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日時: 2016/06/10 17:16
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:9QkiTM8w

 2012.3.3〜


短編
 >>023 「世界の森のアールリア」 (2009/5)
 >>027 「星空自転車」 (2009/7)
 >>058 「クライマックス・クライシス」 (2010/5)
 >>059 「彼らの英雄」 (2011)お題:あかり
 >>060 「空飛ぶ鳥は空を飛ぶ夢を見るか」(2012/3/24)一時間小説、書き出し指定「空を飛ぶ夢を見た。」
 >>061 「すべてきみといた空」(2012/5)「星空自転車」リライト
 >>062 「背教の子ら」(2012/8/15)お題:剣、出会い、宝物
 >>063 「遠くなっていく」(2012/8/22)一時間小説、ジャンル:恋愛、お題:早朝のカフェ、迷う、マヨネーズ
 >>064 「書いては消して、」(2012/8/24)一時間小説、ジャンル:恋愛、書簡体小説
 >>066 「ぐうたんはお兄ちゃん」(2012/10/16)一時間小説、お題:オンラインゲーム
 >>069 「三十秒間我が家喪失事件」(2013/1/6)
 >>092 「流れ星のスープ、わたしたちの魔法」(2013/5/15)お題:食事
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書いては消して、 ( No.64 )
   
日時: 2012/10/10 23:51
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:/eHP1Rig

 志田くん、中学一年のときからずっと好きでした。

 ◆

 恵那、俺は中三くらいだ。

 ◇

 志田くん、今日は一緒に帰れてうれしかった。毎日おばあちゃんのうちから通いたいなって思っちゃった。今度は手をつなげるといいなあ。だめかな?

 ◆

 恵那、俺もそう思ってた。

 ◇

 志田くん、デート楽しかったね。映画も遊園地も楽しかったけど、二人同時に待ち合わせ三十分前に来ちゃったのがいちばんおもしろかった。「待った?」って一緒に聞いちゃったね。私は昨日眠れなくて、ずっと今日のこと考えてた。志田くんは、ちゃんと寝た?

 ◆

 恵那、よく寝た。恵那の頭が名前忘れたけど映画にでてきた女と同じで笑った。

 ◇

 寛司くん、今日寛司くんが私のこと、船橋じゃなくて、恵那って呼んでくれてうれしかった。

 ◇

 寛司くん、泣いてごめんね。困らせてごめんね。ずっと一緒にいてってわがまま言ってごめんね。嫌になっちゃったよね。ごめんね。でも、会いたいよ。ずっと一緒にいたい。

 ◇

 志田寛司くん、結局一回も渡せなくて、今になりました。もし、寛司くんがこれを読んだら、よかったら、お返事書いてください。ちゃんと読むからね。

 ◆

 恵那、うまく返事書けなくてすまん。

 ◇

 寛司くん、私は元気でやっています。空の上はとても楽しいです。ううん、うそです。私が死んで、もしこの手紙が届いたら、悲しまなくなる? でも、そうしたら寛司くん、私のことなんか忘れちゃうよね。だからこの手紙だけは送らないって決めました。ずっと好きでした。また、会いたいです。また、
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退屈な魔女によるしあわせの見つけ方 ( No.65 )
   
日時: 2012/10/11 00:13
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:6FphVT5E

