Re: 雨の降る日のバスケ ( No.1 )
日時: 2013/11/23 14:36
名前: 創魔 ID:Sv3zlLbU

≪登場人物≫

□天古河 雨(あまこが あめ)  1年(スモールフォワード) 身長156.5cm
                 無名の帝中学で、いきなり全国大会に勝ちあがり優勝を果たす。
                 小学4年生から始めたバスケを、人一倍磨き続ける努力には、ある理由があった。

□藍堂 秀二(あいどう しゅうじ)1年(パワーフォワード) 身長175.8.8cm
                 名門、清陵中学の厳格なバスケ部で鍛え抜かれ、エースになった天才。
                 しかし最後の全国大会で、無名の帝中に敗れ、その中心にいたアマ公に勝つためバスケを続ける。

             


〜光琳高校〜

■清水 将平(しみず しょうへい) 2年キャプテン (シューティングガード)
■鳴海 達也(なるみ たつや)   2年 (元パワーフォワード)
■篤美 智成(あつみ ともなり)  2年 (ポイントガード)
■大道 謙吾(たいどう けんご)  2年 (センター)

□志田 敦 (しだ あつし)    1年(ポイントガード&シューティングガード)
□小林 蓮(こばやし れん)    1年(初心者&万能プレー)

〜明稟〜

◆美陸 俊之(みおか としゆき)  2年(スモールフォワード)通称:オカ 
                  中学時代、藍堂のいる清陵に練習試合の相手にされ、さんざん惨敗を強いられる。
                  強すぎる清陵の相手をできる唯一の強豪校のひとつであるが、当て馬状態に等しかった。
                  藍堂のことを恨んではいないが、好きでもない。

〜その他〜

◇美咲(みさき) 雨の姉。16歳

Re: 雨の降る日のバスケ ( No.2 )
日時: 2013/10/28 15:06
名前: 創魔 ID:bcK/DOdo

最後のホイッスルが鳴り、ブザーが広い会場に鳴り響く。
眩しい照明で、はるか高い天井が眩しい…。ちがう、自分の睫毛に溜まった汗で、光が乱反射する。それが余計に眩しい。
中学、最後の地区大会。バッシュの音。体育館の床を踏み鳴らす、軽快な音。40分ひたすらなり続けたその音が、絶望的に止む。

地面にへたり込んだ藍堂は、信じられない気持ちで床に横たわった。

(終わった…)

ぜんぶ。なにもかも。この3年間、捧げてきたもの全部。
親が用意してくれたシューズも、ユニフォームも、弁当も、ボトルも。時間も、努力も、…この3年分の汗も。
全部、全部…、こんな納得いかない会場で。こんな納得いかない内容で。こんな…、こんなふさわしくない場所で。

あんな…、ちっこいの一匹の。汗をぬぐった下の、あの冷静で冷めきった目。
あんな熱気のない、やる気のない目に見降ろされて、心底死にたくなった。ホントに死にたくなった。

「アマ公!ナイッシュート!」
「やっぱ清陵中のエースでも、たいしたことねーな!」

なにが、「大したことねー」だ。お前らに、あのフェイクが止められんのか。あのワンオーワンが受けきれんのか。
見れば見るほど忌々しい、あのガキ。自分よりもちっこい、はるかにちっこいあのスモールフォワード。
体ができてないなら、俊敏性だって体力だって、脚力だって出来上がってないはずなのに。

なんであんなに速い?なんであんなに切り返しが素早くできて、俺の動きを…。
納得できない。なら3年間、俺がやってきた死に物狂いのトレーニングってなんだったんだ。体作りってなんだったんだ。
自分だって発展途上なのはよく分かってる。なのに、あのチビにはそういう理屈が一切ない…。

(ふざけんな…。納得いかね…、こんなん!)

あの「風」。あの「風」はなんなんだ。あの、フェイクの時の。一瞬で俺を抜くときに吹く、『風』。
天井に、でっかい通気口でもあんのかと思った。扇風機でもついてんのかと。抗議してやろうかと。
でもちがった。あの、ボールにまとわりついた変な『風』。あれは…、『あいつのボールにだけ』ついてた。

「アマ公!いくぜ、監督が呼んでる!」

 仲間に呼ばれて、集合の礼のために走っていくそいつ。シャツで汗をぬぐって、背を向ける。
黒い髪。すっげー目立たない、内気な顔。フォワードに似合わない、勝負弱い顔したバカ。
なんでそんなやつに…、何度も抜かれたのか。何度もボールすり抜けられて、シュート決められて…。

「……ッ!」

大会は終わった。もう全部終わった。2年に渡った、あいつとの数少ない試合ももうない。
あるとすれば…、それは高校。絶対にリベンジしてやる。もう一度、高校のバスケットボールで。
アマ公。そう言う名前で呼ばれてた、あいつを絶対に負かしてやる。そのために…。

(俺はもう一回…っ、バスケやんだ!!)




Re: 雨の降る日のバスケ ( No.3 )
日時: 2013/10/28 15:12
名前: 創魔 ID:bcK/DOdo

 胸糞悪い。胸糞悪い。
入学式、桜吹雪が頭の上を散らすのも。それが雨粒で足元にまとわりつくとも。

「今日せっかくの入学式なのに、雨かよー」
「ついてねー。…ズボン、ビッショビショ。玄関もヤバかったなー」
「ボロボロで穴開いた勧誘のチラシと、桜の花びらでぐっちゃぐちゃ…。入学式なのに幸先わる…」

知ってる顔。知らない顔。そんなのばっかりだ。配られる大量の部活のチラシを、ゴミ箱に捨てて。
ただ一枚のチラシだけを持って、体育館に向かう。クラブ活動、サークル、そんなのどうでもいい。
やりたいのは部活。遊びじゃない、ちゃんと鍛えてくれる本物のバスケができるところ。
強くしてくれるところ。強豪に繋がるところ。才能を伸ばしてくれるところ。

(ここで…っ!俺はバスケをやり直して、帝(ミカド)中のあいつを見返す…!!)

本気のバスケができるところ。
そう思って、練習中の体育館を思い切り開けた。藍堂は、光琳高校の門戸を開いた。









「よーし、そんじゃ。これで初日の新入生はぜんぶか?他に、見学しに来た子いるかー?」

 Tシャツを着た、バスケ部の生徒がそう声をかけて新入生を集める。
初日は7人。光琳のバスケ部は弱くはない。それを承知で、元々入部を希望した新入生の面子がほぼだった。
あとは数人、入るか入らないか決めかねている初心者数人が入口で覗いている。

「あー…、たはは。そっか、いいや。じゃあ、うん。経験者と、初心者に分かれよ。
で、それから入るかどうか決めればいいじゃん。ビビることないよ、初心者大歓迎。ね!」

優しそうな先輩で、手招きする。藍堂は、ぴくりと眉を吊り上げた。
人数を集めるのはいい。例え初心者でも、身体能力が高い奴は後々戦力になる。エースにもなれる。
才能がない奴は、入ったってポロポロ勝手にやめていく。でも、そういう無駄もなるべく欲しくない。
新入生を整理している間、隣の同じ身長くらいの男の子に、脇腹を小突かれて横を向いた。

「…なに?」
「ねぇ、…お前さ。ひょっとして、清陵の、藍堂じゃねぇ?」

ヒソヒソ声で、興奮した声でそうささやかれる。片眉をまたちょっと吊り上げた。
その隣も、その横の子も、同じ顔でこっちを見ていた。気が付けば全員、視線は藍堂に向いていた。

「だよなっ、やっぱ!去年の全国で決勝までいったとこの、清陵のエース…!」
「マジ!おまえっ、この高校はいんの?…この部活はいんの!?」
「だったらオレ、ぜってーはいるんだけど!」

面食らって目をしばたいて、でもそれならそれで、頷いた。
経験者なら、知っているヤツもいるかもしれない。去年の全国大会、2位。強豪、清陵中学選抜。
毎年必ず決勝まで勝ち抜くエリート集団は、中学校のくせにスポーツ科を持つキチガイ校。
藍堂はパワーフォワードだった。中学の指導監督とは思えない、鬼の監督。怒号、メニュー。
そういうのに締め上げられて、精神を鍛え抜かれた不屈の集団は、高校生さえ負かす強豪だった。

「すっげー…!お前もキチガイ校のスポーツ科だったの…!?」
「いや…、俺は普通科だけど」
「マジ…!そういうの、ふつうでもやれんだ!」

入部したら最期。そのあまりの厳しさに、子どもの親でさえ泣いてチームをやめさせるほどの強烈な練習。
残れるのは、監督のノルマをこなせるベンチと、選びに選び抜かれたスタメンの精鋭だけ。
いつでもスタメン争い、競争にさらされて、メンタルやられてやめていくメンバーは顔も覚えられないほど。

それであの最終戦。無名校のスモールフォワードに任されたんだから。
誰もが涙も出ず、愕然として幕を迎えたのは無理もない。地獄の6年間を、踏みにじられたんだ…。

「あー…、やっぱお前。あの清陵中選抜の藍堂だったんだ。顔見たら、なんか知ってるなーと思った。
そっか、うちの高校入ったんだ。うちに入ってくれんの!嬉しいし、期待しちまうよ!」

「…別に期待されても、そんなすぐに出せるもんも出ないッスけど」

戻ってきた上級生がくすくす笑いながら下級生を引っ張ってきて、藍堂は目を逸らしてそう言う。
…どうせ、体格差やスタミナに差はあれ。すぐに上級生なんか追い越して、俺がスタメンに入るんだ。
やるなら手っ取り早く、俺を引き抜いて入れてくれた方がこっちもいいけど。

「ま、うちも弱くはないけど。…清陵と比べられると、さすがになー」

「別に、清陵ひきずる気はないッスよ。…俺も、他のやつとおんなじ1年なんで。
ボール拾いもコート整備も、積極的にやるんで。…スタートは同じ、その後実力で選んでくれればいいんで」

「お…、言うね」
「…俺、ぶっちゃけどこでもいいッス。学校とか。ただ、帝(みかど)のアイツをもう一回ぶっ飛ばせれば…、それで」

「え…、帝?」

そう言ったとき、新入生の名簿を持ってきた別の上級生が頭をかきながら歩いてきた。
キャプテンのようで、背はさほどでもないが、しげしげと名簿を見ながら歩いてくる。

「んじゃー、とりあえずアップして、ミニゲームだけやって帰ってもらうわ。今日は。
で、それで入る気になったヤツは後日、提出書類持って体育館脇の監督んとこか、部活中オレんとこきて」

「はい!」

「入部後のイメージギャップ避けるために、先に誤解ないように説明しておくと…。えーと…。
朝は7:20集合。帰りはだいたいいつも19:30。土日問わず、練習毎日。休みは月2。練習試合週1回。
…それで親が許してくれる子だけ、入部届け持ってきて。親の印鑑偽造して持ってきたヤツは、朝礼で絞首刑だから」

「…、うす」
「じゃ。中学名と、名前呼ぶんで返事して。声ちーせぇヤツ、…パンツ被って一昨日出直せ」

次々と、名前と学校名が呼ばれていく。ほとんどが、中学校の時点での有名校か、地元チーム出身。
周辺の中学がほとんどで、結構がたいが好かったり、当然ながら身長がある。

「清陵中。藍堂秀二」
「ッス」

名前が挙がって藍堂が頭を下げれば、瞬時に周囲がどよめく。キャプテンの視線を感じて、そのまま返した。
当然と言えば…、まぁ当然。光琳は、正直強豪とはいいがたい。ストレートに言えば、中の中。
調子次第で、中の上にも、中の下にも落ちる普通校。清陵のスタメンがくるようなところじゃない。
でも…、俺はどこだっていい。それには、ちゃんと理由があるんだ。

「…っと、藍堂、秀二っと。お前、清陵選抜の。…光琳にきたんだ」
「よろしくッス」

「でもなんで?他につぇーとこ、いっぱいあんじゃん…、強豪校。今年は上、目指してねーの?」
「目指してますよ。…でも、その前に」

帝のアイツは、正直よくわかんねぇ。強いのか、弱いのか。
はっきり言って、見た目じゃわかんねぇ。身長があって、伸び白がはっきり見えたなら、強豪校に入るはず。
典型的なバスケバカは、体見りゃすぐそのレベルが分かる。…けど、帝のあいつはまったくわからなかった。
仮に、俺が強すぎる高校に入れば、上としか当たれない。弱すぎれば試合相手なんて話にもならない連中が集まる。

どのレベルにいれば、また帝のアイツに会えるのか。全く分からなかったんだ。
だから、上でもない、下でもないここに来た。ここなら、いくらでもレベルの違う相手に会える。
バスケを続ける目的は、今はただひとつ。帝にいた、アイツ一人を倒すこと。上は、それからいくらでも目指せる。

「いいんス。俺は、ここでやりたいんス」
「ま…、いいけど。入ったなら入ったで、俺らも期待さしてもらうから。で、次…っと」

見つけて見せる。名簿や、マネージャーの目じゃ見つけ出せなかったアイツの所在を。
そしてもう一度、あいつと勝負するんだ。それだけが…、今の目標。

「帝中学校。えーと…、あま…、あまがこ…あが、のがわ…アガ…。ッなんだこれ、何語?なんて呼ぶの」
「天古河です。帝中学校から来ました…、あまこが雨です」

「んだこりゃ。読みづらい字だな!…ったく最近のガキが名前ばっかりキラキラキラキラしやがって!!」
「名前じゃありません…、苗字です」
「ふーん…、バスケ経験は?」
「5年です。…小4から、一応」

か細い、暗い声が申し訳程度に呟かれる。キャプテンは、しげしげと名簿を見ながら首をひねる。
その時は、自分の中の葛藤に忙しくて全然気が付かなかった。探し求めたそいつが…、自分のすぐ隣にいたなんて。

「あれ…?帝っていや…、去年の全国で優勝したとこじゃん…」
「…あ、はい。…一応」
「ちょ、今年すっげーな。お前、試合でたの?」
「…出ました、ちょっとですけど」

あれ、でも名前覚えてねーや…。とキャプテンが頭をかく。
そのとき、初めて自分の頭の中が覚醒して、真っ白になって、言葉を忘れた。今…、帝…って。

「あ、れ…!?」
「はい…?」

勢いよく振り返った先には、さっきまでそこにはいなかった。否…。
身長が小さすぎて、視界にも映っていなかった小さな少年がそこに立っていた。マジで、小さい。
160、あるかないか。いや、たぶん、ない。黒髪に、前髪を目の上まで伸ばした小柄なやつ。
大人しそうな目が、ゆっくり振り返って。ぴたり、とやけにおっとりこっちを見る。

刹那、錯覚した。あの眩しい会場で。やかましいコートの中で。
床に転がった俺を見下ろした、あのやる気のない死んだみたいな、目。あの試合中とは思えない、目みたいな…。

「お、前……」
「あっれ?ってことは…、試合でスタメンの藍堂と、あま…がこ?って。ひょっとして決勝で会ってんじゃん?」

上級生のチャカしたような言い方も耳に入らず、藍堂は相手から目を離せないまま凍り付いていた。
間違い、ない。あのコートで、光の中で見たあの姿。あの顔。圧倒的な絶望の中で見つめ返した、あの目。
あの日、自分の中でトラウマになっていた光景が、今この場で目の前の選手にピタリと重なった。

「天…、古河…!!」
「…、すみません。僕、基本的に人の名前と顔を覚えるのが苦手で。特に試合中は…」

その台詞で、藍堂の頭の中は再び白く閉ざされた。
「え…、つまり。藍堂の顔全然覚えてないってこと…?」と念押しされて、相手がじっとこっちに目を向けた。
試合終了。勝利の喜びも、チーム最後の試合の終わりに涙を流すこともなく。ただ汗をぬぐって、コートの中に消えた男。
相手は、少し瞳を細めて藍堂を見つめた後、スッと視線を外した。

「…いえ、覚えてます。パワーフォワード。…名前は、すみません」
「おー。よかったな、藍堂!お前のこと、覚えてたってよ。そりゃ最終試合で戦った相手だものなー」

ハラワタが、煮えくり返りそうだった。覚えて、ない?
こっちはお前を追いかけて、わざわざこんな弱小校まで来たって言うのに。
あのコートの中での、光に包まれたコイツがこれほどトラウマだったってのに。それだけ?

「んじゃ、これで全部だな。10人いるから、5対5で30点先取。
振り分けはー、…ま。実力差はまだ分からんから、とりあえず決勝戦組の藍堂と天古河だけ別チームにして、
あとはじゃんけんで適当に決めてくれや。1年は半コートで、向こう側な。2,3年はいつも通り…」

「ちょっと待てよ」

半コートの向こう側へ、1年と一緒に消えようとする小柄なチビを呼び止める。
練習に向かおうとした1年も、基礎練をまとめに行きかけた上級生も思わず足を止めた。
その低い…、低周波な声に。聞くも不快が伝わってくる、その唸るような低い声に。1年も、先輩も固まる。
静かに振り返ったそいつは、驚くほど落ち着いた様子で首をかしげた。まるで、俺なんか見てもいないような目で…。

「…あの。僕は、先輩のチーム分けの仕方に不満とかはありませんけど」
「…、ちげぇよ。名前。覚えてねぇってんなら、こっちから親切に教えてやろうと思ってよ」

こっちが怒りくるってのは、見れば百も承知のはずだ。案の定、少しだけ戸惑ったように瞳が揺れる。
けれどそれはほんの小さな光の加減で、数ミリ眉をひそめただけのようにも見えた。
体半分だったそいつが、ゆっくりと改めてこっちに向き直る。くぐろうとした緑のネットから手を離して、真っ直ぐ対峙する。

「…それは、どうも御親切に」
「清陵の、藍堂秀二だ。…お前が、去年。無様に負かしてくれた…」
「はい。パワーフォワードの…、覚えてます」

そこだけは生意気に、繰り返してくる。こいつにだけは…、負けたくなかった。
こんなやる気のない、…こんなよわっちい迫力しか出せない。こんな…、こんなのに。
藍堂は手を差し出した。それを、驚きの眼差しで見つめ返す相手。当たり前だ。こっちの顔は逆上してる。それに、手を出されたのだから。

「…覚えちゃいねーだろ。藍堂秀二だ、…今度こそきっちり覚えとけ」
「はい…、藍堂くん。覚えました」

一瞬、ためらった手を藍堂のそれに重ねて握り返す。そのまま、握りつぶしちまうんじゃないかと思うほど。
藍堂の感情は沸騰していた。けれど、その冷え切った熱のない眼差しを見ていたら…。
なんだか不快を通りこして、空気でも睨んでいるんじゃないかと思うほど、自分がしょうもなくなった。

「…天古河、雨です。こちらこそよろしく」

握り返された手は、予想以上に冷たくて。そして、あっさりと解かれた。
お互いに繋がった眼差しの温度差は、異常で。それから遠慮がちに伏せられた瞳は、そのまま離れてコートへ消えた。
これが…、因縁の敵との再会。それも、これからコートで直に対戦できる。こんなにも早く…、こんなにも…、間近で。

(やり返せると思うと…、鳥肌とまらねぇ…っ)

コートに入って、対峙する。藍堂と、天古河。
周囲はミニゲームとはいえ、生唾を飲んだ。思いもしなかった、決勝校同士の試合。
緊迫が知らず、肌を焦がした。藍堂が焼き切れそうな目で睨めば、ゆっくりと息を吐く相手。
ブザーが鳴った。バスケットボールが、宙に舞った。あの日が、あの因縁のトラウマの試合が、藍堂の中に戻ってきた。




Re: 雨の降る日のバスケ ( No.4 )
日時: 2013/11/09 16:24
名前: 創魔 ID:1KfeOAXU

「はじめ!」

 試合の内容は、藍堂にしたらかなり異様だった。異様、不気味…、そして、無感触。
最初は初心者や、素人経験者が入り乱れる手前、生ぬるいパスやドリブルの殴打に藍堂の足も緩くなる。
しかし、間違いなく経験者ということを頼りに、藍堂と天古河にパスが集中してくる。そうなれば、容赦はない。

「!うぉっ、清陵のヤツ…いきなりぶっちぎった!!」

 ボールを取るや否や、敵のディフェンスに一直線。守りなんてあって無いようなもの。
ブロックもカットも、止まってるも同じ。2人、3人、4人、一気に抜いて行く。舌打ちした。
あっという間にスリーフローライン。ここから打てば、いくらでも入る。

正確に弧を描く。足の踏込、いつもと変わらない重心と、傾く体重。清陵時代と、何も変わらない。
天古河の瞳が、ゆっくりと見開かれた。凍りつくその他の1年と、練習の手を止める先輩。
揺れるネット。落ちるボール。ドンッ、と床を打った音に、ホイッスルが鳴る。

「ッしゃあ!3点先取!」
「はー…っ。綺麗だなー、姿勢。フォロースルーまで完璧…」
「基礎の基礎がさすがにカッチリ出来上がってんなー元清陵の選手は…。お手本だわ」

ネット下へボールを取りに行った天古河が、ふと傍に立っていた藍堂に視線を向けた。
それすら気に食わなくて、ムッと睨み返す。まっすぐ、凝視した瞳が、まばたきした。


再びコートへ戻って、下手な仲間のパスを何とかもらいつつ仕切り直す。その後も、パス、パス、またパスと。
どれだけボールが回っても、ここぞというところで戻ってくる。シュートする気あんのかコイツラ、と呆れてくる。
しかし、一番呆れるところは、別にあった。一番、藍堂のイラつきを募らせる部分だった。

(…、やる気あんのかコイツ!)

ある程度のフェイクはうまい。指先のボールの扱いも、俊敏な切り返しも。
でも、こんなもんじゃなかったはずだ。ヘタなディフェンスに止められては、きょろきょろしてパス先を探す。
まったく攻めてこない。やっと攻めたと思ったら、軟弱そうな1年にたらいまわし。たまにシュートを打つ。
最初は生真面目に止めていたが、だんだん馬鹿らしくなってきて止めた。

(喧嘩売ってんのかコイツ…!?俺を舐めてんのか…!?)

