第二回短編小説コンテスト 最優秀作品

祭の王様  いちえ

 僕は祭のなかにあるあのエネルギーというのかパワーというのか、いやむしろそんな事よりもただ単純に祭の会場に流れるあの空気自体が好きだった。
 少し怖いおじさんが焼いている焼きそばの匂いも、腹の底に響く大きな太鼓と花火の調べも、りんご飴の涼しい色も、会場になっている神社のひっそりとした静寂も大好きだったし、お面をかぶる事でいつもの自分を隠して歩く新鮮な気持ちも祭じゃなければ出来ない事だった。
 僕の中で祭はエンターテイメント以上の意味をなしていたのかもしれない。
 でもそんな僕が祭という単語を聴いて最初に思い出すものはたこ焼きでも輪投げでも金魚救いでもない『王様』だった。
 王様というのは王様である。祭の王様、王様であってそれ以上でもそれ以下でもないイコールで王様。
 僕は彼にであった事で陰鬱だった祭への気持ちも逆になったし、下手だった射撃も随分と上達した。スーパーボールすくいだったら、王様に引けを取らない自信すらあるくらいだ。
 王様は唐突に僕の前に現れて、僕の中身を全部入れ替えてくれたんだと思う。
 僕が王様に出会ったのは少し前の話、確か十歳の頃だ。
       ☆☆☆
 神社と言えばこの辺りでは最も大きな神社で、勿論の事年に一度の祭もこの辺りで一番大きく盛大である。
 大きな川沿いに短い参道の入り口があるので屋台は殆どその道にまででばっていて、神社までの道が一つの商店街の様に延々と続いていた。しかし実際は三、四百メートルくらいのものらしいのだが、何せ人混みでは歩くような早さともいかないので一キロくらいあるんじゃないかという錯覚に陥るほどだった。
 僕はこの祭に両親と三人でやってきていたのだが、いかんせん人混みは本当に危ないと思う。人混みは人を喰う怪物ではないのか。僕もとうとうこの怪物の餌にされてしまったではないか。だとするならば早急な逃走が必要だが、あいにく僕には目的地も両親の行方も人混みの中に潜り込むと言う勇気も持ち合わせがなかった。
 以前デパートで子羊になったときはサービスセンターなるところへ行けば母さんがすぐにやってきてくれたのだが、流石に祭の会場にはサービスセンターはないだろう。探せば地元の警察やこの祭を組織している組合の本部なんかはあるのだろうが、当てずっぽうでたどり着けるほどこの会場は十歳の僕に取って狭くないのだ。
 少し開けた広場の隅で僕はうつむいていた。周りには人がたくさんいて、しかし僕の事を気にかけてくれる人なんか皆無だった。
 僕の存在は祭の喧噪に押しつぶされてたのだ。
 どうしようかなんて言葉にはしたもののどうしようもなかった。うなだれても悲しんでも泣いても誰一人僕を見ていない。世界の中で僕だけが孤独になっているような、僕だけが隔離されているような感覚が心を浸食してく。
「よう」
 そんなときだ。正面から声がした。
「随分不味い顔をしてるなあ。お父さんとお母さんはどうした? さてははぐれたな」
 優しくて、強くて、僕にはその声が絵本の勇者のだとしか思えなかった。迷える子羊を助けてくれるのは大きな山羊のガラガラドンか。
「男の子だろ、そんな泣いてないで立てよ。遊ぼうぜ、せっかくの祭なんだから」
 その声には力強さと軽快さと、それから安らぎに近いものがあった。
 僕は少しずつ孤独の恐怖が薄れていくのを感じている。
 僕は一人じゃなくて、こうやってちゃんと僕の事を見てくれている人がいる。
 大げさかもしれないが、孤独の絶頂にあった僕の心はそれほど疲弊していたのだ。
「祭の事知らないんだったら遊ぼうぜ、教えてやるよ」
 僕はこの時点で既に両親の事が消えていたのかもしれない。数瞬前まで頭の中は孤独から求める両親の顔ばかりだったというのに、遠すぎる希望よりも目の前の希望。僕は何の警戒もせず、その言葉だけで『ついていこう』という意思を決めてしまっていた。この人についていけば、少なくともこの孤独からは逃れられる。こんなつらい現状を打破できる。そればかりが先行していた。