 部屋で反省してろ、ってパパに言われたから家出することにした。
 どうせ必要なものはいつだって魔法で呼びだせる。だからよけいなものは持たないで、体ひとつで出ていくことにした。
「どこに行くつもりだ、シュガー」
 部屋の戸をあけた瞬間、パパにみつかった。
「そろそろ仕事さがそうかなって思って」
 もちろん大嘘。だけどそれを聞いたパパは、そうか、と眉をあげた。
「それなら、まあ、いいだろう」
「でしょ? というわけで、あたしはここを出ていくから――」
「待ちなさい、シュガー」パパのとなりをすりぬけようとしたとたん、腕をつかまれる。「ちょうどいい仕事がある」
「パパがみつくろった仕事なんてやりたくないわ。あたしのことは、あたしがひとりで決めるんだからいちいち口出ししないでよ」
 どうせパパへきた依頼のうちのひとつにきまってる。パパは有名な魔女だから世界じゅうからいろんな依頼が舞いこむ。その中でパパがあんまりやりたくないようなやりがいがなくて、つまらない仕事を押しつけようとしてるんだろう、と思った。
「べつに引き受けなくてもいい。ただしそのときは外出を認めないし、勝手に部屋を出た罰として、今お前が着ている服を二度と復元できないように処分する」
「そんなの卑怯よ!」
 言ってみたところでパパにはかなわない。パパは一度言ったことは必ず遂行するし、それだけの実力がある。
「どうする? シュガー」
 パパが挑戦的な目で見つめてきた。
「……やればいいんでしょ、やれば」
 あたしに選択肢はあってないようなものだった。パパから詳しいことを聞いてすぐに家を出る。
 魔法を使えば世界のどんな場所にもすぐに行ける。依頼主キャロライン男爵とやらのお屋敷は貴族らしく、見上げるほどに大きかった。いったいいくつの部屋があるんだろう。門がきっちりと閉められていたから、魔法で通りぬける。こんなの楽勝。だけどなぜだか知らない男たちにまわりを囲まれた。みんな鍛えあげられたムキムキボディの大男だ。
「なんなのあんたたち」
「おまえこそ」大男のひとりが言った。「ふざけた格好したガキがここに何の用だ」
「あんたたちここのガードマンってやつ? だったらその汚いしゃべり方をやめたらどう。男爵さまの評判を落とすわよ」
 相手はふつうに拳で戦えば強そうだ。だけどあたしは拳でなんか戦わない。女の子だし、あたしには魔法があるもの。男たちが何か言おうとする前に、そいつらを一瞬で五歳くらいの子どもの姿に変えてやった。
「あたしよりガキなくせに、ガキなんて言うんじゃないわよ、ばーか」
 あたしが指を鳴らすと小さくなった男たちは頭からひっくりかえった。いい気味。そいつらをそのままにして屋敷の中に入る。外から見た以上に広い。家具はどれも高そうだ。高級品がどんなものかわからないから断言はできないけれど。
 依頼主がどんな人か知らないので、いちばん最初に見つけた人間をつかまえて聞いてみる。
「ねえ、そこのみっともないおじさん。キャロライン男爵を知らない?」
「はあ」あたしにつかまれた腕を見て、ぼろ雑巾みたいな初老の男はため息をついた。「わたしがそのキャロラインなんだが」
「あら、ぜんぜんそうは見えなかったわ」
 ぱっと手を放す。よく見れば着ているものは金のボタンとかフリルとかがついていて貴族っぽい。
「ちゃんと認識されたかったら、それっぽい格好をすることね。で、依頼のことなんだけど」
 男爵はあたしの頭からつまさきまでをなめるように見た。
「きみが魔法使いスパイスの娘なのかね?」
「魔法使いじゃないわ、魔女よ。男でも魔女」
「……では、きみはシュガーかね」
「そうよ。いいから早くエメラルドとやらをつれてきなさいよ。あたしはさっさと仕事を終わらせて自由になりたいの」
 ものいいたげな表情のまま男爵は、近くを通りかかった使用人らしき女を呼びとめ、あたしをエメラルドの部屋につれていくようにと命じた。
「この家の廊下って広いわね。ルーミって言ったっけ? あんたみたいに太ったひとが反対側からきてもつっかかることはなさそうだわ」
「……つまらない冗談はやめてください」
 冗談どころじゃなく太っているのに。廊下を曲がったり階段をのぼったりしているうちにエメラルドの部屋についたようだ。
「くれぐれもお嬢さまに失礼のないように」
「わかってるわよ。これで三度目」
 キッとあたしをにらんでから使用人は部屋の戸をノックした。「お嬢さま、お客さまがいらしております」
「ごめん。今は誰とも会いたくないんだ。悪いけど帰ってもらって」
 部屋の中から女の声が聞こえてきた。
「ふうん。娘が部屋にひきこもってるって本当だったのね」
 その娘をどうにかして部屋から出してほしいというのが男爵からの依頼だった。それならば何を迷うことがあるだろうか。
「いいかげんにしなさいよ」扉を通りぬける。「いつまでそんなことしてるつもり?」
 はっと息をのむ声がした。突然あらわれたあたしにおどろいたのか、黒髪の女は声が出せないようだった。みひらかれた瞳は鮮やかな緑色。
「あんたがエメラルド?」
 女がうなずく。
「安易な名前ね」
「でも、気に入ってる」エメラルドは言った。「きみは誰? 魔法を使ったってことは魔女だよね」なんだか男みたいな口調だった。
「そう、シュガーよ」
「そっか、かわいい名前だ」
 エメラルドはにっこりとほほ笑んだ。女にしてはずいぶん背が高い、となんとなく思う。もしかすると男爵より大きい。十八歳と聞いているけど、あたしが四年後エメラルドくらいの大きさになるのは、姿を魔法で変えないかぎり不可能だろう。
「かわいいのはあたりまえでしょ。ママがつけたんだから」
「シュガーのお母さまはすてきなひとなんだね」
「そうよ」
 ママのことをほめられるのは悪い気がしなかった。エメラルドが正しいのだ。村のひとたちはまちがっている。
「変わった服を着ているけど、それは?」
「これ?」あたしが水玉を指さすと、エメラルドはうなずいた。
「これはママが作ってくれたパジャマよ。かわいいでしょ」
「うん、とっても」
 こちらがつられてしまうくらいの笑顔。
「……あんた、どう見ても落ちこんでるようには見えないんだけど」
「私が落ちこんでる?」エメラルドは心当たりがないとばかりに首をかしげた。「いったい誰がそんなことを」
 パパに聞いた話と全然ちがう。なんらかのショックで部屋にひきこもるようになったとかなんとか男爵は言ったらしいって言ってたのに。
「あんたが落ちこんでて部屋から出られないって、あんたのパパから聞いたわよ。で、あたしはあんたをこの部屋からひきずりだしにきたの」
「こまったなあ」
 ここだけの話なんだけど、とエメラルドは声をひそめた。背後に隠していたものをかかげてみせる。白いシャツ。胸のあたりから金の糸がたれさがっている。
「刺繍? エメラルドがやったの?」
「うん。これをお父さまの誕生日に贈ろうと思っていたんだ。おどろかせたくて、誰にも知られないようにしていたんだけど……かえってみんなを心配させることになっちゃったみたいだなあ」
「まったく。ひとさわがせなんだから」
 一日やそこら部屋から出てこない娘を心配する親も親だ。親子そろって何をやっているんだか。
「そんなのさっさとすませて部屋から出なさいよ。べつに一瞬顔出すだけだっていいのよ。そうすればきっとあんたのパパも何も言わなくなるでしょ」
「できるだけ早く終わらせたいとは思ってる」
 こっちとしては親へのプレゼントなんてどうでもいい。黙って外に出てくれないかしらと思っていると、テーブルの上にひらかれたままの本を見つけた。シャツの刺繍の完成図らしき絵が描かれている。きっとエメラルドはこれを作りあげるつもりにちがいない。
「貸して」あたしが言うとエメラルドは目をまるくした。戸惑う彼女の手からシャツを奪いとる。「そんなのあたしにまかせれば一瞬で終わるのよ」
 待って、の声は聞かなかった。待ってほしいなら、力ずくで止めればいい。あたしが指を鳴らすと、シャツの胸元には絵とそっくりそのまま同じ刺繍が完成する。
「どう? これでいいでしょ。さ、部屋から出てくれない?」
「……ごめん、シュガー」
 せっかくきれいに仕上がったのに、エメラルドはあまりうれしそうではなかった。あたしがシャツを手渡すと、しばし刺繍を見つめて、それからこともあろうか糸を抜きはじめた。
「なにするのよ!」
「そういうことじゃないんだ。私がやらなきゃ、意味がないんだよ。みんなに迷惑かけてるってことはわかってるけど、でも、もう決めたことだから」
 石頭、とあたしは口の中でつぶやく。聞こえてないと思ったのに、「知ってる」とエメラルドは苦笑した。「よく言われるんだ。頑固だって」
「あたしは早く依頼どおりにあんたを部屋の外に出して、自由にならなきゃいけないのよ」
「うん。ごめんね。終わるまで待っててほしい」
 エメラルドの人のいいほほ笑みがなぜだか憎たらしい。
「それまで、お茶でもどうかな」