決勝戦の借りを返そうと思っていたのに、まるで手ごたえがない。
そのまま点は、平行線のままダラダラとかさんでいき、互いに残り2点。正直、ボールを投げ捨ててそいつを殴りに行きたかった。
なんだこれ。なんだこの試合。ミニゲームったって、初心者の体育の授業じゃねーんだぞ…。これは、俺の…、復讐の…。

「!」

天古河に、パスが回った。案の定、フォワードの癖にまた打つ気はない。
マークのない選手を探して…、それに藍堂はついに切れた。そして、もう面倒だとも思った。
目の前に立ちはだかった藍堂に、天古河は目をしばたく。あまりに気迫を放つ藍堂に、ボールを持ったまま固まった。

「藍堂くん…」
「…おちょくってんのか、てめぇ。やる気あんのか!!あ!?」

ぎゅっ、とボールを手に掴み、天古河は顔をしかめる。1年がビビる中、眉間に皺を寄せた相手は動かない。
清陵のエースが、ミニゲーム中にブチ切れればすくみ上るのは当然だ。

「…やる気はあります。何でそう思うんですか」
「へぇ…、そうかい。なら俺とワンオンワンで勝負しろ。負けたら入部は諦めろってことで」
「え…?」

呆然とした天古河が、呆けた声を出して藍堂を見つめた。
言葉を聞いた1年が騒然とする。

「えっ、ちょ…何そのルール!勝手すぎだろ!」
「っせぇ。一生懸命やってんなら訳ねーだろ、俺抜くくらい。試合では何回も抜いてたんだ」
「……。」

ボールを握る手に、余計に力がこもるのを藍堂は目撃する。
そう、本気になれ。本気になったお前を倒さないと、意味がないんだ。お遊びなら、他でやれ。

「…仮にそれがやる気100%マックスってんなら、いるだけ邪魔なんだよ。この先。
お前ら1年も、そこどけよ。邪魔だ。今からこいつと1対1で勝負する。…ひっこんでろ」

「……。」

ボールを掴んだ天古河の手が、わずかに震えた気がした。
それからブザーの秒読みと、点数を横目に見る。残り1分。点差は互いに2。攻守の攻防ではない。

「…これ、先輩方が拵えてくれたミニゲームですよ。本気でやる気ですか…」
「ったりめぇだ。…他の連中の実力はもう分かったろ、大体」
「……。」

先輩たちも、数人が手を止めてこっちの試合を見ていた。キャプテンも心配げだったが、注意はされなかった。
この決勝戦同士の相対に、少なからず関心を抱いているからこそ。天古河は、ふっと息を吐いた。

「…わかりました。何故か、さっきから恨み買われているみたいですし。
…30点先取の残り2点。先に取った方が、このゲームを取るってことですね…」

「物分りいーじゃねーか。…さっさと来いよ」

他の1年が、急いでコートの隅へと避難していく。天古河と、藍堂。1対1。
決勝戦の対戦相手同士、サシの勝負には全員の視線が注がれた。わずかに、深く沈む天古河の体。

「…正直、がっかりしました」
「…?」



一瞬にして、藍堂の前からその姿が消えた。残像だけが、左右に振られた。
気を盗られた隙に、脇を抜けるその俊敏な動き。なめらかな四肢の動きが、ボールを浚って行った。

「!?」
「なんだ今のフェイク…っ、今右と左どっちから抜けた!?」
「っくっそが!!」

速い。違う、見えなかった。騙された瞬間に、別のフェイクに騙された。
急いで追いかけ、フローラインに到達した天古河に追いついた瞬間に背後からバックチップを仕掛けた。
指で突き落とす。それだけの動作が、天古河の腕の中でするりと潜り抜けたボールに届かない。

(見切られた…!?)

ワンオーワン。向かい合い、藍堂のディフェンスが天古河の行く手をふさぐ。
右に振り、左に振り、数度行く手を変えた天古河の爪先に集中する。その振りさえも、素早い。

(チッ…、ハチドリかこいつ!?すばしっこ…!!)

体が小さい。余りにも小さく、読み切れない行動判断。不意を突かれた瞬間に、天古河の目が、藍堂の腕の隙間からゴールを捉えた。
その落ち着き払った眼差しに、ゾクリと寒気が走る。まさか、この俺のディフェンスからもう軌道が見えてる…?
一度、ボールが床に叩きつけられた。右。その体の振りに合わせ、ブロックに入る。その歩幅で、この体格差どう埋めんだ。
そう思ったのも束の間、小さな体が、藍堂の腕をすり抜けた。相手が抜けたのは、自分の左側。

(いつ左に踏み出した…!?つか、動きキレッキレすぎだろ…ッ!)

だが、そいつの弱点。圧倒的な体格差。逃げても、まだ藍堂の腕は届く。
床から舞い戻ってくるそのボールに、手を伸ばした。届く、奪える。そう確信した瞬間。

「!?」

あの日。トラウマとなった、あの日。全く同じことが、藍堂の身に起きたことを思い出した。
動きに翻弄され、いとも簡単に抜かれた。その時、まだ届くと思った。
するり、と拒むように風に阻まれたボールが、指から離れていく。確かに…、触れたはずのその距離で。

(その時まるでボールに…、嫌われたのかと思った)

途端に、ボールを右から左へ持ち替えた。その行動に、藍堂は不意を突かれる。
素早い切り返しからの、ボールを床に着いて、再び右手へ。藍堂の手から逃がすように、素早く。
天古河の、とっさの判断。そのまま脇を抜かれて、場所は相手のフォワードポジションへ。

「…さっせるか!」

ゴールへ向かって手を伸ばす。身長は、明らかに藍堂の方が上。余裕で手が届く、そう思った瞬間。
天古河の指が、大きく後ろへ逸らされた。そのまま跳ねを付けて、跳ね上がるボール。
藍堂は反射的に手を伸ばした、相手よりも、さらに高い場所へ跳び上がる。アマ公の目が、ゆっくり目開いた。
最後に指先で鮮やかに返されたボールは、アマ公の大きな手をすり抜けて、届かない場所へと行ってしまった。









ブザーが鳴って。ちょうどそれがブザービーターを現す。試合終了の笛。
いつの間にか、基礎練習も完全に停止し、全ての眼差しが2人のワンオンワンに注がれていた。

「…すっげぇー!!これが王者同士の戦いかぁ!!」
「速ぇ!全然見えなかった!」
「キレてんなぁ、動き!2人とも、すげぇよ!!」

切れる息の音。止まらない汗。体格の違う2人が、同じだけ息を切らして、シャツで汗をぬぐう。
顔を見合わせると、藍堂には苛立ちと舌打ちが、天古河には変わらない普段の眼差しがあった。
やっぱり、チビのくせにうまい。そう思った。技術が高い。それも、型に囚われない自由で奇抜な癖のある動き。

「…はぁ、…」
「……100年早ぇーよ…、ヘタクソ」

 なんで…。なんでこいつと、敵じゃないんだろう。もっとこいつと試合がしたい。
敵として、真剣に向かい合いたい。なのに…、何で同じバスケ部なんだろう。それが悔しくて、腹が立つ。

「あの…、まだ見学終わってないです」
「……。」

入口に並べてあった鞄を担ぎ、上着を引っ掴んで藍堂は荒々しく入口を開ける。
しかし、手前で立ち止まってしばらく考え込んだかと思うと、唐突に踵を返して戻ってきた。
目の前には、ボールを持ったまま突っ立っている天古河の姿。その真正面に立つと、唐突に相手の胸に指を着きつけて突き飛ばした。

「それからお前。…気安く俺に話しかけんな、胸糞悪ぃんだよ。帝中」
「……、」

軽くよろけた天古河を残して、大きな音を立てて扉を閉める。
嵐が過ぎ去ったような、その場。ポツン、と震えながら残された1年。引きつる2,3年。
ボールを持ったまま、立ち尽くす天古河は、不意にそろりと先輩たちの方を見た。

「…あの、僕。藍堂くんに負けたんですけど、本当に入部できないんでしょうか…?」
「…え? いや!?なんでっ?」

「いや…、負けたら入部するなって言われたんですけど、彼に…」
「マジで…?」


バスケ部。見学初日。大物ルーキーの2人の実力を目の当たりにしてしまった一同と、
その藍堂という名の、天才の嵐に巻き込まれた少年は、今しばらくそこに立ち尽くしていた…。



Re: 雨、降る日のバスケ ( No.5 )
日時: 2013/11/07 23:48
名前: 創魔 ID:7V3SLTIQ

ドン ドンッ ドンッ


規則的にアスファルトを打つ、バスケットボールの音。
体育館裏の、錆びついたバスケットゴールが一つあるだけの寂れたスペース。
他の部活の柔道着や、小手。忘れ去られたユニフォームの天日干しのなれの果てなどがフェンスにかかる。

「……。」

月明かりに照らされたその場所だけが、ぽっかりと空いていて。
藍堂はその寂びたゴールに、ゆっくりと筋を伸ばしてシュートを放つ。ゆっくりと、弧。
そしてリングにかすりもせず、綺麗に吸い込まれたボールのシュッ、という音はいつでも耳に心地いい。
藍堂は降ってきたボールを受け止めて、もう一度放った。吸い込まれていくボールを、見つめる。

(そう…。そこに納まんのが、お前の仕事だろ)

そう。もう藍堂の仕事ではないのだ。そこに入れるのは。そこに入っていくべきはボールの方で、それが当たり前。
そんな感覚になってしまったのは、いつからだろう。いつか、練習中にボールを外したとき。
監督の叱責を受けながらも、ボールに恨みがましい目を向けたことがある。お前、何外れてんだよ、と。
今日調子が悪いの、お前の方だろ、と。だから、ボールがそこに吸い込まれるのは当たり前。入って、当たり前。

「藍堂くん」

ボールと藍堂の対話を破り、沈黙に水を差したのは一つの物静かな声。
大人しげな声に、嫌気が差して振り返る。月明かりの闇に浮かぶ、青白い顔。制服姿のそいつ。
藍堂は舌を打つと、自分のYシャツの袖を元も戻して、また苛立たしく声を低くした。

「…話しかけんなって言ったよな」
「確認したいことがあったんです…、君に」

所在なさげに、藍堂の練習を遮った天古河がそう呟く。そんな時でさえ、感情の読めない目。
もう少しビビるか、逆に挑発的な言動してみろっての。生きてんのか、と文句を言いたくなるが、
どうせまたきょとんとした顔を返されるだけなのでその要件を待つ。

「ハッ。俺に確認したいこと。なに」
「…負けたら、入部するな、の話。今さらなんですけど撤回してもらえませんか」

ガクッ、と思わず肩が落ちた。え、なにそれ。どんだけ律儀だこいつ。
拍子抜けしたことにも気が付かず、天古河は真面目な顔でなんとなく頬をかく。

「…勢いで受けた手前、やっぱり僕もバスケやりたいので」
「んな俺が勝手にでっち上げたルール、どこの先輩が認めんだよ」

アホか、こいつ。自分の我っつーのがないのか。いちいちそんな許可取りに来たのか、こんなとこまで。
天古河はまっすぐ藍堂を見つめると、今度は真剣な顔で少し困った口調で喋った。月明かりの中のこいつは、本当にコートの仲とは大違い。
こいつ、友達いんのかってくらい、存在感弱すぎてコミュニケーションが退屈になってくる。

「いえ、仮に先輩が認めても、それじゃ君が認めてくれないと思ったので」
「あ…?なんだそれ」
「だって、君を含めて新メンバーじゃないですか…」

さも当たり前のように、確認するように言われた言葉に、束の間唖然とした。
別に、本当に入部してもいいかどうか尋ねに来たんじゃなかった。こいつはただ、俺との今後を案じて気持ちを確認しに来たんだ。
まっすぐなそいつの目は、その言葉を紡ぐにはあまりに熱気不足で、なのに視線を断ち切れるようなもんじゃなかった。

「バスケのメンバーには、合うあわないはあると思うんです。やっぱり人間ですし…。
でもそういうのって、練習や試合の過程を経て、だんだんと各々気付いて見つけていくものだと思うんです…。
それはそれでいいです…、相性のいいチームっていうのは、勝手にいい試合に繋がっていきますから」

「……。」
「でも今の藍堂くんみたいな関係は、僕は嫌です。初めからギクシャクした関係で、バスケはしたくないです」

意外と、きっぱり言ってくるんだな、こいつ…。
ていうか、ギクシャクしてる原因、こいつ絶対わかってねーだろ…。俺のただの逆恨みだし…。
逆恨みか…、と思うとバカらしく。藍堂は乱暴に頭をかいて、吐息をついた。真面目に正面から諭されると、なんか萎える。

「…あー、もういいよ。悪かったし、わかったわ。別に俺…、お前のこと嫌いなんじゃねーし…。
つか、ギクシャクさせたの俺の方だし…。バスケに勝ち負けがあるなんてとっくの昔に分かってたし。
…それでお前のこと恨んだって、どう考えてもお前、悪くねーよ。俺の勝手な、逆恨みだったわ」

「逆恨み…、ですか?」
「結局、お前の記憶にはそんな程度しか残らねーほど。…俺らの試合なんてクソみたいなもんだったってことだろ」

鞄を担いで、ボールを鉄の籠に放り投げる。まだ話を聞いてポカンとしてるこいつの顔見ると、余計ムカムカしてくる。
所詮、その程度だったってことだ。さっきのゲームにも、全く手ごたえを感じなかった。
つまりそれは、手抜きってことだろう。こんな俺に、マジになることもなければ、負けて悔しいとも思われないほど。
俺は大したことない選手だったってこと。それが証明されたようなもんで、怒る気力も失せた。

「…てか、別に俺との関係。お前が心配する必要ねーし。…お前が入部する以前に、俺が入部しねーから」
「え…?」
「お前、たぶん俺が高校にもなってバスケやってる理由知ったら引く」


お前を追いかけてきたようなもんなんだから。お前にリベンジしたくてここまで来たんだから。
なのに、なんだよ同じチームって。山張って、こんな中途半端な高校に入ったのに、近過ぎんだよ。
高くもなく、低くも無く。いつかどっかのチームに入ったこいつと、試合する気でいたのに。
立ち尽くしていたそいつは、突然ハッと気が付いたようにじっと見入った。

「…、他人に引かれるような理由なんですか」
「お前バカだろ」

くっだらね。こんなことのために、高校生活棒に振って過ごすとか。復讐心、野心、ぜんぶ萎れてく。
おまけに相手は覚えてすらない。こっちにとっては、トラウマなほどに圧倒された唯一の試合だったのに。
あのときのコイツは、こんなしょぼい雰囲気で相対する奴じゃなかった。こっちが震えで動けないほど、圧倒的な雰囲気だったのに…。

「…俺は、別にお前と力合わせて仲良くバスケしたいわけじゃねーんだよ。お前ともう一回試合やりたくて来てんだ。
なのに、おんなじ部活入っちまったらまるっきし意味ねーし。隣じゃねぇ、正面に立って敵にしたかった。
そんでもう一回、勝負してお前を思いっきりぶっ潰したかった!じゃなきゃ…、気が治まらなかったからよ」

「…藍堂くん、冷静そうに見えて意外と物騒なキャラだったんですね…」

「だからもう分かったろ。俺がここのバスケ部に入る意味なんかもうねーんだよ。だから入部しねぇ。
…理解したら好きにしろ。俺はお前と一緒にバスケなんかごめんだ、…もう帰れよ」

「それは嫌です」

月が、雲で陰ってアスファルトの上に影が落ちた。冷たい空気だった。
ふと、闇の中にボールを見つけて瞳を細める。目の前には、弱そうな雰囲気で突っ立ってる天古河。
ボールを拾い上げて、それを放る。とっさに相手が掴んだボールに、再び月明かりが舞い降りた。

「なにしてんだ…?」
「ワンオンワン。もう一回。次こそ真剣勝負です」

誰も見てない。あの時の試合みたいに、敗北者に無残なスポットライトが当たることもない。
惨めなほどの、観衆の目にさらされることもない。こいつをその日の元に晒してやれないのは残念だが。でも、それでもいいからこいつに勝ちたい。そうじゃなきゃ、清陵として終われない。
誘われたワンオンワンには、確かにそんな気持ちがこみ上げる。しかし、藍堂は不快に瞳を細めた。

「…そーいうつもりだ」

もっと…、もっと、そう。
もっと実力が見たい。こいつの。無名だった帝中のこいつが、何故決勝までこれたのか。
実は何を隠し持っているのか、この目で見たい。腕の中に納まったボールが、やけにギシリと歪んだ気がした。

「…真剣勝負ってんなら、見せてもらおーか」
「え…」
「お前が、決勝でボールを持った瞬間の…、あの化けもんみたいなオーラを」
「!」

ぴくり、と天古河の手が震えた。同時に、彼は吐息をついてボールをアスファルトに一着きする。
自分の気持ちを落ち着けるように、心臓の鼓動に合わせてゆっくりと、打つ。

「聞かせてください…。どうすれば僕が本気を出してると思ってくれますか」
「『風』、出せよ」

アスファルトを打つボールが、止まった。
静かに手のうちに納まったボール。天古河の眼差しが、細められる。

「噂だったぜ、帝の7番。チビのくせにキレのある動きと瞬身、繊細なテクの裏アタッカー。
…そいつの切り札が、『絶対に誰も触れないボール』。…それを俺は、最後の試合で味わった」

あれは風。風の塊。ボールが他の選手に触られるのを拒否するみたいに、絶対触れない。
触ろうとすれば、相手の体は早すぎて。ボールをまるで風のように操る、そんな幻のボールがあると。

「…でも、お前はさっきのゲームでそれを出さなかった。『風』が来ると思ったとき、お前はボールを持ち替えただけだった。
あの試合だったら、お前はあんなことしなかったよなぁ?勝ちに来てたろ、絶対。それをもう一回、俺にやれっつってんだ!!」

本気の言葉。その気迫は、1年とは思えないほどの狂気。
天古河は、その覇気に圧倒されることなく、ゆっくりと息を吐いて顔を上げた。
ボールを藍堂に返すと、不思議そうな顔をした彼に向かって口を開く。彼の激昂の理由…。心当たりがあったのだ。

「…ひとつ、君に謝っておかないといけないことがあります」
「あ…?」

「…決勝戦の日の試合を、忘れたわけじゃありません。清陵vs帝。99−112。
僕らは勝とうと必死でした。初めての決勝で、負けたら何か大事なものを失うとさえ思っていた…。
それに、清陵とやった試合は、他のどの団体よりも面白くて、苦戦して…、絶対負けたくないって思いました」

「…、はぁ…?」

「でも…、その頃の僕らは逆にこうも思っていました。勝たなければ何の意味もないと。
楽しかったバスケも、いつの間にか『勝つためにバスケをしている』ような感じで、正直僕は…。
あの頃、バスケを全然楽しんでなかったと思います。さっき君が言ったように、バスケに勝ち負けがあるなんて当然なのに」

それは、子どもならではの負けず嫌い。今よりも、人一倍。
バスケがなんなのか、そんなことに興味なんてなくなっていた。結果がすべて。
その過程に、見向きするなんて一人もいなかった。まるで盲目…。勝ちが欲しくて、バスケを無視した。

「藍堂くんはさっき…、逆恨みだと言っていました。試合に負けた、逆恨みだと。
けど僕は…、それはあってると思います。きっと僕は…、あの時ひどい目をしていたと思うから」

「!」

試合が終わった直後。コートに横たわって放心した藍堂を見下ろした、あの目。
まるで感情なんかこもっていない、あの死んだような目。勝者の目なんかじゃ、ない。
突然やる気をなくしてしまった天古河は、鞄を背負いなおしてゆっくり踵を返した。藍堂はそれを引き留める。

「おいっ!!勝負は!?」

「もうひとつ…、謝っておきます。さっき、『風』が見たいって言いましたけど…。
僕はもうあの技は絶対にやりません。…もう二度とやらないって決めたんです…、すみません」

「は!?…や、ケチってねーで見せてけや!!コラッ!」
「一通り謝ったと思うので…、その。逆恨みの件はなかったことにしてくれませんか…。あと入部の件も」
「ならねーよ!なに勝手なこと言ってんだお前!サービス精神ゼロか!」

なんだこいつ。ワケわかんね。本気出さねーわ、必殺技は封印したって言うわ。
なんのためにバスケ部入ってんだ。いや、なんでバスケに対してこんなやる気ねーんだ…。
体育館裏の闇の中に消えていくその背中に向かって、藍堂は居た堪れなかったり、腹立たしかったりで怒号を飛ばした。

「おい!!…バスケやる気なしかお前!嘘だろ、おい!!」
「やる気ならあります。馬鹿にしないでください」
「…その抑揚のねー喋り方で言われても、説得力ねーんだよ!!」

何度声をかけても、天古河がコートに戻ってくることはもうなかった。
一気に押し寄せた、虚無感。悲しさ。なんでそんな…、そんな程度のやる気しかないんだよ。
やっと見つけたのに。どんな形であれ…、やっと見つけたのに。あの宿敵を。あの…、最強のフォワードを…。
ふと、闇の中で立ち止まった天古河に視線を奪われる。その唇が、微かに夜の影で動いた。

「僕は、この光琳でバスケをやり直すと決めたんです。…1から、やり直そうって」

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.6 )
日時: 2013/10/31 23:22
名前: 創魔 ID:rswhgoVg

翌翌日の練習から、1年生の参加は始まっていた。
まず朝練に始まり、コート整備、走り込み、パス練、シューティングが朝礼までにできるメニュー。
放課後、16:30に集合して走り込み、基礎練、体力アップ、シューティングで1コース。
その後にスタメンとベンチ、その他の1年と部員に分かれてメニュー分けがあり、ミニゲームで2コース。
内容は多いがやっていればあっという間で、外は暗くなっていった。

その日1日。帝中のそいつを観察する。
動きはまぁまぁ。ていうか普通。特にフォームが綺麗とか、清陵の俺に言わせれば別にふつう。
シュートの時とか、外すし。ドリブルの動きも、微妙にバランス悪いとこあるし。パスもガチ速ってんじゃないし。
唯一、見どころがあるとすれば体力だ。こいつは意外にタフで、他の1年の走らせればその差は歴然。

(あと…、瞬発性か)

反復横跳びなんかは、他より倍はこなす。清陵の俺の体力に、よくまぁついてくる。
けどそのほかのテクはてんで並み。あのミニゲーム中のフックとか、フェイクとか。あのキレはどこにもない。

(やっぱ手ぇ抜いてんだろーな…。んだよ、やる気ねぇ)

目を逸らして、自分の分のシュートを決める。何も狂いなく、吸い込まれていく俺のボール。
早くミニゲームの時間にならないかと思った。唯一、あいつの本気が見れた試合。
ダッシュの時、順番待ちに並んでいると、不意に視界の端にチッこい背丈の頭が見えた。
藍堂は吐息をついて、腕を組む。ちらり、と視線を上げたらしい天古河が口を開いた。

「あの…、僕のことチラチラ盗み見るの。やめてもらえませんか」
「…べつに。誰もお前なんか見てねーよ」
「視線、感じるんで。あと、僕注目されるの苦手なので…、余計気が散ります」

