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[4993] 【2016年度】お題小説スレッド【お題「去る」作品投稿期間】
   
日時: 2016/01/12 23:57
名前: 企画運営委員 ID:7PNV346o



『お題小説スレッド』へようこそ。こちらはあるお題に沿って読みきり小説を書き、その作品をみんなで批評し合う場です。
 初心者も上級者も関係ありません。うまくなりたいとお思いの方であれば、だれでも自由に参加することができます。一生懸命執筆し、一生懸命批評して、小説の技術を高め合いましょう。
 皆様のご参加をお待ちしております。

――――――――――――――――――――

>>002 【ルール説明】:必ず熟読して下さい。(※内容、一言の箇所を訂正しました。ご確認ください)
>>003 【批評のポイント】:批評をする際のポイントをまとめたものです。
>>004 【イベントルール説明】:イベントに関するルールです。必ず熟読してください





▼お題:第32回のお題は「種」です。
 二月に種をまくのか? と思いましたが、調べてみるとじゃがいもは二月にまくそうですね。……さらに調べてみると一年中、なにかしらの種をまいてるみたいです。
 そんなことは置いといて。「種」というお題には「たね」以外にも色々な解釈があると思います。みなさんがどのような作品を投稿してくるのか、楽しみにしております。
※第30回の作品投稿期間は2月1日(土)からです


▼お題:第33回のお題は「姫」です。
 三月なので(笑)
 というのはよくわかりませんが(ひなまつりだから?)「ひめ」というのは可愛らしい語感ですよね。私は緑の黒髪をした和服姿が思い浮かびます。桃色が似合いますよね。桃色……やはりひなまつりでしょうか。それでは、みなさんの作品お待ちしております。
 
※第31回の作品投稿期間は3月1日(土)からです


▼お題:第34回のお題は「嘘」です。
 嘘でした。


▼お題:最終回のお題は「魔法」です。
 奮ってご参加ください。


▼お題:第36回のお題は「友情」です。
 ネタでした。


▼お題:第37回のお題は「音」です。
 奮ってご参加ください。



▼日程(第32回)

1月1日       :お題発表
2月1日〜15日   :作品投稿期間
2月16日〜28日  :批評提出期間


▼日程(第33回) 

2月1日     :お題発表
3月1日〜1月15日 :作品投稿期間
3月16日〜30日 :批評提出期間


▼日程(第35回) 

6月1日     :お題発表
6月1日〜7月31日 :作品投稿期間
8月1日〜   :批評提出期間



▼注意もしくは削除対象となるお書きこみ
・荒らし
・荒らしへの反応
・自分や他人の小説の宣伝
・雑談、チャット化
・ルールに反するもの
・管理人が不適切と判断したもの

――――――――――――――――――――

>目次 >>001


>第32回 お題『種』参加作品(敬称略)

>>404 sakana:シロハの辻褄
>>405 伊達サクット:赤い種、青い種

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▼リンク
小説講座/雑談所』(お礼や言い訳等はこちらへ)
旧お題小説スレッド』(前スレはこちらから)
ツイッター』(朔乱のアカウントです。お題の告知などをしています)

管理人:If 空人 朔乱  補佐:伊達サクット
メンテ

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魔法、時間、雨:あなたの魂に安らぎあれ ( No.189 )
   
日時: 2012/08/15 19:30
名前: フロスト◆LB4nJAzz.E ID:QxH3zS0Q


 ガラスで区切られた部屋の中の一つに、マホガニー材で出来た執務机がある。周囲には同じ素材で構成されたチェストや本棚などがずらりと並んでおり、この部屋の持ち主の趣味と嗜好を露呈していた。執務机の椅子に腰を下ろし、部屋の持ち主――フランク=トロイ部長は背後の窓へと向かって、首を巡らす。午前特有の清々しい 空気を身に感じながら、一度大きく深呼吸をし、開いた窓をゆっくりと閉めた。
 彼は視線を落とすと、綺麗に磨かれた革靴を見つける。両足に寸分の狂いなくはまったそれの感触を確かめながら、これから来る人物と、現在発生している問題とを同時に思考した。来る人物については、期待と信用を寄せているのを分かっている。しかし起こっている問題については、なにぶん眉を顰めてしまう事情があり、歯がゆい思いをしているのは確かだ。確実に解決されなくてはいけない問題なのだ。だからこそ“彼”を呼んだ。
 トロイ部長は象牙の葉巻箱を開くと、中から一本の葉巻を取り出し、同じく机に置いてあったシガーカッターで片面を切り落とすと、葉巻を口にくわえた。マッチを擦り、先を炙るようにすると、マッチを持った方の手を軽く振って、火を鎮火する。腔内に煙を蓄え、存分に愉しんでいるときに、“彼”は来た。
「失礼します。ラハナー執行官です」
 数回のノックの後に、低く、それでいて遠くまで響きそうな張りのある声が聞こえる。来たなと葉巻を片手に取り、煙を吐き出しながら、トロイ部長は答えた。
「入り給え。ラハナー君」
 ドアノブを開き、会釈とともに入ってきたのは全身をダークブルーの背広で包んだ、屈強な男だった。彼の姿を見て、満足気にうむと頷くと、トロイ部長は椅子から緩慢に立ち上がった。鷹のような印象を人に与える男だった。如何にも敏腕執行官という風体だ。部長は開いたままの葉巻箱を指し示して、言った。
「葉巻はどうだね。最高級というわけにはいかないが、それなりだよ」
「いえ。お気持ちはありがたいのですが、遠慮させてください」
「ふむ。そうか」
 一種のストイックさを持つ男だとトロイは思う。一つのことを確実にやり遂げる質の男だ。だからこそ信用がおける。咳払いをしながら、続けた。
「ラハナー君。君は魔術協会のホープだよ。執行人“ジャッカル”といえば、“掟破り”どもからすれば畏怖の対象さ。これまで何人のクズ魔術師どもを狩ってきたことか。私利私欲のために神聖なる魔術を利用するバカどもには、君もうんざりしないかね。うん? よりによって魔術協会は一般人には秘匿されているんだ」
「恐縮です」
 ラハナーは踵を合わせると、軽く頭を下げた。視線は未だトロイに合わせっている。なるほど、世間話は良いから問題について説明しろということか。トロイは心中で苦笑いしながら、表面では表情を引き締めて言った。
「さて、本題に入ろう。今回、君に与えられる任務は今までとはそう変わりはない。少なくとも目的自体はな」
 怪訝そうに眉を押し下げるラハナー。肩を竦めながら、トロイは執務机の引き出しを開け、茶封筒を取り出し、それを机の上に投げた。
「詳しくはそこにある。後でじっくりと読むといい」
「失礼ですが、部長。どういうことです?」
 喰い付いてきた。左右に視線を遣りながら、当の本人は言おうか言わざるまいかという態度を見せた。ラハナーは黙って続きを待つ。部長は大きく溜息を吐くと言った。
「少々君には酷かも知れないが……まあ、めぐり合わせと思うしか無い」
「なにをです」
「ザヴィエ=マンゾン」
 ラハナーの身体が一瞬硬直した。トロイは意に介せず言葉を紡ぐ。
「元協会の魔術師にして、君の親友だった男だ。そして現在では一級の掟破り。彼を“消去”するのが、今回の君の仕事だ。ジャッカル」
「……彼は一体なにを」
「死者蘇生、と言えばいいか」
「できるはずがない」
 ラハナーが軽く憤った。トロイはそれを目で諌めながら、言った。
「君は我々の解析班がぼんくら揃いだとでも言うつもりかね。間違いなく、奴はネクロマンシー系の魔術を使用した。結果は分からない。屍体は無かったからな。しかし儀式を行ったのは確実だ。協会は彼を一級掟破りとして認定した。彼は犯罪者だ」
「何かの間違いということは」
「無い。諦めろ。奴は法を犯した。魔法を犯したのだ」
 強調するように言い、机を拳で叩く。しばしラハナーとトロイの睨み合いが続き、折れたのはラハナーだった。
「……了解しました」
「では受けてくれるな」
「一つだけ。なぜ私に?」
「ネクロマンシー系の魔術は非常に希少価値が高い。遣い手や儀式詳細については協会も喉から手が出るほど欲しがっている。つまりそれを探るのに、君の経歴は便利だったわけだ。更にもう一つ。身内のケリは身内でつけろという上層部の慈悲があったことも、付け加えておこなければならないだろうな」
「慈悲、ですか」
「そうだ。ラハナー」
 噛み締めるようにして、彼は頷く。黙ってラハナーは執務机に歩み寄ると、任務指令書を脇に抱え、足を揃えた。
「クラウス=ラハナー執行官。任務を受諾しました。これより実行に移ります」
「うむ。そうしてくれたまえ」
 ラハナーは風に吹かれるようにして、部屋を去る。彼が完全に出ていったのを確認すると、トロイはふうと溜息を吐き、葉巻を口にくわえた。
「因果な仕事だ」
 彼は天井を見上げた。


 列車に揺られながら、彼は車窓から流れ行く景色を見ていた。過ぎ去っていく景観は、手を伸ばしても届くことはない。足元にあるトランクケースの把手を片手で弄りながら、ラハナーは物思いに耽った。今から向かうのは任地、アルデールである。親友を殺すのだ。この手で。失敗は許されない。法の番人が私情を優先してはならない。絶対に。
 ――何故だ。
 何度だって繰り返すであろう問いは、意識の奥に沈潜していった。間違っても魔法を犯すような人間ではなかった。最後に会ったのは三年前。ラハナーは思い出す。穏やかな、百合の花のような婦人と元気一杯といった調子の子供に囲まれ、彼は幸せそのものだった。
 ――人は変わる。
 彼の妻子が事故に巻き込まれて亡くなったと聞いた時、ラハナーは遠く外国だった。祖国に帰ってきてから、まず最初にしたのは親友の様子を見に行く事だった。彼は別人のようだった。幽鬼のような顔には絶望と虚無は貼り付き、口からはアルコール臭が漂っていた。
 以来、ラハナーは彼に会っていない。仕事だなんだと言い訳を付けて寄ることもなかった。友人として失格の行いだろう。しかし彼は怖かったのだ。挫折と感染が。あまりにもお互いの距離が近すぎて、それが自分にも影響するのではないかと恐れて。
 列車は、アルデールへと到着する。


 古風な駅を出ると、中央市街に出た。眼前では英雄の像が天を突くように立ち、噴水が舞っている。穏やかな日和だった。ラハナーは目を細めると、周囲を掠め見る。のんびりとした調子の男性が広場を横切り、ベンチに座った子供連れの家族は幸福そうな笑みを漏らしている。端にある喫茶店の外テラスでは男女が談笑していた。
 悪い街ではない。それは分かる。
 彼はまず広場から少し奥まった通りに軒を構えている、『ロジェント』ホテルへとチェックインを済ませると、協会の情報部から受け取った情報を頭に浮かび上がらせながら、目的地まで向かった。
 街の地勢は頭に叩きこんである。ラハナーは行き交う人々の中に紛れながら、段々と街の旧市街へと歩いて行く。旧市街のとあるBARでザヴィエの目撃情報があったらしい。ラハナーはまずそこへ赴くことにした。
 歩きで三〇分ほど。
 旧市街の一角にBAR『ルランティエ』はあった。格式高い、というよりかは大衆酒場の名残を残しているBARで、だからといってがなり立てる客が多いわけでもなく、大人しい人々が静かに談笑しながら楽しむ庶民の社交場のようだった。中に入り、視線を巡らす。
 数人の客がテーブル席で語らっている。カウンターを見渡し、ラハナーは一番端の席に、知っている顔を見つける。しかし、覚えている面影とズレがあり、どこか不愉快な感覚が伝播する。ひとまず彼を尾行するため、魔術印が込められたメダルをしっかりと握ると、自らの気配を消して、隅の暗がりにある席へと腰を落ちつけた。
 ラハナーは対象をじっと見つめていた。ザヴィエ=マンゾンは記憶している姿よりかは幾ぶんか太り、口ひげを生やしていた。一見、気の良いおじさんといった風体の彼だが、ラハナーは彼の穏やかな目の奥に灯る挫折と絶望、悲嘆を如実に感じ取った。そこには成功という喜びも、狂気という苦しみも、悪意という憎しみも何もなかった。あったのは容易に虚無へと変貌するようなものたちばかりで、それが逆にラハナーをぞっとさせた。
 彼はチビチビと飲む。哀愁を誘うように微笑すると、彼はBARの勘定を払い、外へと出た。ラハナーも立ち上がり、慎重に相手を追う。
 旧市街の建築物から降りかかる影に紛れるように、サヴィエは陽光を避けて、旧市街をとぼとぼと進んでいく。ラハナーは縫うように追いながらも、一種の当惑を覚えていた。
 何かを成し遂げた気概、というものが彼からはまったく感じられなかった。
 次第に、旧市街でも特に古い地区へと入っていく。サヴィエは人通りの少ない道を通って、一軒の小さな二階建てへと入っていった。鍵を持ち、扉を開け、緩慢に中へと入り、扉を閉める。
「ザヴィエ=マンゾン……」
 その一連の様子を道の影から見ながら、ラハナーは呟いた。何かが彼には欠落していた。自分に酷く重たいものが落ちてくるのを知覚して、思わず胸を抑えた。久しい感情だった。彼は確かに哀しみと哀れみを心に見つけていた。
 ひとまずホテルのある中央市街まで戻る。
 そこでチェックインした部屋に戻ると、ジャケットを脱ぎ、ベッドへと腰掛けた。両手で顔を抑え、拭うようにして上下に動かす。ラハナーは顔をぶるりと振るうと、時を待った。
 二時間ほどして。部屋がノックされる。ゆっくりと扉を開けると、フロントの男性が両手にボストンバッグを持って、佇んでいた。彼はラハナーの顔を見るとにこりと微笑む。
「ヴィクター=ロイド様? お荷物が届いております」
「ありがとう」
 ラハナーは丁寧に、それでいて手早くバッグを受け取ると、曖昧な微笑を返した。男性が「なにかあれば、また」と言って去るのをしっかりと確認した後、扉を閉めて鍵をかけると、部屋の隅にバッグを置く。そして彼はポケットから六芒星が描かれたハンカチを出すと、手に包ませ、その上でバッグのファスナーを開いた。
 中から出てきたのは黒塗りの銃。リヴォルバーだった。何やら細かい紋様が銃身から銃把まで、フレーム全体に刻み込まれている。装飾こそ古風だが、肝心の本体の方はそう古い機種ではないようだった。
 ラハナーは銃を手に取ると、まずサムピース(回転式弾倉を露出させるための装置)を押し、シリンダー部分を横に出す。ざっと見てから彼はまた戻し、更に撃鉄を倒すと引鉄を引いた。歯車が上手く噛み合わさったかのような音がして、ラハナーは頷く。
 彼はバッグに手を突っ込み、黒檀で出来た長方形の小箱を取り出した。スライド式のそれを開くと、中から白銀色で銃と同じような装飾が施された弾薬が二〇個ほど勢揃いしている。内の六つを取ると、銃のシリンダーを開き、空いた部分を全て埋めるようにして六つ全てを押し込んだ。引鉄を引けば発砲できるそれを、慎重にベッドへと置くと、彼は三度バッグへと手を入れて、銃のホルスターを出す。ホルスターに銃を入れると、ベッドの上にある枕の下に銃を入れ、一連の作業は終了した。
 男は窓を向く。射日は暖かく、穏健であったがラハナーの心は晴れなかった。


