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[4993] 【2016年度】お題小説スレッド【お題「去る」作品投稿期間】
   
日時: 2016/01/12 23:57
名前: 企画運営委員 ID:7PNV346o



『お題小説スレッド』へようこそ。こちらはあるお題に沿って読みきり小説を書き、その作品をみんなで批評し合う場です。
 初心者も上級者も関係ありません。うまくなりたいとお思いの方であれば、だれでも自由に参加することができます。一生懸命執筆し、一生懸命批評して、小説の技術を高め合いましょう。
 皆様のご参加をお待ちしております。

――――――――――――――――――――

>>002 【ルール説明】:必ず熟読して下さい。(※内容、一言の箇所を訂正しました。ご確認ください)
>>003 【批評のポイント】:批評をする際のポイントをまとめたものです。
>>004 【イベントルール説明】:イベントに関するルールです。必ず熟読してください





▼お題:第32回のお題は「種」です。
 二月に種をまくのか? と思いましたが、調べてみるとじゃがいもは二月にまくそうですね。……さらに調べてみると一年中、なにかしらの種をまいてるみたいです。
 そんなことは置いといて。「種」というお題には「たね」以外にも色々な解釈があると思います。みなさんがどのような作品を投稿してくるのか、楽しみにしております。
※第30回の作品投稿期間は2月1日(土)からです


▼お題:第33回のお題は「姫」です。
 三月なので(笑)
 というのはよくわかりませんが(ひなまつりだから?)「ひめ」というのは可愛らしい語感ですよね。私は緑の黒髪をした和服姿が思い浮かびます。桃色が似合いますよね。桃色……やはりひなまつりでしょうか。それでは、みなさんの作品お待ちしております。
 
※第31回の作品投稿期間は3月1日(土)からです


▼お題:第34回のお題は「嘘」です。
 嘘でした。


▼お題:最終回のお題は「魔法」です。
 奮ってご参加ください。


▼お題:第36回のお題は「友情」です。
 ネタでした。


▼お題:第37回のお題は「音」です。
 奮ってご参加ください。



▼日程(第32回)

1月1日       :お題発表
2月1日〜15日   :作品投稿期間
2月16日〜28日  :批評提出期間


▼日程(第33回) 

2月1日     :お題発表
3月1日〜1月15日 :作品投稿期間
3月16日〜30日 :批評提出期間


▼日程(第35回) 

6月1日     :お題発表
6月1日〜7月31日 :作品投稿期間
8月1日〜   :批評提出期間



▼注意もしくは削除対象となるお書きこみ
・荒らし
・荒らしへの反応
・自分や他人の小説の宣伝
・雑談、チャット化
・ルールに反するもの
・管理人が不適切と判断したもの

――――――――――――――――――――

>目次 >>001


>第32回 お題『種』参加作品(敬称略)

>>404 sakana:シロハの辻褄
>>405 伊達サクット:赤い種、青い種

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▼リンク
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管理人:If 空人 朔乱  補佐:伊達サクット
メンテ

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雪の檻、公園の子供 ( No.234 )
   
日時: 2012/11/20 16:33
名前: 白黒黒白 ID:Fn1A4Crk

雪の降る夜の、ある公園で起きていた一幕の舞台裏。

その公園の南出入り口にはバス停車場がある。
元々その公園があった土地は金持ちの別荘になる予定だったとか、児童達の為にと熱血系教師が市に掛け合ったとか、特に謂れ何て無くて時と場所が一致しただけだからとか、少し考えれば色々と思いつくけれど、そこにバス亭がある本当の理由は公園で遊ぶ子供達もバス停で立つ大人達も誰も知ろうともしない。
そんな歴史と経済が混ざった非常用な知識よりも、最近では公園から飛び出した子供がバスに追突される事故が多発していると道行く人に言い触らしている看板の警告文の方が頭に入り易いのだろう。
公園のベンチに座る青年もそんな退屈な人達の一人で、彼もまた公園とバス停が隣り合って設立している理由なんてそっちのけでバスを待っていた。公園南側、夏なら木陰が出来る位置にあるそのベンチからは一時停車したバスに乗り込むなんて容易い事だ。少し疲れたので、座って待っている。
バスが来るまで五分ほど時間が余っている。身嗜みは終わっているので他にする事が無い。胸元に置いた、人の頭一つ分程の鞄には暇潰しの本や携帯ゲーム機なんて入れなかったし、一番近いコンビニに行って何かを買って戻って来れるくらいの時間的余裕は無い。だからバスが来るのを待つしかない。冷えていく身体に待ったを掛けるのは酷だが辛抱をするしかなかった。

鼠色の空から雪が降っている。空色のシーソー、三原色の滑り台、檜色のアスレチック、どの遊具にも圧し掛かっていて、子供の眼を引く派手な一面は全て真っ白で味気無く塗り潰されている。
夏には燦々と輝いている公園は、まるで別世界のよう。幼い感性はそれを敏感に感じ取っているのか、自分達のよく知る憩いの場ではなくなった冬の公園で遊ぶ子供は居ない。
御蔭で冬の間はバスによる児童追突事故は無くなるのだけれど、代わりにスリップしたバスが公園に突っ込んで整備した土地を滅茶苦茶にする事件が起きるのだ。しようがない。そうなれば時間は無意味に消費されるのは当たり前で、だからバスを待つ青年は、せめてバスの運転手が雪で目が潰されないような間抜けでないようにと神に祈っていた。

深々と雪は落ち続ける。祈りは済んでもバスは来ない。

少しして北側、公園の敷地を横切って中年がやってきた。やや早足気味に青年が座るベンチまで歩み寄って腰を下ろし、偶然にも色形共に全く同じ型の鞄を足元に置く。意識的に距離を置いている。二人の間には見ず知らずの他人である以上の眼には見えない深い溝があるようだった。
両者とってはそんな筆舌し難い間隔は慣れたものなのか或いは反応して威嚇するだけの気力が無いのか。兎にも角にも互いの無礼を怒ろうとはしない。だが体力の有り余る若者にとっては疲労よりも退屈の方が難敵なのか、寒さと時間で固まっていた心を弾ませて暇を潰せる相手に柔らかな声を掛けた。

「雪が降っていますね」
「えっ…えぇ、そうですね」

声を掛けられるとは一切も思っていなかった事が分かる素っ頓狂な返答。

「僕が小さなかった頃は雪が降っていたら皆で外に出てハシャいでたものだったのですが。今はそうではないようですね」

気にも留めず銀色の世界へ向けて幼き頃の想いを馳せて一言。
等と言われても中年は答えに窮しているようだ。急かされているわけでもないのに何故かちゃんと答えなければならないと使命感が出てきて、余計に頭から平凡な答えを遠ざけている事に気付かない。少しして、ようやく答えを絞り出す。

「最近のゲームはインターネットの回線を利用して外国に居る人とも対戦が出来るようになっているらしいですよ。だから家に居ても満足出来るまで遊べるんでしょう」
「はァ、成程。子供は風の子というのは、もう昔の話というわけですか」
「新型のインフルエンザが流行っていますし。親御さんとしては自分の子供を外で遊ばせたくないのでしょう」
「最近のテレビは何かと健康を持ち上げていますからね。時代の所為でも有りますか」
「決して悪い時代ではないでしょう。親が子を心配するのは当たり前です」
「そう、ですね。悪い事ではないのでしょうが…、冬の、あの喧しい声が聞こえないと言うのは、ちょっと寂しいです」
「貴方は子供も好きなんですか」
「元気を分けてもらえるような気がするので。貴方は。子供はお好きですか」
「私は余り好きではありませんね。仕事柄、子供の相手はよくしますけど、そういった感情を抱いた事は」


