじと太陽は番兵に突撃。しかしがたいの大きい番兵を前に、太陽は前へ進むことができないでいた。

「平民の分際で足掻くか! 良かろう! 貴様を捕らえて我が主、轟嵐様のもとに突き出してやる!」

 番兵がそう言って太陽へ手を伸ばした刹那。

「――ちっ! これはフォノン……新手か!?」

 槍を一つ薙いで番兵が舌打ち。後ろを向くと――。
 先程術を放った鳶と、木刀を二本携えた零土が駆けつけてくれていた。

「大丈夫かたっちゃん!」
「鳶! 零土!」
「ソル君、後ろ!」

 零土の言葉と同時に、直後番兵が槍を両手に刺突を繰り出す。
 かわしきれない。刺し殺される。
 太陽が背中を丸めた刹那。

「――むっ!?」

 槍を受け止める鮮やかに染色された緋色の大剣。
 鳶が背負っていた大剣――火炎剣(フランベルジェ)の刃が、太陽の身を守る盾の役割を果たす。
 防御しきったあと、鳶と零土は太陽を叱咤する。

「たっちゃん! 俺達に黙ってなんでこんな真似しやがんだ! 明日学校で覚悟しとけよ!? 先生マジで怒ってたから! もう顔とか鬼状態だったから、言っとくけど!」
「まったくだ! 君は仲間の為なら自分のことさえ犠牲にするのか! お人好しは国軍じゃ命取りだ! けれど僕はそんな君のこと正しいと思ってる!」

 ……お人好しはお互い様だろうが。苦笑して太陽は心中呟く。
 距離を取っていた番兵が体中から魔力のオーラを放ちながら、太陽達に三人に言い放つ。

「おのれ次から次へと! 轟嵐様の親衛隊の名に懸けて、ワタシは貴様達をここで捻じ伏せてくれよう! 神妙にせいっ!」
「たっちゃん、此処は任せろ! 霜月はあっちだ! さっき入ってったの見えた!」
「此処を気付かれる前に早く! 僕達も後で行く!」
「うん! ごめん鳶、零土!」

 相手を鳶と零土に任せ、太陽は扉を開けて屋敷内へ入るのだった。
 何処だ……。明日菜は何処にいる……?
 長い渡り廊下を走りながら周囲を見渡す太陽。式の準備中の為か、使用人が一人もいない。太陽にとっては好機。
 と、その時。赤い髪の少女を見つけ、太陽が叫ぶ。

「明日菜あぁ!」
「――っ! ソルっ!」

 目に涙を溜めながら、白いベール姿の明日菜は太陽に近づいて両手を握る。

「よかった。式はまだか?」
「うん。今日の十二時からって……。もう私以外の人皆式場に向かってる」
「今十一時か……。そうだ、御両親は?」
「お父さんとお母さんも式場にいるから、遅れて来るからって言ってきた……」

 どうやら間に合ったらしいな。ホッと胸を撫で下ろす太陽。幸いまだ兵はこっちを感づいてはいない。
 廊下に飾られた時計を見遣り、太陽は明日菜の手を握り返して言う。

「逃げよう明日菜。今なら間に合う。好きでもない奴と結婚なんてやっぱり間違ってる。俺たちがパパさんに会って――」
「否、その必要はないよ」

 太陽の後ろから聞こえた男の声。澄み切った青年男性の声だ。
 ふと振り返る太陽。そこには紺色の傭兵団制服を纏ったブルーハワイ色の髪をした美男子が現れる。

「何だてめぇは……!」
「平民でも挨拶はしておかなくちゃね。ボクは『氷室龍成(ひむろりゅうせい)』。国家傭兵団第四小隊所属の隊長をしてる。きみたちとはすぐさよならなんだが、ボクもこういう身の上だからね。庶民相手でも礼儀は通さなくちゃ」

 太陽に話しかけてきた青年――氷室はゆっくりとレッドカーペットを踏み歩いていく。
 明日菜を自分の背後に下がらせ、太陽は氷室が身構える前に攻撃呪文――フォノンを撃ち放つ。
 持ち得る魔力を込めて放った火炎球が直進するのに対し、氷室は回避の動作無しに背負っていた大剣を抜刀。剣を盾に身を守った。

「俺のフォノンが弾かれた……!?」
「ほぅ。なかなか強い球じゃないか。上出来だ。このレベルなら良い兵士に成れるかもね。――平社員クラスだろうけど」
「来る!」
「【ブリザロン】!」

 言い切って氷室はそのまま左手を前に、掌から氷の球を発射する。長剣を握って構える太陽だが――。
 塊は太陽を擦れ擦れで通り過ぎ、後方で爆発を巻き起こす。

「えっ……!?」

 今の術……立ってる位置があと少し横にずれてたら直撃してた。右腕が一瞬だったけど冷たく感じた。
 否、あいつはわざと外しやがった。俺を試したんだ。

「おっと、つい手元が狂ってしまった。怪我をしていたならゴメンね、若き学生君」

 なんなんだ、今のは!?
 ブリザロンなんて演習で何度も見た。けど、こいつのは違う。こいつが撃ってきたそれは大きい塊のようだった。
 あんなものを複数撃てるっていうのか……!? あれで初級呪文……!?
 有り得ない! ふざけている!

「ボクを相手に頑張ろうとしているんだろうが敢えて言う。残念だが、きみに勝機は無い。そして此処に立った以上は生きて帰ることすらもできない。きみは国軍になるべくしてぼくにやられるんだ。学院生のままね」
「ソル、逃げるなら今しかないよ! ソルじゃ貴族には勝てないよ!」
「……ったくどいつもこいつも五月蝿いな金持ちってのは。勝つか負けるかなんてなぁやってみなくちゃわかんねーだろ!」
「太陽……確かそういう名前だったね? 勇気と無謀は別だ。今のきみはその後者。愚考だよ。明日菜さんも身を案じて言ってくれてるんだ。彼女に免じて命だけは取らないでいてあげるから、早々に帰り給え」
「帰るかっ!」

 再度太陽は火炎球を氷室に向けて撃つ。今度のは一発目よりも全力で放ってやった。
 火力も強い! これなら!

「うああああぁぁぁっ!」
「やった!」

 直後。火炎球は氷室を直撃。同時に立ち込める爆風が彼の立っていた場所を取り巻く。
 明日菜、今のうちに。
 逃げる準備にと、太陽が明日菜の手を握ろうとした。
 ――刹那。

「っ!?」

 明日菜の眼前でそれは起きた。
 突如煙から飛来してきた五本の氷の刃が太陽の体へ突き刺さる。突き刺さるとともに太陽は苦悶の声をあげて倒れこんでしまった。
 飛来した瞬間、射程距離にいた明日菜を庇って太陽が変わりにくらったのだ。

「がああああぁぁぁぁぁっ!」

 痛い……痛いぃっ……! 腕や脚に刺さった氷の刃が自分自身を痛めつけている。流れる血とともに蹲る太陽。
 激痛に悶える太陽を無視し、煙の中から現れた氷室は紅色のコートについた埃を払い、冷静な顔で右人差し指を顔に近づけて言の葉を紡ぎ出した。

「きみの魔力を数値で例えるなら……そうだな。一発目が20。二発目が40。計60だ。ボクはその上だ。一発目が100。さっきの二発目が20×5で計200。たった大きな違いだ。二発目を撃つ際にきみは躊躇した。此処を潰すかもしれない。ボクに当たるかもしれないとね。今の術に有りっ丈の魔力を注ぎ込んで放っていたら、手傷くらいは負わせられたものを……惜しい事をしたねぇ」
「……っ!」
「まだ気付かないか? まだ感じないか? ただの学院生が現役国軍に敵うわけないんだよ! 身の程を弁えて帰るんだ、痛い目を見る前にね!」

 嘲笑う氷室。
 駄目だ。こいつとはレベルが違う。だからといって逃げるわけにはいかない。外に零土と鳶がいる。巻き込めない。自分が繋ぎ止めるしかない!
 立ち上がろうとする太陽の前に、明日菜が止めてと前に立つ。

「おや、何の真似だい、明日菜さん? 目の前に立たれると危ない。退いたほうがいい」
「私の友達になんてことするの!? これ以上酷いことをするなら私あなたを許さないから!」
「金持ちに友達が必要か? 明日菜さん? もともとボクたちは平民とは程遠い存在だ。息を吸うことも同じ空間にいることも、苦しみを分かち合うことさえも永劫叶わぬものなんだよ」
「ソルを悪く言わないでよ! ソルは独りぼっちの私でも一緒にご飯を食べてくれた! お金持ちだから関係ないって私に毎日『お早う』を言ってくれた!」
「やれやれ……頭の悪い女だなきみは。見てみなよ、明日菜さん。この男は平民だ。平民――ボクたち貴族とは身分の低い下劣な存在。下品な存在。汚物。ボクを普通の人間と侮ったばかりにこのザマだ。そんな脆弱な驕った心で、生涯きみを守ることなど出来はしない」
「……」
「きみの運命は最初から決まっていたも同然なんだ。きみには生涯伴侶さえいればいい。友だと? 笑わせるな。きみに支えなど不要だ! きみはボクの言いなりになれば良いっ! そうなる運命なんだ! クハハハハハハハハ!」

 氷室の醜く歪んだ笑みに目を遣り、歯噛みする太陽。太陽の隣で明日菜も双眸から悲哀の涙を流す。
 太陽は許せなかった。
 こんな男が明日菜と一緒になることがとても許せなかった。
 何よりも、結婚しようって時にその相手を――明日菜を泣かせたことがとても許せなかった。
 あの顔をぶん殴ってやりたい。けれど氷が腕や脚に突き刺さっていやがる。
 腕に力が入らない。
 こうなったら、天国の父さんと母さん、何所かにいる青空兄ちゃんにでも頼んでみるか。

 父さん。
 母さん。
 兄ちゃん。
 あとほんの少しだけでいいから――俺にこのくそ野郎を殴る拳を下さい!

