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[4993] 【2016年度】お題小説スレッド【お題「去る」作品投稿期間】
   
日時: 2016/01/12 23:57
名前: 企画運営委員 ID:7PNV346o



『お題小説スレッド』へようこそ。こちらはあるお題に沿って読みきり小説を書き、その作品をみんなで批評し合う場です。
 初心者も上級者も関係ありません。うまくなりたいとお思いの方であれば、だれでも自由に参加することができます。一生懸命執筆し、一生懸命批評して、小説の技術を高め合いましょう。
 皆様のご参加をお待ちしております。

――――――――――――――――――――

>>002 【ルール説明】:必ず熟読して下さい。(※内容、一言の箇所を訂正しました。ご確認ください)
>>003 【批評のポイント】:批評をする際のポイントをまとめたものです。
>>004 【イベントルール説明】:イベントに関するルールです。必ず熟読してください





▼お題:第32回のお題は「種」です。
 二月に種をまくのか? と思いましたが、調べてみるとじゃがいもは二月にまくそうですね。……さらに調べてみると一年中、なにかしらの種をまいてるみたいです。
 そんなことは置いといて。「種」というお題には「たね」以外にも色々な解釈があると思います。みなさんがどのような作品を投稿してくるのか、楽しみにしております。
※第30回の作品投稿期間は2月1日(土)からです


▼お題:第33回のお題は「姫」です。
 三月なので(笑)
 というのはよくわかりませんが(ひなまつりだから?)「ひめ」というのは可愛らしい語感ですよね。私は緑の黒髪をした和服姿が思い浮かびます。桃色が似合いますよね。桃色……やはりひなまつりでしょうか。それでは、みなさんの作品お待ちしております。
 
※第31回の作品投稿期間は3月1日(土)からです


▼お題:第34回のお題は「嘘」です。
 嘘でした。


▼お題:最終回のお題は「魔法」です。
 奮ってご参加ください。


▼お題:第36回のお題は「友情」です。
 ネタでした。


▼お題:第37回のお題は「音」です。
 奮ってご参加ください。



▼日程(第32回)

1月1日       :お題発表
2月1日〜15日   :作品投稿期間
2月16日〜28日  :批評提出期間


▼日程(第33回) 

2月1日     :お題発表
3月1日〜1月15日 :作品投稿期間
3月16日〜30日 :批評提出期間


▼日程(第35回) 

6月1日     :お題発表
6月1日〜7月31日 :作品投稿期間
8月1日〜   :批評提出期間



▼注意もしくは削除対象となるお書きこみ
・荒らし
・荒らしへの反応
・自分や他人の小説の宣伝
・雑談、チャット化
・ルールに反するもの
・管理人が不適切と判断したもの

――――――――――――――――――――

>目次 >>001


>第32回 お題『種』参加作品(敬称略)

>>404 sakana:シロハの辻褄
>>405 伊達サクット:赤い種、青い種

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▼リンク
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管理人:If 空人 朔乱  補佐:伊達サクット
メンテ

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『少女の檻』   ※閲覧注意 ( No.290 )
   
日時: 2017/12/19 01:01
名前: 空人 ID:sy.nOsKA

 深い森の奥、小高い山の中腹辺り、周囲の自然に溶け込むようにその山荘はあった。
 山道をかき分けてようやく発見にいたった屋敷を見上げ、俺は溜息をつく。今日からこれが俺の物になるという感慨は、そのツタの蔓延る壁を見てしまえば風に吹かれて飛んでいってしまうほどのものでしかなかった。
 そもそもこの屋敷が俺の手元に転がり込んできたのは、ある男の死が原因だ。いや、正確に言えば、大富豪と名を馳せた『黒墨尚三』氏は十数年前から行方不明だったのだ。
 行方をくらました当初は彼の持ち物だった企業や組織などで混乱もあったらしいが、それが落ち着いてしまえば居ない人間を当主にしてしまっている事には不都合があったのだろう。彼の家族は実にあっさりと探し人の取り下げと死亡届の提出を行った。
 彼が個人的に舵取りをしていた企業もあり、その規模には多少の縮小があったらしいが、重要なのはそこじゃない。彼が残した莫大な財産は多くの親族親類に分配され、かなりの遠縁に当たる俺のほうにもおこぼれがあったということだ。


 尚三氏本人もほとんど使用していなかったという山荘が手に入るということで、実物の様子を見に来たのだが、利便化されていない交通網と整備されてない外観を味わってしまえば、当初のテンションは維持に苦しむのも当然というものだろう。
 他人に売るかペンションとして再利用するか考えていたのだが、この分では修繕にいくらかかるか分からない。売り手すら見つからない可能性もある始末だ。
 まだ肌寒い早春の風が頬を伝う汗を撫でる。夏の間なら、自分が使うのも涼しげで良いかも知れないが。
 とにかく中を見てみない事には始まらないと、俺は頑丈そうな構えの扉に手をかけた。


 屋敷の中は想像よりも暗い。大きめの窓は森の木々に攻め立てられ木漏れ日程度の光しか入ってこないのだ。日中でも明かりを点けなければならないらしい。広いロビーの天井を見上げれば上品な飾り付けのシャンデリアが釣り下がっている。そういえば、電気は通っているのだろうか。
 壁際は光が届いていない為、サラサラとした手触りの壁をスイッチを求めて手探る。しかしドア付近には見当たらず、広い部屋中をたった一人で探るには少々骨の折れる作業だと言わざるを得なかった。
 奥に進むほどに更に暗くなっていく室内で、懐中電灯を持ってこなかった自分に苛立ちを覚え始めたとき、俺はそれに気付いた。柔らかく沈む足元に、見上げたシャンデリアに、そして何より壁をあさっていたはずの指先に、埃が付いていないのだ。
 尚三氏はほとんどここを訪れないと聞いていたし、外壁はツタまみれだったので、長い間放置されていたものと思っていたが、内装だけは人を雇って定期的に清掃をさせていたのだろうか。
 別の部屋を探ってみる必要が有ると考えた俺は、ロビーホールのライトアップを諦め、奥の扉へと足を向けた。
 屋敷内を包み込む空気が進入者を誘い込むように色づくのを感じないままで。


 最初に届いてきたのは声だった。
 個室に続く通路も暗く、進むのに壁伝いを強いられていた俺はその声に、古い館特有のオカルトチックな現象が始まったのかと肝を冷やしたのだが。声に近付くにつれ、それが明かりのついた部屋から漏れ出していることに気が付く。
 久しく感じ得なかった文明の利器に少なからず安堵できた俺は、漏れ出す声に聞き耳を立てた。声は途切れ途切れではあったが、幼さを思わせる甲高さを持っている。なのに時折裏返る様は、実に官能的で色を帯びた行為を思わせるには十分な湿り気を感じさせた。
 好機と好奇に駆られ、光の漏れ出るドアの隙間から視線を捻じ込めば、そこには果たして件の声の持ち主が居た。

 まず目に飛び込んできたのは、部屋の中央に存在を誇示するように佇む『檻』だった。
 調度品の類は少なく、檻の中を余すところなく映し出す大きな鏡があるばかりで。それはまるで、中に囚われた者を見逃さないもうひとつの檻のようにも思える。
 そして、そこに囚われているのは、たった一人の少女であった。
 黒くまっすぐに伸びた髪は肩にかかるほどで切り揃えられ、その肌の白さを滑り落ち。同じく切り揃えられた前髪の下では大きな瞳が潤う。ぷっくりと膨らんだ頬と唇はほんのりと薄紅色に色付き、肌の白さを際立たせて。身に纏うのは、おそらく絹であろう光沢を持った純白のキャミソールと、おそろいのショーツのみ。床に腰を落とし、夢うつつな視線のままで目の前の姿見に己の艶姿を晒していた。
 先程の甘い声はやはりその唇から零れ出ているものだった。白く細い指先が、まだ成長を始めたばかりの膨らみを包み込んでいる。それはゆっくりと揉み解すように上下し、おそらくその下には何も着けていないのだろう、主張し始めた突起を見つけると執拗にそこを攻め立てた。
 やがて指先は更なる刺激を求め、衣服の下を探りはじめる。細いくびれから這い上がり、滑らかな素肌を味わい、やがて片手は下へと降りてくる。秘所を隠す小さな布に滑り込む細い指先は、やがて湿り気の元へとたどり着くだろう。ほころび始めた秘芯に触れたのだろうか、それとも更に奥に進もうとしたのか、苦痛を思わせて歪む眉とは裏腹に、彼女の声はより高く悦びを大きくして響く。
 部屋の中には少女の嬌声と小さな水音だけが響く。ときには強く、ときにはゆっくりと。しばらくはその自らを慰める行為に身を委ねた後、堪え切れない様子で一際高い声を上げた彼女は、大きく身体を反らせ、しかし締め付けるようにその身体を抱きしめるのだった。


 すっかり脱力して、強く握る形になっていた足の指先までも開いて見せた彼女は、その上気した表情から解き放つように大きく甘い息を吐き出した。
 ゆっくりと床に置かれた大きなクッションへと倒れこむ。小さな身体はまどろむ様に身をよじり、転げた眼差しが不意にこちらを向く。

「誰だ?」

 そのあどけない瞳にも可愛らしい声にも、自らのあられもない姿を晒したという羞恥や怒気は、無い。冷静に、むしろどこか楽しげに響き、後ろめたい行為をしていた俺の背筋を冷たく撫でる。
 静かにドアを開け、少女に姿を明かしてなお、その視線に揺らぎは無い。

「……覗いていた事はあやまるよ。俺は白臼義人、黒墨尚三氏の遠縁に当たる者だ。今度ここが俺の所有物になるんで見に来たんだけど……君は?」
「ほう」

 下手に出ながらも悪びれない俺の遠慮の無い視線が少女を嘗めつけても、彼女の態度は変わらないようだった。
 何かを思案するようにうなずきながら体を起こす少女の瞳には今までに無い不安の色が混じる。

「私は……いや、尚三氏はどうなったのだ?」
「十数年行方知れずだったんだ。親族が死亡届を出す時期が早かったとは思わないが?」

 質問に質問を返された事には眉を寄せてしまったが、向こうもこちらも状況が分からないのでは、話が進まない。向こうの質問には答えたのだ、今度はこっちが答えてもらっても良いだろう。

「それで、君は誰なんだ? この屋敷に取り付いた幽霊というわけではないんだろう? 親類に君のような娘は居なかったと思うし……それに」

 一度言葉を切り部屋の中に歩み入った俺は、ソレに触れる。

「何故こんな檻の中に入るんだい?」

 部屋の中央には堅牢な檻が有る。そこに入れられている少女は囚われの小鳥のようにも見えた。
 つまり彼女は、尚三氏に飼われていたと言うのだろうか。観賞用にか、それとも別の用途で使用するためか。ぞんざいな言葉遣いも尚三氏の受け売りだとするとうなずける。その態度も。いったいどれだけの間檻の中に閉じ込められていたというのだろうか。
 とにかくあまり良い趣味だとは言えない事は確かだ。

「十数年……そうか、そんなに……死? 死んだ……そう、死んだかくくっ、なるほどね」

 うつむいたまま笑い声を殺して肩を揺する姿は、泣いているようにも見えた。再び声をかけようか迷っていると、少女は何かを振り切ったように顔を上げる。

「ああ、すまない。私は……そうだな『ナオミ』とでも呼べば良い。この屋敷の新しい所有者と言ったか? ならばこの檻はお前の物という事になるかな。無論、この身も、だ」
「……」

 俺の考えは、おおよそ間違ってはいなかったという事だろう。少女――ナオミは、さも当然といったように答えた。ならば俺の選択肢は二つ有る。このまま彼女をこの屋敷に隠して飼い続けるか、それとも――。

「ここから出たいか?」

 例え養護施設に送ったとしても、彼女の扱いはこことそれほど変わらないかもしれない。むしろ贅沢が出来ないのだから、生活レベルは下がるだろう。
 しかし俺が飼う事は、世間体が良くないし、第一面倒臭い。先にも言ったように俺の趣味には合わないのだ。
 まあ、彼女に選んでもらえば問題ないだろう。自分で選んだ道なら多少扱いが雑でも文句も言わないだろう。どちらにせよ、こんな檻の中にいることは無い。
 そう思って檻の中に手を差し伸べようと腕を伸ばす。しかしそれを押し止めたのは幼い声だった。

「いや、私はここから出ない。否、出られないと言うのが正しいかな」
「どういう事だ?」

 戸惑う声を嘲笑うように、可愛らしい唇は引き上げられる。表情や仕草は愛らしいのに、雰囲気はまるで年配者のそれだ。おかげでどうも会話の優先権を奪えないでいる。
 返されない答えを待つことしか出来ない俺を見て、少女の笑みは深く沈む。

