第四回短編小説コンテスト 最優秀作品

写し屋ノエル かに


 ノエルは「写し屋」の通り名を持っていた。職業は写字生、修道院を改築した出版社に勤めており、小説や詩歌などの写本をしていた。
「君、クビね」
 編集長から急な呼び出しがあったかと思うと退社を告知させられた。当の本人は納得いかず「どうしてですか」と反抗する。退社させられる理由なんてないはずだ。落ち度はなかったと自信を持って言い張れる。
「あ あー、君のせいじゃないよ。印刷術の発展だね。今朝、新しい機械が入荷されて、君よりも早くて綺麗な字が写せるんだ。しかもコストも安い! とはいえ、君 は有能だからこのまま捨て置くわけにもいかない。新しい仕事を紹介するから、そこに行ってみるといいよ。君ならきっと喜ぶぞ」
 そう言って編集長は一枚のメモをノエルに渡した。住所と名前が書かれている。その字面を見てノエルは驚く。
「編集長! 次の仕事って……!」
「私からの退職祝いだ。上手くやっていけよ」
「ありがとうございます!」
 お世話になった編集長にノエルは深くお辞儀した。すると編集長はノエルの頭を右手で受け止め、
「おいおい、ヅラが落ちるぞ」
「すみません」
「彼女には内緒にしてあるから、今度こそはバレるなよ」
 ノエルは慌てて茶髪のカツラを直し、出版社をあとにした。外に出てタクシーを拾うと、書いてある住所のとおりに運転手に指示をする。間違いはないだろうなと、もう一度メモを確認する。
 エピカ・フィスモ。若手の売れっ子作家だった。しかし一年前に突然の引退宣言、文学界から姿を消した。事情は公にされておらず、ファンだったノエルさえも引退理由がわからない。しかし編集長は知っているようで「会えばわかる」と別れ際に言い置いていた。
 着いた場所は洋館だった。赤レンガの壁にはツタが寄生するかのように随所に張り巡らされている。それでも無精な印象はなく、所々に咲いている小花が可愛らしい。前庭の草花も丁寧に手入れされている。
 ノエルはドア横のチャイムを鳴らした。すぐにドアは開き、中から人が現れた。
「こんにちは、ノエルさまですね。どうぞお入りください」
  エプロン姿の中年女性が人好きしそうな顔で笑んだ。エピカの使用人だろう。両手には白い手袋をはめており、左手のほうが右手よりも若干大きいように見え る。ノエルは二階の空き部屋に案内され、室内をざっと見渡した。最低限の家具は揃っているようで寝泊りするには十分だ。コンセントの指し口も部屋の隅にあ ることを確認。
「こちらがあなたのプライベートルームになります。鍵は開けておりますので、自由に出入りできますよ」
「わかりました。ありがとうございます。それで、えっと、あの、彼女は……」
 部屋に荷物を置きながら言いにくそうに目を泳がせる。その様子を見取ってか、使用人の中年女性は「ああ」と本題を切り出した。
「エピカさまですね。ご案内いたしますよ。お仕事の内容もすぐにわかるかと思います」
 物腰柔らかく言い放ちながら、使用人は二階の廊下の突き当りまで先立って歩いた。エピカの部屋の前。ドアは他と比べて一回り大きく両開きになっている。ノエルは緊張した。憧れの作家と対面できるなんて。どんな人だろう。
「エピカさま。ノエルさまを連れてきました」
「いいわ、入って」
「失礼します」
 ドアを押してノエルは部屋に踏み込んだ。そこで思考は一瞬停止、部屋を間違えたかと踵を返そうとしたところ、
「こら、逃げるな! ここでいいのよ」
 キャミソール姿でベッドに寝転がっていた少女は焦点の定まらない瞳を細めた。客人がいるというのになんとも無防備な格好か。しかも壁は蛍光ピンク、目に痛くて見ていられない。肩に掛かる髪もピンクだ。染めているのだろうか。
 ノエルの眉間に小さなシワが寄った。そんな胸中を知らず、エピカは葉巻を吹かしながら本を開いていた。