 直撃した体を引きずって、太陽は突き刺さった氷の刃を引き抜いて掠れた声で明日菜に告げる。

「あ……すな」
「? なぁに、ソル……?」
「明日菜……俺には親がいないんだ。帰る場所も無い。何故なら、自分と兄ちゃん以外の人が皆死んじゃったからだ」
「――っ!?」
「自分の非力で大事なものが無くなってしまうくらいなら俺は一生誰とも関わらない。そう思ってた。けど、今は違う。学校に入って鳶と零土に会って、お前と出会って、少しずつだけど、人を信じられるようになってきた。だから俺、お前とも友達になれる。そう信じてるから」
「あまり口を開かない方がいい。術の直撃が、きみの体にも響いてる筈だ」

 黙りやがれ。太陽は氷室にそう告げると、更に言の葉を紡ぐ。

「俺はお前ほどこんなデケェ家に生まれたわけじゃない。特別勉強も運動も出来ねぇ。ただ棒っ切れ(剣)振り回して生きてきた腕白小僧だ。けれど」
「けれど?」
「昔、父さんや兄ちゃんに言われたことがあった。何があっても忘れない一言だ」
「……それは何?」
「――『守るべき者さえ守らずに逃げる。大事なものに手を出した奴に拳一つも振るえない。そんなくそったれな男にだけは絶対になってくれるな』って! そう言ってくれたんだ! だからさ!」

 目の前の氷室なんて関係ない。笑い話になったって構わない。太陽は泣いている明日菜の顔を笑顔で見据えて。

「ほんの少しでいいから! 少しずつで良い! もっと俺たちを信じてくれ! 俺、もうお前が泣かなくていいようにこれからも強くなるからさ! こんなクソ野郎なんかに負けないでくれよ!」

 そんな太陽の必死な言葉を否定して嘲笑するかのように、氷室は唇に手を添えて微笑する。

「ククククククッ。何を言い出すかと思ったら、きみのどうでもいい苦労話か。お涙頂戴は要らないよ少年。所詮平民と貴族は相容れない存在だ! 生きる空間さえも違う! さぁ、明日菜さんを渡して消え給え!」
「てめぇなんかに明日菜は渡すかボケ! お前がくたばりやがれ!」

 くたばりやがれ。太陽のそんな言葉に、氷室は薄ら笑みを作ると、真剣な眼差しになって。

「そうか……。ならばこの術で爆ぜ死ね! 愚か者め!」

 カッ!
 水色に光り輝く氷室の右手。先程のブリザロンより輝きを増している。太陽と明日菜も悟る。とてつもない一撃が来るのを。
 明日菜が危険を察知し防御呪文を唱えようとするが、太陽は詠唱の時間が無い、駄目だと悟る。
 その直後。


「【ブリザ・マラン】!」
「たっちゃん!」「太陽君!」


 ガチャン! ゴゴゴゴゴッ!
 鳶と零土が扉を開け、部屋に入った直後。氷室の術が発動。直線状の吹雪が太陽に襲いかかる。
 自分が下がったら明日菜だけじゃない。二人に被弾する。
 避けられない状況の中で、鳶は意を決し、自分が背負っていた剣を抜刀、柄を片手に太陽へと伸ばす。

「いけ、たっちゃん!」
「応っ!」

 術の発射と同時に、太陽が咄嗟に距離を取った刹那。
 鳶に渡された剣――火炎剣を手に取り、太陽は柄を両手で握って眼前の術を見据える。

「終わりだ! 平民!」
「こいつをぶった斬りやがれええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」

 重たいながら太陽は両腕を振り絞り、力いっぱいに剣を縦に振り下ろし。





「――【紅蓮斬】っ!!!」
「何っ……!?」





 ゴオオオオオオオオオッ!
 剣先から迸る火炎の一撃で、直線状の氷を正面から一閃。太陽に触れる筈だった光線は真っ二つに分かれ、それぞれ後方で炸裂した。
 勢いを殺さない剣先から燃え上がる炎。それを見て氷室も心中で呟く。

「馬鹿な……ブリザ・マランをたった一太刀で……! オマエは一体何者なんだ……!?」

 完全に隙の空いたのを悟り、術を斬り裂いた勢いで太陽は氷室の顔面目掛け――。
 ドゴォッ!
 ストレートは氷室の右頬を捉えた。太陽はそのままアッパーカットを繰り出す要領で氷室を吹っ飛ばそうとする。
 反撃に氷室が繰り出した左脚の蹴りに、太陽は腕をクロスして身を守った。
 すぐさま太陽から距離を取る氷室。殴られた右頬を拭い、不気味な笑みとともに太陽に口を開く。

「ひひひ……ひひひひひひひひひひっ! 今のがオマエの全力かぁ? ボクの顔を殴った上にお気に入りのコートをこんなにまでしてくれて――ったれが」
「?」
「ふざけてんじゃねぇぞくそったれがあああああ! 何糞平民の分際で調子に乗ってくれてんだああああああああ!? 何が守ってやるだ!? 一人じゃ何も出来ねぇ屑の集まりが! 平民は平民らしく、金持ちの道具として扱われていればいいんだ! オマエ如きボクの相手じゃねぇんだよ!!!」
「――ソル逃げてええええぇぇぇ!」
「遅せぇんだよヴァカがああああああああああ!」

 氷室の剣先から放たれた水が氷の龍へと形を成し、一直線に太陽へ襲い掛かる。
 もう魔力も残っていない。逃げる為の体力も残っていない。
 死ぬ。
 そう思った次の瞬間。

「【大・防壁(ガ・ドン・プロテクト)】!!!」

 突如太陽の前へ展開された大きなガラス状の壁。勢いを殺せないまま氷の龍が壁へと衝突し、破砕音を立てて崩れ落ちる。
 剣を杖に立ったまま背後を向くと。
 霜月轟嵐――明日菜の父親が左掌を前に出したまま現れる。
 壁が音を立てて破砕するとともに、氷室が口を開く。

「こ、これはこれは。な、何のご冗談でしょうか、轟嵐殿?」
「わたしは、明日菜の友達を侮辱した者に帰れと言った。――きみに言ったんだよ、氷室くん」
「お父さん……? 式場に行ったんじゃ……」
「ウエディングドレス似合ってるよ明日菜。なぁに、少し手洗いに行ってくると滴(しずく)に嘘をね。そしたら、わたしの不在中にどうも面白い余興があったらしいじゃないか、うん?」
「な、何故にボクが!? ボクと貴方が手を組めば、瑠王学院も朱皇学院も来年には多くの新入生が来る! 国軍とて今のままではいずれ零落していく! もっと力のある人材を摘出して――」

 氷室の必死な弁舌に対し、轟嵐は薄ら笑んで一言。

「零落するのはきみの家だよ」
「……っ!?」
「この子が勇気を出して言ってくれたよ。――『結婚したくない。皆と卒業したい』ってね。物乞いをしなかった明日菜が始めてわたしに申し出てくれたのだ」
「そ、それが何だというのですか!? ボクは明日菜さんを好きだ! 彼女の我侭に付き合ってはいられない!」
「自分の家の為に我が娘を利用するというのなら、わたしは自分の娘を嫁には出さない。きみに明日菜は渡さない」
「くっ、お、お言葉ですが轟嵐殿……。貴方は既にボクの父上と協定を結ばれている筈だ。今更協定破棄など許されないはずですが?」
「わたしがいつ判を押した? わたしがいつ結婚させようなど決めた?」

 轟嵐は右人差し指をつき出して、更に言の葉を紡ぎ出す。

「わたしはきみの父君と交換条件を出した。きみと明日菜との結婚に乗り込んでくる者――異議があるものが現れなかった時、その時明日菜をきみに渡そうと、事前にね。だが結果こうしてお友達が来てくれた。実に命懸けだったよ。失敗したらどうしようかと不眠症にもなったぐらいだ」
「うっ……嘘だ……! 父上がそんなこと……!?」
「そして最後に――これも賭けた」

 轟嵐が左拳を宛がった場所は――心臓部分。氷室もすぐそれを悟った。

「命……っ!?」
「そう。わたしの命だ。明日菜をきみにくれてやるぐらいならきみに殺された方がマシだと、この命を賭けることにした。霜月の当主となり財政を担うのであればこの程度のことは造作もないはずだ、そう思っていたのだが、どうやらきみにはそれほどの勇気はなかったようだね」
「ぐっ……!」
「ひっ捕らえろ! この男に、二度と霜月の敷居を跨がせるな!」

 轟嵐の力強い言葉と同時にボディーガードの男が4〜5人現れ、氷室の体を羽交い絞めにする。「離せ離せっ!」という氷室の言葉など無視して、ボディーガードは氷室を外へと連行していった。
 それを最後に、鳶に抱えられながら太陽の意識は途絶えるのだった。




「……此処は?」
「おお、起きたようだね」

 辺りを見渡すと随分と豪勢で広い部屋だった。赤い絨毯に天井に飾られたシャンデリア。
 そして――目覚めと同時に映った中年男性。太陽は直ぐにその人物が何者なのかが判った。そして今いる場所――霜月家内にいることも。

「――っ! あっ、あああ明日菜のお父さん……!?」
「ああ良かった。返事をしても起きないから『ただのしかばね』になってしまったのかと思ったよ」
「い、いや何故そのネタを知ってるんです!? アルスのお母さんですか!?」
「『死んでしまうとは情けない』の方が良かったかい?」
「お父さん、本当はドラクエめっちゃ遣り込んでたでしょう! じゃなきゃ言わないもの!」

 咳払いして気を取り直すと、太陽は素早く本題に移る。

「どうして、助けたんですか? 俺――否、僕は平民ですよ? 彼女とは住んでる世界が違う。助ける必要なんて……」
「明日菜の大切な人を、どうして突き放すようなことをするのだね? 明日菜の大切な婚約者だ。丁重に持て成さなきゃいけない」
「……? 婚約者? いや、婚約者なら氷室ってやつが」
「あんな奴ではわたしの老後を任せられん。きみにこそ適応してる」

 なああああああにいいいいいいっ!? ここにきてまさかのハイスピード展開!? どゆこと!?
 今何て言った? え? 明日菜の婚約者? 俺が……明日菜と結婚って!?