話の花が打ち切られまた無言になる。中年は上着を叩いて纏わりついた雪を払い落とす。ばらばらと落ちて行く小さな雪を傍で青年がつまらなそうに見ていた。遠くから救急車が声高に鳴らすサイレンが聞こえたけれど、五体満足である二人にとってはどうでもいい事で、無感動に受け流し退屈そうに無機質な空から視線を下ろす。
老いた方が腕時計を見た。バスが来るまでの時間はまだ余っている。これではバスが来るまで風邪をひいてしまうではないかと不安になって憎々しげに溜息を吐く。多少の鬱憤は吐き出してまた吸い込んだ。
無限のような降雪と時間の重みに疲れているようだ。だが若い方は新しい話の種を求めて辺りをキョロキョロと見回している。辺り一面が銀色に覆われた世界は綺麗ではあるけれど面白味が無い。せわしなく視界を回転させていると北側の出入り口の向こうから水色の車が通り過ぎたのが目に入り。

「あッ」
「どうかしたんですか」

思わず立ち上がった。余りに突然で傍に座っていた中年も驚いたような顔で見上げている。
言葉を掛けられて青年は冷静になったようで座る。それから自分の行動を恥ずかしそうに微笑みながら。

「いえ、知り合いが通り掛かったような」
「もしかして恋人の」
「気のせいでしたけれど」
「向こうはどうなっていましたか」
「だから気のせいだと」
「話して下さいよ」

話す気分になれない事を無言で訴えかけても燦々と輝く好奇の視線で返される。粘りっこく、離せそうにない。先程までの厭世的な顔は一体どこへ行ったのやら。いや、或いは、だからこそ身近な他人に対しては執拗になれるのか。
空気読めよ鬱陶しい。落ち着き済ませた中年には好色な笑みをが浮かんでいる。どうして一定の年齢が過ぎた人間と言うのは自分の恋愛事になると枯れ木のようになる癖に、他人の事となると鴉のように貪欲になるのだろうか。自分も将来そうなるのかと思うと気分も沈んでいく。

「何もありません。ただ通り過ぎただけなんです」
「本当にそれだけなんですか」
「本当です。そもそも僕と彼女はもう他人なんです。何かする訳が無いじゃないですか」
「何と言って別れたのですか?」
「他の男に浮気していたもんだから思い切り怒鳴りつけてやったんだ」
「ほう、それはそれは」

やや興奮気味に獰猛な微笑みを見せ掛けて一瞬で正気に戻り改める。目尻の下に取り憑いた雪を拭って水滴が指を這い落ちた。それまでの表裏の無さそうな人懐っこい顔皮は一転、疑い深く相手を見つめる狐になる。必死に自分の尻尾は隠しているようだけれど鴉はゴミ袋の中でも好物を見つけ出す嗅覚を発揮してニヤニヤと笑っている。

「穏やかではありませんね」
「穏やかじゃありませんでしたからね。僕も彼女も」
「けれどまだお互いに納得がいっていないと。思わず幻覚にも見ちゃう程に」
「好い加減にしてください、怒りますよ」
「失礼。仕事柄、人の話を勝手に進めてしまうので」

等と仰るがどう見ても純粋な好奇心で歪んでいる。その薄汚さに湧き上がった殺意を焼べつつもバスが来る前に目の前の男の鼻につく態度を砕いてやろうと思った。
周囲を見る。雪の銀幕は自分達以外の人影を完全に包んで隠しているから逆に自分達の姿も他人からは見られないだろう。パトカーのエコーが掛った咆哮が聞こえるけれどそれは外の世界の事。ここに来るのはバスだけ。そしてバスが来るまでの時間は余っている。姿勢を正し、何処までも高圧的に。

「そちらは。そう言う色濃い話は無いのですか」
「いやぁ、残念ながら。出会いを求める時間も無いので」
「お子さんの世話に大変だからですか」
「仕事で忙しいからですよ」
「趣味で忙しいのではなくて」
「労働の義務です」
「実は先程子供が好きではないと言ったのは真っ赤な嘘で」
「嫌いでもありません」

狐は笑う。調子が軽い分、饒舌だった。
烏は自分の鞄を、しかし思い直し結局は裁判のように失言をしなければいいだけの話。なので何を言われても最小限の返事で済ませる籠城に決め込んだ。

「それも嘘。貴方は子供好きだ。子供の相手をする職に就こうとする程の」
「公務員は高給取りだからですよ」
「同僚に誘われても子供の世話を理由に断っていたのでは」
「職務を優先しているだけです」
「はァはァ、成程、とっても熱心なんですねェ」

息遣いが気持ち悪いくらいに熱い。陶酔が混ざったそのドヤ顔を、ギャグ漫画のように凹ませてやりたい衝動を必死に抑えて腕時計を見る。後僅か。逃げ出したかったがバスに乗る為にも我慢するしかない。

「では言い方を変えましょうか。貴方は貴方の恋人達と一体どういう風に付き合っていたのですか」
「何も」
「何も無いは無いでしょう。貴方の恋はとても情熱的だった」
「恋などしていません」
「年齢が離れた異性への恋慕と言うのはどういうものなのか僕に教えてくれませんか」
「ちょっと。話し過ぎです。約束を破るつもりですか」
「そんなつもりは一切合切。気になっているので聞いているだけで」

慌てて少女愛好家は警戒する。聞き耳を立てているような人物は居ない。例え居たとしても声は雪に吸い込まれて聴き取り難くなるだろうし聴かれたとしても詩的な言葉を陶酔気味に遣ってちょっと異色な恋愛程度に解釈されるようにしている。だから約束は破られていない。要らない幻覚を見るような小心者の癖に頭と舌は回るものだ。退屈凌ぎ彼の恋愛模様に突いたのは失敗だったと悔いるしかない。もう遅いのだが。

「それで、今、家で貴方を待つお子さんはどうなっているのですか」
「…、この時間はまだ眠っているでしょう」
「目が覚めたらお姉さんが居なくなっていて泣いているかもしれませんね」
「だから私は早く家に帰って娘を安心させてあげたいのです」
「でしょうね。泣き声で御近所に迷惑を掛けるのはいけませんから」
「そう、だから貴方も夜遊びには気を付けて下さいよ。心配した御両親から電話を掛けられるかも」

攻勢が止まった。慇懃無礼な態度をそのまま返されて豆鉄砲を食らったような鳩のような顔をしている。

「何を言っているのですか」
「帰って来ない娘の声を聴いて安心しようとするのは親として当然でしょう」
「えェ、そうですね。本当に、気を付けて下さいよ?」

皮肉の意味に気付いていないらしい。だからねっとりと舌を動かしてやる。

「娘に電話に繋がらなった時、次に疑うのは、その恋人でしょう?」
「ッ、僕はもう赤の他人です」
「別れたのはつい先の事でしたよね。貴方の友人もまだ別れたと思っていない」
「何人かは知っています。彼女が言い触らしていました」
「それでも沢山の人が貴方に彼女の行方を聞くでしょうね。お似合いのカップルでしたから」
「…、だからもう、カップルではありません」
「彼女が別れた今でも貴方は彼女が好きですよね」

視線の先は新雪の綺麗な白で覆われた小さな山。

「そう言えば、間男の方とはどう決着をつけたので」
「向こうは僕を全く相手にしていませんでしたから。簡単に済みました」
「去り際に一言ですか。楽に済んでよかったですね」
「その辺りはあいつに感謝しています」
「よくよく考えれば彼女は間男と一緒になったとも捉える事も出来るますが」
「大丈夫ですよ。僕と彼女の大事な思い出はちゃんと取っておいてありますから」

嫉妬狂いは胸元に置いた鞄を愛おしげに抱き締める。隣人に下らないと鼻で笑われるが気にはしていない。

「不誠実な貴方には理解出来ないでしょうね」
「居ない女に口は無しです」
「口ならあるじゃないですか。前でも後でも」
「悪趣味な」
「貴方に言われたくはありません」
「いやいや、もう動かない女の口…っと、バスが来ましたね」

降る雪が鏡になって、乱射されるフロントライトの輝きが夜の闇を引き裂きながらもバスが到着。機動音が子供の泣き声のように鼓膜を叩く。炭よりも黒々としたタイヤが水を跳ね飛ばしながらも、引っ掛けた電柱や壁には無頓着に、定められた白線を僅かに踏み込んだ位置で停まった。