 *


 エメラルドは貴族のくせに裁縫がうまかったし、お茶をいれるのもうまかった。エメラルドのベッドの上に腰かけて、ストロベリー・ティを口にはこびながらあたしは彼女が針を動かすのを見ていた。おもしろいくらい手際がいい。流れるような手さばきと言うべきか。しかし三日かかっても完成しないのにはちょっと腹がたつ。魔法が使えないって、なんて不便なんだろう。
「エメラルド、まだ?」
「あと半分」
「昨日もそう言ったわ」
「うん。今ちょっとむずかしいところなんだ。ここさえ終われば、残りはちょっとだよ」
 エメラルドはあたしのほうを見向きもしない。しかたがないから、ベッドの脇の小机に置いてある焼き菓子に手をのばす。これはおかかえシェフが作ったらしいけど、味としてはまあまあっていうかんじ。
「ねえ、エメラルド」
「なに、シュガー」
「貴族が刺繍なんかしてたら変じゃない?」
「そうかな」エメラルドは手を休めない。「私は刺繍とか裁縫とか好きなんだけれど」
「あたしは嫌い。そんなの村のばかな女たちが、ばかでだまされやすい男に女らしさとやらを見せつけるためにやるものよ」
「……シュガーは故郷が嫌いなの?」
「だいっきらいよ」即答した。「あんなとこ、ぜったいに帰りたくない」
 あたしの村には魔女の一族ばかりが住んでいる。魔法が使えるのは魔女の血をひく者だけ、っていう厳しい世の中だ。血が絶対。魔法が絶対。だから魔女同士の純粋な血をひいて、魔法もすぐれているパパなんかは村でも崇められるわけだ。その反面、ただの人間や、ろくに魔法が使えない魔女に対するあつかいはひどい。あたしはそのどちらでもなかったけど。
「村のひととなにかあったの?」
「ま、嫉妬ってやつ? あたし魔法の才能はかなりあるから」
 そこまで言って、エメラルドがこちらを見つめていることに気づく。
「あいつらママの悪口言うのよ。でも、そのたびに痛い目に合わせてるから大丈夫。あいつらなんか、あたしにかないっこないもの。泣かせることくらい簡単よ」
「シュガー」
 なにか言いたそうな表情を浮かべたけれど、エメラルドは何も言わなかった。