 翌日。彼は尾行したザヴィエ=マンゾンの家の側にいた。空は相変わらず散歩日和であり、旧市街でも穏やかな日々が流れている。ラハナーは道の影から標的の家を伺った。ふと、ガチャリと扉を開け、生気の無い様子のザヴィエ=マンゾンが玄関へと続く階段から降りてくる。
 彼は道をぶらぶらと昨日酒を飲んでいた酒場への方角へ歩き出した。ラハナーも後を追う。
 結局、彼は昨日と同じ道を往きながら『ルランティエ』まで歩き、店の中へと入る。それから数分して、ラハナーも後へと続いた。メダルを握りしめて。
『ルランティエ』の内部は天候と同じく、変わりがなく、ただ細々とした喋り声と控えめな笑い声だけが聞こえる。そこが定位置なのか、ザヴィエもカウンター席の端へと座り、昨日と同じく酒をチビチビとやっていた。ラハナーも暗がりの席へと座り、改めて状況を整理する。
(彼は俺が執行人であることも、ジャッカルであることも知らない。同じ協会の魔術師程度とぐらいしか思っていないはずだ)
 上手くいくかも知れないし、いかないかも知れない。どちらでも良かった。協会は悩みの種が消えればいいのだし、おまけ程度にしか考えていないものは消えれば残念かも知れないがその程度だろう。凍てついた頭脳が素早く結論を弾き出す。と、また胸に沈み込むものを感じた。今度は無視できるようなものではなく、音を立てない程度の歯軋りでそれを紛らわせなくてはいけなかった。彼は少しだけ苛ついていた。
 そのせいだろうか。果断とも言うべき決断を彼は行った。席から立ち上がり、メダルをポケットへと落としながら、今入ってきた風にしてカウンターの端まで近寄る。
「マスター。ジン・ライムを」
 疲れたとばかりに席へと腰を下ろした男を、近隣のザヴィエが緩慢に見つける。そしてその顔が驚きと当惑に包まれた。彼は一度言葉を飲み込むと、もう一度だけ言葉を発する。
「……ラハナー? クラウス=ラハナー?」
「うん? 誰だ」
 胡乱げに顔を回し、ザヴィエを見る。そして心底驚いたとばかりに彼は顔を歪め、次に喜色を表した。
「おい。ザヴィエか!」
「あ、ああ。どうしてここに」
「やっと会えたな」
 行動にこそ表さないものの、声に感無量といった調子を混ぜる。これが彼の真の感情の出し方だと知っている、 ザヴィエは遅れて口元に笑みのようなものを浮かべた。
「クラウス。こっちこそ」
「見違えたぞ」
「……お前は変わらないな」
 軽くごつき合い、間に友人特有の空気が形成される。不意に、ラハナーは視線を落とし、唇を噛んだ。
「すまない。俺は――」
「いや、良いんだ。今更だ。気になんかしないさ」
 演技がぼろぼろと顔から崩れ落ちていく気がして、ラハナーは焦った。しかしそれと同時にこうしていたいという感情が強く芽生えた。彼は戸惑った。任務中にこのような感情を感じたことがなかった。
「……すまない」
 何も言えなかった。ただ唇を演技ではなく、本気で噛み締めた。血の味がする。彼は自分が自分で分からなくなった。
「止してくれ。さあ、飲もう。友の再開を祝して」
 どこか痛ましいほどの笑顔で、ザヴィエは言う。ラハナーはそれに釣られるようにして、酒を頼んだ。
 彼らの話題は尽きなかった。お互いに深くまで詮索しようとはせず、当たり障りのない話を選んだが、それでもお互いに霧が晴れていくのを感じていた。突然、ザヴィエが言った。
「なあ、クラウス。良ければ家で飲まないか。こんな楽しいのは久しぶりだ」
「俺もだよ……」
 ラハナーはザヴィエの笑顔に、めったに見せない心からの微笑みを見せた。ラハナーは追いやっていた。自分がジャッカルであること。執行人で、ザヴィエがその対象なこと。大事な時に側にいられなかったこと。全てから目を背けた。ただ彼に相応しくない感情で動いていた。
 二人は勘定を済ませると、談笑しながら市道を歩いて行く。やがてザヴィエの家に着くと、彼はラハナーを家の中へと招き入れた。
 古風で純朴な内装だった。多くのものが昔ながらの木で出来ている。ザヴィエとともにラハナーはリビングへ入ると、中央のテーブルへと座った。ザヴィエは戸棚へと歩いて行って、酒瓶と二人分のグラスを持ってくる。
「では改めて乾杯」
 グラスを軽く合わせて、二人は腔内に酒を入れる。喉が締まるように熱くなって、心地よかった。
 ラハナーとザヴィエはぽつりぽつりと言葉を交わし、たまに笑いあった。ふとラハナーはチェストの上に倒して置かれている写真立てを見つける。視線に気づいたザヴィエが薄く笑った。
「ああ、妻子のだよ」
「嫌なことを思い出させたな」
「いや。もう充分だ。忘れるべきなのかもな。いや、そうなんだろう。クラウス、お前はまだ協会にいるのか」
 僅かにグラスを握る手が強くなったラハナーは、答えた。
「まあね」
 ザヴィエは酒をくいっと飲み干した。
「……クラウス。俺が魔法を犯したといったらどうする」
 声が途切れ、静寂が訪れる。三人目の客は二人を見つめた。ラハナーは目を伏せ、ザヴィエは目にあの負を宿していた。五分ほどして、客は去っていく。
「笑える冗談じゃない」
「俺はジョークなんか言わない。言わないよ」
「……どうして」
「クリスとアーロンが奪われた時、俺は恨んだよ。ありとあらゆるものをな。恨みの後は最初はぼうっとして、数週間を過ごすんだ。まだ死というものを実感できないんだ。それでやっと実感する時に、人は気づくんだ。もう戻らないんだってな。世の中は理不尽が少しばかり多すぎる」
「だからか!」
 不意にラハナーが怒鳴った。
「だから、お前は魔術師の禁忌を!」
「なにが禁忌だ」
 それを冷めた目で見つめていたザヴィエは酒をグラスに注いで、続けた。
「そんなものはまやかしだ。糞だ。ファックだ。結局のところ、何もしてくれはしない協会のグズなルールに従ってるだけだ。俺はアホらしいと思ったのさ。ネクロマンシー系の魔術。気味の悪い爺から数ヶ月で学び取った。そいつは言ったがね。どうしてもと想う人の気持ちに逆らうことなんてできない。さて、俺はそういうことだ。妻子の屍体を」
「ザヴィエ!」
「……儀式にかけたんだ。なのに、出来たのはなんだと思う?」
 昏い両眼で往年の友人を見据え、ザヴィエは無機質な声で言い放つ。
「ゾンビだよ。知能も何もない、面影すらない。ただのゾンビ」
 途端に、かっと酒を飲むとグラスを地面に叩きつけ、叫んだ。
「なんでだよ! 俺がなにしたってんだ! ただ家族がいて! 可愛いガキンチョと! 美人な奥さんもらって! 馬鹿なことにも笑い合って! 辛いことだって乗り越えてきただけだ! なあ! なにが不足だってんだよ! 俺はなにもしてねえよ! カミサマよお!!」
 激烈な慟哭だった。魂の哭き声だった。その様子は地獄で苦しむ囚人たちよりも酷いのではないかと思われた。 今まで黙っていた、ラハナーが言った。
「黙れ」
「ああ!」
「黙れと言ったんだ」
 凍えるような声調に、はっとザヴィエは自分の様子に気づいたようだった。彼はよろよろとテーブルに突っ伏し、ただ口を噤む。
 数十分も経っただろうか。ザヴィエの肩を優しく揺り動かすものがあった。彼は顔をあげる。
 そこには静謐な微笑みを湛えたラハナーがいた。ザヴィエは動揺した。彼のこんな姿を見たことは無かった。
「……ザヴィエ。俺の友達。精算なんて考えちゃいない」
 すっと懐から何か、小さい長方形状の紙のようなものを彼は取り出した。それは色あせた写真だった。協会の建物を背景に二人の青年が肩を組み合って、笑い合っている。それは若き日のラハナーとザヴィエだった。
「俺はお前のそんな様子を見るのが辛いよ。何かしてあげられたら良いのに、何もできないんだ」
 ラハナーは言う。少しして彼の目元が赤くなって、口元が震えているのに気づいた時、ザヴィエはぽつりと言った。
「お前が持ってたんだな……。この写真」
 ザヴィエは蚊の鳴くような声で続けた。
「嬉しいよ」


 男たちは決心した。それは誰かの為ではなく、彼ら自身の意思だった。誰のためではなく、自らのために。
 男が男であることを。彼らが彼らであることを。彼らにしか出来ないことを。


 その日は運悪く曇り空だった。ぐずついた天気に子供連れの主婦は眉を顰め、いつもはテラスで語らう恋人たちも肩を竦めて外の様子を伺う。みな、雨音が近づいてくるような気がしていた。
 この日もザヴィエ=マンゾンは家から出て、日課を果たすべく、いつもより人通りの少ない道を向かっていった。またBARで一杯やるつもりなのだろう。空を見上げながら、かぶりを振った。
 いつも通りの道。いつも通りの風景。
「良い街だ」
 彼は思った。自分には勿体無いほどの街だ、と。
 通りの角を曲がり、いつも通りに路肩へと車を置いてある通りへと入る。
 ふと、彼は車に近づいていくにつれ、不穏な感覚を覚えた。身体にピリッとしたものが走り、勘が何かを訴える。

 車の影に隠れていた男は、近づいてくるサヴィエを見ながら手元の感触を確かめた。銃把の固い感触。死を与える金属機械。小型の死神は出番を待ち望んでいる。
 サヴィエが射程距離まで接近してくる。一歩、二歩、三歩。入った。

 突然、車の影から飛び出してきた中折れ帽に厚手のコートの男。サヴィエは彼の顔を良く見ようとした。最中、身体に衝撃が走り、鼓膜を銃声が駆け抜けた――。

 胸を押さえて崩れ落ちるサヴィエ。それを確認すると、人払いの魔術を行使していたコートの男は銃を持ったまま、サヴィエへと走り寄った。
 彼は仰向けに倒れていた。胸部からは夥しいほどの血液が流れ落ちている。