「ちょ、ちょっと待ってください? 何故に僕なんです? 平民と貴族が結婚するのは絵本で知っていますけど、幾らなんでもその真似は……。それに、追い返して良かったんですか? 明日菜の婚約者だったんじゃ……」
「だあああれがあんなケツの青い小僧なぞにわたしの可っ愛い娘をやらにゃいかんのだ! 明らかに明日菜の体目的だったに違いない! 絶っ対にそうだ! 父親の勘だ! そうじゃなきゃわざわざ明日菜を選んたりなんかしないもん!」
「えぇー……」

 すげぇ。お父さんが『もん』って言ったぞ。ごつそうな体で厳格そうなイメージとは正反対だな。
 反応に困る太陽をよそに、轟嵐は話を続ける。

「それに、わたしはきみになら明日菜を任せられると信じている」
「どうして僕なんですか?」
「――明日菜は幼い頃から人見知りで、唯一の話し相手と言えばわたし達両親か、長女の瑠華しかいなかった。みんなでそんな明日菜を励まし合ったものだ」
「……っ」
「けれど最近、明日菜が楽しそうに学校の話をしているんだよ。その大半の話が――太陽くん、きみだ」
「僕ですか?」

 頷いて轟嵐は続ける。

「明日菜はきみの事を喋る時だけとても活き活きしていた。お弁当の話や勉強の話、今日来てくれた零土くんや鳶くんのことも。あんな明るい明日菜は初めて見た。きみは名前の通り、娘に太陽を与えてくれた。だから、わたしはきみにはとても感謝している」

 轟嵐は太陽の顔を見て微笑むと同時に――。

「娘を――明日菜の事を、これからも宜しくお願いします」

 四十五度頭を下げる霜月家当主様。太陽も急いで顔を上げて下さいと彼に懇願する。
 明日菜。お前、本当家族に愛されてるな。羨ましいよ。俺の父さん達にも紹介したかった。
 そう悟り、太陽は轟嵐を見据えて頭を下げた。

「――こちらこそ、宜しくお願いします」





「今日は……本当に有難う、ソル。私、正直もう駄目かと思ってた」
「いいよ。お前が無事で良かったよ。結婚、しなくて本当に良かったな」
「うん」

 笑顔を見せる明日菜。やっぱ苦労した甲斐あったな。良い事をした後はスッキリして良い。
 嗚呼、また明日菜を見る度に胸が苦しくなってる。目を合わす度逸らしてしまう。
 結局……俺はこの子の事を……もうこうなったら勢いだ!
 太陽は想っていた事を全て明日菜に言い放つ。

「俺、お前が結婚するって知った時正直取られたくないって思って、体が勝手に動いてた。お前と会う度に心臓もドキドキしてた。それってさ……多分俺、お前の――」

 刹那。
 太陽の口上を遮るかのように、明日菜の顔が太陽の視界いっぱいに広がる。
 口元に柔らかいものが触れている。同時に温かい。そして鼻腔を刺激する、彼女の髪から香るイチゴの甘酸っぱい匂い。
 太陽は赤面ながらすぐそれを悟った。

 ――自分が彼女にキスされたことを

 離れる明日菜の唇。突然の出来事で身動きできない太陽に、明日菜は恥ずかしながらに叫んだ。

「わ、私これファーストキスだったから! ソルが初めてだったから! せ、責任ちゃんと取ってね!」
「俺も、は、初めてだから安心して! 責任も取るから! 絶対!」
「初めて……! ソルも初めて……! へへへへへ」
「明日菜も初めて……明日菜も初めて……ハハハハ」

 二人向かい合い、目を合わせてもじもじしているのをよそに、零土と鳶が手を振って呼びかける。

「じゃあまた明日学校で会おうね、ソル」
「ああ。また学校でな」
「? 明日菜ちゃん、ソルって何?」
「ソルはソルだよ。太陽のあだ名みたいな?」
「おいおいたっちゃん。いつの間にそんなお近づきになったんだぁ?」

 鳶が苦笑いで太陽に言い寄る。
 零土も「へぇー、なるほど」と小言を呟いた後。

「じゃあ僕もこれからソル君って言おっか」
「零土!?」
「僕としてもしっくり来ると思うから。宜しく、ソル君」
「俺はいつも通りたっちゃんって呼ぶわ」
「バイバイ、皆〜!」

 鳶の言葉を区切りに、太陽達三人は霜月邸をあとにした。
 今日は災難だったな……。怪我だらけだった。明日先生に何て言おうか。
 けど、氷室みたいな悪いやつから明日菜を守るには、俺も強くなくっちゃ駄目だ。今日のでわかった。
 鳶以上に。零土以上に。
 そんなことを考えていた帰り道、太陽はふと鳶に話しかけられる。

「霜月、明日も学校来たら良いな」
「うん」
「それはそうと、大変なことをしてくれたなたっちゃん……」
「? な、何が?」
「ちゅーだよ。霜月とのちゅー。俺たっちゃんの後ろで見てたから」
「〜〜っ!?」
「ファーストキスはどんな味だったんだ!? ブルーハワイか! 苺か、檸檬か!?」
「べ、別に何味だったなんてどーでもいいじゃんか!」
「でもソル君。ファーストキスはブルーハワイって話じゃなかった?」
「なんでだよ! 普通イチゴ味だろ、甘酸っぱいの! キスした時もそんな味だったよ!」

 自分で告げ、太陽はしまったと後悔するも既に遅く、零土と鳶は自白した太陽をほくそ笑んで見ていた。

「墓穴を掘っちゃったねソル君」
「白状したなたっちゃん」
「お、お前らああああぁぁぁぁ!」
「うおおぉぉ、逃げろ零ちゃん!」

 合図とともに、鳶と零土は太陽から逃げるように走っていき、太陽もそんな二人を追いかけ出した。

「それからこの剣、お前のじゃないのかよ鳶! これ返すよ!」
「良いって! それ俺からプレゼント!」
「こんな高いもん受け取れるか!」
「出世払いで返してくれたらいいから、大事に持っとけよ! それがあったら霜月守れるだろう!」

 走りながら鳶は夕陽を背に太陽へ笑みを見せた。
 対して太陽も「ありがとう」と鳶に小さく礼を言って帰り道を歩いていた。





「日野神太陽……か。私も戦ってみたいものだな……」

 ふとガラス越しの太陽を見た、澄んだ銀色の長髪と紫電の如き眼光。右腰に差した太刀――宗次。
 彼女こそ太陽がのちに出会う明日菜の姉――霜月瑠華だった。
メンテ
風の忘れ形見 ( No.73 )
   
日時: 2012/01/28 15:46
名前: sakana◆092jpOU0d. ID:EEBCdLoA

 耳が裂ける。舌が飛び出す。脳が弾く。
 手足は地面に縫いつけられたように動かず、ただ上の空で風を受け流すことしかできなかった。
 風の音を聞き分けられない。冷たい風に当てられどこもかしこも麻痺している。風で送りつけられる大量の情報を整理できない。
 窓のないコンクリートに固められたこの一室。天使たちの使う魔法で発生させたためだからか。風の発生源があるはずのないこの部屋で、さまざまな風が横行していた。
 ただそこに存在するだけのもの、明白な敵意を持つもの、悪意を持つもの、同情で構成されたもの、ある天使の町での情景、会話、山に現れたという新種の魔獣の姿、海に溢れる幸に紛れる。そして、たまに外部から混じる、久しく忘れた喜びが入り乱れる。
 この天界中の風が、一点に集められようとしていた。そして、それを全て受け止めないといけないのは私。
 何の理由もなく、部屋の隅を見やることしかできなかった。痛みはすでに麻痺し、今だって自分がちゃんと呼吸が出来ているのさえ怪しかった。

 私はあの時からずっと監視されている。
 しかし、どこか離れたところから私を監視しているであろう天使たちの姿を、一度も見たことはなかった。あえて上げるのであれば、ただ一人。その《天使たち》の中にいるであろう者を一人だけ、知っていた。彼は私の村にあった、たった一つの診療所にいた天使。
 
 風に当てられ、ずたずたにされたこの身体も。いよいよ重大な危険信号を発し始めたようだ。この部屋一面に、血は飛び散り、既に変色しているものも多く。私が寝ている間に処理でもされたのか、コンクリートに染みついた幾つもの嘔吐物の跡を見つけることができる。水が欲しかった。そして、せめて休養が欲しかった。もういっそうのこと、死にたかった。もういやだと、本能が告げる。
 身体が痛いのは嫌だ、頭だってあり得ないほどの情報に見舞われパンクしそうだ、実際に破裂しかけている、それにもうこの身体はいやだ。たとえ、何度最低限の施しを受けようとも、それら全てを受け入れるだけの諦めは持っていなかった。作り替えられようとしている私。この身体だって、何度も何度も《元に戻る》度に違うものへと変貌していっているように感じていた。

――そして、次の瞬間起こるのは。
 鼓膜は再生、風に当てられ傷だらけになった耳は形を取り戻す。舌は形を取り戻し、動くように。熱を手に入れ、身体を操作するための主導権を取り戻す。そして、何よりぎゅうぎゅうに押し詰められていた風の主張が弱くなる。一番の苦痛を伴う、有無をいわせない情報の提示が滞る。
 その一方的な破壊と回復。瞬時に切り替えられるそれに、私は絶えきれなかった。口から漏れた空気は、何とか音として聞き取れるものにすることができたが、またすぐに声だって出なくなる。そして、この回復を機に、私は空っぽの胃の中身をぶちまけようとする。床に確かに手をつき、下を向く。身体に蓄えられている空気と共に、全てを吐きだしたかった。けれども、唾液だけが溢れ出し、胸に凝りとなって存在する嫌悪を吐きだすことは出来なかった。生理的涙もまた流れ、ただ苦しいとしか感じることはない。そして、再度始まる破壊。最終的な目的は《完全体な風》であったとしても、その過程で起こる破壊。そんな強引な方法を選んでいることから、この監視者たちの余裕のなさを感じた。
 そして起こる、全身を針で貫かれるような鋭い痛み。非情にも繰り替えられる、その想像を絶するようなつらさに、泣き叫ぶことも助けを呼ぶこともできなかった。この私の受ける仕打ちがいつまで続くなんて露とも知らず、だからこそ死にかけようとも、無駄だと分かり且つ余計な体力を消費することもしたくなかった。ただそれは、過去に諍うことさえ許されないと、身をもって実感した後のことだった。
 肉体的にも精神的にも疲れ果てた私でも、呻くことだけはできた。その行為は、何の力を持つこともない抵抗。ただ、その声だって状況によっては発せない。特に、こんな望んでもいない強制的な回復を施された後は。
 死にたい、としか。その言葉のみが頭に蔓延する。そして、その周期の度にどこからか、私に掛ける声が現れるのだ。

「生きる理由を思い出したかい」

 その声は、全ての元凶。
 この道を指し示し、ある意味私を救った天使だった。

「……例え限界が来ていたとしても、終わることを他の天使たちは許してはくれないよ。それにキミだって、それを望みたくはないんだろう」

 しわがれた声。そのテノールは聞き覚えがあるせいか、どこか心地良かった。
 しゃがれた風。その天使は想いを流失させているせいか、風に乗って私に伝わるものがある。

 そうだ、私はこんなところで死ぬわけにはいかない
 家族を、風と分類される種族の全てを背負った日からずっと。

「わたしが、しんだら……。もう、おぼえてる、なかまも、いないから」
「……――よかった、思い出せたんだね。なら、後もう少しの辛抱だ」

 天使の言う《もう少し》がいつなのか、全く見当はつかなかった。
 それでも、いつか。この苦しみから解放され、全ての風を背負うことに成功したそのとき。私は自由になれるのだと信じて、瞳に光を受け入れる。
 そのときは、今は大嫌いな風も共に。