「行きましょうか」
「ええ、そうですね」

バスの到着が転機になって二人は罵り合う事は無くなった。先にバス停車場から近い位置に座っていた青年から先に乗り込んでその後に中年が続く。
他に乗り込む者は誰も居ない。運転手は新しい乗客が席に着いた事を確認してから出入口のドアを閉めてアクセルを踏む。一度動きを止めた鉄の巨魁が再び動き出す反動が来るが、もうそんなものは慣れたもので特に気にする事も無く発進させた。

公園には誰も居なくなる。二人を乗せたバスの背後も段々と掻き消えていく。ガスを吐き出す呼吸も小さくなっていく。南出入り口近くにバス停車場を有する公園は元の静かで美しい銀色の世界を取り戻すだろう。

しかしそれはまだ後の事。昨日の音楽番組で取り上げられた新曲が何処からともなく流れ出したからだ。携帯電話の中の歌手はしばらくの間、観客の居ない銀箔のステージで歌い続け、そっと消え、今度こそ静寂が帰ってくる。声は、新雪の小山の下から聞こえた。
メンテ
フェアリーダンス ( No.235 )
   
日時: 2012/11/06 01:36
名前: 作詞:空人 ID:AbuoRF8s


 暗く深い森に抱かれて、ひっそりと人目を避けるように、青き湖は静かに眠る。
 闇に惑い、月の光に誘われて、青年は一人森の中。
 瞳に写る光景に、我知らず、息をのむ。

 湖上に踊るは一輪の花。
 月の光は跳ねて、その肌に、その髪に、その翅に欠片を残す。
 小さな唇から零れ落ちる唄に、青年の心は囚われて。
 息を飲み。
 声も出せず。
 彼女の指先が風を撫でるのを、ただ見つめ続けてる。

 そして朝日が昇り、妖精が姿を日の光に溶かすまで。
 しかし青年は何も出来ずに、ただ立ち尽くすのみで。

 次の夜もまた次の夜も、青年は湖へ通い続けた。
 己の心を華麗に奪いさった、かの妖精を一時だけでもその目におさめる為。
 それは重ねる度に、想う度に。
 少しずつ広がり、色濃くなり、強くなる願い。

 「あなたに触れてみたい」と。

 今宵も流れる幻想の時。
 彼女が弾く水面に、ふるえるのは心の波紋。
 届かない手を握り締める日々。
 月を見上げて、漏れ出す吐息は色を宿し。
 妖精は踊る、今日も一人。



 冷たく柔らかい闇に抱かれて、ゆっくりと刻み付けるように、可憐な少女は静かに踊る。
 夜を纏い、月の光に誘われて、今日も独り風を舞う。
 瞳に宿す哀しみに、誰知らず、息をつく。

 湖上に踊るは一時の悦。
 水面に心は揺れて、その肢を、その貌を、その指先を震わせる。
 慰みに口ずさむ調べも沈み、少女の笑みは自らへ。
 寂しくて。
 切なくて。
 頬を伝い一滴が落ちるのを、ただ見つめ続けてる。

 そして夜が終わり、強すぎる光は彼女の身体を白く染め。
 だから妖精は何も出来ずに、力の弱い自分を嘆くのみで。

 次の夜もまた次の夜も、少女は一人踊り続ける。
 光に溶けてしまう自分が、ほんの一時の間だけでも誰かの記憶に残る為。
 それは重ねる度、思う度に。
 少しずつ広がり、色薄くなり、弱くなる望み。

 「違う自分になりたい」と。

 今宵も過ぎ行く仮初めの時。
 冷たく澄んだ星空に、瞬くのは満天の星。
 届かない想いを抱きしめる日々。
 時を忘れて、奏でる旋律は夜空に溶けて。
 少女は踊る、今日も独り。



 時を積めば、月に群雲のかかる時もある。
 翳る表情を見逃さぬようにと、青年は一歩踏み出した。
 無粋な足先で草を薙げば。
 途切れた唄に重なれば。
 二つの視線は必然に絡まって一つになる。
 青年は手を伸ばし。
 少女は声を届け。
 始まる二人の物語。

 「一緒に――」

 今宵も流れる幻想の時。
 つないだ手の温もりに、震える心は熱を帯び。
 互いに身体を引き寄せ合う時。
 頬を寄せれば、耳をくすぐる吐息は甘く。
 今宵も過ぎ行く仮初めの時。
 少女が首に噛み付けば、流れる鮮血は熱を帯び。
 砕けなかった骨を噛みしめる時。
 肉を食めば、口の中に広がる豊かな甘味。
 妖精は踊る、今日も一人。



 湖に沈んでいきながら。
 首だけになった青年は、自分の身体を貪る湖上の少女を見上げる。
 恋に溺れた瞳のままで。
メンテ
偶因たぶらかし ( No.236 )
   