決勝であんだけ視線浴びてたやつが、何をぬかすか。それも気に食わなくて、舌を打ってそっぽを向く。
相変わらず声が小さくて、若干ボソボソ話す天古河はどうみてもスポーツマンっぽくはない。
いや、清陵であれだけ声を張り上げて鍛えこまれた藍堂から見れば、この部活自体ぬるすぎて話にならない。
だからもう一度ミニゲームの時間になるのを待っていた。この後、自主練でもしなきゃ体がなまる。

「てめーのそのふざけたシャツが気になってるだけだよ。…んだそれ?」
「これ…、1年の小林君から借りました。僕のシャツ…、お弁当のマヨネーズが鞄の中で炸裂して、見るに堪えなかったので」

「は…?」

天古河のシャツは、オレンジの派手な色と、背中に『大勝利』の文字。
どう見てもふざけているとしか思えないシャツを、ジョークとは無縁の世界に生きてるみたいなやつが来てるので、
気にはなっていたが、同学年のヤツから借用したと聞いて納得する。その理由もまたアレだが。

「あと…。ずっと僕の練習風景見て皺寄せてますけど…。真面目にやってますよ、練習」
「あぁ?」

「…ずっと気に食わなそうな顔で見てたので。
人がシュート外す度に、盛大に舌打ちするの止めてください。…正直傷つきます。それから、靴下逆です」

最後の一言と同時に、ダッシュの位置について行ってしまった天古河に取り残される。
小さい声でぼそぼそ言うくせに、言いたいことは余さず言う。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.7 )
日時: 2013/10/30 16:46
名前: 創魔 ID:Wgt1WWyc


「うーっし。じゃあ、1年の顔合わせ会祝してー、かんぱーい!」



暗くなった帰り道。ファーストフードのハンバーガー店の前で、声を上げる。
疲れてるから早く帰りたいとぼやいた天古河と、家が遠いからと断った藍堂もその場に突っ立っていた。
手に持っているのは、アイスのザリザリちゃんと、ポテトのLと、スーパーの半額の串カツ、肉まん。

「…なんで顔合わせ会がどっかの店じゃねぇの。なんで買う物がこんなバラバラなの」

「なんでもいいから各自乾杯するもの買ってこい」と言われ、集合してみればこれだ。
手にコンビニのペットボトルを持って、あまりのお手軽感に藍堂がため息をつく。
天古河に至っては酢昆布をくわえていて、まさかそれとペットボトルで乾杯するんじゃないだろうな…、と自分の手持ちをひっこめた。

「バーカ。店に入る金があんなら奢れっての」
「藍堂、金持ってそうだもんなー。なんてったって清陵だもんなー」
「どーいう認識だそれ。…お前、清涼中学なんだと思ってんだ、別に仕事先じゃねーぞ」

結局、入部した1年はぜんぶで4人。あまりにも少ない入部だった。
毎日こなすメニューがあまりにもキツく、毎日時間ぎりぎりの夜遅くなので、臆したのだ。
藍堂にとっては、むしろ練習メニューが緩すぎて、アップ程度にしか感じられないのだが、中編高校ならこんなものかとも思った。

「お前ら…、練習では音ぇ上げなかったな。バスケやってたのか」

炭酸を飲み干して、藍堂が訪ねる。短髪で体格のいい男子と、髪が長めの長身の男子。
それに藍堂と、天古河で全部。途中入部でもない限り、このメンバーだけでは練習試合もできない。

「俺はやってたよー。中学ではスタメンだったし。志田 友哉」
「スタメンか…。どこ中?」
「無名だから多分わっかんねーよ。インターハイ予選でおっちまったもん」

カラカラと笑う志田だが、やはりその顔は苦笑していて悔しそうだった。藍堂は瞳を細めた。
そう、この光琳はそんなレベルのプレーヤーがゴロゴロと流れてくる、そんな場所なのだ。期待はしてない。
そもそも、初めから雰囲気がまずかった。中学でバスケをやっていて、そこそこやれるから高校でも続けようと思った連中。
それらが、藍堂と天古河の存在を見つけただけで、もうレギュラーを諦めてバスケを断念し、多くが去ってしまったのだ。

(やる気がない奴はさっさと消えてくれりゃこっちも嬉しいけど…、さすがにこりゃ萎えるな)

4人か、と思い先が重くなる。追慕でもやらないと、まずいかもしれない。
隣でくしゃり、と袋を潰した音に、振り返った。まったく表情は変わらないが、天古河は口を開く。

「追慕…、した方がいいかもしれませんね。僕らだけじゃ、他校と試合するにも無理があります」
「だなー。先輩たちもそう人数がいる方じゃないし、あと2人は欲しいなー」

そう提案した天古河を見下ろして、ちょっと目を見開く。全く発言しない物静かさだが、先のことはちゃんと考えている。
自分も思ったその不安を、同じく口に出したので少し安心した。人数が少ない分、せめてしっかり意見くらい癒えてくれなきゃ困る。
藍堂はゆっくりと首筋を撫でて、面倒臭そうに溜息を吐きつつ空を仰いでペットボトルを握りつぶした。

「…んじゃ、入部して早々にアレだけど。張り紙くらいつくってどっか貼っつけっか…」
「そうですね…。早めにやっておかないと、他の新入生も大半が部活を決めてしまうかもしれません…」

この中で、絵、得意な人いますか…?と囁くような声で聴かれたので、互いに顔を見合わせる。
カッコいいビラこそ人を集める。大方見学に来て、既に諦めてしまった生徒が大半だ。
ただシンプルに「追慕中!」と乗せても、人が来るかどうか。おまけに先輩たちのポスターがかなりカッコ良かった。
バスケの有名校ならともかく、こういう高校ではセンスこそものを言いそうだと何となく感じていた。

「…あー…、俺…絵心はちょっとなぁ」
「俺もだ。…絵なんか小学校の図工の時間以来だぜ」
「…僕もです。顔がないキリンなら描けますけど…、人間はどう考えても僕の画力じゃ無理です…」
「お前のそれたぶんキリンとは呼ばねーぞ」

うーん、と首をひねった3人の前で、ポテトを口にくわえていた少年がふと手を上げた。
屈託のない笑顔に、細めで活発そうな容姿。もう一人の1年生が、手を上げた。

「俺、絵なら得意だよ。中学の時、詐欺防止ポスターで金賞もらったから」
「!うぉ、なにそれ。スッゲーな!」
「へっへー、任せろ」

1年のもう一人の名前は、小林直太郎。この4人が、今年の唯一のバスケ部新入生だ。
実力もてんでバラバラの4人が、今後光琳高校のバスケ部をどんなふうに変えるのか楽しみだった。
話はチラシをどんなふうにするか、金賞取ったなら30人は余裕で鷹ってくるようなポスターにしろ、と無茶振りする。

「絵だけじゃ物足りねーから、なんかこう、3Dとかにしようぜ!」
「え…マジ。金賞ってそんなスゲーのか?」
「おい、夢膨らますな。普通に2次元しか無理だわ」
「…んじゃ、俺が筆とってやるよ。中学でバスケの他に取り柄つったら、俺は習字くらいだからな」
「マジ!…藍堂、お前習字できんの!」

それ、スッゲーカッコイイポスターになんじゃん!と直太郎が叫ぶ。
それを見ていた天古河が、自分も何か…、と思案顔でうつむく。顔を上げ、真面目な顔で藍堂を見た。

「じゃあ、僕もその隣にキリンを描きます」
「やめろ馬鹿」

すげぇシュールなポスターになるわ、と半目でトドメを刺される。
食べ終わったアイスの棒を捨てて、背の高い藍堂は改めて目の前の3人を見た。
中学時代スタメンだった志田に、運動神経のよさそうな直太郎、…背はかなり小さいが帝中出身の天古河。
期待通り、とは言わないが、その力不足も自分が引っ張って行けばいい話だ。特に天古河の真の実力を…、自分は知っている。

「ん。…とりあえず覚えたわ、顔。…簡単にやめんなよ」
「どーだかなぁ。藍堂にしごかれて、メンタルやられたら俺やめるかも」
「お前らばっかボール取るなよ。俺らも早めに強くなるように頑張るからさ、協力してくれよー」

若干本心も入っているかのような2人に、藍堂は飽きれ、天古河はクスッと笑った。
そんな天古河の様子を見て、藍堂は改めて普段の練習風景の天古河を思い出す。あのプレイ…。
半年前の試合とは大違いだ。その本気の実力を…、もう一度見るまではコイツのことは正直よく分からない。
いや…、むしろ自分が真っ先にこのバスケ部をやめる可能性すらある。こいつは…、本当なら仲間じゃない。
誰よりも、何よりもリベンジして、倒したかった敵になるはずの男だったのだから。本気の勝負を望むなら。
だから…、そのためならあえて今、この部をやめることだって…、できる。

「はい…、一緒にがんばりましょう」

穏やかな顔でそう返す天古河には、自分がそんな対抗心を燃やしているとは分からないだろう。
藍堂はやるせない顔で目を逸らし、影でそっと大きな拳を握りしめた。でもそれまでは…、近くでこいつの本性を見てみたい。
その機会は、きっとたくさんある。これからの練習、これからの試合。きっとその中で、見つけて見せる。

「それにしても、藍堂も志田もいいとして。お前のその変な苗字だけはどーしても呼び辛いよなぁ」
「…変な苗字って言わないでください。だったら下の名前で呼べばいいじゃないですか」

むっ、と眉間に皺を寄せた天古河が、そう呟く。確かに、部が始まってまだ数日だが、一向にその苗字を呼ぶものは現れない。
そこの1年、とか。ちょっとキミ、とか。どうしても舌を噛みそうになるその名前は、彼には毎回のことだった。
それは1年生全員を含めてそうで、周りを上から囲まれて天古河はまばたきした。

「お前…、下の名前ってなんだっけ?」
「雨です」

「雨って…、雨は雨で紛らわしいよな。雨降ってる日とか、『うわ雨マジうぜー』って俺普通に言うけど」
「やめてください。…傷つくんで」
「でも試合中にいちいち『天古河』なんて長い名前言いたくねーよ。舌噛むわ」

なんかあだ名つけねーとな…、と腕を組む。「…、雨でいいのに」とそれを待つ天古河。
そこで、ふと思いついたように彼は瞬きして、悩める3人を見上げた。その目には、慣れた顔があった。

「じゃあ…、アマ公って呼んでください」
「?なにそれ」
「…僕の名前、やっぱり長いので。前の中学でもそう呼ばれていました」

良かったら、そう呼んでください、と。惜しげもなくあだ名を教えられて、3人は顔を見合わせた。
アマ公。なんか犬みたいだけど、それはそれでなんか合ってる。雰囲気は、何を考えてるか分からない犬そっくりだ。

「いいけどよ。なんだその、アマ公って」
「…『天古河』の最初と、僕の名前の『雨』を『う』って読み方した人がいて…、くっつけてアマ公です」
「たっはっは!なんだそれ、考えたヤツうめーっ!」

大笑いした直太郎をちらっと睨んで、「…笑わないでください」と一言。
くしゃり、と頭を上から撫でられて、「んじゃーよろしくな、アマ公!」と名前を呼ばれる。
それが何故か中学の時に戻ったような錯覚を覚えて、天古河は手を払いつつ「はい」と返事をした。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.8 )
日時: 2013/11/07 23:32
名前: 創魔 ID:7V3SLTIQ


土砂降りの日だった。その日は、バスも電車も駄々遅れ。
交通の手段が一切ない中、傘さえ持ってくる頭なんてなかった藍堂は、盛大に遅刻した。
日曜日。他校との初めての練習試合。体育館に入れば、すでに着替えた仲間たちとすれ違う。

「…ッ、悪い」
「藍堂いそげ!ロッカーそこ曲がって左!」

先輩たちも今しがた着いたばかりのようで、他校を待たせないよう濡れた髪を拭いつつ着替えていた。
ガチャリ!とロッカーを開ければ、びしょ濡れの体が、さらにびしょ濡れの誰かとぶつかった。
自分の勢いに負け、勢い良く吹き飛ばされたらしい相手が、床にしりもちをついて倒れた。

「!悪い、大丈夫か…っ。って…」
「藍堂くん…、今日はもう来ないのかと思いました」

自分以上にズブ濡れ…、というか。いくら雨降っているにしろ、シャワーでも浴びてきたのかというほど。
全身めちゃくちゃに濡れた姿で自分を見上げる姿に、軽く眩暈がした。いやそれ、タオル何枚あっても足りねぇ。
バッグを片手に、困った顔をしている少年を無理やり助け起こして、改めてまじまじとその有様を眺めた。

「おまっ…!んだそれ…、着衣水泳か!?」
「……、今日雨降るとは思わなくて。鞄の中までびしょびしょなので、用意したシャツが着れないんです…」

困り果てた顔で、「今からここの部員の人に、シャツ借りようと思って…」と呟く。
しかし今から誰かを探してシャツなんか探していたら、確実に整列に間に合わない。
藍堂は苛立ちながらも、自分の鞄の中に手を突っ込んで、予備の黒いシャツを引っ張り出して投げつけた。

「さっさと着替えろ!…あと、その恰好であんま歩くな!床が滑るわ!」
「すみません…、ありがとうございます」

シャツを持って、2人一緒にロッカーへ走る。これからアップすれば体は温まるが、風邪でも引きそうだ。
靴下もバッシュも濡れて全滅だそうで、途方に暮れるアマ公にアップ用の着替えを全部貸してやる。
「サイズでかすぎです…」とか「アップ用のシューズ、滑るんですけど…」とかいう文句は一蹴だ。
急いで準備して体育館に出れば、全員もうアップを始めていた。







「今日は、いきなり雨降ってくるの大変だったろう。ま、風邪ひかないように。後怪我しないように。
十分体あっためてから、練習試合はじめよう。2,3年は右コート。2校の新入生は、奥のコートで練習試合。
今日1日、びしょ濡れでせっかく来たんだから、お互い無駄にはしないように。じゃあ、今日はよろしく」

「よろしくお願いっしゃーす!」

藍堂とアマ公は、言われたとおり奥のコートへ移動する。早く2,3年に交じって練習したいところだ。
だが、とりあえず今週いっぱいは1年同士、互いの実力を見極めるためにも合同で練習する。
中学でスタメンだった志田。未知数の直太郎。そして一番道なのは、アマ公だ。

「…、おい」
「はい?」

「…、練習試合だからって気抜くんじゃねーぞ。本気出せ」
「…、いつも本気出してますよ」
「抜かせ。少しでも手抜きやがったら、その貸したシャツ速攻返却さして、全裸で試合させっからな」
「…どんな羞恥プレイですか」

…バスケだけに、と無表情で続けようとしたアマ公をひっぱたいて、コートに向かう。
不足分の人数は、ベンチ入りの先輩が満たしてくれた。あとは、初めての試合で勝くじを見極めるだけだ。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.9 )
日時: 2013/10/31 15:31
名前: 創魔 ID:rswhgoVg

「ではこれより、城西対光琳1年同士の練習試合を始めます。礼!」
「お願いしゃーっす!」

始まるバッシュの高い音。ジャンプボールを誰にするか決めていなかった光琳は、
迷ったように仲間たちを少しだけ振り返る。のろのろと移動した藍堂が、腕の筋を伸ばしながら振り返った。

「…良いぜ、俺は別に。志田、いけよ」
「え、いいの?絶対お前の方がジャンプ力あんのに…」
「いーんだよ。俺より身長あんだろ、…さっさと跳んで俺にボール回せ」

つまりそういうことらしい。ジャンプボールするより、早く点を取りに行きたい、と。
志田は苦笑して頷き、真ん中へ歩み寄る。開始を待っていたアマ公の隣で、ひそりと声が囁かれた。
横を見れば2年の中尾先輩がいて、優しそうな顔でなぜか困った顔をしていた。

「俺、あんまり役に立てないからさぁ。あんま期待しないでね」
「…大丈夫です。ヘルプありがとうございます。今日は1年の試合なので、1年の力で頑張ります」

やっぱり、スタメンではないとはいえ、1年の人数はそろえた方がいい。
ホイッスルが鳴ってボールが浮くと同時に、志田の手がボールをはじいてまっすぐ藍堂の所へ堕ちてきた。
そこからのクイックネスが以上に速かった。試合開始と同時に3人抜きした藍堂を、誰も目で追うことができない。

「えっ!?」
「お、おいおいお…!」

ホイッスルと同時に、クイックリリースでボールがゴールをくぐる。
目の前にいたブロックすら反応が間に合わず、ジャンプさえ許さない。ドンッ、とボールが床につく。
呆気にとられる一同の中で、藍堂は頬の滴を拭って舌を打った。余りにも速すぎるファストブレイク。

「汗なのか、さっきの雨なのかわかんねーや…」

先制した藍堂に、呆気にとられる4人。ざわり、と空気が揺れた。
相手校の1年生たちが、ざわざわと藍堂の背中を見つめて嫌な汗を浮かべる。

「あれって…、まさか清陵中だったヤツじゃねぇ…?」
「中学で全国出てなかったかアイツ…。1年から3年まで…スタメンで出続けたエースの…」
「嘘…!なんでそんな奴が、バスケじゃかなりそこそこの光琳なんか入ってんだよ…、普通もっと有名校行くだろ」

つか、今日の練習試合死んだ…!と勝手に死亡フラグにしている選手たち。
そっぽを向いている藍堂に、影から歩み寄ったアマ公が眉間に皺を寄せた。
打ち震える相手の1年生選手たちを憐れむような眼差しで、得意げにすらしない藍堂を責めた。

「…なに相手の出鼻、初っ端から挫いてるんですか。飛ばし過ぎです…」
「うるせーな。その方が早く先輩の試合に交じれていーだろーが」

こんな温い試合から、さっさと撤退したいらしかった。
事実、藍堂が本気を出せばあっという間に勝負も着くだろうが、アマ公は至って慎重だった。
ポジションにつく仲間たちの方を見て、深慮深げに、ふっと吐息をつく。

「そう、簡単にいくでしょうか…」
「あぁ?」

ホイッスルが鳴って、ボールは相手チームへ。パスが通り、リバウンドからオフェンスへ流れる。
相手のPFへ繋がろうとした瞬間、圧倒的なパワーでボールをもぎ取った藍堂が、向きを変えた。
ディフェンスが一気に囲んでくる。少しの気のゆるみが、3Pという完璧なブロックを許していた。

「おっ…」
「い、行かせねーぞ!!ここはぁ!!」
「屍越えて行けやぁ!」

意地でも、といった目で藍堂をブロックする。前にも後ろにも引けないブロック。
藍堂はちょっと片眉を吊り上げると、視線を外へ流した。ノーマークな人間がたくさんだ。
フェイクをかける。右へ、左へ、右往左往する相手を目の前にして、藍堂は背後にパスを出した。

「へっ、俺!?」
「…ばやし、ゴー。シュート」

のんびり囁かれれば、ボールをもらって驚いた小林が藍堂を見る。
ゆっくり背筋を伸ばして立ち上がれば、あとはもうそこにボールのない長身の藍堂が立っているだけ。
にやりと笑った藍堂が腰に手を当てて、ポカンとした敵選手に首をひねると、慌てて小林を追いかけ始めた。

「…っディフェンス!止めろ!」
「おっわ…、守りガラ空き。マジかよ…」

可笑しそうにくすくす笑った藍堂は、必死になって背を向ける相手が面白くて仕方ない。
こんなに緊張感のない試合をしたのはいつ振りだろう。あくびが出る。あり得ないほど退屈な試合だった。
相手コートに背を向けて、ボールが戻ってくるのを待とうとしたときだった。突然のホイッスルに、藍堂の目は丸くなる。

「トラベリング!」
「えっ…?」

ゴールに到達する前に、ドン…と音を立てて小林の手からボールが零れ落ちる。
恐る恐る…、何事だ?というふうに振り返って、相手ゴールの手前に立つ仲間を見つめた。
審判と、小林を追いかけていった大勢の1年。あと一歩でシュート、というところだったはずなのに…。

「小林くん。バスケは、ボールを持って3歩歩いたら反則です。…昨日言ったじゃないですか」
「あれ…、そうだっけ?」

「あと、攻撃の時は台形に入ってから30秒以内にシュートを打たなくては反則になるので…。
自分ばっかり持ってないで、積極的にボール回してください。…一人で持ってると、スティールされますよ」

妙に律儀に忠告するアマ公に、小林は大人しく頷いている。
え、ちょっと待ってなにその注意。と顔を強張らせていると、小林が笑顔で振り返った。
その手にボールを拾い上げて、困ったように眉を八の字にして、満面の笑みで手を振ってきた。

「悪いー、藍堂ー。パスもっかい!」
「……へ」

再び試合が再開して、ボールが回ってくる。なんだか妙な空気になってくる。
適当に相手をかわし、ゴール付近まで来たところでブロックが硬いので周りを見回す。
マークがついていないのは、小林だけ。さっきのことの意味が分からないまま、笑みを浮かべる小林に再びパスを出す。
次の瞬間、あっという間にスティールされたボールが猛烈な勢いで逆流を始めたので、思わず目を向いた。
急いで踵を返し、マッハでボールを追いかけていると、ちょうど隣にアマ公が並んできた。

「藍堂くん、昨日の話聞いてなかったんですかっ…。小林君はバスケ初心者なんですよッ」
「は、…?」

初心、者…。
ボールを奪われて全力疾走する前方の小林に、目を向ける。
昨日、俺にもボールちゃんと回せとかほざいてた…、あの運動神経良さそうなチャラ男が、バス…ケ、初心…

「ッ…はぁあ!?」
「それも、トラベリング知らないくらい超ド級。パスを出すときは気を付けてください」
「…っんなヤツにパス回さねーよ!!つか、んなもん試合出すとか!!」

言ってる傍から、偶然ボールをうばった途端にシュートを放つ。
誰もが目を見張って言葉を飲み込んだ。華麗な弧を描いて決まったゴール。つまり…

「…オウンゴールじゃねーかッ!!」
「なにやってんだ1年お前!そっちお前らのゴールだっつーの!!」
「えっ…?どっちでも入れりゃ得点じゃないの?俺、体育の授業でずっとそうしてたけど…?」
「お遊びゲームと一緒にすんじゃねーよっ!…つか、初心者にしてもその年でバスケのルール知らないとかマジか!」

再びゲームが中断し、あまりのショックに藍堂は立ち尽くした。
初心者…、ンな話は聞いてない。ていうか、初心にもほどがある。初めて文化に触れる宇宙人かコイツ…。
相手チームに謝りつつ、ボールを拾い上げて小林が仲間を振り返る。満面の笑みに、再度突き落とされた。