 *


 眠れないの? とエメラルドにたずねられたから、「まあね」と答える。
「眠くなったら寝るから。あんたはいちいち気にしなくていいの」
 むりやり閉じていたまぶたをあげると、エメラルドと視線がぶつかった。「私も眠れないんだ」と彼女は言う。
 天蓋のついた大きなベッドのとなりに、魔法を使ってはこんだあたしの部屋のベッドをならべている。もちろん客のあたしがエメラルドのものに寝ていた。ふわふわのベッドの寝心地は最高で、ずっと寝ころがっていてもいいなんて思ってしまう。あたしのベッドに寝たエメラルドは不思議そうな顔をしていた。かたいとか小さいとか足がはみでるとか、そういったどうでもいいことが理由だと思うけれど。
 とにかく、あたしたちはとなりにならんで眠っている。
「あんたが起きてたって、あたしは寝るわよ」
「うん。いいよ」
 エメラルドは体をおこした。
「ねえ、シュガー。魔法ってどうやったら使えるの? ずっと気になっていたんだ」
「どうやったら、って」つまらない質問だ。「こうならないかな、って頭の中で思えばそうなるのよ」
「呪文とか魔法の杖はいらない?」
「おとぎ話の読みすぎね。そんなもの存在しないわよ」
「知らなかったなあ」そうつぶやくエメラルドはほんとうに感心しているみたいだった。そんなの、あたしの村じゃ常識――というかあたりまえのことなのに。
「特別な修業を積んだの? もしも私が魔法を使いたいと思ったら、使えるようになる?」
「無理。あんたは魔女じゃないんだから。あたしはそれなりに魔法の使い方は教わったけど、たいして苦労はしなかったわね。ま、これは才能によるんだけど」
「残念だ。魔法が使えたら楽しそうなのに」
 そうね、と言おうとしたけど、それはのどにつまって言葉にならなかった。
 魔法が使えたら楽しい――ほんとうに?
「べつに。便利だし、魔法がなくちゃ生きていけないけど」
 すこし考えてみたけれど、魔法を使って楽しいなんて思ったことは今まで一度もない。あたしには才能があるし、大人の魔女にだって負けないくらいに魔法を使えるし、魔法を使った喧嘩で一度も負けたことがない。それなのに。「ぜんぜん楽しいことなんてなかったわよ」
「前に故郷が嫌いだって言ってたけど、いつもつまらなかったの? でも、それはないよね」
 エメラルドはあたしの服を指ししめした。
「シュガーはお母さまのことを大切に思っているでしょう。お母さまのことは好きなんだよね?」
 そんなのきまりきったことだ。ねがえりをうって、エメラルドに背を向ける。答えはひとつに決まっているはずなのに、答えたくなかった。
「お父さまのことは好き?」
「……べつに。厳しいし、あたしがちょっと人泣かしたくらいで『部屋で反省してろ』って言うし。ああ、そうだ。向こうが悪いのに、そいつの家まで謝りに行こうとか言うママはちょっと嫌いだったわ」
 自分の悪口を言った相手に、必死で頭をさげたママ。わざわざ出かけて行ったらまたひどいことを言われるってわかっていたのに。あたしは絶対に謝ってなんかやるもんかって思ってた。だからかわりに、ママに嫌味を言った連中を魔法でぶっとばしてやった。
「ママね、ばかなの。悪口言われても、いつも笑顔なのよ。信じられないでしょ――ただの人間だから存在価値がないとか……もっと下品な悪口言われるのに、にこにこしてたのよ」
 言っている自分がつらくなる。どうしてママは笑っていられたんだろう。あたしには理解できない。
「それでいいんだと私は思うよ」エメラルドの答えはあいまいだった。
「お母さまは故郷にいるの?」
「……いないわ。四年前に死んじゃったもの」
 しばらくエメラルドは何も言わなかった。あたしも黙っていた。静かにしていると部屋の外の廊下を歩く足音なんかが聞こえてくる。かすかに人の話し声もする。愛してるだとか、あなたの好きにして、だとか。どうやら恋人たちがいちゃいちゃしはじめたらしい。こらえきれなくなって吹き出す。
「どうして、こんな場所でそんなばかなこと言ってるのよ」
「ごめんごめん。ルーミとヨアックはいつもああなんだ。本人たちは関係がまだばれてないと思ってるけど」
「ルーミ、ってあんなに太った女に男がいるの? ヨアックはガードマンのひとりだっけ?」
 肉だんごみたいな女と縦にも横にも大きい筋肉男が抱き合っている姿を想像したら、なんだかもういろんなつことがばかばかしくなってきた。
「ママね。顔はあたしそっくりですごくかわいいんだけど、あたしよりずっと不器用だったの。料理とか掃除とか裁縫とかもぜんぜんだめ。なのにあたしがパジャマほしいって言ったら、これ作ってくれたのよ」
 寝ころがったまま右腕を高くあげてみる。縫い目はがたがた。袖は肘くらいまでしかない。最初は手のひらまで隠れてしまうくらいぶかぶかだったのに。ルーミみたいに太っていたら、もう腕なんか通らないだろう。
「最初で最後のママの手作りだったわ」
「だから大切にしているんだね」
「これしかママのものはないもの」
 魔法をかけたからちょっとのことでは汚れないしやぶれない。魔法ですぐに洗ってかわかせる。だからあたしはいつもこれを着ていられる。
「シュガーが大好きなんがから、きっとすてきなひとだったんだなあ」
 背を向けていたからさだかではないけれど、エメラルドはきっとほほ笑んだにちがいない。空気がやわらかくなった。ママと互角かも、なんてことを考える。そうするうちにだんだんまぶたが重くなってくる。


 *


 シャツの刺繍が完成に近づいてきた。こころなしか、作業速度がはやくなっている。
「いそいでるの? 男爵の誕生日まであと一週間もあるんでしょ?」
「うん。でもはやく完成させたくて。どうしたの、シュガー。シュガーだって仕事をはやく終わらせたいんでしょう?」
「……そうだけど」
 エメラルドの言い方がなんだか気にくわなかった。エメラルドがこの部屋から出れば、あたしの仕事はおわり。この屋敷に滞在する理由はなくなる。
 はやく自由になりたい。そう思っていたはずなのに。
「このままシュガーをひきとめておくわけにもいかないからね」
 エメラルドは手元ばかりに気をとられて、あたしになんか見向きもしない。あたしはエメラルドがいれたストロベリー・ティをあおる。ここ数日で大好きになった味なのに、なぜだか今日はまったく味がしなくておいしくなかった。
「あんた、客に対して失礼よ」
 どういうこと、とエメラルドがようやく顔をあげた。
「どういうことって、きまってるでしょ」
「それじゃ言いたいことがわからないよ。……あ、ちょっとまって、袖から糸が出てる」
 あたしがそれを確認するまえに、エメラルドはあたしに近づいてきて、はさみで服から出ていた糸を切りとった。はっとする。反射的にエメラルドの手をふりはらった。
「……なにしてくれてんのよ!」
 不器用なママの生きていたしるしが、ひとつ消えてしまった。
 エメラルドは呆然として、自分の手を見る。「シュガー……?」
 ふざけんな、と思った。
「ごめん。……なんとかして直すから」
「そういう問題じゃないわ」
 やろうと思えば魔法でもとどおりにできる。だけど、そうしたら大切な何かがなくなってしまう。いや、もうそれは二度ともどってこない。こわれてしまったのだ、もう。
「……ほんとうに悪かった」
 エメラルドの顔が見たくなかった。いらいらする。限界だった。手にしていたカップを床になげつける。陶器がわれる音。それだけでは気持ちがおさまらなかった。
 誰かを泣かせるには、そいつの大切なものをこわしてやるのがいちばんだ。
 あたしは完成間近だった刺繍をシャツごと魔法で燃やす。エメラルドが緑の目をみひらいた。
「シュガー!」
 一瞬でシャツは黒いかたまりになる。刺繍糸が何色だったかなんてもうわからない。
「たしかに私が悪かったけど、やりすぎだよ。だれにでもこんなことばっかりしているの? それは、よくないことだ、シュガー」
 エメラルドは泣かなかった。静かに怒っていた。
「きみは、まちがってる。どうして自分がされたら嫌なことを、他のひとにするの? おかしいでしょう」
「うるさいわよ! 他の人間なんてあたしにはどうだっていいもの!」
 エメラルドと同じ部屋にいることが耐えられなくなって、あたしは部屋の扉をいきおいよく開けはなった。なにごとかとルーミが飛んでくる。
「シュガー!」
 エメラルドがあたしを追って、部屋の外に飛びだす。
「待って」
 待ってほしいなら、力ずくで止めればいい。
「……これであたしの仕事はおしまいでしょ」
 エメラルドとのかかわりもこれでおしまい。どこかに行ってしまいたい。魔法はあたしの願いを忠実にかなえてくれる。