 僕が顔を上げるとそこにたのは、浴衣姿でサンダルを履いていて、右手にはイカ焼きのくしを持ってる、流行のヒーローのお面を着けた僕と同じ背の男の子だった。
       ☆☆☆
 僕は彼に対して警戒心なんて微塵も持ってはいなかった。
 それは彼に対して失礼だと思うし、そもそも僕と変わらないくらいの子供だ。子供に出来る事なんてそうそうない。もしも彼が信頼できないような大人の所へ行った時は、すぐに逃げ出せばいい。そんな風に思っていた。
「じゃあ次はあれやろうぜ」
 かれが指を指した方向にあったのは射的だった。
 僕がいいよと答えると彼はうれしそうに笑いながら「よっしゃ、あの店を潰す気持ちで行くぜ」なんて言うのだった。しかしこの言葉もけっして無茶な大見得というわけでもないのだ。実質彼と今まで遊んだ『金魚すくい』も『輪投げ』も『ヨーヨー釣り』だって僕とは桁違いに上手だったのだから。
 ヨーヨー釣りに至っては僕が一つもとれなくてお店の人が一つサービスしてくれてのに、彼は一つのこよりで指が足りなくなるほどヨーヨーを釣ってみせたのだ。僕にはそのこよりの中にワイヤーでも通ってるんじゃないかと疑ったほどだ。しかし一つとるごとに引きつっていたお店の人の笑顔が忘れられない。
 しかも最後はこよりが切れていないのにも関わらず『この辺にしとくか』とこよりを捨てて、『持ちきれないから返すよ』と一つをのぞいてすべてを水槽に返すという器の大きさを披露してみせた。お店のおじさんもほっと胸を撫で下ろしていた。僕が上手いねと彼に言うと『俺はヨーヨー釣りの王様だからな』なんていいながら笑っていた。
 王様か、自信過剰かと思えるその言葉も彼にしてみれば納得だった。
 きっとこの射的屋もその気になれば潰してしまえるのだろうか? いや、いくらなんでも球数が決まってるんだから無理だろうけども。
 僕と彼はお金を払ってコルク製の弾を七発もらった。僕は射的なんてやった事がなかったものだから、目の前にあるライフルのどこにこのコルクをセットすればいいのか全くわからなかった。一般的な知識として考えると、トリガーの上あたりにある小さな窓から入れるものだがどうにも開かなかった。
 それを見ていた彼が「何やってんだよ」と笑ってコルクの弾を先端に直接突き刺した。アバウトすぎる日本の射的にちょっとショックをうけた。
 僕は彼の撃つ姿を出来る限り正確に真似しようとずっと見つめて、そして実際に撃ってみる事にした。
 狙うのは赤いパッケージのお菓子。
 七発うって一発もそれにはあたらなかった。
 でもその隣にあるキャラクターの貯金箱にあたってそれがたまたま落ちてしまった。
「やるじゃん」
 僕はなんだかうやむやな感じになってしまったが、隣のお菓子を狙っていたとは言い出せなかった。
 彼は僕よりもじっくり狙って撃つのかまだ撃ち終わっていなくて、最後の一発を狙っているところだった。彼の横にはその前の数発でとった景品がおいてあったが、五つほどおいてある。つまり百発百中なのだ。
 そして彼が狙っているのは僕の狙っていたそれ、赤いお菓子。
 パンと銃にしては些か小さい音が響くとお菓子は前後に大きく揺れて、下に落ちた。
 店のおじさんが笑いながら『ははあ、参った参った』と笑いながらお菓子を持ってくる。
「坊ちゃんうまいねえ」
「俺は射的の王様だからな」
「お、そりゃあ勘弁だな」
 そういうとおじさんは「がははは」と大声で笑っていた。
 その店を後にして彼はさっきの景品が入っている袋をがさがさと探って、やがてその中から一つ取り出した。あのお菓子だ。
「ほらよ、これが欲しかったんだろ?」
 そういいながら僕に手渡してくれた。
 どうしてわかったんだろう、僕がこっちを狙っていた事を。