「悪ぃー悪い、次は間違えないから!もっかいやらして!」
「ッ…ざっけんな!ルール暗記して出直して来い!!」

いくら有名選手がチームにいるからといって、これは相手チームもキレていいレベル…。
そこをポンと肩を叩かれて、振り返る、というより見下ろした位置にアマ公がいた。

「大目に見てあげてください…、人数足りませんし。小林君のミスは、藍堂くんがフォローすればいいんです」
「はぁ!?ンで俺がそんな尻拭い役…ッつかお前、知ってたならルールくらい教えとけよッ!」
「…昨日、夜を徹して教えました。でも、途中でお互いに寝落ちしたので」
「じゃあ試合に出すなっ!」

まだ始まって3分経っていないのに、もう試合存続さえ危うくなってきた。
というより、何より今日見抜いてやろうと思っていたアマ公のプレーを、まったく見れていない。
苛立ちと失意。そんな様子に気が付きもしないアマ公は、周囲を見回してから落ち着き払って顔を上げた。

「小林君はまだフェイクもドリブルも慣れていないので、センターにいてもらいましょう。
さっきのシュートも綺麗に入りましたし、彼もともと運動神経は抜群に良さそうなので、
リバウンドやシュートなら決めてくれると思います。…それに、これ以上ファウル取られるとさすがに痛いので」

「……。」

ポジションの交代を伝えに行くアマ公。タイムアウトも取らず、律儀に待ってくれる相手チームに涙が出る。
ていうか試合中にこんなことしてたら馬鹿なので、本来なら声掛けや身振りで伝えるものなのだが。
小林にはその手ぶりさえ伝わらず、ポカンと笑顔を見せているので、アマ公もため息をついた。
戻ってきたアマ公が、さすがに珍しく消沈した様子で肩を落とした。

「…とりあえず、センターの志田くんと変わってもらいました」
「…、あとでみっちり勉強会だな」

苛ついた口調で藍堂が歯ぎしりする。試合の再開。
しかし、問題が浮上したとはいえ、この試合は退屈すぎる。藍堂は思い付きのまま、アマ公の肩を掴んだ。
真上から力強い腕に掴まれて、アマ公の体が大きく揺れた。不思議そうに顔を上げるアマ公に提案する。

「…俺とお前、どっちが多く点入れるか競争するか」
「嫌です。子どもですか」

呆気なく振り払われた手と同時に、ブザーが鳴る。
自分の持ち場へ戻っていく後姿を見て、藍堂は再び舌打ちをした。
ンなこと言ったって、全国決勝まで行った2人にとって、この試合の何が楽しいというのだ。
アマ公は、理解できない。自分とは全く異質のプレーヤー。いや、人間そのものが違う。

「…ンだよ、つまんね」

藍堂はガリガリと乱暴に頭をかいて舌打ちし、背を向けてため息をついた。
気が付けば、自分以外は再び試合に集中し、ボールが流れていた。瞳を細める。
何年も見慣れたボールが、あんなにゆっくりとコートを移動するのを藍堂は初めて見た気がした。





Re: 雨、降る日のバスケ ( No.10 )
日時: 2013/10/31 16:22
名前: 創魔 ID:rswhgoVg


「あーあ…、結局。藍堂は途中から先輩たちのコートで練習か。いーなー」
「藍堂くん、向こうのコートでも点取りまくってましたもんね…。向こうのスタメンが半泣きでしたよ」
「スゲーなぁ、やっぱ。鍛えてきた環境が違うんだなぁ」

帰り道、すっかり日の暮れた歩道を4人一緒になって歩いて行く。
試合が終われば、藍堂のすごさを改めて実感したメンバーの眼差しはやはり違うものになる。
妙に突き刺さる視線を無視しながら、藍堂はアイスをかじって舌打ちした。予想以上につまらない練習試合だったのだ。

「…っせーな。肩慣らしにもなんねーよ」
「そういうひねくれた言い方すんなよ。俺らマジで病むぞ」
「ちげーよ。…そもそも、うちの先輩そうそう弱くねーし。俺が出るまでもねーっつか…」

藍堂が出て、形勢逆転で相手を負かせたならまだ出て行く意味もあったものを。
状況は最初から光琳の優勢。そこにエース級の藍堂が入って行ったのだから、もう目も当てられる試合ではなかった。
途中からベンチに引っ込もうかと、キャプテンの申し出たほどだ。予想以上に期待ハズレだった。

「そういう…、ヒーロー的なポジションがいいんですか…。藍堂くんは」
「おもしろくねーだろ。…やるからには、俺がいたから勝てたってくらい、張り合いのある試合じゃねーとな」
「うわぁ…、言いてぇー…それ」
「ばやし!!てめぇは論外だ!!ウチ帰って勉強し直せ!!」

ぼやいた小林に、藍堂がマジギレするのを志田が必死に止める。
ジュースのストローを口に含んでいたアマ公は、そんな様子に吐息をつく。

「いいじゃないですか…、そんなに叱らなくても。小林君、後半スゴかッたですよ…」
「そうそう!俺らの入れ零し、ぜーんぶゴールにぶち込んでくれたもんな!」
「ルールが関係なければ、小林君はやる人です」
「ルールがなきゃバスケじゃねーだろが!」


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.11 )
日時: 2013/11/08 17:17
名前: 創魔 ID:Zt.xApU6


「よーし、1年。外周走ってこい!」
「はい!」



桜の花びらが散る外周コースを、いろんな部活の生徒がそれぞれに走っている。
決められた時間を、それぞれのペースで好きなだけ走る。瞬発性を鍛えたければダッシュだけやる。
体力を付けたければ30分間走り続ける。トレーニングを自分で組めるので、とても走り易い。

「うっしゃあー!めざせ外周20周ー!!」
「小林くん、そういう走り方すると遅筋がつきますよ」

アマ公の忠告も聞かず、一人ぶっちぎりで走って行った小林の背中があっという間に見えなくなった。
スタート地点で肩を鳴らしてそれを見送った藍堂が、呆れて腕組みをしている。
バスケに必要なのは遅筋よりも速筋。遅筋が発達すると速筋が退化する。

「足遅くなんぞアイツ…」
「…一回遅筋が付いてしまうと、速筋にはなかなか戻りにくいんですけどね」

靴紐を結びながら、同じくすこし残念そうにつぶやくアマ公。
ちらり、と藍堂の眼差しがアマ公をかすめたので、ふと視線を上げて相手を見上げる。
相変わらずアマ公の表情は真顔で、少し長い前髪が片目にかかっている。腕組みをしたまま、藍堂は顔を背ける。

「…負けたくなさそうな顔してますね」
「来易く話しかけんなっつってんだろ。…個人が走る分量に勝ち負けなんかねーよ。…先いく」

走り出した藍堂の走り方は綺麗で、どこにも無駄がない。バランスのいい走り方は、清陵中学で徹底されたそれらしい。
体格も悪くなく、身長も高いし、足も長い。腕や腹筋の筋力も良くついていて、周囲と比べればすでに完璧に出来上がった体。
そこにまだ未知の伸び白があるのだから、きっと高校でもまだ伸びるに違いない。強豪、清陵のエースだけある。
それに比べて、アマ公は小柄で筋力は藍堂に比べればほとんどない。まだ中学生の体つきだ。
アマ公は靴紐を結び直して立ち上がると、その背を追いかけておもむろに走り出した。




もう半分ほど走っただろうか。藍堂はランニングをやめて、クラウチングの姿勢を取った。
バスケには、体力もそうだが瞬発力もいる。つまり遅筋も必要だが、ジャンプやフェイクには速筋を使う。
きっちりと考え抜かれたメニューを清陵で毎日こなしていた藍堂には、光琳のメニューは緩すぎるし、徹底されていない。
だから清涼の頃通り、自分に必要なトレーニングは自分できっちりこなす。そうでなければ作り上げてきたものは、一瞬で崩れてしまう。

「!」

そのとき、真横を一陣の風が抜けて行ったので顔を上げた。
走って行ったのは、黒いシャツ。しかしそれだけで横顔を見ることすらできなかった。
改めて目を細めれば、道の向こうへ抜けていったのはアマ公の姿。その影が、前方でへばっている小林を抜いて行く。

(足…、速ぇーな。やっぱ…)

30mなら、藍堂よりも速いかもしれない。なぜだろう。特別なトレーニングをしているわけでもない。
ふつうの部員と、まったく同じ光琳のメニューをこなしているにすぎないのに。なぜ…。
ここの部活のトレーニングだけなら、あれほどの体力はつかない。なら、自宅で何か特別なことをしているのか。
藍堂が、強豪校からのオファーを蹴って光琳高校に入ったのは、ただ一途にあのアマ公に勝つため。
なら…、と思い藍堂は再びクラウチングの姿勢を取る。その日の帰り道、何気なくアマ公の家の場所を聞いたのはそのためだった。










翌朝、まだ霧の立ち込めるほど速い早朝。
藍堂は体を温めるランニングのついでに、いつものルートと道を変えていた。
場所は、昨日アマ公が言っていた家の近く。もし朝、他人には見えないところで努力をするとすればこの近辺を走るはず。
そう思い、汗をぬぐって周囲を走ってみる。別に見つけたからって声をかけるわけじゃない。純粋に、何をしているのか知りたい。

しかし、アマ公は一向に現れなかった。走りやすそうな川辺の道も、近所も走った。
だがその姿はどこにもなく、いよいよ日が高く昇りかける。ルートが違ったのか。そもそも何もしていないのか。
目的の半分は自分のランニングだったので、別段構わないが拍子抜けする。そろそろ帰るか、と踵を返す。
その時、ふと振り返った場所に、息を切らして立っているアマ公の姿があって目を見開いた。

「あ…」
「あ」

お互いに驚いた顔をして、しばらく沈黙になる。目をしばたかせた。
遭遇したらしたで、逆に気まずくなってきて藍堂は言葉に詰まる。住所を聞いた翌日にコレって、逆に怖ぇ。
しかしアマ公の姿は汗びっしょりで、急に当初の目的を思い出した。アマ公の方は、相変わらず珍しく意表をつかれた様子だった。

「…藍堂くん…、こんなところで何してるんですか」
「なにって…、朝ラン」

無愛想にボソリ、と呟いて顔をしかめる。しばらく呆気にとられて、その後「そうですか…」としか返してこない相手。
藍堂は気になるのはその相手の行動の方で、改めてマジマジとその要望を見つめた。なんだか、大いに期待ハズレだった。
アマ公の姿は、トレーニングをするには似つかわしくない、それはそれは普通の格好で…、ランニングとは無縁の私服だった。

「そっちこそ、何してんだよ」
「僕は…」
「そんな寝起きみたいな格好で、ランニングはねーだろ」

アマ公は黒のカーディガンに、ふつうのズボンをはいていて、それで走ったらまず間違いなくバテる。
なのに汗だけはむしろ藍堂よりも多くて、肩で息をしていた。その後ろには、山しか見えない。
しばらく沈黙だったアマ公は、袖で汗をグイッと拭って落ち着きを取り戻した。

「…僕は、おつかいです」
「おつかい?」
「…山の麓に、猟師をしてるおじさんの家があって。おすそ分けをもらいに」

おすそ分け、という意味が分からずに眉をひそめる。そのアマ公の右手には…、何やら袋が。
その赤いものが、まさか血痕だとは思わずに顔を引きつらせる。アマ公が袋の中身を見せてくれた。
興味津々、半ば恐る恐る中を覗き込んで、藍堂は思わず感嘆の声を上げた。

「…マジかよ、すっげぇ!」

袋の中には、キジ、子どものシカ、子イノシシ。山鳩、よく見れば少し目の背けたくなる兎も入っている。
獲れたばかりの獲物で埋め尽くされた袋の中身は凄惨といえば凄惨だが、食料と聞けば感動した。
そういうものを生で初めて見た藍堂は、食い入るように袋の中身を見つめて顔を上げた。

「これ、ぜんぶお前のじいさんが獲ったの!すっげぇじゃん!」
「……。」

無言で、そっと頷いたアマ公はなぜかそっとあ顔を背ける。それに構いもせず、藍堂はしげしげと袋を見つめた。
これをもらいに行っていたのだと言ったアマ公は、それにしては疲れている様子だった。
藍堂はしばらくして我に返ると、咳払いしておずおずと袋をアマ公に返した。それから、首筋を撫でる。

「…じゃ、俺行くわ。…朝練始まるし」
「はい…。僕もすぐ行きます…、また学校で」

そう呟いたアマ公は、なぜか早めに袋を受け取ってすぐに踵を返して走っていく。
その走り方は、やはり後ろから見ると頼りないほど細い体に似合う力強さのない走りで、けれど速い。
バスケ部が始まって以来、藍堂はやっぱりアマ公のことが好きではなく、無愛想に接してきた。
こういう風に喋ったのは初めてだ。こういう一面を知ったのも、バスケ以外では初めて。

(…俺を負かした相手…、未だに信じらんね…)

どうしてだろう。たとえ負けた相手でも、そんなこと引きずるのはバスケにふさわしくない。
今まで何回も試合で負けたこともあるし、悔しかったけど相手を恨んだことはなかった。
なのに、アマ公だけは見ているとイライラするし、試合を思い出せば悔しい。

(…、あいつバスケ選手っぽくない体格してるくせに…、バスケうまいよな)

フェイクも、パスも、シュートも人よりうまい。でもそれからは、不思議と才能を感じなかった。
一際磨きかかってる技があるわけでもなく、ぜんぶがバランスよくうまい。
自分だって、周りと比べれば格段に技術は上だし、基礎もその上も誰より上だ。
それは計画的に作られたトレーニングで、徹底的に教え込まれ、作り上げられた体だから。

けど…、アマ公は違う。誰かに指導されたとかじゃなくて、なにか別の物を感じる。
それはきっと、自分とは全く正反対の努力。自分で磨いて、自分で練習して、一人で強くなってきた力。
だから基礎もバラバラで、なのに圧倒的に違う練習量が、アマ公の存在を際立たせる。…こんな強豪校もいない地域じゃ、仕方ない。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.12 )
日時: 2013/11/09 20:21
名前: 創魔 ID:1KfeOAXU


部活終わり、時間は20時を超えようとしていた。先輩たちの鞄もなくなる。
くるる、と器用にボールを指の上で回しながら、藍堂は自分の番のミニゲームが回ってくるのを待っていた。
スタートが同じとはいえ、他の1年生のスキルアップのため大人しくしている時間がどうしてもある。
右手だけではなく、左手でもボールを操る練習をしていた藍堂は、暇つぶしに手の甲から腕にかけてボールを跳ねさせていた。

「…ボールの扱いうめーな、藍堂」
「右だけじゃバランス悪ぃーだろ。…つか、コート使わしてもらえねーなら、帰ってもいいかな」

勝手なことを口走る藍堂が、退屈そうにあくびをする。
今は小林の猛特訓中で、体でルールを教えさせていた。フェイクのかけ方、シュートの種類、ファウルなどなど。
あぐらを掻いた上に頬杖をついて、小林についてルールを教えるアマ公の様子を暇そうに眺めていた。

「…てか、ルールくらい自分ちで勉強して来いっての…」
「実践しねーとワケわかんねーんだと…。文章でレイアップの仕組み読んだって、そりゃ頭はいんねーよ」
「手首跳ねるだけだろーが…。…やってらんね、俺帰るわ。あとよろしくー…」

ガリガリと頭をかいて、鞄を持ってステージから降りる。
「えー藍堂ー…」と駄々をこねる志田を残して、立ち去ろうとする藍堂に声がかかった。
ぼんやり振り返ると、最後にシュートを決めてサッとネットをくぐったボールの音がした。そこに嫌いなヤツがいた。

「帰るんなら…、最後に一回くらい小林くんと、1on1していきませんか」
「はぁ?…そんなヘボ相手に、なんで俺が相手しなきゃなんねんだよ。…練習して来いバーカ」
「まーまー!だいたい分かったって、なんとなーくコツ掴んだって。一回だけ!メシおごるから!」
「……。」

「…ヤダ」
「…、じゃあ。2on2 で、どうですか?」

志田と、藍堂の方を見てアマ公がそう言いだす。経験者の志田と藍堂。アマ公と小林。
言われてみれば、確かに試合はできないが2on2 はできる人数なので、志田が「あ、確かに!」と声を出す。
初心者の小林一人相手にしたところで面白くもなんともないが、アマ公が加われば多少は意味がある。
藍堂は、じとりとした目で3人を睨み、うなだれながらステージに鞄を下ろして、ゆらりと戻ってきた。

「…メシ、奢んだな?」
「へへっ、お前が俺らに勝てたらなー!」
「…小林くん、そういうこと言うの止めてください。僕まで奢る羽目になるので」

ぼそりと恨みがましく呟いたアマ公と対峙して、2対2のチームを組む。
誰もいない体育館に、4人分のバッシュの音だけが響き渡る。素早い切り返しの音、パス、ボールの音。
雨の音をかき消すようなその活気のある音が、4人の耳に届く。藍堂から渡ったパスを、アマ公がカットする。

「…っそのままゴールまで行ってください!」
「よーっし任せろ!レイアップだな!…もうお手のもんだぜっ!!」

その瞬間、藍堂は目を見張った。小林の足が、思った以上に速い。それ以上に、ドリブルがうまい。
つい先日まで、トラベリングがなんたるかも知らなかった初心者なのに。素人にしては速度が違う。
驚いたのは志田も同じで、即座に追いつこうとするが、その速さには舌を巻いた。

「おっ…、おい嘘だろ!バヤシ!お前いつドリブルマスターしてっ…!!」
「基礎くらい!バカにしてんじゃねーよっ!」

成長が信じられないほど早い。運動神経がいいのは分かっていたが、それ以上だ。
あっという間にゴール前に到達した小林が、大きく腕を伸ばして跳んだ。指先が、ゴールに接する。
その手首が、ゆっくり後ろへ引かれて、ボールを軽やかに弾く。そのスナップが、驚くほど速い。

(待っ…!!)

ボールが吸い込まれかけたとき、勢いよく弾かれる音がして小林の手からボールがもぎ取られた。
それ以上に高くジャンプした藍堂の手が、小林の手からボールをはじき落としたのだ。
音を立てて落ちたボールと、藍堂の着地の音。ポカンとした小林が、口を開けた。

「…っ藍堂!いまのは本気出すとこじゃねーだろ!せっかくいい感じだったのに!入れさせろよ!!」
「は?」

意味が分からないという顔をして、藍堂が耳をかく。確かに、あのまま行けばシュートは決まっていた。
入部して、1からバスケを始めたにしては鮮やか過ぎるほどのシュートだった。ぶっちぎりのドリブルも、もう初心者の息を出ている。
汗をぬぐった志田とアマ公は、ふっと吐息をついて小林の粋がる姿を眺めて顔を見合わせた。

「すごいですね…、小林くん」
「あぁ…、ひょっとするとアイツ、俺らン中で一番化けるかもな…」

もう一回、と言おうとしたときだった。ふとした拍子に、目の前に白い光が走った。
硬直した4人の耳に、巨大なドラム缶を一斉に転がしたような爆音が響き渡る。思わず身を固めた。
気をへし折るような音が続いたかと思うと、一斉に体育館の電気が消えて暗闇が落ちた。
しばらく沈黙に包まれた4人が、息を詰めて辺りを見回す。急に、雨の音が大きく響いているのに気付いた。

「…停電か」
「結構、近くに落ちたな。…つか、この学校に落ちたんじゃね?」

辺りを見回しても、光に慣れ過ぎた目には何も映らない。4人は吐息をつき、遊びを切り上げた。
手探りでボールを倉庫に戻し、鞄を担いでバッシュを脱ぐ。鞄から教科書を出して、ロッカーに突っ込んだ。
体育館の扉を開ければ、予想以上のどしゃ降りに足がすくむ。顔を見合わせ、ため息をついた。

「…っしゃーねーか。台風近いらしいし」
「風邪ひくなよー。んじゃ、おつかれ」

小林が早々に雨の中に飛びだして、闇の中に見えなくなる。志田も、仏壇に手を合わせるように祈りを捧げて、雨に消えた。
傘をさしても全く意味がなさそうな土砂降りの中、残された藍堂とアマ公はしばらく無言でいた。
付き合ってないでさっさと帰るんだった…、と愚痴をこぼす藍堂の横で、アマ公はシャツを脱いだ。

「…なに脱いでんだ?」
「どうせ濡れるなら…、先に脱いでおこうと思って。水を吸うと走りにくいです…」

上半身裸になったアマ公が、ジャージを鞄に詰めて雨と向かい合う。
そこで腹をくくったのか、仕方なく藍堂も上着だけ脱ぎ捨てて隣に並んだ。雨の飛沫はすさまじく、滝のようだ。
きっと夜通し降り続く雨なのだろう。覚悟を決めた2人は、吐息を吐く。ちらり、と背の高い眼差しがアマ公を見下ろす。

「…せいぜい不審者に間違えられんなよ」
「お互いに。…じゃあ」

同時に踏み出した雨の中で、視界は0になった。目の前は飛沫の嵐。街灯の光が、睫毛にぶつかって屈折する。
ひどく悪い視界の中で、藍堂が一瞬にしてアマ公を見失ったのは言うまでもない。あとは、ひたすら目の前の天候と格闘するだけ。
あっという間に水浸しになる靴、重たくなるシャツ、冷たい水にさらされる髪。家に着くころには、どうなっているんだろうか。

『……。』

悪態をついた藍堂の、はるか遠くで。
物陰から飛び出した、光る眼をした1匹の獣が濡れたジャージを咥えて闇の中へ消えていった…。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.13 )
日時: 2013/11/09 22:01
名前: 創魔 ID:1KfeOAXU


今夜、台風がちょうど地域を通過していくというニュースを見ていた女性は、
ふと雨戸を何かが引っ掻くような音を聞いて顔を上げた。暖かい部屋の中、いつものように家族がいる。
カリカリと丈夫な爪で網戸の金具をひっかいて音を出す。たまに鼻を鳴らして、その存在を訴える。
パタパタと急ぎ足に近寄ってくる足音を聞いて、ひかえめに後ろ脚立ちをやめて後ろへ下がった。
豪雨に押されながら、そろりと網戸を開ける女性。ずぶ濡れでそこに立っていた生き物を見て、ちょっと驚いた顔をする。

「雨…っ、今までどこ行ってたの。そんな恰好で」
『……。』

庭先に立っていた、一匹の獣。泥だらけのジャージを口にくわえて、金の目が土砂降りの中で動かずにいる。
軒の屋根の下に手招きされて、その水浸しの毛皮にバスタオルをかけられた。しかし、それをうっとおしがるように身悶えする。
母親に、口にくわえたジャージと鞄だけ押し付けるようにすると、女性は呆れた顔をしてそれを受け取った。

「…もう、今お風呂沸かすから。風邪ひくよ」

そう言って、縁側から立ち上がった女性が目の前から去るのを見送る。
すると、ちょうど階段を下って来た少女が、汚れた毛並みの獣を目の端に入れて吐息をついた。
家の中を覗き込んでいる獣に、突き刺すような口調で釘を刺す。今まさに、獣が家の中に身を乗り出している所だった。