 若いとは聞いていたが、まさか十代とは思わなかった。エピカが作家デビューしたのは十五歳で、引退したのは十七歳。それから一年経っているからつまりはまだティーンエイジャー。気難しいお年頃である。
「あたしさ、目が見えないのよ。ちょっとは見えるんだけど、ほとんど見えない。だからあんたがあたしの代わりに書いてほしいの」
 それが仕事内容だった。エピカの突然の引退は弱視によるものだった。それゆえに執筆ができないという。だから写し屋のノエルが、エピカの「手」となるべく働くように雇われたわけだ。
「なるほど。そういうことだったんですね。だけど手術すれば治りますよ。見えなくなった眼球を抜いて、代わりにカメラを仕込んでおけば」
「嫌よ、そんな気持ち悪いの! 手術するくらいなら見えないほうがまだいいわ。それにね、あたしは今の状態を結構気に入ってるのよ」
「気に入ってるって?」
「そ うよ。見えないと逆に想像するのが楽しいのよね。あたしは本を読んでいるけど文字は読めない。だからこれがどんな物語なのかは想像して読んでいるの。読み 終えたらまた読み返す。すると今度は内容が変わって違う物語が楽しめる。この一冊だけで何千回もの小説が読めるの! いいと思わない?」
 エピカはページをめくりながら欠けた歯を見せて笑った。ノエルには想像のつかない世界だ。それゆえにエピカの書いた小説が好きなんだなと彼は思う。何千回も話が作れる想像力がうらやましい。
「そ うそう。仕事だけど、あたしは口頭で物語を話すから、あんたはそれを文章に起こして小説を書いてね。だけどね、あたしの言葉をそっくりそのまま写しては駄 目。それは小説と呼べないわ。話し言葉と書き言葉は違うものよ。だからあんたはあたしの言葉を小説に変えて書きなさい」
 難しい注文だった。話し 言葉を書き言葉に変換して書け。写字生として十年間ほど勤めていたノエルにとっては、書き言葉を書き言葉に写すことは簡単だ。一字一句間違えずに、聖書二 十冊をたった一日で書き写した記録もある。早さと正確さには自信があり、過去二回、裁判所で速記のアルバイトをしたこともあるから会話を文字に丸写しする こともできる。
 だが、今回の仕事は今までにない試みだった。声を元に小説を書く。文章を自分で練り直していく必要がある。
 黙考中のノエルを横目に、エピカはさらに畳み掛けるように注文を加える。
「小説を書くときはあたしの文体とわかるようにしなさい。あんたは飽くまで影武者なのよ、いいね」
 果たして給料はいくらになるだろうか――、そんな懸念よりも、ノエルの胸中には好奇心が膨らんだ。
 エピカ・フィスモが一年ぶりに復活する。しかもその新作に自分の文章が関われる。これほど嬉しいことがあるだろうか。
 そしてノエルは能力の限界を試したくなった。「写し屋」としての新たな挑戦。エピカの頭に作られている小説を読み取り写すこと。印刷機器にはできない作業。
「面白そうですね。その仕事、私にやらせてください」
「できなかったらクビにするわよ」
 二人は互いに微笑みあった。

「世界が暗黒に包まれました。魔王が復活したらしくて、最果ての地の魔界ゲートから魔物がうじゃうじゃ。人々は魔物と戦ってますが、魔物は次から次へと魔界ゲートから出てくるばかり。倒しても倒してもキリがありません」
 世界が暗黒に包まれた。魔王の復活。最果ての地に封印されたゲートは開かれ、異形の魔物が地上界に襲い掛かる。国々は軍隊を作り、人々は武器を手にし、降りかかる災厄に立ち向かうが、魔物はゲートから溢れるばかり。倒しても倒しても魔物の数は一向に減らない。
「人々はやがて疲れました。こんな地獄を見るなら地上を魔物に明け渡してもいいやー、もう知らない、倒すのめんどい、と諦めかけていたところ、一人の若者が伝説の書物を持って言いました」
 やがて人々は疲弊した。悪夢にうなされるようになり、魔物と戦う日々から解放されたかった。人々は諦めかけていた。すると一人の若者が現れ、伝説の書物を手に持って言った。
「魔界ゲートを閉じるには魔王を倒すしか方法がない。魔王は勇者の剣でのみ倒せるのだ!」
『魔界ゲートを閉じるには魔王を倒すしか方法がない。魔王は勇者の剣でのみ倒せるのだ!』
「そしてその勇者に選ばれた人間はなんと、九十歳の老人だった!」
「なんだって! 九十の老人!」
「ちょっとノエル、手を止めないでよ。ちゃんと仕事してよね」
「あ、はい。すみません」