「まぁ、言葉で理解するのは難しいだろう。そのまま手を檻の中に入れてみると良い」

 彼女の言葉は疑念を抱かせるものでしかなかった。戸惑う俺を促そうと首を傾げてみせる少女の言葉に、訳も分からないまま従うより他になく、中途半端に伸ばしたままの腕を檻の中に入れてみる。

「――――っ!?」

 その瞬間、何かが腕の中に入ってくる感覚と力が抜けていく感覚に襲われた。
 悲鳴を上げそうになるのをどうにか堪え、檻の境界を越えた腕を見る。
 ――そこに有ったのは、白く細い、年端のいかない子供の腕だった。

「ど、どうなってるんだこれはっ」
「くくっ、私も原理は知らないよ。この檻を売りにきた商人は魔法だか呪いだか言っていたが、私はその機能だけを気に入ってしまってね。高い買い物だったが、当たりだったと思っているよ。おかげでこうして生きながらえている」
「魔法、だって? そんな馬鹿な……」

 信じる事は容易ではなかった。だが、確かに目の前にある俺の腕は異質なものに変化している。つまりなんだ? 檻の中にいる少女は偽りの姿だとでも言うのだろうか。
 もう一方の腕を差し入れると、同じように変化した。触れれば柔らかな感触。見た目が変わるのではなく、完全に変質している事が分かる。両手を引き抜くと無事に元に戻った。
 何なのだコレは。本当に魔法呪術の類いだというのだろうか。

「理解したかな? 出来なくても知っていれば良い。お前の物なのだから有効に利用したら良いのだ。コイツの名は『楽園の檻』。入った者の姿を年若い乙女へと変えてしまう魔法の檻だよ。しかも檻を出ると何事も無かったように元に戻るし、入った者は入っている限り少女のままだ。時間も、生命すらも捻じ曲げてな」

 時間を、生命を。その言葉にだけ、妙に熱がこもっているように感じられた。なのに背筋には、一筋の冷気が走る。気付きかけているのだ、目の前の少女の本来の姿に。

「き、君は……いや、あなたはっ」
「くくくっ、いやはや大変だったよ。一人で遊びに来たは良いが、急な発作に見舞われてね。年のせいか心臓が弱っていたようだ。慌ててこの檻の中に飛び込んだのは正解だったのだが、いざ出ようと思ったら身体が動かなくてね。まあ、ここに居る間は腹も空く事は無いし、排泄の必要も無い。病気も怪我もあっという間に治ってしまうので不自由は無かったよ。ああ、時間の経過が分からないのは難点だね。それにする事が無い。暇を持て余して大変だったんだ。おかげで一人遊びがすっかり上手くなってしまった。どうだい? お前もこの楽園で私と一緒に遊ばないかい?」

 良く見ると彼女の足元には、その“遊び”に使われたのだろう、様々な形の道具が散らかっている。どんなに傷をつけても治ってしまうというのだ、考え付く限りの無茶をしたのだろう。見た事も無いようなおぞましい形の物もある。それらを膝で蹴散らしながら、少女は近付いてきた。
 その手は己の欲望のままに差し出され、目の前にまで迫ってくる。檻の境界を越えた手には年を重ねた皺が無尽に刻まれ、土気色の肌には精気の気配が無い。ゴツく尖った関節と太い指が如何わしい己の趣味に巻き込もうと伸びてくる光景に、俺の恐怖心は限界に達した。

「――――っ!?」

 声にならない悲鳴をあげ、後ろを振り向く事も無く、俺は一目散に屋敷から逃げ出したのだった。



 重厚な扉を弾き飛ばし、生い茂る森を掻き分け、細い山道を転げ落ちる。
 そうして、どうにか麓の町まで逃げ帰った俺は、突き刺さる空気と跳ね続ける鼓動のおかげで、今有る生に感謝を感じずにはいられなかったのを覚えている。
 そしてそれ以来、俺はあの屋敷を訪れていない。思い出すことさえ嫌だったのだ。
 あの屋敷は今も、そしてこの先も、あの場所で、歪んだ永遠を孕んだままで在り続けるのだろう。
 屋敷の本来の主と共に。
 いつまでも、いつまでも。



メンテ
こえだの鈴【※ホラー/グロ注意】 ( No.291 )
   
日時: 2013/03/15 22:47
名前: sakana◆092jpOU0d. ID:67ct02nE

※正体バレのホラーです。書いていて、少なくとも私は恐かったので前書きで注意です。自惚れるようですが、自衛として夜読むのはおすすめしません。もしなんなら、恐い話駄目な人は読まずに批評も抜かしてもらって構いません。ごめんなさい。所々ちりばめちゃってます。がつんとくるのはラスト間際です。そしてラストは言葉だけのグロ系きます。もし苦手な人がいたらもう飛ばしてください。




 もはや獣道にさえなっていない泥道に幾度も足をとられ、その度に悪態を吐きながらも鹿児島弥(わたる)は歩みを止めない。
 膝辺りまでのびる草木をかきわけ、この付近、妙に多い小枝に引っかかれながら山の中進むこと数十分。ようやく念願の中道に辿りつくことができた。煩わしい茂みや枝と一気におさらばするため、それほど高くない土手から飛び降りる。ただ思っていた以上に足腰は疲労していたらしい。想像していた以上の衝撃に足は耐えきれず、がくりと流れるように膝をついた。そんな様子の身体に驚き、鹿児島は目を見開く。更にはついでというにはわざとらしいほど、軍手のはめられた両手を勢いよく地面につき四つん這いとなった。
 まさにがっくし、という効果音が相応しい、タイミング的にはちょっとマヌケな様だった。大体「近道しよう」なんて、慣れない道からすら逸れた鹿児島の自業自得とでも言える。
 誰かに目撃されたというわけではないけれど、この醜態を羞恥と認識した鹿児島は、起き上がる切っ掛けをつかみそこねた。「あー」とか「うー」とか一分の狂いもない、四つん這いの格好のまま言葉を洩らす。
 そしてそのまま、つい数時間前の出来事を頭に思い浮かべることをした。
「え? 県外の友達の家に泊まりに行くの? どこの県……って、すぐ隣じゃん。へー、行ってらっしゃい」
 ウエストバックに財布と携帯を入れたところで、姉に声を掛けられた。興味なさげに告げられたその言葉にそっけなくうんと頷き、踵を返す。着替えを詰めたリュックは既に友人宅へ送っていた。
「あっ、ちょっと待って。……ちょっと待ってって、行くな、行くな、待ちいやって! えっと、どこに……あ、これこれ。えっと、それでー……ここ見て。ほらここ。ここに姉ちゃんの知り合いいんの。でね、えっとねえ、おつりとっといて良いから鈴、貰ってきて」
 どこからともなく出した地図を広げ、ほとんど地図記号のない辺りを指さす姉。よく見れば山に囲まれた村のようだ。つられるように姉の頭上から地図を覗きこみ、鹿児島はなんでと聞いた。
「……うんとね、ほら私普段はひとり暮らしてるけど、今実家に帰ってきてるだけでしょ? でね、えと……あの……うん……でるって」
 バツの悪そうな表情を浮かべ、言葉を濁しながら。それでも結局、口にするものは初めと変わらず。
「あっちの家、霊感の強い友達にでるって、言われたけん……ちょっと気休めに」

 その言葉を思い出し、鹿児島はぶるりと身体を震わせる。なんだか想像してしまうと、この静かな辺りが妙に気になってくる。そろりと視線を地面から右に、左に移し、ただでこぼこした道があることに安堵した。そして次の瞬間、勢いよく仰向けに寝そべった。背後は地面。なにもない。大丈夫、なにもでない。想像だけ、恐いことは頭のなかだけだ。
 いくつか、そういう類いの断片的な言葉を口に出しながら、鹿児島はふう、と息を吐いた。
 なにもない恐怖というか、霊的なものに対しては人やはり並みに恐ろしい。鹿児島はそういった類いのものが見えるわけではない。もちろん同時に、それに本当に存在するのかも疑わしいことだとも思ってはいる。が。
 耳を澄ませば、虫の音だとか、鳥の羽音だとか、木々のざわめく音だとか、それに合わせて鳴る鈴の音だとか。もうそれは色々聞こえてくる。静かだと感じてしまうのは、想像が思考を停止させてしまうからなのだとぼんやり思った。
 とそこで、鹿児島は「鈴?」と怪訝そうに眉をひそめた。その音は、鈴だと思いこめばそう聞こえる程度。一音だけで響かない、くぐもった金属の音でしかない。時折聞こえるそれがなんなのか確かめようと、鹿児島はさっと立ち上がり、衣類に付着した土を気にすることもなく、目の先の土手に生える一本の若木に近寄った。少し見上げた辺りの枝に、赤い紐でつるされた鈴がひとつ。紐を摘み鈴を手に取ってみるが、中々音が鳴らない。土が詰まっていることに気がついた。
 鈴を頭上に掲げ、望遠鏡を覗くように片目を瞑り、中の様子を伺う。なにも見えなかった。今度は胸の辺りで固定し、指の腹で付着した土を落としながら、穴を覗きこむ。土しか見えなかった。
 そして鹿児島は、他に鈴が枝に掛けられていやしないかと辺りを見回すが、このひとつだけで、一体何だったんだろうと首をかしげた。鈴をいじることもそう興味や意味があったわけではなかったため、ウエストバッグに無造作に入れる。
 誰かの手で土を詰められたであろう鈴。姉がもらってこいといっていたのは、もしかすると、こういった少し特殊なものなのかもしれないと思いながら、目的地へと足を急いだ。