「ちょっと。そんなんで家に上がる気じゃないわよね」
「…どいてよ、姉ちゃん。今、風呂に入るんだから…」

バスタオルの中から、少年の声がわずらわしそうに少女に言葉を発した。
布で体を包んだ、びしょ濡れの少年が軒先から少女を見上げていたのだ。獣の姿はどこにもなかった。
さきほどまでそこにいたはずの獣は…、一頭の灰色の狼だった。深成岩のように黒、灰、白の斑模様の毛並み。
それが、雨という少年に変わってそこに立っていた。姉である少女は、吐息をついて廊下にタオルを敷く。

「通路汚したら怒るからね。…なんで普通に帰って来ないわけ、余計にドロドロじゃん…」
「帰りが遅くなりそうだった。…ていうか何でいるの、今日バドミントンの合宿じゃ…」
「中止になったの。台風のせいで。最悪」
「当たるなよ」

「もー、廊下で喧嘩しないの。雨、早くこっちきてお風呂入って。窓閉めないと、縁側が濡れるでしょ」
「……。」

母親に急かされて、雨はしぶしぶ家の中に入った。姉が置いてくれたタオルの上に乗って。
鞄の中身の、着替えや泥だらけのシャツが、水を張った桶の中に浸されていた。
バスタオルで体を包み込んで、それを覗き込む。桶に洗剤を入れる母親の背中を見つめた。

「…明日までに、乾く?」
「どうかな…。今日は外に干せないから…、」

母親の返答を聞いて、肩を落とす。そのまま浴室の戸をあけて、お湯を被った。
冷たい肌に、ジンジンするほど熱い湯が流れていった。湯船につかったとき、扉の外から母親の声がした。
お湯に鼻先をつけて、俯いていた雨はそっと耳を澄ます。どこか心配そうな、呆れた口調だった。

「雨…、どうして普通に帰って来なかったの?」
「…帰りが遅くなりそうだったから」
「なんで遅くなったの?」

朝から、台風が来るということは知っていた。だから遅くならないようにしようと決めていた。
けれど、部活が終わってもなかなか帰らなかったのは、例のバスケの上達の特訓で遅くまで残ったから。

「…仲間と、バスケしてた」
「電話してくれれば迎えに行ったのに。お友達も一緒に」
「必要ない…」

バスケを始めたのは、小学4年生から。バスケに憧れたからとか、楽しそうだったからじゃない。
父親に勧められたからだ。バスケを続けたのは、自分にとって何よりバスケが大切になったからじゃない。
バスケ以上に、夢中になってしまう物があった。それから逃れるために、バスケを続けるのが一番だった…。

「…バスケットボール、続ける代わりに…、約束したよね」
「……。」
「…怒ってないよ。でも、車とか、人とかに気を付けてね」

母親の声はそれきり、遠ざかって行った。雨は湯船に身を沈めて、前髪を湯に浸した。
ふー、と息をついて肩の力を抜いた。バスケをやっている理由。バスケ以上に楽しいこと。それは家族だけの秘密。
それは、絶対に知られてはならない家族の秘密。雨は静かに瞳を開き、物憂げに湯気の中の水面を睨んだ。


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.14 )
日時: 2013/11/22 21:37
名前: 創魔 ID:gN0nQz9E

ホイッスルが鳴って、アマ公は広いコートの中を走り出した。
4番、6番、10番へとパスが回る。最後にパスをもらって、シュートを投げ込む。
高いバッシュの音が鳴り響いた。再びホイッスルが鳴って、汗をぬぐったメンバーが中央へ集合した。

「よし…、アップは終わりだ。ベンチに戻るぞ」
「あの…、さ。キャプテン」

同学年の2年生が、おずおずとキャプテンに声をかける。
眉をひそめたキャプテン、清水が振り返った。他の先輩たちも、苦笑を浮かべている。
その不穏な空気を理解していないのは、藍堂とアマ公だけ。顔を見合わせて首をかしげると、先輩が口を開いた。

「練習試合の相手が…っ、なんでいきなり去年のベスト8になってんのか教えてくんねーのかなっ…!?」
「いつもの練習相手なら、近所の東坂とか、伍羽屋とかなのに…!!」
「電話番号間違えたのか!お前がオファー駆ける相手先を間違えたのか!!」

寄ってたかってくる仲間たちに、キャプテンは頭の痛そうな顔をして吐息をついた。
憐れむような眼差しを投げた後、悩める声を出して呻いた清水は首を振って仲間たちを眺めた。

「俺がオファーを出したんじゃない。向こうからオファーが来たんだ…。去年の優勝校と対戦したいって」
「それ俺らじゃなくて、藍堂とアマ公!違う学校!ちがうチーム!」
「だから…、それでもいいから練習試合組めって…」
「断れよ!」

嘆く先輩たちの姿が痛々しい。無残な結果が目に見えるようだ。
面食らった様子で見下ろすアマ公の隣で、腕の筋を伸ばしながらストレッチをする藍堂が眉をひそめた。
片眉を吊り上げて、先輩たちから目線を逸らし、相手ベンチを見やりながら口を開いた。

「?…、別にいッスよ無理なら…。俺一人で潰してくるんで…」
「何言ってんだ、藍堂。相手はお前に1on1挑んでんじゃないんだぞ」
「…べっつに。明稟、明稟て。飽きるほど練習試合でやってきた中学だし…、まるで相手にならねーよ」

そう吐き捨てた藍堂を、メンバーたちが呆然と仰ぎ見た。
清陵は、数ある強豪校を練習試合相手に何度も試合を重ねてきた。明稟は、その数えるうちの一つでしかない。
その台詞を聞いて、メンバーは顔を見合わせた。藍堂一人、明らかにそのメンバーの中では異質だった。

「…頼もしい、けど。なんか腹立つなそれ」
「アマ公。お前も去年、明稟と試合してんだろ。だったらなんか、パターンとかないのかよ」

そう問われて、アマ公は「ううん…」と考え込んだ。
相手ベンチは、明らかに藍堂一人に対抗心を燃やしていた。それは中学時代からの一方的な因縁。
アマ公は相手の選手たちを見つめながら、吐息を吐いて口を開いた。

「…帝(ウチ)は、正直あまり強くなかったので。分析をやってくれるようなマネージャーがいませんでした。
なので僕の主観ですが…、明稟は強いです。強いて言うなら…、堅実なバスケ、というか。
とにかく基礎が硬くて、かつ速攻とカウンターが以上に速い。戦略も強固で、どこまでも読んでくる」

基礎レベルが高い、ということは技術が総合的に高いということだ。
それに加えて戦略が徹底されていれば、フォーメーションやパスの軌道、流れの作り方も作りこまれている。
そして最大の武器が、速攻とカウンター。聴いているだけで嫌になるほど、頑丈な敵だった。

「ただ、中学のバスケと高校のバスケはまるで違います。見ただけでも、まず身長が圧倒的に違う…。
スピードもパワーも、中学の時とはレベルが違います。…何人か、戦った覚えのある顔はいますけど。
正直、僕の予想は当たらないと思います。…ていうか、僕も高校のバスケは初めてなので、分かりません」

「分かりませんてお前…、投げるなよ」
「…俺一人で十分だっつの。中学だろうが高校だろうが、どうせ明稟は明稟なんだからよ。…おい!オカ!」

唐突に、藍堂が怒鳴るように読んだ名前で、明稟側のベンチが騒然とした。
清水が止めるも、聞く耳持たずズカズカと相手ベンチへ歩いて行く藍堂を、なすすべなく見送る。
名前を呼ばれたらしい一人の青年が、じとりと嫌そうな睨みを利かせてベンチサイドに座っていた。
しかし、諦めたように立ち上がると、その恨みがましそうな眼差しのままタオルを置いて歩み寄って行った。




「よぉ、オカ。…半年前の準決勝ぶりだな」
「…あの最後の試合で、お前らにやられて以来。俺たちはお前らの練習試合に呼ばれなくなったからな」
「そーなのか?…監督が、ブチ切れてたからな。相手にならなさすぎて」

ぴくり、と眉間に皺を寄せた相手を、藍堂は嘲るように笑って流す。
明稟のベンチから、痛いほどの視線を受けていた。まるで今日が、恨み返しの一戦だとでもいうように。
オカという2年の選手は、その視線に気が付いてため息をついた。一歩ずれて藍堂をその憎しみの視線から庇うように立ち、顔を上げる。
くつり、と笑った藍堂が、他人からは見えない位置へオカに歩み寄り、その耳元で声を低くした。

「…なんで今さら、挑んできやがった。まだ負けたりねぇのか…?」
「…中学のバスケと、高校のバスケを一緒にするな。今日は負かしてやる」
「恐ぇ」

からからと笑う藍堂を、後ろで見守っていた光琳のメンバーは背中に冷たいものを感じながら項垂れた。
「一人でやる」と言い張る藍堂を「本気か」と思いつつ、できればもうそうしてくれと言いたかった。

「…あいつ、調子乗って忘れてんじゃないだろうな。アイツが今いるのは清陵じゃなくて光琳(ウチ)だぞ…」
「アマ公、どう思う…?」
「…他校とはいえ先輩への口のきき方が、なってないと思います」
「いやそういうことじゃなくて…、てかソレ確かに」

中学以来の因縁、という関係を知って見守っていた光琳ベンチが不安の息を漏らす。
しかし、アマ公はまっすぐにコートを見つめたまま、どこかウズウズした様子を見せていた。
まだ喋っている藍堂に、相手側の監督が近づいてきて、自分のベンチへ戻るよう忠告を受けている。
いい加減、藍堂を引っ張り戻しに席を立ったキャプテンの横で、1年の志田が首をかしげた。

「どーした?アマ公、なんか落ち着かなくね?」
「…明稟、は手強いと思います。…でも、久しぶりの試合がなんだか嬉しくて」

早く出たいです、と控えめに呟くアマ公を見て、志田は思わず笑った。
ホイッスルが鳴り、ベンチから立ち上がる互いの選手たち。中央へ寄って、礼をした。


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.15 )
日時: 2013/11/13 22:52
名前: 創魔 ID:5LUkBBVw

高くブザーが鳴り、上空へ上がったバスケットボールが弾き落とされた。
大きな手があっという間にボールをもぎ取り、チームの清水に投げられる。しかし、パスを出した瞬間、
そのボールが一瞬にしてカットされたかと思うと、翻弄されるかのように次々と明稟の選手に流されていく。

「マークしっかり止めろ!速ぇぞ!!」
「っ!」

技術がうまい。連携がうまい。一人一人が、まるで繋がっているかのようにパスが通る。
攻撃があまりにも速くて、選手のマークについていたはずなのにその壁があっさりと抜かれる。
立ちはだかっているはずなのに、相手の方が強靭な壁のような威圧感で攻めてくる。
思わず息を飲んだ。これが明稟。全国ベスト8に入る強豪校。やはりまだ早すぎた、という思いが全員の頭に駆け抜けた。

ボールに、手が届かない。それが最初だった。ボールまでが、これほど遠いなんて。
どんどん引き離されていく。ボールまでの壁が、多すぎる。そういうするうちに、あっという間に攻め込まれた。
キャプテンの清水は舌打ちすると、スクリーンをかわして無理やりボールを奪い取った。

「狗神!…お前に回す、突っ込め!」
「!」

パスを回された2年の狗神がボールを受け取ろうとした瞬間、目の前でボールがカットされた。
さっきまで数歩遠くにいたはずの選手が、今目の前にいてボールを手中に収めていた。オカと呼ばれていた選手。
ゴールは目前。スリーポイントラインでの1on1は不利すぎる。清水は唇を噛んだ。
途端、相手選手の表情が変わる。その背後にいたのは、アマ公だった。

「!?バックチップ…ッ」

オカの後ろから叩き落とされたボールを、再び狗神が拾う。そしてボールは目の前にいたアマ公へ。
再びオカが立ちはだかり、アマ公の行く手を塞いだ。一瞬睨み合う両者だが、それはほんのわずかな時間。
突然姿勢を低くしたアマ公は、あっという間にオカの手元を潜り抜けていた。俊敏過ぎて追いつけない、その動き。
アマ公は、ためらいもせずそれを藍堂に回した。センターサークルに突っ立っていた、藍堂に回した。
ドンッ、という音がしてボールが床を打った瞬間、明凜に嫌なものが駆け抜けたのをアマ公は肌で感じ取った。

「…いーのか?速攻で終わるぜ…」
「ッ…藍堂」

オカが、唇をかみしめた。あの清陵中学との練習試合がよみがえる。
この試合の場にいる、何人もがバスケ部で同じように清陵との容赦ない試合を繰り返してきた。
いつも清陵の圧勝。なんのために練習試合をしているのか、それさえもわからなくなってくるほど一方的。
毎回、心をへし折られるような気分だった。藍堂たちのあの目が、「バスケなんかやめろ」と言っているようで…。

「…ッ高校のバスケを、甘くみてると痛い目見るぞ…、ッ藍堂!!」
「へぇ…!」

言った瞬間、藍堂の体がゆらりと揺れた。ボールが、ゆっくりと床につく。
そのとき、まるで風のように揺らいだ藍堂が一直線に明稟のディフェンスをぶち壊しに来た。
一人勝ち。まさにその言葉が似合うように、守りなどないに等しいかのように、厚いディフェンスをぶち抜いた。

「まじかよっ…!!」
「怯むな!ぶつかってでも止めろ!…あんな無茶なオフェンス、ファウル取りに来てる様なもんだ!!」

ぷっ、と苦笑した藍堂は、そのまま固いセンターの人間の真正面に現れた。
ドンッ、と一度床に着いたボールの存在感。その体格差、慎重さは圧倒的に藍堂の負けなのに。
その威圧感。センターに立ちふさがれたその場に、道などないはずなのに。藍堂にはもうその先が見えている。

「…キャプテンがあー言ってんぜ。…俺にタックルでもかますか?」
「ッ…」
「だよなぁ」

失笑が浮かんだ瞬間、急加速がセンターを突き抜けた。その長身を、あっという間に翻弄する。
後退し、左へ振ってからの右へのターンと、一瞬でトップスピードを得る超ドライブ。
誰もそれを見抜けなかった。気が付けば、明稟の選手の目の前に広がるゴールの危機。
ブロックがゴール前に飛び出し、藍堂はふっと笑みを浮かべて跳んだ。2人分のブロックをくぐり、訳なく手を伸ばす。

アマ公はその姿を見上げて、力強いダンクに目を奪われた。
誰も勝てない。誰も止められない。清陵エースとして育てられた、その才能。そして野性。
計り知れない力量を見せつけた藍堂は、ボールと共に床に降り立って音を立てた。転がるボール…、殺伐とする空気。

「…どした、おい。…まさかまた俺に負ける気かよ、明稟…」
「!」

笑みの中に垣間見える、苛立ち。中学も、高校も。清陵にボロ負けして終わりなのかと、そう問われる。
しかも今度は、清陵ではない。『元』清陵の、藍堂たった一人に負かされるのだ。光琳高校の姿などどこにもない。
藍堂も、明稟側も、そう言いたげだった。明稟だけではなく、光琳の先輩さえも思わず唇をかむのが分かった。
それを見ていたアマ公が、わずかに藍堂を睨む。ボールを拾うと、わずかに口を開いた。

「…まだ、勝負は始まったばかりです…」
「?…アマ公…」

清水が、わずかに眉をひそめてその真剣な後輩の横顔を見つめた。アマ公の、ボールを持つ手に力がこもる。
顔を上げたアマ公は、そのまままっすぐ相手ゴールに視線を投げて、軽く息を吐いた。
まだ何もしていない。勝負は何も始まっていない。明稟も、光琳も、藍堂の前に立ち尽くしているだけ。
アマ公はそのボールを軽く床に着き、先輩を見上げて口調を強めた。迷わずに。

「…僕ら全員で、『藍堂くん』を倒します。…絶対に負けません」
「!」

明稟ではなく、光琳が藍堂を倒す。それは、光琳がチームとしてひとつになるために避けては通れない。
そのためにも、藍堂のプレイを力づくで壊さなければならない。チームプレイは、藍堂のプレイを壊す。
清水は、汗の内側で驚いた顔を見せると、ふと笑ってシャツで汗をぬぐった。

「なるほどな…、9対1なら藍堂もしんどいはずだ」
「面白い話だが…、明稟に負けないように藍堂を敵に回す、か…。キツイな…」

そう言った2年の篤美を、清水が笑って励ました。藍堂の個人プレイは、光琳のそれではない。
元清陵の、エースのプレイをそのまま光琳に持ってきただけの、力技。それがどこまで通用するのか。
急に試合運びに違和感を覚えた藍堂が、眉をひそめる。パス運びが多くなり、明稟を翻弄し始める。
それは明稟だけではない。自分も…。攻めが少なく、藍堂にしてみればまどろっこしい試合運びだった。

「んだこれ…?遊んでんのか、先輩たち…」

無駄なパスに思える展開が多く、それに明稟が振り回されている。そして、気が付く。
自分にパスが回り、もう面倒くさくなったので一気に決めようと方向を変えたときだった。
明稟の選手を抜いた先の空白。自分の走る軌道を塞ぐように、アマ公が立っているのだ。
パスを待っている格好をして、明らかに自分の邪魔になる位置に構えている。思わず舌打ちした。
パスを回すには絶好の場所だが、自分の狙いはパスではなく、シュート地点まで一気に抜けるドライブだ。

(…へぇ…、そういうことかよ)

ちらり、と視線を巡らせば、光琳のメンバー全員がそういうスタンスであることが目に見えた。
つまり、藍堂を含めて敵ということ。あえてドライブの邪魔をして、自分にパスを出させようという…。
藍堂は乾いた笑みを吐き出すと、首を振って呆れた。なに、勝ちを投げてまで馬鹿なことを…。

「いいぜ…。コートん中、全員敵ってことかよ…。おもしれぇ…、…」
「!」

直後、増した藍堂の速さには誰もついていけなかった。強引に仲間を突破して、ゴールへ。
普通は敵に仕掛けるフェイクを、仲間に使って無理やりドライブで軌道をぶち破る力。
その滅茶苦茶なスタイルに、明稟の監督でさえ思わず立ち上がった。

「邪魔だ、どけぇえーっ!!」
「!」

それは、仲間に向かって発せられた言葉。ゴール目前の、明稟の3人ブロック。
それを超えてシュートを打ちに行く藍堂に、誰もがもう止めるのは無理だ、と思った。
光琳のバスケが、なくなる…。そう思った瞬間、藍堂は思わず立ち止まってシュートを踏みとどまった。
目の前は、いつの間にか足を踏み出しかけていたアマ公に遮られていた。その弱い存在感の少年に。

「っ…、アマ公!」
「気を付けてください。そんな突っ込み方したら…、ファウル取られますよ」

ドライブを…、止めた。消えるような言葉で諭された藍堂は、思わず目を吊り上げた。
周囲を完全に囲まれ、とてもシュートを打てるような体勢ではなくなってしまう。藍堂はアマ公を睨んだ。
それから、舌打ちと共に、後方にいた清水にパスを投げて試合の流れを元に戻す。
一瞬、沸騰しかけた怒りがアマ公の目前で冷やされた。軽く突き飛ばされ、よろける。

「…邪魔なんだよ、このヘタクソ」
「すみません…。藍堂くんのペースについていけなくて」

わざとらしいその台詞を一蹴して、藍堂は黙って自分のポジションに戻った。
ただ、自分のドライブの行く手を遮られただけ。突っ立っていたのが、邪魔だっただけ。
なのに、他の選手はどんなに止めようとしても止められなかったドライブを…、アマ公は止めた。
どんなトリックで、一体あの瞬間何をされたのか。藍堂にもわからなかった。けれど、確かにドライブは止まってしまった…。







試合はその後も続き、明稟と正面から戦い、藍堂をセーブし、しかし藍堂はそのセーブを突き破って得点する。
結局、止めきれなかった藍堂の得点は重なり、光琳の圧勝となった。決してチームの勝利ではない。
明稟は、やはり清陵には勝てないのだという事実を改めて示した藍堂。その事実を、苦悶の表情で飲み込むオカ…。
アマ公は最後の整列で、そんな構図を苦い思いで見守った。光琳が、一つのチームとして完成するにはまだ時間がかかるということを知った。


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.16 )
日時: 2013/11/14 21:31
名前: 創魔 ID:eNpJlsL6


その日の帰りのことだった。相手校にお礼を言い、夕焼けの中をメンバーで歩いて行く。
「恐らく今日の練習試合が…、光琳高校バスケ部の歴史の中で、最も強い相手だったと思う」と、
清水が藍堂のいないところでひっそりと言った。藍堂に聞かれれば間違いなく鼻で笑われたろう。
今日の試合が光琳の試合かと聞かれればそうではなく、やはり藍堂一人の独壇場だったのも確かだ。

朝からずっと降り続いていた雨はやみ、空には綺麗な夕空と、地面には水たまりが輝いていた。
なんだかどっと疲れた練習試合だった。メンバー全員が、そんな顔をしていた。
最後の藍堂が、控室からなかなか出てこないので、その間にアマ公はちらりと先輩を見た。

「あの…、もう一回顔を洗ってきてもいいですか。すぐに戻ります」
「あぁ、わかった。ついでに藍堂探してきてくれ」

アマ公は体育館の裏にある水場を探して、一人離れていった。久しぶりの試合からか、妙に顔が火照る。
落ち着かない気分を変えようと、水場に辿り着いたときだった。水道の前に立っている人物を見つけ、
アマ公は思わず足を止めた。明稟高校の、オカと呼ばれていた少年だった。
彼も顔を洗っていたのか、頬や髪から滴る雫をそのままにぼんやりしていた。
夕焼けを見つめているのか、何も見ていないのか。しばらく突っ立っている相手に歩み寄る。

「あの…、僕もお借りしてもいいですか」
「きみは…」

顔を上げた美陸が、まばたきしてアマ公を見つめた。呆気にとられた様子が、すぐに穏やかな笑みに変わる。
試合の時とは驚くほど雰囲気の違う、優しそうな少年だった。「いいよ」と場所を譲ってくれた彼に、アマ公は近づいた。
美陸は、アマ公よりも1年上だ。しかし藍堂はタメ口をきいていた気がする。顔を洗ってもまだ彼がそこにいたので、アマ公は口を開く。

「彼とは…、顔見知りなんですか」
「藍堂?…、あぁ。まぁね」
「あまりいい知り合いではなさそうですね」

美陸の苦笑の入り混じったはにかみ方を見てそう言うと、彼はまた困ったような顔をした。
美陸は明稟バスケ部の中でも優秀で、ポジションはアマ公と同じスモールフォワードだが、シューティングガード派の選手だった。
ロングレンジのよく決まるシューターで、なおかつ細かいパスの中継やボールカットなど、実に多彩な技を持っている。
試合中はよくアマ公ともぶつかったが、主として藍堂の破壊力に押し負けてそっちに専念する他なかった。