日時: 2012/11/16 02:42
名前: 文旦 ID:mPSrShxg

 いずこの地より発祥したのか今となってはわからぬが、ただ神代の話と伝えられている。軽きと重きとが交わりを怠って久しく、天地と呼ばうる明確さを持たぬまま明暗に区分されし世、ケイオスの落とし児相応の景色を想像せしむれば相違あるまい。行く手を失いかがよう星の、あまねく満つる光明に一木一草から走獣飛禽みな水底の砂金の態で目叩く、その息吹の輝かしきを想うがよい。生死が異常なる事象でなくすべてはあるがまままに偏にそのようにある。地に境ありえずまた流水遮るを見られず、過ぐる四季の無常と嘆くことあらず、礼賛と失望の紙一重を熟知するがゆえの法悦、地層の重みに蓋をしてまこと古の世の飾らぬ美しさに憩うがよい。斯様に描出は事足りる。
 特別な話ではない。古今綿々継がるる男女の恋譚である。
 生日足日に弓弭の調を納むるは男児たる矜持の極みにして、それが神への貢ぎとなれば唯一無二の栄誉なり。かの時代衆生は等しく神のものであった。言葉は神より賜りし祝詞であり、鼓動は神より吹き込まれし気吹であった。すなわち男は戦士に女は母に、子を産めぬほど老いたれば一括りに神殿に上がり守り人として一生を終える。敬神努々忘るることなかれと、軽きを支うるごとく屹立せし山を背に、裾に広がる湖面を臨むかたちで、邑は造物主のはかりしれぬ御心を慰めるためだけにある。中腹の神殿、守り人の老声越しにも皇神の慰労を賜るは至上の幸福なり。受くる月の霜の面がゆるむのを誰が不敬と責められよう。月の霜は一矢にて二羽を射る。今も弓の名手を『空明の射手』と表す所以はこれである。いわく月の霜は眼同様刹那に獲物を射る、弓勢は風をも切る、撃たれるきわは目にも止まらぬ。「汝稀なる武夫にして我が勲がひとつなり」斯様に眷顧を授かったとあらば立膝が揺らぐは無理からぬ。……話の主はこの月の霜を置いておらぬ。
 片羽の名は朝の風という。木漏れ日にもとろける白金の御髪と芳容は、太古の貴やかな人の内でも鍾美に匂いたち、露にほころぶ花を摘まうたおやかな姿はたとえ千里を隔てても眸底に落ちよう。綿を糸に紡ぐは古来女の生業なれど当時綿花に棘はなく、きっと朝の風の繊手は苦役知らずであったろう、それが珠に触れんとばかりに陶然と伸ばされる。月の霜の口端から右耳にかけて斜に抉れた疵がある。鞣革のような玉膚を分け肉を裂き、潜む骨をも叩いたとあっては流した血を遠く置き去ったのちも濃く尾を引き、膚の主の笑うも怒るも押し留めんと頑なに強張る。仮に情調の一切を失ったとて、枯れ谷の形相は断じて癒えぬ。鐘馗の相。男らはそれに武勇を見出し、女衆は異貌と遠巻き、当人は未熟の顕れと自得する。はたして朝の風は何にも言わぬ。ぱっと散ってはなびく髪の動かぬことには彫像のごとき沈静にて、砕けぬ浪のさざめきを花貌にまとわせ――ただ指が、頬を撫ぜる指先がやさしかった。不要とはねのける。戦士に生まれて忠勇に果て朽ちる。戦士たるもの主君以外に膝を折るは、慰めを得るは、まして慈しまれるなど生涯の恥辱ぞ。……斯様に啖呵を浴びせたは互いが十五の事であった。今も眠れない夜などにふと、あれはあのことを覚えているだろうかと月の霜は心持物憂くなる。刃に我をば預けんと平常に必死を見出す類の習い、戦士は等しく寡黙なり。その習性に輪をかけたのが頬に走った疵である。癒合を経ても痕が消えぬよう、過去の血潮が返るはずもなし。痛みに勝る赤面薄れるはずもなし。打ち払った手の細さ、打たれたは我が心毎と目を見張る乙女の悲しみが失せるはずも無論なし。しからば堅牢な腰を据えて夜明けを待つよりない。
 やがて霞と海との境界が冬空のごとく虚けて細まり、細まりは虚けてを過ごした末に見る間に解け、薄紅の縁より蓮華の開くそれに似て黄金がポンと生れ出る。同時に脊の奥では砕ける音がする。昼には金の球が、夜には銀の球が世の果てより撃ち上がる、それすなわち神の御業なり。古の世は丁度星乙女の掲ぐる天秤の様相なり、太古の山を中心に左右にせり出した大地の中空、ただし秤は逆様に金銀対の天球が廻り廻りて均衡を保つ。金は空を越ゆるにつれ苛烈を失いあまやかな白々とした光に変じて、地上のありとあらゆるを培う。銀は朽ちたつがいをすがって喪に服す。世を余さず夜なる大荒城へ閉じ込めて、亡君が描きし軌跡なぞりて濡れそぼる楚々たる陰は懸想の有り様と同じく太古より何一つ変わらぬ。残酷なことには、一方が死なねば他方は甦らぬ。生まれては死にを繰り返す、それすなわち永劫回帰への捷径なりては致し方なしと諦めるが正しい所作か。
 なお失せぬ慚愧の怪力に押しやられて足は自然と外に、眼は偶然丘へ向く。払暁。天地の境際高し白めいた風の内、丁度星々が柱となってくるくると、水沫が天を求むる有様でひかめき昇ってゆく。指さした朝の風が、わたしはあのひとつになりたいと言ったのはいつであったか。吹かれる花のごとく散ってこその男であると話したときと思わるる。だが場所がわからぬ。野にも山にも星は舞い、無論水の上にも舞うのでいずこであったか、いつであったかいずれもわからぬ。記憶は無常にたなびくのみ、ただ髪のにおいが想われる。高さのわからぬほど薄まった空が不動に塗り込められたるなかに、煙と化した白金の賑々しさよ、光跡は決して天球の輝きにも劣らぬ。――わたしはあの星となってどこまでも。
 夜が明けても朝の風にまみえることは叶わぬ。月の霜がひとり黙している間に、神託によりて朝の風を采女に召出す運びとなった。これは五日も前のことであるが、月の霜はこの事実を未だ喉元近くに留めている。舌に苦いものが居座っている。なぜ。疑心は眉間に渓壑を模し、邑一の賢者、囁く水の盲いた目にも現然たり、御神託に不満を抱くならば死ねと智嚢の御役目に自ら泥を被して言わしめん。月の霜自身もそう思っている。わざわざ音に発して叩きつけるはせめてもの曾祖母たる情けであろう。返す言葉を知らず幕屋を後に、いよいよ月の霜は舌頭では飽き足らず腹から叫ぶ、なぜ、なぜ。なぜ。神の御心は人知に勝る。しかるに、あるいはなればこそ人は神を崇める、その威光を求めてやまぬ。朝の風は喜んで社へ上がった、おまえもそれを喜ぶべきなのだ月の霜。なぜ。わかっている。だが、なぜ。なぜ彼女なのか。皇神の寵愛に値するゆえ。さばかり朝の風は麗しい。目細しいだけでなく心底深くを掻き立てようと舞い上がるは無垢なる清水にして汚穢の一片も見られぬ。玉なす身体に心根に、然様に神が御造りになられた。与えられたものは返さねばならぬ、まして我々は信徒である。子らである。供犠を望むのであれば鹿を狩ろう、虎も射よう、御命あらばガルダをも射落とそう。我が胸に刃を突き立てるも厭わぬ、この血潮の最後の一滴まで容赦なく捧げよう。なぜ。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ彼女でなければならぬのだ。
 愛、という言葉がかの時代に生きたかはわからぬ。夜の泪とも判然せぬ憂いを帯びた肌同士を、薄刃の闖入さえ許さじとすりあうことはあれど、ただ一度の神聖なる契りの下ふたりきりのさだめを全うする、あるいは肌はおろか吐息も目見さえ交わすことあたわず生涯秘むる恋の煉獄に焼かれる、不帰の客との心覚えに空知らぬ雨を降らす、互いに一度きりの煩悶と痛痒、偏心、つまりは貞淑なる概念がありえたかどうかは疑問である。道徳や倫理といった話ではない。今代の二元論以前の世においてはたして律法や慣習がいかほどの地位を得ておったか、そも存在しえたかどうかさだかでない。神を差し置いて、ただひとりへと己が命を奉ずるのが美徳であったか、ただひとりに心囚わるるが美学であったか。
 月の霜もまた祝福されし命がひとつである。麦穂を欺く豊かな髪と陽るい日焼け、黒杉のごとき身丈に見合う堅肉、秀でた弓の才。十三の時分に太刀を授かり、翌年には肢体に墨を入れるのを許された。こと腕と足とを彩る群青は進境極まる狩人を称うる色にして、手負いさえ戦士の誇りを曇らすには至らぬ。しかし一閃どうしようもなく疵がある。肉ではなく心に牙差した瑕である。願わくば朝の風を神の御膝より連れ出して、我が腕の檻へと――これを邪欲と言わずして何と言おう。隆々と筋肉の流れに沿って走る刺青を今更化粧のように落とすことはできぬ。さらなる創でもって正しく身殺ぎを行うことはできようが、顔のしるしは弥増し際立つであろう。疵の由来を朝の風は知らぬ、そのようなものと最も縁遠き存在である、なればこそ月の霜は焦がれるか。諦念を蹴立てて無様を晒し、朝の風とまみえたところで彼女は何と言うだろう、その瞳に映るのは何であろう。わからぬまま、ただ馥郁が想われる――わたしはあの星となってどこまでも。