 ■-several years ago-■

 吹き荒れる風。打ち付ける雨。大きく唸る河水。
 まるで、自らの意志を持ったように暴れ回る自然に、その村の妖精たちは一族滅亡というものを連想させるまでに追い詰められていた。
 体験したことのない危機。たとえ妖精たちに寿命がないといっても、死なないわけではなかった。むしろこの天災に巻き込まれば、彼等にとって死ぬこと以上に好ましくない状態に陥る。

 生まれ落ち、ある一定の年齢まで成長すると、それ以上顔に皺が刻まれることの知らない妖精。彼等がこの世――天界――から去るためには、二つの方法があった。
 一つは、その妖精に関わった者の。全ての記憶から人為的に存在を消したとき。そしてもう一つは、彼等自身が《もういいや》と思い、どういった状況であれ、自分たちの周りに存在する風に溶け込もうと心を静めたときだ。
 そして、《死》を選ぶ場合。後者を選ぶ妖精がほとんどだった。人生を満足いくまで息来たとして消滅することが、自然だとされたのだ。
 だからこそ妖精たちは、この天界の裏側に存在する人間を模すことを好んだ。年が経つにつれて、自らこうであるだろうと思われる姿に変わり。孫が産まれ13年が経てば、この天界を去る。つまり、自ら死を選ぶ。安らぎを求めて、ただ穏やかに想いを残す。
 だが、何の変化もなく過ごすことなどできないに等しかった。不慮の事故は必ず現れる。この天界において、争いだって絶えない。どの種族にも共通する致命傷をおえば、妖精だってこの天界に存在し続けることは難しかった。
 昏睡状態、または自ら仮死状態へと陥り、自ら生きることも死ぬこともできないという最悪な状態へと移行する。誰もがその妖精のことを忘れ去るまで、決して肉体が滅びることはない。
 それを避けるために、やはり普段から無茶なことをしようとはしなかった。寿命に関しては裏側に存在する人間や、この天界に住まう他の種族と同等の振る舞いを指標としたのだ。
 
 そんな一つの危機の中。雨に打たれ、身動きのとれなくなった子は声を張り上げる。
「おかあさん!」
 幼いがために、未だ風を制御できていなかった子。彼女は母を求めて叫び出す。
 村の近くの川が、この嵐によって増水し、溢れ出すことを恐れてその村の妖精たちが避難をしていたときだった。
 小さな妖精は、自らが操るべきの突風に吹き飛ばされ、妖精の列からはじき出されたのだ。
 雨除けのフードは頭から落ち、ぱたぱたと激しく波打つ。そして、その下から現れたのは、色素の薄い緑髪と恐怖に歪められたその表情。まだあどけない顔立ちをしているというのに、全身全霊で表されたその恐れは様になっていた。凍りついたように、ぴくりとも動かない頬。更には引き攣っているがために、口元は軽く開かれたまま、それ以上の助けも求められなかった。悲痛に歪められた緑色の瞳はその姿を保ったまま、大きく揺れる。
 そして、母親はその子に手を伸ばす。
 疾うに空へ放り投げられたその子を引き戻すのは、風の妖精といえども容易ではない。それに、この嵐だ。母親は「助かるわけがない」と周りの妖精に目で促された。それでも母親は手を伸ばし続けた。それこそ、その子の姿が見えなくなるまで――。母親は血を分けた自分の子がいなくなるなんて想像することさえも、絶えきれはしなかった。だが、そんな彼女の行動は無駄に終わる。風に加えて、雨までもが脅威となって妖精たちを襲っていたのだ。その場に踏みとどまることだけが限界だった。それに、これほどの強風であれば、一人で風を制御できる方が規格外なのだ。一人一人の力は、本当に弱かった。そんな風の妖精たちは、自分たちの無力さを嘆く。
 そして、この豪雨の中。
 妖精たちの耳は、確かに何かが川に落ちる絶望的な音を拾い――

――その直後のこと。

 誰もがその異変に気づいた。
 未だに暴風は止まず、フードの下に隠れているはずの髪も暴れている。先ほどまで雨に晒されていたために、コートの裾を掴んでいる手先はかじかんでいる。
 だが、それだけ。

「……雨が、止んでる?」

 そうなのだ、先ほどまで吹き荒れていた雨がぴたりと止んでいたのだ。
 川から溢れ、村を襲おうとしていた濁流も公然と姿を消している。
 それに気づいた母親は、次の瞬間、衝動的に駈けだした。
 子の名前を叫ぶ。母親は声を張り上げ、避難するために向かっていた丘への道から外れる。そして、子を探すために川沿いまで降りてきた。その際、ただ走るのではなく、先ほどまで牙をむいていた風を味方につけ、大きく跳んだのだ。いくつかの木々を飛び越え、何度目かのジャンプで母親は川の中へ足を突っ込んだ。音と共に大きな水飛沫が上がる。しかし、雨によって既に全身が濡れていた母親は、そんなことを気にも留めなかった。ただ、視界を遮りそうになった水だけを煩わしそうに仰ぎ、濡れること自体には何の感懐も抱かない。
 日照りの続く日よりも、はるかに水位は低い。風の妖精にとっての恐怖のほとんどは、風以外のもの。今は風だけが存在している。一つの要素だけであれば、まだ自分の力を使いこなせない者でない限り、自然から自分の身を守るなんてたやすいことだった。

「おかあさん!」
 息を切らしていた母親は、その聞き慣れた声に勢いよく顔を上げる。そうして、先ほど飛ばされた大切なその子が無事だと確認できたのだ。安堵の笑みを漏らす。しかし母親は、発しようとした言葉を飲み込み口を閉じた。子の隣りに佇む、一人の女性に目を留めたためであった。
「あなたの、お子さんですか?」
「…………ええ、そうです」
 緩やかな微笑みを向けられる中、母親はぶっきらぼうに返事を返す。見知らぬ女性は、娘の身体を支えるように、その肩に腕を回していた。
「……娘を助けてくれてありがとうございます」
「いいえ」
 母親は、目の前の彼女への警戒を解こうとはせず、しばらくの間見つめることに徹していた。しかしその行為は、痺れを切らした子の一声で終わることになる。
「おかあさん! あのねっ、このひとが助けてくれたの! 水ががぶがぶーってなって、しぬかと思った。そのときに、助けてくれたの!」
 その子は風の中。足の付く深さまで減少した川を走り、母親の元へ一直線に駈けた。
 そうして笑うのだ。
「あのね、あのねっ! このおんなのひと、たびひと――たびびい……たいひと……あれ? と、とりあえず、お外のせかいからきたんだって! きょう、お外でとまろうと思ってたみたいなの。だからっ……うちに泊まらせてくれないかなあ……?」
 先ほどまでの恐怖を、ころりと忘れたような子の様子に母親は苦笑した。そして、その無邪気な宝物を抱きしめ、目の前にいる女性に声を掛けた。
「あなた、名前は?」
「ロキと申します」
 彼女は間髪を入れずに名乗ったものの、意表を突かれ、その特徴的な深青の瞳を瞬かせた。そして、先ほどまでの警戒心を微塵も感じさせなくなった母親を、物珍しそうに眺めたのだった。



 少女の家にロキが住み始めて、早くも一ヶ月が経った。
 少女はロキによく懐いた。それも母親が少し嫉妬をしてしまうほど。それほど懐き、その光景を目にする者にたくさんの笑顔を与えた。
 そしてロキは少女に外の世界の話をした。様々な想いを語った。水を操り得たものを見せた。
「思い出は、本当に大切です」
「あれだけは、一生の宝物。決して手放すことを良しとしない。どんなことが起ころうとも、わたしはずっと、この手に握りしめておくことを望みます」
 その記憶に関しての話。どうしてそういった話をしてくれていたのか、その経緯を少女は覚えていない。けれども、その植えられた種は近々芽を張ることになる。

 そんな毎日を繰り返して。話として、大きなものを経験した少女。
 ある時、そんな彼女がロキと共に家に帰ると。そこには大勢の妖精たちが集まっていた。
 少女とロキに気づくと、刺々しい視線を投げ掛ける妖精たち。その心境に何があったかなんて、明白だった。
「――診療所の先生がおっしゃっていたわ。貴方、水の妖精っていうの本当?」
 誰がその言葉を発したかなど、少女には分からなかった。その凍っているように動かない雰囲気に圧倒されていたためだ。
 診療所――この村に唯一存在する、安らぎを与える場所――。そこには一人の天使が住んでいる。
 そして彼の仕事は、妖精の記憶を消すこと。そんな彼の発言は、天使であるという事実によって、妖精たちに疑う余地を与えない。
 無言で佇むロキ。妖精たちは、その沈黙を是だと判断した。
「出て行きなさい! 今すぐ、この村を!」
 母親は真っ赤な顔で声を張り上げる。昨日までの、あの暖かい笑顔が信じられなくなるほどの豹変ぶりだった。少女は驚き、ただ呆然と立ちつくすことしかできない。
「あいつは水の妖精だ! 今確定した!」と張り上げる声が聞こえ、その後大きなどよめきが起こる。
 妖精たちからロキへと向かう感情は、にがにがしいものばかりになるのだった。
 ロキは何も言わず、その俯いている顔から表情を見つけることはできなかった。
 少女はロキの側に寄ろうと手を伸ばすが、母親から伸びた腕に制止される。

 そしてロキは村から出て行った。
 一言も発することもなく、ただ寂しそうに。
 その時の表情がひどく儚げなものだったと、少女は記憶する。


 後に、少女は風の妖精たちが荒れた理由を知った。
 たった一つだけ。ロキが水の妖精であるということによる。
 それも十年ほど前、消滅した水の妖精の唯一の生き残り。
 この風の妖精たちは、そのほとんどが村から出たことがなかった。そのため、消滅した水の妖精の村と関わりを持つ者などいなかった。だからその村の《妖精》は知られず、けれども《消滅》したという事実だけが知られた。
 そんな彼女は、この村に存在した数々の水を自由自在に操り、思うがままにする能力を持っていた。普通の妖精であれば、その力を何倍にしてもロキの持つ力に満たないというほど巨大なものを。風の妖精でも、火の妖精でも、土の妖精でも、たとえ今は存在しなくなってしまった水の妖精だとしても。これほどの力は通常持たないものなのだ。
 だからこそ。その膨大な力を持つ彼女だからこそ、ロキが過去に何をして旅人となったのか。風の妖精たちがその経緯を捏造し想像することはたやすかった。
 そしてそれが大きな恐れへと変わっていくのにも、時間はいらなかった。