「…藍堂は、相変わらずだな。清陵のときと何も変わってない…」
「そうなんですか」
「一緒にやっていて思うだろ。…周りのバスケよりも、自分のバスケで勝ちを取りに行くスタイル」

美陸が何を言わんとしているかはよく分かる。仲間を無視しても戦えるほどの、圧倒的強さ。
本来バスケにあってはならない、チームワークを無視したその戦い方が通用する理由。桁違いの強さだ。
どんな敵を相手にしても、基本スタイルは1on1。パスもフォーメーションも関係ない。常に藍堂の相手は1対1なのだから。

「僕は、中学時代の藍堂くんのことをよく知りません。…けど、昔からそうだったんですか」
「おれも、同じ中学だったわけじゃないから、チームでのことは知らないよ。…けど、少なくとも練習試合ではいつもそうだった」
「練習試合…?」

アマ公が聞き返すと、美陸はため息をついて水場に寄りかかった。過去を思い出すのがひどく憂鬱そうだった。
昔の藍堂と言っても、ほんの半年前のことなのに。随分昔のことのようにさえ感じる。


「清陵中は、毎年必ず決勝にまで勝ち進む、全国でも名の知れた強豪校だ。
その強豪校とタイマンで練習試合ができる実力のあるバスケ部なんて、数えるほどしかなくてね…。
それが、毎年ベスト8には入っているウチの明稟だったんだ。それまでも明稟は清陵の相手をして来たんだけど…・
…藍堂が清陵に入ってきた年は、格段にそのバスケ部のレベルが上がった。あいつは、天才だったんだ…」

「……。」
「ただでさえ強い清陵に、1年のエースが加わって…おれ達には手の付けられない強さになっていた」


今でも思い出す、あの体育館に響くボールの音。激しい1on1に晒されて、成すすべなく負ける。
最初は、藍堂もチームプレイをよく分かっていた。一人善がりはしなかったし、結束を守った。
けれど、どんな試合でも負けを知らない藍堂はいつしか個人プレイが目立っていった。

「…あいつは、チームでバスケをやるよりも、個人プレイでバスケをやってた方が楽しいと気付いたんだ。
その方が敵とぶつかれるし、チームがいなくても別に勝てたから。…自分にとってその方が楽しいと思ったんだろう」

「……。」
「明稟と、藍堂がもう何度試合をしたか分からないくらいのあの日。…一度も勝てなかったおれ達は、アイツに言われたよ」

その日もボロボロに負けて、清陵に惨敗した。藍堂だけじゃない。藍堂がいなくても清陵は強い。
絶対的な壁を目の前にして、それでも負けて堪るか、次こそ、という思いで毎回戦ってきたつもりだった。
けれどその日の藍堂は、つまらなそうに美陸を見下ろした。まるで相手にもしない顔で、笑った。



『…よっえーな、オカ。相手にならねーよ。…もういんじゃね?』
『!』


「…もう、バスケなんてやってる価値ないんじゃないかと、言われたのかと思った…。
勝てないならやる意味がない…。あの時の藍堂の目は、そう言っているようだった。その時は、本気でバスケをやめようと思ったよ。
初めてバスケが嫌いになったし…、自分に失望した。清陵には、本当に心を折られた…」

「……。」

「けど、今もバスケを続けているのがその結果だ。…おれはバスケをやめなかったし、自分に価値がないとも思わなかった。
結局、バスケが好きだしな。藍堂は別に悪くない。…あいつが強いだけで、あいつの強さを憎んだことはないよ。
だからあいつのことは、好きでもないし嫌いでもない。…でも、それだけだ」


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.17 )
日時: 2013/11/21 12:54
名前: 創魔 ID:XPL.S.f6


その日の帰り道、藍堂と同じ帰り道を、雨は歩いていた。
夕暮れがどこまでの空を染める、高い空。前を歩く藍堂とは、一言もかわしていない。
しかし不意に、気になったことが頭をかすめて雨は立ち止まった。藍堂は、無言で先に行く。
その一回り大きな背中を見つめて、雨は鞄の中のバスケットボールを見下ろした。取り出して、手に取る。

「藍堂くん」
「あ…?」

振り返ったその手に、ボールを投げると驚いた顔をして受け止めた。
急に飛んできたボールに面食らったのか、訝しそうな顔をしてそのボールを指先で回す。
普段、あまりしゃべらない2人にとって、その間はひどく殺伐としていた。

「藍堂くんは…、僕たちとバスケしていて楽しいですか?」
「…は?」
「レベルの違う…、僕らが相手で」

わずかにうつむき、アスファルトに視線を落として雨はそう問いかけた。
美陸が言っていたこと、雨にはよく分かる気がした。藍堂と今の1年では、まるでレベルが違う。
センスも、基礎も、目標も。まだ一緒に歩きだすことすらしていない時点で、こんなにも藍堂と差があっていいのかと思う。
まるでその思念の的を射たかのように、藍堂の乾いた笑い声が耳について、顔を上げた。

「んだそれ…、厨二?」
「……。」
「今更んだよ。今日の試合、…お前ら俺と一緒にバスケしてる気でもいたのか」

その言葉に気が付いて、雨は「あ…」と口を開けた。藍堂は、誰ともバスケなんかしていなかった。
ただ、一人でバスケをしていたのだ。そこにいたのが、小林だろうが、志田だろうが、雨だろうが関係ない。
指の爪先で回転するボールを見つめながら、藍堂はかすれた声で笑った。雨はその目が、嫌だった。

「…でも、別にお前らを嫌ってんじゃねぇよ。別にお前らが強くたって、同じなんだ。
俺がそこらの強豪校に入学してたって、同じだ。周りが弱すぎんだよ。…だから心配すんな」

「……。」

それだけ言い残して、再び前を歩き始めた藍堂の背中を見つめた。
清陵でも、エースの藍堂は敵なしだった。味方も、敵も、弱すぎた。それが今日の試合の結果だ。
全国ベスト8の明稟を、一人で圧倒できる藍堂には、チームなど必要ない。雨は、瞳を細めた。

「…僕はバスケが好きだ」
「…あん?」

「バスケがなかったら…、僕は自分が何をしていたのかわからない。一人でバスケするよりも、
仲間とパスを出し合って、一緒に勝ちを目指すバスケが僕は好きです。それが人間のバスケだから」

藍堂は眉を顰め、唐突に何かを言い出す雨をながめた。
自分の手の中にあったバスケットボールを雨に向かって投げ返し、首をかしげた。
その顔に、なにか可哀相な物でも見るかのような憐れみと嘲笑を浮かべて、頭をひねった。

「ぷはっ、…なんだいきなり。なんだ、人間のバスケって」
「…僕はバスケが好きだ。僕が好きなバスケの形を…、今のチームをキミに壊されるのは嫌です」
「!」

ぴくり、と藍堂の眉間に皺が寄った。前を行っていたその足が、踵を返して近づいてきた。
目の前に立った藍堂は、雨よりもずっと高く、体の大きさが違う。その雨を見下ろして、藍堂は舌を打つ。
まっすぐに見つめ返す雨の上着を掴んで、上に引きずり上げた。圧倒的な威圧感に、空気がピリピリした。

「…俺が邪魔ってか。えらいハッキリ言うじゃねぇか」
「邪魔なんじゃありません…。ただ、藍堂くんの考え方は…困ります」
「お前らが弱ぇのが悪いんだろ。…なんでゴールできる場面で、パスなんか出すんだ」

振り落とすように手を離すと、よろけながら雨が立ち上がった。
その小さな少年を見下ろして、藍堂は笑った。

「…そういや、どっかの監督が言ってたわ。強いとこのバスケと、弱いとこのバスケじゃ話が違うんだと。
強いとこのバスケは、強い奴だけがプレイするために弱い奴を振るい落として、バスケをやめさせる。
けど弱いとこのバスケは、全員にバスケをする権利がある。…バスケするために全員がいるんだってな」

「……。」
「お前んとこは、全員バスケやりたいから来てんだもんな。…バスケできりゃなんでもいいんだもんな」

蔑むような眼差しは、雨に突き刺さり有無を言わせない。藍堂がいた土壌は、違いすぎる。
強い選手だけが土俵に残されて、弱い選手はバスケ部からすら追放される。
きつすぎるトレーニングについていけない選手など、ほんの一握りもいないはずなのに。
弱いという現実からのプレッシャーは、バスケが好きだという気持ちさえ否定させ、選手を退部に追い込むのだ。

「…俺にバスケやめさせたきゃ、俺より強くなってから言えよ。
俺にバスケのスタイル変えさせたきゃ、俺が周りを頼らざるを得ないくらいの試合をつくれよ。
…下からピーピーモノ言ってんじゃねぇぞ。光琳は弱すぎだ。俺ならお前らを、一人で全国まで引きずり上げてやれるんだぜ」

「……。」
「…お前が、なんで光琳選んだのか謎だぜ。清陵高校にでも入れば良かったんだ」

そう言い捨てて藍堂は踵を返した。雨はボールを手の中に収めたまま、彼を見送った。
藍堂は、最後に決勝をやったその時よりも、ずっと強くなっていた。ずっとずっと…、強くなっていた。
そんな彼に自分のバスケを打ち壊される衝撃を、雨は光琳のバスケ部で味わった。あんな強さを、初めて見たのだ。
そして、口を開いた瞬間雨は遠くを見ていた。夕焼け色に染まる、はるか遠くを。

「…山があるんです」
「…は?」

「…僕がいた帝中学には、大きな裏山がありました。光琳高校の近くには、高天原大山があるんです。
だから僕は、光琳高校を選んだ。…山、好きなんです。あとは、家も近いし…」

「…お前、話聞いてたか。今バスケの話してたんだぜ」
「光琳を選んだ理由は、それだけです」


Re: 雨、降る日のバスケ ( No.18 )
日時: 2013/11/23 13:37
名前: 創魔 ID:Sv3zlLbU


 朝、藍堂は再びランニングで川辺を走っていた。イヤホンを耳に差し、流れてくる英会話を無視する。
他に聞こえてくるのは、自分の規則的な息遣いだけ。空はまだ白み、汗を適度に冷やすにはちょうどいい。
灰色に染まる川、パステルカーラーのぼやけた風景。そういうものが朝の象徴だ。
小学3年の頃から、藍堂は毎朝日課のように走り込んでいた。きっかけは、なんだったか。
確か、近所の子どもとのバスケで負けたくなかったからだと思う。体力を付けたくて、走った。
その頃から負けず嫌いで、初めてバスケに触れて、面白くなった。小学校でも負け知らずだった。
一時でもバスケが嫌いになり始めたのは、いつだったか。たぶん…、中学に入ってからだ。

「ん…?」

 不意に、イヤホンの中に妙な雑音が入ったような気がして立ち止まった。
耳から外して、プレイヤーと接続を確かめる。なにか、長く息の抜けるような音。
しかし、イヤホンを外してもなお耳にその音が届くので、不思議に思って顔を上げる。
川辺の静かな場所。遠くを見渡せば、山が見える。その静寂に包まれた世界に、耳を澄ました。
ずっと、瞳を細めて耳をそばだてる。なんだ…、この聞いたことのない音。長くて…、なんだか声のような。
しばらくして、それが遠吠えだと気付いたときは驚いた。山並みの向こうから、かすかに響く遠吠えの声。

(…近所の犬か。にしちゃ、珍しく長ぇな…)

興奮した犬の、ワンワンキャンキャン喚く声ではない。ただ長く、呼ぶような切ない声。
それは吠えては途絶え、まだしばらく吠えては止み、朝の静寂の中だからこそ聞こえるものだった。
藍堂はしばらくその遠吠えを不思議そうに聞いていたが、やがて再びイヤホンをはめ直し、走り出した。



「うぉっ!」

 川べりを走りきって、朝の集合時間になるまでどのルートへ引き返そうかと考えていたとき。
不意に、目の前を何かが横切った気がして足を止めた。大きさ的に自転車かと思い、しかし早すぎてそれは見えず、
じゃあ大型の猫かと思ったがそれにしてはデカすぎる。突然の出来事に、野生の動物かと目を疑った。
灰色の、デカいイノシシか何か。そう思って道の端へ追いかけてみるが、そこにはもう何もいなかった。
野良犬か…。そう思って道を見下ろすと、そこには血が滴っていて足を引いた。そして、動物の毛も。
眉をひそめて、さらに辺りを見回す。危険な何かが、山から下りてきているのではないか。
怪訝な顔をして、道の果てに視線を上げた瞬間。藍堂は思わず息を飲んだ。

「……っ、!」

瞳を凝らして、その道の向こうにたたずんでいる獣の姿を見つめた。
灰色の、4つ足の生き物が、はるか遠くでじっとこちらを見つめていた。大きな毛皮。長い手足。
円を描くような耳と、鋭い眼光。その口には、だらりと下がったタヌキのようなものが咥えられていた。
血は、そのタヌキから滴り落ちているらしかった。その獣の口の周りにこびりついた赤い血が、血の気を引かせた。
一瞬、その獣と目があった気がした。しかし藍堂がそれを凝視する間もなく、軽い爪の音を立てて獣は消えた。
街の住宅街の方へと。犬だろうか。あれだけの大型の犬が、放し飼いにされているなんてあり得ない。逃げ出したのか。

「……、えらいもん見た」

いくら山が近いとはいえ、こんなに野性的な自然の姿を町で見るとは思わなかった。
ていうか、あの犬デカすぎる。遠くでよく分からなかったが、近くにいれば藍堂の腰あたりじゃ済まないだろう。
体高が高く、それだけでなく鼻の先から160cmはあった。大型犬て、あんなものだったろうか。
さっと、朝の住宅街の中に姿を消した獣は、もうどこにも姿を見ることはできなかった。



Re: 雨、降る日のバスケ ( No.19 )
日時: 2013/11/23 19:15
名前: 創魔 ID:Sv3zlLbU

「なぁ…。ここって監督とか、マネージャーいねぇの」


バスケ部に入部して2週間。一向に姿形を見せない顧問の存在に、藍堂は疑問を抱いていた。
ストレッチをしている最中、ボソリと呟いた言葉にキャプテンの清水が固まった。
1年同士は「そういや…」と顔を見合わせるばかりだが、2年生は苦笑しつつ清水を見つめる。
清水は一瞬だけはにかみ、体を前に倒しながら肩をすくめて見せた。

「あー…、いんよ。マネジ」
「監督は?」
「…あぁ、いるよ。監督もちゃんと」
「どこに」

冷ややかな目線を浴びつつ、清水はそう答えるが藍堂は追及する。
さすがに2週間も姿を見せないのはおかしい。ここの責任者ではないのか。マネジすら、だ。
隣で志田の背中を押していた小林が、はしゃいだ声で問いかけた。勢いよく押された背中に志田が悲鳴を上げる。

「マネジって、女の子!?可愛い?何年生っスか!?」
「あー…、そういうの無駄むだ。あいつ性格キッツいから…、おまけに」
「鳴海。…お前、無駄口叩いたら肩脱臼させるぞ」
「いっ…いだいいだいいだい!」

「なんつーか今…、彼氏に振られてブルーになってるっつか…、傷心中で休養中っていうか…」
「はぁ?そんなんで部活に来ねぇ女とか、マネジ失格だろ」
「!」

 嫌にきっぱりと言い放った藍堂に、上からアマ公が伸し掛かった。咄嗟にバンッと手をついて耐える。
苦笑いを崩さない清水を前に、空気読まずの藍堂を黙らせる。それを見て、志田も小林もなんとなく「あぁ…」と納得した。
清水は頬をかいて、咳ばらいをした。

「心配すんな。監督はちょうど今日戻ってくる。メニューもそれように組んである。
すげぇ人だぞー。お前らの身体、技術レベル、到達度、朝メシ食ったかどうか、彼女の有無までなんでもお見通しだ」

「最後のスキルすげぇ腹立つ」
「元プロ選手で、昔は日本チームにも籍を置いてた人だ。今はもう引退してるけどな」
「えっ…」

声を上げた志田たちが、顔を見合わせた。元プロバスケットボール選手。
そんな人が、弱小校の光琳の指導をしているなんて知らなかった。と言うより、なぜ。
それならもっと指導を徹底して、拳大会位出場してもよさそうな物なのに。宝でも持ち腐れているのか。
するとその隣で、2年の鳴海が笑って首を振った。その顔は、まさしく困ったように苦笑している。

「いや…、実は去年、顧問に決まった3日後に、車で事故って病院送りになっちゃってさ…。
リハビリと治療で、まともに部活来たことないんだわ…、その人。俺らも、まともにバスケ教わったの1週間くらい。
だから俺ら、去年1年間監督なし、指導者なしで大会挑んだりしてたんだけど…、まぁ惨敗してさ」

「んだそれ…、ひっでぇ…」
「つーことで、俺らもまともに指導されんのは今日が初めてだ。未知数だよ」
「そろそろ来るんじゃねーかな…。あ、」

そのとき、ガラリと体育館の扉が開いたので反射的に全員が振り返った。
元プロバスケットボール選手、日本代表。その人がゆっくりと体育館に姿を現すのを、息を飲んで見守る。
ところが、そこに現れたのは目を疑うほどに短いミニスカート。そして巨大なクーラーボックスと、可愛らしいストラップ付きバック。

「え…、あれが監督?」
「げっ!!」

真っ先に声を上げたのは清水で、ストレッチそっちのけで弾けるように立ち上がる。
そのままキョロキョロ辺りを見回しながら体育館に入ってくる少女を、2年が腹の冷える思いで見守った。
硬直する清水に、まっすぐ歩み寄っていく長い髪の少女。目の前に立ち止ったかと思うと、いきなりその胸ぐらをつかんだ。

「清水!てめっ…、マネジに断りもなく全国ベスト8に挑むたぁ、どーいう了見だコラァ!!」
「うぐっ…、苦しッ…どーいうって…!おまっ…!」

「え…」
「へ…?」

問答無用でジャージを締め上げる少女は、部員の目もはばからずにキャプテンに掴みかかる。
今、マネジって言った。つか、言葉。その前に、パンツ見えそうで怖ぇ。
頭の中に次々に上がる疑問符を収める場所も見つからず、ただ目の前の状況を見守る。
綺麗な顔に似合わないその言動に、小林はドン引いていた。ポケットで、ウサネコの携帯ストラップが可愛く揺れているというのに。

「キャプテンの分際でちょーし乗りやがって…!チームの現実を見てから選べ!このタコ!!」
「渚ッ…おま、1年が引いてるッ…。1年生が引いてるッ…!」
「は?」

ポロリ、とキャプテンをその手から取り落として、長い睫毛の眼差しがこちらを向く。
思わず凍りついた1年4人を眺めて、氷のような視線が射抜く。可愛いマネジとか冗談じゃない。
つらり、と表面を撫でていった視線を受け止めて、志田と小林は口から魂が逃亡しかけていた。
すっ、と差し出された手を見て、藍堂が眉をひそめる。藍堂のキツイ目線の先で、少女の表情は驚くほどにほどけた。

「よかった。新入生がいなかったらどうしようかと思ってたの、入ってくれてありがとうね」
「…、はぁ」
「あたし、洽なぎさ。ここのマネージャー、よろしくね」

柔らかく微笑んだその表情に、「え、嘘。だれ?」と目を向きたくなる。
え、今までそこで死んでるキャプテン締め上げてたの、この人だよね、と再確認する。
その他の1年とも握手を交わした渚が、2年の方を振り返って笑いかけた。その拍子に、アマ公の足元に何かが転がり落ちる。
その小さな四角い箱を拾い上げて、アマ公はまばたきした。小林がその箱を不思議そうに覗き込む。

「タバコです」
「…嘘だろぉッ!!」

「っていうことで、こいつがウチのマネジ。2年のあまね渚だ。…清水の元カノな」
「キャプテンの元カノ…ッ、嘘だろぉおー!!」
「だぁってろダァホッ!!もう関係ねーだろが!練習はじめっぞボケが!!」

顔を真っ赤にしたキャプテンが立ち上がり、部員の眼差しを一身に浴びて怒号を飛ばす。
ぞろぞろと立ち上がった部員たちの中で、志田が慰めるように小林の肩を叩いて去って行った。
きょろり、と辺りを見回した渚が、苛立つ雰囲気をまき散らしてたたずむキャプテンの肘を小突いた。

「清水…、監督は?」
「…まだ来てねーんだよ。そのうちくるだろ、時間にルーズだから」

そう言って吐息をついたとき、不意にドンッとボールを打つ音がしてコートの半面側を振り返った。
ボールを乗せて、ゆっくりと上がる左腕。その緩やかな動きに、藍堂は束の間目を奪われた。
指先がボールを包み込み、しなやかに跳ねるその動きは、ボールが吸い付いているように見えた。
アマ公は立ち止まり、その一連の動きに見惚れる。弧を描き、ハーフコート以上の距離を持って、ゴールに吸い込まれた。

「マジかよっ…!今、あの距離を片手で…!」
「!」

藍堂は、思わず目を見張った。ゆるり、とこちらを向いた男の右腕。
そこには、大きめのジャージの袖が下がっているだけで、空気のように存在のない。右腕が、ないのだ。
言葉を失ってそれに魅入り、わずかに唇を噛んだ藍堂を見つめて、雨も瞳を細めた。
コートからこちらに向かって、けだるそうに歩いてくる男は、笑みを浮かべてひらりと一同に手を振った。

「悪い悪いー、遅くなった。『今朝のにゃんこ』見てたら、遅くなった」
「監督。…朝練7:20から始まんのに、7:20から始まる『朝ニャン』見るの、禁止って言いましたよね」
「バッカかお前…。俺にとって『朝ニャン』見んのは、お前が朝シコってから学校くんのと同じなんだぞ。1日が始まらねー」
「…俺の朝は別にそんな習慣から始まってねーよ!!」

目の前にいる、この人が光琳バスケ部の監督…。元プロバスケットボール選手の…、日本代表。
短髪に、2年センターの大道よりも大きな体格。そして、その大きな手。部員を見回して、男は笑った。

「お、1年も入ったのか。いーね。…これで光琳バスケ部も、また強くなるな」
「あぁ。それに今年は、元清陵のエースと、優勝校のアマ公が加わった。…光琳バスケは変わりますよ」

そう言った清水に、他のメンバーも大きく頷いた。それをきいた男が、目を見開く。
同時に隣に立っていた少女も、「え…」と言葉を失って素早く目を走らせた。
目の前に立っていた藍堂と、その横の身長の小さな少年。その2人を見て、彼女は声を詰まらせた。