 どこに行こうというのだ。
 月の霜は山を昇る。戦支度に身を固め、神殿への道には入らず道絶えた草叢へ、禁じられた森へ、獣にも忌まれし樹陰を行く。嘘か真か、山の裏には原初を引き裂いたとされる暗窖が口を開け、何代も前に追放された背信者の末裔が住まうという。人の身で神秘を暴かんとした魔法使いの血脈である。その教えを乞いに月の霜は行く。背に幾度となく名伏しがたきものの注視を覚え、歩を進めるごと葉擦れの裏に去れ! 去れ! と耳朶を毟る悲鳴が上がり、星々の光燐さえ行く手を阻むも意に介さぬ。
 胎内の昏さ、意外にもあたたかな岩窟に踏み入ってすぐ、かの魔法使いは洋灯を手に闇に顔を浮かばせていた。白い顔である。面長の内に切れ長の眼、その双方秘奥にちろちろと冴ゆる焔が燃えている。火は浮きつ沈みつしながら断固眼窩の内に潜む風情だが、塞がるものが気に入らぬとあらば容赦なく噴きつける、然様な毒気で蠢いている。惹き込まれそうになるのを、一足引いてみたらば力強きは邪視ばかり、全貌は苔むした墓石のごとく頼りない。黒衣を頭からつぶなぎまで曳きて歳も性別すら覆い隠さんとしながら、噫と赤き口中より滑る声は鈴を思わせる。「待ちわびたぞ、月の霜」と手招く様はともすれば旧友に対するそれである。なれど面持は親愛とは程遠く、膚の下の冷血が透けて映る。「まずは奥へ。ここには目が多い」と奥へいざなう、魔眼は奇妙に血の気を見せる。
 暗闇にも背には変わらず凝視が落ちるゆえ無言で従う。闇一色の純然たり、ぱたりと灯る朱慎ましきこと煢然たり、中間にある病み人らしき引き足、総じて魔窟と蔑むにはあやしからぬ。邪視絶えし魔法使いの覚束なきこと、張り弓の弦の一打に崩れ伏すのも無理からんと想像す。反面矢をつがえ引き絞ったところで、撃つべき的がよう見えぬ。続け様に放ったとて矢先は虚しく空を切る、そんな不気味が隅にある。前を歩くは魔法使いである。従う己は呪われつつある。瘴霧は肺から立ち昇る。なおかし想う人の髪毛が心頭を取り巻いてやまぬ。望みはわかっているとも、月の霜。
 一方のみが知るは理不尽として名を問えば、魔法使いは火の舌と返した。
「火の舌、なぜ背信した」
「背信なぞしておらぬ。あの枯木どもめが余の言動を不敬と罵った、それだけのことよ」
 戸はないが確かに部屋と思しき開けた空間に、無数の燈明が祈るように列している。
「月の霜、金の天球を射れ」振り返る火の舌の向こうで、影が十重二十重に翻った。「射って落とせ。そのためには世の果てまで行かねばならぬ」
「落としてどうする」と月の霜は目を庇いながら眇めた。
「世が傾く」
「世を傾けて何とする」巌穴の士は今も狂に憑かれておると心持距離を取る、右手は慣習通り柄にかかった。
 魔法使いの示すところ、巫のさだめより慕う乙女を救わんと欲すれば、不服を申し我を通し世の理逸してなお悲願成就に万象捧ぐる覚悟あらば、神の御業に否と矢叫びをば上げねばならぬ。神の御業はひとつにあらず、されどあまねし事象が御業の賜物ならず、この相対が証左なれば、人の子の切なる望みを不遜と虐げるいわれも無論なし。天意は人知に勝るなぞ、黴臭き小言は火矢で焙ずるが肝要。煩わしきは金銀双児なり、驕慢の玉座たる天球こそ御業の最たる代物なり。汝世を傾けんと欲すれば、天の切れ間より必ず聖父顕る、かの炯眼を明かすには鼻柱を支うる玉座にこそ泥をつけよ、係る孤独な大戦争にて愛しき瓊姿をば奪うがよい。談判は望むべからず、成れの果てが今眼前に居るこれよ。腑抜かれて腐水啜りたくなくば両の腕で理を降し利を掴め。
「人に可能な所業なのか」と戦士が半ば嘲れば、神箭手と名高い身の上が何を躊躇うと檄来たる。加えて、今更どこに行けるのだと衝かるる。月の霜の重たい口が一層重くなる。翳したる腕の下、創痕がじくりと痛む。魔眼に耐えかねて顔を背ければ、比多岐と呼ぶにもおこがましき積み石の下で、腹這う黒が燃えている。あまりに悪しき闇払い。
 月の霜の瘴霧を晴らしたくば疵の由来に触れるがよい。彼が十五を迎える日に帰れ。まだ青き墨色に憧れる少年に過ぎず、武士の何たるかも知らぬまま弓においては同期の内で並ぶ者なしと驕れる頃、自身の力を試す心積もりでひとり山中へ分け入った。その頃には猪も狩った鹿も狩った、猟犬を率いて狼も狩った。今は鷹も犬もおらぬ、ひとりきり、酩酊も緊張も覚えずただ風の流れが快い。警戒を欠いた記憶はない。何となれば未熟の一字であった。叢中より射かける矢は放つ間際かすかに戦慄き、振り返る大熊の右肩を撃った。浅い。怒りに吠ゆる巨獣を仕留める術は熟練の戦士すら容易ならざる、青二才は論を俟たぬ、さりとて退くも地獄ならばと月の霜は二の矢を引く。それを受け人の子死すべしと振りかざす先の黒曜の鏃五連、凪げば風裂け巨木も散らん。その隙間より右眼を射抜く。熊は倒れぬ。背の空穂に気取られた隙に、片手一撃にて頬ごと顎を砕かれた。少年は身を空様に三の矢を放ち、見よ、それは居丈高な額を貫いた、ばかりか稲妻の勢いで頸をもぎ決闘を眼下に見た鳥を討ち、黙す雌松を深々穿ちて竟に止まった。……矢羽を濡らす大熊の血潮と、竹の中程より流るる小鷹の血潮とが同時に滴る様を目撃せしは月の霜ただ一人である。これにより月の霜は神箭手の号を得、一生醜貌下げると相成った。
 魔法使いが請け負うは、陰に親しみ外道に通ずる橋渡し。「望みはわかっているとも」と再び血の色を剥く。
 恋の一念は巌を貫き海を割る。比喩にこそ過ぎぬが至極至当に勁烈の度合いを示しておる。最早背信望むところ、人あらざる身であらば地を砕き天を喰い海を呑もう……人の業ではどうにもできぬ当該は悪魔の業に頼るよりあるまい。自分には今も昔も弓しかないと、吹かれる桜のごとく微笑んだ朝の風の御手を想う、握り返してやれなかったことを思う。魔眼に向き直る。覚悟を決めたが最後、双肩はむしろ軽くなった。
「世の果てへはどの道を辿る」
「死する果てまで行け。道は鼓動が知っている、踏みだせば自ずと運んでくれよう。ただし帰路は古往今来あり得べからざる。それでも往くか」
「往く」と、今にも踵を返し駆けださん勢いで言う。
「ではこれをかつえた心への手向けとせん」火の舌は弦の張られた弓を差し出した。
 弓、弓ならある。己が太刀で自ら仕上げた豪弓は、はたして神の造りたもうた金色に敵うだろうか。弓手を構え一息に右で引く。びいん……と常ならぬ気配に震駭する響である。月の霜は見えざる陽に翳すごとく高々と上げて、気色が変わらぬと見るや投げ捨てた。折れはすまいど構わない。火の舌から受け取ったものを両の手で捧げ持ち、矯めつ眇めつ弦の影側木の反照をも捉えんと眺める。一片の汚れや傷、魔除の装飾など視覚を惑わすものは何もない。手触りといい見目といい磁器のようだがよくしなる、絞る音の脊を削る陶酔は間違いなく弓である。ためしに引くと引いた先から薄い虹のような膜が滲み出して、藻が流れに溺るるよう、あるいは火焔がねじあがる蠢動でもって月の霜を這い上るので思わず手を放した、刹那刃金を交わす鋭さで弾かれる。戞と石壁が罅裂せしは疾風に撃たれてか、遅れて星のきらめきが空裏に散る。細まった虹より星を巻き上げつつ魔弓は依然治まりを見せず、床に玉虫色を湛えて人の手を借りず次なる獲物を遣せと打ち震えている。武者震い。魔弓は射手の心を写し取って目に見えぬ矢を放つ。
「これを目にせし衆生残らず牙を剥く。水は焼けつき果実は毒と化す。獣は射手を引き裂かんと首だけになろうと襲い来る。見事天球を落として果つるそのときまで躄鳥の態で進み続けねばならぬ。それでも往くか」
「往く」と、これは肺を気息で洗ってから肯く。
 魔法使いはしずかに瞬き、やにわに月の霜の首を捕えると無事な頬へと口接を落とした。……月の霜が甘味を嗅いだのはこれが最後である。