 歪んだ視界の中で、自分を撃った刺客を確認したサヴィエは震える唇を必死に動かした。

 男は彼の顔をじっと見つめていた。標的は何事か口をもごもごと動かしていた。男はそれを読み取った。

「……迷惑を……かけて……すまない……」

 途端、ぐずついた天気は鳴き出した。スコールのような雨が突如として曇り空から二人に降り注ぐ。
 サヴィエの顔は穏やかだった。満足したとでも言うように笑っている。
 絶命した彼を、コートの男はただただ眺めていた。激しい雨が身体を包む。頬を水滴が流れた。中折れ帽を深く被る。男は懐から色あせた写真を取り出した。二人の男が並んでいた。男は写真を中央で千切ると、クラウス=ラハナーと呼ばれていた男が写っているほうを懐に納め、もう一人のザヴィエ=マンゾンが写っていたほうは今しがた絶命した男の胸へと落とす。
 男は人払いを解くと、雨の中を紛れるように去っていった。


「これが報告書かね。ラハナー君」
「ええ」
 相変わらずの部長室で、フランク=トロイ部長とクラウス=ラハナー執行官は向かい合っていた。部長は机に置かれていた茶封筒をふむと摘むと、また軽く投げた。
「君はサヴィエ=マンゾンを消去したものの、彼の研究結果の出処を明確に掴むにはいたらなかったわけだ」
「はい」
「何か、弁明は」
「特には」
 はあとトロイは溜息を付いた。もうこんな茶番は沢山だとばかりに、葉巻を取ると、片面を切り落とし、マッチを擦る。紫煙を堪能してから彼は答えた。
「よし。とにかく君は掟破りを任務通りに抹殺したわけだ。で、どうだった」
「どうだった、とは?」
「休暇か何かが必要かね。良ければカウンセラーでも紹介するが?」
「結構です」
 眼前で大樹のように延びる男に、トロイ部長は思い切り良く言った。
「……そうか。任務ご苦労だった。これにて作戦は終了。ゆっくり休め」
「恐縮です」
 振り返って、未練なく出ていく男の後ろ姿を見ながら、トロイは煙を窓に吐いた。
「我ながら胸糞悪くなるな」


 部屋を出て、廊下を歩いて行く最中。休憩所があった。クラウス=ラハナーは何気なく近寄ると、開かれた窓へと寄り、清涼な風を感じた。あの街で浴びたような日差しが降り注いでいる。
 ラハナーは懐から千切れた、色あせた写真を取り出す。そこにいたのは間違いなく愛おしい誰かと誰かだった。――今は一人だ。
 風が頬を打った。
 逆らわずラハナーが手を離すと、写真は風に呑まれて、空を浮遊し、日差しを浴びながら飛んでいった。
 何処までも、何処までも。



【了】


メンテ
出会い時間擬音:みよんみよん星人 ( No.190 )
   
日時: 2012/08/15 23:00
名前: sakana◆092jpOU0d. ID:2rpb94Ok

〈むかしばなしをしてみまして〉

 むかしむかし、あるところに一人の人間がいました。
 彼はごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の教育課程を修学し、恋人はいませんが、浅く広い友人関係と深い家族との絆を築いておりました。
 ごく普通の会社員となり、毎日を多くの人たちと過ごし事業をこなす。夜には一人、または友人とその日の鬱憤を晴らすために、ネオン管で彩られた街へと足を進めるという毎日を送っていたのです。そしてこの日もまた、いつものように覚束ない足取りで帰路へ着こうと、夜道を歩いているところでした。
 ひとつ、街灯の下を通ったときです。彼は酔いに助けられ、ある一軒家の石垣に体重を預けはらはらと涙を流し始めました。
 ただ疲れていただけに起こした、何気ない行動でした。
 この時間を過ぎれば、また変哲のない毎日を送るだけというけじめの涙でした。
 しかし、このとき。同じ場所。その上空で泣いていた者にとって、それは一種の救いだったのです。
 
 夜空にぽっかりと浮かぶお月様。それに対抗するかのように、無音で浮かぶ円盤ひとつ。
 銀色は、街灯の光を反射しながら静かに。それでもしっかりと彼の元へと降りてきたのです。
 そして着地した円盤の中から出てきたのは、手にナイフとフォークに見立てた何らかの機具を持ち、二本の触角を持つひとりの宇宙人でした。
 宇宙人は口を開き、言葉を投げ掛けます。彼は目の前の出来事を信じるよりも先に、ただ受け流しておりました。
 宇宙人は俯いていた顔を上げ、垂れていた二本の触角もぴんと上へと張り詰めます。彼は言葉の通じない宇宙人に恐怖を感じるよりも先に、ただ同情を感じておりました。
 宇宙人は彼へ何か言いたげな視線を投げ掛けながら、それでも先ほどまでの彼と同様に、はらはらと涙を流します。彼はそんな行動をとる宇宙人に対して、違う、と無意識に言葉を発しておりました。
 けれども、通じません。
 宇宙人は涙を絶やすことなく、彼の手を取ります。ひとつ彼は思いました。もしかすると、宇宙人が流しているのは喜びの涙なのではないのだろうか、と。
 そして酔っている彼は抵抗することもできずに、円盤の中へと誘われていったのです。

 銀色の円盤の中は、彼が想像していた以上に広いものでした。ただ家具はありません。長方形に切り取られた無機質な出っ張りがいくつも足下から生えており、それは一種のイスで、ベッドでありました。色のない棺のようだと彼は感じます。
 そして横たわる等身大の長方形の上の寝転がされたのです。
 彼は起き上がろうと身動きします。けれども不思議なことに、ぴたりと長方形に吸い付けられ起き上がれません。これから何が起こるのだろうと。彼は宇宙人を見上げました。
 みよんみよん、と宇宙人は触角を震わせます。そして次の瞬間。ぶちり、と音を響かせてその内の一本を宇宙人は自らの手で引き抜いたのです。
 彼は目を見開きます。そしてはっきりと覚醒した意識の中で恐怖を感じるのです。
 宇宙人は再び、手にナイフとフォークを模した何らかの機具を持ち。そして彼へと、彼の頭部へと当てたのでした。

 さびしい、さびしいと。膨大な時間の中で過ごしていた宇宙人はひとり泣いています。
 さびしい、さびしいと。妙に物悲しい音を立て宇宙人は二本の触角を震わせます。
 さびしい、さびしいと。孤独を捨てたいと必死に願っていた宇宙人はひとりの人間を見つけます。 

 さびしい、さびしいと。
 宇宙人は一本の触角を震わせ、今度はゆっくりと。残った触角を左右に震わせ、新たに出来た仲間へ親愛の意を示すのでした。



〈すうじゅうねんごもえんがあるぼすとのであいと〉

「ひゅーひゅー! ボス、いつ会ってもかっけえです!」
「ボス! ボス! びーおーえすえす、BOSS!」
「我らのボス! みんなのボス! ヒーローでっせぇ! むふふふふー」
「あっ、アナタがボスさんなんですね! 初めまして、俺。××っていいます!」
「ボス、コイツ新入りなんだ。喝でもいれてやってくれ」
「ねえねえボス! 今日ね、俺様年寄りの買い物袋を持ってやったんだ! 偉いでしょ偉いでしょ! 褒めて褒めて」
「ボスー、ああ……どうしてボスはボスなんですか。…………はあ」
「ボスは今年の夏、何して過ごすッスか? そこは男の夏ってことでサーフィンとか? くぅー! もうむちゃくちゃ痺れるッス!」

「やめろ、やめてくれ! 頼むからそれ以上言うな!」

 安物の服を着込み、左頬をガーゼで覆われた男は腕で目元を隠す。その際、腕に付けられたアクセサリーは同士とぶつかり音を立て、掲げられたピンキーリングや髑髏を模った指輪は太陽の光に照らされいっそう光る。強面でアロハシャツ。見た目は思いっきりヤのつく職業の男だった。
 そしてそんな男はいま、猛烈に嫌がっている真っ最中だった。照れるという段階をすっとばし、褒められるということがひどく格好悪いことだと認識してしまっていたからだ。主に、TPOをわきまえず男を褒め称えるこの集団のお陰で。

「何でですかいボス! おいらたち、みーんなボスのこと尊敬してるんんでやすよ!」
「とりあえず、ボスと呼ぶのはまだ良い。誰だって、ひとのことを先生や師匠と呼びたがる年頃だからな、それは分かる」
「さっすが、よく分かっていらっしゃる! 二十歳過ぎた男共はそんな年頃ですもんね!」
「……とりあえず、俺がお前たちに何かをしてやることもしてないのに勝手に尊敬されるのは不可解だが、どうこう呼ばれることに抵抗は、ない。だが! 何故会う度に囃し立てるんだ! 会う度っていうのがもう居たたまれない。それ以前の問題として……お前たち、ぜぇったい俺の後つけてたりするんだろ! 一日に何度この意味不明な男共の集団に会うと思っている!」
「え〜偶然ですよ?」
「目が泳いでるぞコラ。お前とは高校時代からの付き合いだが…………はあ……お前たちの中に、俺の友達と呼べる存在はいないし。気がついたら舎弟みたいなのが勝手に湧いてくるし。今も新入りですって自己紹介してくれたやつがいるが、これは何の組織なのかって話だ。俺は何も創った覚えはないぞ! 知らぬ間に俺を巻き込むんじゃねえよ!」
「またまたー、ボスってば照れちゃって。お・ちゃ・め・さ・ん。あ、ちなみに語尾はハートマークオプション付き」
「嫌がらせか? 嫌がらせなのか?」

 男もといボスは、高校時代からの友人(仮)の物言いに鳥肌を立て、どうしても話が通じないという現状に絶望した。もはや言葉がでない。話し方もどうにかならないのか、と内心思うが何度言ってもぬらりくらりと誤魔化されてしまうため、そんな友人(?)の真意を知ることはできない。むしろ、知りたくはないだろう。

「あ、ところでボスさまさま。喉乾いていらっしゃらませんでしょうか? 暑いッスよね。暑ッス。むしろ熱ちッスですます。ということでみなさまー! ボスさまさまの為に自販機いきましょー! 色々と買い占めてしまおうぜい!」
「……おい、自己完結して後ろの集団に話しかけるな。あと口調がブレてんぞ」
「おおー!」
「ボスさんのために! 了解です」
「俺も何かついでに買おー」
「あっ、コンビニにも寄って良いですか! アイス食べたいぜっていう!」
「むふふーアイス良いね、かき氷も良いよー」
「じゃ、俺雑誌買うー」
「くぅー! これでやっと夏って感じですね!」

「やっぱり嫌がらせか、嫌がらせなのか!」

 はたして、その集団はボスひとりを残してその場から去っていた。最後の方は話題の中心から離れていたというお陰で、むしろ存在を完璧に無視されていたボス。後ろ姿は心なしか、しょんぼりとしていた。

「……っと、ヤツらも帰ったことだし。俺も帰るかな」
 直ぐ隣りに位置する自販機に視線をやり、ボスはくるりと後ろを向いた。そして次の瞬間上げるのは驚きの声だ。
「お、お前!」
 背後に。それも影のように、ぴったりとボスの背後で涼しげに佇む者がひとり。
「頭に触角がある、だと?」
 人間じゃないのか、という言葉も続かない。
「……俺に用があるのか?」
 それに宇宙人は答えず。ただ、みよんみよんと言った。
「にこにこ笑顔を絶やさず…………何だか気持ちの悪いヤツだな」
 宇宙人が手にしている、家庭で使われるものより二回りほど大きなナイフとフォークを目にしてボスは青ざめる。
「お、おう。なんだやるのか……!」
 覇気のない威嚇に怯むことなく、宇宙人はみよんみよんと言った。
「……宇宙との交信か?」
 みよんみよん、とボスは口ずさむ。
 宇宙人はみよんみよんと言った。
 みよんみよん、みよん? みよんみよん、みよーんみよ? みよんみよん、みーよぉぉぉんみよーん! みよんみよん、みっよーんみっよーん、みよんみよん、みっよんみっよん? みよんみよん――……。
「何だこれ、ゲシュタルト崩壊起こしてきたぞ」
 そういって目元を抑えるボス。変わらずみよん、と触覚を左右に揺らす宇宙人。
「はっ! まさか」
 ▼ぼす は ひらめいた !
「その《みよん》で人間たちの精神を支配し、終いには地球侵略を企んでいるのか!」
「んなわけないでしょ」
 カッ、と目を見開き叫んだボスに間入れずツッコミが入る。ボスは慌てて新たな声のする方向へ視線を向け、お前も宇宙人なのか! そうなのか! と彼の触角を凝視して構えのポーズをとった。
「この宇宙人にそんな考えをなんてありませんよ。それに、今まで宇宙人は僕にテレパシーを送ってたんです。言葉を喋れないくせに勝手に出歩いて、挙げ句の果てに他人とコミュニケーションをとりたいからって家で寛いでいた僕をこの暑い中わざわざ呼んで………………クソが」
 ぼそりと付け加えられた言葉にボスは青ざめる。そして宇宙人へと視線を戻すが、そんな様子に気づいた様子もなく、やはりにこにこと笑っていた。
「……えっと、お前も大変なんだな」
「大変なのはこの僕ですよ」
 やれやれ、と首を振る彼と。みよんみよん、と触角を嬉しそうに揺らす宇宙人。そんなふたりを見比べて、ボスは複雑な心境になった。