「嘘…っ。まさか…、清陵のエース…藍堂秀二…!?」
「……。」

握手したときには気が付かなかったらしい、藍堂は名前を呼ばれてわずかに眉間を寄せる。
息を飲む声が聞こえた。監督は左手を顎に添え、感心したような声を漏らす。

「…なるほど。そりゃあ、期待しなきゃな」
「信じられない…、なんで全国1位のエースが…こんなとこに」
「どこにいたって俺はバスケできんスよ…、」

皮肉ったような藍堂の口調に笑って、監督は1年全員に握手を求めてきた。
差し出された、その左腕をぎこちなく握り返す。そして2年も、また渚も握手を求められた。

「よし、これで全員だな!」
「はぁ…、」

想像していた、厳しいか、それとも平凡な口数少ない中年男性をイメージしていた一同は呆ける。
しっかりとした力強い握手を交わした全員は、そのくったくのない若い笑顔に面食らった。

「去年1年間、ほったらかしにして悪かった。…俺のせいで、悔しい思いをしたことも多かったろう。
今日からはその埋め合わせじゃないが、俺に出来ることなら120%やりきるつもりだ。
お前らも、そのつもりで俺についてきて欲しい。…俺は、花田 真(はなだ まこと)だ。よろしく!」




Re: 雨、降る日のバスケ ( No.20 )
日時: 2013/11/23 20:04
名前: 創魔 ID:Sv3zlLbU

練習が終わったら、高天原山のふもとにある空き地に集合と言われた。
練習はいつもより30分早く終わり、汗を流したら『肉』と『野菜』を持ってダッシュしろとのこと。
わけがわからず、そもそも空き地なんてどこにあるのかもわからず、全員が道に迷った。
ようやくの思いで全員が集合したとき、そこに広げられた光景に目を丸くした。

「…ンすか、コレ?」
「何って、え…お前ガキの頃キャンプとかしたことないの」

 憐れむような眼差しで聴き替えさえ、清水は「そうじゃなくて!」と突っ込んだ。
何が始まるのかと思い駆けつけてみれば、そこには網と、炭火と、調味料が並んでいた。
全員が急いで買いだしてきた袋を下げているのを見てニッと笑うと、トングで肩を叩いた。

「光琳バスケ部の未来を担う先輩と、ピカピカの新入生と、美少女マネージャーと、ピカピカの俺。
…で、懇親会。やっぱこういうのやんないと、仲間!って感じしないよな。てか腹減ったし」

「腹減ってんのは練習してた俺らだ!!ッ…つか、こういうのって普通監督おごらね!?」
「あぁ、器具と調味料はおごってやるよ。あと飲み物」
「…うわー…、こんなことならもっと肉持ってくんだった…、しめじとネギしか持ってきてねー…」
「お前…、それ完全に鍋の具材だろ」

まったく予想の斜め上を行く結果だったので、2年と1年はお互いに持ってきたものを確認し合う。
小林はしめじ、ネギ。志田は人参、キュウリ、ナス、豚肉。キャプテンはなぜか『特製・鍋奉行スープ』。
鳴海はそこそこウィンナーや鶏肉を持ってきてはいたが、あとは大量の乾燥わかめの袋。
他の2年生も、袋の中身を出すがバーベキューに仕えそうなものはあまりなかった。

「藍堂、お前は?」
「…野菜と肉っつーから、ポテチとジャーキー…」
「お前、… 普段のメシの栄養バランス大丈夫か…?」
「マネジ!お前は何持ってきた、…こうなったらお前の具材だけが頼りだ!」

そう言われて、渚は思わず自分の袋を隠そうとした。しかし、清水にひったくられる。
ガサガサと引っ張り出してみれば、渚は頬を赤くしながら清水を睨み付けた。

「な…、なによ!あたしだってバーベキューなんて聞いてないわよ!
…と、とりあえずエナジードリンクと、プロテインと。…あと肉の代わりに、乾燥干し肉」

「アメリカ軍じゃねーか!!」
「んだお前らー。もっとまともなもん、持ってきてるやついねーのか。肉焼けねーよ」
「あんたが一言付け足してくれてれば、もっとまともなもん持ってきてたよ!」

 地面に溢れた食品は、どれもこれも火の上で網焼きにすると原型が危うくなりそうなものばかりだ。
調味料がいくらあってもこれは調理しきれない。藍堂は頭をかいて、「…闇鍋がいいんじゃね」と物騒なことを言いだす。
ベースがキャプテンの鍋奉行スープ。そこにぜんぶぶち込めば何とかなるだろうという、今後の活動に影響が出そうな行事だった。

「…一回、買い出しに戻るか」
「日暮れちまうよ。…つか、監督行き当たりばったり過ぎ」
「そうか?闇鍋でも案外いけるんじゃね。…ほら、干し肉とかも水吸って肉に戻るかも」
「そんなダシ抜けきった昆布みてーな肉、バーベキューで食いたくねーよ!!」

「あの…」

ふと、一人の少年の声が全員の注目を細々と集めた。その背中に背負っていたのは、何やら大きい布袋だ。
息を切らして「遅くなりました」と告げたアマ公は、その袋を重そうに背中から降ろして吐息をついた。
どさり、という音がやけに生々しく、次いでその袋の地面への横たわり方が、何が物騒なものを感じさせる。

「…アマ公、何だその荷物?」
「肉って言われたんですが、家になかったので獲ってきました…」
「…なにを?…え、ちょっと待って。取ってきたって何を?」

 アマ公が袋を開ける手前、「グロッキーなのがダメな人は、下がっててください」と念を押す。
袋の中から現れたのは、巨大なツノ。それから力の失せた首が、だらりと目の前に横たわって悲鳴が上がった。
背負ってきたのは、巨大なシカだった。血抜きされたのか、首に切り裂き痕がある。目はぎょろり、と虚ろに宙を見つめていた。

「いやぁあー!!なにそれ!!…いやあーー!!」
「おー、すげぇな1年くん。この鹿、どこでとってきたの」
「浦山です。…祖父の家から」

 そういえば、藍堂はいつかの早朝、のことだったな、と思い返した。
アマ公が猟師である祖父の家からおすそ分け称して、大量の動物の肉を持ち帰っていたこと。
袋から出てきたのは、シカ一頭、山鳩4羽、小型のイノシシ一頭、キジ一羽。どれも狩ったばかりのように血がついている。
しゃがみこんで生々しい動物の死骸をまじまじと見降ろし、藍堂は吐息をついた。見かけによらず、マジかと思う。

「こんだけありゃ、肉には困らねーな。でかした、1年!」
「…え…、それ…マジで食うの?」
「誰か、これ解体できますか」

「できるわけねーだろ!…え、つか解体ってなに。これバラすの!?この可愛いヤツをバラすの!?」
「いちいちうっさいわね。根性ない男は下がってな」
「よーし、俺がやろう」

アマ公が振り返ってそう言うと、監督がサバイバルナイフのようにデカい刃物を取り出した。
ぎょろりとした目が現れたときはドン引きしていたマネージャーも、今は興味津々に初めての動物を眺めていた。
それ以上近寄れないキャプテン、志田、小林、その他2年たちは、解体手順をどうするか悩む監督を凝視した。
「マジで!やめて!」「そんなグロッキーなとこ見せられたら、食欲どころじゃねぇよ!!」と発狂する。

「うん、まぁ…、なんとかなるだろ」
「あたし、こっちのキジの羽なんとかしてくるわ」
「おー、頼んだ」
「…嘘だろマネージャーッ…!!」
「…あんなたくましいマネージャー、俺未だかつて見たことない!」

震え上がる一同の前で、ザクザク始めた監督を見てさらに悲鳴が上がった。
アマ公はマネージャーを手伝いにふらりと姿を消し、藍堂はしげしげと獲物を眺めた。
イノシシの屈強な足を掴んで、持ち上げる。ふと、その頑丈な毛皮に目を奪われて、瞳を細めた。
イノシシの喉元に、何かが食らいついたような噛み傷があった。そこから血の抜けたような形跡がある。
そういえば、アマ公のじいさんが猟師で、その獲物だと聞いたからどこかに銃弾の跡があるかと思ったが。
どこを見ても、そんな致命傷の弾痕は見つからない。ただイノシシの喉には、鋭く深々と突き刺さった牙の跡があった。

「……。」




「じゃ、今後の光琳バスケ部の健闘を祈って!かんぱい!」
「かんぱーい!!」

合わさった紙コップの中身を、各自が飲み干す。目の前には、綺麗に解体し尽くされた肉が並んでいた。
こうなってしまえばただの食用の肉に違いなく、焼けばうまそうな具材に変わるから不思議だ。
肝からもも肉まで、すべての肉がそろっているから贅沢だ。清水は意を決して、箸で肉を掴んだ。

「なんかこう…、思いがけず食の教育みたいになっちまったな」
「あぁ…。なんかこう、すげぇ…命を頂いてますって感じがしてきた…、俺」
「バカヤロー、当たり前だろ!命に感謝しろ、現代っ子ども!食う時はしっかり崇めて食え!!」

監督の檄に、慌てて返事をして肉に食いつく。不思議と肉には何の臭みもなかった。
「タレってすげぇ!」と称賛しながら肉を頬張る仲間たちを見て、アマ公はくすりと笑った。
こういうのは、ひどく久しぶりな気がする。新しい仲間たちと囲む食事は、にぎやかでやかましくて楽しい。

「アマ公、テメ野菜食えよ」
「…すいません。ネギとかシイタケとかダメなんです」
「好き嫌いすんじゃねーよ!肉しか食ってねーじゃねーか、おらタマネギも食え!」
「一番ダメなやつです」

「ねぇ、キミ。1年のアマ公っていうのね」
「あ…、はい」

不意に、後ろからマネージャーに声を掛けられてアマ公は返事をした。
目の前にしてみるとやはり顔立ちは綺麗で、しかし姉御的な感じが伝わってくる。

「…マネージャーは、すごいですね。あんなふうに生身の鳥をさばける女性、初めて見ました…」
「初めてのことでビビっても、やんなきゃ始まんないことってあんのよ」
「……。」

その言葉にまた驚いて、改めてすごいと思う。彼女の隣で、ずっと様子を見守っていた。
途中で泣き出してしまうのではないかとハラハラしながら見ていたのに、彼女はなんとやり抜いた。
自分が手を出すまでもなくて、驚いたのだ。アマ公は微笑み、肉を口に入れた。

「…キミも、去年の大会では優勝にまで勝ち上がった、要注意プレイヤーなのよね…」
「え…」

「藍堂くんは、それまでもずっと要注意人物として、すべての中学が目を離さず、対策を練って警戒してきたわ…。
けどあなたは違う。それまで誰にも注目されず、ノーマークのまま突然光の中へ出てきて、周りを騒然とさせた。
誰にも止められない最強兵器を、いきなり試合に出されたようなもの。あなたみたいなルーキー、初めてだわ」

「……。」

帝中学は、弱かった。誰にも相手にされず、バスケにおいては有名どころではなかった。
なのにその年の全国の決勝で、いきなり清陵を下してトップに成りあがった。各校が騒然としたのは言うまでもない。
渚が身を乗り出してきたので、アマ公は食べる手を止めて彼女を凝視し、瞬きした。真剣な眼差しとぶつかった。

「僕は…、バスケが好きで、ただそれだけで帝中でやってきました。…仲間と一緒に」
「指導員は?誰からバスケ教わったわけ?」
「誰からも」

そう呟き返したアマ公に、渚はちょっと面食らった顔をした。
アマ公も、彼女の目を見つめ返して、真面目な眼差しでそう答え返した。

「…帝中学は、弱かったので。指導してくれる人も、マネージャーもいませんでした。
僕らは、ただバスケが好きだった…。バスケが好きだったから、強くなろうと思えば、強くなれたんだと思います…」

「…、なによそれ……。」



Re: 雨、降る日のバスケ ( No.21 )
日時: 2013/11/25 12:21
名前: 創魔 ID:gBtzJEE2


正直、どっちが強いのか。それはずっと気になっていた。
身長も上。体力は同格。瞬発力や速さには負けるが、技術やセンスはどちらも比べても上は分からない。
試合に出れば藍堂の方が圧倒的に得点力があり、ディフェンスも単独オフェンスも上を行く。
しかしアマ公は、仲間にパスを出しているばかりで得点に繋がらず、しかしドライブやフェイクの腕は誰にも負けない。

そんな藍堂と、アマ公。どちらが強いのか、はっきりしないまま部活はずっと続いていた。
最初の1on1は藍堂の勝ちだった。しかし、その後は抜くこともあれば抜かれることもある。
正直、アマ公を相手にした時の勝負は、藍堂の予想外に動きが流れ、翻弄される。だから確信する。アマ公は強い。
強いのに…、その決定打といえる部分が欠落している。相手の方が絶対的に強いという確信が、欠ける。
何故だ…、とずっと考えていた。バスケだけに打ち込み、バスケだけに向かってきたと自称するアマ公。
なら、自分だってその強さをきっちり推し量れたっていいのに。わからない。アマ公の強さが…、わからない。

一番わからないのは…、もっと基礎的な部分。体力や、瞬発力はどこからきているのか。
毎日の練習で、パスやシュートの練習はみんなと同じだけやっている。たまに一人で練習しているときもある。
けど、それ以外は持ち前の才能だというのか。小柄で、藍堂には絶対に及ばない身体的なレベルの違いが、そこにあるはずなのに…。

「……。」

藍堂はわずかに瞳を細めると、体育館の大きな時計を見上げた。
夜8時。その日の部活が、終わろうとしていた。






早朝、4時。藍堂はじっと腕時計を見つめて、桟橋のたもとで霧の中を睨んでいた。
山がすぐ後ろにあり、普段の朝よりも底冷えする。ランニング用のジャージを着て、いつものイヤホンから流れる英語を聴き流す。
光琳高校がある街から、ずっと走ってくると川に出る。その河川敷に沿って走っていくと、この桟橋に突き当たる。
その桟橋の先は、街とは離れた農村のような雰囲気の広がる住宅街で、山と一体になっている。
その街と山の境界線で、藍堂はじっと腕組みをして佇んでいた。街の方を、じっと見据えて。

「……。」

やがて、藍堂は顔を上げて険しい顔で霧の中を見つめた。足音が、近づいてくる。
誰かが、桟橋へ向かって走ってくるのだ。それを測ったように藍堂が桟橋に寄りかかっていた背中を起こす。
遠くから、短い息切れの声とともに現れたのは、細身の少年。Tシャツに、チノパン。
白い息を吐きながら現れた少年は、ふと瞳を瞬かせて驚き、立ち止まった。
目をしばたかせて、ゆっくりとその歩調を緩めると、佇んでいる藍堂の前で息を整える。

「…、藍堂くん」
「…よぉ」
「なにしてるんですか…、こんな時間に、こんな場所で」
「……。」

藍堂はイヤホンを外すと、腕組みをしたまま答えない。アマ公も呼気を落ち着かせながら、じっと待った。
藍堂いつも走るのは、決まって朝5時から6時の間。時間は早いし、普通は河川敷までで桟橋には来ない。
しかし今日は、いつものルートから3キロも奥手にある、この人気のない桟橋まで来ていた。
呆気にとられているものの、じっと黙り込んでいるアマ公に痺れを切らして首筋を撫でて、白状した。

「…お前を待ってた」
「え…」
「ここ、通るんじゃないかと思って…。早めに来て待ってた」

前にランニングでアマ公と鉢合わせた時は、早朝の街だった。これから川沿いに出ようという時、獲物を担いだアマ公にあった。
なら、もっと早い時間。山の付近のアマ公のジイサンの家に繋がるこの桟橋に来れば、必ず来ると思っていた。
今は手ぶらのアマ公を見て、その汗のにじんだ格好を眺める。街の自宅からここまで、走ってきたのか。

「…僕に、用事ですか。あと3時間もすれば、朝練で会えるのに…」
「朝練じゃ遅ぇんだよ」
「一体どうしたんですか…、」

不審そうな眼差しを揺らして、アマ公が藍堂の顔を覗き込む。仲間良い2人とは決して言えない。
ライバルと呼ぶにはまだあまりに互いを無知で、同じ部活動のせいで敵とも呼べない。なのに仲間でもない。
そんな不思議な関係のせいで、藍堂はアマ公の本当の強さを測りかねている。その物体のない不気味さが、気持ち悪くて。
知ろうと思ったらこんなところに来ていた。藍堂は冷たい朝の空気の中で息を吐くと、ゆっくりと体を伸ばした。

「…お前、これから走るのか?」
「え…」
「…、ジイサンの家までオツカイか。それとも、お前もこれから基礎練すんのか」
「……。」

なぜか、アマ公は応えなかった。迷ったように藍堂の言葉に瞳を泳がせる。
家から来たのは確かだ。こんな時間に、こんなところまでわざわざ走ってくる理由は、どっちかしかない。
その返答を、じっと見守っているとアマ公は山を見つめた。それから、小さな声で返答した。頷きと共に。

「…そうであるとも言えるし、そうじゃないとも言えます」
「どっちでもいいや…、俺も付き合せてくんね」
「えっ…?」
「お前の基礎練。どんなことやってんのか興味あんだ…」

顔を合わせることなく桟橋を渡りながら、藍堂はそう言ってぐっと伸びをした。
いつも人をはるか上から見下ろして、下手糞だ相手になんねぇ、などと豪語している藍堂が、そう言った。
強いからこその、人を馬鹿にしたような態度で、多くの選手や、仲間や、敵の心を折ってきた。
その藍堂が、素直に他人の練習風景が見たいという。そのとき、アマ公は束の間、彼のバスケに対するひたむきさを感じた。
藍堂が振り返り、立ち尽くしたアマ公の顔を伺って変な顔をする。呆れたような、面倒臭そうな顔。

「…なんだ、駄目なのか。俺がいちゃ、邪魔か」
「……。」

アマ公は、一瞬の藍堂の意外な一面に驚いたそのすぐ後、今度は密かに考えあぐねている様子だった。
基礎練一つに、何をそんなに見られたくないものがあるのか。瞳を逸らして、物憂げにうつむいていた。
困っていたり、動揺したりではない。じっと、ただ深慮深げに視線を下げている。藍堂は舌打ちする。
邪魔に思われるくらいならこっちから願い下げだし、無理してまで押し入る気はない。

「おい。駄目なら駄目ってはっきり言え。待ちくたびれんだよ」
「いえ、いいです。…その代り、藍堂くんもちょっと付き合ってもらえませんか」
「あ?」

アマ公が、言葉を言い終わると共に桟橋を渡り始めたので、藍堂も大人しくそれに従った。
自宅は遠くないが、桟橋を渡って山の近くに立ち入るのは初めてだった。緑が豊かで、街より空気が澄んでいる。
自分の前を、ただ黙々と歩いて行く少年を見つめて、藍堂は眉をひそめる。不思議な少年だった。
まるでこの山のように静寂で、無色で、寡黙。だが、山がその裏側に人間に推し量れない大きな生命力を持っているのと一緒だ。
物静かで、これといって個性の何一つない。逆に、なにひとつ個性の掴めない、掴み処のない存在感。
山が放つ静寂なプレッシャーと、この少年の放つ異様な何かは、とても似ている気がした。

「ここです」

アマ公が立ち止ったのは、なにもない住宅と住宅の間に通る、十字路だった。
一気に田舎の匂いが広がり、まだ早朝と言うことで人気が一切ない。霧で道の向こうがかすんでいた。
辺りを見回しても特にこれと言ったものはなく、その平凡な空間に藍堂は眉をひそめる。

「…ここで何するってんだよ?」

「…僕がやろうと思っていたことを、今日はキミに譲ります。ただちょっとキツいので…。
体を壊すと思ったら、すぐにやめて戻ってきてください。それから、道に迷いそうになっても同じです。
ここへ戻ってきてください…。僕は、この辺を軽くランニングしているので。5時になったらここに集合です」

「だから、なにやらせるってんだよ。…なんもねぇぞ、ここ」

自分に譲る、とはどういう意味なのか。訳が分からずに眉間に皺を寄せて睨んでいると、ふとアマ公が振り返った。
目の前にある4つ角の、垣根と垣根にはさまれた細い道。向こうには柵があって、ずっと一本道が続いていた。
その道を指さしたので、藍堂は瞳を細めてその先を見た。人からは簡単には見えないような、死角になる道だった。

「…この道の先。山の入口の社の下に、犬が一匹待っています」
「犬…?」
「その犬を追いかけてください。それだけです」
「犬を追いかけるって…、どこの犬だ?」
「ウチの犬です。…逃げられても、諦めず追いかけてください。藍堂くんなら、余裕で捕まえられると思います」

「…ん、だそれ」

呆れてものも言えずにいると、アマ公はただそれだけを告げて藍堂の反応を見守っている。
どっか自分ちの畑をダッシュとか、バスケのボールの練習とか、そういうものを想像していたので落胆する。
藍堂が乱暴に頭をかくと、吐息をついてアマ公を見下ろした。結局、不思議過ぎてよくわからねぇ…。

「つまり、何か。脱走したお前んちの犬を、ひっ捕まえて返しゃいーんだな…」
「そんなところです」
「…朝練つか、ただの雑用じゃねーか…。バスケと関係あんだろーな…」
「関係は、ないかもしれません…。でも、たぶん終わって帰ってきたころには、藍堂くんの謎はいくつかは解けてる気がします」
「んだソレ…。ッチ…、覚えてろよテメェ」

ここまで追っかけてきたお詫びとでもいうか、藍堂は要望を受け入れて細道へ向かった。
歩いているうちになんだか疑り深くなって、一度元来た方角を振り返る。そこにはアマ公が立っていた。
吐息をついて前を向いた後、ふと気になってもう一度振り返るとそこからアマ公の姿は消えていた。

バスケと関係はないかもしれない。でも終わる頃には、自分の中の謎は解けている…。
基礎体力と何の関係があるのか。まさか犬と毎朝追っかけっこして、それで鍛えてますとでもいう気か。
だとしたら相当舐めてる。てか、舐められてるな…。自分も大概と思いながら、気が付くと鳥居の前に来ていた。
うっそうと茂った森に、思わず圧倒される。古い石造りの鳥居。すぐそばには苔むした地蔵の祠が祭ってある。
神隠しでも起こりそうな雰囲気の中、入口を見上げるとそこから果てしない階段が、うねるように山の中へ消えていた。
その階段の脇にそびえる大岩があった。瞳を細めると、その大岩の下に一匹の犬が座っていた。