 世の果てまでは百年かかるとも千年かかるとも万年かけてもなお足りぬと語らるる通り、寝食はもとより腰を下ろすことあたわず、靴が腐れて風雨に衣が穿たれるまでに歩き続けたが、双眸には果てどころか端くれさえ映らぬ。道中幾度となく獣に襲われ鳥に襲われ、その度に魔弓の無き矢で迎え撃った。魔法使いの言葉は老いたる者の脅かしなぞでは決してなく、真実首だけになっても睨まい、いざ誅罰ぞと血反吐引きて跳ねやる凄絶は実際目にしてみねばわからぬ。爆ぜる頭の返り血を頭から被ることにはすぐ慣れた。最大の目的のはずの黄金は歩く月の霜の背を炙るかと思えば、いつも追い越していって独りでに砕ける。そうして銀の弔いを耐えればまた黄金に明け初むる。あれを射殺すのだと思い、そのときを想い、その一念で歩を進めながら、月の霜は自ずと経過を数える虚しさを悟った。地はいよいよ素足を蝕み、肌を雨が、風が髪を砥いでいった。水の一滴も受け付けぬゆえ己を映すのを忘れて久しいが、絶え間ない微風を気紛れに破る陣風のごとく、不意に疑念が去来する。その頃になると頬の疵なぞさした事ではなくなっていた。髪のなびくのが首をくすぐるのを止めたのはいつであろう。末端の脆いところは余さず殺げて骨を残すのみ、その他も赤黒き肉が覗き、筋だの腱だの、血が苦役に呻く役目も放棄して遠く後ろでわだかまっているのにまだ歩いている。自分はなぜ歩けているのか。半死半生で――この精神の確かな様子をも半死なる一言に包み去らんとするならば――自分はなぜ歩いているのか。朝の風。鼻は朽ちているが今も香は思い出せる。次いで魔法使いの息が甦ったが、これは前者と違って熱心に探し当てんと掘り当てたものではなかったので、土臭を払拭しきれずぼやけた印象が垂れこめる。頬は両とも殺げてしまった。死人に近付きながらその境を越えぬのは、魔法使いのまじないによるものやもしれぬ。弓は握られている。足はまだ急いている。星乙女の秤の切岸にいよいよ迫らんと、天上の黄金をねめつけて射る真似をする。肉の大部分を失ってなお弓勢衰えず、鳴弦は八方を破らん。
 それから金銀光帯が月の霜の両眼を篩い落とすまで幾星霜。
 鼓動が尽き、道が尽き、生の尽きるとうとうその場所で、渇ききった眼窩で確かに月の霜は火の舌の黒衣を見た。顔を見た。宿る異様な焔を焼きつけた。細い指が真直ぐに背後を示す。なるほど黄金が、かつての巨獣にも勝る怒気に身を焦がす巨顔が今しも地に口付けんと堕ちてゆく。
 月の霜は弓手を構える。あるいは枯れ木が吹かれて枝をかろくしならせたかに見える……枝先には何か石膏のごとき白さが弧を描き、上下を結びつけるは蜘蛛糸のようだ。この半円型が真円に近付くほど、玉虫の光が滾ち漲り円の内側を充たす。盃の縁に盛りあがる水が毀れるか毀れまいか、危ぶむ人心を嘲笑って纏まるように、魔法は月の霜を裏切らない。天球は神の御業がひとつ、あまねく衆生を睥睨し不敬なる者の眼を刳るが、無き眼で無き矢を放つ月の霜には仔細なし。張りつめた力の一極、鳥を放つように放す。矢の速きこと光陰のごとし、瞬く間に十里千里、万里を駆け抜け孤狼へ変じた矢は射手さながら燃ゆる瞳で黄金を狙う。「討てッ」と臥したる月の霜は無き喉で叫ぶ。渇と開きし上顎は天を掻き下顎は地を掻かん、巨顔を噛み下すこと易き業なり。すまじき血煙が赤く黒く、暮れを断末魔に染めて飽きずにまだ黒く、地獄とはかくあらんと思わるる。星を曳く狼の軌跡だけが輝きとなったとき、火の舌の赤い赤い口から高笑いが竜巻のごとく迸った。得たり、ついに得たり。
「これより永劫夜陰が支配する。陰成すところすなわちこの火の舌の領域ぞ。朽ちる月の霜、おまえの他に天球を射れるものはこの先現れぬ。そしておまえはじき果つる。昼よしからば、夜よひれ伏せ、すべて余のものだ。アッハハハハ……」
「騙したのか」と立ち上がろうにも、最早力尽きた身にはどうにも叶わぬ。叫ぶ声が火の舌に届いているかも怪しい。
「呪われしおまえには最早わからぬかもしれぬが、月の霜。世界は美しいと思わぬか」魔法使いはかっかと舌を剥きだす。「代え難いと思わぬか。世で一番美しきは他ならぬこの世自身よ。それを欲しいと願うは道理であろう」
「おのれ。きっと神罰が下るぞ。むざむざ死してなるか、共々地獄に引きずってくれる」
「震えているな。納得できぬか、月の霜。いつ神がその傲顔を顕すのか待ち望んでおるのか。哀れなことよ。はじめに言った通り我が身を追放せしは忌々しき社の老人どもだ。背信どころか神なぞおらぬ。昔はおったかもしれぬが、造るだけ造っていずこへ去にし、力のあり余った馬鹿者じゃ。邑をひとつに誡めるにまたとない戯言こそが信仰よ。知りすぎた者を殺し、秘法に長けた者を払い、一握りの賢者とやらにすべてを奉じて代々永らえてきた、それがあの邑だ。げに本質とは醜悪極まる……」
「朝の風は」と骨柄を崩さんばかりに揺さぶった。「朝の風はどこだ」
「おまえの恋しき乙女は神殿連中の慰み者じゃ」
「嘘だ」
「本当さ。そこから逃げてきた者が言うのだから」火の舌の足元に黒衣がわだかまる。裸体は顔と同じく穢れなき白一色である――乾いた肉、融けた骨、それら混合物としての白一色である。所々に見うるのは石であろう。「子を産めぬものから神殿に上がる。生来石女のわたしは戯れに渾名に相応しき姿にされたのだ。見様見真似で秘法を盗み逃げるまでに二十年かかった……」
 何かが耳朶に触れる。遠く、猛き孤狼の遠吠えが月の霜を呼ばわう。腕は動かぬ。足も萎えきった。弓――魔弓は射手の心を写し取って目に見えぬ矢を放つ。
 討て、と月の霜は「討てッ」と、呼応して狼が吠ゆる。地獄を創った顎門が光の速さで迫るのを、火の舌は冷めた目で受ける、継ぎ接ぎの両手を広げて迎えうるかのごとく。花瞼の裏に死を見たか。「否」と月の霜、現身たる狼は一心不乱に逆走する。地獄はない、神罰もない、神はいない、この世の何もかもは虚偽だ虚無だ。月の霜の目に見えぬ笑いに、火の舌ははじめて顔を蒼くする。「止めろ!」否。力尽きた自分の代わりに疾駆する、主人の仇を討たんと疾駆する狼は止まらぬ。万里を軽々と背に、撃ち上がった弔いの銀をも喰らえば、はたして奈落は何色に染まる? 世の反対側で絶叫するは火の舌である。月の霜は何にも言わぬ。鼓動も道も生も尽きたのを動かしていた呪いが解かれずとも、月の霜は望んで自我を手放して、己が魂の記憶に深く埋没せん。何となれば狩人とは孤独、戦士も孤独、概して生命たるは等しく独りなり、渦中においては永遠続くかに思わるる終生も果てを認めたときに過るのは儚さへの祈りである。月の霜は信徒である。たとえ天に、そのさらに上の永久の闇がりに何の超常的存在が見当たらずとも、あるのは等しく孤独な命ばかりなれどぬくもりを希う心地に充ちているならば、閃光のごとき生の一瞬に交わることが叶うならば……虚偽に産まれ虚無に還る、生命の本質、それもまた清々し。しからば魔法使い、嘆くことなかれ。忠実なる下僕も毘藍の風に消え失せて、天球双児による支えを失った世界は有終の美と相成った。
 かくて滅んだ古の世を今に続く新世に甦らせたるは賢者の一派である。幸い傷咎めなく概ね元通り、増えた人口に合わせて少々拡張を試み、重石なくとも独りでに安定する真円を模すことと定まった。火の舌は世界破砕の咎を負い、よく回る舌を裂かれて石の肢体をもがれた末、円の外側に追いやられた。その怨念のすさまじからずや、石女のはずが自然と子を孕み、腹這い頭をもたげて二股の舌を伸ばす親とよく似たその子らは蛇と蔑まれている。蛇族に伝わる話では火の舌は今も生きており、世の外でとぐろを巻いている。そうして世を呑み下すほど大きくなるのを待ち望むという。さて墜ちた天球の代わりには秘法を帯びたあの魔弓と、囁く水の一声によって采女朝の風が宛がわれた。朝の風は慈愛と麗質でもって世を照らし、瑶台たる魔弓は徐々に引き絞られては望となり放った後は細くなる。弦を変える日は姿を消すが、散らした星が輝くので闇が溢れることもない。世が真円を模ることで金銀つがいは殺しあいを免れて輝き、ときには互いの領域に分け入って遠くからそっと見守ることもある。昼月を『朝の影』と表す所以は以上のごとし。
メンテ
夢を見る彼女。 ( No.237 )
   