〈おとなりさんのふしぎなたいしつをかいまみて〉

「よう、触角兄弟」
「こんにちは、赤い人」

 頭部から一本の触角を生やしたふたりと、くすみのない黒髪で白い簡素なシャツを身につけた男の遭遇。

「ところで、触角兄弟って呼び方やめてくれません? 僕たち兄弟じゃありませんし、以下省略な理由で虫酸が走ります」
「いやあ、奇遇だな。俺も赤い人って呼ばれる度にいらっとくるんだ。いらっと。分かりますぅ?」
「語尾を伸ばさないでください。ちゃらいですよ、赤い人」
「だーかーらー、何で俺が赤いの。触角兄弟の弟の方!」
「だれが弟ですか。なんでこの宇宙人と血縁関係にならないといけないのですか。えんがちょ……の前にこの宇宙人とは赤の……他人ですよ」
 びっ、と隣りに佇むひとりの宇宙人を指さす彼。それでも尚、にこにこと微笑んでいる宇宙人。
 そんな光景を目の前に、男は触角兄弟の兄の方をつくづく不憫に思う。
「……なんですか」
 みよんみよん、と宇宙人は一本の触角を左右に揺らしながら、彼の裾を掴む。
 そして振り返った彼に対して、宇宙人は口の両端をつり上げたまま言葉を模ろうともしない。それでもいっときふたりは目を合わせ、彼は宇宙人のイメージを汲み取った。「確かに」と意味深に呟き、目の前の男に視線を戻す。
「赤い人、今日は流血していませんね」
「流血ぅ? ……もしかしていっつも俺がどこか怪我してるから赤い人なんて呼ばれてんの?」
「宇宙人、どうやら彼。今日は何ともないそうですよ。流血してないなら赤い人って呼んでも仕方がないですし、……新しい呼び名を考えないといけませんね」
「……」
「ふむ、《ただの人》ですか。それでは面白みも何もありませんよ」
「……」
「《隣の家の人》。そのままですね、何か他に案はありませんか?」
「……」
「《人間》。誰もが当てはまってしまいますよ」
「触角兄弟……お前たち、実はひどく仲がいいんでしょ!?」
 目を合わせただけで会話を成立させる、ふたりのやり取りを聞いて男は頭を抱え、隣人に訝しげな目を向ける。ただ、彼はその叫びを聞き、宇宙人との会話をぱたりと止めた。そしてゆっくりと男に視線を向け、静かに答えた。
「もう、過ぎたことだって諦めてしまってる節があるんです」
 男は何も言えなかった。

――……何も、言えなかった。
「あ」
 それも。どこからともなく、この一瞬で吹いた強風に青色の瓦が飛んできて男に直撃したためだ。
 なんで突風が、と疑問に思う暇もなく男は身体を前のめりにし、現状を把握しようと顔を上げたときには頭部から血が滴っていた。どくどくと、それも大量に絶え間なく白いシャツを赤く染め上げていく。
「やっぱり赤い人のままで良いですね。。改名の余地はない、と」
 男もとい赤い人が痛みに呻き声を上げる中。彼はいたって真面目に呟き、宇宙人は変わらず微笑んだまま触角を揺らし、何度も小刻みに頷いた。みよんみよん。



〈しょうらいひーろとなるしょうねんは
 せけんのせまさをかんじることでしょう〉

 ×月××日 空飛ぶえんばんを見ました

「きさまっ! 悪のてさきだな! このぼくがせいばいしてやるっ!」
 一人の少年は、丸めた新聞で作られた剣を持ち、えいやーと叫ぶ。その標的は、ひとりの宇宙人。みよんみよん、と頭から生えた触角からは何とも不可解な音を立てていた。
 ぺしり、と軽い音が響き、新聞紙の剣は宇宙人の身体と平行に曲がる。そんな無残な姿へと変わり果てた、数十分で完成させた愛用の剣を目にして、少年は涙を浮かべる。手元に武器がないと分かっていながらも、「このっこのっ」と宇宙人に小さく毒づいていた。
「あれはゆーふぉーだな! きさまはうちゅうからきた悪のしんりやぁく者だからっ、ぼくがたおさないと。――たおさないとッ、みんながみんながああああ!」
 うわああああ! と。妄想によってひとり頭を抱え悶える少年を、宇宙人は微笑みを絶やさずただ眺めていた。

 
 ×月××日 うちゅうじんがふえました

「あ、悪のてさきがぶんれつしてふえた、だと……!」
「誰が分裂したんですか」
 彼がそう言うと、少年はぴっと宇宙人を指さした。そんな少しの躊躇もない答えに、彼は青筋を立てながら少年に笑いかける。
「もう一度、今度は口で言ってみてください。誰が、分裂して、誰を、生み出しただって?」
「え、あ、うあ…………き、きのうからこの公園にあらわれ始めたみよんってやつが、お、おまえを……」
 区切りながら言葉を紡ぐ彼に、少年は青ざめながら。それでも先ほどと何も変わらない答えを出した。
 そんなひどく怯えきった少年の様子を見て、彼はため息をつき。子どもは正直者ですね、と小さく呟いた。
「君、将来ヒーローになりたいって言ってましたよね。悪人と善人の見分け方を教えてあげます。まあ、僕の独断と偏見での入れ知恵となりますが」
 こくり、こくり、とゼンマイ仕掛けの人形のように、少年は何度も頷いた。


 ×月××日 あくにんづらしている人はいい人だそうです。たぶん

「いいですか少年」
 強い日差しの中。スーツを着込んだ彼は人差し指をぴんと上へ向け、少年へ言葉を投げ掛けた。
 宇宙人はこの公園のベンチにもたれ掛かり、近くを飛ぶモンシロチョウを眺めている。
「このように、にこにこと笑って無害そうな顔をしているヤツに限って裏では良くないことを考えているものなんですよ」
 そういって彼が指すのはもちろん宇宙人。ベンチの上で転た寝を始めていた。
「……良くないことって、たとえば?」
「触角を抜いたり、ひとにそれを植え付けたり、ひとを攫ったり、恐怖を植え付けたり、ひとの将来を奪ったり、というか平凡な日常を奪ったり……ですかね」
「人を殺したり、金目のものをうばったりはしないんだな」
「……少年、あなた中々外道ですね」
「いやっ、普通そういったのが悪いことだろ!?」
 少年がちらちらと気にするのはベンチの宇宙人。よだれを垂らしマヌケ面を晒していた。
「えっと、じゃあ今の話をまとめると、とりあえず。悪人づらしている人は、良い人ってことか」
「違う」
「え、あ、ちがうの、か?」
 考えを否定され、潤んだ瞳で不安そうな表情をする少年に珍しく彼は慌てる。そして継いだ言葉は気の利かないものだった。「ひ、ひとつの可能性として――」「……むずかしくて、分からない」


 ×月××日 うちゅうじんがぼくの宝ものを人じちに……!

「ほーら、ほらほら」
「ぼっ、ぼくのヒーローエイリアンを返せッ!」
「……ヒーローのくせにエイリアンっていう名前なんですか、これ」
 きらきらとした目で、自らの英雄を語っていた少年。それも宝物だというアクションヒーローの人形を、今日この日公園に持ち込んだ。
 彼はそれを目にした後。何を考えたのか、その人形を手に取り少年の手が届かない高さまで持ち上げ、端から見ればいわゆる悪さを始めたのだ。
「か、返し――」
 幾度目かになる少年の涙。僅かながらもそれを垣間見て、彼は少しだけ焦る。そして何を思ったのか、今日もやはりベンチで日光浴をする宇宙人にヒーローの人形を渡したのだ。
「うわーん! ぼくのえいりあん返してー!」
 宇宙人はにこにこと、締まりない笑顔で少年の頭を撫でた。それを目撃する人によっては、とても気味の悪い宇宙人だというのに、少年にはそう映らなかったらしい。自分の宝物を取られていることさえ忘れ、少年は心底嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「じゃーねー、またあしたー!」
 昼時になり、ぱたぱたと走り去っていく少年。あ、と彼は声を上げた。宇宙人は、ヒーローエイリアンの頭部を見て嬉しそうに触角を揺らしていた。

「……明日、返しましょうね」


 ×月××日 知らないおとなと知り合いになりました

「少年、このいかにもヤのつく職業じみたボスのこと、どう思いますか?」
「ちょい待てお前。こんな所に俺を連れてきてどうするつもりだ。こんな真摯な少年の目の前に俺を引っ張ってきて……自分で言うのも何だが、悪影響だろ」
「少年、このオジサンは。おっそろしい、何とも言えない鬼とも化け物とも区別の付かない顔をしていますが。心はぴゅあ、なんですよ」
 たぶん、という言葉が付け加えられたのをボスは聞き逃さなかった。それ以前に、聞き逃してはいけない言葉が幾つもあったことに気づき、慌ててボスは抗議する。
「ちょっ、誰がオジサンだ! まだ四十……いや、三十いってるからそうかもしんねえけど。鬼とか化け物とか人のこと何だと思ってんだ!」
「少年、そしてこっちの赤い人。彼はこんな風にへらへらと笑うチャラ男で、そこらへんにいる女性を片っ端からナンパして悪さをするような外見をしています。ですが、中身自体は……だけはまともです」
「ねえ、俺。このボスさんって人もこの少年も知らないし、全然関係ないんだけど。なんで連れてこられたの。なに勝手に俺の紹介してんの」
「ですが、近づかない方が身のためです。いつも不慮の事故に見舞われ、どこかしら流血していますので巻き添えを食らう可能性も否定できません。道ばたで見かけても、絶対に近づいてはいけませんよ」
「触角弟、……俺さ。なんでそんなこと言われないといけないの。もう長年そんなこと言い合ってきたら疲れて、諦めが出始めたよ……泣いて良い? ねえ、泣いて良い?」
 ざめざめと手で顔を覆い、泣き真似をする赤い人。今日もまた、白色のシャツの背後が赤く染まっていた。

「と、いうのが。僕の身の回りの人物です。後はクラウンとかカゲとか酔っ払いとか、……まあ色々と一筋ではいかない知り合いが居ますが、今日は都合が付けられなかったので」
「とりあえず、僕が言いたかったのは外見に惑わされてはいけない、ということです」

 少年は言葉を喉に詰まらせたまま、小さく頷いた。


 ×月××日 公園にいつもいた
 うちゅうじんたちと会わなくなりました

 ・
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 ×月××日 日記帳、記念すべき十冊目突入。記念すべき十年目
 ヒーローとは何でしょう

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 ×月××日 出会いました
 ずっと小さいとき。子どもの時に出会った宇宙人と再会しました
 不思議体験だったから、てっきり夢の中の出来事だと……というか、あの宇宙人。人を襲うんだな。最低だ
 夜、いつものように見回りを行っていると、悲鳴が聞こえたため、急いで現場に向かった
 そうすると、あの夢だと思っていた出来事そのままの姿の宇宙人ふたりと、腰を抜かして震えている女性を発見しました
 とりあえず、いつものように小っ恥ずかしい、黒色のマスクとぴちぴちのスーツ姿で女性を保護しました
 ……あと、宇宙人等を追いかけましたマル

 ×月××日 落ち着いて話ができました
 とりあえず、今日の午後。宇宙人等と落ち着いて話をすることができました。昨日の人を襲っていた、というのは誤解だったそうです
 宇宙人等の姿を見て、腰を抜かして悲鳴を上げたそうで。彼等も慌てたそうです(まあ、あの触角だし)
 十数年ぶりに出会った宇宙人等は、あのときと全く変わらない姿のままでした
 私の年齢が二十歳を超すまで姿を見ないと思っていたら、宇宙旅行に行っていたという
 ヒーローになりました、と言うと。良かったね、と何とも気のない返事をもらいました



〈なりあがりとのなれあいで〉

 その日は雨が降っていた。
 あるマンションのエントランスホールについた彼は肌寒い水に濡れた触角を垂れさげ、身につけているシャツをめくり絞る。大量に染み込んでいた水は一気に地面に叩きつけられ、髪の先からは、ひたひたと水滴がこぼれ落ちる。
 そうして被っていた毛糸の帽子を振り回しながら、コンクリートの階段を上っていった。
 警備システムは皆無だといってもいいマンションの一室。そこまで辿りついた彼は、そうしてつい最近住み始めた家への扉に手を掛けるのだ。
 みよんみよん。
 ふと、その音に彼は顔を上げる。ひどく疲れ切った表情だった。目の下には色濃い隈があり、顔だけではなく頭部から生える触角さえ、疲れ果てているかのようにひどく青々しかった。
 それでも視線だけは、目の前の宇宙人をより的確に捉えている。
「――どうして僕だったんだ」
 未だに靴を履いたままの状態。すぐ目の前にいる宇宙人を押し抜ける元気もなく、その場に立ちつくした彼は強く拳を握りしめる。そうやって壁を殴る彼の姿はどこか痛々しかった。目を極限までつぶり、宇宙人自体に手を出すことはしない。それでも、何で何で、と。誰かに投げ掛けるわけでもなく、ぐるぐるとその言葉ばかりを呟く。
 ただ宇宙人はみよんといった。
 そうして彼は、感情をいつものように静めリビングへと上がっていった。
 背後から雛のようについて回る宇宙人を煩わしいと感じながらも、この日。それ以降彼は恨み言を口にしなかった。
 それでも、気持ちだけは素直だった。ちゃっかりと客用の座布団の上で寛ぐ宇宙人をキッと睨みつけ、涙の形跡さえ見られない宇宙人をひどく恨んだ。