「…お前か、鳥居の下の犬ってのは」

犬は、警戒するでも、喜んで尻尾を振るでもなくそこに横たわっていた。
見れば、大きな犬だった。大型犬どころではない。体高は90cmほど。大きさは1.6mくらいある。
大きなブラシ状の尾は長く、体は白、黒、茶の目立つ灰色斑の毛でおおわれていて、大きな耳がかすかに動いた。
目が、金色の網膜の中に黒い月のように小さく打たれていて、藍堂を見据えていた。野性の目だ。狐か何かのような。

しばらく呆然とその『犬』を見つめていたが、やがて犬が腰を上げたその速さと言ったらなかった。
まったく重さを感じさせない様子で立ち上がると、その足の長さからさらに大きさに戸惑う。
わずかにこちらの様子を伺うように、頭を下げて上目にこちらを見る。その動作はまるで『オオカミ』を思わせた。
天然の苔を踏みしめた、その足の大きさに驚く。藍堂の広げた手のひらほどもある、大きな前足。
腰を上げたその動物が、階段を一っ飛びに超えていったのを見て藍堂は我に返った。『アレ』を山から、引き摺り下ろすのだ。

「待てッ…、てめぇ!!」

藍堂は、鳥居をくぐり山に立ち入った。そのときはまだ、捕まえることしか頭になかった。
山がいかに過酷で、人間の身体能力が通用しない場所かと言うことを、藍堂は認識していなかったのだ。
ゆっくりと空が白み、日の光が金色に山を包み込む時間になるまで。藍堂が再び鳥居に姿を現すことはなかった。

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.22 )
日時: 2013/11/25 13:23
名前: 創魔 ID:gBtzJEE2


 朝7:20になっても、藍堂は部活に現れなかった。部員も不審がる中、今日は来ないのではないかとさえ言われる。
藍堂は基礎練には形だけ参加するが、その他のチームとのパスとか、シュートの練習とか、そういう物には一切出ない。
先輩の手前とあって毎日しぶしぶ時間通りには姿を現していたのに、今日ばかりは違っていた。
練習が始まって20分後のことだった。ガシャリ、と重く扉の開く音がして振り返れば、藍堂がいた。

「おっせーぞぉ」
「なーにやってたんだよ。腹痛?それとも朝の抜きどころに迷ってた?」

からかい口調でそういう志田と小林に舌を打つも、藍堂の顔色は果てしなく悪い。
それどころか足腰がガタガタで、立っているのもやっとの様子で体育館に入ってきたかと思うと、
教科書もそこそこにしか入っていない鞄を重そうにおろして、壁際にぶつかるように崩れ落ちて、そのまま座り込んだ。

「死ぬ…、も…限界。…今日は、も…一歩も動けねぇ…。つか、学校来れた俺すげえ…」
「おいおい、どーしたんだよお前!?」
「ていうか、なんか頭とか手足ドロだらけじゃね!?頭に葉っぱついてっし、すり傷だらけだし」

わいわいと集まってきた1年が、その怪我だらけドロだらけの体を見て驚いた顔をした。
先輩たちも集まってきて、そのあまりの死人ぶりに頭をかく。体力だけは宇宙並みの藍堂が、へばっている。
低く呪詛を吐くような台詞を聴いて、アマ公が吐息をついた。清水が眉をひそめて、藍堂の傍にしゃがみ込んだ。

「…冗談抜きに、お前…足が痙攣起こしてるぞ。おい!渚、冷却スプレー持ってきて」
「どーしたの、藍堂くん。ケモノ道でも通ってきたみたいな格好して」
「っせぇ…、道が混んでたッスよ…」
「どんな道だよ」

使いすぎの足の筋肉を一気に冷やして、渚がスプレーを軽く振った。
小林と志田が、顔を見合わせて苦笑いする。全国最強のエースの、思いがけずへばった姿に驚いたのだ。
陰で、ボールを腕に抱えたまま、どこか浮かない顔をしているアマ公を見て、藍堂は眉間に皺を寄せる。
すまなそうな、申し訳ないような顔をしているそれが気に入らなかった。そっぽを向き、口調を大きく悪態をつく。

「…ひさびさに朝練で本気出したら、思いのほか訛ってた。やっぱ普通の朝練じゃ、俺には足りねー」
「おー!お前、なんかスッゲートレーニングでもして来たのか!?」
「…シャトルラン260回が笑えてくる」
「マジ!…つかお前のその記録なに!?」
「自主トレするのはいいが無理をするな。…体力付く前に体壊すぞ」

心配そうに言ってくる清水を見上げると、その隣にいた渚が屈みこんできて藍堂の足に触れた。
まだわずかに痙攣を起こしている足を見て、次の瞬間持ち上げたかと思うと、ぐっとの体重をかけて伸ばした。
そのまま手早く靴を脱がされたかと思うと、足の裏にタオルを当てて肘ではさみ、手のひらで伸ばされて悲鳴を上げた。

「いだだだだ!!…ッきなり何すんっだよ!!」
「バカ。一応、運動後のストレッチしただろうけど、こんなんじゃ足りない。ハードな自主トレし過ぎ!」
「はぁ!?」
「渚は整体師の娘で、ストレッチやテーピングならプロ同然だ。体の疲れも手に取るようにわかる」
「アマ公、部室から氷持ってきて。あと志田、バケツも。氷水に足突っ込んで、一気に冷やすしかない」
「あ…、はい」

言われて、体育館から出て行った姿を藍堂が見送る。周りの先輩たちは「やっぱエースの練習はすげーな」と
買い被っているが、彼女は違っていた。藍堂の足にかかった負荷、腰への負担、足裏の疲労。
すべてを見抜いて、藍堂が不味い状態だということを察知していた。足の痙攣は、汗と共に止まらない。

「…はぁ。もうすぐ授業だけど、…仕方ないか。あんた、1限休みね。
足冷やしたら、すぐ保健室行って、ベッド借りて横になること。あたしがマッサージしてあげる」

「あ…?いらねーよ、こんなもんくらいで…」

「ッセェヨ!!物分り悪ぃーガキだな!!あと2時間もしたら、筋肉ぜんぶ固まって動けなくなるっつってんだよ!!
立てなくなるくらいの筋肉痛になる前に、テメェの症状自覚して『お願いします』くらいの陳情して黙ってされてろ!!」

「ッ…、へ!?」
「あと足の裏!ぜんぶテーピングするから、志田ありったけ持って来い!あとバヤシ、コイツに肩貸して教室に送ってやれ!」

「ハッ…、ハイィッ!!」


急変したマネージャーの怒号に、1年全員が凍りついた。
「あーぁ…」とうなだれている2年と、血の気の失せている清水が立ちすくんでいる。
爪の先まで硬直した小林の肩を、鳴海が叩いて吐息をつきながら耳打ちした。

「…これだから、キャプテンとマネジは成立しても、清水に彼女って関係は無理だったんだよ…」
「オレ…、自分が怒られたんじゃないのに…もう泣きそうッス…」

Re: 雨、降る日のバスケ ( No.23 )
日時: 2013/11/25 15:14
名前: 創魔 ID:gBtzJEE2

「あーぁ…、あの怪力女のマッサージのせいで…余計に体中がイテェ…。
つか…マジ死ぬかと思った…。二度と受けねーぞ、あんな全身足つぼマッサージみたいなモン…」

自分の教室に戻った藍堂は、ぐったりと机に突っ伏して青筋を立てていた。
靴の中はテーピングだらけでまともに動かせもしない。まるで石のように固定され、ギブスかと思った。
しかし、想像以上に足のだるさはなくなっていて、覚悟していた激痛も全く怒らない。痙攣も収まっていた。

(…すげーな、あの女…。あれだけは…、マジで本物だ…)

処置も、対策も、分析もなにもかも一つも間違っていない。放課後の練習には出られるとまで言ってのけた。
天才と言うのは、隠れた所に居るものだ。有名校や、光の当たるところだけにではなく。…こういうところにも。
その時、不意に休み時間のクラスの戸がノックされる音がしたかと思うと、伏して寝ていた藍堂の背中が誰かに揺すられた。
顔を上げると、クラスメイトが顔を覗き込んでいる。「誰か訪ねてきてるけど…」と指を差され、扉を見た。
教室の戸口に、どこかで見た顔が立っているのが見えた。アマ公が、クラスを訪ねて待っていた。




「すいませんでした…」
「……。」

ポツリ、と呟かれた言葉に、思わず藍堂の剣幕が曇る。
廊下に出た2人は始終黙りっぱなしで、藍堂は壁に寄りかかって助けられたまま話を聞いている。
その、表情にはほとんど出ていないくせに、見るからに気落ちした様が伝わってくる顔に、舌を打つ。

「…んで俺が頼み込んだことに、お前がわざわざ謝りにくんだよ。筋違いだっつの…」

「いえ、正直…他の人にとってこんなに負担になるトレーニングだと思って無くて…。
分かってれば、僕ももっと考えてました…。…バスケにとって足は命です、…危ない真似させました」

「…テメ、そりゃ俺に喧嘩でも売ってんのか。地獄のトレーニングは、お前くらいすごくないと出来ませんてか」
「僕がすごいだなんて言ってません。…ただ、僕には僕のやり方があって、キミにはキミの鍛え方があるっていうことです…」
「……。」

アマ公は正論だ。間違っていない。自分がこいつの秘密を暴こうとして、他人のやり方に手を出した。
それが間違っていたということは、正しい。それにしても、気に入らなくて吐息をつくと、頭をかいて首を撫でた。
横目にそいつを睨んで腕を組むと、少しばかり動揺したのかアマ公の眼差しがかすかに揺れる。
藍堂は目つきの悪い顔で、かったるそうにその少年を睨み、首筋をかいた。

「…まぁ、お前がなに言いたかったのかだけは…、確かに分かったわ…。
あの山を、全力疾走するだけじゃねぇ。犬がちょいちょい方向変えるおかげで、合せるこっちの瞬発力は相当上がる。
…ありゃ、相手がどっちに動くかわかんねぇ、ディフェンスの動きを見極めるようなもんだ…、反射もつく」

「……。」

「スタミナは勝手に上がるし、筋力も着く。…動体視力もつくってことは、お前の速さの謎は大体わかった。
ただ、あれを毎日やってるっつったら…俺は納得しねぇ。…この俺だって、これだけ体壊してんだ。
ひょろっひょろのお前があんなんやったら、10分もたねぇだろうよ…。当たりか?」

「……、5割正解、かもしれません」
「あ?」
「僕だって、今日のキミみたいな無茶はやりません。…2時間以上、休憩なしで挑むなんて」
「結局、捕まらないままどっか行っちまったけどな」

 最終的に、犬を捕まえることはできなかった。それは、山の中で道を見失ったわけじゃない。
犬は姿を眩ますが、すぐに姿を現して藍堂の目に見えるところに現れる。それも、目と鼻の先に。
追いかけさせて、目の前でわざと複雑な追わせ方をして、逃げる。だから山の中でも息が切れる。
…あの天敵の前から逃げる、餌食になる動物みたいな動き。相手の動きを拡散させる、あの動きにやられた。

「大体…、んだあのデッケー山犬は…。山を平野みたいに疾走しやがるわ、脚力もハンパねぇわ…。
普通飼い犬ってのはあーはならねぇだろ。…人をおちょくるみたいに逃げやがって。本当にお前んちの犬か」

「あの…、はい」
「何食ったらあんなデカくなんだ」
「…えと、…ドッグフードとか…、シカとか」
「あんなデケー犬、山で放し飼いにしてたら猟師に撃たれんだろ…。名前は?」

急にたどたどしく答え始めたアマ公に、藍堂が何気なくそう聞く。低い声なので、それだけで迫力が増す。
傍から見れば、長身で体格がよく、強面の藍堂に、貧弱で気弱な少年が絡まれているかカツアゲしているようにみえる。
ひそひそと噂話の聞こえる廊下で話す2人の光景はそれほど異様で、アマ公は不意をつかれたように瞬きした。

「えっ…?」
「名前だよ、犬の名前。太郎とか次郎とかあんだろうが」
「な、まえ……ですか…」
「あぁ?」

名前を聞かれた瞬間が、アマ公の一番つっかえ始めた場面だった。
眉をひそめる藍堂の顔を、焦ったように見つめたり逸らしたりした後、やっと絞り出した。

「…、イヌ」
「あ?」
「…イヌです」
「わかってんよ。だから名前」
「…イ、イヌ…です」
「は?」

眉をひそめた藍堂の眉間に谷が生まれる。そのまま沈黙が過ぎ去り、口を開けっ放しの藍堂が瞬きした。

「…犬の名前が、イヌ…?」
「……。」
「…マジかよ、ウケ狙う奴多いけど。…それは斜め上だわ。チワワにチワワってつけるようなもんだぞ…」
「…すいません…、今のが渾身です」



Re: 雨、降る日のバスケ ( No.24 )
日時: 2013/11/25 18:48
名前: 創魔 ID:gBtzJEE2


「……。」


 雨は、じっと森の中に耳を澄ましていた。今朝は、雨上がりの冷たい匂いがした。
早朝の3時。まだ森は闇に包まれ、明かりは何一つなく、暗がりに沈んでいる。山にも森にも気配はない。
人の気配がないことを確かめる。あの4ツ角をまっすぐ歩いてきた、鳥居の入口の岩の前。
そこで雨は、最後に人がいない事を確認して、狼になった。服が滑り落ちて、濡れた苔の上に落ちた。
咥えていつもの大岩の影に隠すと、軽く泥の斜面をはじいて山の中に駆け上がって行った。

『……。』

これが、雨の本当の至福の時間。本能に何もかも飲まれる麻薬のような時間。
狼になれば、人間だった時間のことなど忘れてしまう。静寂に耳を澄ませて、4つ脚で全力疾走する時間。
風がふだんの10倍のスピードで過ぎ去っていき、5mはある大岩も軽々と飛び越えられる。
体中のバネを使い、飛び上がる瞬間の自由。岩の上に着地した途端、弾けるようにさらに山を駆け上がった。
草や茂みの冷たい雫を弾き飛ばし、毛皮は森の匂いに染まっていく。灰斑色の狼は、野性に帰る。



 白い光が走り、雨は金の目を走らせた。兎が一頭、木の根の間に紛れていた。
そろり、と足音をそばだてる。狼の気配に気づいた兎が飛び出した瞬間、雨は行く手を大きな前足でふさいだ。
右へ、左へ、と縮こまった動きで逃げ惑う兎。それを、鋭い動体視力で反射的に右へ、左へ、と追い込む。
素早く飛び出した兎の行く先を追いかけ、山の中をどこまでも走り抜けた。強靭な後ろ足に蹴られた大地は、大きな力を雨に返してくる。
雨は兎をすぐには捕まえず、しばらくそうして敵を翻弄する兎を追い込んでいた。食い殺そうと思えば、何度でも牙は届く距離で。

同じ行為を繰り返しながら、山鳩、子イノシシ、ネズミ、と捕らえていく。
雨にとって、この山の全てが基礎練習だった。雨にしかできない、体力を養う方法。
しかしそれは、野性の中で育くまれるこの上ない興奮の中で行われる、自然で、至福の時間だった。
狼の反射神経や洞察力は、人間の数倍。脚力や体力は、山の中で雨を何十倍にも成長させた。


かさり、と音がして耳をそばだてる。蹄の泥臭い匂い。葉や木の皮を削り取る荒い音。
近くにシカの気配がした。雨は興奮した息を押さえ、暗闇に目を光らせた。勝手に足が、尾が、静まり返る。
ゆっくりと身を低くして、シカの匂いを確実に嗅ぎつけた。人の時では考えられない行為と、欲求。
耳を後ろに伏せて集中すると、牙が勝手にむき出される。突然の狼の吼え声と共に、雨は襲い掛かった。


 気が付けば、シカの悲鳴が一つ上がっていた。襲い掛かった先で、勢いをつけてがぶり、と急所に牙を立てる。
シカの全力疾走の勢いと共に、山の斜面を転がり落ちた雨は、傾斜に爪を立てて滑り落ち、雨飛沫を上げて止まった。
キバの中から赤い舌をのぞかせて、本能的に荒い息を繰り返す。山の地面に押さえつけた泥まみれのシカは、既に息絶えていた。
それらの獲物を引きずって、雨は山の頂上まで登った。引きずり上げた獲物に、ためらいもなく雨は近づく。
牙や口のまわりがちに染まっていることなど気にもせず、雨はシカに牙を突き立てて食べ始めた。
まだ温かい肉をむさぼり、苦みのある内臓を舐めとった。骨を噛み砕き、空腹の腹を満たしていく。

 この山には、タヌキもいる。キツネもいる。しかし、狼ほど明確な捕食者はいない。
雨は、この山の最強の生き物だった。そしてまた同時に、雨は人間だった。ふと街からクラクションの音がして、彼を我に返した。
気が付けば空は白んでいて、山頂からは雲海のような白い街が広がっていた。
静けさに包まれていた町が、車の音によって徐々に満たされ始める。闇に溶けていた自分の姿も、今や明確だ。
野性の姿で町を見下ろして、雨はその冷たい空気に身を浸して目を閉じ、耳を後ろに倒した。
気持ちが良かった。生きているという、心臓に地が巡る心地良さ。そして獲物をしとめた、欲求の充足。

 しかし同時に、雨は瞳を細めて街を見下ろす。徐々に興奮が収まっていき、雨は人の心を取り戻した。
今は空の明るさから、午前5時半。家に帰って、7:20には朝練が始まるから、学校へ行く。
時間を考えられるようになるのが、人に戻った合図だ。一気に気持ちは沈んでいき、落ち着いた。


「……。」

 雨は、迷っていた。雨は、半分人間。半分狼という生まれ方をして、この世にいた。
聞けば、祖父も同じだったという。そして祖父は、人間として生きる道を選んだ。狼の生き方を捨てて。
その証が、獣を銃で狩るという方法だった。狼なら、爪や牙で狩りをすればいい。それに、銃を使う。
それは狼の最も本質的な部分を捨て、人類の文明に頼るという選択だった。それが、祖父の覚悟だ。
父は狼の血を、なぜか受け継いで生まれては来なかった。母は人間で、父も人間。だから、狼の血は断たれたと思っていた。
けれども、その血は再び、孫の雨に現れたのだ。祖父は、ハイイロオオカミの血を継いでいた。雨もまた、そうだった。

けれども、人として生きるか、狼として生きるかの狭間で迷い、2つ両方の生き方を行ったり来たりしている。
昼間は人として高校生になり、家族と一緒に時間を過ごす。夜は危険なためで歩いてはいけないと言われ、
雨が狼として出歩くのは、誰にも姿を見られることのない早朝の、この3時間だけだった。
しかし、この3時間は雨にとって何にも代えがたい時間だった。自分が、ありのままでいられる時間。

 一度、狼として生きる道を決めようとしたことがある。だが、それはあまりにも過酷な選択だ。
自然で生きることは、この3時間に比べたら違い過ぎる。野性の厳しさ、自然の残酷さ、不条理。
そして狼という生き物が、この土地で暮らすことの難しさ。それが何よりも、雨の意思を阻んでいた。
生きられるのはこの山の中だけ。ちっぽけな、本当に小さな世界だ。一歩外に出れば住宅街、車や街。
絶対に足を踏み入れてはいけない場所がある。その2つの過酷さの中で、人並みの寿命を迎えるのは不可能だ。

それを思うと、雨の母親は、狼として生きることに反対していた。人として、幸せに生きて欲しいと。
雨が迷いに迷い、自分を見失っていたとき。小学4年生の時だった。父親が、誘ってくれたものがあった。

『雨…。バスケットボール、やってみたいか?』
『バスケットボール…?』

 父は、雨をプロのバスケットボールの試合に頻繁に連れ出すようになった。そして、一緒に楽しんだ。
しばらくすると、小学校のミニバスのクラブに入り、いつも練習するようになり、バスケの面白さにハマった。
仲間もでき、それまで狼の野生の生き方にばかり気を取られ、魅了されていた雨の目を逸らさせた。
やればやるほど強くなる。山にはない面白さがある。仲間が喜んでくれる。自分を見止めてくれる。
そんな面白さにのめり込んで、雨はどんどん強くなっていった。同時に、仲間といることが好きになった。
しかし…。

「……。」

 狼としての本能は、日増しに再び雨を山へと誘い出すようになった。人として生き、また山へも通った。
年を重ねるごとに、森への誘惑に勝つことが難しくなり、雨は以前にも増してバスケに打ち込むようになった。
まるで、山からの誘惑に逆らうように。山へ引かれればひかれるほど、憑りつかれたようにバスケに向かった。
野性と、バスケ。無秩序な自由と、規則だらけのルール。まるで対極の生活が、次第に雨の日常になって行った。

(気が付けば…、僕は全中大会で優勝していた…)

なぜバスケをやるのかと聞かれた。

なぜバスケが強いのかと聞かれた。

 バスケよりも好きなことがあるから、それを忘れるためにバスケを始めた。

逃げるために始めたバスケから、僕は逃げられなくなった。





 雨は狼の姿で瞳を細めると、さっと身を翻して山を下りた。獲物を咥え、鳥居の傍に戻った。
一歩、また一歩と下る階段。狼の前足が、ふとした瞬間に人のそれに戻って、静かに階段を下って行った。
家族と祖父へのお土産に(本当は家族はいらないのに、そうしたくて)持ち帰る獲物。家族ももはやそれに慣れてしまった。
服を着て、足に靴を履いて。布袋を抱いて山を見上げた雨は、完全に人になっていた。いつもの大人しい、ひかえめな少年に。

「……。」

ふと、鳥居の向こうに広がる道の向こう側に瞳を細める。彼は…、藍堂くんは今日は来なかった。
彼が山に来たとき、正直かなり動揺した。自分の秘密を、知られるかと思った。
けれど、雨はなぜか仮の嘘で彼に付き合い、自分の本性を曝してしまった。そんなことをする義理はなかったのに。
彼が、それを犬だと思い込み狼だと気が付かなかっただけでも助かった。自分は…、どうしてあんなことを。
藍堂のことを、改めてとんでもない人だ、と思った。自分の動きに、2時間ずっとついて離れなかった。
自分が狼の姿だったとしても、2時間ずっと山の中を駆け抜けるのは不可能だ。なのに彼は…、走り続けた。

雨が野性の獲物に対して取らせるあの俊敏で予測不能な動きを、自ら藍堂に示して見せた。
逃げる側になったのは、初めてだったと思う。藍堂の追い込むような、あの動きはバスケの産物そのものだ。
彼は山の中で、それを苦も無くやってのけた。彼は本当に、本物の天才だ。自分とはちがうことは、火を見るより明らか…。


「……。」

 雨は、布袋を抱えて服の泥を払い、家へと小走りに帰って行った。
誰も知らない、狼の秘密。バスケがなければ、きっと自分は狼になってしまうだろう。
だからバスケは、雨が人であるための最後の砦だった。