 その山を抜けると、典型的な田舎が姿を現した。それも山に入る前にあった町や村と違って、大きなショッピングセンターや食べ物屋、ガソリンスタンド等は見あたらない。だだっ広く見開けた、それでいてある一カ所に家々が密集するようなところだった。田や畑が山に囲まれた村を構成し、少量の花々は季節に合わず、鮮やかに色づく。
 まずどこにいけばいいのだろうかと、鹿児島は一度足を止めた。ただ太陽の高い時間帯だったため、坂道を下るとそこに人が。田まで近づく。
「こんにちは。あの、家のものに鈴を……鈴を、この村でもらうようにと頼まれたのですが……」
「んーん? あらあ! こえだちゃんの客かいな。あったらしい、若い人やねえ。こえだちゃんなら、あっちの村長さんちにおるよ」
 その中年女性が向いた方向に目をやれば、なるほど。家々の集まりのあるところだ。ひとつお礼の言葉を口にし、鹿児島は早歩きで言われた方向へ向かう。ただ、どれが誰の家というのはさっぱり見当がつかない。また誰か人に聞かないとなあ、と思いながら、あぜ道や農道をいくつか渡り歩く。
 この見開けた土地で距離感が掴めなかったらしい。無心で歩いていると、ぱっと出現するようかのように、目の先に家屋が現れた。意識したのと同時に、言い争うようながなり声が聞こえ、鹿児島はぎょっと身体を竦める。
「こんなクッソ薄気味悪い田舎にいつまでも居てたまるか! 俺は外に出る! ぜってえ出る! 余所もんがこんくても、ぜってえ! 今日中に! ちょちょっと走ったら山ば抜けれる! それでもう終わりっちゃけん! 知らん! 俺は知らん!」
「なに言っとるん! 灯籠こえだの鈴も持っとらんのに、バカなこといっとるったい! あんたみたいなの、すぐに目えつけられてもう終わりっちゃけん!」
今まで家の中で争っていたのが、外近く、玄関にまで進出してたためか、より一段と声は大きくなる。
 鹿児島はそっと、家々を覗く気分で更に一歩だけ近づくと、一番近く、大きなそれから男が飛び出してくるのが見えた。その後方から、一昔前流行ったデザインの眼鏡を掛けた女性が、男の名前を叫び追いかける。そこで鹿児島は、彼等が自分の方へ向かってきていることに気がついた。男は鹿児島の顔を見て一瞬呆け、その後にやにやと喜びを噛みしめるように素通りし、ふいやっほー! と奇声を上げた。男を追ってきた女性は目を見開き、鹿児島の直ぐ側で止まった。
「あ、あんた……いま、外から、村の外から来たとね」
 確認するようにゆっくりと掛けられた言葉に、戸惑いながらも頷く。するとその女性はほっと息を吐き「もう勝手にしい!」と叫び、男を追うのをやめた。
「あ、あの、大丈夫ですか」
 背で息をする中年の女性に声を掛けると、膝に手を当て汗を拭き取り、少し笑って、取り繕うようにその人は言った。
「で、なしてここに来たん? 業者ん人はまだ来る時期やないし、だれかの親類来るって話も聞いとらんし…………あっ、もしかしてこえだちゃんに用があるとね。こえだちゃーん! お客さん来たけん出てきいやー!」
 にこにこと笑顔で捲し立てられ、鹿児島は頷く暇もなかった。それでもこの村で最初に話かけた人と同じ「こえだ」という名を口にすることから、たぶんこれで良いのだと思った。
 一拍おいて、その家の表から、そっと顔を出すひとりの女の子がいた。じっと鹿児島を見た後、ちょこちょこと駆けてきてその中年女性の背に隠れる。
「こえだちゃん、この人……えーと、灯籠こえだの鈴が目的でいいとよね?」
「たぶんそれで合っています。鈴をもらいにいきなさい、と姉から言われたもので」
 窺うような問いに頷けば、女性はその少女に再び笑顔を向けた。
 その子はというと、少し考えるような素振りをした後、女性の裾を引き、ちょいちょいと耳を求める。そうして耳元に口を当てなにか告げると、女性が鹿児島に言葉を繋ぐ。
「渡す鈴は明日になるばってんよか?」
「あ、はい。大丈夫です」
 延期してもらった、友人との予定までまだ日にちがあると考え、先に送っていた荷物もまだ着かないだろうし、と瞬間だけ思考を逸らす。
 そう答えると、こえだと呼ばれた少女はちょいちょいと女性の裾を引き、再び口と耳を合わせる。
「そうやねえ。もしかしたら知っとるかもしれんから、訊いとこうか」
 こくこく、と頷く少女にそう言って、女性は鹿児島に顔を向ける。
「どこかでこう、赤い紐のついた鈴、見かけんかった? このぐらいの大きさで、いい音がなるものやけど」
「えーと、鈴? ……もしかして、ちょ、ちょっと待ってください」
 手で大きさを現す女性を見た後、鹿児島は山の中で鈴を拾ったことを思い出した。慌ててウエストバッグの中を探る。そうしてバッグの中に少しだけ土が散らばっているのに気がつき、何とも言えぬ気分になった。
「これだったりしますか? 山の、木に引っかかっていました」
 外の銀色のくすみはだいぶ落ちたものの、それでも土の詰まった鈴に音色はない。あっと声を発し、女性と少女は顔を見合わせた。たぶんこれを探していたのだろう。
「土が詰まっているようなんですけど、なにか意味があったりするんですか?」
「つち?」
 続けた言葉に怪訝そうに復唱した女性は、それを受け取って確かめるように鈴を振ると、顔をこわばらせた。よく見れば、少女もなにか驚いたような表情をしている。
 少女は女性の手から鈴を素早く奪い取り、小さな穴から土が出ないかとトントンしたり、耳元で振るってみたり、そうして、どうしようもなくて眉をへの字に下げた。
「…………あの、その鈴……?」
「ああ、これは灯籠こえだの鈴。こえだちゃんのもので、魔除けの鈴のひとつなんよ」
「ふつう、土は詰まっていないんですか?」
「詰まってたら音鳴らんやろ。この音がそういったもんに効くっちゃけん、鳴らんかったら意味がない」
「?」
 一体全体どういうことなのか、鹿児島にはよく理解できなかった。例えば先ほどまで、必死のもの凄い形相で駆けていった男を追わなくなった理由だとか。それも鹿児島の姿を見て安堵するような表情を見せた意味だとか。灯籠こえだの鈴がなんなのか。なぜ土が入っていたのか。それを確かめて、この人たちが顔を強張らせた理由だとか。
 鹿児島にはさっぱり、断片的にも理解できなかった。
「あ、鹿児島弥です。姉から鈴のお代にと、これを受け取っているので先に渡しておきます。図々しいようですが、今日どこか寝る場所をお借りしても良いでしょうか」
「古賀みいこ。この子はこえだちゃん。こえだちゃんは人見知りやけん、まあ好きなようにほどほどにさせとって。泊まる場所ないんならウチに来たらいい。こえだちゃんもおるけん、まあなんやろ」
 こえだはそっと鹿児島の顔を窺いながら、ちょいちょいとみいこの裾を引く。少し身体を倒し、耳元でなにかを囁いた。
「わたるって名前、格好いいですね、やと。こえだちゃん照れとるけん、こげなふうやけど……慣れたらしゃべり出すけん、ちっとばかし話し相手になってやってくれん」
 鹿児島は照れるように俯いて、ありがとう、とはにかんだ。


「なんじゃあ、じじばばの世話でも押しつけられたんかあ」
 無造作に声を張り上げる老人に曖昧な笑みを浮かべ、鹿児島は座布団の上にただ座っている。
「まあまあお茶でも飲んで、みかんも食べんしゃい」
 ずいずいとカゴに入ったみかんの山を押しつけられ、ひとつ手に取った。
 鹿児島の知り得ない昔話を始めるじじばばに、いくつか頷きながらみかんの薄皮を神経質に剥ぎ取る。「そげんことばっかしとるから、若いもんは身体が弱いったい」等言われたが、見栄を張るつもりもなかったので「そうですね」と申し訳なさそうな表情をしただけで終わった。もうひとつ、皮を剥ぐ。
「灯籠こえだの鈴って、一体なんなんですか?」
 だれそれがああしたこうした、どこどこのなになにさんがどこに勤めて、誰を娶って、あいつが気に入らん、こいつがどうした、あの子は偉い子じゃあ、とそんな話の切れ目にさしかかったとき、鹿児島は訊いた。
 みいこの両親だというこの老人夫婦。お客さんだから、とみいこに大人しくしているように言われた鹿児島。大人しく、その老人たちの相手をしていた。彼等と一緒に茶の間で寛ぐ。尤も鹿児島は居心地の悪さを紛らわすかのように、懸命にみかんを食べていたが。
「こえだちゃんは偉かねえ。いっつもひとりで頑張りんしゃって。この辺り、奇妙な動物ばっかでるけん、あの子が来てからわたしらも安心できるけんねえ」
「のお。だいたい、灯籠こえだの灯籠だって、こえだちゃんの苗字だとばっかり思ってたけど、ありゃ名前や。襲名かそれとも前の名か、ワシらにはさっぱり」
「?」
 聞こうとしたものとは、また違った方向に会話が進んでいくが、ともかく鹿児島はいま話していることを理解しようとする。ただやっぱり話が見えてこず、鹿児島は首をかしげるが、そんなことを意にも返さず彼等は続ける。
「やあですねえ、おとうさん。とうろうっていうのは、みいこの知り合いじゃないですか。むかし《とうろーちゃん、とーろーちゃん、とろちゃーん》とか言って、あの子が妹のように可愛がって、一緒に遊んでた子がいたやないですか。なにか向こうに不幸があったらしく、みいこがこえだちゃんを引き取ったけんって」
「ありゃ? ワシはみーこの旦那の知り合いだとばっかし」
「いやだわおとうさん。さっき自分は知らんって威張って言いんしゃったやない」
 そうだったかのお、と若干ぼけ気味のじじは顔の皺を寄せ集めて笑う。
 が、そこで話が飛んだ。じじは突如笑顔を引っ込めて、神妙な顔つきを鹿児島へ向けた。
「山ん中ではむやみに獣の名、呼んじゃあいかん。猟師ん間じゃ、当たり前ん話や。その山にだって、誰かが村に来ん限り入っちゃいかん」
「今日来て明日出て行くわたるさんには、関係のない話かもしれんけどねえ」
 山に、というフレーズを聞き、鹿児島はすれ違い様に出て行った男を思い浮かべる。外見が二十代半ばという、鹿児島よりも年増しな男は、子供のようにはしゃいで村を出て行った。
「男の人が、先ほど出て行きましたよ?」
 その辺りの話は自分にも関係があるからと、鹿児島はあえて掘り下げるような発言する。すると老人夫婦は共に目を見開き、じじの方の方はバカヤロー! と叫びだした。
「余所さまに迷惑ばっかかけやがって、あんのクソマゴ」
 忌々しげにそう言って、大きな足音を立てながら、じじはみいこのいるであろう方へ向かった。みーこ、みーこ! と呼び声がするあたり、やっぱりみいこを探しているのだろう。
 怒りで興奮し出すじじに、体調を急に崩しやしないかと内心ひやひやしながら、鹿児島は静かに見守った。
「…………あの、なんで村に誰かが入って来ないと外にでちゃいけないんですか?」
「攫われるったい」
 神妙な表情で呟くばばに、鹿児島は唾を飲む。
「イノシシ、ヘビ、シカ、サル、ヤケン、恐ろしいもんは他にもある。ただ、喋るやつには特に注意しいや」


 怒鳴るように声を張り上げるじじに慣れているのか、夕方になると、けろりとした様子のみいこが鹿児島を呼んだ。そうして鹿児島と、老人夫婦とみいこと、そしてこえだと。五人揃って、畳の上の大きなお膳で夕食をとった。
 じじばばは、鹿児島が先ほど耳にした内容と同じような、だれそれが、どこどこの、なになにさんが、という話をひっきりなしに続ける。みいこはそれに適度な相づちを打ちながらも、負けじと話題を提供する。今日はバカムスコの所為で食卓が寂しい、鹿児島のお陰で今日の食材が無駄にならんですむ等、口々に愚痴を言った。こえだちゃんは、ふんふん、と大人たちの会話に懸命に頷くだけだった。
 ただその際、鹿児島が気にする鈴の話や獣の話は出てこない。やはり、あまり頻繁にするような話ではないのかと思いながら、鹿児島は飯をつついた。
「弥さん、こえだちゃんが一緒に寝たいっていうけん、悪いけど頼むよ。隣の角の部屋にじじばば、ウチは今日用事があって隣の中村さんちにおるけん、なにかあったらじじばばんとこ行ったら良い。ボケとるけど、頼りにはなるっちゃけん」
 はい、と返事をして、鹿児島は用意してくれたタオルを手に風呂へ行った。起こったハプニングは、季節外れの小さなナメクジが顔を出してこちらを覗いていたぐらいで、後は広い浴室に寛いだ。
 そしてみかんをまたひとつ手に取り、鹿児島は綺麗に薄皮をとった実をふがふがと口に放り込む。身体から湯気を出し、ぐてんとリラックス状態だ。じじばばは寄り添いながら、コタツの前でうとうとしている。そんな様子を見かねたみいこに促され、彼等は自分たちの寝室へ移動した。
 気が抜けてにやけ顔となった鹿児島の側には、同じくほかほかと湯気を出し、火照ったほっぺのこえだがちょこんと座っている。
 枕をぎゅっと抱きしめ、動けば鹿児島に接触しそうな曖昧な位置に。
「こえだちゃん、もう寝る?」
「…………ねる?」
「眠たそうだよ。寝るか」
「まだ寝ない」
 カッ、と一瞬だけ目を見開くこえだに、鹿児島は笑った。
「じゃ、布団に入って話しようか。いつ寝て良いように」
「……ふとんに入る」
 電気を消し、二人は布団に潜り込んだ。その部屋はまだひんやりと、肌寒い空気で充満していたが、布団がじんわりと暖かくなっていくのを鹿児島は感じる。
「こわいもの、いっぱいあるの」
 ぽつりぽつりと言葉を洩らすこえだに、鹿児島はうつぶせの身体を横向きにする。
「それでね、今日みいこさん夜いないっていうから、だからね、おじいちゃんおばあちゃんもいるけど、そっちに行っていつもと違う部屋で寝るのこわくて、……それでひとりもこわくて、わたるさんくっついてい?」
 返事を聞く前に、もそもそと羽布団と枕を寄せる。鹿児島はおいでおいで、と言ってひっつき虫になったこえだに笑いかけた。
「いつもはね、ひとりでも大丈夫なんだけど、今日はたろうさん、でていったから……」
「余所者が来たから、太郎さん大丈夫だよきっと」
 太郎というのはみいこさんの息子なんだろうな、と鹿児島は考える。そして自分のことを余所者と揶揄してそう言うと、こえだはびっくりしたように声を上げた。
「おじいちゃんから聞いたの? 山のこと」
「少しだけ」
「い、いっちゃうけど、いっちゃうけど、お化けが出るんだよっあそこ!」
 直後、きゃっ、という可愛らしい悲鳴を上げ、枕に顔を埋めた。
「でも、こえだちゃんの鈴持ってたら」
「こえだの鈴じゃない。灯籠こえだの鈴。おかあさんがね、もね、やってたの。わたるさんの分、あとはみいこさんがちょっちょっと紐作って付けたらできるよ」
「あー、朝の間に帰るっていっちゃったからなあ。もしかしてみいこさん、今作業してるのか。悪いこと言っちゃたな……」
「昼ごはん食べないで帰るの? 朝、山にはいるのはあぶないよ」
 時折目蓋の落ちる目に見つめられ、鹿児島は少し視線を揺らした。大丈夫と口ごもる。
「そういえば、山で拾った鈴には土が詰められてたようだけど、あれどうした?」
「がんばった。土とった。こう枝とか茎でつんつんしてね、詰めたのと同じ方法でとってるはずなのに、全然とれなくて、うわーってなった」
 誰が詰めたんだろうね。
 そう問いかける前に、こえだはぐりぐりと鹿児島の腹に頭を擦り付け、直後、身じろぎすらしなくなった。ぶつりと意識が途切れるように寝たらしく、安らかな寝息が聞こえてくる。鹿児島は枕と一緒にしがみつかれる自分の腕を確認し、幼い少女をふりほどかないようにと俯せに寝た。