――これは、宇宙人の触角を一本譲り受けてしまった彼が、何もかも許していなかったときの話である。

「にこにこと、笑ってばっかり。毎日毎日何で僕がこんな思いをしなくちゃならないんだ」
 家族とは会えない、会社は辞めないといけない、引っ越さないといけない、外では帽子を被らないといけない、それだけではない。ひとというものから逸脱した彼は何もかも、今と未来を捨てなければならなかった。世間から隔離されて何ヶ月たっただろうか。
 みよん、と。彼はいつもと変わらない表情の宇宙人を見据える。
 みよんみよん、みよん。みよんみよん、みよん。みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよんみよん、みよん。
 一体どのぐらいの時が経ったのだろうか。何気なく宇宙人に対して震えさせた触角。彼は宇宙人を。宇宙人は彼を。それは互いの意思を確認することもしなかったふたりの、初めての交信だったのかもしれない。
「なにそれ……嬉しいって僕は、僕はっ……!」
 ただ宇宙人はみよんといった。
 そして彼は、宇宙人との混じり合いの中で知った。
 膨大な時間の流れを。その中でひとり、あの銀色に輝く円盤に乗り宇宙を彷徨うものを。

 泣いていた。いつもひとり。同族の仲間の顔など既に忘れてしまっていた。そんな自分が腹立たしい。円盤内の簡素な障害物。輝く色だけを見続けるという物悲しさ。様々な星に立ち寄った。誰も居ない。地球とはまた違った星にいた生き物と出会っても、何も共有できない。そんな自分が惨めで悔しい。宙を見た。円盤内から見える、それらの輝きは憎らしいだけだった。膨大な量の星々。どこに同族がいるかなんて分からない。誰かを求めていた。太陽は眩しかった。やはり憎らしい。そんなことしか出来ない自分に失望する。触角を揺らし暇をもてあます。考えることを放棄する。それでも探すことは諦めない。誰かを求める。また別の星を訪れる。自分の諦めが悪いことは自覚していた。そんな希望を捨てられない自分に泣く。泣く。泣く。涙は枯れない。何故自分は生きている。宇宙に生きている。ここにいる。ここにいる。――ここにいる。

 そして宇宙人はみよんといった。
「…………う、あ」
 彼の頭に流れ込んでくるのは一つのビジョン。
 宇宙人の触角を譲り受けたことにより、望めば過去を共有できることを知る。テレパシーを飛ばせることも知った。

 泣いていた。喪失を味わうことも出来ずに宇宙を漂流していた。そしていつものように立ち寄った星。地球。生き物がいた。自分と似たような構造の生き物だと思った。秘かな喜びを感じ泣いた。だけど違う。みよんと触角を揺らしても、通じない。誰も気づいてくれない。やっぱりひとり。それは変わらないのだと希望を自分の外へと流した。泣く。泣く。泣く。涙は枯れない。だって見つけた。自分と同じように泣いている生き物を見つけた。同じ。同族でなくとも、きっと感じているものは同じに違いない。嬉しい。嬉しい。嬉しい。みよん。

「そ、れが僕だったって言うのか」
「僕が、……――ふうう゛っ、うぐ、」
 彼は目から溢れてくる涙に手を取られる。掌だけでは足りず、腕までも使って涙を拭う彼はどこか必死だった。ただ何もない宇宙人の時間の流れを感じ取って、寂しいと感じた。それだけなのに、涙が止まらない。
「――分かった、分かったもういい。分かったから、僕は僕はっ」
 そうして彼は、許さないと言う。
「それでも、僕と宇宙人は違うっだからっ」
 嗚咽を懸命に抑えながら、彼は言葉を紡ぐ。
「僕はもうっ、過ぎてしまったことだから」
「許さないけどっ、諦めるからっ」
「だから思い出して泣くなっ」
「何で一緒になって泣くんだよぉ」
 にこにこと微笑んだまま、宇宙人は静かに涙を流す。彼は声を上げて泣いた。
 全てを洗い流そう、そんな意図が働いていたのかもしれない。

「うん、もう宇宙人を否定しない。中々長生きしてたんだな、宇宙人。仲良くは出来ないかもしれないけど、精一杯は尽くすよ。僕だって宇宙人の所為でこう、なってしまったから」
 掠れた声を上げ、「とりあえず一緒に、お茶でも飲もうか」と彼は言った。
 一本の触覚をしおらしく下げた彼は、後に続く宇宙人のみよん、という答えを聞く。そして変わり身の早い宇宙人に対して、威嚇するように声を張り上げた。
「ちゃっかり人ん家の冷蔵庫の中身を把握してるんだな! しかも僕の秘蔵のオレンジジュースとコンビニの桜餅を消耗しようとは良い度胸じゃねーか! オレンジっていうセレクトから、僕の喉をよりいっそう痛めつける気か! そうか、そうなのか。だが断らない、振る舞ってやるよ! 振る舞ってやりますよ! こんちくしょー」
 斯くして彼は、宇宙人と共にいることを容認した。最初で最後の妥協だった。



〈おわります〉

 みよんみよん。
メンテ
宝物、魔王、爆発 : 壁の中の楽園 ( No.191 )
   
日時: 2012/08/15 23:47
名前: brain◆P3Wb.oVPT6 ID:pBkMVxRQ


――――
 ジュナは とてもまずしいかていに うまれそだちました。
 いえは きれいではないし まいにちの たべものも まんぞくにないけれど いっしょうけんめいはたらくおとうさんと やさしいおかあさんといっしょに しあわせにくらしていました。
 
 ジュナはうまれつきからだがよわく すぐにかぜをひいたり びょうきにかかったりしました。
 だからジュナは、あまりそとであそびませんでした。
 
 でも おかあさんがおうちでしごとをしているときには ジュナはそとへでました。
 そんなときにはいつも ジュナは だれもいないきょうかいにあそびにいきました。
 そこには ジュナのひみつのともだちがいたからです。
――――



 しんと静まり返った教会に、サンダルの足音が響く。
 白いワンピースの少女がひとり、教会に入ってきたのだ。

 無断で立ち入っても、咎める者も、迎える者もいない。この教会にいた神父やシスターたちは、戦争の煽りでみなこの街を逃げ出していたのだ。
 いまやこの空間は、白い少女、ジュナひとりのものだった。

 
 ジュナがこの教会に遊びに来たとき、決まって向かうのは、聖堂のすぐ隣にある展示室だった。
 ここには、教会が所有する多くの書物や絵画が展示されている。多くは宗教の教えを説くような説教くさいものばかりだったが、ジュナにとっては、そんなものは価値がなかった。
 ジュナはまだ難しい言葉や文章が読めないし、絵画に記されている宗教の意味も分からない。彼女はただ、そこに展示されている絵たちを見て、大人たちが想像しえないことを思い描き、楽しんでいた。

 ジュナのお気に入りの絵は、展示室の中でもいちばん端に追いやられるように展示されている大きな絵だった。
 背景は赤と黒の渦が禍々しく描かれ、無数の悪魔がとりまく中央に、悪魔の統領が君臨している。恐ろしい形相の銀色の仮面をかぶった騎士が、黒い悪魔の馬に跨っている様だ。
 ジュナはなぜか、無数の絵に描かれた天使や女神よりも、この絵のまえにやってくることが多かった。
 この絵画のタイトルは「Inferno」、破戒者が堕とされる恐るべき地獄を描いた作品だった。
 しかし、ジュナは恐れはしなかった。絵画のタイトルの単語の意味を知らないのだ。そのために彼女は、この絵と、その中央に描かれている魔王を「インフェルノ」と呼び、妙に親しんだ。

 ジュナは素直な子だった。母親が内職に勤しむ間は邪魔にならないように家を出る癖をつけていた。
 そしてきまってやってくるのが、この教会の、この絵画の前なのだ。
「インフェルノ、今日もお母さんは忙しいの。ここで遊ぼう」
 絵画に語りかける少女。もちろん、ただの絵画は返事など返すわけがない。
 しかし、彼女はそんなことを気にもかけずに、肩にかけていたバッグをひっくり返した。
 その中からは、どこから拾ってきたのかぼろぼろの紙と、小さくなったいくつかのクレヨンが転がり落ちる。
 ジュナはそれを拾い上げると、インフェルノの前で、一人静かに絵を描きはじめるのだ。 

 ジュナの紙に、次々と絵が描き上がっていく。

 彼女は手早く書き上げた一番最初の絵を、インフェルノに差し出した。
 黄色いシャツを着た青年の絵だ。
「この人はね、ファトにいさんっていうの。わたしのうちの近くに住んでいて、井戸の水汲みを手伝ってくれるの。だけどね」
 ジュナがちょっと肩を落とす。
「昨日、死んじゃったの。とっても悪い病気にかかったんだって、お母さんがいってた。ファトにいさんも、びょういんにいけなかったんだって、ジュナと同じだね」
 ジュナはインフェルノにしばらく絵を見せつけてから、その絵を傍に置いて、またクレヨンを手に取った。
 
 ジュナが次に書いた絵は、いくつかのチューリップの絵だった。
「これは、ジュナの家の前に植えていたお花。きれいでしょう。でも、ぜんぶ枯れちゃったの。わるい兵隊さんが、毒をまいたっていってた」
 ジュナの絵の中には、きれいな自然や、花や草木が描かれているものが多い。
 しかし、窓の外を見てみれば、荒廃した大地に灰色の空、ジュナの絵の中に描かれている美しさなど影も形もない。
 ジュナは書き終わった花の絵を傍にどけて、また次々に絵を描いていく。

 ジュナはクレヨンを操り、カラフルで楽しい、いろいろな絵を描いてはインフェルノに見せていった。

 一匹も見かけなくなった虫の絵も描いた。
 どこへ行っても鳴き声の聞こえない鳥の絵も描いた。
 青かった頃の海の絵も描いたし、木々が生い茂っていた森の絵も描いた。

 それは、絵の中にしかない世界だった。
 ジュナの描くものは、もうこの世界のどこにもないものばかりだった。


 いつしかジュナの周りにはたくさんの絵が散らばっており、ジュナのもつ白紙は最後の一枚になっていた。
 ジュナはその最後の絵に、たくましい男性の絵を描いた。
「おとうさんだよ」
 ジュナが両手に紙を持ち、インフェルノによく見えるように絵を掲げた。
 その絵の中の男性は、軍服に身を包み、突撃銃を手にしていた。
「おとうさんは、もうずっとお仕事から帰ってこないの。まえはときどき帰ってきてくれたのにね。でも、ずっと帰ってこない。お母さんに聞いても、何も教えてくれないんだよ」
 それが意味しているところを、ジュナはまだ知らない。

 ジュナはその絵を傍に置いて、今まで書いた絵を見回してから、急に大声で泣き出した。
 泣き声は、教会中に虚しく響き渡る。その声を聞き届ける者は誰もおらず、慰める者もいない。


 ジュナが立ち上がり、描いた絵を踏みながら絵画に歩み寄って、絵画の中の魔王を見上げた。
「ねぇ、わたしのたからものは、みんななくなっちゃったの。インフェルノはどこかにいったりしないよね? ずっとここにいるでしょう?」
 ジュナは何度も、絵の中にそう問いかける。魔王はただただ絵画の中で、天に向けて矛を掲げるばかりだった。
 返事をしてくれない絵画にがっくりと肩を落とし、ジュナは描いた絵をそのままに、クレヨンだけを片付けて去っていく。

 残されたジュナの絵は、壊れた窓から吹き込む風に飛ばされて、部屋の隅へと固まっていく。
 その場所には、もう既に、数えきれないほどの絵たちが山のようになっていた。


 時間が経つにつれて、ジュナの姿はますますみじめになっていった。
 食べ物が手に入らず、ジュナはいつも空腹だったが、母親の仕事が忙しくなり、度々絵画の前に訪れるようになった。
 どこから拾っているのか汚い紙だけは、あいかわらず持ち合わせているようで、絵画の前で絵を描く習慣はかわりない。ただし、彼女のクレヨンは次第に短くなっていき、とうとう、彼女のお気に入りの緑のクレヨンがちいさくなって、なくなってしまった。
 彼女はその日までに、他にも何色かの色をなくしていた。色がなくなったせいで、彼女は、花や草木を描かなくなった。

 そんなことを延々と繰り返すジュナとインフェルノの遊びは、ジュナが七つになるまで続いていた。
 そんな頃までに、残っているクレヨンはめったに使わない紫だけになってしまい、ジュナは絵を、線だけで描くようになってしまった。
 ジュナの絵が変わり、ジュナの世界が変わっていっても、教会の外の世界だけは、相変わらず荒廃の色を消すことはなかった。 








 