 *


 なんにも楽しくない。ふとした瞬間にエメラルドの顔がちらついて腹立たしくなる。
 あたしに行き場はなくて、結局故郷にもどってきてしまった。集落からやや離れた森の木の枝の上で、なんとなくぼんやりしている。
 どうして今回だけ家出しようと思ったんだろう。大嫌いなのにこの村から離れられなかったのは、ここ以外の世界をなにも知らなかったから。それは今、なんとなくわかった。
「エメラルド・リア・キャロライン」
 ばか、と口の中だけでつぶやく。
 あんなふうに、まっすぐみつめられたことなんかなかった。パパ以外で、ママのことを悪く言わないひとなんていなかった。自分のやったことを後悔したことなんて、今まで一度もなかった。
 今ここにママがいたら、『一緒に謝りにいこう』って言うのだろうか。水玉をだきしめる。魔法を使ったってママは生きかえらないし、エメラルドにしたことをなかったことにすることなんてできない。魔法が使えても、やっぱり楽しくなかった。
 エメラルドのストロベリー・ティが無性に恋しかった。
 家に帰るとパパにおどろいたような顔をされた。
「一週間ももったのか」
 すぐに投げ出して帰ってくると思っていた、とパパは言う。
「……失礼ね」
「また別の仕事があるんだが、行くか?」
「行かない」即答する。
「今度はキャロライン男爵令嬢が失踪したらしいんだが」
「失踪?」
 どうして、という言葉がまっさきに浮かんだ。
「お前をさがしに家を飛び出したそうだ。心当たりはあるな、シュガー?」
「……そんなのパパが探しに行けばいいじゃない」
「行きなさい。シュガー」
「やだ」
 パパがため息をついた。
「じゃあ部屋で反省していろ。抜け出してどこかに行くんじゃないぞ」
「……行けばいいんでしょ、行けば」
 ほんとうは行きたかったくせに。なんてつまらないことを言わないパパは好きかもしれない。


 *


 あたしは天才だから思いどおりに魔法を使える。魔法でできることならなんでもできる。エメラルドを見つけることなんて朝飯前だ。エメラルドのところに行きたい。そう願うだけで、あたしは彼女のもとへ行ける。
 魔法で飛んだ先は、人気のない路地裏だった。お嬢さまにはそぐわない場所だ。うすぐらくて汚い道をうろつくエメラルドはやはり目立っていた。
 声なんてかけるものか。あたしはそしらぬふりをして、エメラルドが見つけてくれるのを待った。
「シュガー?」
 そう、こんなふうに。
 エメラルドは息をきらしてかけよってきた。「よかった。みつかった」彼女の顔に浮かぶのはほほ笑み。
「……エメラルド。あんたにあやまるわ」
 エメラルドが目をしばたたかせる。
 困ったな、と思う。あやまると言ったけれども、あたしはそのための言葉がなにか、知らなかった。ママはいつも頭をさげてなにか言っていた。いったいなんて言っていたのだろう。
「『ごめんなさい』でしょう?」
 エメラルドが苦笑する。
「……ごめんなさい」
 言ってから、なんだかどきどきしてきた。許してもらえるのだろうか。おそるおそるエメラルドの顔を見る。
「ええと、エメラルド……」
「シュガーは私のことを許してくれる?」
 エメラルドは首をすくめた。
「あんたが許してくれれば、なかったことにするわ……ええ。そうする」
 ママの形見は大切だけれども、べつに毎日を楽しくしてくれるわけじゃない。だから糸の一本やそこらを気にする理由なんてなかったのだ。
「うん。じゃあ、仲直りってやつだね。一緒に帰ろうか、シュガー。お父さまへの贈りものをもう一度作りたいんだ」
 エメラルドの笑顔がまぶしい。口元がゆるんでくる。
「あたしたち、はたから見たらおかしいわよね」
「そうだね」と、エメラルドがうなずく。
 あたしはパジャマで、エメラルドはやたら豪華なドレス。
「……でも、楽しいわ」


 *


 部屋で反省してろってパパに言われたから、「うん、わかった」って答える。
 ちなみに今日パパに怒られた理由は、近所のばかな女の浮気現場を恋人の男にみせつけてやって、それが修羅場につながったから。あたしは悪くない。
「今日は聞き分けがいいな」
「ええ。パパが部屋って言い出したらもうひとつのあたしの部屋に行くことになってるの」
「はあ?」疑わしげな視線を送られる。
「エメラルドが来てもいいって言うから」
 にっと歯を見せて、おもいっきり笑顔をつくる。ママやエメラルドの真似をして。笑うだけで、しあわせな気持ちになってきた。
「それじゃ、行ってきます」

 (おしまい)
メンテ
ぐうたんはお兄ちゃん ( No.66 )
   
日時: 2012/10/16 20:19
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:sbYPJpYU