 世界観はありきたりな勇者と魔王のファンタジーなのに、エピカの作る話はどこか焦点がズレている。それが彼女の独創性で人気の理由だ。ノエルはこういったエピカの作風が好きだった。
 勇者が九十歳の老人と聞いて突っ込まずにはいられなかった。そんな弱々しい勇者で魔王をどうやって倒すのだろうか。旅はおつむをしながらだろうか。仲間はきっと大変だろうなあ。
「仕事中は黙ってよね。気が散るじゃないの」
 叱られてしまった。ノエルは反省して、今度からは喋らないように心掛ける。
 仕事は思ったより順調だった。文体を指定してくれたのがありがたい。エピカの小説を以前にも写本していた経験があり、文章のパターンは覚えている。記号の使い方、書き方の癖など。
 一区切りつくと、ノエルは自分の書いた文章を読み上げた。エピカは目を閉じながら確認。満足そうに微笑んでいる。
「いいじゃないの。さすが写し屋ね」
 ベッドにうつ伏せになりながら、エピカは葉巻を口にくわえた。枕の下からライターを取り出し、指で形を捉えてから点火する。葉巻に熱が移る瞬間、エピカは眩しそうに目を細めた。炎は見えているのだろう。
「ノエル、こっち来て。ベッドに座って」
 手招きされて、そろそろとベッドに腰を掛ける。するとエピカはノエルの背中に移動して、後ろから顔を触りはじめた。突然の奇怪な行為にノエルは硬直。鼻をつままれ唇を指でなぞられている。
「顔はまあ普通かな。どこにでもいそうな感じ。えーと、髪型は」
「さ、触るな! やめてください!」
  エピカの手を強く振り払ってベッドから立ち上がった。カツラが少し右寄りになったが盲目のエピカには見えないだろう。エピカは口を半開きにし、葉巻をシー ツに落としている。先端の炎が小さく焦げ目を作っているう。エピカの瞳が潤いを見せた。ノエルはバツが悪そうに戸惑う。
「ごめん」
 謝った。カツラを元の鞘に戻すと落ちていた葉巻を拾い上げ、枕元の灰皿へと押しつけた。炎が消える。
「変なの」
 不機嫌そうにエピカは口を尖らせる。ノエルの容姿を単に知りたいだけだったのだが、あれほど嫌がられるとは思わなかったろう。しかしすぐに持ち直して「さ、続きね」と、ノエルに仕事机に戻るようにと言いつけた。エピカはもうノエルの頭を触ろうとはしなかった。

 それからは何事もなく阿吽の呼吸で進ませていた。時折エピカに「文が型にはまってるよ、もっとはっちゃけなさい!」と怒られもしたが、大抵は納得のいく出来らしくペンは勢いよく紙を走った。
 エピカの物語は面白かった。新作も当たりだとノエルは思う。自分もこんな風に物語を綴りたいと思っている。作りたいと思いはじめる。
「私だけの小説を書きたい」
 日に日にその願望は膨らむようになっていった。仕事を終えて夕飯も済ませたあと、ノエルは屋敷の一階にある図書室に入った。中はそれほど広くはないが、本の数が半端ない。書棚の高さは天井に届くほどだ。
 通路を奥に進むと小さな机が壁際にあった。ノエルはここで小説を書こうと目星をつける。持ってきたペンと原稿用紙を机に広げ、さっそく執筆に取り掛かろうとした。
 さて、何を書こう。
 思いつかない。出鼻を挫かれた。ペンを持ったまま固まった。ノエルは思い悩む。
「どうしよう。私は何て書けばいいんだ? エピカは話をどうやって生み出したんだ? こんな何もないところで」
 オリジナルの小説を書くなら原作は自分でなければならない。元になる情報がないのはこれほど心細いものか。
 結局一文字も書けぬままに次の日の朝を迎えた。

「どうしたの、ノエル? 遅れてるよ?」
 ペンと紙の摩擦音がいつもに比べて遅いことを、エピカは目ざとく指摘した。ノエルは左手で後頭部をさすりながら、「ちょっと充電が」と言いかけてやめる。
「寝不足?」
「そんなところです」
 ノエルが苦笑いをすると、エピカが親切にも、
「じゃあさ、今日はこれで切り上げようよ。あんた疲れているんでしょ? あ、そうだ。今週末に演劇でも観に行かない? 気分転換に」
 心なしかエピカの頬が紅く染まっているように見えた。蛍光ピンクの壁の反射のせいかもしれない。彼女がこの色を好むのはピンクが見えるからなのだろう。
 ノエルはありがたくエピカの誘いを受け取った。そして今晩は小説を書かずに自室のベッドに身を沈めた。首筋に電気を通すのを忘れずに。
 目を閉じて眠りに入ったころ、ドアが開いた気配がした。ような気がした。