日時: 2012/11/16 02:11
名前: 晴天マル ID:q7KAeDAI


 幻術の基本は記憶に在り。脳裏に刻まれた欠片を呼び戻し、繋ぎ合わせることで、それは現実ともはたまた虚無ともなる夢幻を生み出すのです。

「……じゃあ、これもあなたの記憶からできているの?」
「正確には僕の記憶をベースに、あなたの記憶でこれを再現しています」
「意味がわからないわ」
「つまり、あなたは僕の記憶から、あなた自身の記憶を見ているのです」
 女は考えるのをやめた。思考に意味がなかったから。
 目の前を走る戦馬は、たしかにそこに存在している。そう思わせるほどの躍動感があった。しかしこんな馬は存在しない。手のひらに乗るほどのサイズで、たてがみや蹄や尾が燃え盛る炎で成っている馬など現実には存在しないのだ。これは幻。男が見せる幽玄な別世界で、夢だ。

「キレイね」
「……ええ」
「あなたにも見えるの?」
「……ええ、見えています」
「そう……」
 狭い部屋を馬が駆け、炎の残滓が岩窟のような壁を彩る。蹄によって植えつけられた火種は、見る間に肥大しそれは地をすべる大蛇となった。牙をむくそれを一跳びでかわし、馬は優雅に踊った。馬が地を蹴るたびに大蛇はその数を増し、しかし馬は決してその牙にかかることはない。部屋が炎で埋まらんかというとき、夢は終わった。

「……さあ、時間です」
 男の声とともに赤々と燃え盛っていた炎は見る間に消え去り、部屋はきたときと同じ机のほかには何もない部屋へと戻った。

「……」
「満足されましたか?」
「ええ。満足したわ」
 沈黙に、おずおずと男は問いかけた。わずかに顔をあげたので、この地では珍しい真っ黒な髪な髪がフードの下から覗く。
「……またきてもいいかしら?」
「金をいただけるのであれば」
 客のことばに、男はほっと安堵の息をはいた。

  ■

 幻想屋。という胡散臭い名前に反して、彼の店は繁盛していたように思う。店の前を通ると、たびたび客らしき人間が出入りしていた。女が見る限り、客の多くは女性のようだった。

「不思議ね」
 女はいった。男は金貨を数える目を上げないまま聞き返す。

「何がですか」
「私がどうしてここでお金を使うか」
「……」
 男は肩をすくめる。目深にかぶったフードで表情は見えなかった。

「さて」
 金を検分し終えて彼は顔を上げる。笑う口元が覗いた。

「どんな夢が見たいですか?」

  ■

 夢に支払う金は決して安いものではなかったが、それでも彼女は毎日のように幻想屋を訪れた。

「こんなにキレイな服、初めてだわ……」
 部屋に闇の帳がおろされ、玉の如く輝きを放つ布のような光が女を包み込んだ。その明かりに手を伸ばし、しかしそれは彼女の手が触れたと思うといつの間にか遠くへ離れていく。碧、藍、緋、橙。光は複雑にその色を変え、彼女を彩るかのように体を包みこむ。

「これはなに?」
「……極北の地にて、空にかかる虹のようなものです」
 闇の向こうから彼が静かに答えた。

「……時間です」
 粒子の細かな砂が風に吹かれるように、彼の幻は宙へと溶ける。還ってくる殺風景な部屋に、フードの下から不安げな視線をこちらに向ける彼の姿が浮かび上がった。

「……ありがとう。またくるわ」
「はい」
 礼を言うと、彼はとたんにほっとしたように穏やか笑みを浮かべる。帰り際の彼の微笑が好きだった。女は、自分に秘められていた嗜虐性を自覚する。彼の幻想を否定したらどうなるのだろうか。

  ■

 さまざまな店が軒を連ねる商店街の一角に、彼の店はある。以前はよく覗き込んでいた宝石店の隣、シンプルな木の扉に幻想屋と書かれた地味な店。しかし今日はいつもと違っていた。剣を携え物々しい鎧を身に着けた警邏隊が彼を取り囲んでいる。
 隊長であろう一際大きな体躯の男が黒いローブの襟元を掴み、怒声を浴びせかけた。彼と男では大木と朽木ほど体格が違う。

「貴様が怪しげな術で市民を誑かしていることはすでに知っている!」
「私はただ、夢幻で客を楽しませているだけでございます。何卒……」
「黙れ!」
 男が彼を突き飛ばした。華奢な体が店の扉に打ち付けられ、彼はずるずると地面に座り込む。
「やめなさい!」
 あわてて彼と隊長格の男の間に割り込み、男を睨み上げる。なにか言おうとして、女の顔を認めたとたんは彼は忌々しげに舌打ちした。
「おい、行くぞ」
 崩れ落ちた幻術士をさげすむような目で一瞥し、警邏隊は鎧を鳴らしながら去って行った。

「ありがとうございました」
 女が振り返ったとき、彼は立ち上がりローブについた埃を払い落としていた。
「別にかまわないわ。それより、これ」
「ありがとうございます……」
 女は金の入った巾着袋を男に渡す。幻術士は礼を言いながらも、訝しげに女を見つめ返した。
「ああ」
 彼女は面倒そうにいった。
「わたしの父、この町で商人やってて顔が利くの」
「なるほど。いや、すみません」
 彼は特にそれ以上詮索するわけでもなく、女を家の中に通す。自分の親のことで彼に面倒がられるのはいやだな。と彼女は思った。



「では……」
 明かりを落とし彼は両手を持ち上げた。夜空を思わせる裾の暗がりから煌めく星のような光輝が次々と飛び出し、それらは闇を染めた。ふと見ると、地はすでに堅い木ではなく柔らかに踝を包む若草で覆われていた。無限に広がるような闇と、踊る星屑、たなびく新緑。
 キレイだ。しかし、どこか物悲しい。女は彼の幻を見るたびに胸の奥を冷風が静かに通るような感覚を味わっていた。

「ねえ……あれ」
「え……?」
 どこからか声が聞こえた。鈴のようなか細い小さな声だ。そんなことは初めてで、思わず彼のいるはずの方向へと目を向ける。同じように彼は驚きの色を浮かべていた。
 次の瞬間二人の間に、幼い顔立ちの女性が立っていた。透けるように白く、整いすぎたパーツが飾るその容姿は、幻だということも忘れて女を驚かせた。

「私、この場所を忘れないわ……」
「やめろっ!」
 女性がそう呟いたとたん鋭い声が夜空を切り裂き、次の瞬間すべてが渦巻きながら溶け消えた。

「はあ……はあ……」
 瞬く間の出来事だった。女の前には入ったときと同じ部屋と、胸を押さえて荒く息を吐く幻術士がいた。
「う、あ……」
 うめき声をあげて、彼は自分の頭をかきむしる。フードがはずれ、珍しい黒髪が露わになった。女は金縛りにあったように動けなかった。

「……」
「……すみません」
 どのくらいの時間が経ったのだろうか。すごく長かったような気もするし、幻が消えたときのように一瞬だったかもしれない。彼が消えるような声で謝罪のことばを口にしたことではっと女は我に返った。