 ■

 少女の母が死んだのは、水の妖精がその村を去ってから、しばらくしてのことだった。
 村に小雨が迎えられていた日。母親は川に落ちたというのだ。何ヶ月か前に嵐と共に牙を剥いていた川。しかし小雨であるため、流れも普段と特別に変っておらず、水位だって足がつくほどの高さだった。それなのに、溺死。そのため、そこに少女の母親の意志も働いていたように思われる。

 
 ロキが去って数日間。少女は寂しさを感じていた。家には母と二人。昨日までは、昨日までは……と少女は思い出を探る。今まで側にいた誰かが、突如いなくなるという物寂しさは、孤独感となって少女に襲いかかっていたのだ。
 ただ、それだけならばまだ良かった。ロキの正体が村中に知れ渡っている今、彼女のことを良く思う風の妖精は存在しないという現状により、よりいっそう。
 だからよく、少女は口にした。
「おかあさん、あのね。ロキはね」
「ロキはね、ばけついっぱいに入っている水を、どらごんの形にかえたんだよ」
「そのどらごん、じゆうにとびまわって、雨になったんだよ」
「だからあのとき、みっかも、雨がふりつづけたの」
「どらごん、ばけつの水だけじゃなくて、もっといっぱいの水をきゅうしゅうしてたから、とても大きかったから」
「ロキはいいひとなんだよ。すごいちから持ってるんだよ」
 少女の言葉は、水の妖精の味方を増やそうと思ってのものだった。しかし、母親は耳を塞ぐ。他の妖精のように嫌悪を表すのではなく、その存在を否定し続けたのだ。
「ロキは、」「ロキはね」「だから、」「ロキは」
 賢明な少女は、母がロキを恐ろしがっていることに気づいていた。
 気づいてもなお、やめようとしなかった。尋常ではない恐れ方に疑問を持つことだけをし、水の妖精の話を続けた。――その結果、母親を追い詰めてしまったとも知らずに。

 ■

「全てを、忘れてしまいたいほど悲しいだろう」
「だから、全てを忘れてしまいなさい。いいかね?」
 その優しげな物言いに、少女は泣きじゃくりながら頷いた。妖精が《死ぬ》ための条件の一つ、その妖精に関する記憶を全ての者から消し去るという。そのためだけに、村に設けられた一つの診療所。それは天界を制覇する天使がつくったものだった。彼等は妖精を心酔する。彼等は妖精しか持ち得ないある能力を重宝する。しかし、その妖精が動かない屍となり、それでもなお世界の時間から取り残され続けることは、ひどく嫌った。そして、それを除去するための救済策として作られたものが、《診療所》だったのだ。

 そして、このとき。妖精の村に紛れる、唯一の異種が住む診療所へと少女は呼ばれていた。対面するのは、一人の天使。
 冴えない目で、ぼりぼりと頭を掻く天使。妖精と違って寿命のある天使は、その外見と一致する年を重ねていた。中年男性にありがちな、身なりを整えないために剃り残されたひげ。天使はそれを指で摘みながら、まず少女の説得から入っていた。そして、勢いのまま納得したと思われる少女を最後に。今回の、少女の母親についての記憶を消す作業は終了する。
 診療所では、不慮の事故によって二度と動かない妖精を《救う》ことを強要する。それはこの風の妖精たち村内のことだけではなく、全て――火、水、土、風――の妖精の村での掟として存在していた。妖精たちが作り出したのか、天使が診療所と一緒に作り出したのか、定かではない。けれども、それは寿命のない妖精――その決して腐敗することのない肉体――で天界中を埋め尽くすことを恐れてのもので、この段階では双方に不利益は生じなかった。
 だが、この掟とは別に。母を忘れなければならないという決まり事に、少女の感情は置きざりにされていた。ぐつぐつと次第に煮えたぎるものを、少女は感じた。そして少女の思惑とは別に、いつかの洪水の如く、限度をわきまえることなく溢れ出そうとしたのだ。母のぬくもりも、その優しさも、思い出も、いつか帰る場所も、その母から受け取った総てを今から失ってしまう。それが忘却の海に沈められ、もう取り出せないものとなることに絶えきれないと突発的に思ったのだ。

 天使の手が、少女の首筋に添えられたとき、少女は勢いよく俯いていた顔を上げた。そして、声を張り上げ開げ抵抗したのだ。
「――やっぱり、いやだ。わすれたくない。おかあさんのこと、わすれたくない!」
 いやだ! という悲痛な叫びに、天使の手は動きを止める。沈黙が訪れた。
 少女は涙の溜まった目で、天使を静かに睨みつける。次に何をするのか、その目は未熟でありながら見極めようとしていたのだ。
「このままじゃ、つらいんだよ?」
 天使はその少女の行動が不可解なものだと思い、首をかしげた。
 天使は今までに、彼等の中で思い出として生きていた妖精を数え切れないほど消してきた。誰もが思っているよりも妖精は脆いもので、満足に時を生ききる妖精は案外少ないのだ。
 今回の母親に関しての記憶も、その少女が最後となる。
「でも、いやだ! わたしはおぼえていたい! 絶対に、忘れない!」
 力強く主張する少女を一瞥し、天使は手を引き戻した。
 そして、天使は思考を張り巡らせる。そのまま少女の言葉を真に受け、記憶を消さないという選択も。少女の叫びを無視して引き続き記憶の消去を行うという選択も持ち合わせていなかった。その否定的な言葉を聞き、天使は顎に手をやる。そうして、僅かに伸びたひげをさすった。
「僕たち天使に逆らうのかい?」
「なんで?」
 少女の言葉の意味を考え抜いた末、天使は穏やかに尋ねる。そうすれば、いくらか落ち着いた少女は天使に無垢な瞳を向けた。涙で潤んでいるものの、今は敵意や拒絶の色は見あたらない。天使は安堵の息を付く。
「あ、何だ違うのかい。ごめんごめん、おじさん意味を取り間違ったみたいだ。天使に逆らったつもりはなかったんだね」
 少女はその言葉に少しだけ考え込み、小さく「ちがうの」と首を振った。
「どうして、てんしにさからっちゃいけないの?」
 天使は目を見開き、次の瞬間声をたてて笑い始めた。そして、少女の頭を包みこむほど大きな手を差し出した後。くるりと掌の向きをかえ、少女の頭に静かに乗せた。そのときに浮かべた微笑みの中には、少女の知れない複雑な思いが絡み合っている。
「キミは面白い子だね。ああ、なるほど。ただ知らないから」
 自己満足で呟いたもの。そのため、その意味を少女は理解することができない。
「……いいね。そういう子は個人的に大歓迎だ。――キミ、かあさんのこと、ずっと覚えておきたいんだったね?」
「うん」
「じゃあ、これから僕のいうこと。たった二つ、守れるかい」
「わかんない」
「正直で結構。でも、守れるか守れないかはキミの意志次第だ。大丈夫、キミならできるさ」
 天使は、丸椅子に座る少女を一瞥し立ち上がる。そして何を思ったのか、普段は背に隠されたままの羽を勢いよく広げた。普段は背に凝縮して存在するそれに、少女は目を輝かせる。
「てんし、だあー……」
「……そうだよ、僕たちは天使なんだ。純粋無垢で儚さを持ち、幸福を与え、暖かさを兼ね持つというイメージを乱用する天使だ」
 改めて種族の違いを認識した少女に、天使は吐き捨てる。天使でありながら、自らの種族の存在を嘲笑っているかのようだった。
 そして、自分の時間に浸った後。少女のその視線に気づき意識を戻す。優しげな表情を取り戻した天使は、「今の話、誰にも言わないでくれると嬉しいな」と、何とも言えぬ表情で言った。

「そして、さっきの続き」
「一つ、《とき》がくるまで僕たち天使の言うことに決して逆らわないこと。二つ、この村全てを《生きて》背負うこと。できるかい?」
「……わかんない」
 その少女の、困惑したような表情。天使はそれを見て、慌てて言い換えた。いま発した言葉の意味を、少女が理解できていないと悟ったためだった。
「ぼくが《終わりだよ》というまで大人しくしてることと、必ず強い意志をもって生き続けることだけさ。……できるかい?」
「わかんない」
 少女の中に存在していた迷いは、すでに切り捨てられていた。だからこそ、その直後に「きっとできる」と少女は言ったのだ。「――だって、おかあさんのためだもん」
「良い子だ」
 天使は目を細め、微笑みを浮かべた。ただそれは、全てを悲観するような、そして悲壮感に満ちあふれるものだった。
「じゃあ、今日はこの診療所でお休みなさい。……――決して、今日は外に出てはいけないよ」
 少女は頷いた。その天使の目が据わっている意味など知りもせずに。これから先、何が起こるかなんて、彼女に予想できるはずもなかった。
 そして起こるのは一つの悲劇。
 たとえば、数日前まで共に過ごしていた唯一の水の妖精と。たとえば近い将来、少女の後を展開するであろう土の妖精と同様な、数奇な運命を辿ることになったのだ。



「僕は少し出かけてくるから、お利口にしているんだよ」
「うん」
「何が起ころうとも外に出てはいけないよ」
「うん」
「じゃ、そのベッドで休むんだよ」
「うん」
 診察室の奥にある部屋を指さし、天使は言った。少女が素直に頷くのを確認し、外への扉を開け放つ。そして、やはり無垢を象徴させる真っ白な翼を広げ、夕日で赤く染まった大空へと飛び立ったのだった。
 その後ろ姿を見て、少女はくるりと一回転する。自分の背中にも、羽が生えていないかな、と確認しようとした結果だった。妖精であり、天使でない少女の背には、もちろん羽は生えておらず。そのことを少しだけ恨めしく思いながらも少女は笑った。嬉しげで、何処か恥ずかしげな笑顔。今まで続いていたある種の掟から外れ、この天界から存在しなくなった母を覚えておくことが許された、という甘酸っぱいくすぐったさを感じていた。
「おかあさん、おかあさん」
 自らの記憶に鮮明に焼き付いている母親の姿をもう一度。目元に皺を寄せて閉じ、脳裏に浮かべる。小鳥のさえずりのように、幾度も母を呼んだ。
「おかあさん、おかあさん」
 ただ、少女は喜びを感じていた。
 母が死んだという悲しみは消えてはいない。けれども、その喪失までもを忘れてしまうことの方が恐ろしいのだと感じていた。
 少女は診療所の入り口を閉め、奥の部屋を目指した。いつもはこの診察室まで。その奥に入るのは初めてのことだった。浮き足で診療所のデスクとチェアの合間を通り、そのプライベートへ入り込む。扉を勢いよく開け、真っ先に目にしたのは白く大きなベッド。少女は目を輝かせる。このとき、少女にとって天使をイメージさせる《白》は憧れの象徴であったのだ。ベッドに飛び乗り、枕に顔を埋めた。そして、にこにこと笑顔を崩すことのないまま、少女は夢の世界へと旅立ったのだった。