 目が覚めて最初に気づいたことは、寝返りさえできなかった身体が自由になっているということだった。
 知らない天井をしばらく見つめた後、むくりと起き上がりくしゃくしゃになった髪を整える。
 そして枕元の腕時計を手に括りつけた後、布団を整え、隣で寝ているこえだを起こさないよう、居間へ向かった。朝ご飯だから、とみいこにこえだを起こしてくるよう言われ、再びそこへ戻る。
「……こえだちゃん。こえだちゃん。朝。起きろ」
 言葉をぶつ切りにしながら、こえだの肩をとんとん叩く。そうすると「んー」という声と共にもっそり起きた。
「ご飯って」
「ん」
 そうして朝食をすませ、朝の準備をすませ、そのあいだ中、鹿児島はこえだにひっつかれていた。その様子に苦笑しながら、みいこに鈴を受け取る。
「で、こっちがアンタの」
 どういう意味だろうと首をかしげながら、白い袋に入った姉の鈴と、もうひとつ。胴体が剥き出しの鈴を貰った。すこしくすみがあり、端が少し欠けている。
「お古で悪いけど、それやるけん。鞄にでもつけときい」
「いいんですか?」
 何種類かの色で構成された、真新しい紐をバッグに括りつける。歩く度に音が鳴らないようにと、外ポケットに鈴を入れた。
「お守り」
 そしてみいこは「じいさんから」と付け加える。
 ありがとうございます、と鹿児島は破顔し、まだお休み中のじじばばに対してのお礼も告げた。最初の別れの挨拶は、裾を掴み、鹿児島の様子をどこか心配そうに伺うこえだに。次はみいこに。そして顔しか合わせなかった幾人かの村人にも。
 笑顔で何度目かのお礼の言葉を告げた後、鹿児島はさっさと来た道を戻りだした。
 肌寒い季節に加えて、朝という時間帯が追い討ちをかける。感じる寒さに身体を寄せ、素手をさすり合わせた。当初付けてきた軍手は、泥や土が付着し熱を奪うため、防寒という意味でも使い物にならなくなっていた。
 一度通った中道を過ぎ、こえだの鈴を拾った場所にさしあたる。ここから先はしばらく知らない道が続くぞ、と鹿児島は気を強めるが、それでも足取りは変わらず力強い。
 そんなふうに歩いていると、こつん、と背になにかが当たった。最初の内は気のせいだと無視していたが、なんども当たる違和感に、眉をひそめ振り返った。
 思った通りなにもない。けれども歩いてきた道には不自然なほど木の枝が落ちており、首をかしげた。鹿児島には覚えがない。
 するとまた頭上や左右から、枝が飛びかかってき、あっと驚きの声を上げた。
「な、なんで」
 目を懲らしてみる。上へ視線をやると、空をいくらか覆う木々の、異様に大きなざわめきが目に入り。右へ左へ視線をやれば、薄暗い茂みから覗く黄色い目と目が合い小さな悲鳴を上げた。鹿児島が咄嗟に上げてしまった声を合図に、次々と、折られた枝がびゅんびゅん飛んでくる。幸い、目を突かない限り、ひどい怪我を負いそうな大きさのものは混じってはいなかった。けれども道を追われるように、鹿児島は頭を手で守りながら逃げ出した。
 下を向き、懸命に前へ前へと駆ける。しばらく走っていると、枝が身体にぶつかる衝撃がしなくなったため、辺りを警戒しつつ足を緩める。息を荒げながら、つんと冷えた鼻に両手を添えた。
 ただ、安堵できる静寂はその時までで、緊張を解き放たれるまでには至らなかった。ふと声がして、ぎくりと背筋を凍らせる。
 こっちだ、こっちだ、という辺りに響く、低く不気味な声色。心なしか、視界から陽の光が排除されていくように感じる。まだ午前中と言うこともあり、若干朝露が残っている。鳥のさえずりも聞こえる。風の音も聞こえる。五感で感じる、神秘的であるはずのそれらの感覚が、怯えによって全て取り去られると、後は薄気味悪さだけが漂う。
 首の関節がきしむ音を感じながら視線を前に戻すと、しばらく行った先に大きなそれがいた。
 ゆっくりと、いやらしく手をこまねくそれ。図体はだいたい鹿児島と同じぐらいで、その腕は異様に長い。その距離からでも表情はしっかり見えた。
 不自然な二本足で立ち、手をこまねき、同様の言葉で鹿児島を呼ぶ。口の端がつりあげ、歯を剥き出しにするその笑み。ぞっとするような悪意の塊で、醜悪なそれは余すことなく鹿児島へ向けられる。
 そのありえない光景に、今度こそ力一杯の叫び声を上げた。腹の奥から、胸まで迫り上がってくる気持ちの悪さに耐えきれなくなったのだ。更にはそれを目撃してからの間、保ってきた理性が破裂したためか、恐怖で動かなかった身体をむしゃくしゃに動かし始める。
 嫌だという叫びのような泣き声と共に。意思表示として、ウエストバッグを腰から外し、一心狂乱に振り回す。すると、括りつけていた鈴が外ポケットから出、その音を奏でた。
 そういえば、と鹿児島は目を見開く。
「ま、魔除けって、お守りって」
 思い至り、よりいっそうバッグを振り回す。
 恐怖で目を見開きながら、鹿児島もしっかりとそれを見つめ返した。すると一瞬の後には、チィッ、という恐ろしげな舌打ちと共に、背後でもそれらが遠ざかっていく音や気配が聞こえた。これが、これがいいんだ。そう理解した鹿児島は、音が最大になるように鈴をゆっくりと振りながら、そうして山を抜けた。
 コンクリートの道路を蹴り、全速力で近くのガソリンスタンドに駆け込む。そうして従業員を尻目に公衆電話を見つけると、十円だけ入れ、すばやく自宅の番号を押した。携帯は圏外になっていたため論外だ。
 姉が出る。
「弥ちゃん? どうだった?」
 その聞き慣れた、ひどく久しく感じる声に、鹿児島は鼻の奥がつんとするのを感じた。
「さ、さる。猿に襲われた……!」
「あー、食べ物ないのかしらないけど、まだ寒い季節だから人を襲うこともあるんじゃないかな?」
「ち、ちがう! しゃべった! 言葉を! 襲われた!」
 ふう、ぐう、と噛みしめるような声を洩らしながら、鹿児島は姉の言葉を待つ。
「…………どっかの山奥じゃ旅行者ば崖から突き落として、群れで、その、あたまの、中身とか……食べるって話、聞いたことあったり…………まさか、そういうことなん? うわっ……無事で、無事で良かったよほんと」
「っふ、うう゛あ、……ーーうぐあああああ!」
「あっ、泣かないの! 女の子なんだから余所で雄叫び上げるように泣かないの!」
 堪えきれず溢れ出した涙と嗚咽に、姉はそう指摘し、次の瞬間、ごめんね、ごめんね、大丈夫だから、もう大丈夫だからね! と慌てて励ましはじめる。未だ脳裏を掠める恐怖で頭は白く霞む。その隅の端に、姉の温かみを刻みつけるように唇を噛みしめた。
 ただ無情にも、唯一の小銭であった十円玉の落ちる音が聞こえたかと思うと、直ぐさま接続が切れる。受話器のこちら側の鹿児島は、様々な意味で絶望した。
メンテ
you so kind ( No.292 )
   
日時: 2013/03/15 23:57
名前: 風雨◆KMGSQ80VIg ID:UjiwdOi6


 彼とはパチンコ屋で出会った。
 いつまでたっても玉を吐き出さない台に業を煮やして立ち上がったわたしは彼とぶつかりそうになって、正確には彼の臙脂色のマフラーに鼻をこすって、ふわりとよく陽にあてた藁草のような、暖かくて柔らかいにおいが鼻腔をくすぐった。煙草くさくないその空気をもう一度吸い込んで顔をあげると、彼は不思議そうにこちらを見下ろしていて、でもわたしはそんな彼の表情に気がまわらないほど完成された彼の顔に見とれてしまって、もう二回彼のにおいを吸い込んでから、やっと「ごめんなさい」と呟き声のような謝罪をした。それは喧騒にまぎれて自分の耳にさえほとんど届かなかったのだけど、彼はにこりと笑って「だいじょうぶ?」といって、電子音に汚染されたわたしの耳がその一言で浄化され脳みそがくちゃりと溶かされて、恍惚としているあいだに彼はもうすでにわたしの横をすり抜けて通路の奥に消えていった。クラクラとして、手近な台の前に座り込む。喧騒とは違う耳鳴りがした。
 結局その日わたしはまったく勝てなかったのだけれど、交換所で缶コーヒーをもらっていると、彼が特殊景品を手にしているのが見えて、「あ」と思わず声がもれて、相変わらず消え入りそうなわたしの声を彼は優しく拾い上げてくれて、それだけでわたしの思考回路は焼き付いてしまってすっかりなにもかもが消えてしまったかのような浮遊感に包まれた。夢で勝手に自分が動いているような高揚のまま、「さっきはごめんなさい」と手にしたコーヒーを彼の手に押し付けた。「そんな、いいよ」という彼に「ブラック飲めないんです。煙草とかも吸えないし、お菓子は太っちゃうし……」と言い訳のようなマシンガントークが勝手に口からこぼれだして、はっと顔をあげると彼は微笑んでいて、「じゃあ、もらおうかな。ありがとう」と缶コーヒーを握ってくれた。白くて細長い指が蔦のようにステンレスの容器に絡みついて、わたしの背中はまるでその指が這ったように疼いた。
 会話を終わらせたくないけれど、しつこく自分を売り込むような話もしたくない。彼のズボンからはみ出たYシャツの皺を眺めながらそんなことをおもっていたわたしに、彼は怪訝そうに問いかけた。「もしかして、学生?」当時わたしは、制服の上にオーバーダウンを着てパチンコに通っていた。ダウンの裾からは一目でそれとわかるスカートが覗いていて、彼に軽蔑されたくないという恐怖と、彼には絶対に嘘をつけないという強迫観念のような義務感が同時にわたしの頭を覆いつくして、砂漠の地平線を覗き込んだような一秒の後、ようやく「あの……はい」とわたしは答えた。「そうなんだ、いくつ?」「えっと……」会話が、続いてる。不安は燻っていたけれど、その事実は妙にわたしを冷静にさせて、ちらりと目線だけで交換所の店員に目を向けると、「ああ、そだね」と彼は悪戯っ子のように無垢に笑ってスタスタと歩いていった。
 人工的な温もりから放り出されて、鼻や頬が冷たい空気に赤く染まるのがわかった。「16です」店の前に設置されたベンチに座り、コーヒーのプルタブを持ち上げた彼にいうと、「若いなあ。じゃあ高校生か……」と少し大仰に驚いて見せた。まだ明白にではないけれど彼との年齢差を示された気がしたわたしに、彼はすぐに「でも、大人っぽく見えるね」と言い足した。一瞬呼吸が止まって、そして爆発しそうなほどわたしの血液は全身を激しくのた打ち回り、喜びが見えない手で喉を締め付けた。「ありがとうございます。……おいくつなんですか?」「俺?」ちびりとコーヒーに口をつけて答えをじらす彼に、おまえ以外にだれがいるのだ。と心の中で突っ込んで、返答を待った。「21だよ」「じゃあ、五歳も上なのかあ」すぐに口に出してしまった自分を呪う。しかし心の底には、ヘドロの中に砂金を探すような期待がほんの僅かに居座っていた。「まあ、そう考えるとけっこう離れてるね」また彼はコーヒーを傾けた。わたしは嚥下のたびに上下する彼の喉仏に目を奪われていた。
「じゃ、俺はこれで。ごちそうさま」逆さにした缶から最後の一口を啜って、彼は背を向けた。わたしはというと「あ、はい、いえ」だの言語中枢が壊れたのかと錯覚するほど思考もままならなくて、ただ彼にまだ見つめているということを悟られたくなくてとりあえず反対の方向に歩き出す。曲がり角で振り返ってみると彼はもういなくて、うなじに目があれば彼の姿が見れたのに。と気持ち悪い想像をした。