「今のは、なに……?」
 大きな声を出すと、目の前の男が彼の作り出す夢と同じように消えてしまいそうで、遠慮がちに彼女は問いかけた。

「……あれは、僕の恋人です。いえ、恋人でした」
 彼は部屋の隅に捨てられるようにおいてあった丸椅子を彼女にすすめ、自分は机にもたれかかって話を続けた。

「二つ年上の、曲がったことが嫌いな筋の通った女性でした。まだ幼い頃、小さな村の中で異国出身の僕が髪色のことでからかわれているときに、相手の子を彼女が怒鳴りつけたのが出会いです。ちょうど、今日あなたが警邏から僕をかばったときのように」
 幻術士は大きく息を吐く。

「彼女の誕生日に僕の故郷を再現してから、たびたび彼女は幻術を見せてほしいと頼むようになりました。そして、実物を見たいとも。僕が十八になったとき、彼女と共に僕の故郷へと旅立ちました。言ったところで認めてはくれなかったでしょうから、両親には何も言わず駆け落ちに近かったかもしれません」
 彼はローブの裾を握り締めた。指先が白く染まっていた。

「幻術が記憶で構成されていることはお話しましたね。僕の見せる幻術は、すべて彼女と訪れた場所を再現したものです。僕の幻に優れることがあるとすれば、それは彼女が隣にいたことでしょう。それだけで世界が変わりました」
「……」
「彼女は光る蟲を追って谷に落ちて死にました。あっさりと。安い人形が床に落ちて壊れるときのように。今日、あなたの行動で僕が彼女を思い出して、幻術に失敗して僕の記憶があふれ出たようです。」
 眉間に皺を寄せて、奥歯をかみ締める。体が震えていた。
「お金は返します。今日は本当にごめんなさい」
 幻術士が懐から巾着を取り出し彼女に差し出す。
 しかし、彼女はそれを受け取らず小さな声に何かいった。
「……それ?」
「え?」
「なんなのよそれ! じゃああなたは彼女との思い出を切り売りにして生活してるってわけ? それって彼女に対する冒涜なんじゃないの?」
 がたりと椅子を蹴り倒して女は立ち上がり、いままでの沈黙がうそのように怒鳴り散らした。
「わたしに売ってたものも彼女に見せたものだったんでしょ? 彼女と二人で見たものを他の女に見せられるわね! どういう神経してるのよ!」
「……」
「なにか答えなさいよ!」
 目を伏せ黙り込む彼に、彼女は息を切らせながらいった。彼は困ったようにあらぬ方向へと視線を迷わせた。

「どうして君はそこまで怒るのか、僕にはわかりません。僕の幻に君は満足していたでしょう?」
「……っ」
 彼のことばに、今度は女が言葉を詰まらせた。

「わたしはただ、街の外に出れないから、幻でもあなたの見せる世界が欲しかったのよ!」
 彼の返事を聞こうともせず彼女は部屋と飛び出した。彼女が開け放った扉を、しばらくの間幻術士は見つめていた。

  ■

 いつから勘違いしていたのか、自分でもわからなかった。恋人の遺品をプレゼントされていた気がした。ただの客なのに。
 女は望めば何でも手に入る代わりに、街の外には出られない。それが父との意向だったから。門の衛兵に見つかればたちまちの屋敷へと連れ戻される。しかし彼女はそれでも構わないと思っていた。外の世界など知らずとも、彼女は美術品などを眺めて十分に満足していたのだ。
 そんな女をあの幻術は変えた。幻術士の見せる世界の模造は彼女の意識を世界へと向け、彼女は世界を欲した。しかし幻術士の恋人に彩られている以上、その模造品はいくら望んでも彼女の手中には入らない。
 世界がほしい。その思いに突き動かされ、彼女は外門へと歩を進めた。



 幻術士は、一人で夢幻の彼方へと旅立っていた。彼女の死地へと。空気の感触から岩盤の硬さ、植物の暗緑、そして輝く光る虫の輝きまで、あの日のようすはなんでも再現できる。
 彼女がぼんやりと漂う光球を追い、次の瞬間にはその場から消えた。
「楽しかった! わたし、とても楽しかった……」
 大地が牙をむいたかと錯覚させられるほどの奈落に彼女は転落した。あわてて谷間を覗き込んだ幻術士の耳に、木霊した最後の言葉はしっかりと突き刺さった。
 「わたし、好きよ。見えるものすべて」旅の間彼女はよくそう呟いていた。

「そうか……」
 幻術士は気づく。女の怒りの理由に。そしてその間違いに。
 黒いフードをかぶり、彼は店を出た。

  ■

「今日はそこを通してもらうわ」
「なりません。お父上との約束がございますので」
 高慢に言い放った女を顔を見合わせて笑い、衛兵は街に戻るよう促す。

「通してってば!」
「お、おやめください」
 強引に外に出ようとする彼女を、槍を横向きにして押しとどめる。警邏とよく似た意匠の鎧が、彼女をあざ笑うかのように音を立てた。

「通して! 通してよ!」
 何度も鎧の胸部を小さな拳でたたく。衛兵はなんの痛痒も感じず、むしろこの世間知らずな少女の手を心配した。
「お嬢様、手を傷めますよ……」
「うるさい! 通しなさい!」
 わめく彼女に衛兵はすくめた。

「お嬢様……」
「おい見ろ! あれ!」
「な、なんだ……」
 面倒そうに彼女を見ていたもう一人の衛兵が、驚愕の色を浮かべて彼女の後ろを指差した。

「お嬢様逃げなさい!」
「え……?」
 彼の指差す方向に目を向けた衛兵が真剣な口調でいい、槍を構える。
 振り返っても、そこはただの市街地でなにも不振なところはなかった。しかし衛兵二人はなにかに慄き、ついには頭を抱えてその場を飛びのいた。

 彼女は守る者のいなくなった門を一気に走り抜けた。衛兵二人はまだ震えていて、それを見て建物の影で黒いローブを着た男が笑みを浮かべる。

  ■

 女は爆音を立てながら流れ落ちる滝に目を奪われていた。陽光に虹がかかり、水泡が絶えず生まれては消える。撥ねてきた水滴一粒が頬に当たり、あまりに大きなそのエネルギーに彼女は驚き一歩後ずさる。
「よくここをご存知でしたね」
「うひゃあっ」
 背後からの声に、おもわず彼女は妙な声をあげて飛び上がってしまう。

「ぬ、盗み見なんて趣味が悪いわ」
「それは失礼しました」
 クスクスと幻術士は笑った。重いフードはつけておらず、端正な顔がしずかに瀑布を見つめていた。

「ごめんなさい」
 女が唐突に言った。
「わたし、勘違いしてた。この景色とあなたの幻を混同して、幻術にあなたの恋人の影を見て嫉妬した。けど世界ってそんなものじゃなかったんだ」
「滝ひとつ見ただけで、言うようになりましたね」
 幻術士の冗談に、彼女は笑った。

「うん。あなたは恋人を亡くして、けれどもそれって本望なのね」
「そうですね。僕もそうおもっていて、彼女はそうおもっていたでしょう」
 しばらく二人は滝を眺め、その音を聴いた。

「ねえ」
「はい?」
「世界を案内してよ。わたし、もっと世界が知りたい」
「いいですよ。どこかで恋人が見つかるといいですね」
「……あなたもね」
 迷って、結局言った。
 幻術士はおかしそうに笑った。
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Re: 【十二月、一月期のお題は「もしも」】お題小説スレッド【十一月期お題「美しい」:作品投稿期間】 ( No.238 )
   
日時: 2012/11/18 01:06
名前: 企画運営委員 ID:6vDBtEHM

作品のご投稿お疲れ様でした。
16日(金)〜30日(金)は批評期間です。作品をご提出なされた方は必ず全作品の批評を行ってください。批評だけのご参加もお待ちしております。


>第19回『美しい』参加作品(敬称略)


>>233 If:海越えの遺書

>>234 白黒黒白:雪の檻、公園の子供

>>235 作詞:空人:フェアリーダンス

>>236 文旦:偶因たぶらかし

>>237 晴天マル:夢を見る彼女。
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