 その日、絵画の魔王はいつものように絵画のなかに佇んで、唯一の客人が来ないかと待っていた。
 教会の外は花火の音が鳴り響き、窓の外は絶え間なく閃光が行き来して騒がしい。魔王はこんな外の光景を百年も前に伺ったことがあった。村をあげての祝祭の時だった。
 しかし、今の外の様子は、きっとそうではないだろう。
 魔王はこの教会に途方もなく長い時間飾られており、外の様子というものを知らなかった。しかし、ある日突然この場所にやってきて、以降すっかり常連となった小さな女の子が、長い時間をかけて外の世界のことを教えてくれたのだ。

 魔王は外の事をすっかり察していた。この世界は泥沼の宗教戦争に侵されている。しょうもない科学力などというものを身につけながら、未だに神などという馬鹿げた思想を掲げて、殺し合いをしているのだ。
 健気に生きるジュナの話を聞くのはあまりに胸が痛いことだった。しかし、自分はただの絵画。話を聞いてやれるというならそれも自分の役割だろうと、魔王は常に、ジュナの言葉に耳を傾けていたのだ。

 ジュナはどうしているだろうか、こんなにも戦火がすぐそばまできていて、果たして無事なのだろうか。
 魔王はだんだん不安になって、ジュナがはやく無事な姿で絵画の前に来てくれないかと気を揉んだ。


 翌日も、その翌日も外の戦争は続き、ジュナは現れなかった。しかし、四日目の夜に、ようやくジュナが教会にやってきた。


 ジュナはふらふらだった。白いワンピースの脇腹が、赤い血で濡れている。そんな有様で、絵画の前までよろよろと歩み寄ってきて、しゃがみこんでしまったのだ。
 ジュナは目にいっぱい涙をうかべて、魔王を見上げてきた。

「インフェルノ、お母さんも死んじゃったよ」

 ジュナ自身、もう立ち上がる体力も気力もないのか、しゃがみこんだまま動こうとしない。

「インフェルノ、痛いよ。怪我したの。でも、治してくれる人はもう誰もいないの」

 ジュナの周囲に広がる血だまりが、絵画の下まで迫ってきた。ジュナはそれでも、青ざめた顔をあげて絵画を見上げてくるのだ。

「インフェルノ、もうなんにもなくなっちゃったよ。家もないし、クレヨンもなくしたの。わたしはどうすればいいの、これから、どこへいけばいいの?」

 ジュナが最後の力を振り絞って、絵画にしがみつく。絵画にジュナの血がいっぱいにこびりついた。ジュナはそのまま、絵画に訴えかけるように激しく揺すり

「インフェルノ、インフェルノがいるところは安全なの? ねぇ、わたしもそこへ連れて行って。ジュナ、こんな世界は嫌い。たすけて……イン、フェルノ」

 その言葉を最期に、ジュナは大きな咳をして、その場に倒れ、もう動かなくなった。



 ジュナは死んだ。まるで小動物か何かのように、あまりにあっけなく、死んでいった。
 何の罪もない一人の少女が、教会の中で、何一つとして救いもないまま命を落としていった。
 魔王が愛した少女が、神々のくだらない争いのおかげで、いなくなってしまった。 

 あんまりにも、残酷すぎる。

 絵画の中の魔王の仮面の目のところから、いっぱいに水が零れ落ちてきた。





 夜が明け、教会に冷たい風が吹き込む、そして、教会の中に響き渡る、悲しい咆哮。

 どこからか現れた黒い甲冑をまとった魔王が、教会の展示室に佇んでいた。
 血で濡れた足元には冷たくなった少女が倒れたまま。壁の隅には、彼女が思い描いた世界が埃をかぶっていた。


 魔王の咆哮が、再び教会に響き渡る。そして唐突に腰から剣を抜くと、室内にある展示物を次々に破壊していった。
 慈悲などと笑わせる、何の役にも立たない天使や女神の像を次々に斬り壊していき、剣が放つ業火が書物や絵画を焼き払っていった。
 展示室はすっかり炎に包まれた。少女の亡骸と彼女の絵はそれに焼かれ、その煙は静かに天へと昇っていく。
 
 
 魔王は教会の外に踏み出した。
 教会の外ではどこの国の兵士かもわからぬ者たちが、銃や大砲や、よく分からない火器を肩に下げ、防毒のマスクをして戦いあっていた。
 それらが一斉に、魔王の方に注目したのだ。魔王は三度吠え、愚か者たちに剣を振りかざした。
メンテ
出会い、宝物、始まり:シーラカンス・エレジー ( No.192 )
   
日時: 2012/08/15 23:52
名前: アリス ID:r2ieknV.

 

 悠久の前を歩める者たちに、ただ確信の別れを。





 樹海の奥に小さな、それでも深そうな池があって、そこにシーラカンスが泳いでいた。
 その姿はテレビでしか見たことがなかったのに、水面の向こう側に見えるその形を見た時、すぐにその名前が思い浮かんだ。こんな樹海の中の、小さな池にシーラカンス。不恰好で締りのない両者の結びつきに戸惑ったが、疲れていたこともあり、池のすぐ横にある乾いた岩に座ってその姿を眺めることにした。
 生きている化石、深海魚。そんなシーラカンスにとっては狭すぎるのかほとんど泳ぐことはなく、水中を動きもなく漂ってばかりのようだった。それとも、元来シーラカンスは泳ぐことのない魚で、水中に漂うだけの魚なのだろうか。そういった知識のない私にはよくわからない。そもそもなぜこんなところにいるのだろうか。私は膝の上に頬杖を突き、それを見つめながら思考した。それでも答えは見つからず、風を受け入れる木々の囁きや、鳥の鳴き声が右から左へと流れていくのを体中で感じるばかりであった。
「そんなに見つめられると恥ずかしいのですが」
 突然そんな声が聞こえ、私は頬杖をほどき辺りを見回した。誰だろう。随分近くで聞こえた気がするのに、周りには誰もいない。私を囲っているのは、見渡す限りの木の連鎖と唸る土と剥き出しの根、突き出した岩だけである。真昼のホラーだろうか。樹海といえばそういうことになるのだろう。真昼とはいえ薄暗く、普段触れることのない木肌の連結、重なり合う葉の織り成す緑の幕のような天井は禍々しく怪しいのである。声のする姿がないのだから、姿のない人の声。樹海であるのだから、それもありうるのかもしれない。
「こっちです、こっち」
 しかし再び声がして、今度は辺りに気を回していたからかはっきりと方向が掴めた。池である。すなわち、このシーラカンスの方向から聞こえたような気がしたのだった。私はシーラカンスに目を向ける。先ほどは側面をこちらに向けて悠々と浮かんでいたシーラカンスは向きを変え、表情のない顔をこちらに向けていた。尾ひれがふわりと揺れるのも見える。そして何より目に付く黒い瞳が、私をじっと見つめているようだった。
「……シーラカンス?」
「そうです。気付いてくれましたか」
 問いかけに、なんの躊躇もなく口を動かしたシーラカンス。声が耳元に響いた。混乱はしなかった。なぜシーラカンスが喋れるのか。水中にいるのになぜ私に声が届くのか。そんな疑問符は尽きて止まないが、その堂々たる態度に声を失くしてしまったのだ。ただ、私の足元の池にいる魚が喋った。そんな事実として処理されているような、受け入れがたいのに簡単に受け入れてしまう不思議な何かがあった。
「朝も早くからこんなところまで……何しに来たのです」
 シーラカンスはそう言った。少しだけ低い、成人男性のような声色をしていた。それでも無機質ではなく人間味があって、とても魚が発している声には思えない。しかし、シーラカンス――彼は自分の声だと肯定したのだ。言葉に迷ってばかりいたが、からくりの向こう側にある喋れるという事実だけを見ることにして、私はその質問に対応することにした。
「……実は、死体を探しに来たの」
「それはそれは。ちなみにどなたの?」
「友人……そう、友人の死体よ」





 得体の知れないシーラカンスに、私がここにやってくる経緯を説明した。
 ある日のこと、友人に手紙を渡された。ラブレターかと思ったけどそれはありえないと思った。友人は「家に帰ってから読んで」と言っていて、私はそれほど考えずに了解した。友人と私は同じクラス、同じ部活という他の友人とはまた違った関係にあった。
 言われた通り家に帰って手紙を読むと、私のことが好きであるということ、苦しいから死ぬつもりであること、この手紙を渡した日の夜には樹海に行くということが書かれてあった。最後には、ただ虚しく一言、別れの言葉を添えて。電話にも出ず、メールも返さなかった。友人の家を訪れてみたが、まだ友人は帰っていなかった。もうすっかり日は暮れていたというのにだ。
「それで、ここまで来たということですか」
 私は頷いた。
「それほどまでに、大切な友人なのですね」
 シーラカンスの包み込むような口調に考え込む。なのですね。私の気持ちに理解を示しているような、物腰柔らかな応答。友人が大事だとは言っていない。しかし友人のために樹海に赴くなんて行動は、やはり友人を大事に思っているからこそとシーラカンスは感じたのだろう。そうなのかもしれない。だが友人というのは誰にとっても大切なものだろう。友人はそんな一般的な友人だ。大事といえば大事。しかしそれ以上のことなど何もない。シーラカンスは私のことなど何も理解していないのである。私は唇を舐めて、シーラカンスの言葉に耳を傾けた。
「私もそのような人に、何度も会いましたよ」
「やっぱり、長い間生きているから?」
「それはそうですよ。この池からずっと、ここを通っていく人、死んでいく人を見てきました。それは何十年も何百年も」
 それはすごい。さすがは生きている化石と言ったところか。しかし生きている化石というのは、存在した時代と現在生きている姿が変わらないものを指すものであって、シーラカンスが長寿だから、何千年も生きられるから生きている化石と呼ばれているわけでなかったはずだが。シーラカンスにも死期はあるのだ。だとすれば、そんなに長い間生きていると漏らしたこのシーラカンスは一体なんなのだろうか。
 しかしいい話を聞いた。この池で常に通りすがり死んでいく人たちを見たのであれば、もしかしたら友人の姿を見ているかもしれない。探す当てもなくふらふらと樹海を動くつもりであった私には有力な情報源となろう。そのことをシーラカンスに伝えると、特徴を教えて欲しいと言われた。最後に会った友人は制服だったがそれは学校で会話したからであり、樹海に行く際の服装まではわからなかった。それでもお洒落に疎かったはずだから、普段と同じだと一か八か予想する。
 髪の色。歩き方。瞳。顔の雰囲気。服装以外の部分での情報をシーラカンスに教えてみる。細部まで覚えている自分に驚いている私もいた。頭の中の白い空間に、振り返って微笑む友人の姿。それを克明に口に出して描写する。しかし記憶の齟齬、瞬間瞬間で頭の中の友人の姿が移り変わることもある。着ている服が変わる。髪の長さが変わる。微笑みが変わる。こちらを見つめる瞳が変わるのだった。そうだった。私はそれほどまでに友人の表情と、姿と、そして様々な時間とを一緒に過ごしてきたのだ。だからこそ、きっと頭の中に友人は住んでいて、その姿をシーラカンスに教えるためだとしても、その姿をすんなりと思い浮かべることも可能なのだ。
 ……しかし、その回想を長く続けるのも良くはない。
 私が友人に関する情報をほぼ全て言い終えると、シーラカンスは口を開閉しながら黙った。なだらかな曲線を描く口元から、泡が湧き立ち水面に顔を出す。池の水は青い。シーラカンスの色は灰色のような茶色のような、掴みどころのない色をしている。
 それから少しして、シーラカンスは言った。
「見ました。昨日の夜、そのすぐ横を通りすがって行きました」