 そんな幸せは、ひとときだけ。
 次に彼女が目を開けたとき。少女の小さな幸福は、大きな災いへと変貌していた。



――悲鳴、誰かの泣き叫ぶ声、怒号、叫声――
 少女は診療所の外から聞こえる声に当てられ、目を覚ました。
 ゆっくりとベッドから身体を起こし、目をこする。そして一度部屋を見渡して、自分は診療所にいるのだと思い出す。
 一番音が大きく聞こえる窓際。少女が眠りにつく前には開いていたと思われるカーテン。それが閉められていることから、診療所の天使はもう帰ってきていることが予想された。少女は白いカーテンを握り、耳をすり寄せる。そしてようやく、その聞こえてくる声が尋常ならざるものだと感じたのだ。
 破れそうになるほど勢いよくカーテンを開け、外を見る。そこには、少女が想像もできない世界が広がっていた。
 夜の闇に浮かび上がる、幾つもの炎。オレンジ色に光るそれは、人型のようにも思えた。苦しそうに蠢き倒れていく。そして、低空を飛び回るいくつかの影。窓の直ぐ外を恐ろしい形相で逃げまどう妖精たち。その内の、逃げ遅れた小さな妖精からは赤い飛沫が上がる。次第に暗闇に目がなれ、見えてくるもの。それは、地面に折り重なるいくつもの妖精たちと、赤く染まった羽で空を飛び回る天使たちの姿。そして、唐突に大きな音を立てて、窓に何かが張り付いた。
「ぎゅぎょぎょぎょぎょぎょぅ」
 ベースとなる色は白。本来白目である部分は薄い青色で、その頭には湾曲を描く白と赤の角が生えていた。こちらもベースは白であったらしい。赤いのは、妖精たちの、血の色。
 くぱあ、と少女の限度の何倍もの大きさの口を開き、それは少女を見た。ぎらぎらと光る青色の瞳と少女の瞳がぶつかり合う。そして異形は笑った。
「え、え、え?」
 少女はそのおぞましい光景に耳を塞ぎ、慌てて部屋の隅へ移動した。そうして震え始める。がちがちと歯をならし、既に窓から去った醜悪な捕食者が目に焼き付いて離れない。それに、死にゆく妖精たちの姿も確認してしまった。――次に少女ができるのは、死にたくないと願うことだけだった。
「にげないと、」
 四つん這いとなり、扉の前まで移動した。慎重に扉を開き、いつもの見慣れた診療所へと踏み入れたとき。
「起きたのかい」
 天使がいた。それも、記憶を消さないでくれると約束した天使。少女はその見知った天使に、放心したまま近寄った。しかし、その彼の背にある羽を見た途端、少女は目を見開き狂ったように絶叫する。
 このとき、少女の脳裏に浮かんだのは。この診療所の外で起こっている妖精たちの虐殺風景。天使たちが殺伐なことをいとも簡単にやりとげていた光景。親愛なる風の妖精たちと、憧れの天使たちの現状を物語った場景。
 そんな荒れ狂う様子を見せた少女を、天使は慌てて抱きしめる。それでもなお、少女は抵抗を続けていた。天使は力強く目を閉じ、よりいっそう、手に力を加えて少女を押し留める。
「大丈夫だよ、大丈夫。絶対にキミは殺されないんだから」
「キミは、生きると誓ったんだ。できるといったんだ。だから生きるんだ。お母さんのために生き続けないといけないんだ」
「それだけじゃない、この《政策》のために殺される風の妖精たちのためにも。この村をずっと背負って生きないといけないんだ」
「もう止まらない。後戻りは出来ない。進むしか、道はないんだ。キミは絶対に生きるんだ」
 どんな言葉を掛けようとも、少女は暴れることを止めなかった。
 そして、次第に。そんな少女の心境に蝕まれた天使までが、混乱状態に陥り支離滅裂なものしか口から発せられることもなうなっていった。

 少女は外から聞こえる声が消えていったのに気づく。
 静かに耳を澄ませば、次の瞬間。診療所の扉を勢いよく開けて一人の天使が現れた。少女は身を強張らせ、妖精の血に染まる無表情の天使を見つめた。

「――アトルト=フォルトン殿。殲滅、完了しました」
「……ああ、そうかい。………………この子は、僕が後で本部に連れていくから、もう撤収して良いよ」
「はっ」
 外から現れた天使は敬礼する。
 そして、次の瞬間。少女は体中の力が抜けたように、床にへたり込んだ。少女を支えていた天使の腕も、いつも間にか緩んでいた。そして、診療所から音もなく出て行った赤い天使と会話をした天使――アトルト――を、静かに見上げる。
「…………な、なんで」
「僕がキミを選んだからなんだ」
 その悶々とした表情で、それでもアトルトはしっかり答えた。
「キミに、全てを話すよ……。この《政策》のことを。あの水の妖精のことを」


 キミは知っているかい? とアトルトは言った。

 この天界の裏側に存在する人間界に、自由に行き来できるのは妖精だけが持つ能力なんだ。
 妖精たちはね、人間を愛している。だから、人間を模することを好む。寿命のことだってそうだし、今のキミがその上級天使に近い姿で存在しているのだって、ある意味人間を模した結果なんだ。
 また、天使たちは妖精を尊いものだと思っている。それとは逆に人間たちは下級生物だと、汚らわしいものだと認識しているんだ。
 そこで天使が思ったのは、《許せない》という感情一つ。あれほど気高く素晴らしい妖精が、低劣な人間のまねごとをするなんて許せない。人間に魅せられた妖精が許せない。人間の存在が許せない。このときから妖精と人間。どっちに対しての感情だったなんて、もうあやふやになっていたんだろうね。
 だから、天使はその交流をやめさせようと考えた。
 まず思いついたのは、人間界に住む彼等を根絶やしにしてしまおうということ。僕らも人間と共存しようと思うんだ、とらしいことを言えば、妖精たちは快く人間界への道を示してくれるだろうってね。
 だけど、その案は直ぐに却下される。
 だって、そうすれば少なからず天使が人間と関わりを持ってしまうことになるから。彼等の記録に、事実として残ってしまうだろうことを恐れた。それほど、人間との縁がいらなかったんだね。人間は、僕たち天使の存在なんかいらなくて良いって。
 そして次に思いついた方法が、今実行されている政策なんだ。
 妖精が多く存在しているから、人間と友好関係を結ぼうと考える輩が出てくるんだ、と天使は思った。
 その数を減らせば、人間に関して気を揉んでいる暇はなくなって、向こうに行くものは絶えるんじゃないのだろうかって。
 だが、それには問題があった。妖精には寿命はないものの、ひどく脆いことが気に病まれたんだ。天使は妖精を滅ぼしてしまおうと考えた訳じゃない。だからこそ、そのまま数を減らすことをすれば直ぐに全ての妖精がこの天界から消え去ってしまうだろうと考えた。
 そして、その救済策として作ったのがこの《選抜》だ。
 火、水、土、風の妖精たちの村に一つ診療所を設けた。その表向きの理由が、キミも知っていることだ。思わぬことで仮死状態になった妖精に関しての記憶を消すための場所。
 そして本当の理由が、《診療所に滞在する天使の判断で一人だけ。この政策で生き残らせる妖精を選び出す》というものだったんだ。水の妖精として、キミの知っているロドキア=ペトラージュが選抜され、風の妖精としてキミが生き残った。火の妖精と土の妖精は、まだ選抜されていない。
 選抜後には村を壊滅させる。選抜された妖精以外は用なしだと。むしろ人間と関わりを持つなんて害しか持ち得ないのだと、一掃するんだ。
 そして選抜されたたった一人の妖精には、ちょっとのことで死なないようにと、大きな力を授けられる。
 妖精たちのひとりひとりの力は、本当に弱い。だから妖精たちは脆いのだと天使は思った。だが、種族が違うがために、どうやって妖精の力を増幅させればいいのかなんて分かるはずもなかった。だから、天使は予測した。とにかく火なら火、水なら水、土なら土、風なら風。その妖精の所属する自然を全て、ねじ込めばいいのだと。
 それは、生易しいものじゃない。むしろ強行突破として作られた疎かな方法なんだ。穴だらけの措置。だけど天使は本当に非情で、目的のために手段を選ばない。だからその案は採用された。

 キミはもっと膨大な力を手に入れるために、多くの苦難を乗り越えないといけない。


「キミが生き続ければ、この村は消えない。風の妖精たちも違った形で生き続けるさ」
「だから、諦めないことが大切だよ」
「それに、今からだって。キミはとても大きな出会いを残しているんだから。運命だと定められた先には、きっと幸福が待っている」

 アトルトは、当惑するような少女に苦笑し。「今はまだ、分からなくても良いよ」と、見ている者の心が痛むような笑顔を作った。
 少女は泣けない。
 今はこの天使を差し置いて、泣きたくないとぼんやり感じたからだった。


 ■-many years later-■

 そして少女は、全ての風を手に入れた。

「おい、風。いつまで休憩してんだ。さっさと行くぞ」
「風って何よ! ちゃんと名前を呼んでくれても良いじゃないの!」
「まあまあ、悪魔も妖精も落ち着いて」
「テメエ……俺の名前、覚えてねえのかよ」
「ちょっと、魔王! アンタもか!」
 ぎゃうぎゃうと、騒がしい声を立てながら。打倒天使の目的を抱える三人は、次の街へと向かっていた。
「とりあえず、新しい仲間を探そうな。なっかっまー」
「やかましいわ魔王」
「くっ……こんな仲間と称しながら、名前も覚えられてないヤツとはひとときも同じ場所にいたくな――」
「アンタも人のこと、言えないからね」
 
 かつて少女だった彼女は、年月を重ね女性となった。
 天使の加えた多くの窮地を潜り抜け、膨大な力を手に入れた。そうして彼女は天使たちの監視から解放されたものの、ただ生きることしかできないという現状に嘆いた。
 そんなとき、人の心を揺さぶる魔王と出会う。
 魔王を支える唯一の悪魔と出会う。
 今の天界の、魔族が虐げられるという現状をどうにかしたいと立ち上がった彼等だった。
 その輝きに彼女は希望を見た。


(世界に良いように君臨していた天使を、そこから引きづり下ろしたとき)
(そして、この旅が終わったとき)
(天界は魔界と名を変える)



クロの偶然真理より】
メンテ
『穿たれし始まり』 ( No.74 )
   