「俺には全部お見通しだよ」
 僕はエスパーを目にしたらしい。テレパシーと言うやつだ。
「なったって俺は王様だからな」
 何の王様だったのかは今でもわからない。
        ☆☆☆
 僕が心の隅にあった、いや、もしかすると故意に思い出さないようにしていただけなのかもしれないが、ともかく自分が迷子という身分であった事と両親を捜す、基両親に見つけてもらうという本分を思い出したのは僕と彼が祭で有り金をすべて叩いてしまって何も出来ず、川沿いの土手で寝っ転がっているときだった。
 そのときの叫び声ときたら思い出すのも憚られるくらいで、あまりの素っ頓狂さに隣の彼は目を点にして「なんだなんだ」と飛び起きるほどだ。
 彼は理由を聞くとあはははと笑って『なんとかなるだろ』なんて人ごとも極まった言葉を口にした。
「それに親なんて呼び出せばいつでもくるだろうに」
 そうだ。そのとおりだ。
 さっきはその呼び出しが出来る場所が分からなかったから悩んでいたのであって、彼はその場所が分かっているのだから心配する事はない。
 僕はそう思ったがよく考えると今も両親は心配して僕を捜しているんだろう。その事を思えば少し心を痛めるというものだった。
 夜風が気持ちよくて、すぐ上で人混みのざわざわがうるさいくらいに聞こえているはずなのにどうしてかここだけ切り離されたようにしずかに感じた。
 そこでふと疑問に思った。
 彼はどうして僕に声をかけたのだろう?
 どうして僕と一緒に祭で遊んでくれたのだろう?
 その疑問を聞いた彼はなんだか苦い笑いを浮かべて『寂しそうだったからだよ』なんていった。
 寂しそうとはどうにも優しい言葉だ。確かにあのときは絶望のときたら絶望という言葉を使う事すらおこがましくなるくらいの絶望だった。
 僕はその時わかれば良かったのだ。
 あの寂しそうだったという言葉は僕に向けていったんじゃないと。
 自分自身に言い聞かせるように口ずさんだあのフレーズはやはり自分自身に向けられていたのだ。
 少し考えれば理解に易い。僕が一人であったように彼もまた一人だったのだ。どうしてなのかはわからないが、彼も僕と同じ一人きりの絶望を味わていたのだ。
 だから彼は共有する事を選んだ。僕と一緒にいる事で、迷子の僕をあやすという大義名分を引っさげて自分の寂しさを塗りつぶしていたのだ。
 誰でも良かった。
 たまたま僕だった。
 だから彼は僕に名前を教えてくれなかったし、彼も僕の名前は聞いてこなかった。その日限りの共有だったから。
 だから。
 だから。
 なんだ?
 それがわかったからといって僕が彼に対して持つ気持ちは変わらない。
 僕が絶望のどん底で喘いでいるときに優しい手を差し伸べてくれたのは間違いなく彼だったのだから。
 あの手の、あの声の優しさは偽物じゃなかったのだから。
 僕は、あの時彼に感謝したはずだ。『ありがとう』と本当の誠意で感謝したはずなんだ。
 僕の言葉を聞いて彼は少し恥ずかしそうな顔をして「気にすんなよ」といった。
「俺は祭の王様だからな。祭で悲しそうにしてるやつをほっとけないだけさ」
 彼はそう言った。
 自信に満ちた表情で。
        ☆☆☆
 あれ以来僕はやっぱり人混みが得意ではないものの、祭そのものは心から愛せるようになった。
 今では地元の高校に入学して学園祭にも焼きそば屋さんを出店する事になっている。それもいよいよ明日に迫って屋台も今完成した。
 こういう日曜大工的な事をするのは初めてで随分と奮闘したが、出来映えは自信が持てるほどだった。
 僕は隣にいる友人に話しかけた。
「なあ、明日の祭、成功するかな」
「するさ」
 彼は自信気に言う。
「俺は焼きそばの王様だからな」

    【了】

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