 友人は学校の制服を着ていたそうだった。
 しかし、私の学校の制服は黒い。夜の闇と比べれば明るいにしても、蛍光色に少しも踏み込まない見渡す限りの陰りの中で、黒い制服の人間など見つけ辛いにちがいない。友人の死に方はどのようなものだったのだろうか。樹海は自殺の名所と聞くが、実際どのような死に方をするのだろう。わからない。木に縄をくくっての首吊りか。それとも、薬だろうか。わからない。しかし、なるべく綺麗であって欲しいとは思った。その姿を私が見た時どう思うのかわからない。それでも、凄惨な姿など見たくはないのだ。それは私のためであり、友人のためでもある。
「確かに、このすぐ傍を通っていったの」
 私は問うた。私の座り込んでいる岩の後ろは確かに人が通りやすく、岩も根も大人しく平坦に伏している。ここを通って奥へ行くことは容易いだろう。そもそも私がこの池を見つけたのはその通りやすい道を進んできたからである。友人も――いや、ここへ死に訪れた多くの人たちもこの道を歩んだのかもしれない。
「はい。あなたのご友人は、確かにそこを通って行きましたよ」
「そう……参考になったわ。私はこれから奥へ行く。教えてくれてありがとう」
 随分長く居座ってしまった。なぜこんなところにシーラカンスがいるか。確かにそれは気になるが、今はどうでもいい。最初から全部探す気でいたのだ。ここを通りすがったという情報が聞けたのはよかった。ただそれだけである。不可思議であっても、ここでいつまでも立ち止まったままシーラカンスと話を続ける理由にはならない。私はお礼を言って息を吐き、そのまま再び探索を始めるつもりで立ち上がった。
「なぜ行くのですか」
 冷えた言葉だった。砂のついた後ろを払うための指が止まる。
「ただのご友人のために、わざわざここまで来られ、死んでいるとしても探すのはなぜです」
「……」
 それは痛い質問だった。背中を氷で撫でられたような、気持ちの悪い寒気。
 シーラカンスとの会話で、私の頭の中で何度も『わからない』を使った。全てを有耶無耶にしておけば、曖昧にしておけば――次の段階へ進むために必要なものさえ揃っていればそれでもいいと思っていたのに。シーラカンスがなぜここにいるか、なぜ生きているのか、なぜ喋れるのか。それらは全て、私が友人を見つけるという段階のために必要なものではないのだ。それと同じだ。私がなぜ友人を探したいか、なぜ友人程度のためにここまでやってきたか。そんなものはどうでもいいのだ。
 しかし動揺しているのは私だ。確かに動揺してしまった。理由など考えるべきではないのに。
 考えては駄目だ。
 冷静になれ、冷徹になれ。
「……友人なのだから、探したいと思うのは当然でしょう。馬鹿な魚ね」
「そんなことを問うているのではないのです」
 たかが友人に。友人と称すべき相手に。
 その程度の存在に、わざわざ尽くして樹海まで来るか。
 それだけを問うているのだろう。
 私はシーラカンスを見下ろした。変わらない表情。当然だ。ただの魚だ。しかしその表情が、さっきよりも詰め寄るように不気味に思えてくる。瞳に色はない。人間ではないのだ。人間の瞳のように、瞬間瞬間で心を映すものではないというのに。平坦な表情がなおさら私の心に迫ってくるのだった。それが嫌で、そっと目を逸らす私。樹海に転がっている適当な岩肌に目を無理やり押し当て、言葉を紡いだ。否定しなければ。否定しなければならない。
「……見つけてあげたいと思ったのよ」
「たかが、友人を」
 その差し迫った言葉は、どういう意味があるのだ。
 私はシーラカンスの言葉を拒絶するように、一切を黙らせるように強い口調で言い返す。
「たかが友人でも、大切であればそれでいいじゃない」
「それはもう、友人ではないのではありませんか」
 シーラカンスに目を向けた。
 違う。
 友人でいい。
 そのままでいいのだ。
 友人以上である必要などない。
 友人であればいいのだ。
 そう言おうとして口を開いたのに、言葉が出なくて、口を開け閉めして、息を吸い、奥歯を噛み締めた。
「私は見てきましたよ」
 やめて。
「見ました。何人も何人も。死に急ぐ人を」
 もう言わないで。
 それ以上の言葉を止めて。
「そして、その人を追い、恋しい人の死を追ってここにやってくる人を」
「やめてよ。もう、やめて」
 意識させないで。
 もう、意識させないで欲しい。
 友人でいいのだ。
 『友人』でいい。
 どこにでもいるような、私が今まで繋いできた友情の一つでいいのに。それならば、冷静になって探していられたのだ。ずっと言い聞かせなければ。友人だと言い聞かさなければ歩けなかった。友人という関係なのだ。それであれば、友人であれば、私は苦しく想う必要などない。友人の死に無頓着であっていい。友人の死を受け入れなくても、友人の死に悲しまなくてもいい。だって友人なのだから。たかが友人なのだから。数ある友人の一人が死んだ。それならば、涙を流さずとも生きていけるのに。
 恋しい人だと、意識しなければ。
 意識さえしなければ……。
「好きだったのでしょう」
 それでも、シーラカンスの言葉は続いた。
「恋し、愛していたのではないですか」
 もう、言わないで。
 恋を知れば、想いを知れば、歩みは止まってしまう。
 言い聞かせたのだ。
 自分の言葉も、自分の心の中も、シーラカンスとの会話も……全部全部、『友人』と称すれば逃げられると思ったのに。自分の気持ちに嘘を吐けば、探すためにふらっと家を出た時も、探している最中も、全て冷静でいられたのに。友人だ。友人だ! そう呼ぶことは、逃げることであったとしても自分を保つことだ。友人であれば、その死に泣き叫ぶ理由なんてなくなるんだ。私の心の奥の奥、くすぶったように疼く気持ちは無視しなきゃ駄目だったんだ。そうでなければ、きっと私は壊れていたんだ。
 手紙に添えられた『好きだった』という文字面に心が躍ったのは誰だ。その瞬間に唇が震えて、紙をなぞる指や声も一緒に宙に舞った様な開放感に襲われたのは誰だ。
 そして、死ぬという文字に、一瞬で叩きつけられたのは誰だ。
 手紙を落として、崩れ落ちて、まるまる数時間ショックで固まり続けたのは。
「っ……」
 友人の……あいつの顔が浮かぶ。
 そのために、ここまでやってきたのは……私だというのに。
 心を偽って、心の底に沈めてきたのに。
 嘘を吐き続けられなかった。
 偽れなかった。
 結局私は――。


 私は膝を突いて、声を上げて泣いた。
 愛しい人の名前を読んで、みっともなく泣いた。
 
 





「さよなら、シーラカンス」
 私は数歩だけ歩いて、シーラカンスに振り返った。
 この魚がなぜここにいるのか、なんとなくわかった気がした。あいつもシーラカンスと話をしていたら、歩みを止めて私の元へ帰ってきたのかもしれない。そんな風に思った。
 なぜあいつが死を選ぼうとしたのか、わからない。本人に聞かなければわからないだろうし、推測ばかりでは答えに行き着くことはありえない。しかし、その本人はすでに死んでいるかもしれないのだ。今はすでに死体と化し、この樹海のどこか暗がりで静かに倒れているのか。それとも首を吊り、微かな風に縄を震わせながら揺れているのか。どちらにしても、私は大声を上げて泣くのだろう。それは『友人』の死ではなく、気付くのが――いや、気付いていたのに認めなかった、拒絶し続けた『恋しい人』の死だから。
「何処へ行くのです?」
「もちろん、好きな人のところにね」
「……さようなら」
「ありがとう、長生きしなさいよ」
 シーラカンスは悟ったのだろう。
 私があいつの死体を見つけた時、どのような選択を取るのか。
 それが、ある意味で望まれない選択でも。
 それでも、私はそれでいいんだと思う。
 私が、そうしたかったんだから。
 それが、心の奥で望んでいた想いだったから。





 そして、私の前を歩む者たちに、安らかな眠りの歌を。


 


(了)
メンテ
さくら、ジュース、毒:カニクリームコロッケ戦争 ( No.193 )
   
日時: 2012/08/15 23:59
名前: 朔乱 ID:whLMJ2Rw


 ユタヒア王国の王都はいつもより慌ただしかった。隣国マイフェニア王国から王女様が来たからだった。ユタヒアの騎士や将軍は王女様になにかあってはいけないと、貴族や家臣たちは王女様の機嫌をそこねてはいけないと、朝からバタバタとしていた。

 王都に住む庶民たちも例外ではない。将軍や家臣たちは政治的な意味もあって慌ただしかったから、庶民たちの慌ただしさとは全く同じというわけではないが、騒がしいのには変わりがない。
 王都の外れにある酒場でも王女の話題で持ちきりで、昼間から酒に酔ったゴロツキ共が「姫様のきめ細やかな白い肌を俺の不精髭で真っ赤にしたい」「姫様の胸の重さはどれくらいだろう」などと勝手なことを言っていた。


 その酒場の隅っこに二人、変態がいた。

「俺はだな。ミーア王女の手の甲に口付けをしたことがあるんだ」

 旅人の格好に短剣を下げた男は自慢気に言う。この男の名前はアトラス。元々はマイフェニア王国でミーア王女の護衛を任された騎士隊長だった。しかし、王女を愛するあまりに護衛とストーカーの区別が付かなくなり、王城を追い出された。今は旅人のフリをして、こっそりと王女を追いかけ回す生活をしている。


「はいはい。その話は何度も聞きました」


 うんざりとした様子で言葉を返す小柄な男も旅人の格好をしている。この男の名前はロベルト。元々は田舎の農家の生まれで家庭も裕福ではなかったが、地元で戦争が始まるとその血に飢えた本性を表し、各地で虐殺に近い戦闘を繰り返した。ところがアトラスに出会ってからはその全ての感情を王女へと向けている。今はアトラスの従者として、アトラスと共に王女を追いかけている。従者であるロベルトがアトラスへの礼儀がないのはアトラスをただの旅人に見せるための偽装と「ミーア王女を愛する兄弟に上も下もない」というアトラスの意志からである。

「しかし、ユエルのやつはまだ来ないのか?」


「遅いですねぇ。今回はあいつだけがいい思いをしてるからなぁ。さっさと戻ってきて土産話でもしてくれないと、旨い酒が飲めないってやつですよ」


 二人は冷静を装いつつも、身体を忙しく揺らして酒場の出入り口を見つめる。ユエルがやってきたのは丁度そのときだった。ユエルはすぐに二人を見つけると、どこかからイスを持ってきて座った。

「ごめんごめん。遅くなったよ。いやぁ、楽しかった」


 ユエルは太っているわけではなかったが、実践的で引き締まった筋肉を持つアトラスやロベルトと比べるとだらしなかった。
 それというのも、ユエルは元々土埃にまみれる生活とは無縁だったからだ。ユエルは王立魔法学校の准教授だった。

 十六歳のときに史上最年少准教授となり、最近では教授就任の話も出ていた。ところが、ユエルは王女に一目ぼれをした。それからはあらゆる魔法の知識とセンスを使って王女の「研究」に没頭するようになり、気が付くと学校には自分の居場所がなくなっていた。そんなときにアトラス達と出会い、ともに行動するようになった。

 今回の王女の遠征では魔法を上手く使い、王女の荷物を運ぶ人夫として王女の行列に紛れ込んでいた。

「それで、どうだったんだ」

 ユエルが席につくとまもなくアトラスが詰め寄った。

「残念だけど、ミーア王女の私物は運ばせてもらえなかったよ。だけど、ミーア王女の乗る馬車の少し後ろにまではこれたんだ。あぁ、王女様を通り抜けた風が自分に浴びせられると考えると……今でもにやけてしまう」

「くそぅ、なんと羨ましい。それで、王城にも入れたんだろう?」

「うん。それで夢中になっちゃって、遅くなったんだ。食料庫にも入ったよ」

「俺は王城という場所に入ったことはありませんが、そんなにうろうろできるんですかぁ?」

「ふふふ。私の魔法と、王女への愛をなめてもらっては困るよ。ところで、食料庫に珍しいものがあったよ。なんだと思う?」

「食料庫か。つまり今晩のディナーで出されるものだな。王女様の好物はキウイとレタスと浅漬けだな。この中で珍しいものというと、やっぱりキウイか?」

「はずれ。なんとね。カニがあったんだよ。すごいだろ? カニだよ。あんな高級食材を用意するなんて、ユタヒアもよっぽど王女様に好かれたいらしい」

「なんだと、カニだと!?」

 アトラスは急に立ち上がると、大声を出した。突然のリアクションに流石の二人も驚く。

「いやいや。そりゃあ、俺はカニなんて食べたことも見たこともありませんけど。そこまで驚くことですかぁ? 王国なら、それぐらい用意できるでしょ」

「いや……違うんだ。ミーア王女は、王女は……カニアレルギーなんだ!」

「なんだって。そんなこと初めて聞いたよ!」

 聞いて二人も青ざめる。王女がカニアレルギーだということは長年研究をしてきたユエルでもしらないことだった。

「昔一度だけ、王女様が召し上がったことがある。その時は三日三晩寝たきりになった。カニなんて滅多に食べるものじゃないからな。その時もただの体調不良として扱われて、知っているものも少ない」

「でも、毒見役はいるんですよね? いくら知っている人が少ないとはいえ、毒見役なら知っているでしょ」

「いや、それが……」

 ユエルが唇を震わせながら言葉を発する。二人は目を見開いて、早く言えと合図した。

「シェフが楽しそうにホワイトソースを仕込んでいた。揚げ物用の大きな鍋も用意さていたよ」

「おい、まさかそれは……」

「あぁ、今夜のディナーはカニクリームコロッケだ」

「そんな馬鹿なぁ!」

 三人は一斉にテーブルを叩いた。グラスがはね、客の目を引くが三人は気が付かない。

「クリームコロッケにカニが入っているかどうかは、言われなければなかなか気が付かない。ましてや、高級食材であるカニが潜んでいるとは夢にも思わないよ。私は医療分野には詳しくないけど、アレルギーの恐ろしさは本で読んだことがある。最悪、王女様は命を落としかねないよ」

「でも、どうしてカニなんか使おうとシェフは思ったんでしょうね」

「おそらく枢機卿だ。今、マイフェニア王国の内政はよくない。何かしらのイチャモンをつけてユタヒア王国と戦争をしようっていうんだろう。王女様の訪問に枢機卿がついてくるなんておかしいと思ったが、そういうことか」