日時: 2012/01/23 13:33
名前: 真空◆qXD1SKwOjs ID:KK90tQ1U

 大上段に振り下ろされた剣を避け、相手の懐に大きく踏み込みながら模擬剣を振り上げた。
 木製の刀身が相手の柄で弾かれるのを確認しながら、俺は踏み込んだ右足を軸に回転。相手の背後に移動する。
 相手の巨体が慌ててこちらへ向くのを気配で感じながら、俺は木刀を脇から背後へ突き出した。巨体の悲鳴と共に、ごりゅ、という気分の良くない手ごたえ。思わず顔が歪んでしまった。
 気を取り直しながら素早く振り返り、再び懐へ飛び込む。相手が反応する前に俺は模擬剣を振り上げた。
 ゴギッ、という鈍い音と共に刀身が相手の顎に直撃。俺よりはるかに大きな巨体がぐらりと後方に傾き、わずかな間をあけた後、対戦相手は床に倒れた。
 訓練場に広がる沈黙。
 しばらく静寂が訓練場を支配していたが、ようやく自分の役目を思い出した審判がようやく叫ぶ。
「勝者、カイナ・トリアット!」
 ワアアアア――という割れんばかりの歓声が、エスタニア魔導学校第一訓練所に響いた。

 模擬戦闘が終わり、更衣室。
「貴様にしては良い動きだったな」
 対人戦闘からの緊張からようやく解き放たれた俺は、早速イヤな気分に早代わりする。良い気分を堪能するヒマをあたえろよ。
 俺は軽く苛立ちを覚えながら、更衣室の入り口に立つバカに返した。
「そういうお前は、随分長い間戦ってたじゃないか」
 ため息を吐きながら、バカに目をやる。
 血のような紅い髪に、赤い瞳。整いすぎた顔。俺をずいぶん上回る長身とその背に引っ掛けられるただの大剣。わかりやすい特徴しかないアギアだ。脳細胞もわかりやすく単純な戦闘バカである。
「戦術指南の監督が相手だからな。少々手を抜いて、愉しい時間を過ごしていただけだ。近接戦闘が平均の貴様とは違う」
 ……あからさまな自慢と皮肉がうっとうしい。それになんだ、その尊大なしゃべりかたは。
 再び大きくため息をつきながら、俺は皮肉をくれてやる。
「たしかに、お前の近接戦闘能力は前衛としてでも群を抜いてるだろうけどな。六回生のくせに、肉体強化系以外の魔導がからきしのヤツが魔剣士になれんのか?」
 俺の言葉に、アギアの笑みが歪んだ。ざまを見ろ、バーカ。
 調子に乗って、俺はさらにアギアをおちょくる。
「最も簡単な火炎系の魔導をレベル三すら発動できないんだからな、お前。いくら魔剣士の前衛志望でもキツイんじゃないか? ま、俺は全系統の魔導はレベル四まで扱えるから、後衛としては心配ないけ」
 ど。言い終える間もなく、俺の頭上を鉄と銀の合金製の大剣が旋風のごとく通過した。既にしゃがんでいるから当たらなかったが、ぼーっとしてたらどうなっていたか。慌てて右へ転がりながらアギアを見た。。
 その顔に浮かんでいる鬼神の表情を見て、俺の全身の肌が粟立つのを感じる。……やりすぎた。

………………

 このときの俺たちは、魔導学校の六回生。今年卒業試験があり、そして魔剣士になれる年である。
 そんな俺たちが魔剣士として始まったのは、この十八の春からだった。

………………

 死ぬかと思った。更衣室を大剣の二撃で廃屋同然にする武神から逃げつづけた俺って、凄すぎだろ。だれか表彰してくれ。
 現在、アギアを伴って教官室へ向かっている。あの後、何とか落ち着いたアギアを褒めちぎってなんとかこの状況を保っているのだ。ああ、こんなアホとどうして幼馴染なんだろうな。コイツも昔は――
 と、モノローグのみで愚痴っている間に教官室に着いていた。
 ノックして許可をもらい、俺たち二人で部屋へ入る。アギアと喧嘩してる最中に、ここへ来るよう達しを受けていたからだ。
 二人して教官に適当に挨拶し、言葉を待つ。態度が悪いのは生前からだ。
「さて、お前たちももう六回生だ」
 俺たちの様子に気を悪くすることなく、気の良い教官は続けて、
「この六年、お前たち二人はよくやった。それでだ、今年の卒業試験の話なんだが」
「いえ、俺はちょっと遠慮させていただきます。ちょうどその時期に腹痛が起きそうなんで」
「……まだ何も言ってないだろ、カイナ」
 音速で断った俺に、教官は呆れた瞳を向けた。いや、内容はだいたいわかってるしなぁ。
「わかっているだろうが、まあ聞け。お前たち二人――近接戦闘第一位のアギアと魔導成績第一位のカイナには、卒業試験時に特別試験が用意されてる」一呼吸おき、教官は続けた。「そいつを合格すると、なんと第七階位から魔剣士ライフがスタートする。通常試験じゃ、第十階位だからな」
 露骨にイヤな表情を浮かべる俺と、横でニヤ、と嗤(わら)うアギア。俺は、平凡に魔剣士やりたいんだよ。下手に難しい試験をうけて落第したくない。
 俺たち二人、特に俺のほうを見ながら、気は良いけど腹になんかありそうな教官は言い放った。
「まあ、拒否はできないだろうから安心しろ」
「え、なんで」
「この試験は各成績の最上位者二人で組んで受けるモノだ。魔剣士の戦闘と同じ状況である二人一組。前衛と後衛の役割をこの段階で理解してもらうためにな」
 そして、と教官はアギアに目をむける。
「この試験は成績最上位者二人のどちらかが受験を拒否すると受けられんのだよ」
 ……つまり、拒否できないってのは?
 俺の肩におかれる手の感覚を無視したくて、俺は問う。
 要は腹黒い教官が、にか、と笑って答えた。
「どうせ、アギアがお前を引きずってでも受けるだろ?」
 ギギギ、と油のさされていない機械の動きで隣を見る。
 俺の肩を引っつかんで、笑みを浮かべるアギア。端正な顔立ちをしたアギアがやると、何かの一枚絵のようだ。が、俺にとっては死神の微笑み。
「受けよう、かいなクン」
 超棒読み。浮かべられた笑顔から目をそらす。アギアが今にも抜刀しようと握る大剣の柄に視線を移動させた。
 肩をつかまれ、俺は逃げることはできない。下手な返事をすれば、亜音速で合金の刃が俺をぶったぎるだろう。うわー、ちょっと、うわー。
 いや、まだだ、あきらめるな俺。まだ何か手はあるはずだ。そう、この絶望的な状況をどうにかするんだ。俺は決して屈しない――
「ついでに言うとだ、アギア。試験にはすごい敵を用意するらしいぞ」
 瞬間、アギアの手の中にあった大剣の柄が破砕した。興奮に、笑みが壮絶なものに変貌する。
「ウケヨウ」
 俺は屈した。



 あのあとも全力で抵抗したが、全てがあえなく撃沈。ついに試験当日を迎えてしまった。
 もうこうなったら腹を括るしかない。
 肩を落としながら、支給された魔剣とその柄に嵌まる魔核の調整を続ける。鈍い鉄色に輝く魔核。鋼系か。
 しっかりと魔核が嵌まっていることを確認し、俺はアギアに目をやった。
 長大な刀身の魔大剣。例によってでかい得物だな。柄に目をやると、肉体強化系の魔核が輝いていた。
 今現在、俺たちは魔導学校第五訓練場の控え室にいる。この第五訓練場は、唯一エスタニアの『研究ブロック』に設置されている。
 研究ブロックには魔物などが捕らえられている。そして、研究済み、もしくは研究に必要のない魔物はこの訓練場にほうりこまれているのだ。
 この訓練場は立方体の形をしており、厚い天井が日光を遮っている。照明は当の昔に魔物に破壊されていて、この控え室にある俺が持ち込んだ旧式のランプが唯一の光源だ。
 試験前に渡された地図によると、この建物は面白い構造をしていた。
 一応二階建てなのだが、二階との境をぶち抜くようにして、真ん中に巨大な空洞がある。いわゆるホールだ。ホールはかなり荒れているらしく、コンクリートだった床は全部砕かれて土がむき出し。木まで生えているらしい。
しかも、そこに魔物は集まっているようなのだ。
 エスタニアで唯一魔物が暴れている場所で、もっとも危険な場所に、俺たちは武器だけ持たされ、置いてかれた。
 ……まあ、つまり、俺たちの特別試験の内容は、魔物狩り、ってことだ。


 試験開始の合図である爆発音と共に、控え室のドアが破砕された。ゴブリンだ。さきほどの爆発で、檻が壊されてここへやってきたのか。盛大なスタートだこった。
 俺が魔導を発動する間もなく、アギアの大剣がゴブリンの身体を両断。断面から青い血を噴き出しながら左右に倒れた。
 血のアーチをくぐってアギアが疾走。俺を置いていくなっ!
 その後を追いながら、爆発音に惹かれた魔物たちに鋼系魔導レベル三〈ジャベリン〉を発動。三本の鋼の槍がゴブリンの群れに斉射される。二本がゴブリンの眼窩と喉に刺さり、残る一本がもう一匹の眉間に突き刺さった。
 投げつけられた木材を避けつつ〈ジャベリン〉を応射。一匹だけ仕留めた。
 やはり、三本しか撃たない〈ジャベリン〉では一対集団では弱いか。
 即座に、頭で〈ジャベリン〉の導式を紡ぐのをやめて、鋼系レベル一〈スティレイ〉に変換する。発動。切っ先を群れに向けると同時、鉄片混じりの小さい爆風が群れの表面に巻き起こった。
 己の身体に突き刺さる鉄片に悲鳴をあげるゴブリン共を無視し、俺は周囲に目をやる。あのバカはどこに突貫した。
 大して苦労せず、青い肌をもつゴブリンの群れの中に、紅い髪を発見した。うわ、真ん中にいるし。
 絶えずゴブリンの青い血が舞っているのを確認しながら、俺は跳躍した。すぐそばに立つ木に着地して、アギアの様子を見る。
 アギアは、魔大剣を自らを軸に回転させて周囲のゴブリンを一掃。第二波のように屍をこえてやってくるゴブリン達に、凄絶な笑みで迎えて突撃。
 大剣を持たない左手で、噛み付いてくるゴブリンの顔面を打ち砕き、こん棒を振り下ろしてきた奴には大剣で反撃。首を刎ね飛ばしながら大剣を地面に突き刺し、柄を掴んだまま軽くジャンプ。上腕の筋力のみで大剣の上で逆立ちしつつ、雷撃の如き回転蹴りで周囲のゴブリンの頭部を破壊した。
 化け物のような運動神経に戦慄を覚えながら、俺は我に返った。とりあえず援護だ。前衛を遠距離魔導で狙撃、いや援護するのが後衛である俺の役目。
 少々頭が痛くなったが、無視して魔導を発動する。〈スティレイ〉を四重発動だ。
 一瞬動きを止めたアギアの四方にそれぞれ発動。四つの鉄片混じりの爆風が、ゴブリン共の突撃を阻んだ。
 波のように次から次へと迫っていたゴブリンの進攻が止まる。それと同時にアギアが俺をにらみつけた。こっちに気づいてたのか。てか、なんだその目は。援護してやったのに。
 もう一度〈スティレイ〉を四重発動しながら、俺はアギアの元へ跳躍。着地。背中合わせになってゴブリン共へ魔剣を向けた。
「おい、突っ走るな。不本意だけど二人一組だからな」
「……雑魚の青豆に心配されるような剣の腕は持っていない」
 〈スティレイ〉のおかげでゴブリンの動きが一瞬止まっているので、こういった皮肉も言い合える。しかし、こっからはまともに口も利けないだろう。
 そう思い、さらに何か言ってやろうとして――とまった。目の前に魔物があらわれたからだ。

