王語り ( No.3 )
日時: 2012/01/19 18:52
名前: 鈴一 ID:OSGnTAXg

 王はただ、前を見ていた。
 特注の、様々な宝石と意匠を凝らしたシャンデリア。美しい金色の刺繍の入った、滑らかな真白い絹のカーテン。豪華な大理石の大机と、それを彩る、細やかな細工を施された銀食器の上の、宝石とも見紛う絢爛豪華な料理の数々。

 そのどれにも目もくれず、王はただ、前を見ていた。

「食べぬのか?ジャンヌ」

 豊かな口髭を揺らして、王は言う。左手のフォークを、手近な果物に突き刺して。

「こんなに美味いのに」

 真っ赤な林檎。その皮を剥きもせず、大口を開けてかじりつく。黒い口腔から、金色の歯が覗いた。

「毒が盛ってあるといけませんから」

 ジャンヌ、と呼ばれた少女は、ニコリともせず言う。王と同じく、ただ前だけを見つめて。
 肩口で切り揃えられた、真っ直ぐな金髪。蒼く澄んだ双眸。白く、ふっくらとした顔に浮かべた、意志の強そうなその表情は、身に纏う煌びやかなドレスとは見事なまでにアンバランスで、

「既に自室で、食事は済ませています。信頼できる者に作らせた料理で」

 その見た目に違わぬ、強い意志の籠った声。
 ふむ、と王は一つ咳払い。次いで、テーブルの上のベルを二度鳴らす。

「――ダグラス」

 声に応じ、すぐに初老の執事長が出てきた。幾人かの、みすぼらしい姿をした従者を従えて。

「毒見させろ」

 命令は、ただそれだけ。言われるがまま、従者の一人が、ジャンヌの目の前のそれに手を付ける。
 鴨肉のロースト。その肉にスッとナイフを入れ、一切れ、ゆっくりと口に運び、機械的に飲み込む。

 と、

「――がふっ!?」

 飲み込んだとほぼ同時、従者は背を丸めて蹲る。口元に当てた手の間から、得体のしれない金色の液体が零れ、床に落ちたそれはジュウと音を立て、絨毯を焦がした。

「医者を――」

 動き出そうとした執事長は、しかし、

「無駄だ」

 王の言葉に止められる。

「随分と即効性の強い毒薬じゃないか。……体液を強酸性に変えられたのか? 確か東の国、シンディアで、そのような薬が開発さえれたと聞くな」

 言って、興味をなくしたように今も蹲る従者から目を離し、

「鴨肉のロースト、お前の好物じゃないか。――命拾いしたな」

 再び食事に取り掛かる。ワインを少し傾け、サラダにたっぷりとソースをかけて。

「父上しか知らない好物ですが」

 強い目で王を見据えたまま、ジャンヌは言った。

「――いつまでこのような事を続けるおつもりか」

「このような事、とは?」

 惚けた風に言う言葉は、しかし、

「無為に国を傾け、民を苦しめる事を、です」

 強い声に弾かれる。けれど、

「国は王だよ、ジャンヌ」

 キィン、と、スプーンで手近な皿を鳴らし、王は言った。

「なれば、いつか国は滅ぶぞ。無能な王の時代に、何をしようと、何もせずとも。古今東西、滅ばなかった国などない」

 しかし、ならば、

「勝ち続けている限りは、滅ばぬだろう?」

 サク、と音を立て、メインのステーキにナイフを突き立てて。
 その目は、前を向いたまま。

「……本気で、そのような事を仰せですか?」

 少しだけ、震える声でジャンヌは言った。

「儂は王ぞ」

 少しの震えもなく、王は言った。

「――わかりました」

 ならば、

「お別れです、父上」

 ああ。

「それこそ、わが望み、だ」

 何故なら、

「――その名は、そのためにつけたのだから、な」

               ******

 王だった者はただ、前を見ていた。
 錆色の格子の入った、簡素な造りの明かり取り。血とも体液ともつかぬ何かが浸み込んだ、小汚い毛布。所々毛羽だった、木製の古い机と、くすんだ鉛色をした食器の上の、一切れのパンとミルク。

 そのどれにも目もくれず、王だった者はただ、前を見ていた。

「殺さぬのか?ジャンヌ」

 自らの血や、体液で固まった口髭をいじりながら、王は言う。

「既に、吹けば飛ぶような命だというに」

「まだ、処刑の時まで数刻ありますから」

 表情を変えず、ジャンヌは言う。王だった者と同じく、ただ前だけを見つめて。
 銀色の、しかし、所々汚れてくすんだ鎧。確かな年月を重ねた、腰に下げた武骨な鉄製の剣。目はあの時のまま、強く、短かった髪は、今は背の中ほどまでに達していた。

「――私自ら、あなたの首を刎ねます」

 少しの震えもなく、ジャンヌは言った。

「それでいい」

 掠れ、しかし満足気に王だった者は言った。

「言い残す言葉は?」

 は、と短く鼻を鳴らして、

「言葉など」

 少しの間。珍しく、少し迷う風に。

「無力、だよ」

 絞り出すように、ただ前を見つめて、王だった者は言った。

「お前こそ、父に言い残した言葉はないか?」

 父。その言葉が、少しだけ懐かしくもあり、けれど、

「――あなたは王であった」

 振り払うように、ジャンヌは言った。精一杯の敬意を込めて。

「如何に傾こうと決して諦めず、国を支えようとしたあなたは、方法こそ違えど王であった。今は、そのように思います」

 けれど、

「国は人です、父上」

 だから、

「誰か一人が国であるなど、あってはいけないのです」

 そうだった、のであろうな。

「返してください、とでも言われると思ったわ」

 いいえ。

「二度と帰らぬものです。」

 そして、

「返してくれと、そう言えぬものです。だから、あなたを許しはしない」

 だから、

「――お別れです、王だった者よ」

 ああ

「それこそ、わが望み、だ」

 何故なら、

「その名は、そのためにつけたのだから、な」

 言って、王は静かに目を閉じた。