 次に、里親募集中の文字が目に飛び込んできた。ショッピングモールの三階、小さな雑貨屋の陳列棚のすみっこに、みじめなぐうたんは座っていた。思わず近づいていくと、やめなよとゆう子に腕をひかれた。そんな汚いぬいぐるみどうするの、たった二百円しか安くならないじゃない、きれいなものを買ったほうがいいわ、そもそもあなたあれと同じものを持っているでしょう。
 ぐうたんはくたんとした顔でわたしを見ている。長い間店頭に置かれ、たくさんのお客さんの手垢で汚れてしまったぐうたんには、かわいいと言われながら抱かれ店を出ていくぬいぐるみのプライドなんてこれっぽっちも残っていなかった。プラスチックの目がなんだか泣いているように見えて泣きたくなった。わたしが買ってあげないと、もしかしたらこの子は捨てられてしまうかもしれない。思えばお兄ちゃんを買ったきっかけも、処分市で山と積まれた姿に出会ってしまったことだった。よくわからない機械でぐちゃぐちゃになるぐうたんたちを想像すると目の奥がつんと痛む。まだ幼かったわたしは山のなかから一匹だけしか助け出してあげられなかった。きっとあの山のぐうたんたちは、少なくとも一匹はぐちゃぐちゃに切り捨てられて燃やされてしまっただろう。悲しげな目をしたぐうたんたちみんなを買ってあげられなかった幼いわたしは、しばらくはずっとそのことばかり考えて悲しくなっていた。そのときの気持ちをまた思い出してしまった。今のわたしならためらうことなく財布から札束を出せる。ぐうたんの里親になることが贖罪になるのかもしれない。だけど、ゆう子の言うことが本当は正しい。今のわたしの部屋にぐうたんを置く場所はないし、それよりもわたしはべつにぐうたんを必要としていないのだ。ぜんぜんほしくなかった。
 もう行こうよ、ゆう子がいらいらしたように言う。それにわたしは救われた。よれよれで黒ずんだぐうたんから目をそむけ、踵をかえす。
「かなしいね」
 それだけわたしは言った。え、とゆう子が聞き返す。なんでもない、と弁解する気力はなかった。わかってもらうつもりはないけれど、わたしはかなしかった。ぐうたんをいらないと思ったわたしが嫌だった。ぐうたんはお兄ちゃんなのに。大好きだったものが、いらないものになってしまったのがかなしかった。
 お母さんはぐうたんを、昔にわたしが買ったぬいぐるみをイツキ、と呼ぶ。
 わたしが大学を卒業して家を出るとき、それまでのわたしの部屋で埃をかぶっていたぐうたんをお母さんは燃えるごみの袋に入れた。その瞬間にわたしはたぶん、心の中で助けて、と願った。買ったばかりのときはよく遊んだけれど、ここ数年はずっとほったらかしだった。本当はもういらない子なのだ。でもわたしが捨てたら、せっかくぐちゃぐちゃの刑から助けてあげたのに同じことになってしまう。ぐうたんを捨てたくなかった。だけどいらない。だからだれか助けてと思った。結局わたしは、ごみ袋のなかからぐうたんを出して、せめてもの償いとして浴槽できれいに洗い、庭に干したが、これは賭けで逃げだった。すべてをお母さんにゆだねた。捨てるならわたしのいないところで、わたしの出ていったあとにしてほしいと。久しぶりに実家に帰ったとき、わたしはやっぱりぐうたんのことを忘れていたから、お母さんがぐうたんをイツキだなんて呼んで、手製の服を着せかえたり、おままごとみたいにごはんを食べさせたりしていてびっくりした。いつの間にか、わたしの家ではぐうたんがお兄ちゃんになっていた。
 もちろん、お母さんはお兄ちゃん、本当のお兄ちゃんにごはんを作る。それはカップラーメンだったり、レンジで温めただけのチャーハンだったり、三食すべてお母さんの気合が入った手料理を食べている――正しく言えば食べさせてもらうふりをしているぐうたんのほうがよっぽど愛されていると、わたしはすぐに気がついた。父親はわたしが生まれてすぐ死んでしまったので、実家にはお母さんとお兄ちゃんしかいない。そして、お母さんの声だけが響くのだ。
 イツキ、おはよう。今日は何をして遊ぼうかしら。お母さんのなかではぐうたんがお兄ちゃんで、お兄ちゃんは生きている置物だ。お兄ちゃんは三歳という設定で、それはわたしがまだ生まれておらず、お父さんがまだ生きていた、お母さんにとってはしあわせの時の再現だ。いい年をしてぬいぐるみを息子だと思うおばさんなんておかしいけれど、わたしがいるときはいたって普通なのだ。ミツキがいるとやっぱり楽しいわ、イツキのことはね、もうあきらめたのよ。わたしと話しているときだけ、おかあさんはぐうたんを、イツキであるぐうたんを放り出す。ぐうたんはお兄ちゃんであって、わたしのいなくなったあとをうめる存在でもあるんだろう。生き物はぬいぐるみにかなわない。ぬいぐるみはおとなしくて、反抗もしないけれど、そのかわり意志がないから。犬や猫みたいに鳴くことができたら、虫でさえ動くことができるのにぐうたんは動かない。持ち主のほうからはたらきかけないと、ぬいぐるみは置物でしかなくて、わたしがしたみたいに忘れられてしまうのだ。ぬいぐるみをずっと大切にすることなんて簡単にできることではない、すごくすごく難しい。
 生きているお兄ちゃんは、命があるから動いている。トイレとたまに入るお風呂以外で部屋の外に出ることはない。ずっとパソコンの画面だけにらみつけていて、声を発しない。お兄ちゃんにはゲームをしたいという意志以外がなく、ゲームなんてどうでもいいお母さんとわたしからしたら、どうしようもなくお兄ちゃんはぐうたんなのだ。
 もし突然実家に強盗が入って、お兄ちゃんが殺されそうになったらお母さんは、わたしがぐうたんにしたみたいに、お兄ちゃんをかばうだろうけれど、きっとお兄ちゃんが殺されてしまったら胸の荷がおりたみたいに安心するんだろうなと思う。実家を出ることによってそのふたりから逃げたわたしは、雑貨店のぐうたんのせいで思い出してしまったけれど、そんなことなんて今の今まですっかり忘れていた。大好きだったはずなんだけどな。ぐうたんなんて滅びてしまえ、十年以上も同じぬいぐるみを作ってるんじゃねえよ、ばーか。ぐうたん工場に向かって毒づいたつもりだけど、これっぽっちもすがすがしくならなくて、生きることってつらいなと思った。
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三十秒間我が家喪失事件 ( No.69 )
   