  ■

 彼はあの後どうしたのだろう。教室でそんなことを考える。そも彼は普段なにをしているのだろう。わたしは彼に学生という身分を明らかにしたのに彼はわたしに何も情報をくれていない。しっているのは年齢だけでしかもその年齢もわたしが聞いたから教えてくれただけで彼から自発的に口にしたわけではない。
 もしかしたら彼はわたしのことを煩わしく思ったかもしれない。だから必要以上のことを語らなかった。十分に考えられる。不安の種が脳髄に根を伸ばしてそれはあっという間に芽吹き始めた。鮮烈に焼きついた彼が頭の中でフラッシュバックしその動作の一つ一つが刻銘にまぶたに蘇る。もしかしたら彼は普段から笑顔を浮かべている聖人君子のような人間で、彼の周りの女の子はわたしと同じように彼に貢いでいるのかもしれない。もしかしたらわたしは彼に、彼の周りに群がる男を消費するような類の女だ思われたかもしれない。もしかしたら彼は店にでてすぐにわたしが家に向かって帰ることを期待していたかもしれない。もしかしたら彼は、たとえそれが年齢という些細なことでも、人に自分のことを話すを嫌う人種なのかもしれない。ああどうしようこのままだと急速に生長する不安が頭部から出てくるかもしれない。バカか。そんなことはありえない。
 いや、しかし。「まあ、そう考えるとけっこう離れてるね」妄想の彼がコーヒーを仰いだ。「まあ、そう考えるとけっこう」彼の姿がまき戻されて再び声を紡ぎだす。「まあ、そう考える」どう考えると。だろう。「そう」つまり、具体的な年齢差というものを考えると、けっこう離れている。いやしかし。「でも、大人っぽく見えるね」彼が微笑む。不覚にも足先から脳天まで稲妻が駆けて頭蓋骨の中で乱反射した。うるさい音楽よりも静かに深く、雷はわたしの脳内を犯し不安草は焼き尽くされた。そうだ。彼はわたしに大人っぽく見えるといった。ということはやはり年齢差は彼にとって些細なことでわたしは彼にとって十分許容範囲だったのだ。
 頬が緩む。口角に力を入れると、流行のアヒル口完成。でもわたしはそんなの嫌い。
「莉子ちゃんなんかいいことあったの?」
「いや、ちょっと思い出し笑いしただけだよ」
 わたしは常時アヒル口で男の子に媚ってるあなたとは違うの気安く話しかけないで河野さん。
「真由こそなんかうれしそうだね」「あ、わかるー? こないだ……」わかるのはあなたが自分の話を聞いてほしいためだけにわたしに話しかけたってことだけだよ。あと周りの男の子に聞かせたいからって喚きたてるような大声で話すのはやめてほしいな。
「……で、その曲すごい歌いたくなっちゃって、カラオケ行きたい気分なのー」
「あーいいね、わたしも行きたーい」行きたくなーい。もしかしたらもしかしたら彼と会えるかもしれないパチンコにいって、でも毎日入り浸ってるって思われるのはいやだから店の前でちょっと通りかかった振りをしよう。「あ、やあ」「あ、こんにちは」「今日いまから?」「いや、通りかかっただけなんです」「そうなんだ、こないだはコーヒーありがとね」ああ会いたい。すごい会いたい。だから河野さんあなたは黙ってくれないかな。意味深に男の子のほうに目配せして、カラオケ誘ってほしいんだよねでもわたしは絶対そんなことに時間を浪費したくないのやめてもらえない。
「おーおれもカラオケ行きたかったんだよね!」あーあ。「お? おお?」「行きますか!」「行きませう!」「おれもいくー」「いいねー」わらわらと人が集まってきた。みんな暇なの。だれかこの話断ってよ。でも輪に入っていないのは下位グループのいわゆる陰キャと呼ばれる人ばかりだ。
 はあ。とため息をついたわたしの背を、不意に誰かが叩いた。
「木戸くん」「なんか元気なくない?」「そうかな。元気なつもりだけど」「ならよかった」
 短髪がよく似合う、学年でも人気の男の子。彼の魅力は男女の垣根を無視する無邪気なあざとさと、長い髪で誤魔化さなくても十分通用する精悍な顔立ちだとおもう。河野さんあなたの恋路を邪魔したのは悪いと思うけど話しかけられたんだからわたしをそんな目で見るのは間違えなんじゃないかな。
「木戸くんは? 元気?」「ばっちり元気ー」「見たらわかるー」
 木戸くんが笑う。わたしも笑う。河野さんみたいなたいしてかわいくもなくて自分に自信がもてず自分から積極的に話しかけることができないからってあの手この手で男の子に誘われないかとこしゃくな策を弄するタイプの女子はきらいだから、わたしは彼としゃべるのをやめないよざまあみろ。でも、彼は顔で話しかける女子を選んだりしない。
「というか、どこ行くの?」「いやいや、カラオケでしょ?」「まあそうだけどさ」他愛無い話。でも木戸くんと話してて得られるのは優越感とか、そういったドロドロとした類のものだけで、もちろんそれは楽しくないわけではないけど、それでもどうしても男の子と話していると彼の声が顔が姿がちらついた。ごめんね木戸くんわたしのこと好きなんだよね実は田中くんから聞いてたんだ。でも木戸くんのこともすきだよ。愛してないだけで。

 結局カラオケはすごく盛り上がって、途中で抜けることなどできなかった。なんたる意志薄弱わたしの彼への想いはその程度だったというのか。いいやそんなはずはないしかし事実としてわたしは彼よりもクラスメートとのくだらないカラオケに付き合うことを優先したのだ。これでは河野さんのようなクズ女と同レベルではないか。自己嫌悪。ケータイがバイブレートした。ベッドの中で寝返りをうって画面を確認する。木戸くんだった。メールを開く。今日は楽しかったね以下略。どうして木戸くんはわたしのことを好きなんだろうか。彼がほめてくれた見た目だろうか。それとも、それともなんだろう。考え出そうとしてやめた。自分の魅力をあらためて考えるなど野暮だ。わたしは彼さえいればいいのだ。木戸くんがわたしのことを好きだろうと知っちゃこっちゃない。いやしかし、木戸くんに迫られていることは十分役に立つことではないだろうか。頭の中に河野さんの男子にはばれない薄化粧で誤魔化した醜い顔が浮かぶ。そうだ、きっと役に立つ。

  ■

 カレンダーの数字は赤、日曜日、新台入替。朝八時半。もし彼がくるなら、そして開店前に並ぶのなら、これほど都合のいいことはない。制服の上にコートを羽織る。期待に胸が膨らむ。破裂してしまいそうなほど。まだ八時三十八分。しかし早すぎるということはない。お気に入りのスニーカーをはく。玄関を出てパチンコに行くまでの道のりが遠くて、しかし近づくほどに足は重くなる。足そのもの、というよりは脳の機能に障害がおきて、結果足を動かすに支障がでているような。角を曲がれば、パチンコが見えるというところで、痺れは全身に広がって、ついにわたしは足をとめた。意識して息を吸って、ふっと吐く。まぶたの裏に彼の姿を思い浮かべた。会いたい。しっかりとイメージすれば、それは現実になる。これは祈りなどではない。目を開いて、石のようなからだを無理やり動かす。きしむからだ。油を差したい。
 いない。彼の姿は、瞳に映らない。浮かびだしそうなほどに膨れ上がっていた高揚感が、ぐしゃりと叩き潰された。ぐしゃり。はちきれそうだったそれは、簡単に弾けとんだ。彼はいない。一歩踏み出してパチンコの扉の前で列を作る人たちの顔が鮮明になる。いない。ざまあない。いないのだ。自嘲して、アスファルトの欠片を蹴りつけた。ころころと転がった石ころが植え込みにぶつかる。いや、でも。まだ。四散した高揚感をあさましくかき寄せる。まだ、彼がこないって決まったわけではない。時計を確認すると、九時十一分。まだ、彼はくるかもしれない。けど待つのはきらい。大きらいといってもいいかもしれない。でも待てないで彼と会えないのはもっといやだから、きっと待てる。ケータイを取り出す。サブディスプレイが光っている。河野さんから、メールがきていた。金曜日のカラオケ楽しかったね。また行きたいね以下略。下卑な絵文字が鬱陶しいことこの上ない。同じような内容なメールが昨日も、一昨日もきていた。いい加減にしてほしいな。なんとなく彼女に意地悪したくなる「楽しかったねでも木戸くんと話してばっかりだったからちょっと申し訳なかった以下略」文面を読み直すだけでにやりと笑みがこみ上げる。これを読んだとき、彼女がどんな顔をするか。でも、かわいそうだから、送るのはやめておこうかな。指先で送信ボタンをなぞる。河野さんをいたぶっているような、不思議な征服感があった。
「どうしようかなあ……」
 放置された画面が暗転する。一度だけ送信ボタンを押すと、バックライトが再びともった。

「あっ」「えっ……」声に体がばちりと反応してしまって、文章がわたしの手を離れデータになって河野さんのもとへと飛んでいく。「おはよう。はやいね!」「あ、えと、はい! おはようございます」
 頭に引っかかった河野さんのメールを、彼の声が強引に引き剥がした。
「並ぶの?」「はい、並びます」オウム返し。彼がわたしの隣を歩いている。歩いている。糸が絡んでしまった操り人形みたいにわたしも歩く。彼とわたしは同じ動作をしているはずなのに、それはまったく違って見えた。歩いている。彼が。彼は靴の踵をすり減らすような歩き方をしている。彼の左手を欲して、右手が痙攣した。
「いつも新台の日は並ぶの?」「普段は並んだりしないんですけど、今日はちょっと早く目が覚めたので」「そうなんだーすごい偶然だねー」「うれしいです」「ん? そだねー」
 ああしまった。自然じゃない。けど不自然でもない。言葉が、勝手にでてくる。きっと彼が悪いんだ。
「九時二十分か。まだけっこう待たないとだね」「そうですね」列の最後尾に立って、彼は時計を見た。またもやうれしいですといいそうになって、あわてて言葉を飲み込む。つまり、残り半時間強彼を独占できる。背があわ立つ。指先が震える。
「どこ通ってるの?」「西南です」「そうなんだーじゃあ頭いいんじゃん」「そんなことないですよ、ついていくの必死です」「またまたー」「ほんとですってば!」
 彼と話をしている。普通に。何気ない。当たり前の。なんでもないようなことが幸せなんて馬鹿なことがあるかと思っていたけれど、わたしはいまたしかに信じられないくらい満たされている。
「名前、なんていうの?」心臓大爆発。「や、山下です」開いた口から飛び出してきそう。
「下の名前は?」「莉子……です」
 彼の顔を見れない。真っ赤になっていることがばれてしまうから。寒いから。だからわたしは赤くなっているんです。と、もしそのことに触れられたら答えよう。
「あ、ごめん。迷惑だった?」「ち、違うんです! そうじゃないです!」
 ごめんなさいわたしが恋愛なんてろくにしたことのない、せっかくすきになってきてくれた木戸くんも利用しちゃうようなゲスな女だからあなたの何気ないことば一つ一つに心がかき乱されてるだけなんですですからどうかわたしに気なんて使わないでください。
「なんて、いうんですか?」「ん?」「お名前……」「ああ」
 ああ。って。わたしがどれだけ勇気をだしたと思っているのだ。口を開くと心音が漏れ出しそうで怖いんだぞ。
「相田雄也。っていいます」
 彼はいたずらっぽく笑った。笑ったというよりは目を細めたといったほうがいいかもしれない。
「莉子ちゃん?」「えっ、いやっ、はいっ」
 殺す気か。いや、きっと死んだのだ。なんという異世界。なんという桃源郷。
「あ、山下さんって呼んだほうがいい?」「いや、いいです。下の名前で。呼んでください」「莉子ちゃん面白いね」「それって褒めてます?」「ほめてるよ」「うそだー」「ホントだよー」火照った顔に風が気持ちいい。わたし、恋愛してるんだな。気持ち悪いせりふ。けれども、ふっと。磨き上げ、尖らせた悪意がいつか、近づいてきた彼を貫くのではないかと、不安の虫が寄生する。
「雄也……さん」「はい」
 彼に殺されたい。ことばだけでなく。物理的に。殺意。の逆。