 俺の気配の変化に気づいたのか、アギアが僅かにこちらを向く。そして、武神の笑みを浮かべた。
 俺が驚き、戦闘狂のアギアが喜ぶような魔物。緑の肌に分厚い紫の唇。そこから垂れるヨダレ。隆々の腕に握られる大木。そいつの名は、トロール。しかも、通常四メートルのところが、七メートルぐらいはありそうな体長である。
 危険ランクC級の魔物を、まだ魔剣士にもなっていない生徒に倒せと? 馬鹿いうな、無理だろ無理。こういう危険なのは先に駆除してくれよっ。
 俺の心中の叫びが届くはずもなく、トロールは腕を振り上げる。唸りを上げて上昇する大木。やばい。
 直後、落雷のような一撃が振りおろされた。
 地面と激突し、破壊音をたてて地面が砕ける。既に俺達は左右に逃げていた。掴みかかってくるゴブリンを蹴り飛ばしながら木の枝に着地した。
 近接戦闘の成績が秀でてるわけじゃない俺が避けることができたのは、ひとえにアギアのおかげである。
 アギアが俺に発動した肉体強化系レベル五〈ブレイクスタイル〉で、俺の筋力は一時的に三倍になりトロールの超破壊を避けられたのだ。が、俺にはあまり向かない魔導らしく、即座に解除されて俺はがくりと枝の上で膝をつく。
 もともと筋肉量が後衛魔剣士程度しかない俺には、筋肉量を増やして筋力を強化するこの〈ブレイクスタイル〉は負担以外の何者でもない。ムキムキのアギアなら負担のふの字にもならんだろうがな。
 何とか立ち上がり、俺は大木の反対側のアギアに視線を送る。向こうも同様にこちらを見ていた。

――俺達が相手するか? それとも教官に報告するか?
――いや、闘るぞ、貧弱。

 アイコンタクトでバカにされつつ、俺はため息をついた。そう言うと思ったよ。

 理解すると同時に〈スティレイ〉を二重発動。六本の槍がトロールの顔面へ射出される。
 六本のうち四本が顔面に突き刺さる。二本は硬い皮に弾かれた。
 神経が鈍いのか、痛がる風はなかったが、注意が俺へ向いた。汚い顔面に銀色の針が四本突き刺さった絵図をこちらにむけ、再度、腕を振り上げた。
 直後、赤い流星のようにアギアが襲来。鍛えに鍛え上げられた筋肉を以(も)って、大剣をトロールの振りあがった腕に突き立てる。
 瞬間、背筋、肩甲骨、三角筋、上腕が一気に隆起。〈ブレイクスタイル〉で強化された腕力が、一息にトロールの腕をぶった切った。
 綺麗な断面を見せてトロールの右腕が宙を舞う。大木のような腕は一回転だけして地面に落ち、巨大な地響きをたてた。
 しかし、安心はできない。
 なぜなら、トロールには強力な再生能力があるからだ。脳か心臓を破壊すれば流石に死ぬが、それ以外の部位が破損しても、気持ち悪いくらいの生命力で再生するのだ。
 だから、再びあの腕が振るわれる前にぶち殺さないといけない。
 腕が落ちたのを視界の端で認めたのと同時に、俺は鋼系レベル四〈マグネブレイド〉を発動していた。
 既に周りに撒いていた砂鉄が刀身の周りに集まり、刀身の延長として三メートルの刃と化す。切れ味は、本体の刃よりも良いぐらいだ。
 発動完了と同時に、トロールの傷が泡立ち始める。再生が始まったのだ。
 アギアが一旦着地した木から跳躍するのとほぼ同じタイミングで俺も跳ぶ。
 ようやく痛みを感じ始めたトロールが、意味のない怒号をあげて、左腕を振るう。狙いは俺かっ!
 判断し、即座に両手で砂鉄の剣を握り、迫る巨木のような左腕に振るう。激突。両腕に凄まじい衝撃が伝わり、思わず弾かれそうになった。が、すぐに切り込む角度を僅かに変える。
 その瞬間、両腕にかかる負担が消えた。そして、視界の端で跳んでいくトロールの左手。よし、切った、俺は生きてるっ。
 あわてて地面に着地。アギアをみると、トロールの身体を駆け上がっているところだった。
 〈ブレイクスタイル〉を維持したままトロールのだらしなく太った身体の上を疾駆。一気に肩まで駆け上がり、そのまま蹴りつけて跳び上がった。
 未だに再生しきらない右腕。切断されたばかりの左腕。アギアを邪魔できる障害は、ない。
 空中で魔大剣を両手で握り、落下。その勢いのまま、アギアは全力で振り下ろした。
「うるるるあああぁぁっ!」
 気合の怒号と共に、瀑布の一撃がトロールの頭部へ落とされた。巨大な刀身が、トロールの皮膚を、頭蓋を、そして脳をぶち砕き、そのまま降下。背骨を砕き鎖骨を破壊しながら遂に心臓へ到達。その瞬間、バキン、という小気味良い音と共に、魔大剣が半ばから折れた。
 刀身の半分を心臓の真上に残したまま、アギアの身体は地面に落下。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて戦闘狂は着地した。
 そこへ、俺が跳躍。ダメ押しと言わんばかりに砂鉄の剣を突き出す。狙いは未だ鼓動する心臓。頭部からぐちゃぐちゃになった脳がこぼれていることから、再生不可能なことはわかっているが、俺は臆病なんでな。
 胸筋を引き裂き肋骨を砕き、〈マグネブレイド〉は心臓を貫いた。素早く魔導を解除して、俺はアギアの隣に降り立った。
 トロールだった肉塊を見上げる。両腕は再生途中で肉片をぶらさげたまま静止。頭部は完全に両断され、その裂傷は胸部にまで達していた。そして、心臓のあった所には穴が穿たれ、僅かに覗く肉片は再鼓動しない。ここまでやって死なない生き物なんて、生き物じゃない。

 一息ついて、俺は座り込んだ。疲れた。傍らを見上げると、折れた魔大剣を眺めている武神が目に入る。つまらなそうな表情だった。
「……この俺には強力な武器が必要だな」
「ああ、まったくだ」
 同意を返して、手元の魔剣をみる。柄と鍔の部分がガチガチと不協和音を奏でていた。緩んでる。いくら支給用の安物とはいえ、強度が随分低い。魔剣士になるなら、マトモな武器がほしい。
 と、そこへ破壊音。頭上からだった。
 緩慢な動作で首をもたげて、確認した。さっきの爆破音は、天井に穴を開けるためのもののようだ。マトモに扉をあけてくれんものか。その穴から、教官が遥か高い天井から手を振っている。そして、ここまで届くには長さが全然足りない梯子を降ろしてきた。試験終了ということか。
 痛む両脚を奮い立たせて俺は立ちあがろうとして、アギアが俺の襟を掴んだのを感じた。いや、ちょっと待て、まだ足が震えて仕方がな、
「行くぞ」
 俺の悲鳴の尾をひきながら、アギアは遥か天井の梯子まで跳躍した。



「よくやった、お前達」
 七メートル級のトロールの件などまるで無かったことのように、にか、と教官は笑みを浮かべる。その白い歯を折ってやろうか。
 試験後、俺達は表彰を授与され、晴れて魔導学校を卒業できた。そして、今は魔剣士として出発できるよう、教官のありがたい言葉を聞いている最中だ。本来ならすっぽかしたいが、できなかったのでここに居る。
 面倒くさげな俺達をみて、教官は苦笑いをこぼした。そして、壁に飾られた二振りの魔剣のもとへ歩みながら言う。
「見事特別試験を合格したお前達には、第七階位認定証を授ける」
 ピシッ、と音を立てながら、教官は認定証を俺達に向けて弾いた。
 それを空中でアギアはキャッチし、俺は地面に落ちたものを拾う。となりの赤毛のドヤ顔は無視だ。
「そして、俺から卒業祝いをやろう」
 壁の二振りの魔剣を取り出して、教官は俺達に差し出した。俺に向けられたのは、白い刀身をもつ八〇センチメートルほどの魔剣。鞘には『咎人クレイネン』と銘打たれていた。アギアに差し出されたものは、魔剣というより魔大剣とあらわすのが相応しい巨大さだった。
 とりあえず、俺の目には両方ともかなりの業物とだけわかった。俺の剣の柄には魔核が三つも嵌まる穴があいている。アギアにいたっては四つだ。魔核が嵌まっていないにしても、これはかなり高価だぞ。
 なぜ、という視線を送ると、教官はまたも、にか、と笑った。
「優秀な魔剣士には優秀な武器が必要だろう? 気にするな、それはすでに死んだ先輩のもんだ。墓前に飾るより、血を浴びるほうを望むはずだよ」
「ありがとうございます。使わせていただきます」
 アギアの分も礼をいい、魔剣を腰のベルトに差した。傍らのバカは、恍惚の笑みで刀身を撫でていた。そんなに喜ぶんなら礼を言え。
 俺達はそのまま、教官室をあとにする。良い人だけど、これ以上言葉を交わす感慨もない。態度がわるいのは、生前からだってば。

………………

 ――とまあ、こんな感じに俺達の魔剣士としての世界は始まった。この後に、強制的にアギアとコンビを組まされたのはまた別の話だ。

舞いし剣は魔を穿ちより】
メンテ

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