「おはようございます、ノエルさま。どうぞ召し上がってください」
 ダイニングの食卓には二人分用意してある。ノエルとエピカの朝食だ。いつもならここで使用人はエピカの朝食を持って二階に行くが、なぜか今日はドアの前に立ち尽くしたままノエルをじっと見つめている。睨んでいる。左手の手袋を右手で掴みながら。
「ノエルさま。失礼ながらにあなたの正体を拝見しました。改造者だったとは。しかしわたくしとは異なる存在」
 使用人は左手にはめてあった手袋を外した。現れたのは銀製の義手。指を閉じたり開いたりして融合率を確認している。座したノエルの背後に近づき、左手の義手でカツラを掴んで振り払った。
 ノエルは観念したようだった。
「おかしいと思いましたわ。あなたの写術は人間離れしている。あのエピカさまがあなたを褒めているんですもの。しかし知能が機械であればその能力も納得できる。あなたは人間の皮を被った機械ですわ。わたくしとは違う!」
 左手を構えて、剥き出しになったノエルの銀の頭皮を掴む。圧迫されて人工脳がミシミシと軋む音と立てる。ノエルは呻き声を上げる。
「私を、殺すのか?」
「い いえ。殺したら、わたくしの人生までもが終わってしまう。昨日の晩も電源を抜いて殺そうかと思いましたわ。けれどもあなたには人権がある。殺人罪で逮捕さ れるのは目に見えてますもの。だからわたくしはあなたを呪うことしかできない。車にでもひかれてしまえばいいですね、と」
 憎しみを込めながら使用人は言い放った。彼女がなぜノエルをこれほど憎むのか、知識はあるが理解しかねる。
 体の一部を機械に替えた人間――「改造者」。使用人は左手に、ノエルは頭脳に。改造者の大半は事故や病気で損傷した部位を取り替えられるが、ごく稀に肉体強化のために自ら進んで改造者になる人間もいるという。
 ノエルは八歳で脳死した。両親は嘆き悲しみ、大金を医者に注いで人工脳を作らせた。生前のノエルの記憶をインプットして。
  移植は成功し、無事に生き返ったノエルを最初は家族は歓迎した。しかし共に暮らしていくうちにノエルに対する不信感と違和感が芽生え、虐待をはじめる。父 も母も兄も弟も飼っていた犬でさえも。我慢の限界に達したノエルは家を飛び出し教会へと駆け込んだ。神父はノエルの存在を受け入れ、教会に住まわせる代わ りに聖書の写本を手伝わせた。それが能力の発現である。写し屋の才能を見出せたノエルは、出版社へ面接に行き写字生の仕事を得ることができた。職場では秘 密を隠し通そうとしたがなぜか編集長にはバレていた。それでもノエルの能力を高く評価して十年間も雇ってくれた。最新の印刷機器には敵わなかったが、クビ にされても代わりの仕事を持ち込んでくれた。
 一方で、人工脳に異議を唱える者もいる。脳は人間そのものであり、機械に取って替われるのは許されないと。国は人工脳を認めているが、この法律を批判する勢力も少なくない。また、エピカの使用人はノエルが自分と同じ「改造者」と一括りに呼ばれるのが許せないらしい。
 使用人は手を離した。薄く微笑みを浮かべると、エピカの朝食を持って階段を上がった。取り残されたノエルは椅子に座りながら震えてる。首筋にある電源の指し口、頭頂部の機械カバー。開けば無数のチップとコードが頭蓋骨に収められている。
 ノエルは気づいた。小説を自力で生み出せなかった理由。
「私は人間ではないからだ。ノエルという死者をコピーしただけの機械。生前のノエルの情報を写し、ノエルを演じていただけなんだ。情報がなければ何もできない。ゼロから話を生み出すなんて私には不可能だった」
 写し屋は写すことしかできなかった。用意された朝食には手をつけず、床に落ちた茶髪のカツラをゴミ箱へと投げつけた。が、外れた。


(了)

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