「莉子ちゃん?」
 謎の声。否、河野さん。あ、メール。わたしを浮世に甦らせる。
「河野さん?」真由、とは呼ばない。余所行きの服をきていた。おしゃれだね。あんまり似合ってないけど。「彼氏? かっこいいね」ちげーよ。死ね。「友だち?」「学校の、クラスメートです」「そうなんだ、河野さんか」
 やめて河野さんなんかに笑いかけないでこんなミーハーで低俗な女なんて呼べない雌に。
「というか莉子ちゃん彼氏いないの?」生きろ河野さん。よくやった。「いないです」「好きな人とかも?」「うーん……年上の人とか、好きです」「そうなんだー」河野さん悪いけど放置させてね。ごめんね。我ながらあざとい返事。「あ、あたしもしかして邪魔だったかな?」
 うるせえな。
「あ、俺のことは別に気にしないでいいから」よくないです。やめて冗談でも。河野さんを追い払うのが、先決だ。「真由これからどこ行くの?」「木戸くんが、ちょっといいかなって」よくぞ聞いてくれました。といった体で、河野さんは答える。「そうなんだ」じゃあ、わたしのメールのことも許してくれるかな。
「山下?」「……木戸くん」
 ドッキリでも仕掛けられたのだろうか。都合の良すぎる彼の登場にわたしはそんな疑念を抱く。木戸くんは肩で息をしていた。深い緑色の、ファーつきのオーバーコートがとてもよく似合っている。
「どうしたの?」「いや、河野さんと待ち合わせしてて……」「パチンコの前で?」「うん」「変わってるね」
 狙ってるね。といいたかったけど、やめておいた。これは、チャンスだ。
「えっと、どうする? 木戸くん」河野さんが木戸くんのコートの袖をつまんだ。それ、嫌われるよ河野さん。「うん、じゃあ行こうか」後ろ髪を引かれる。とはこのことだろうな。「じゃあね」「うん、また」かわいそうな河野さん。それからかわいそうな木戸くん。木戸くんは最後までわたしのほうを見ていて、それからちらちらと雄也さんのほうを見ていた。
「なんか、嵐みたいなクラスメートだね」「え、あ。ごめんなさい」「いや、面白かったよ。莉子ちゃんの面白さの源泉をみたね」「ちょっと、違いますよ!」彼はクスクスと笑った。「にしてもイケメンだったね」きた。「河野さん、彼のことが好きなんです」「へー。よかったじゃん。これからデートなんでしょ?」「そうなんですけど」「けど?」彼の顔を覗き込む。マフラーが暖かそうだ。「実は、さっきの、木戸くんっていうんですけど、わたしのこと好きみたいで……」「えー! じゃあ三角関係じゃん!」「そうなんですよー」実際、困ってなんかいないのだけど。実際、うれしくて仕方がないのだけど。「河野さんに申し訳なくて……」「あーなるほどー」「彼氏とか、いないんだもんね」「そうなんです」そうですわたし彼氏いないんですそれで困ってるんです彼氏募集中です。できすぎなくらいの完璧な流れ。沸き立つ血液。
「うーん。そうだねー……おっ」列の前のほうが動き出した。クソタイミング。「あの」「ん?」彼の興味はもうすでに、店の中の新台だ。悲しい虚しい。こっちみて。「彼氏って、木戸くんにいってもいいですか? 雄也さんのこと」
 沈黙は、一瞬だけ。恐怖と期待。
「いいよー」終わり。それだけですか。どうして。ホントに。彼の顔を見上げても、彼は店の中を一心に見つめているだけで、わたしに興味なんて欠片もないようだった。ああもうだめ泣きそう。
「じゃあ、お互い勝てるといいね」
 そういって、彼は店内に消えた。

  ■

 店の前のベンチでいくら泣いても、彼はいっこうに現れない。あーそうですかわたしみたいな子どもに興味はないですか。そもそもわたしは彼のなにが好きだったの。それはもちろん、なんだろう。顔もすき。髪型もすき。服装もすき。体型もすき。声もすき。言動もすき。なにもかもすき。
 「はい」泣いて泣いてなきつかれてぼんやりとしていると、誰かがわたしに声をかけた。一瞬、彼かとゲロ甘な期待をしてしまう。でもそこにいたのは木戸くんだった。「ありがと」差し出されたコーヒーを受け取る。温かかった。「どうしたの? 河野さんは?」涙を拭く。落ち着いてみると、木戸くんはまたもや肩で息をしていた。「いや、なんだか気になって戻ってきた。したら、山下泣いてたから……」「ああ、うん。まあいろいろあって」「隣いい?」「いいよ」河野さんも、泣いてるのかな。そう思うと、ちょっとだけ彼女のことがかわいそうだとおもった。いつものかわいそうではなく、心から、申し訳ないとおもう。「木戸くん、わたしのこと好きなんでしょ?」そういうと、木戸くんはちょっとだけ驚いたような表情をして、それから「うん」といった。「河野さんが木戸くんのこと好きだってこと、知ってた?」「ああ、薄々」「そう……」返事をしなければいけないのだろうけど、なぜか考えがまとまらない。木戸くんもなにも言わない。でも少し、沈黙が心地よい。
「わたし」「うん」なにを言いたいのだろう。むしろなにをいってもいいのだろう。「河野さん、泣いてなかった?」「あーどうだろう。たぶん、泣いてるかも」木戸くんは頭をかいた。あのアヒル口がゆがんだのか。「木戸くんは、河野さんに興味ないの?」「うん、ないね」自分で自分にダメージ。こんなふうに、雄也さんもわたしに興味ない。「もうちょっと、待ってもらっていいかな」「うん」これは、迷う時間ではない。割り切って、あきらめて、忘れて、前を向く。そのための時間。
「ねえ」「うん?」「なんか、わたしに話してよ」「わかった」木戸くんは従順で、楽だった。
 木戸くんは、どうして自分がわたしのことを好きなのかを、語った。それはとてもわたしが雄也さんのことを好きな理由と似ていてくだらないものだったけど、それでもわたしは木戸くんの話に自分が楽になっていくのを自覚した。くだらない。くだならくて、心地よい。少しだけ、ほんの少しだけだけど、くだらない河野さんやくだらない木戸くんとも真面目に真剣に、付き合ってみようかな。そうおもった。

 それなのに。
「莉子ちゃん」「雄也さん……」でも。やっぱり。彼がパチンコ屋から出てきて、わたしとわたしの隣に座る木戸くんを見て、そしてそれまでにない真剣な声色でいった。「俺の彼女に、なんか用?」傲慢に、雄也さんは、わたしの手から缶コーヒーを奪い去る。手からぬくもりが消えて、その瞬間またなにもかもがくだらなくて無為なものにおもえる。「えっ……いや」「じゃあ、あんまり、莉子に近づかないでくれるかな?」「いや、その……」コーヒーを仰いで、一気に飲み干して、そして色っぽく息を吐いた。わたしは、彼の姿に見とれている。木戸くんのことなんて、思考の外に追いやられる寸前だ。不毛だ。ここで引き返したほうがいい。頭の中で、声がした。わたしの思考なのに、木戸くんの声だ。けど。
 立ち上がると、彼がわたしの肩を抱いた。「行こうぜ」並んで歩き出す。夢のようなシチュエーション。木戸くんは、泣いているかもしれない。でも。それでもわたしは。「木戸くん、ごめんね」さよなら。ありがとう。
 しばらく歩いて、河野さんとすれ違った。わたしと彼を見た河野さんは、それまで以上に必死で走っていった。
 それをみてわたしは、やっぱり、くだらないと思った。
メンテ
パーフェクト・シンデレラ ( No.293 )
   
日時: 2013/03/16 03:06
名前: アリス ID:4i30KdJI

 眼球を食べる瞬間のことを、今でもよく覚えている。
 確か部屋で寝る時、姉が、誰それからもらってきたよと見せびらかすようにグリム童話版の『シンデレラ』を持ってきて、読んであげるわとちょっとだけ微笑んだ姉が一番最初だったと思う。グリム童話版の『シンデレラ』の最後では、継母と一緒にシンデレラを苛めていた姉二人の両目が刳り貫かれるのだけど、それを教えてもらった時、それっていったいどんな心地がするのだろうかと気になっていた。だからその童話を優しい言葉と瞳で教えてくれた姉が寝ている時、こっそりと枕元にあったカッターナイフを持ち出して、姉の目をこじ開け、思いきり刃を突き刺したりした。姉が痛みに覚醒すると唇を悶えるように彷徨させては私を突き飛ばし、絶叫に指先を震わせ始めたが、刃は姉の眼球を、意外にもあっさり抉り出していて、姉の左目は空虚な真っ黒を惜しみなく曝け出し、そこから溢れ出した血液を頬に垂れ流し始めていた。床に転がった眼球には、その末端から細長い管のようなものをくっつけていて、床に様々な液体を吹き飛ばした。姉は失神した。眼窩を暗闇に放り投げた片目に、めり込むほど両手のひらを押し付けて。私は少しだけ姉の狂気に爆ぜた叫び声に震えていたけれど、それ以上に、その眼球から目が離せないでいて、その眼球をどうにか私の手で何かしらの何かをしてみたいなと思い始めていたのだった。部屋は暗かった。そこらじゅうに散らばった血飛沫が、姉の髪が、何もかもが灰色と黒の二色に分割されている視界はきっと、片側の窓から月明かりが差し込んでいたからだった。私はカッターナイフがまだまったくもって鋭利な煌めきを持っていることを知っていて、だったらそれこそこの刃で、ああ眼球を解剖してみたいなあと思ったけれど、いやその前に、と少しだけ待ったを掛ける意識が冷徹な冴えを実演して見せるように舞い降りた。解剖したって、それこそ小さな小さな未知の快楽を私に教えてくれるだけじゃないのか。目の構造なんて、これから将来きっと、理科の授業でいくらでも教えてくれるんだって誰かが言っていたのと同じように、こんな暗がりで姉の目を切り開くことに、それほど価値があるのだろうか。いや、そんなはずがない。どうせいったいこんな風に、眼球を生の温もりを持って目の前に転がすことのできる人間なんて一握りだけなのだから、これから先、そして誰しも簡単には経験できない何かをやって見せた方がいいだろう。それは何か。小学校では教えてくれない、そこらにある童話では教えてくれない、私だからこそ知ることのできる新しい感覚や快楽っていったい何があるのかな。そうした時、カッターナイフは要らないと気付いてそれを床に突き刺すと、転がった眼球を見つめた。窓から入り込む光がすっとちょうどそれを掛かって煌めき、液体も血液も、一緒にして綺麗に見せてくれるんだから恐ろしい物だ。手のひらがねっとりとして生暖かい気がしたのは、それはまあそういうことだとしながらも、片手はなぜか冷たい。寒さじゃない。快感だった。だけど、それをもっと強い物にして見せるのは、眼球を切り開いて遊んだり、それを転がして見せることじゃないだろうって、もう一人の私が囁く声も簡単に聞こえる静寂だ。姉の絶叫に、親が目を覚まさなくて本当に良かった。
 私は姉の眼球を、口に入れた。生温くて、まず一番最初に鉄のような味がして、これはまあ眼球の味ではなくて血の味なんだろうなってわかったから、どうしたらこの丸い眼球に味が生まれるのか少しだけ頭が回らなかったけれど、それでも普段の食事を思い出した時、よく噛んで食べなさいって頭を撫でられたことが過ぎって、だったらそれに倣えばいいやと奥歯を思いきり噛み締めた。柔らかい感触がして、完全には分解しきれないいくつかの部分部分が口の中に広がった。果物とはまた少し違ったような心地がして、噛み締める度に、口の中を液体が満たして、私の唾と混じった。それが一杯になったところで飲み込もうとするのだけど、眼球の噛み砕かれた部分たちを喉に差し上げてしまうのがもったいない気がして、そして同時に、ああもったいないって思うってことはもしかして私、この眼球が美味しいんじゃないかとなんとなく気付き始めてもいた。大好きなスイーツをいつまでも口の中で転がしていたいように、クリームを舌の上でずっと舐め続けたいように。この眼球の咀嚼された柔らかな果の部分を、口の中で永遠に唾液に浸し続けていたいような。そして、口の中に溢れる水分たちと一緒に溢れ出る、頭の中をこれでもかと刺激するじわじわと天上に押し上げるような満足感。その感覚は液体みたいに頭や意識をしっかりとどろどろに溶かしてくれるどこかしらの悦楽があった気がして、それを味わっていられるのなら、眼球ってなんてこんなに美味しいんだろうって、私の中にある全てが、しっかりとその味を覚え込んでしまったのだ。