「王女様を政治の道具にするなんて、許せないですね。コロッケの具にしてやりましょうか……!」

 悲しみから一変、三人は殺気立つ。それでもユエルは冷静だった。

「まずは王女様の安全を確保しないと」

「あぁ、そうだな。それにはまず王城に忍び込む必要があるが……うむ、それはなんとかなりそうだな」

「そうですか。じゃあアトラスに任せましょうか。次はどうやってカニクリームコロッケを王女様に食べさせないようにするか。ですね」

「私たちが食べてはいけないと言ったところで信じてもらえるかどうか……」

「無理だろうな。こういうのはどうだ? 王女の飲み物をこっそりとお酒にすり替える。王女はお酒が弱いから、一口飲んだだけで眠ってしまわれるだろう」

「お酒……いい案かもしれませんが、愛する王女に毒を盛るようなこと、私はできません」

「だが、酒に酔い乱れるミーア王女をみたいとは思わないか」

「なるほど、それはみたい!」

「なんて破廉恥なことを言っているんですか!」

「ミーア王女の外見しか見ていない愚か者は黙ってろ!」

「黙りませんよ! 王女は心の芯から溢れでる清楚さが美しいんです。酒に心を蝕まれた王女など見たくはありません」

「なるほど、それも一理ある」

「なっ!? ユエル、貴様裏切ったなぁ!」


 ☆


 ユタヒア王城の東門。ここは物資を運ぶのに使われる門で、他の門よりも地味だったが、一番大きな門だった。今日はマイフェニア王国の王女がやってきたせいで、いつもより出入りが多く、門番は疲れきっていた。

 今はもう王女の荷物は全て城の中に入り、落ち着いている。そこへ荷車がやってきた。

「こんばんは。お疲れ様です」

 荷車を引く男は愛想良く門番に挨拶をする。それから、慣れた手つきで王女の使いであることを示すカードを門番へ見せた。門番はそれに照合機にあてて、本物であることを確かめる。

「随分と遅い到着だな」

「はい。アルンブルグ公爵が遠出をする王女様のために、急遽自領のりんごジュースを用意されたのです。王女様はこのジュースが大好きなんですよ」

 男はそういいながら、アルンブルグ家の使いを示す紋章の入った証明書を見せる。こちらも本物だった。

「もしや、そのジュースは「ミーア王女の搾りたてアップル」じゃないか?」

「えぇ、そうですよ。はい、どうぞ。王女様はこのジュースが世界中に広まるようにと、出会った人にプレゼントするよう言いつけられています」

 男はビンのパッケージをよく見せてから、門番に渡す。

「おぉ! これは嬉しい。このジュースの噂はユタヒアにも届いている。一度飲んで見たかったんだ。ありがとう。王女様にもお礼を伝えてくれ」

 男は深々とお辞儀をすると、愛想のいい笑いを浮かべながら門をくぐった。門番は荷車を見送ったあと、有難そうにジュースを飲むとすぐに眠ってしまった。

「なんとか入り込めたようですね」

 荷車の中に潜んでいたロベルトとアトラスは顔を出す。

「まだ門をくぐっただけだよ。これからが大変だ」

「しかしジュースといい紋章といい、どうやって手に入れたんですか?」

「ジュースは我が家に常備してあるのをお前も知っているだろう? あれをユエルの転送魔法で持ってきた。紋章は俺が昔使っていたやつだ」

「え、このジュースはアトラスのとこで作っているんですか?」

「俺の叔父が作っているんだ。まぁ、俺はもうアルンブルグ家の人間じゃないけどな。いつか使うだろうと思って紋章だけは持っていたんだ。ところで転送魔法が使えるなら、それで俺たちを城の中に運べば良かったんじゃないか?」

「それはできないんだよ。城の中はどこも魔法探査機がしかけられているんだ。簡単な魔法なら偽装できるんだけど、転送魔法は最近私が発見した高等魔術だから、偽装は難しいんだ」

「やっぱりユエルはすごい人なんですね。何を言ってるのかさっぱりですよ」

「因みに、転送魔法を見つけたことを祝う席で初めて王女様に出会ったんだ」


 ☆

 それから三人は城中を歩き回り、睡眠薬の入ったジュースを配った。

「よし、もういいだろう。予定通り、ユエルとロベルトはできる限りの証拠を集めてくれ。俺は王女がカニクリームコロッケを食べないように時間を稼ぐ」

「結局、アトラスがおいしい役だよね」

「さっさと終わらせましょうよ」

 三人は食堂で集まることを約束すると、別れた。


 ☆


 食堂ではマイフェニアのミーア王女と枢機卿、ユタヒアの王族たちがディナーを始めようとしていた。すぐにシェフが腕によりをかけたカニクリームコロッケが出される。

「まぁ、コロッケね。中身は何かしら?」

「中身は食べてからのお楽しみということでございます。ミーア王女」

 料理を運んできた男は深く頭を下げたまま、丁寧に答える。

「そう、なら少し下品ではあるけれど、切らずに食べたほうがいいのかしら。そう考えると、このコロッケが少し小さいのも意味があってのことなのね」

 予算の問題から材料のカニが少ししか手に入らず、そのためにサイズが小さいことなど、王女は気がつかない。カニクリームコロッケをまるごとフォークで刺し、小さな口を開ける王女を、枢機卿が不気味に見つめていた。

「ミーア王女。そのコロッケを食べてはいけない!」

「なんだお前は!」

 アトラスが食堂の扉を蹴破って入ってくる。自分の呼びかけによって、目を丸くしてアトラスを見る王女に胸が高鳴る。

「お前は……アトラス・アルンブルク。危険人物だ。すぐに追い出せ!」

 枢機卿の言葉を聞いてユタヒア王は衛兵に指示をだす。衛兵たちは数でアトラスを抑え込む。

「ミーア王女。ご無礼をお許しを。ですが、どうか聞いて下さい。そのコロッケには……」

「ミーア王女! 覚えていらっしゃいますか。アトラス・アルンブルグ。以前王女の騎士隊長をしていたものですぞ」

 枢機卿は汗をかきながら、アトラスの言葉が王女に聞こえないように割って入る。

「アトラス……あぁ、あの変態の。こんなところまでつけてきたのね。恐ろしい」

「ミーア王女、決して彼の言葉を聞いてはなりませんぞ。さぁ、飲み物を飲んで、コロッケを食べて、気を沈めましょう。大丈夫です。アトラスはユタヒアの衛兵がすぐに連れ出すでしょう」

 王女はコクリと頷き、りんごジュースを飲む。そして、フォークに手をかける。

「王女おおおおお! 好きだああああああ!」

「流石にこんな状況では何も食べられないわ。飲み物を頂戴」

「チッ……まだ手こずっているのか」

 枢機卿はアトラスのほうを見て一瞬険しい顔したあと、すぐに柔和な表情に戻って王女のグラスにジュースをつぐ。
 アトラスは衛兵たちに押しつぶされていた。

「光よ。汝の輝きをもって全てを白に染めよ!」

 突然カメラのフラッシュのような光が部屋中を満たす。突然の光に脳が驚き、そこにいる全員の思考が止まった。

「あぁ、恍惚としたミーア王女も可愛らしい」

 全員がポカンとしている中で、ユエルが一人幸福感に浸る。

「おや、アトラス。君は男と抱き合う趣味があったのかい?」

 ユエルに呼ばれて、衛兵たちと絡み合った状態になっている自分に気がつく。

「馬鹿を言うな。俺はミーア王女にしか興味はない。ところで、証拠はもう見つかったのか?」

「もちろん。枢機卿、あなたの部屋からミーア王女の診断書と漁師との取引が書かれた帳簿を見つけました。どうやら、カニはあなたが用意したみたいですね」

「何をデタラメなことを。私の部屋にはちゃんと鍵も封印もかけてある。入れるはずがないだろう。王女、聞いてはいけません。あいつらは王女を我がものにしようとしているだけなのです」

「貴様のようにもの扱いなどしない。もっと大事にする! それと、部屋の小細工についてだが、あんなものは私の愛の力にかかれば一瞬で破壊できる」

「おいまてユエル。お前今、診断書って言ったか?」

 アトラスが真顔で割って入る。ユエルは勝者の余裕を見せる微笑を浮かべた。

「あぁ、診断書だ。大丈夫。もう全て暗記したから」

「そういう問題じゃ……! いや、そういう問題か。ふむ。後で写したものをくれないか?」

 ユエルは胸を張って親指を突き立てて答える。アトラスも同じようにして、感謝の気持ちを伝えた。

「まって。あなたたちは一体何の話をしているのでしょうか?」

 王女は首を傾げる。その姿に二人は魅了され、舌が回らなくなってしまった。

「そこにいる枢機卿が、このシェフにカニクリームコロッケを作らせたんですよ。王女様」

 シェフを担いで、決めポーズを取りながらロベルトは言う。しかし、緊張して王女を直視することはできず、床を見ていた。

「そんな……。本当なの!?」

「ミーア王女、あんなやつらのことを信じてはいけません。ほら、何をしている! さっさとこいつらをつまみ出せ!」

 衛兵たちが三人を取り囲む。増援が来ているのか、部屋の外からたくさんの足音が響く。

「へへっ、こりゃあ、久しぶりに暴れるしかないみたいですねぇ」

 ロベルトは凶悪な笑みを浮かべて、愉快そうに話す。アトラスは短剣を抜いて心を落ち着ける。

「あぁ、そうだな。だが、忘れるなよ。誰の血であろうと、ミーア王女には一滴も見せない!」

 二人は宣言通り、誰の血を流すこともなく敵を倒して行った。その戦いの中をうまくすり抜けて、ユエルは王女のところへと向かう。ミーア王女の騎士が立ち塞がった。

「待て、それ以上近寄るな!」

「あなたたちがミーア王女の騎士ですか? それにしては、愛が足りない」

 騎士六人全員の足元に魔法陣が浮かび上がる。騎士たちが気がついた頃にはもう遅かった。

「消えなさい」

 ユエルが指を鳴らすと魔法陣に穴が空き、騎士たちは落ちていった。それを怯えた目で見る王女にユエルは笑いかける。

「安心して下さい。マイフェニアの地下牢へと送っただけです。普通の魔法使いでは一人を百メートル転送するのがやっとでしょうが、ミーア王女への愛に溢れた私なら、数十キロ先に六人を転送することぐらい簡単です。さぁ、こちらにきてください。ミーア王女に危害が及ばぬよう、結界を張ります」

 ユエルは王女を部屋の隅にまで連れてくると、結界を張った。結界は攻撃を防ぐだけでなく、外からも中からも見えないようになっていた。
 結界の中はユエルと王女だけになる。ユエルは結界を張り終えると王女の視界に入らないように数歩下がり、声が出ないように注意してから

「密室きたあああああああ!」

 叫んだ。

「アトラス。ユエルがぁ!」

 ロベルトが慌ててアトラスに報告する。アトラスもそれを確認して焦る。

「クソ、あいつめぇ……だが、これで手加減しなくて済む。さっさと終わらせるぞ!」

「あぁ、でも。二人っきりだなんて……何か間違いでも起きませんかね?」

「今は仲間を信じるしかない! ミーア王女の騎士隊長というものを見せてやる」

 アトラスは剣を突き上げると、身体中に炎を纏った。怒りと嫉妬で燃え盛るその炎は、王城を焼き尽くす。


 ☆


「終わったみたいですね。あーあ。これはまた派手にやっている。修復魔法をかけるので、もう少しそこで待っていてください」

 ユエルが結界から出て、一分もしないうちに結界は解かれた。焼け焦げた王城は全て元に戻っていて、食卓に並ぶ料理もカニクリームコロッケ以外は全て元通りだった。
 そして、王女は縄で縛られた枢機卿を見つける。

「この男はマイフェニアとユタヒアの戦争を望み、ミーア王女がカニアレルギーだということを知っていてわざとシェフにカニクリームコロッケを作らせました。ミーア王女、この男をいかがなさいましょう」

 枢機卿は必死に首を振って王女に訴える。しかし、王女の目は冷たかった。

「形はどうであれ、この三人の愛は本物であると、わたくしは感じました。三人の無礼は決して喜ばしいことではありませんが、わたくしは、三人の言うことを信じます。この男を父上の元へ送りなさい。処分については父上にお任せします」

 ミーア王女の手紙と共に、枢機卿は転送魔法によってマイフェニア王のところへ送られた。
 アトラスが口を開く。

「ところでミーア王女。実は、私たち、少し……いや、かなりやりすぎてしまいまして。その、ここ、制圧してしまいました」

「どうして謝るのです? 褒め称えるべき武功ではありませんか。あなたたちには本当に感謝致します。なにか、わたくしにできることでしたら何でも言ってください」

「それでは、私と結婚してください!」

 三人は声を揃えて、上ずりながら叫んだ。王女は軽く微笑する。

「それはできません。ですが……」

 王女はぐいっと顔を近付ける。王女から出るいい匂いが三人の顔を真っ赤にする。

「わたくしの奴隷になりたいと言うのなら、考えてあげますわよ」

 王女は囁いた。


 ☆

 こうして、三人の活躍により王女の命は救われ、ユタヒア王国はマイフェニア王国の領地となった。これを、カニクリームコロッケ戦争という。
 また、物語としても大変人気があり。
『王女の命を狙おうとする枢機卿と隣国の王子を三匹の犬がやっつける」
 というおとぎ話は大変有名である。
メンテ

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