日時: 2013/01/06 02:46
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:4TDVeJ2k

 あ、よその匂いだ、と洗ってもらったばかりのシャツに腕を通して気がついた。一年前までは毎日嗅いでいたのだから、まちがいなく親しんだ匂いであるにもかかわらず、物心ついたときからずっと使っていた同じメーカーの同じ洗剤はよそよそしかった。大学進学のために実家を離れて三年。半年前に帰省したときには違和感どころか、洗剤の匂いを気にかけることすらなかったはずなのに。
 真理子なんだろうなあ、とボタンをかけながら思う。彼女の部屋には、暇さえあれば押しかけていた。一人暮らし同士のカップルの半同棲など稀なことではない。真理子はよく洗濯機を回した。扉を開けると漂ってくる真理子の部屋の匂いは、彼女の使う洗剤と同じだった。がたんがたんと震える部屋にいるうちに、いつの間にか匂いまで染みついてしまって、真理子の部屋の匂いがうちの匂いになっていたのだ。しかし、真理子とは数日前にケンカ別れして、それきり。顔も見たくない。
 そうなると、実家の匂いも真理子の部屋の匂いもうちの匂いでなくなり、それを失ってしまったことになる。ああ、今おれは我が家を失ったのだな、おれの拠り所はなくなってしまったのだ、どうするんだおれ。シャツのボタンをすべてとめ終わって思い出す。借りている部屋に数か月分のごみをため込んでいたこと、帰省から戻ったらその部屋以外に行き場がないこと。ドアを開けたときに嗅ぐことになるだろうカビの匂いを想像して、それがうちの匂いになったら嫌だなと考え、帰ったら掃除をしようと心にかたく誓いズボンをはいた。
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流れ星のスープ、わたしたちの魔法 ( No.92 )
   
日時: 2013/07/19 16:21
名前: 茶野◆EtTblie50o ID:Vc21ppgk

「流れ星のスープ、わたしたちの魔法」



 おばあちゃんは魔女だというのに、流れ星スープをつくるときには魔法を使わない。
 庭の畑から収穫した野菜をひとつひとつ包丁で切って、お湯をいっぱいにわかした鍋のなかにそうっと入れる。野菜たちが鍋から転がり落ちないように、両手で包んで少しずつ、少しずつ。まな板からすべらせて直接放り込んでしまえばいいのに、魔法を使えばいいのに、おばあちゃんは時間の流れなど気にもとめず、のんびりとスープをつくる。
 おばあちゃんの流れ星スープを飲むとしあわせな一日を送れるのよ。そう教えてくれたのは、はす向かいのおばあちゃんだった。犬の散歩のついでにうちに来て、スープを飲んで帰っていくのが日課だった。はす向かいのおばあちゃんだってかなりの年なのに、おばあちゃんのことを「おばあちゃん」と呼ぶのは、おばあちゃんがとても長生きだからだ。わたしがあなたくらいのときも、おばあちゃんはおばあちゃんだったのよ。縁側に座ってスープを飲んでいた、はす向かいのおばあちゃんはもういない。おととしの冬、北風に乗ってあっけなく逝ってしまった。今では、おばあちゃんのスープを飲みに来る人はめっきり減ってしまった。常連さんは、子どもと同居することになってこの町を離れたり、病気で入院したり、亡くなったりして、いつのまにかいなくなった。
 何時間もかけてつくったスープを飲む人は、この町にはいないのかもしれない。かつてはすぐにからっぽになった鍋も、今はなみなみとスープが残っている。あまったスープをおばあちゃんは、昼ごはんと夕ごはん、それから次の日の朝ごはんに分けて飲む。それから年寄り猫のハナのお皿に。ハナはキャットフードや魚には見向きもせず、おばあちゃんの流れ星スープをぴちゃぴちゃなめる。わたしは、朝はトースト、昼は食べずに、夜はカップラーメン。両親が聞いたら怒りだしそうなものだけど、おばあちゃんは何も言わない。わたしが学校に行かなくても、スープを飲めなくても、おばあちゃんは怒ったことがない。にんじんは嫌い。こんなスープ、飲みたくない。たった一度だけ言ったことをおばあちゃんは覚えていて、若者はカップラーメンが大好きなのだとかんちがいして、毎日、わたしの前にはカップラーメンを置く。