 殺しはしなかったけれど、こんな美味をいつまでも追い求めることが出来るのであれば、それはそれで家族だって捨ててしまって構わないのだとカッターナイフが命令するのをいいことに、私の右手が今でも流暢に前髪を割り裂いて、その瞳たちを抉る取ろうと一斉に神経が逆立つ瞬間だって、またしても脳内にぐにゃりとした歪みと共に、またしても快楽を与えてくれるんだってことを私は思い知った。殺しはしなかった。それだけはまだ一線を保っていたかったけれど、どうにもこうにも、いつまでも眼球を抉って、食べ続けた向こう側に広がっていた景色は、姉に童話を聴かされて、頭を撫でられ、平凡に学校へ行き返りを繰り返すあの頃の私と果たして同じかと疑問にぶち当たるほどの世界だった気がした。だからそうやって引いた線引きが、いつの間にかどうでもいいやって快楽の麻薬が囁く。だから今では目を奪った後、同時にその喉を刃で切り裂き絶命させた。それもまあ、生きるためには仕方ないのかなと言い訳をした。いやいや色々な私のような女の子は、それでも眼なんか食べずに生きてるのに何を理由にそんなこと。何よりも、自分の体を以前の自分だと認識する力がなくなったのか、それとも根本的に何もかもが捻じれてしまったのか、どうにもここ数か月誰かの眼球しか食べていないことに気付くと、なるほどどうやら私の体は、普通の人間がご飯やみそ汁を食べて生きるように、眼球を主食にしても生きていける体にすり替わったことを理解した。『も』ではなく、それだけが私の体に栄養をくれる唯一の存在だと。
 眼球が主食。
 なんだか、いい感じがした。
 映画館と喫茶店を一階に構えるビルの谷間の、やっとこさ一人が通れるような細い道に誰かしらを連れ込んで、いやいやこんな幼女に狭い路地裏の空気を一緒にすることに何の期待を持つのか、誰もが簡単に私の誘導をうのみしてくれて、結局は最後の地面にひれ伏す瞬間を見るのだ――いや、見ないのだ。詰まる所、こんな小さな体のおかげで、誰も油断して、きっと私の顔が可愛いこともあったから、簡単に私の主食を提供してくれるのだ。
 人間の眼は美味しいなんて、誰も知らないのだろうなあって雑踏を見上げながら見下した。あんなにも素敵な快楽が身も心も完全に蝕んでくれるなら、何もかも要らなかった。家も捨てて、学校に行かなくなって、ただこの身一つで街を練り歩いて、お腹がすいたら眼を抉る。街の電気屋が軒先に置いたテレビが喋る、眼だけが異常に奪われ殺され続ける事件の犯人なんていうのは私には知らなくて、知ってても通報しないよと微笑んだ。そんなニュースを見ていながら、コートのポケットにナイフを忍ばせてくすくすしているんだけど、そしたら昼間だったのが都合が悪くて、いろいろな人に、お嬢ちゃん何やってるのと笑い掛けられる。ニュースが目の前で流れているのに、ってとても皮肉な状況がむしろ滑稽ないんだけど、それでも寄り添ってくる誰かの温もりは、文字通り『糧』となって、完全な暗黒に身をやつす代わりに私に所為を与えてくれる。小さな体は便利だ。女の子は便利だ。だって、何もしていなくたって私に眼をくれるんだもの。痛みの代わりに私が快楽を手に入れる。歯がゆっくりと白い表皮を砕こうとめり込む瞬間のあの柔らかな感覚を、誰しも知らないなんてきっと損してるのに。
 それでも街を歩けば、誰かが話しかけてくれて、また今日も、夜の中に夜を作り出す。街頭があるから今まで闇は光を手に入れていて、あなたも私も光の刺す方へ、そしてそれを頼りに歩けていたんだけど、だからって、夜にあまりにも似つかわしくない少女の後姿に惹かれるなんて運が悪いのか邪なのか。だけどそれがとっても便利で、そりゃ夜を歩く小学生に声を掛けたくなるのもわかるんだけど、それでもまあ、そんな夜が永遠の夜になっちゃって、いつまでもいつまでも光を掴めない昼を渇望するすり減った世界に墜落するなんて思ってもみなかったろうにと、男の人の指先を掴んで歩く。もしかしたら少しだけ、そういうことを期待しているのかもしれないけど、痛いのは嫌いだから代わりに痛い目に合ってって思うのは別に悪いことじゃないし、だって誰しも気持ち良くなりたいって言うのは自然なことだから、だからあなたも私を見つけた時に少しだけ喜んで期待して、今でもこうやって手を引いてくれているのだろうけど、でも快楽を求めるあなたがそうなら、私だって快楽を求めたっていいよね。つまり私はあなたをいくらでも批判しないけれど、それでも光を奪われることをまったく後悔しないでね。
 






 さすがにまずいかなと思いつつも、やっぱり土地勘のある場所を練り歩くのがもっとも手っ取り早くその日の食事を集められる。小学校に通っていたんだけどなあ、と遠目から見つめる校舎の姿が前よりもずっとずっと寂れて見えて、もしかしたらいつまでも眼球を主食に食べ続けたんだから、私の体質は結構変わってしまって、それこそ視力だったり何なりに影響を与えてしまったから、それほど時間が経たずとも、あんな風に景色が退廃的に見えてしまうのかなと思ったりもした。だけど、あれから長く進んできて、一切眼球しか食べてこなかったけれど、これといった大病に掛かったり、体が痙攣したりしたことはなかったし、いたって元気に生活できている。普通の人だったら眼球だけを食べ続けたって栄養も何もないのだからすぐに力尽きてしまうのかもしれないけど、私の場合は眼球でしっかり空腹は満たせるし、それで栄養がきちんと受け取れるのだろう。私はそういう『私』なのだ。
 小学校から少し離れたところに自然公園があった。夕暮れの時間になったりすると、男子たちが友達を連れてここに集まり、球技なんかしたりして遊んでいたのを見たことがある。もちろん参加したことはない。今は真昼で、人っ子一人いなかった。小学生なんかいるわけなかった。いつもは大人ばかり狙って眼を食べていたので、今日はもしかしたら小学生の眼でも食べてみたらいつもとはまた違った感覚に身を投じることが出来るのではないかなって思ったりしたんだけど、どう考えても早すぎた。それに、私のことはこの辺りでは十分知れ渡ってるだろうから、小学生が集まる時間帯に公園にいたくはないし、騒がれているから、夕刻になったとしてここに小学生が来るかどうかすら怪しい。今まで大人たちは、私みたいな小さな女の子がいるってだけで――そして、そんな少女がいくらでも何かしらをやってあげるかもよって誘惑するんだから、結構なところ皆、話題になってる私が髪型を変えた程度に気付かず、すんなり連れて行ってくれるものだ。だけど、小学生相手にそれは使えないかも、なんて思ったりもする。そういう無垢さが私とは違って、あった様な気がするのだ。
 あまりにも暇でブランコを漕いでいると、入り口から男の子がやってきた。私服だったし、どことなくあどけなさが残った顔立ちをしていて、それほど身長も高くなかったから、瞬間的に小学生――同い年くらいの子だな、と分かった。ブランコを漕ぐ勢いが、そんな小さな昂ぶりに乗って勢いを増した。お昼は食べなかったからお腹がすいていたんだよ、と遊具を掴む腕たちをそっぽにお腹がぐうぐうなるので、早く彼の眼が食べたいなあと思った。一番勢いがついた時、鎖を掴む指を離して飛び立つと、浮遊感に風が全身を撫で上げて、最終的に地面に着地する快感を私に押し当てる。じんわりと着地した実感が湧き上がって、やっぱり気持ちいいことは気持ちいいんだなと改めて実感した。だからそうであるように、別に彼に近づいたところで誰にも咎められることじゃないのだ。
 私が彼に近づくと、私の言葉が彼の注意を引く前に彼が私に気付き、声を掛けてきた。
「あ、ミチルさん……」
「……わたしと、知り合いだったっけ?」
「知り合いも何も、同じクラスだ、ったよ」
「ああ、そうなの? ごめん、全然覚えてなくて」
 私は言いながら、彼の首を片手で思いきり掴みかかると、その勢いに負けた彼がゆっくりと仰向けに倒れた。私は無意識でもしっかりと動くようになったもう片方の手を確実に動かして、彼のお腹に跨り、ナイフを彼の眼に突き入れた。てこの原理なんて知らなかったのだけど、刃を思いきり突き刺した向こうに、なんだか固い部分がある。恐らく神経か太い血管なのだろうけれど、それを見つけ出したら簡単で、それをすっかり斬り捨てるように抉り出すのだ。少しだけ苦労するこの瞬間は、苦労があるだけに、眼球をぶちぶちを眼窩のすり替えに取り外した時、そこに釣り下がった血管と神経の交わった様などろどろの血管が血飛沫に嘶く、その瞬間こそ本当に体中に気持ちの良い鳥肌が立つ。眼球はそれでもねっとりと液体を滴るから、いやそれもやっぱりもったいないなと、白昼の公園で堂々と液体を舐めとり、それからゆっくりと眼球ごと口に運んで咀嚼した。歯が、喉が、舌が、息が渇望していた。そういうものが、今でも私を確かな心地よさに運んでくれることが嬉しくって溜まらない。それも、大人とはなんだか違った、幼く不完全な眼球だったような気がして、それを喉や頭が確かな差異として私に教え込もうとするから、ああなんて美味しいんだろうって、なんだかいつも食べているものより美味しいんじゃないかしらと言わんばかりの悦楽が身も心もゆっくりゆっくり熱に帯びさせようとするのだ。彼は痛いよ痛いよと泣き始めて、無いはずの眼球と目元に、血に汚しながら手を押し当ててた。あの時の姉みたいで滑稽だ。無いものに触れようとして、いったいどうするつもりなの。私は彼の手を押しのけて――いやいやあまりにも目元からどかさないから、その手に思いっきりナイフを突き立てて、ねえねえどかしてこの手をどかしてよおと私が笑うと、さすがに彼も手をどかしたから、ゆっくりまたしても確実にもう片方の眼球を抉ることが出来たのだった。
 彼の何度もじたばたする手の最後の抵抗が、がりっと私の首筋を切った。よく見れば、自分の手の甲や腕のところに引っ掻き傷があって、どうやら様々な殺人を繰り返しているうちに、殺される人の抵抗を受ける回数が増えて、きっと傷が増えてしまっていたようだった。そんな血も、ちょっとだけ痛いのは別として、それはまあなんだか慣れたようなものだと私も笑える。笑っていれば、また誰かが私を探しに来るんじゃないか。そしたらまた、その眼球を刳り貫いて、うふふと悦楽に身を浸すことができるのになあ。
 彼が痛みに泣き喚いていて、それをバックに眼球を美味しく食べていると、近くの茂みが動いた気がして、はっともったいなく眼球を飲み込んだ。噛みしめた時の液体が美味しいというのに、そんなことを差し引いても、そこに誰かがいたのかもしれないという事実が、私の小さな驚きに成り代わって喉を締め上げる。私はナイフをしまって茂みに駆け出した。すると茂みから、またしても同い年くらいの風貌の男の子が飛び出して、自然公園の奥の方へ逃げ出した。平日の昼間に何してるのか、という質問は結局私に返ってくるから無しとして、私は彼を追った。







 自然公園の一番奥にある長い階段の一番上に、彼は立っていて、こちらを見下ろしていた。
「……マドカくん」
「ミチルちゃん、久しぶりだね」
「……何してんの?」
「それはこっちが言いたいんだけど」
 マドカくんは、私が小学校に通っていた頃、他の誰よりかはずっと仲の良かった男の子だった。もしかしたら、好きだったのかもしれない。多分、一回や二回デートはしただろうし、一度か二度は家に連れて行ったと思う。だけど、姉の眼球を切り出して食べたあの日から、勝手に家を飛び出して街をうろつき、手当たり次第に眼球を食べては殺していた私には小学校なんてもはや関係ないし、すっかり過去のことで、マドカくんのことだってすっかり忘れていた。なんとなく常にいくつもの殺人と眼球を経た時、私は私でなくなった気がしたからだ。常に私は私だったんだけど、それでも部分部分がすり替わって、気付かないようにいろいろな改変が起きて、記憶も引き継いでいるんだけど、いろいろな世界が変わった様な、快楽に支配された私の記憶ももはや水に濡れた新聞紙のような文字列の塊で、ただ目の前にぶら下がった二つの双眸たちを求めることしかできなかったから、だから彼なんて忘れていたんだけど、どうしてこうも私の目の前に現れることができたのか。
「さっきの見た?」
「見たよ」
「彼は、何?」
「そんなのどうでもいいじゃないか。ミチルちゃん。最近ずっと学校、休みなんだよ。休校ってやつ?」
「そうなんだ」
「だから、公園に君を見つけて、彼は近づいたんじゃない?」
「……どうして?」
「好きだったから?」
「そう、なの? 悪いことしちゃったなあ」
「どうして最近、学校来ないの?」
「さっきの見たら、わかるでしょマドカくん」
「きみが最近ずっと起こってる事件の犯人だから?」
「そうよ」
「さっきのあれ、なんていうの、目玉刳り貫いてたけど、怖くないの?」
「怖い?」
「だって、血もいっぱい出るし、相手はすごく痛そうだけど……そういうの、なんだか嫌じゃない?」
「全然嫌じゃないよ。マドカくんは……卵焼き作る時、卵を割るのが怖いって思うの?」
「思わないよ」
「そういうことだよ」
「そうなんだ」
 階段の高みからこちらを見下ろすマドカくんの言葉がなんだか苛立たしくて、でも好きだったんだから、きっとマドカくんのその綺麗な瞳を食べたらきっと美味しいだろうなあと思った。こんなにも私を見つめる瞳が綺麗だった人、今までいなかったから、そういう綺麗さを何もかもぶち壊しにして、残虐に血みどろをプレゼントした先にある絶叫なんて、それこそ私を満たすんじゃないのかな。あの眼球を抉るためには、彼にここに下りてきてもらわなきゃいけないけれど、どうしようかと私の視線と手のひらが彷徨いだした。だけど追い打ちを掛けるように、マドカくんの言葉が頭上から降ってきて、否が応でも答えなきゃいけなくなる。無視したっていいんだけど、なんだかそれはそれでなんだか違う気もしたし、今までとは違ってマドカくんなんだからそれもいいかなって気がした。今は彼に欲はあっても恋慕はないからどうてでも俯瞰のように言えるけれど、やっぱり昔は彼のことが好きだったんだなって思った。だからこそ、まあきっと今でもカッターナイフが自分を使えとうずうずしてるのがコート越しに伝わってくるので、早くその震えを解いてあげなきゃなあと私もうずうずするのに。
「登ってこないでよミチルちゃん」
「どうして? もっと近くでお話したいよ」
「この距離でも話せてるんだからそれでもいいじゃない。それに、あんなのを見たら、近づける方が変だよ」
「……あんなのって、さっきの男の子を、殺しちゃったこと?」
「そう。どうしてあんなことするの?」
「美味しいんだもん?」
「美味しい?」
「眼、だよ。皆持ってる、めだま。あれがすっごく美味しくて」
「美味しいの?」
「美味しいよ」







「ところでミチルちゃん」
「何?」
「お姉さんは元気?」
 マドカくんは、微笑んだ。さっきのあんなのを見て近くに来させないってことは、恐れてるからって意味かなって思ったんだけどそんな風には見えなくて、どことなく達観したような素振りがその表情には見て取れて、ポケットの中のカッターナイフを掴もうとしていた私の手のひらは、小さく萎縮して、その意志よりも、その会話に少しだけ言葉を預けてみようと疑念と一緒に苛まれた。姉の話題など、なぜ今更。
「……知らないよ、お姉ちゃんなんて。家には一度も帰ってないから」
 目を抉って殺したんだから、今はどんな感じかな。お葬式はすっかり終わってしまったんだろう。でも、お姉ちゃんの眼、美味しかったな。でも、マドカくんの眼の方が、美味しそうだな。だから上らせてほしいから、さっさとその口閉じないかなあ。近くだったらこのカッターナイフでも一切その口引き裂いて、昔一緒くたにして笑った口裂け女みたいに、マドカくんの顔を歪ませてあげられるのに。好きだった男の子なんだけど、別に顔が好きになったわけじゃないって証明になるからなんだか純粋な私を少しばかり褒めてもらえるんじゃないの。カッターナイフは今もポケットだ。
「腕の傷は?」
「……何のこと?」
「太腿の傷は?」
「……マドカくん」
「首筋の、みみず腫れは?」
 私は片手を首にやった。
 人差し指に異質な感触があって、それが首から肩にかけて、すっと腫れている。
 線のように、ぶくぶくと。
「忘れてしまったの、ミチルちゃん」
「何が言いたいのマドカくん」
「君、家族に虐待されていただろう」







 シンデレラは、継母やその連れ子である姉たちに苛められていました。
 ある時城で舞踏会が開かれることになりましたが、彼女にはそんな場所に行くためには十分な服がありませんでした。そこに現れた魔法使いが彼女に魔法を掛けると、シンデレラは準備をして、舞踏会に参加します。しかし、魔法使い曰く、零時を過ぎれば魔法が解けてしまうから、それまでに戻れとのことでした。王子に見初められ楽しい時を過ごすシンデレラでしたが、その楽しさに時を忘れ、零時間近でその言葉を思い出します。焦って城を離れるシンデレラでしたが、階段に靴を落とします。王子はその靴を頼りにシンデレラを探し、靴にぴったりだったシンデレラは王に迎えられ、めでたしめでたし。







「そんなの、めでたしなんかじゃないだろう。僕は不思議に思っていたけど、きっとこれが現実のお話で、もしこんな現実が極まったら、シンデレラは簡単に家族を殺すんじゃないかなって。だから僕としては、曲がりなりにも報いのあるグリム版のお話が好きだ。だけど、結局シンデレラは自分で手を下さなかった。……けれど現実のシンデレラは、そうじゃなかった。そうだろう?」
「…………」
「忘れていたというか、封じ込めていたんだね」
「……私は」
 自分の手のひらを見つめると、手の甲にいくつもの傷跡があって、だけどこんなのは、誰かを殺す時に、目玉を刳り貫くときに抵抗された後なんだって、いっつも私の中の頭が言ってたじゃないか。それなのに、こんな時にどうして急に、冷徹な私が私をいなくならせて、また何も囁かない? 痛い。なんで、こんなに痛くなったのかわからない。マドカくんの言葉で、急激に全身が痛み出す。
「僕が以前君の家に行った時、君の部屋はとんでもなく汚れていた。でもそれは、君が故意に編み出したものじゃないってすぐにわかった。完全に、他人の手によるものだ。血もついていたし、女の子の部屋にしては有り得ない。すぐにわかった。君が、虐待されてるってこと。君は両親を亡くして、親戚の母子家庭に引き取られたんだっけ。それで、お母さんにも姉たちにも苛められていたんだろう」
「…………」
「だから君は、童話に影響を受けて、復讐を始めた」
 マドカくんの声が降り注ぐ。私はゆっくりと膝を付いて、両手を地面に叩きつけ、砂を掴み、色々なことを思い出していた。痛かったことも、何もかもを。童話を聞いた時、私だと思った。目が刳り貫かれるだって。だったら同じことを思い知らせてやればいいじゃないかって、私はカッターナイフを手に取った。姉を殺した。お母さんも殺した。童話が頭をいつまでも流動的に支配して、まるであの童話に体が操られた様に、きっとそれでも心地よくて、何もかもが報われて、痛みも悲しみも苦しみも今まで我慢してきた私なんだから、きっと何をしたって許されるんだってことを証明するために、ほら先人たちもと目の端が捉えた童話のページを微笑んで見つめて、さあさあと寝床に踏み入って母を殺し、眼を抉り、その焼きついたページになぞる様に目を抉った。それが、きっと心地よさと融和する悦楽に結びついて、美味しそうに見えたんだろう。私は、私の復讐のために何もかもを変えた。
「ごめんね、シンデレラ」
「……マドカ、くん?」
「でも、これでよかったんじゃない?」
「……どういう、こと?」
「殺せたから」
「…………」
「ミチルちゃん、僕、君のこと、今でも本当に好きだよ」







「だからね、どうして君のお姉さんが君にグリム版の『シンデレラ』を読ませた時、都合よく枕元に、そのカッターナイフが置いてあったと思う?」
 暗がりの、月明かりの、枕元に。
 一瞬の閃きが頭を過ぎった瞬間に、童話をなぞろうと腕が動くとき、その場にあったカッターナイフ。
 マドカくんは、階段を上った先にまだ笑っている。
「僕が置いた」
 声が、重たい。
「そうそう、君のお姉さん、その童話。誰かからもらったって言ってなかった?」
 思い出す、姉の薄気味の悪い笑顔。読んであげるなんて、皮肉だったのだ。
「それは、僕があげた。復讐を誘発するために。姉が妹に童話を読ませるなんて、普通は寝床でやるだろう? だから、以前君の家に行った時、そうしようと考えた。カッターナイフを枕元に置いておいて、『シンデレラ』をその日のうちに君の姉に渡した。多分ねえ、君の心は張り裂けそうだったから、ああいうお話を聴いたらさ、多分なぞるように――やるんじゃないかなあって思ったんだよねえ」
 あの日の事も、何もかもを思い出す。
「僕は君が好きだから、君を苛める奴なんて死んでもいいんだ。好きだから、君を苛める奴を殺してやりたかった。だけど、君が手を下すべきだと思った。それが、君を満たしてくれると思ったんだ。だから、少しだけスイッチを押す手伝いをしただけなんだ。結果、すごく上手く行ったよ。よかったねえ」
 マドカくんの言葉は止まない。
「僕は君が好きだから、君のことが好きだって言う他の男の子を殺したっていいだろう? さっきの男の子、僕が連れてきたんだぜ。君に殺してもらったんだ。邪魔だから」
「…………私に、復讐させたっていうの?」
「君がそれを望んでいたんだから、別に構わないだろう。実際君は、悦んでいたんだから」
「……どうして、そんなこと」
「まだ言わせるの?」
 マドカくんは、笑う。
「君が好きだから、だよ」



 私は喉に競りあがってくる異物感に耐え切れず、その場に嘔吐した。
 マドカくんは私の傍に寄ってきて、背中を撫でて、ああ可哀想に可哀想にねえと言った。だけど、最後に、そんな可哀想なミチルちゃんには僕がついていないと駄目だよねえと言った。言って言って、そしてそれを繰り返して、私を抱き止めて、いつまでも離そうとはしなかった。震えて涙が出て、あんなにも快楽に迸っていた頭も体も、今では完全に寂しくなって、ただ自分の体の嫌悪感に――この体は、食べた物が構成するのだとすれば私の体は今でも完全に全ての眼球で出来上がっているのだから、それが気色悪くて、耐えられなくなって。同時に、頭と頬を何度も打って、塵や穢れ、灰や粉を私の頭にかぶせ続けたあの家族たちの光景が、昏い背景の向こう側に透けて見えた光景たちとフラッシュバックが目の向こう側で火花を散らすと、またしても指先が痙攣して、寒気と共に、ただ一斉の喉の痛みと共に、吐き出し続けた。それでも、マドカくんは言う。
 可愛そうにねえ、可哀想にねえと。
 だから君には僕がいないと駄目だよねえ。僕は君が好きなんだから、君が僕を求めるのも当然だよねえ。君を苛めていた母も姉も、邪魔なものは全部いなくなって、その上で僕とこうして結ばれるんだから、それって完璧な終わり方だよねえ。きっと君も満足だよねえ。
 跪いて何度も首を振って、嘔吐に全身の苦痛を預けている時、それでも視界に薄らと入った私の足。
 傷だらけの爪先が露出して、履いていたはずの靴は、どこにもなかった。
メンテ
Re: 【四月期お題「死」】お題小説スレッド【三月期「少女」作品投稿期間】 ( No.294 )
   
日時: 2013/03/16 03:11
名前: 企画運営委員 ID:2MTQNVsQ

作品のご投稿お疲れ様でした。
16日(土)〜31日(日)は批評期間です。
作品をご提出なされた方は必ず全作品の批評を行ってください。
批評だけのご参加もお待ちしております。


>第22回『少女』参加作品(敬称略)

>>287 ゐぬめ:ZooっといっShowの呪い
>>288 If:弓鳴川心中
>>289 宮塚:こより
>>290 空人:『少女の檻』
>>291 sakana:こえだの鈴
>>292 風雨:you so kind
>>293 アリス:パーフェクト・シンデレラ
メンテ

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