 猫のハナは、おばあちゃんと同い年だという。手足はよぼよぼで、最近では歩くのもままならない。日のあたる場所で日向ぼっこをしていて、ごはんのときだけ体を起こす。わたしが近づいても、名前を呼んでも見向きもしない。スープを運んでくるおばあちゃんの足音だけには敏感で、おばあちゃんが来ると分かると甘えた声をあげる。おばあちゃんは魔女で、ハナはおばあちゃんの相棒だから、言葉がなくとも心は通じ合っているのかもしれなかった。
 少し前に、おばあちゃんが魔女だという噂を聞いてか、知らないおじさんが訪ねてきた。にやにや笑いを浮かべながら、おじさんは馬鹿にしたようなしゃべり方で言った。
「おばあちゃんは魔女なんだって? 魔女なら、ちょっと魔法を使ってみておくれよ」
 おばあちゃんに流れ星スープをすすめられると、おじさんは顔をしかめた。
「こないだ、煙草屋のぼうやにもすすめたんだってなあ。おばあちゃん、知らないおばあちゃんからもらったスープなんて怖くて飲めないよ。もう、いいかげんにやめたらどうだい。魔女とかいって、子どもをおどかそうとするのもよくないねえ」
 いつもはおとなしく寝ているハナが、唸り声をあげた。ハナを見て、おじさんはやれやれといったように帰って行った。もちろん、スープには手をつけずに。ハナはおじさんの気配が完全に消えるまで、唸るのをやめなかった。まるで、おばあちゃんを守っているようだった。おばあちゃんはおじさんについては何も触れず、ただ、いつものようにハナにスープを運んだ。ハナはおいしそうにスープを飲んでいた。
「魔法はあるのにね」
 わたしが言うと、おばあちゃんはほっほっほっと笑った。
「信じたいひとだけが、信じればいいんだよ、なにごとも」

 昔、まだわたしが両親と暮らしていたころ、おばあちゃんからぬいぐるみが送られてきたことがある。ピンクの毛糸で編んだくまのぬいぐるみだ。幼いわたしはその子が大好きで、いつも肌身離さず持っていたのだけれど、わたしをかばってぐちゃぐちゃになってしまった。おばあちゃんの魔法がわたしを守ってくれたんだと思っている。でも、おばあちゃんにぬいぐるみの話をしても「そうだったかねえ」と首をかしげるばかり。「あれは、もうつくり方を忘れてしまったんだよ」
 魔法の薬も、お札も、みんなつくり方を忘れてしまったんだという。おばあちゃんにたったひとつ残された魔法は流れ星スープだけ。どうしてスープに魔法をかけようと思ったの。かつておばあちゃんに聞いたことがある。
「ハナがスープを飲みたいって言ったからさ。それにねえ、スープならたくさんのひとにすこしずつ、魔法をかけてあげられるからねえ」
 いいことがひとつでもあれば、その日は楽しくなるだろう?
「にんじんが入ってなければいいのに」
「残念ねえ。おばあちゃん、にんじんがいちばん好きだから、入れないと始まらないんだよ」
 星の形をしたにんじんは、あざやかな色をしていてきれいだけど、食べるところを想像しただけで口の中が苦くなる。

 猫のハナが、とうとう動かなくなってしまった。
 今年初めて雪が積もった日の朝だった。おばあちゃんがスープを持って行っても、ハナはぴくりとも反応しなかった。おばあちゃんはハナの鼻先にスープのお皿を置いた。だけど依然として、ハナは動かないままだった。ハナは死んじゃったんだ。わたしには分かった。かなりの年だったからしかたがない。悲しみより先に、納得した。おばあちゃんは言った。
「これで店じまいだねえ」
 おばあちゃんと一緒にハナのお墓を庭につくった。
「もう、スープはつくらないの?」
「ああ」おばあちゃんはうなずく。「これが最後のスープだよ」
 トーストをかじりながら、おばあちゃんがスープを飲むのを見ていた。昼ごはんのときも。夕ごはんのときになって、カップラーメンを用意しようとするおばあちゃんをわたしは止めた。最後くらい飲んでみてもいいと思ったのだ。
「いただきます」
 最後のスープをおばあちゃんと一緒に飲んだ。カップラーメンにくらべるとものたりない、うすい塩味だった。にんじんはやっぱりおいしくなかった。最初のひとくちはやっとのことだった。カップラーメンのほうがおいしいに決まっている。でも、ほんのりと心があたたかくなって、視界が急に明るくなったような気がした。
 学校に行きたい。ふっと思った。勉強は楽しかったし、部活で汗を流すのも気持ちよかったし、なにより友達と一緒にいる時間がしあわせだった。両親もぬいぐるみもぐちゃぐちゃになってしまった、あの日からわたしの心は灰色に塗りつぶされていたのに。たった一杯のスープが一瞬にして、わたしの心を晴れやかにしてくれた。流れ星のスープは、ほんとうに魔法のスープだったのだ。
「最後に、カナコちゃんにしあわせの魔法が届いてよかったねえ」
 次の日、ハナのあとを追うように、おばあちゃんは息を引き取った。


  ★


 お母さんは魔女かもしれない。気づいたのは最近のこと。
「魔法ってほんとうにあるよね?」
「さあ。あると思えば、きっとあるんじゃないかしら。ヒナノが信じていれば、ね」
「じゃあ、きっとあるんだよ」
 いつもひとをいじめて楽しんでいる子とわたしがちがうところは、ごはんの時間だと思う。お母さんのつくる流れ星スープはおいしくて、食べるだけで笑顔になれる。おばあちゃん魔女をまねした秘密のスープなの、とお母さんは言う。それなら、きっとお母さんも魔女なんだ。わたしが言うと、お父さんが笑った。
「じゃあ、ヒナノも魔女になれるな」
 わたしも大きくなったら、こっそりお母さんのスープをまねしよう。わたしがスープ屋さんをひらいたら、もっと多くの人がしあわせになれるかもしれない。そのなかに、家でまねしてスープをつくる人がいるかもしれない。そうしたら、もっともっと魔法は広がっていくのかも。そうなったら楽しいなあ。
「いただきます」
 きっと、魔法は続いていく。ずっと、ずっと。



  〈了〉
メンテ

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